アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐
 フィリピン、そして日本にありがとう!

「カジキ」を一突きでゲット!?アンビリーバボー…!

2010年01月30日 | My life in マニラ

<写真:メカジキ-Swordfish

 これは、専従介護者で、前回日本に同行してくれたマリアさんが、お正月休暇で帰省中に撮ってきた写真です。「カジキ」の中でも、その名のとおりSword(剣・刀)のような口を持つ、どう猛な「メカジキ」のようです。
 このメカジキを獲ったのは、お兄さんだそうですが、何と突きん棒(小さなモリ)で一突き、格闘の末に舟に引き揚げたとのことです。舟といっても、それほど大きなものではありませんから、まさに命がけ…、実際にそのシャープな口で突き刺されて、最悪の場合、命を落とすこともあるそうです。テレビの釣り番組で、トローリングによってカジキを追うのを見たことがありますが…。
 確かに、メカジキの腹に、ぽっかりと一突きされたのを物語る大きな穴が開いています。こりゃー、スゴイ!↓
 

さすがに2万円近くの値がついた、と彼女も誇らしげに話してくれました。↓
 

そして、別の日には、こんな大きなエイも…。↓
 

この人が、そのお兄さんのロット・ロットさん(ニックネーム・漁師)です。この写真でも、ヘビのようなヌルッとしてそうな魚を…。↓
 

 そして、この海の男たちの大漁を願うお祭りが、1月24日(日)にあったそうです。↓
 

 派手に飾り付けされた自慢の漁船には、ちょうど日本の「かかし」のような姿も見られます。漁師の姿に似せて作られるとか…。これはコンテストで、賞金も(優勝は3千ペソ-約6千円)出るとのこと。この日は波もあったそうですが、これくらい何のその…、といった感じでスイスイと…?↓
 

 南レイテ州南部の漁業の町での「Pet Senior ng Santo Niño」というお祭りで、やはりSto. Niño(幼きイエス)が祭られています。
 
マリアさんは、そのお祭りの後、今週初めに戻ってきてくれました。

(参考)メカジキ↓
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%82%AD

※ Sto. Niño(幼きイエス)が祭られるお祭りといえば、セブのシヌログ・フェスティバル…。今年は、先日もう終りましたが、以下のHPでその模様が見られます。↓
 
http://www.sinulog.ph/ (
Sinulog Festival 2010 - The Official Website of the Sinulog ... )


フィリピンの観光ビザ延長に、新システムが導入されました。

2010年01月28日 | My life in マニラ

<写真-マニラの入国管理局-Bureau of Immigration

 先週、今回のロング・ステイでの、2度目の観光ビザの延長手続きをすませました。ところが、今年から新システムが導入されたようで、手続きに多少戸惑っていた在留外国人が多かったようです。
 
私は、バギオの新しい入管出張所では、電動車いすでもスムーズに中に入ることができましたが、マニラの入管のビルには入れず、今回は、専従介護者の一人に申請用紙と委任状を託して手続きを行いました。
 
受付窓口の待合室には、テレビモニターで「A.C.R. I-card」(Alien Certificate of Registration Identity-card・在留外国人登録・身分証明カード?長い…)についての説明が案内されていたそうです。査定の窓口(Assessment)が5つあり、それほど混んではいなかったとのこと。小一時間待って、無事にパスポートとA.C.R. I-cardを…。でも、その待ち時間の間、彼女はお隣のマニラ大聖堂(Manila Cathedral)にいたそうです。昨年8月に、コラソン・アキノ元大統領の国葬も行われた由緒ある教会です。↓

 
(マニラ大聖堂外観)

 
(大聖堂の内部)

 
(マニラ大聖堂のパイプオルガン)

 
この入国管理局は、イントラ・ムロスという地区にあり、今のコンドミニアムからもそう遠くはありません。1945年3月、旧日本軍の海兵隊の拠点として、マニラ市街戦の最後の激戦地となった所です。「イントラ・ムロス」は、スペイン語のIntra(内側で)Muros(壁)から名づけられたそうです。

 
さて、今回の延長手続きの費用は以下の通りでした。↓(高かった…!)
 A.C.R. fee adult P1,000
 
Head Tax P250
 
Legal research fee P50
 
Month extension application fee P300
 
Month extension fee P1,000
 
E.C.C. fee P700
 
Certificate fee P500
 
A.C.R. I-card fee P2,292(50 US dollar)
 
Subtotal: P6,096.50 (小計)

 
ですが…、これに、エクスプレス料金(急行料金)が加わります! 昨年と比較しても、多少値上がりしたようです。
 Express lane fee P1,000
 
Express lane fee for Certification P500
 
Total: P7,596.50  (合計です。約1万5千円!)

