いっしん上の都合により(都合の良い言葉だ)、しばらくの間、当ブログを休止させていただきます。ぼちぼち、次のステージへの準備を始めようかなあ…(^^;)と思います。
吉田拓郎:今日までそして明日から kyo made soshite ashita kara (つま恋 ...
皆様も、どうぞお元気で。See you!
「サラマッポ! Salamat po!」(ありがとうございました。)
-Isshin
いっしん上の都合により(都合の良い言葉だ)、しばらくの間、当ブログを休止させていただきます。ぼちぼち、次のステージへの準備を始めようかなあ…(^^;)と思います。
吉田拓郎:今日までそして明日から kyo made soshite ashita kara (つま恋 ...
皆様も、どうぞお元気で。See you!
「サラマッポ! Salamat po!」(ありがとうございました。)
-Isshin
男女のデュオ「うたぽすと」の初アルバム『それきりソング』リリース・発売開始!
11曲入りCD 1,500円です(消費税込み)。↓
「うたぽすと」は、男女二人の作曲コンビ。
2007年6月から、東京都内を中心に活動しています。
ライブの様子はこちらから…『ぽーりんぷっぺん』(動画)↓
ていぱーく #13 うたぽすと_ぽーりんぷっぺん
来週の土曜日(16日)、金沢市近江町プラザ4階にて、ホリスティック医学の第一人者「帯津良一先生」の講演会が開かれます。
『 呼吸を生きる ~あなたの中の自然治癒力~ 』
(主催:帯津良一講演会実行委員会)
日時:10月16日 午後1時30分~4時
内容:帯津良一先生講演会 (1時30分~2時50分)
自然な呼吸の体験教室(3時~4時)
※参加費は無料ですが、入場整理券が必要です。
お問い合わせは主催団体の一つ「BCSG石川」(山口節枝代表・Breast Cancer Support Group Ishikawa)まで。↓
BCSG石川(乳がんサポートグループ石川)
このホリスティック医学については、こちらに詳しく書かれています。↓
ホリスティック医学とは?
「からだ」、「こころ」、「いのち」のつながりやバランスを大切に…。人間が本来持っている自己免疫力、自己治癒力といった「生き抜く力」を高めることの大切さが提唱されています。
今、私のケアに関わってもらっている正看護師アビーさんは、このHolistic Careについても知っていました。彼女は、さる7月初めのフィリピン看護師国家試験に合格し、将来は、アメリカの病院で働きたいそうです。
そのHolistic Nursing Care(ホリスティック看護ケア)についてのページ。↓
What Is Holistic Nursing Care? | eHow.com
(ホリスティック看護ケアとは?)
Holistic nursing care is defined as a practice that focuses on healing the whole person through the unity of body, mind, emotion, spirit and environment.
Body「体」、Mind「心」、Emotion「感情」、Spirit「精神・霊性」、Environment「(生活)環境」といった要素を一体的にとらえて、「人間丸ごと」の全人的医療(看護)をめざすケア…。
今後、もっともっと社会に浸透していくことでしょう。
今、フィリピンで話題の動画です!↓
Cebu Pacific FAs dancing
(FAsとは、Flight Attendantsの略です。)
セブ・パシフィック航空の客室乗務員たちが、離陸前に、シートベルト着用の仕方や、緊急時での対応(救命胴衣や避難経路など)を案内するのに、「ダンシング」…踊っています!
離陸前の飛行機の客席。ディスコ風な音楽とアナウンスに合わせて、オレンジ色のコスチュームを身にまとった女性乗務員たちが、シートベルトを手に飛び跳ねながら客室通路に現れ…。かわいいけど、どこか違和感を感じるパーフォーマンスが繰り広げられます。そして、ダンスを交えた説明の後には、乗客から拍手が…。確かに、離陸直前の緊張感は多少ほぐれるかもしれませんが…。
使われている音楽は、Lady Gagaの『Just Dance ft. Colby O'Donis』だそうです(介護者が教えてくれました…)。こちら(Lady Gaga)の動画も凄まじい…。↓
Lady Gaga - Just Dance ft. Colby O'Donis
(Lady Gagaの過激なパーフォーマンスには、宗教団体等を中心にクレームも出ているそうです。)
セブ・パシフィック航空の客室乗務員の、このパーフォーマンスについて、フィリピン国内では賛否両論、ちょっとした論議を呼んでいます。
エンターテイメントとしてはなかなか(フィリピンらしい?)かもしれないけど、やはり命に関わる大切な事は、普通に説明してもらった方がいいかなあ…、と個人的には思います。初めて飛行機に乗る人にとっては、ダンスに気を取られて、肝心の説明を聞くのにも身が入らないのでは…。
それにしても、この動画(You Tube)、わずか数日間で766万回ものアクセスが(現時点で)…!そのインパクトのある映像と、テレビ等メディアのニュースの影響力のすごさ、また、フィリピンでいかにインターネットが普及しているか分かる気がします。
一方、最大手のフィリピン航空(PAL)は、今年8月初めに、パイロット(機長と副操縦士)25人が突然辞職したために、飛行機の欠航という事態にまでなったのは記憶に新しいところ…。そして今は、客室乗務員定年の引き上げなどを巡ってストライキを含んだ労使交渉が深刻化…。5日には、とうとうフィリピン航空労組側と経営陣の最後の交渉が決裂。客室乗務員組合(FASAP、組合員約1600人)は、10月下旬にもスト入りする構えをみせており、今後の判断はスト通告を受けた労働雇用省に委ねられることに…。というニュースがありました。
フィリピンの「空」は、大丈夫だろうか…?
