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 フィリピン、そして日本にありがとう!

ドイツは、2022年までに「脱原発」=17基の原子炉全面停止…と発表(5月30日)

2011年05月31日 | 原子力発電所関連

ドイツは、福島第一原発の放射能漏れの事故の直後から、国民がいち早く「ノー・モア・原発」 “ No more Nuclear Power Plant! ” と拒絶反応を示した国の一つでしょう。

国民の脱原発への強い希望を受けて、連立与党(メルケル首相)は30日、「11年後の2022年までにドイツ国内の原子炉17基すべてを停止」すると発表。主要国の中では最も早く、将来のエネルギー政策の方向転換、「脱原発」を打ち出したことになります。

 

デモで原発反対を訴えるドイツ市民(5月28日・ハンブルク)

 

「ドイツの連立与党は大きく政策転換し、2022年までに17基の原子炉をすべて停止すると発表した。

 ドイツのメルケル首相は30日、政府が任命した委員会の提言に従って、8基の原発を直ちに停止し、残りについても大半を2021年までに停止すると発表した。3基は予備電力のために2022年まで稼動を続ける可能性がある。

 メルケル首相は、数人の閣僚とともに決定を発表した記者会見の場で、『少なくとも私自身にとって福島第一原発の事故は想像を絶するものであり、原子力エネルギーの役割を再考する必要に迫られた』と述べた。

 さらに、『この計画はドイツにとって大きな挑戦となるが、わが国を効率の高い再生エネルギー時代へ移行する最初の工業国とするチャンスだ』とも述べた。

 メルケル首相は昨秋、一部の原子炉の耐用年数を当初計画より10年以上長い2030年以降まで延長する計画を発表して論議を呼んだばかりであり、今回の動きは180度の方向転換といえる。これは、2002年に社会民主党と緑の党による中道左派連立政権が決定した合意に実質的に逆戻りするもの。

 日本の原発事故によってドイツ国内では原子力エネルギーに対する懸念が高まっており、福島第一原発が最初に爆発してから数日後にはメルケル首相は旧式原発7基を停止させ、原子力エネルギー戦略の見直しを命じていた。

 その見直しに基づく今回のドイツ政府決定は、日本の原発事故を受けた国家の原子力エネルギー方針の転換としては最も大きなものだ。日本では原子炉の新規建設計画を実質的に凍結、台湾やイタリアは安全性を見直すため、新たな原発計画を保留としている。スイス政府は先週、最終的な脱原発を決定したが、段階的廃止案であり、脱原発の完全な実現は2030年以降となる可能性がある。

 ドイツでは国民の7割ほどが原発に反対しており、ドイツほど原発が問題となっている国は少ない。福島第一原発事故が発生して以来、国内各地で数百件の反原発デモが行われてきた。

 ドイツ産業界では、今回の決定は想定内ではあったものの、政治的な動機に基づいた性急なものであり、その結果、電力価格が高騰し、ドイツの競争力が脅かされると非難する向きもある。

 ドイツの電力価格は既にこの10年で2倍になっており、国内電力の50%近くを消費するドイツ産業界は特にこの問題に神経を尖らせている。

 30日、メルケル首相は、新たな脱原発方針によってドイツの再生可能エネルギー目標が影響を受けることはないと述べた。同目標では、2050年までに総発電量の80%を再生可能エネルギーとすることを目指している。現在、ドイツの消費電力のうち、再生エネルギーが占める比率は16.9%。

政府はまた、現在、総電力の22.6%を占める原子力発電の停止期限が厳しくなることで、それが再生可能エネルギーへの投資を促し、経済的恩恵となる可能性があるとした。」

Patrick McGroarty and Vanessa Fuhrmans 5月31日・The Wall Street Journal

 

 

「ドイツ・メルケル政権の連立与党は30日未明(日本時間同日午前)、遅くても2022年までに、現在電力供給の約23%を担っている原子力発電から脱却する方針で合意した。DPA通信など、ドイツメディアが伝えた。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故後、他国に先駆けて「脱原発」へと政策転換したドイツは今後、風力などの再生可能エネルギーを中心にした構造への転換を目指す。

 メルケル首相が率いるキリスト教民主同盟と姉妹政党のキリスト教社会同盟、連立相手の自由民主党の幹部が29日午後から協議していた。合意によると、現在17基ある原発を段階的に閉鎖し、大部分は10年後の21年までに止める。代替の電力源の確保が間に合わないなどの場合に備え、最後の3基の運転を1年間延長する選択肢を残した。」

ドイツ、2022年まに脱原発 連立与党が合意 5月30日・朝日新聞)

 

 

 こんな記事もあります。↓

86脱原発を希望、ドイツ国営放送調査

タナ|環境とCSRと志のビジネス情報誌

 

 

 

福島第一原発事故による放射性物質拡散などに関する「海外」の情報リンクが、こちらのホームページにまとめられています。↓

海外かの情報国際機関研究所メディアなど - 福島原発最新情報

(時々、情報が更新されています。)

 

 福島原発新情報リンク集 | 福島原発 LINK より


台風2号による福島第一原発事故の放射能拡散シミュレーション(ドイツ発)

