アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

長崎の鐘が…。(小澤征爾さんの『復活』コンサートの思い出-浦上天主堂)

2009-08-09 16:38:19 | 音楽

 今日は、6日の広島市に続いて、長崎市の平和公園で「長崎平和祈念式典-Nagasaki Peace Ceremony」が行われました。長崎でも、犠牲者への変わらぬ祈りとともに、例年にも増して核兵器廃絶に向けての力強い誓いに胸を打たれました。原爆が投下された時刻11時2分の黙とうの間、ずっと打ち鳴らされた「長崎の鐘」も重く響いてきました。
 
田上長崎市長も「平和宣言」の中で、核保有5か国に核拡散防止条約(NPT)の核軍縮の責務を果たすよう要請、「核兵器禁止条約」の批准を求めました。そして、オバマ大統領の「核兵器のない世界を!」という「プラハ演説」への支持を世界に呼びかけ、核保有国の指導者を名指しで「被爆地、長崎へ来てください!」と訴えました。 
 そして「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」という「平和祈念像」の大きな折鶴の下での高校生による「千羽鶴」という歌が…。「平和への祈りは深く紫の鶴を折る 平和への願いを込めて緑なる鶴を折る 未来への希望と夢を桃色の鶴に折る 虹色の鶴に折る」…素晴らしい合唱でした。

 

 写真は、爆心地に近かったために原形をとどめないほど破壊された当時の浦上天主堂-Urakami Cathedral。今は再建された美しい姿でたたずんでいます(カバーの写真)が、館内には焼けただれた痛々しい聖母マリア像など、残骸の中から発見された遺品が展示され、当時の原爆被害の悲惨さを今に伝えています。↓

  

 「長崎」にちなんだ歌は多いですね。…私の頭にすぐに流れてきたメロディは「長崎の鐘」(1949-サトウハチロウ作詞・古関裕而作曲・藤山一郎唄)でした。「♪なぐさめ 励まし 長崎の ああ、長崎の 鐘が鳴る」…あの秋川雅史さんも歌っていますね。
「精霊流し」(1974-さだまさし作詞/作曲/唄)は、やはり長崎市出身のさださんならでは…。
去年の あなたの 想い出がテープ レコーダから こぼれています
 あなたの ために お友達も 集まって くれました
 二人で こさえた おそろいの 浴衣も 今夜は 一人で 着ます
 せんこう花火が 見えますか 空の上から 約束通りに
 あなたの 愛した レコードも 一緒に 流しましょう
 そして あなたの 舟の あとを ついて いきましょう
 私の 小さな 弟が 何にも 知らずに はしゃぎ廻って
 精霊 流しが 華やかに 始まるのです。

 

「長崎」で、私が思い出すのは、1995年6月14日、小澤征爾さんが浦上天主堂の大聖堂で指揮された「平和への復活コンサート」です。(NHK・BS2で観ました。)
 新日本フィルに、アメリカのボストン交響楽団、シカゴ交響楽団からの友情出演者を加えたオーケストラ、地元長崎で選抜された合唱団に東京のプロ合唱団等という大編成で、G.マーラーの交響曲第2番『復活』(Gustav Mahler-Symphony No.2” Resurrection)が演奏されました。
 
第4楽章のフローレンス・クイヴァー(メゾ・ソプラノ)のソロも圧巻でした。ソプラノのキャスリーン・バトルは、第5楽章の後、感激のあまり目に涙を…。このマーラーの交響曲第2番『復活』は、学生の頃から私の大好きな楽曲の一つです。

グスタフ・マーラー 交響曲第2番 復活』 小澤征爾 ナガサキ平和コンサート on Jun.14, 1995 浦上天主堂

(2011年8月追加)


 http://www.youtube.com/watch?v=rECVyN5D60I&feature=related
(レナード・バーンスタイン指揮ロンドン交響楽団)

 http://www.youtube.com/watch?v=_dlpPzM6OC4
(サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団-歌詞の日本語・英語訳付)

 
それに先立ち、J..バッハの『G線上のアリア』が演奏されたのですが、演奏前に小澤征爾さんが客席に向かって、「長崎の原爆犠牲者への鎮魂の祈りとともに、その年の1月の阪神・淡路大震災の犠牲者や被災者への祈りを込めて復興を願いましょう。」と言われ、「演奏後、どうか拍手の代わりに祈りを…。」と呼びかけられたのです。指揮棒なしに、静かに下ろされた両手にオーケストラが応えるように厳かな空気の中にバイオリンの音色が柔らかに響き…。演奏後は、拍手のない静寂の中、祈りに包まれた大聖堂の中心で、小澤さんも両手を重ねて祈られること三十秒余り…。さすが「世界の小澤」さんです!
 
この時の『復活』の演奏は、その年に福井の重度障がい者療護施設を出るのに(退所するのに)、ドーンと私の背中を押してくれました。そして約1か月後に、一人で東京の多摩市へ出たのでした…。
 
ちなみに小澤征爾さんのお誕生日は、「バギオ市が誕生した日」と同じ「9月1日」です。私は、金沢で31年前に(ボストン響・ブラームス3番)、多摩市で14年前に(新日本フィル・ベ-トーベン7番)と二度お会いし、握手とサインをいただいています(大ファン)。



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