アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐
 フィリピン、そして日本にありがとう!

The prayer on the 4th anniversary of the Great East Japan Earthquake

2015年03月11日 | 東日本大震災関連

The prayer on the 4th anniversary of the Great East Japan Earthquake

Gustav Mahler (July 7, 1860-1911) Symphony No.4 in G major

Gustav Mahler Symphony No.4 (Conducted by Claudio Abbado)

クラウディオ・アバド指揮 『マーラー 交響曲第4番』

 

Mozart (1756-1791) Requiem in D minor

Mozart “Requiem” (Conducted by Karl Böhm)

カール・ベーム指揮 『モーツァルト レクイエム』


 

原子力は要らねえ!電力は余ってる!忌野清志郎 『サマータイム・ブルース』

(忌野清志郎26年前に…。)

 


The prayer on the 3rd anniversary of the Great East Japan Earthquake

2014年03月11日 | 東日本大震災関連

The prayer on the 3rd anniversary of the Great East Japan Earthquake


Wakayama Catholic Church taken in March, 2014

Gustav Mahler Symphony No 3 D in minor

Gustav Mahler Symphony No 3 (Conducted by Haitink)

Bernard Haitink conducts Concertgebouw Orchestra


3月11日の祈り -The prayer on the 2nd anniversary of the Great East Japan Earthquake-

2013年03月11日 | 東日本大震災関連

東日本大震災から2年…(黙祷)。 

The prayer by the symphony of Gustav Mahler on March 11

マーラー交響曲第2番『復活』 -Gustav Mahler Symphony No.2 “Resurrection” -Seiji Ozawa / Nagasaki Peace Concert-


バギオ大聖堂での祈り


Taken on Mar. 3, 2013 @ 11:58

 


東日本大震災から一年…。 The prayer on the first anniversary of the Great East Japan Earthquake

2012年03月11日 | 東日本大震災関連

(黙とう)・・・・・・ 「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 …。」 (合掌)

東日本大震災で被災されたみなさまに、改めまして心よりお見舞い申し上げます。
そして、一日も早い復興をお祈りいたしております。

 フィリピンで、いわゆる障害者の自立生活を始めて、今日でちょうど13年になります…。成田から単身フィリピンに渡ったのが、13年前1999年の3月12日でした。
 
一年前の今日、悪夢のような東日本大震災以降、ただただ日本が恋しく思え、「日本に帰りたい、日本で生きたい…。」という思いが強くなりました。
 
日本、日本人のキャパシティ・Capacityの大きさを特に感じさせられた一年でした。


The prayer on the first anniversary of the Great East Japan Earthquake…


Gustav Mahler (July 7, 1860-1911) Symphony No.1 in D Major “Titan” 4th movement

Gustav Mahler Symphony No.1 in D Major “Titan” 4th movement

Seiji Ozawa / Boston Symphony Orchestra

グスタフ・マーラー交響曲第1番『巨人』 第4楽章

小澤征爾指揮ボストン交響楽団(1977年) 

 

Gustav Mahler (1860-1911) Symphony No.2 in C minor “Auferstehung” (“Resurrection”) 4th & 5th movement

Gustav Mahler Symphony No.2 “Resurrection” 4th & 5th mov.(5/7) -Seiji Ozawa / Nagasaki Peace Concert

Gustav Mahler Symphony No.2 “Resurrection” 5th mov.(6/7) -Seiji Ozawa / Nagasaki Peace Concert

Gustav Mahler Symphony No.2 “Resurrection” 5th mov.(7/7) -Seiji Ozawa / Nagasaki Peace Concert

グスタフ・マーラー交響曲第2番『復活』 第4、5楽章

小澤征爾 / 平和コンサート in ナガサキ on Jun.14, 1995 @ 浦上天主堂

 


千羽鶴に込められた願い、祈りが世界から…。 “1000 Origami Cranes for Japan”

2011年05月12日 | 東日本大震災関連

 昨日で、東日本大震災が発生して2ヶ月。被災地、日本各地で犠牲になった方々への黙祷が捧げられました。

 この東日本大震災の被災地には、世界各地から、復興への願い、祈りを込めて「千羽鶴・1000 Origami Cranes」が届けられているそうです。日本の伝統文化の折り紙、そしてこの千羽鶴に込められる思いが、今や世界に知られてきているのだと改めて感じました。

 

 

(アメリカ・テキサス州の小学校発・4月23日)

 

(アメリカ・ミズーリ州の小学校発・4月21日)

 

Thousand origami cranes Senba-zuru・千羽鶴)

It is a group of one thousand origami paper cranes held together by strings. An ancient Japanese legend promises that anyone who folds a thousand origami cranes will be granted a wish by a crane, such as long life or recovery from illness or injury. The crane in Japan is one of the mystical or holy creatures (others include the dragon and the tortoise), and is said to live for a thousand years. In Japan, it is commonly said that folding 1000 paper origami cranes makes a person's wish come true. This makes them popular gifts for special friends and family.