 フィリピンの看護師の初任給より高いかも…。ただ、今回2度目の延長手続きは高く、次回以降は2か月の再延長に3千ペソ(約6千円)くらいです。

 
(A.C.R. I-cardとパスポートのビザ延長スタンプ)

(参考) フィリピンでの長期滞在-観光ビザの延長で最大2年間ロング・ステイ!


コリーさん(故コラソン・アキノ元大統領)のお誕生日に銅像が…。

2010年01月25日 | My life in マニラ

<写真> 街中には、いたる所にこのようなアキノ・ファミリーの看板やフラッグが…。

 今朝、こちらのABS-CBNテレビ局の「Umagang kay ganda」(Good morning
-おはよう!フィリピン版「おはよう日本」?)を見ていて、今日は、昨年8月1日に逝去されたコリー・アキノ元大統領のご生誕77周年記念日だと知りました。今日は、ロハス大通り沿いの一画で、コリーさんの銅像の除幕式が行われるそうで、朝から多くの群衆が集まっていました。

 
コリーさんは、1986年のピープル・パワー革命によって、マルコス独裁政権を倒した、フィリピン民主化のシンボル的な存在です。それまで絶大な権限が与えられていた、フィリピン大統領の権限を大幅に縮小する憲法改正に取り組んだのでした(現アロヨ政権と正反対)。大統領の任期が「一期6年間のみ」(再選禁止)となったのは、憲法が改正された翌1987年以降のことです。国を、政治を、民主的な新しい方向に転換しようとする強い意志の力は、度々企てられた、若手改革派将校やマルコス派将校など国軍内の反政府グループによるクーデター未遂事件をも乗り越えさせました。このフィリピンでの民主化への動きは、後の冷戦終結につながる、東ヨーロッパでのカラー革命や、各国の民主化運動にも影響を及ぼしたと言われています。アメリカの著名な雑誌「タイム」にも「Woman of the year 1986」(1986年のベスト・ウーマン)として選ばれたコリーさん、それまでフィリピンに駐留していたアメリカ軍基地をすべて撤退させたのは1992年のことでした。

 

 大統領職を退いた後も、国民の精神的支柱として後継政権の選択に影響を与え、汚職や腐敗した政治を一貫して批判し続けました。が、夫ベニグノ氏の暗殺(1983年)により、政治の世界に足を踏み入れざるを得なかったコリーさんは、本当は、家庭の中で、妻として母親として、穏やかな日々を送りたかったのかもしれない…、そんな清楚で温かい雰囲気のコリーさんの姿は、今も人々の心を惹きつけてやみません。

「母は、独裁政権にとって代わり、我々が理想と考える政治の姿を実現した。」と言う、ご長男のベニグノ・アキノ3世氏(ノイノイさん)は、5月の大統領選挙に出馬しますが、現在世論調査では支持率トップの位置にいます。

<関連記事-以前のブログ「アイ!サラマッポ in バギオ」より>↓

 コーリー・アキノ元大統領…「安らかに。」

 マニラ大聖堂でアキノ元大統領追悼ミサが…。(国葬)