2011年05月29日 | 原子力発電所関連

ドイツの気象庁にあたるDWDが、そのホームページで、福島第一原発の事故以来、日本の福島第一原発周辺における放射性物質拡散の分布図(シミュレーション)を公開しています。↓

http://www.dwd.de/bvbw/appmanager/bvbw/dwdwwwDesktop?_nfpb=true&_pageLabel=dwdwww_start&T178400415551302522764483gsbDocumentPath=Content%2FOeffentlichkeit%2FKU%2FKUPK%2FHomepage%2FTeaser%2FJapan.html&_state=maximized&_windowLabel=T178400415551302522764483&lastPageLabel=dwdwww_start
(クリックしてください。)

 

(日本時間5月30日午後9時の予想図)



(日本時間5月31日午後9時の予想図)

Weather and migration conditions in Japan (日本の天気と移動の状態) 

このmigration(移動)とは、放射性物質の拡散を意味し、そのシミュレーションを示した図です。これは、一定量の放射線物質を出しているという仮定の計算条件に基づき、相対的な分布を予想したものだそうです。

(画面に表示されている時刻「UTC」は国際標準時間・GTMで、日本時間はその表示時刻+9時間となります。)

 

Weather and Climate - Deutscher Wetterdienst -- Homepageより)

 

 これによると、今回の台風2号による放射性物質拡散の恐れがいかに大きいものか、と不安になります。あくまでシミュレーションによるものですが…。

 

 自分自身、こんな記事、情報を掲載せざるを得ない今の状況は、本当に悲しく、心が痛みます。。

「台風2号、もっともっとそれてくれ!」

気象庁 | 台風情報

 

気象予報士Kasayanのお天気放談:台風2予想進路と風・雨の様子(529日)


台風2号の進路…日本へ!? 「頼む!それてくれ!」

2011年05月28日 | 原子力発電所関連

フィリピンの太平洋湾岸で被害を出した台風2号(フィリピン名・台風「チェデン」“Chedeng”)。

非常に強い勢力で(5月28日午後3時現在 945hPa)、宮古島西南西30kmの位置から沖縄、九州南部、そして太平洋湾岸へと進むのでは…、という予想です。↓


気象庁 | 台風情報

 



気象衛星

 

台風2号・28日午後3時の位置)

 

 反原発・脱原発派の専門家の方々が指摘している、台風による放射性物質の拡散…、とても怖いと思います。
「それてくれ…。」祈るのみです。

 

「原発、放射性物質の恐怖」を訴え続けてきた広瀬隆さん。

「台風の通過速度をご存知だと思うけど、5日間で日本全体を通り過ぎる。風向きいかんだが、とにかく早い。雨や雪でも全て汚染されてくる。水と野菜が汚染されれば、どうしようもない。

『体内被曝』の怖さをもっと知るべき。政府は『ただちに健康に影響はない』と言い続ける。嘘の安全論は、いい加減にやめてほしい。若い世代、子供たちを皆で守らなければ日本の将来はない。」(広瀬隆氏)


[注意]台風2放射能拡散予報。関東・中部地方は注意してください 

[SAVE CHILD] 放射能汚染から子供を守ろう

 

  

 原発の危険性や恐怖については、今回の福島第一原発の事故以前から、これまでずっと多くの方々が指摘し、訴えてこられていたのですね…。↓

 

原発がどんなものか知ってほしい(故平井憲夫氏)

 筆者「平井憲夫氏」

1997年1月逝去。

1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。

「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

 

安全神話の闇に葬られる原発被曝労働者JanJanニュース

(2007年6月1日)

 

日本の原発奴隷

スペインの新聞社「エル・ムンド“El Mundo”」の調査報告(2003年6月8日)です。『原子力発電所における秘密-日本の原発奴隷」

 

 

日本では、どうも、政府や関係当局により、人に知られてはいけない本当の事実、人に知られては都合の悪い真実が「隠蔽」される体質をはらんでいるように思えます。むしろ、海外の研究者や専門家、メディア等の方が、事態の深刻さをより以上把握している、公にしている感じも受けます。

 


 とにかく、今は、この台風2号の進路がそれてくれることを祈るだけです。

 

こちらは、フィリピンの気象庁にあたるPAGASA(パグアーサ)による予想進路図です。↓ 

 http://www.pagasa.dost.gov.ph/wb/tc_up.html


(Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration)


こんなにある世界の原発・核兵器!=世界の「負の遺産」

2011年05月11日 | 原子力発電所関連

 世界には、こんなに多くの原子力発電所があります。↓


http://incontiguousbrick.files.wordpress.com/2007/08/world_map.png

 

世界の原子力発電所の原子炉の数 2010

 

海外移住と原発世界分布 海外移住の国選び

 

Nuclear Power in the World Today - World Nuclear Association

 

福島第一原発の事故は、原発運用の難しさを改めて世界中に認識させました。原発を使用している、あるいは建設を検討している多くの国で、原子力政策、エネルギー政策の見直しが相次いでいます。


 