 

US School Girls Create 1000 Origami Cranes For JapanYou Tube

(千羽鶴を折るハイスクールの女子学生たち・アメリカ)

 


ロシアのウラジオストックの学校からも…。(3月20日)


One thousand paper cranes for Japan: Voice of Russia

 

Russian schoolchildren have brought about a thousand origami paper cranes to Japan’s Consulate General in Vladivostok as a gesture of sympathy with the Japanese people. In Japan, it is commonly believed that folding 1,000 paper cranes can make your wish come true.

“We wish and hope the Japanese can get through this soon,”

 

 

そしてこちらは、カナダのトロント市「レオナルド・ダ・ヴィンチ・アカデミー」の小学校4年生AB組の話題…。(4月12日)


Leonardo Da Vinci Academy: One Thousand Paper Cranes

 

On August 6, 1946, Japan was bombed by the Americans. An atomic bomb was dropped on Hiroshima. Now, once again, Japan is struggling to survive, their lives are in great danger. An earthquake and tsunami hit some parts of Japan. Nuclear plants are releasing radiation. This radiation can lead to serious diseases.

A few months ago, our Grade 4 teacher, Ms. Rita De Angelis, made us read Sadako and the Thousand Paper Cranes ”. This non-fiction story is based on how the atomic bomb destroyed Hiroshima. Sadako is an 11-year-old girl who got leukemia from the radiation in the air. Sadako began making paper cranes in hope of a cure. The people of Japan believed that a thousand paper cranes could cure a person of a disease and good luck will be sent their way. Sadly, Sadako died before completing her cranes. Her classmates decided to write a book about her and continued making the paper cranes.

Leonardo Da Vinci Academy’s class 4A and 4B decided to fold one thousand paper cranes for Japan to show their support. All students are very happy and proud of their project.

 

この記事に書かれている「Sadako」とは、広島平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなった「佐々木禎子・ささき さだこ」さんです。

1945年8月6日、広島に落とされた1発の原子爆弾により2歳で被爆し、9年後の小学校6年生の時に白血病と診断され、翌1955年10月に12歳で亡くなりました。病気の回復を願いながら折り鶴を折り続けましたが、644羽折ったところで、その願いもむなしく息を引き取ったという実話です。

その死を悼む級友たちの行動が募金運動に発展し、1958年のこどもの日に、原爆で命を落とした子供たちの慰霊と、核のない世界、平和を祈念して、広島市平和記念公園内に「原爆の子の像」が作られました。

現在では、折り鶴は、佐々木禎子さんのストーリーとともに平和の象徴として世界に広がっています。

 

広島原爆の子の像・Children's Peace Monument

 

佐々木禎子 - Wikipedia

 

Sadako Sasaki You Tube

 

Short Story: Sadako And The Thousand Paper Cranes

(英語の短いアニメにまとめられています。You Tube

 

 

「原爆の子の像」には、日本各地からだけでなく、世界中から届けられた折り鶴、千羽鶴が捧げられています。

 

佐々木禎子の物語(クミコのINORI~祈り~』) You Tube

 

参考:以前の当ブログ記事より。(ヒロシマ・ナガサキ)↓

広島「平和への誓い」 in 2010

 

For a world free of nuclear weapons from Nagasaki(2010)

 

ヒロシマの歌-「核兵器のない世界」への予感。2009)

 

長崎の鐘が。(小澤征爾さんの『復活』コンサートの思い出-浦上天主堂)(2009)


東日本大震災後の「こどもの日」に…。

2011年05月05日 | 東日本大震災関連

 東日本大震災から1ヶ月と3週間。今日は「こどもの日」…。

 国民の祝日に関する法律第2条によれば、

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」

ことを趣旨とする祝日だそうです。

 が、東日本大震災後、今の状況での「今年のこどもの日」は、その趣旨に沿ったものになるかどうかが、一人ひとりに重く問われているように思えます。

 連日、刻々と伝えられる福島第一原発の放射性物質による汚染に関するニュース。多くの子供たち、幼子を抱える親たち、そして妊娠中の女性たち、またまだ子どもがいない若い女性たちも、特に大きな不安と恐怖を抱えながら日々を過ごしていることでしょう。

 

 東日本大震災から約1ヶ月後の4月12日、東京に住む教え子からこんなメールが届きました。(一部略)↓


「地震や原発など心配ですが、なんとかやってます。

息子は地震の時は寝ていたので、気付かなかったのですが、その後、テレビなどでも『地震、地震』と言っているので、幼い息子の口からも『地震』という言葉がでてくるようになりました。

 

地震後、一週間程帰省していました。水も心配だし、停電は結局なかったものの、不安と心労でいつもの生活を送るのは難しかったです。

 

本当に、余震も続いていて怖いですよね。

これ以上ものすごい地震がおきると、どのような状態になるのでしょうか。

想像するのが難しいですが、今、余震がきても、慣れというか『あ、また地震だ。』くらいになってしまいました。

そうじゃないと、毎日、身がもたないので、動じないようにはしています。

普通どおり、生活は続いていくし 地震ごとにびくびくしていたら、おかしくなりそうなので。

でも、事態は深刻ですよね。

 

