このお寺は、正式名は「仏徳山観音導利院興聖宝林禅寺」と言います。普通の寺院は石段を登りますが緩やかな坂道を、岩盤を切り崩して、直線の長い参道にしてあります。
その参道を登ると、さながら龍宮造の様な楼門、さらにその奥に薬師門と有ります。
曹洞宗の開祖道元が宋より帰国後、天福元年(1133年)にいまの伏見深草に一宇を創建したことに始まります。根本道場として曹洞宗の修業の場で有りましたが、叡山の衆徒の圧迫により道元が越前永平寺に移った事や焼き討ちにあい、本寺院は荒廃しました。
江戸時代・慶安元年(1648年)に万安英種を講じて、興聖寺を再興し淀藩主「永井尚政」は亡父と池田恒興の冥福を祈りました。
楼門をくぐり左手に、周囲を岩で配して「秋葉大権現」が祀られ、境内を鎮守し、右手には鐘楼が有ります。
この鐘楼は「興聖の晩鐘」として、宇治十二景に数えられています。
法堂は伏見城の遺構と伝えられ「釈迦如来像」が安置されています。
宇治市宇治山田27-1