そして、原発と同様に増え続けてきた核兵器。
 世界にはこんなにたくさんの核兵器が保有されています。↓

 

長崎市|平和・原爆|核兵器の廃絶へ|核兵器データ|核兵器の数

 

1930年代、中性子による原子核の分裂が連鎖的に行われれば、莫大なエネルギーが放出されると仮説が立てられていた。1939年にウランによる核分裂の連鎖反応が実験実証されると各国で原子炉の開発が開始された。当初は必ずしも兵器目的ではなかったが、この年の9月に第二次世界大戦が勃発すると、核分裂の巨大エネルギーを兵器として利用する原子爆弾の可能性が活発に議論されることになる。原爆の秘密裏の検討は連合国側・枢軸国側ともに行われていたとされる。

マンハッタン計画。この時代で原爆開発を組織的に最も推進できたのはアメリカ合衆国であった。当時のアメリカにはドイツのナチスのユダヤ人迫害から逃れてアメリカに移民した優秀な科学者が大勢おり、その一人のレオ・シラードが19398月にアインシュタインの署名を得て、ルーズベルト大統領に核連鎖反応の実現への協力とヒトラーの核保有の危険性を訴える手紙を送った。これがアメリカの原爆開発に至る最も早いきっかけとなった。その後、194110月にウラン爆弾が実現可能であることを伝える報告書がイギリスのMAUD委員会からもたらされ、19426月に原子爆弾の秘密開発プロジェクト、マンハッタン計画が開始された。

ウラン濃縮プラント・プルトニウム生産炉の各巨大工場の建設、そしてオッペンハイマーが率いるロスアラモス研究所には優秀な科学者を全米から集め、アメリカの軍・産・学の総力を挙げた国家プロジェクトとなった。最初の原爆は1945716日に完成(3個)し、そのうち1個(ガジェット)によりアラモゴードの砂漠で世界最初の原爆実験を実施した。残りの2つの原爆が日本に投下された。

世界初の原子爆弾の実使用は、194586日午前815分に広島に対して濃縮ウラン型原爆リトルボーイのB-29(エノラ・ゲイ)からの投下で実行された。ついで194589日午前112分には長崎に対してプルトニウム爆縮型原爆ファットマンがB-29(ボックスカー)から投下された。」

核兵器 - Wikipedia より)

 

 

 今日、こんなニュースがありました。↓

核兵器廃絶へ連携強化 長崎と広島市長初会談 読売新聞・5月11日)

 

長崎訪問の広島市長が「脱原発」言及 県内被爆者ら評価 (朝日新聞・5月11日)

 

 広島の松井一実市長(被爆2世)が、長崎の田上富久市長を訪問し、10日の初会談後の記者会見の中、東京電力福島第一原発事故に関連して、「脱原発も含めて我が国のエネルギー政策の見直しをすべきではないかと、国に対してしっかり言っていきたい。」と発言しました。被爆地の市長が「脱原発」に言及したのは初めてだそうです。

被爆地として、両市が連携して「核兵器廃絶」に取り組む考えを示すとともに、「放射線」に関する正しい知識の普及を目指すことを確認し合ったとのことです。

 

 

 平和利用としての「原子力」と、軍事利用としての「核」…。

呼び方は違いますが、理論は同じであると一般的に知られています。原発の使用済み燃料再処理工場でのプルトニウムの抽出は、核兵器の開発に直結するものだからです。
 青森県六ヶ所村の再処理工場は、日本各地の原発の使用済み燃料から、核兵器の原料となり得るプルトニウムを取り出す工場です。それで、ここではIAEAの査察官が24時間待機しているそうです。


 

参考:以前のブログ記事より。(ヒロシマ・ナガサキ)↓

広島「平和への誓い」 in 2010

 

For a world free of nuclear weapons from Nagasaki(2010)

 

ヒロシマの歌-「核兵器のない世界」への予感。2009) 

 

長崎の鐘が。(小澤征爾さんの『復活』コンサートの思い出-浦上天主堂)(2009)

 

 

東日本大震災発生から2ヶ月…。(合掌)


フィリピンのバタアン原発(バターン原発・Bataan NPP)=マルコス独裁政権「負の遺産」

2011年05月10日 | 原子力発電所関連

 フィリピンにも、日本と同じ時期に、同じような事情や背景のもとに、政治の権力によって、莫大なお金が投資されて作られた原子力発電所があります。それは「バタアン原発・The Bataan nuclear power plant」です。↓

 



 戦時中の
Death March(死の行進)で有名なバタアン(Bataan・バターンとも記載)にありますが、1984年に完成されて以降27年間、まだ一度も商業運転はされていません。それなのに、
フィリピンは、その建設に関する費用、膨大な借金を返すのに、何と2007年4月まで「23年」かかったそうです。
 首都圏マニラの、マニラ湾をはさんだ対岸にあるバタアン半島の西側南シナ海に面しており、すぐ北には、日本人を含めて移住先として人気のある「経済自由特区スービック・Subic」もあります。↓

 このバタアン原発から半径80kmの円が示されているこの地図、何とアメリカ発です。3月16日付でアメリカ合衆国原子力規制委員会(The U.S. Nuclear Regulatory CommissionNRCが発表したことを報じる記事。日本の福島第一原発の事故を受けて、日本にいるアメリカ人に警戒を呼びかけています!↓


An 80-km BNPP evacuation radius will include all of Bataan and ...