※ 参考-ネット上で見つけた記事↓
 核兵器廃絶と1987年に改正された憲法との関連に置いて、この憲法の意義を、フィリピン大学教授ロジャー・ポサダスは次にように解説している。
「しかしながら、1980年代後半あたりまでは、東南アジア平和、自由、中立地帯及び非核地帯の見通しは余り明るいものとは言えなかった。それはフィリピンにはアジア・太平洋地域で最大かつ最も重要なアメリカの軍事基地及び施設が置かれていたからである。しかも他のASEAN諸国政府は合衆国と密接な関係にあり、フィリピンにおけるアメリカ軍事基地の継続的存在に対して、それが平和、自由、中立地帯の考え方と矛盾するにもかかわらず、好感を抱いたり容認したりする傾向にあった。フィリピンは国内に置いては、マルコスが政権にある限り、合衆国政府がその基地を維持することは無制限に保障されていた。
 この状況は1986年2月フィリピンにおける民衆革命の成功によってマルコス政権が倒され、コラソン・アキノ大統領の下でリベラル党政府が成立して劇的に変化した。
 さらに1987年2月にはフィリピン国民は圧倒的多数の投票で、フィリピン国内の合衆国基地の維持を継続する条件を制限する条項を含む新しい憲法を批准した。
  まず第一に、新しいフィリピン憲法は次のような条文を含んでいる。『フィリピンはその国益に沿って、その領土内に核兵器を置かない政策を採用し、追求する。』この条項はフィリピンを、核兵器を単なる立法措置や政府の政策でなく、国の基本法である憲法によって禁止している世界でも数少ない国の一つたらしめている。この憲法条項に、血と肉を与えるために、23名の構成員からなるフィリピン上院は、1988年6月6日(賛成19反対3棄権1の投票によって)『非核兵器法』として知られている上院法案第413号を採択した。」
(岩波新書「太平洋の非核化構想」豊田利幸・飯島宗一・牧二郎編著・
『沿岸国の責任と役割』1.フィリピンの役割:ロジャー・ポサダス執筆 山田英二訳からの抜粋。)

※ フィリピンのテレビ局のニュース(動画)↓
「QTV: RP marks 77th birth anniversary of Cory」
http://www.gmanews.tv/largevideo/related/54346/qtv-rp-marks-77th-birth-anniversary-of-cory
(26日に追加)


先週の出来事…。いろんなハプニングが…。

2010年01月24日 | My life in マニラ

 先週は、本当にいろんなことがありました…。↓

18日(月)
 
今年に入って初めてのまとまった雨。午後、発熱と鼻水が…。風邪のひき始めにはいつも、フィリピンの柑橘系果物「カラマンシー・Kalamansi」の果汁にお湯を注いでカラマンシー・ティーを…、それに蜂蜜を入れて飲むと回復が早いのです。そして、暑い中、熱くて野菜たっぷりの雑炊やトン汁(根菜)を、気合いを入れて食べ…。熱が下がらず、最後に介護者が買ってきてくれたNeosepという風邪薬を飲んで寝たらすっきりしました。が、その風邪薬が一錠5ペソ(約10円)だと知った時は…。(^^;)↓
 
 (左にあるのがneosep錠、手前にカラマンシー・レモン)

19日(火)
 朝、お正月の残りの切り餅を焼いて食べると、口の中で何やらジョリッと音が…。吐き出した銀色の小さな物体。舌で歯をなでてみると一つの歯に穴が…。詰めてあった物が餅にくっついてはがれたのでした。幸い、近くのショッピング・モールに歯医者があって無事に元通りに…。治療費は約千円でした。
 その夜、10時半頃、突然コンドミニアムの非常ベルが…!「隣は何をする人ぞ?」といった感じで、普段目にすることが少ない人たちがゾゾッとフロアに出て、バスロブ姿でパニック状態の人も…。ああ、ここは何てインターナショナル。アメリカ人、韓国人に…。もちろんフィリピン人が多いのですが…。そして20分くらいして非常ベルが鳴り止むと、今度は消防自動車がけたたましいサイレンとともに何台もやってきたのです。そのうち、大したことはない、といった話が伝わってきて、サイレンの音も聞こえなくなり、ホッとして眠りに…。翌日も、事務所等からそのことに対して何の説明もなかったのですが、どうも上の階のユニットで、電気系統に負荷がかかり過ぎて非常ベルが作動したようです。煙は出なかったのか、スプリンクラーは作動しませんでした。
 今は乾季でほとんど雨が降らず、特に年末年始は花火での火災がよく起き、毎日のように消防自動車のサイレンが鳴っていました。一週間前には、近くのパコ地区で二百世帯が家を失ったという火事もあったところでしたから…。

20日(水)
 マニラの入国管理局-Bureau of Immigrationで、観光ビザの更新。ところが、今年から新システムが導入されたようで、多少てこずりました。この件に関しては後日また…。

