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アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐
 フィリピン、そして日本にありがとう!

ダバオ市の思い出 Vol.2 フィリピン日系人会・PNJK on 70th Araw ng Dabaw in 2007

2015年03月19日 | ダバオ市 DAVAO CITY

最近、どういう訳かフィリピンの夢をよく見る…。

2007年3月16日、4年間住み親しんだミンダナオ島ダバオ市を去る約1ヶ月前。私にとって最後のAraw ng Dabaw(ダバオ市祭・市制記念日)のパレード…。

ミンダナオ国際大学・MKD男子学生によるお神輿
かけ声?当然「ワッショイ、ワッショイ…。」

All pictures are taken on March 16, 2007 at Davao City

「一六日、ダバオ市制記念日。市祭のメインイベントであるパレードでは、まずイスラム教の衣装を身にまとった集団が先頭だった。間もなく和太鼓の響きと共にフィリピン日系人会の一行が近づいてくる。音頭を取っているのはダバシューさんで、ジュセヴン会長を筆頭に、ミンダナオ国際大学の男子学生がお神輿を担いでやって来た。女性陣は艶やかな浴衣姿で、炭坑節を披露した。ビット学長やイネスさんの姿もある。日系人の組織が、長い時を経てこの地に受け入れられ、その貢献度が認められた証でもあった。イスラム社会の人たちと日系人会をパレードの先頭に持ってきたことからも、多様な民族の共存、共生を目指すダバオ市の姿勢が伺えた。フィリピン日系人会は、日系人社会の更なる自立と、日本就労だけに頼らない経済基盤の確立を目指し、『多目的協同組合』という組織を立ち上げたばかりだった。」
(拙著『アイ!サラマッポ』下巻)

フィリピン日系人会・PNJK


♪炭坑節 フィリピン日系人会・ミンダナオ国際大学学生

 

フィリピン日系人会前会長ジュセブン氏と、現会長イネスさん 


ミスダバオ2007・Mutya ng Dabaw 2007


満面の笑み…。若いっていいねぇ(^^;)。Oh! ドリアーン!


ダバオ市での思い出-ダバオ市祭の日に。 Memories in Davao City on "Araw ng Dabaw"

2015年03月16日 | ダバオ市 DAVAO CITY

Happy 78th Araw ng Dabaw!

今日は、フィリピンミンダナオ島ダバオ市の78回目の市祭『Araw ng Dabaw (The Day of Davao)』でした。久しぶりに、その軽快なFestival Music 『BAHAGHARI TAYO・虹になろう』を聴いてみようと、ネットで検索する。

POPONG LANDERO Mayor Duterte Invites for 78th Araw ng Davao
(ポポン・ランデロ / ドゥテルテ市長の78回目ダバオ市祭へ招待状)

お元気そうで…。何でドゥテルテダバオ市長と? 

このダバオのお祭りの歌『BAHAGHARI TAYO』

Bahaghari Tayo by Popong Landero

曲を作ったポポン・ランデロ氏は、今は亡きマニラの親友エドの友人で、何度かお会いしました。風格があって、しかも親しみやすいお人柄でした。

Taken on March 13, 2007 at Davao City (ポポンさん・向かって左と、介護者ボン)

当時、鍼とお灸を頼んでいた友人ベンジ(中央)は、民族音楽・ダンスのグループ『Katutubo・カトゥトボ』(土着民族)のリーダー。ポポン・ランデロさんの仲間内です。ほとんど純ベジタリアンで、いつも穏やか、怒った表情をほとんど見せない人たちでした。↓

 

「ダバオ市は、市制六十九周年の市祭の最中…。ベンジが招待してくれたカトゥトボというグループの民俗音楽とダンスのパーフォーマンスを観にいった。そのドラムを中心としたユニークな民族楽器が奏でる東洋の響きと雄叫びを間近で目にし、圧倒される思いだった。そして、両手のロープの先に炎を灯し、それをグルグル回すといった女性ダンサーの民族ダンスが、私には燃え盛る命の鼓動を表現しているかのように見えた。」

March 13, 2007


ダバオの「カダヤワン・フェスティバル」 Kadayawan 2010 in Davao

2010年08月20日 | ダバオ市 DAVAO CITY
 おっとーっ、これは大きなドリアンだあ!
 今、ミンダナオ島ダバオでは、カダヤワン・フェスティバル(Kadayawan Festival・収穫祭)のまっ最中!16日から始まったこのお祭りは、22日(日)にメイン・ストリートを凱旋するパレードで最高潮に達します。
 今回の写真集は、2005年のカダヤワン・フェスティバルより。

KADAYAWAN 2010 (カダヤワン・オフィシャルサイト)

 
 小学生のバトン・トワラー隊・baton twirlers.。コスチュームもこの日のために…。

 
 こちらはハイ・スクールの…。とびっきりの笑顔で…。

 
 民族衣装も晴れやか…。

 
 ショッピング・モール「SMダバオ・シティ」の山車・Float。コンテストです。

 
 ランの花・Orchidsで飾りつけされた豪華な山車…。

 そして・・・、今がシーズンの"The King of Fruits"ドリアン!この大きなドリアンが、当時(5年前)ダバオでは1個丸ごとで300~400円でした。
 
 
  先日、近くのスーパーで、ドリアンのにおいに引かれて値段を見たら、こういう感じのドリアンの中身が3個入り1パックで300~400円でしたァ。マニラは、やっぱり高いネ…。マニラのドリアンも、ダバオ(ミンダナオ島)からのものです。
 ルソン島出身の介護者たちは、まず食べません…。独り占め…^^;。