 

アメリカ合衆国原子力規制委員会 - Wikipedia



 
バタアン原発の歴史的経緯、現状については、次のページに大変詳しく書かれています。

バタアン原子力発電所は再封印か? - ジェトロ・アジア経済研究所

20114月)

 

 この話が当時のフェルディナンド・マルコス独裁政権(19651986)とアメリカとの間で持ち上がったのが1960年代。バタアンの地域住民は、流血の事態に発展するほど、猛烈な原発建設反対を繰り広げてきました。
 70年代後半、マルコス政権により住民の意思を無視した建設が始められると、抗議運動はさらに勢いを増しました。76年には、バタアン住民で反対運動を続けていたリーダーが凶弾に倒れましたが、マルコス政権は次々に増強部隊を送り込んで建設を強行しました。工事は実質82年に終わりましたが、この頃から、原発運転阻止の住民の叫びは、多くの人々を巻き込んだ反核への運動「非核バタアン運動」へと発展していきました。それでもマルコス政権は、それを武力で鎮圧してバタアン原発を稼動させようとし、85年末には核燃料が装備される予定でしたが、「反原発・非核」の運動は、その翌1986年2月のピープル・パワー革命(フィリピン人民革命・エドサ革命)へも影響を与えたと言われます。

 マルコス退陣後、ピープル・パワー革命によって大統領に押し上げられた故コリー・アキノ氏は、バタアン原発を稼動させないことを決定。バタアン原発建設をめぐるマルコス前大統領とアメリカ企業との不正取引や、アメリカ企業側に有利な一方的な契約内容も打ち切りの理由となったといいます。建設費用は当初5億ドルと見積もられていたものが、最終的には23億ドルにまで膨れあがったとされています。
 
そして、コリー・アキノ政権下、原発に限らずあらゆる核をフィリピンから撤去させようという運動を受けて、87年に「非核」の条文を含む憲法が採択され、91年にはフィリピンからアメリカの軍事基地と軍隊および核兵器が撤去された、という輝かしい歴史を持っています。


 そして、この「バタアン原発の運転をしない。」と苦渋の決断をされたであろう故コリー・アキノ元大統領のご長男で、現フィリピン大統領(
20105月~・任期6年)のベニグノ・アキノ3世(ノイノイさん)は、母のご遺志を継ぎ、大統領就任後すぐに次のような英断をされました。↓

 

バターン原発は再生せず」アキノ大統領、最終決定(フィリピン)

NNAアジア・ニュース 2010729日)

 

(2011年3月15日・福島第一原発の事故を受けて反原発・非核デモ…

 

<参考> 以前のブログ記事より。↓

バタアン・死の行進-Death March 2009-04-09 

 

コリーアキノ元大統領「安らかに。」 2009-08-02

 

コリーさん(故コラソン・アキノ元大統領)のお誕生日に銅像が ... 20100125

 

ピープル・パワー革命25周年・ People Power Revolution of 1986 20110226

 

フィリピン「ピープル・パワー革命」25周年 Vol. 2 20110228

 


 1970年代からずっと続けられてきたバタアンの地域住民を中心としたこの「反原発」の闘争は、現在にいたってもフィリピンの「反核」の闘いの最前線でもあるのです。


(当ブログ開設500日目)


小出裕章氏と広瀬隆氏お二人の講演会…『終焉に向かう原子力』第11回目(4月29日)

2011年05月09日 | 原子力発電所関連

 さる4月29日、東京の明治大学で、小出裕章氏と広瀬隆氏お二人の講演がありました。
 チェルノブイリ原発事故25周年を受けてのセミナー(?)『終焉に向かう原子力』第11回目。「東海地震の前に浜岡原発を停止させよう!」「福島原発震災をくりかえすな!」がスローガンとして掲げられています。

 
『終焉に向かう原子力』第11回目・4月29日(内容)

・浜岡原発現地報告

 伊藤実氏  (浜岡原発を考える会・代表)

生方卓氏  (明治大学教員)

内藤新吾氏 (日本福音ルーテル掛川・菊川教会牧師)

 

・講演

 小出裕章氏(京都大学原子炉実験所・助教)

 『悲惨を極める原子力発電所事故』

 広瀬隆氏 (作家、ジャーナリスト)

 『原子炉時限爆弾 ‐年々迫る東海大地震と浜岡原発の危機』

 