21日(木)
 介護の練習中の新人介護者を諦めることに…。看護課程を出たスマートな女性に思えたのですが、介護に関しては…?でした。会話の内容もあまりパッとせず…。彼女の親友は、六〇歳代の、大きな子供もいるアメリカ人と婚約したそうですが…。フィリピンには「4M」という言葉があったことを思い出しました。「Matandang Mayaman Madaling Mamatay」…どんな意味かって?知らない方がいいかも…。ちなみに、「年とった」「リッチな」「早い」「死ぬ」といった単語が並んでいます。まあ、いろんなタイプの人がいますから…。

22日(金)
 いろいろあった一週間、金曜日あたりにようやく落ち着き、その日は気持ちもお天気も快晴でした(^^)。夕方、大きくてまんまるの美しい夕日が見られました(カバーの写真)。


マニラ湾の夕日に部分日食が…。

2010年01月16日 | My life in マニラ

 今日は、昨年バギオでロング・ステイ中に、賛助会員として関わらせていただいたJANL(北ルソン日本人会)の小国さんと佐々木さんが、新居を訪ねて下さいました。15日、マニラの日本大使館主催の新年祝賀レセプションに出席された翌日、バギオに帰られる前に寄って下さったのです。9月3日のバギオ市100年祭の「日比国際平和演劇祭」以来の再会…、おでんを食べながら歓談しました。特に大根が好評でよかった(^^)。
<写真> 新居のコンドミニアムのロビーで。

 さて、15日は、歩いて約10分、マニラ湾岸のベイ・ウォーク-Manila Bay-Walkに日食を見に行ってきました。
あいにく、黒い雲が太陽を覆っていましたが、部分日食が始まった午後4時頃から、時折その姿を見せてくれました。マニラでの日食が最大(39%)になった4時53分頃の写真…。ドンピシャのタイミングで夕日の上を航空機が…!(写真では小さいですが…)↓
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5時15分…hmmm。背中から哀愁が…。出てない、出てない…(^^;)。↓
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そして日没。(5時44分)↓
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ズームしていくと、Oh! 右上が欠けているのが写っていた!「ワンダフルじゃ、あーりませんか!」↓
 
(画面はズームした写真でクリアではありません。)
 肉眼ではもっとクリアに見えましたが、やはりこういった特殊な写真は難しい…。二時間ほどの天体ショーでした。
 ちなみに、介護者たちにとっては、初めて目にする日食…。『2012年』(映画)が…、なーんちゃって純情な(?)二人を怖がらせてしまいました。

 ベイ・ウォークでは、日食が始まった時間帯には、辺りにまだ人が少なく、立派なカメラを準備していたラリーさんという男性と話をしていました。「この日食は趣味で撮りにきたんだ…。」(ラグーナ州から!)ということでした。彼のHPの写真…。さすがプロです。↓
 http://larrypconcepcion.multiply.com/photos/album/1053/Partial_Solar_Eclipse_at_Sunset

Partial Solar Eclipse at Sunset

 http://larrypconcepcion.multiply.com/ (ラリーさんのHP)


2010年1月15日金環日食-フィリピンは部分日食

2010年01月15日 | My life in マニラ

 今日は、太陽の縁がリング状に光る金環日食が世界の一部地域で見られます。フィリピンでの部分日食の予定時刻です。↓
 ちょうど夕方…。真っ赤な大きな夕日に、月の入り込んだ様子が見られるとよいのですが…。

 An annular solar eclipse will occur on 15 January 2010 and will be the longest solar eclipse in duration since 1992. This eclipse will be visible from a track that goes across central Africa, the Indian Ocean and eastern Asia. The maximum eclipse occurs in the middle of the Indian Ocean, but  the annular phase will still be seen from either Africa or Asia.
 In the Philippines, the event will be observed as a partial solar eclipse.

place - eclipse begins - maximum eclipse - eclipse ends
 Metro manila - 3:49PM - 4:53PM - 5:51PM
 Baguio - 3:46PM - 4:54PM - 5:54PM
 General santos - 4:11PM - 4:49PM - 5:25PM
 Cebu - 3:59PM - 4:52PM - 5:42PM

 去年の日食の記事です。↓
 部分日食 in バギオ- Partial Solar Eclipse


マニラのよどんだ空気(pollution)。それでも夕日は…。

2010年01月14日 | My life in マニラ

 とある日の朝、思わずカメラを取り出して(介護者に)撮ってもらった写真です。ぞっとしました…。排気ガスによる汚染・pollutionです。「こんな空気の悪い所に自分たちはいるのか…。」これは、朝7時頃の状態ですが、その夜は風が弱かったのでしょう。そして、二~三時間もするとふつうは下のような感じに…。↓
 