(「ジョンの魂」…ジョン・レノン・ミュージアムはどこへ?…続き)
1966年7月3日、日本公演を終えたビートルズは、香港経由で次の公演地フィリピン・マニラへ。そこでも熱烈な歓迎を受けました。↓
翌4日、マニラのリサール・メモリアル・スタジアム(野外)で公演。観客数は、これまでで最大の約10万人を動員したと言われます。↓
The Beatles Live in Manila July 4 1966
その時のコンサートの、ポスターやチケットです。↓
現在のリサール・メモリアル・スタジアム(今年1月撮影・写真やや右下)。↓
さて、44年前のここマニラで、ビートルズに一体何が起きたのか…。
その7月4日という日は、1946年に、それまでアメリカ統治下にあったフィリピンの、「独立記念日」として、アメリカが自国と同じ独立記念日に設定した日でした。このビートルズのコンサートの2年前に、独立記念日は、現在の6月12日(1898年)に変更されました。
この日のコンサートの後、実は、当時の大統領夫人イメルダ・マルコス主催のパーティーに招待されていました。ビートルズのマネージャーのエプスタインは、事前に丁重に断ってあったのですが、現地のプロモーターがメンツのために、イメルダ夫人サイドに伝えていませんでした。大統領夫人の招待を断る事は許されないと、プロモーターは断られた後も何度も執拗に依頼を続けました。ビートルズサイドが正式な断りを入れていたのにも関わらず、イメルダ夫人サイドにはパーティーの直前まで伝えられず、実際には時間寸前までパーティー出席の交渉があったといいます。
が、結局、ビートルズは、そのパーティーに出席できませんでした。
自分の招待を断った、と思い込んだイメルダ夫人は激怒し、新聞やテレビなどのマスコミを総動員して「ビートルズが勝手に約束を破った。会えるのを楽しみにしていた子供たちが可哀想だ。」などとネガティブ・キャンペーンを展開したのです。
テレビには「裏切られた!」などと絶叫するイメルダ夫人が映し出され、翌5日のフィリピン各紙には「ビートルズ、大統領一家を侮辱!」などといった記事が大々的に掲載されました。真相は、ビートルズがすっぼかしたのではなく、招待状が彼らの手にちゃんと届いていなかった事にあったのですが…。
国民感情、民族意識の強いフィリピン…。たちまち、国内に、ビートルズに対する激しい怒り、反感が広まりました。何が起こったのか分からないビートルズサイド、一行はすぐに帰途に就こうとしましたが、国際空港で、ビートルズは、怒りに満ちた民衆に取り囲まれ、こづき回され、もみくちゃにされたのでした。私の友人の母親は、民衆が(ビートルズに)トマトを投げていた、とも聞いた、と言っていました。
空港では、到着時と打って変わって、特別な扱いをされることなく、一般乗客と同じようにチェック・インしたのです。が、搭乗後も、飛行機の離陸許可がなかなか下りず、結局「コンサートの収入をすべて当局に渡す」という条件と引き換えにようやく許可が下り、フィリピンを離れることができた、という事件でした。かわいそうだったのは、ビートルズの来比を持ち望んでいたファンたちも同じだったでしょう…。
(The Manila Times -July 6, 1966)
この、ビートルズにとって、まさに降って湧いた悪夢のようなフィリピンでの災難が、その後のビートルズのライブ活動を停止する一因になったと言われています。
この件に関してポール・マッカートニーは、マルコス大統領失脚後に、「隠された真相が明らかになった…。」(自分達の無実を証明できた)、「ビートルズは、マルコス大統領に反抗した唯一のロックグループさ…。」とコメントしています。リンゴ・スターも「フィリピンは大っきらいだ…。」と、当時を振り返っています。↓
Beatles in Phillipines (1966)
(4分30秒あたりで、イギリスに戻った直後のインタビューも…。ジョンが「こんなふうだったんだ…。」と興奮気味に話しているのが印象的です。)
21年間に及ぶ、長いマルコス政権が発足して2年目の出来事でした。
イメルダ・マルコス - Wikipedia(現フィリピン下院議員)
昨夜、NHKで放映された『“疑惑の遺骨”を追え~戦没者 遺骨収集の闇~』(追跡!A to Z)は、本当に衝撃的な内容でした…。
NHK 追跡!AtoZ - 毎週土曜 午後10時放送 [総合テレビ]
昨夜放映された内容。↓
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/101002.html
“疑惑の遺骨”を追え ~戦没者 遺骨収集の闇~
収集遺骨 フィリピン人のも混入か NHKニュース
太平洋戦争で戦死した日本兵としてフィリピンで収集された遺骨の中に、現地のフィリピン人の遺骨が含まれている疑いがあることがわかり、厚生労働省は、近く、現地に職員を派遣して実態を調べることになりました。