 参加者があふれ、急きょ1200人収容の明治大学アカデミーホールに変更された会場の前。

 小出先生は、講演の直前に「満員で入れなかった多くの参加者にご挨拶を…。」と会場の外に出て来られ、「こんなにたくさんの人が集まってくださったのはありがたいと思いますが、同時に何とも悲しい事態…。国は、原発は絶対安全だと言い続け、皆さんもそれを信じてきたことと思います。私は、そんなことは絶対ないと、40年前から一刻も早く原発を廃絶したいと今日まできましたが…。国や巨大産業が進める原子力を止められなかったことが悔やまれて、言葉になりません。原子力にずっと携わってきた人間の一人として、皆さんには何とお詫びをしてよいか分かりません。本当に申し訳ありませんでした。」と涙声で頭を下げられています。本当に、小出先生の誠実さが伝わってきます。(涙)
 その時、参加者から「俺たちがいけなかったんだ。」…(原発廃絶に向けて)「がんばってくださーい!」「ガンバローッ!」という悲鳴にも似た声が…。主催者も聴衆も「涙」…。
「何でここまで来て、原発を即刻止められないのか!」と小出先生。↓

 

小出裕章氏 講演直前 満席で会場に入れなかった聴衆に語りかける(You Tube)

 

この講演のために小出先生が用意された資料が、以下のページ(ちきゅう座)で公開されています。↓

 

悲惨を極める原子力発電所事故終焉に向かう原子力(第11回)講演

 

 

 次のホームページにそのお二人の講演の映像(You Tube)がすべて取り上げられています。↓

終焉に向かう原子力 小出裕章 / 広瀬隆 | 真宗大谷派 常福寺

(常福寺‐石川県七尾市)


「大切な人に伝えてください!」小出裕章さん(京大)の講演『隠される原子力』…「母の日」に。

2011年05月08日 | 原子力発電所関連

 

 

【大切な人に伝えてください】小出裕章さんされる原子力』

(106分・You Tube

 

この講演の映像をYou Tubeに投稿(2011年3月21日)された方からのメッセージです。↓


「これをご覧になられた方へお願いがあります。あなたの家族や友達など大切な人に伝えて頂けないでしょうか?このバトンが日本中に回ることを期待しています。

小出裕章さん【原子力の専門家が原発に反対するわけ】
http://www.youtube.com/watch?v=4gFxKiOGSDk

2011
320日に行われた小出裕章さん(京都大学原子炉実験所 助教)の講演です。小出さんは原子力の研究者という立場から、原子力の危険について、40年以上に渡り警鐘を鳴らし続けて来られました。その警鐘空しく、私たちは東日本大­­災で福島原発の大事故を招いてしまいました。今も現場では作業員の方々が命がけで復旧に取り組んでおられますが、まだまだ予断を許さない状況が続いています。空や海に­広がる­放射能の影響も心配です。 

この苦しい経験から私たちは学ばなければいけません。同じ過ちを繰り返さないように。子供たちに安心して暮らせる世界を残せるように。この地球に生きるすべての人に届けた­­い。隠される原子力・核の真実。あなたの大切な人に伝えてください。」

 

次のブログの記事には、この小出先生の講演の、要約された内容が書かれています。↓

原発って今ごろやっと少し理解 - 『自由の哲学』を読む


こんなにある日本の原発!「その数54基・世界第3位」…どうしてそんなにたくさん?

2011年05月07日 | 原子力発電所関連

 日本は、アメリカ、フランスに続いて、「54基」(世界第3位)もの原発を持つ国です。福井、福島、新潟など限られた地域に集中して、すべて海沿いに立地されています。

 3月11日の東日本大震災で停止した原発は11基。定期検査で停止されていた原発も21基あったそうですが、福島第一原発の放射能漏れ事故を受けて、運転再開には何よりも地元住民の了解が求められ、再開は大変難しいと思います。「現在運転中の原発は22基」(54基中)ということです。が、今後の電力政策、発電計画も、当然見直されていくでしょう。


(日本経済新聞・5月7日の記事より)

 菅直人首相は6日、中部電力に対し、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の運転を全面的に停止するよう要請しました。東海地震の震源域の真上に位置し、津波対策が不十分であると判断したからだそうです。

 当ブログでも取り上げさせていただいた広瀬隆氏が、今後最も危険な原発の一つとして、御前崎等でも直接その危険性を訴えられていた浜岡原発です。この政府による浜岡原発の停止要請は、定期検査で止まっていた原発の運転再開にも大きな影響を及ぼすことでしょう。

 

全体像みえぬ電力政策 停止中原発32基、再稼働難航

(日本経済新聞・5月7日)

 

 それにしても、この日本の広くはない国土にそれだけ多くの原発がどうして作られてきたのでしょう?そこには、どうも当時の政治の権力者と、ごく一握りのビジネスマン、そして国民に対する情宣活動が大きく関わっているようです。利権がらみ、莫大な原発マネーによってアメリカから持ち込まれた原発…。次の動画では、その歴史的事実がNHKによって暴き出されています。↓

 

原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略

『原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~』
(NHK 現代史スクープドキュメント 1994316日放送)
「毒をもって毒を制する」…第5福竜丸事件で反核・反米の世論が高揚する中、日米が協力し民間から行った世論形成の全貌を明らかにする。

 

 

 少し前の統一地方選の話題ですが、志賀原発2基(北陸電力)を抱える私の地元石川県では、ずっと反原発の活動を続けてこられ、今回もそれを前面に押し出して戦ってきたお二人、金沢市の森一敏氏(元教員・3期目)、志賀町の堂下健一氏がトップ当選を果たしました。(森一敏氏は、私の大学での一つ後輩です。)↓