 地球温暖化への貢献度は少なからずあるように思えます。
 数年前に、イギリスの某新聞社が、「マニラの交通渋滞はお金に換算するとどのくらいの損失になるか。」と試算したことがあります。時間のロス、ガソリン代の浪費、無駄な労働、携帯電話の通信費用等々…。はっきりとした数字は覚えていませんが、莫大な金額でした。しかし、最大のディメリット・demeritは、そこに住む人々の健康被害でしょう。メトロ・マニラの人口は、ほぼ東京都と同じくらいです。
 それでも、マニラ湾の夕日は、真っ赤に大きくその姿を見せてくれます。↓
 

 1月8日に撮った写真。マニラ湾の遠く水平線近くに灰色の雲があって、今日は見えない…と諦めかけたその時、少しずつ顔を見せてくれた太陽です。…ということは、この灰色の雲の下も大気汚染でよどんでいる…ということなのでしょうか?
 日本では、インフルエンザの大流行で空気清浄機が売れているそうですが、ここマニラも、別の理由で必要そうです。また、外出の際は、必ずマスクをするようにしてします。

 
こちらは乾季の真っ只中、今年に入ってまだ雨は降っていません。


インターネット接続無線モデム 「Smart Bro」と「Globe T@ttoo」 in マニラ

2010年01月12日 | My life in マニラ

 私のマニラでのインターネット接続etc. 通信手段について書きます。
 まず、約二年半前までは、ずっとP○○○というフィリピン最大手の電話のライン(固定電話・landline)を使っていました。日本のNTTのADSL技術を元にしたDSLという高速のインターネット接続も使いました。その時は、電話とDSLで月額基本料金が2千ペソ(約4千円)でした。解約後(サービスがイマイチだった)は、携帯電話とインターネット接続の両方でSmart(スマート)というP○○○社の姉妹会社のプリペイドカード(prepaid card)のお世話になってきました。↓
 これが私の通信手段 in バギオ
 バギオにいた頃は、グリーン・バレーという高台に住んでいたので、電波が弱く苦労していました。
 ところが、今のこのマニラの街中でも、コンドミニアムのユニットの中は、やはり電波が弱かった…。携帯電話も、よく通話中に途切れてしまいます。そして、インターネット接続もシグナルが弱く不安定です。
 そこで、Smartのライバル会社Globe(グローブ)の「T@ttoo」(タトゥー)という無線モデムを昨年末に購入…。これで、シグナルの強い方を使えばよい…と安易に考えていました。これは、下の写真のような小さなキットで、マイクロSDカードを中に入れてUSBプラグに差し込むだけでよいのです。
 
 
お値段も895ペソ(約1800円)と安く、フィリピン国内はどこでも使えますから、とても優れもの…なのでしょう。
 が、さっそく試してみたら、無事にシグナルをキャッチしてつながったのは、これまでに2回だけ…。その時は、結構速くて動画もスムーズに見られたのですが、やはりコンドミニアムの建物の中ではシグナルが不安定のようです。
 という訳で、結局今は、元のSmart Broというモデムを使ってネット接続しています。ちなみに、Globe T@ttooも、Smart Broと同じで、30分ごとに10ペソ(約20円)という料金です。この「tattoo」は刺青(タトゥー)という意味だと思っていましたが、「軍隊などの気鋭ラッパ、ドンドンたたき続ける音」という別の意味もあります。どちらかは不明ですが…。(^^;)