政府は、太平洋戦争の際フィリピンで亡くなった50万人以上の兵士の遺骨収集を、昭和32年から始め、おととしまでにあわせておよそ13万人の遺骨が日本に戻りました。しかし、戦後60年が過ぎ、当時を知る証言者が少なくなったことから、遺骨の収集は年間数十人まで落ち込みましたが、厚生労働省が現地で遺骨の情報を集めている日本のNPO法人に委託したところ、昨年度は7700人余り、今年度もすでにおよそ6300人と、大幅に増加しました。このNPO法人は、フィリピン各地で現地の人に報酬を支払って遺骨を収集していますが、NHKが取材したところ、収集が行われた地区の村長が「遺骨の発見状況などを確認することなく、日本兵だとする書類を作成した」と証言したうえ、収集した遺骨の鑑定を依頼されているフィリピンの担当者も「骨の鑑定は専門外で、実際には日本人とフィリピン人を判別できない」と話しました。NPO法人の事務局長は「収集した遺骨が急激に増えたのは、収集の範囲を以前よりも拡大したためだ。フィリピン人の遺骨が混じっている可能性は完全に否定できないが、日本兵の遺骨を一人でも多く祖国に戻すため、がい然性がきわめて高い場合には持ち帰っている」と話しています。厚生労働省は、遺骨の鑑定などがずさんだったおそれがあるとみて、NPO法人から事情を聴くとともに、現地に職員を派遣して実態を調べることにしています。(NHKニュース記事より)
このNPO法人「空援隊」は…。↓
特定非営利活動法人 空援隊 お知らせ
昨日9月30日をもって、さいたまの「ジョン・レノン・ミュージアム」が閉館しました。ジョンの生誕60周年の2000年10月9日に開館、これまで約61万人が来場したそうです。ミュージアムは、「ジョンの魂」とともに旅立ち、新たな地で再び公開されることが計画されているようです。
最終日の昨日、オノ・ヨーコさんからのメッセージが、Twitterで公開されました。↓
「ジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださった方々に。」
ジョン・レノンは世界中をめぐる運命を持っていました。彼の魂は動くことによって継続していたのです。動かないと死んでしまう。ジョンの精神が宿るミュージアムも動かないとミュージアムではなく、お墓になってしまう。ジョンにはお墓はないのです。彼が息を引き取ったとき、私は「ジョンの葬儀は行ないません」と世界に向けて言いました。それは、ジョンの魂が永遠に生き続けることを知っていたからです。(中略)
このジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださったみなさん、深く感謝しています。あなたがた一人ひとりの中にジョンのスピリットが受け継がれ、そのみなさんのスピリットが、世界の平和が実現していくための愛の力になることを信じています。みなさん、ありがとう!
愛をこめて… オノ・ヨーコ
John & Yoko - an exclusive interview in Japan 1971 ...
(ジョンとヨーコへのインタビュー in 1971年1月25日@東京)
「俳句は、自分が目にした詩の中でもっとも美しい形態の詩だ。しぶい…!今度のアルバムはしぶい。俳句的だし、禅のスピリットも…。」John Lennon
「音楽がどんどん装飾的になっている時代に、今回のようなタイプのアルバム制作は、勇気のあるものだと思う。」Yoko Ono
オノ・ヨーコさんは、日本の社会・環境(40年前の)をも憂いています。
このインタビューで語られているアルバム『ジョンの魂』↓
ジョンの魂 - Wikipedia
そして、このインタビューの後、その年に発表された代表曲『Imagine・イマジン』↓
John Lennon - Imagine HD 720p
ジョンは、オノ・ヨーコさんと何度も来日、親日派でした。が、ビートルズのメンバーとしての来日は、1966年の日本公演(6月30日~7月2日・日本武道館)の、一度きりでした。↓
The Beatles - Live In Japan 1966 2_4
(武道館ライブ・パート1-司会はE.H.エリックさん)
The Beatles - Live In Japan 1966 1_4
(羽田に到着~東京ヒルトン~日本武道館)
日本公演の終了後、次に控えていたのは、フィリピン・マニラでの公演でした。7月3日、ビートルズは、香港経由でフィリピンのマニラに到着。そこでも熱烈な歓迎を受けたのですが、翌日思ってもみない悪夢のようなハプニングに見舞われることになるのでした。
(続く…。)
ジョン-John Lennonの命日に…。(以前のブログより)