2011統一地方選:「反原発」訴えた2森一敏氏(金沢市議)堂下健一氏(志賀議)トップ当選

(毎日新聞・4月27日)

金沢市議会議員:森かずとしの『直球勝負
(森一敏氏のホームページ)

 

森かずとしのワイワイ談話室(森一敏氏のブログ)
 

 一方、「原発銀座」と言われるほど多くの原発(14基)を抱えるお隣りの福井県…。

知事選では、現職の西川一誠氏(自民・公明推薦)が、原発の安全対策全体の見直しなど厳格、慎重な姿勢を強めると訴え、共産党の新人候補を大差で破りました。

そして福島原発以上に危険性のある高速増殖炉『もんじゅなど原発4基を抱える敦賀市の市長選は、原発との共存共栄路線の継続を訴えた現職河瀬一治氏(自民推薦)が5選を果たしました。ここでは、4人の立候補者いずれも福島第一原発事故を受けて、安全対策を原発事業者に実施させた上での運転継続を主張、「脱原発」を訴えた候補者はいなかったそうです。

 

特集・「原発マネー40 福井のニュース:福井新聞

 

4 相次ぐ巨額寄付 匿名、チェック届かず 特集・「原発マネー」40

 

少し前のニュース(東奥日報)ですが、こんな記事も…。

「青森県が2011328日に公表した2008年度の「市町村民経済計算」結果によると、1人当たりの市町村民所得が県内で最も高いのは、日本原燃の再処理工場などが立地する六ヶ所村で13636千円(前年度比11.4%)だった。同村のトップは5年連続。」

 

 原発を抱える自治体に支払われる原発交付金に関しては、

2004年度(予算ベース)での電源三法交付金は、約824億円に上るとされている。うち、福島第一、第二原発を抱える福島県では約130億円、柏崎刈羽原発を抱える新潟県では約121億円、敦賀、美浜、大飯、高浜原発を抱える福井県では約113億円、六ヶ所村核燃料再処理施設や放射性廃棄物管理施設を抱える青森県では約89億円となっている。」(朝日新聞)

…という記事もありました。

 

六ヶ所村について、こんな記事を見つけました。

(はなし)の話 20110506

広瀬隆著『東京に原発を!』からも引用されています。

 

 

 最後に一つ紹介を…。1988年に、原発の危険性について分かりやすく描かれた漫画『パエトーン』が、以下のページで公開されています。↓

【特別公開】山岸凉子パエトーン :: ActiBook

遠いむかし、神になり代われると思いあがった若者・パエトーンをめぐる悲劇。ギリシャ神話に描かれたこの物語を現代に展開し、原子力発電の是非について世に問いかけた山岸凉子の短編作品『パエトーン』(1988作品)


「原発、放射性物質の恐怖」を訴え続けてきた広瀬隆さん。

2011年04月21日 | 原子力発電所関連

 3月30日の当ブログ記事「戦慄の原発事故石川県の志賀原発」は大丈夫だろうか!?」でも触れさせていただいた広瀬隆さん。今、この本が売れているそうです。↓

原子炉時限爆弾
広瀬 隆
ダイヤモンド社

『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』

(広瀬隆 ダイヤモンド社 1,500円)

 

広瀬隆 - Wikipedia


 長年にわたって「原子力発電所、放射性物質の恐怖」を訴え続けてきた広瀬隆さんが、東京電力福島第一原子力発電所での相次ぐ事故、放射能漏れといった最悪の事態を憂い、マスコミを通してその事故の重大性を訴え続けています。以下は、震災後しばらく経ってからのテレビ・インタビューの模様です。↓
 


福島原発事故 メディア報道のあり方 広瀬隆

(朝日ニューススター・3月17日
「今、日本人は正しいパニックを起こさなければいけない。
ソ連がチェルノブイリ原発事故でやったように、『セキカン』と言ってセメントを上から流して固めるくらいしかないのでは…。
福島にある6機うち1機でもダメになれば、大変なことがおきる。原子炉のことは、作った技術者にしか分からない。日立と東芝の技術者たちを結集するしかない。東京電力は、運転員など何も知らない。福島第一は特に古い原子炉なので、設計した人はとっくに現場にいない。が、考えられる人は何人かいるはず。その人たちの知恵をお借りするべき。
台風の通過速度をご存知だと思うけど、5日間で日本全体を通り過ぎる。風向きいかんだが、とにかく早い。雨や雪でも全て汚染されてくる。水と野菜が汚染されれば、どうしようもない。
『体内被曝』の怖さをもっと知るべき。政府は『ただちに健康に影響はない』と言い続ける。嘘の安全論は、いい加減にやめてほしい。若い世代、子供たちを皆で守らなければ日本の将来はない。
本当のパニックを防ぐために、政府はこのような最悪の想定のもとでの対策を国民に知らせるべきだ。…」

 
<その70>続・大震災の編集局から - 毎日

(毎日「楽コレ!東西と~ざい」コラム -2011325日)