ブラック・ナザレ祭(キアポ教会)-Black Nazarene

2010年01月09日 | My life in マニラ

 今日、マニラでは、403回目となるブラック・ナザレ祭(Black Nazarene)が行われ、熱心なカトリック教徒らがミサ(Mass)と行進(Procession)に参加しました。ブラック・ナザレ祭は毎年恒例の行事で、今年は、まずルネタのキリノ・グランドスタンドで、早朝6時からロサレス枢機卿Cardinal Rosales)によるミサが捧げられました。NBNテレビ局が、ライヴでその模様を伝えていました。その後、マニラのキアポ教会(Quiapo church)まで、キリストを模した黒いナザレ像と十字架が運ばれました。黒いナザレ像は、1608年にスペイン人によってメキシコのアカプルコからマニラに持ち込まれたもので、信者たちは黒いナザレ像が、奇跡を呼ぶ聖なる力を持つと信じています。行進の間、人々はそのナザレ像に直接触れようと、またぬぐってもらおうとタオルを投げて熱狂するのです。黒いナザレ像もしくは十字架に触れて戻って来たタオルは、「聖なるタオル」となるのだそうです。
 今は、夜の7時過ぎ(フィリピン時刻)ですが、まだ行進は続いていて、キアポ教会には到着していないそうです。今年は、現時点で二名が群衆に押しつぶされ圧死、数百名が負傷しているとニュースでリポーターが伝えています。
<写真> TVパトロールのニュース(午後7時過ぎ)

<映像> 以下、youtubeから↓(こりゃー、スゴイわ!)
 Black Nazarene
 http://www.youtube.com/watch?v=-nzEqpP2ngs

 TVDeals Black Nazarene 400 Years Trivia
 
http://www.youtube.com/watch?v=jlNgQgORlPM&feature=related 

 


ハロー新電動車いす君 & グッド・バイ二台の愛車

2010年01月05日 | My life in マニラ

 12月1日にフィリピンに戻ってきて、いろいろな予期せぬハプニングもあり、結局、マニラ・マラテ地区のコンドミニアムに入居…、今日で、ちょうど一か月が経ちました。(上のカバー写真は、新居からの眺めです。)

 昨年、9月初めの「バギオ市100年祭」
バギオ市100周年おめでとう!Happy Centennial of Baguio City!
バギオ市100周年特集-9月3日が「フィリピン日本友好の日」(バギオ)に…。 
が終わってから、マニラ経由で日本に帰国。一昨年の9月に、バッテリー充電器(内蔵)が壊れてしまった電動車いす君のリニューアル(更新)が大きな目的の一つだったのですが…。
 
以前から担当部局に頼んであったものの、やはり時間がかかりました。新しい電動車いすが届いたのは、日本に同行してくれたフィリピン人専従介護者のビザ切れギリギリの11月末でした。届けていただいた新車に乗ってみたら、快適そのもの…。注文通りのすばらしいでき上がりでした。もうこれで、外部充電器での面倒な充電を(介護者に)頼まなくてすむ…。と、喜び勇んで、新車をゆっくりと試乗する暇(いとま)もなく航空券を手配して関空へ…。そしたら、関空に向かう途中で、な、何とフル充電したはずのバッテリーの残り容量を示すランプが一つ、二つ…と減っていき(ドキドキ)…。バッテリーの減り方がとても早いことに気づき、よほど金沢に引き返そうかと思いました。しかし、もう介護者のビザの猶予期限を考えても、時間的な余裕がありません。ノー・チョイス…。で、マニラ行きの飛行機に…。
 
ところが、マニラに着くと、今度はフィリピン人の友人に預けてあった私のバン(Van-ワゴン車)のトラブルが…。「傷んだ箇所の修理をしたから…。」と予定外の修理費を支払い、エアコンも利かなくなったというので、ガス切れかとエアコンのガスを入れたものの一向に利かず(コンプレッサーがおかしくなった?)、酷暑のマニラでグロッキー寸前…。
 
車での移動は難しく、マニラ湾岸のロハス大通り沿いの、時々利用するホテルのすぐ裏のコンドミニアムを当たってみたところ、ちょうど手ごろなユニットが空いていたのです。1DK(34㎡)で、家賃が月1万5千ペソ(約3万円)。家具付きではありませんが、ロケーションもよく即決。とりあえず、オーナーの提示した最低期限の六か月間の賃貸契約を交わしました。
 
八年間使った愛車のバン(96年型ニッサン・バネッテ)は、結局、年末に人(専従介護者)に譲りました。もう一つの愛車、ダバオ、マニラ、バギオ、金沢…と、よく動いてくれた旧電動車いす君とは、日本でサヨナラ…しました。6年と3か月間、よく持ち堪えてくれました。「アーイ!サラマッポ!」
 
新しい電動車いすは、次回帰国できる時にメーカーに点検をお願いすることにして、行動範囲は限られますが、それまでこの近辺でおとなしくしていようと思います。