うちがよく参拝するお寺には七福神の像が展示されています。
そもそも、お寺なのに何故、七福神?
それは置いたとして、仕事が業として順調であるようお祈りすべきは恵比寿様?それとも大黒様?
そんな疑問を感じていました。
先日、図書館にあった「七福神信仰辞典」(宮田登編)という本などを読んでみたところ、七福神は室町時代の末期に京の町衆文化の中で成立したもので、恵比寿様は古神道の神、大黒様(大黒天)・毘沙門天・弁才天は仏教の神、寿老人・福禄寿は道教の神仙、布袋様は禅僧と、日本・インド・中国の様々な宗教が合体して出来上がったものなのだそうです。
(もともと各々の神様が信仰されていた地方も異なっていたとのこと)
塩野七生さんの本の中でよく「日本は『よろずの神』の国である、」と書かれていますが、七福神には日本人の宗教に対する鷹揚さが見事に現れています。
そして、大黒天・毘沙門天・弁才天には仏教の要素が含まれていることから、お寺に七福神があっても決しておかしくはないということになりそうです。
さて、七福神のうち釣り竿と鯛をもった恵比寿様は、一般的に漁業と商売繁盛の神様とされています。
一方、打ち出の小槌を持った大黒様ですが、よくよく見ると米俵の上に立っており(気付かなかった・・)、また、「槌」は「土」から来ているとする説もあるようで、一般的には農業と商売の神様として信仰されているようです。
(大黒様、もとはインドのシヴァ神の化身の一つで、破壊の神として恐ろしい形相をしていたとのことですが・・)
上記のように七福神はもともと様々な宗教の中から有難い神様を選んだもののようなので、商売の神様が二人いてもおかしくはなく、両方の神様に同じお祈りをしてもバチは当たらなさそうです。
そして、上記「七福神信仰辞典」によると、恵比寿様の釣り竿は、「釣りして網せず」、すなわち暴利をむさぼらない、清い心を象徴している、といわれているとのこと。
また、大黒様の頭につけた頭巾は「上を見ない」という謙虚さを、二つの米俵は「二俵で満足する」という欲張らない清廉な心を示しているといわれているとのこと。
なんだか恵比寿様も大黒様もきわめて高い社会性の認められる神様のようで、真摯な姿勢でお祈りするならば必ず願いを叶えてくれそうな気がしてきます。

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