「事故を起こした原発は福島県(双葉町、大熊町)にあるが、東北電力ではなく東京電力の発電所である。首都圏に電気を送るための施設だ。しかし、福島県に電気を送っているのは東京電力でなく東北電力だから頭が混乱する。これは、『原発銀座』といわれる福井県・若狭湾の敦賀、美浜、大飯、高浜も同じで、福井県の半分以上に電気を供給しているのは、若狭湾に原発を持つ日本原電や関西電力ではなく北陸電力である。『莫大なお金をかけて鉄塔や送電線を設置しなくても、安全なら東京に原発をつくればいいではないか?』という広瀬隆氏の『東京に原発を』が出版され、話題を巻き起こしたのは1986年。もう四半世紀も前になる。…」

 

 そして、一方で原発推進派の学者たちのこんなひどい話も…。↓

原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」

(J-CASTニュース - 2011415日)

   東京電力の福島第1原子力発電所の深刻な事故を受け、政府の原子力安全委員会の歴代委員長を含む原発推進派学者の重鎮たちが原発の「安全神話」崩壊に懺悔を繰り返している。特に元原子力安全委員長の松浦祥次郎氏や前原子力委員会委員長代理の田中俊一氏ら原発推進の学者16人がこのほど、異例の緊急提言を行った。

「原子力の平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝する」との謝罪を前面に掲げた提言の内容は政府や東電の発表よりも今回の事故を深刻に受け止めており、緊迫感が伝わってくる。

→大量の放射能を閉じ込めるのは極めて困難、と認める(!) 

「私たちは事故の推移を固唾を飲んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、事故を終息させる見通しが得られていない」「膨大な放射性物質は圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている」「特に懸念されることは溶融炉心が圧力容器を溶かし、格納容器に移り、大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである。」

   提言は、水素爆発などで格納容器が破壊され、放射性物質が長期にわたり国土を汚染する可能性を指摘している。日本を代表する学者たちが、チェルノブイリ原発事故級の最悪の事態を想定していることがわかる。

   16人は東京大学名誉教授、京都大学名誉教授、東京工業大学名誉教授など錚々たるメンバーで、原子力安全委員会や原子力委員会の歴代委員長や委員を務めるなどした日本を代表する原子力の専門家たちだけに、発言には重みがある。

   特に気になるのは、「当面なすべきことは原子炉及び使用済み核燃料プール内の燃料の冷却を安定させ、大量の放射能を閉じ込めること。これを達成することは極めて困難であるが、これを達成できなければ事故の終息は覚束ない」と述べた点で、有効な解決策を見いだすのが難しいことを自ら認めているとも受け取れる発言だ。

   2011年4月1日、会見した田中俊一氏は「原子力の平和利用を進めて、まさかこういう事態、これほど国民に迷惑をかけるような事態は予測していなかった。結果的にこういうことになっていることについて、原子力を進めてきた人間として、国民に謝らなくてはならないという気持ちは、みんな持っていると思う」と心境を明かした。

   田中氏は提言をまとめた理由について「(我々は)余計なことを言わなくてもいい年齢だけれども、黙っていられないと。とにかく早くこの状況を抜け出して頂きたいという思いでまとめた」と述べた。学会で地位も名誉もある学者たちが、自分たちのこれまでの仕事を全否定するような今回の提言や会見が、事故の深刻さを物語っている。・・・(以上。)

 

 

「原発は安全だ。放射能は何があっても絶対漏れない。」と、無理矢理に地域住民や世間を説得し、原発を推進させてきた学者の方々が、実際に放射能が漏れたら、今度は「この程度の放射能は安全。健康には全く問題ない。」とのたまい、この記事の内容では解決策を見出すのは難しいと…!

「人災」と言うべき今回の原発事故で、1950年代からの政府(自民党)の原子力行政が問われるべきでしょう。電力会社と一体となって国民に偽りの「安全神話」をバラまいて来たのも自民党でした。

と言っても、今となっては、より正確な情報や的確な指示を人々に示し、放射性物質による被害の拡大を絶対に防ぐべき、それだけです。
 私たちは、日々あふれる情報の中で、何が正しいのか、真実を見ようとする感覚を麻痺させてはいけない…。


戦慄の原発事故。石川県の「志賀原発」は大丈夫だろうか!?

2011年03月30日 | 原子力発電所関連

 東京電力福島第一原子力発電所での相次ぐ事故、放射能漏れといった最悪の事態を伝えるニュースを見ながら、改めて原発の怖さに、戦慄が体中を走るかのような思いです。


 
ずっと気になっていた、故郷石川県の志賀町(しかまち・能登地方)にある「志賀原発」…。ここ最近の47NEWS(よんななニュース・共同通信)の一覧です。出てくる、出てくる…。↓

 

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最新記事↓

「さら津波対策を」 志賀原発 北陸電力の説明に住民 (3月30日) 

金沢市で微量のヨウ素検出 人体に影なしと石川県(3月27日)

 

 