ダバオ市ベースボール・カップ-Davao City Baseball Cup

2010年02月06日 | ダバオ市 DAVAO CITY

(写真:Datu Uchida・内田オトウサンと…。ダバオ市ミンダナオ大学で。-2006年11月)

 
昨日、今日と、ミンダナオ島ダバオ市では「第5回ダバオ市ベースボール・カップ-Davao City Baseball Cup」(野球大会)が開催されました。5年前の2006年、1956年に日比間の国交が回復されてから50年目に当たる節目の年に始まった大会です。今年は、参加チームが去年より3校増え、20チームとなったそうです。年を追うごとに規模が大きくなり、ダバオ市の地域社会にも着実に浸透していっているのが伺えます。
 
このベースボール・カップを始められたのは、生まれ故郷ダバオの日系人やフィリピン人コミュニティをずっと支援されてきた「内田オトウサン」です。5年前、野球の試合を観戦しながら「スポーツ振興や音楽教育を通して人を育てたい。」「ベースボールの練習や試合を通して、チーム・ワークを学んでほしい。そして心身ともに健全な若者を育てたい。」と、遠くに目をやりながら話して下さいました。そして「あんた、本当に野球が好きなんだね…(^^)。」と…。
 
実は、私は大の野球ファンで、小4の時、夏休みに自由研究で長嶋茂雄さんの新聞記事をスクラップ、その打率について考えたことが(?)ありました。大の巨人ファンでしたが、先日他界された小林繁さんが阪神にトレードされてからは阪神ファン(アンチ巨人)になりました。
 私
自身も、就職後、金沢の早朝ソフトボール連盟の一チームに所属し、週に一度早起きしては試合に出ていました。事故の前、私の最後のバッターボックスは、レフトオーバーのホームランでした。ポジションはキャッチャー…。
 だから、特に野球観戦には熱が入ります。この5年前に観戦したダバオの野球大会は、ココヤシの木に囲まれた広大なフィールドが会場でした。子供たちが声をかけ合いながらはつらつとプレーする様子を目にして、とても幸せな気分でした。フィリピン日系人会(PNJK)の学校も参加し、小学校とハイ・スクールの2部門で優勝が競われました。ユニフォームもないチームがほとんどで、コールドゲームもありましたが、みんな真剣そのもの…。スポーツはいいですね。↓
 
(オオ、この立ってる後ろ姿はコーチのユウスケ氏…。PNJK小学校チームですね。)

 
今回も、内田オトウサンやコーチのユウスケ氏のほか、サポーターの皆さんが先日ダバオ入りし、大会を終えて今頃は「乾杯!」(?)内田オトウサンは、ダバオへ来られるとお元気になるそうです。私も、ダバオにいた頃、喜寿のお祝いに出席させていただいた時、日本人、日系人、フィリピン人の方々がたくさん集まっていて、そのご人望の厚さを感じたものです。先日、お誕生日を迎えられ、これからもますますお元気で、人生をエンジョイされますように…。

 
 この5年前の大会で優勝したCBNハイ・スクールのショートを守っていたのが「ダーウィン」という、当時の私の専従介護者セシルさんの弟でした。↓
 
 
そのセシルさんは、結婚して現在はスウェーデンで幸せに暮らしています。4月にはお母さんになるそうで…。寒い国で風邪などひかないように…。Take care!

 二〇〇三年までJPVA副会長を務められ、ここ二十年以上も日系人のサポート等で地域に大きな貢献をされているダバオ市生まれの内田達男氏は、二〇〇二年、ダバオ市の最高栄誉賞と言われる「ダートバーゴ賞」を、日本人として初めて受賞された。そして、二〇〇四年には、独自に「ダート内田・デベロップメント・ファンデーション」(Datu Uchida Development Foundation‐略してDUDF)」という基金を設立された。DUDFは、内田氏が長年活動を共にされてきたJPVAとは別に、フィリピンの子供達を対象とした、スポーツや音楽での交流による教育振興を主な目的に設立された団体である。ここでは内田氏のお孫さんで、野球の本場アメリカのベースボール・アカデミーで勉強してきたユウスケ氏が、年に三、四回ダバオを訪れ、一ヶ月から二ヶ月をかけて子供達に野球を教えている。そして、様々な人たちの協力を得て、野球道具を現地の子供達に供給している。DUDFにも、活動に参加、協力される方々が、安全に心地よく過ごしてもらえるようにという内田氏らしい配慮で、小奇麗で安全な宿泊施設も備えられている。そんな内田氏は、ダバオの日本人、日系人、そしてフィリピン人からも「お父さん、オトウサン・・・。」と慕われている。
 
四月、フィリピン日系人会インターナショナル小学校の卒業式の壇上で、内田オトウサンがはなむけの言葉を送った。「世の中は、いつも平和で安定したものとは限らない。不安の多い中で、人々がみんな臆病になっている時も、勇気を出して自ら一歩を踏み出さなければならないこともある。」
…ダバオ生まれで、戦禍を生き延びられた後、氏が十八歳の時に日本へ送還され、苦労を重ねてこられた内田氏らしい重みのあるスピーチだった。そのスピーチの間、静かに聞き入っている卒業生の表情が印象的だった。そして、日本での生活が落ち着いた時、脳裏に浮かんできたのが故郷ダバオで、当時窮境にあった日系人を何とかして救いたい、という熱い想いだった。その内田氏のご尽力で、日系人会インターナショナルスクールに、小学校低学年と幼稚園児のために新校舎が増設されたのは、それからわずか二ヶ月のことだった。(2006年のことです。)
(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』下巻より)