3月14日の読売新聞石川版の記事。↓

『志賀原発 再起動メドなし』

福島事故受けて志賀町長「対岸の火事でない。」

東京電力福島第一原発の1号機・3号機が相次いで爆発し、建屋の外壁が吹き飛んだ未曽有の事態を受けて、北陸電力は14日、 部品トラブルにより停止中の志賀原発1号機(志賀町)の現状を「まだ原因調査中の段階で、再起動の見通しは全く立っていない」と説明した。

部品トラブルの原因が判明した場合でも、福島第一原発の事故原因が解明されるまでは、県や町が再起動を了承しないという見方もあり、1号機の再起動の時期は不透明だ。

志賀原発1号機は2月末、原子炉冷却水を循環させるポンプの部品機能が昨年12月に続いて再び低下し、今月1日から停止している。2号機も11日から約4か月間の定期検査に入っており、現在は2機とも停止した状態だ。

東日本巨大地震の発生を受けて、北電は14日、志賀原発の耐震性について報道陣に改めて説明した。それによると、志賀原発は約22キロ・メートル沖の「笹波沖断層帯」(約45キロ・メートル)でマグニチュード7・6の地震が起きることを想定した耐震構造になっており、津波についても平均海面より5メートル高い水位を想定、志賀原発が平均海面より11メートルの高さにあることなどから、「耐震安全性への影響がないことを確認した」との報告書を国に提出している。

今回の東日本巨大地震では、福島第一原発で非常電源が故障するなどして、1号機と3号機で相次いで建屋の外壁を吹き飛ばす爆発を起こすに至ったが、北電は「原因については報道や発表以上のことは分からない。東京電力や国の発表を注視していくしかない」と説明するにとどめた。

志賀原発では、トラブルで手動停止した原子炉を再起動させる際は、事前に県と志賀町からの了承を受けている。

今回の部品トラブルによる手動停止は県、町と結んだ安全協定に基づくものではないが、了承を得ずに再起動することは、「これまでに例がない」という。 谷本知事は14日、報道陣に「福島第一原発の事故原因が判明するまで志賀原発の再起動を了承しないのか」と問われ、「分からない。原発の安全性と同時に、計画停電が国民生活や産業活動にどのような影響を及ぼすかも考慮しなくてはならない」と明言を避けた。

(3月14日 読売・石川)


 志賀原発に関して、以前大問題になった2冊のブックレット。 ↓

  

『能登原発はやっぱり危ない!』 
 生越忠編 JICC出版局(現・宝島社)1989年

時は1989年。チェルノブイリの事故以降、世界初の新規建設原発として能登原発(現「志賀原発」)計画が進んでいた。しかし、建設予定地が原発建設には最悪の地盤であるという内部告発。このブックレットの前に出た『北陸が日本地図から消える日』はその内部告発を学者(生越忠)が検証し、一躍有名となった。これに慌てた北陸電力は、徹底した広報宣伝活動を展開。内部告発に対しても、地質問題のみに反論。それに対し、再度内部告発があり、それに学者が再度検証したのが、このブックレット。

 

 

『北陸が日本地図から消える日 能登原発恐怖の疑惑!』
 広瀬隆編 JICC出版局(現・宝島社)1988年

危険な話の終焉を祈って..(広瀬隆)

 

止めるしかな志賀原発(志賀原発差し止め全国署名・終了しています。)

 

能登原はやっぱり危ない!-衝撃の内部告発がまた北陸電力の嘘を ...

 

 2007年にはこんな一大事もありました。↓

『チェルノブイリ事故の再来もあった…。』

<志賀原発で臨界事故が起きていた。>

日本の原子力政策を根本から揺さぶる事態が起きている。東京電力をはじめ、東北電力、北陸電力などが、こぞって原発の重大事故や違法なデータ偽装を隠蔽していたことが明らかとなったのだ。

1999年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故は、原発の「安全神話」を崩壊させた。作業員2名が被曝死したこの事故の教訓は何一つ活かされていないのだ。まともな安全管理ができない日本の原発政策は、抜本的に見直されるべきだ。

<臨界事故が7年以上隠蔽された。>

隠蔽されてきた重大事故のうち最もショッキングな事例は、北陸電力志賀原発1号機(出力54万キロワット)で臨界事故が起きていたことだ。

北陸電力は、1999年に起きたこの重大事故を7年以上も隠蔽し、今年3月15日(2007年)に初めて公表した。

問題の臨界事故は、定期検査中の99年6月18日に起きた。原子炉の停止機能試験のため89本ある制御棒(長さ約4.5メートル)のうち88本を原子炉内に完全に挿入し、残る1本の制御棒を動かす試験を行っていた。この際、制御棒を上下させる水流弁の操作手順を間違え、3本の制御棒が原子炉から引き抜かれてしまった。

言うまでもなく、原子炉内の制御棒は核分裂にブレーキをかけている。このブレーキが効かなくなれば、原子炉は連鎖的に核分裂反応が起き臨界状態となる。臨界事故が起きてしまったのだ。

制御できなくなった原発の出力は急激に上昇し原子炉自動停止信号が出たが、制御棒の緊急挿入装置は機能しなかった。自動停止に失敗したまま15分が経過した後、なんとか手動停止したというのがこの事故の真相だ。

(2007年3月25日)