水も、心配なので買おうとしてますが、売り切れていたり一人一本までとか。

5年後に、甲状腺がんがどうのとか聞くと心配だし。

水が安心して飲める おいしいところって、素晴しいなって、つくづく思います。今更なんですが…。

先生のいるところは、水はおいしいですか。

放射能とかそういうのを気にせず飲んだり、使ったりできますよね。

 

原発にたよらない社会ってできるんでしょうか。

できるんだったらそうあってほしいなと思います。

東京ってほんと電気使いすぎですよね。

夜は星がきれいに見えるくらいの方が自然でいいような気がします。

 

今は、ここで、なんとか、がんばります。」

 

じっくりと一つひとつの言葉をたどりながら読んでいるうちに、胸が締めつけられるような、何とも言えない気持ちになりました。彼女を受け持ったのは、彼女が小3、小4の時…。大きな母となった…、と感じながら、涙があふれてきました。それまでは、幸せな家庭を築き平穏に過ごしていたはずなのに…。

 

 

大地震の当日、あの悪夢のような大津波で子供たちを含む多くの人たちが命を落とし…。子供を失った母親と父親たち、孫やひ孫を失った年配の人たち…。そして親や祖父母を失った子供たち…。その胸の内を想像するだけで、いたたまれない思いがします。

 

また、被災地で直接そうした悲惨な経験をしなくても、テレビ等からのすさまじい地震や津波の映像を目にするだけで、小さからぬ心的外傷を負うことがあるといいます。大人であってもショックは大変なものですから、ましてや幼い子供たちの被った心の傷はいかほどのものか、察するにあまりあります。

 

東日本大震災の数日後に書かれたこんな記事を見つけました。子供たちにどう接したらよいか、いくつかのアドバイスが具体的に書かれています。↓

東日大震災子どもにどう伝えるべきか(福井新聞WEBコラム

(3月17日)

 

 将来を担う子供たちをただただいとおしく思い、一刻もはやく余震が収まり、福島第一原発事故による被害がこれ以上大きくならないことを祈るだけです。


フィリピン人看護師・介護福祉士候補者35人が日本行きを辞退。

2011年04月20日 | 東日本大震災関連

EPA(経済連携協定)に基づいて、フィリピンとインドネシアから受け入れている看護師や介護士を目指す人たち…。2011年度は両国合わせて293人が日本に行く予定でしたが、東日本大震災の影響で日本行きを取り止める人たちが相次いでいる、ということです。福島第一原子力発電所の事故によって放射性物質が放出されていることや、東日本大震災の被害の影響と余震への懸念が辞退の理由です。予想されたこととはいえ、日本の受け入れを申し出ていた病院や施設も複雑な思いでしょう。

フィリピンでは、16日までに、看護師・介護福祉士候補者の35人(うち看護師28人)が日本行きを辞退したということです。が、今後さらに増える可能性もあるでしょう。フィリピンからの渡日予定者は、当初187人でした。

インドネシアでも、看護師・介護福祉士候補者8人(うち看護師4人)が日本行きを辞退…。

フィリピンとインドネシアからの候補者合わせて43人、全体の約15%が今年度の日本行きを取り止めたことになります。↓

看護師候補ら15%が訪日辞退 震災と原発に不安47NEWS・4月16日)

 

その一方で、3月末にはこんなニュースもありました。↓

「福島第1原発事故を受けて在日外国人の日本脱出の動きが続く中、死者12人が出た福島県白河市にある特別養護老人ホーム『小峰苑』では、4人のフィリピン人介護士候補が『お年寄りを見捨てて去れない。』と働き続けている。フィリピンの地元メディアも『介護のヒロイン』などと彼女らをたたえている。

 

 4人はルソン島中部ヌエバ・ビスカヤ州出身の看護師メルセデス・アキノさん(Mercedes Aquino・27歳・写真)、同島バギオ市出身の元NGOスタッフのジュリエット・トバイさん(Juliette Tobai・27歳)ら。一昨年から昨年にかけて日本との経済連携協定(EPA)に基づいて来日した。

 アキノさんによると、故国の家族からは毎日のように『フィリピンに帰って来て…。』と叫ぶように電話がかかってくるが、『お年寄りがここにいる限り残る』と決めている。『おばあちゃんたちからチョコレートをもらったり、日本語の勉強用のノートをもらったりとすごく親切にしてもらっている。地震も原発も怖いけど私たちだけ帰国はできない。』と話す。

 フィリピンでは高齢者を敬う習慣が根強く残っており、小峰苑によると、献身的な介護ぶりは『入所者にも非常に評判がいい』という。」

フィリピン女性白河で献身介護 私たちここに残る47NEWS・3月28日)

 

 このニュース、正直、非常に複雑な思いでした…。

 

当ブログのこれまでの関連記事。

フィリピン人看護師・ケアギヴァー


拓郎が、坂崎幸之助さんと東日本大震災被災地復興支援の公開生放送(オールナイトニッポンGOLD)

2011年04月18日 | 東日本大震災関連

 4月18日(月)夜は、『坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』の特別番組が…。

「ひとつになろうニッポン!東日本大震災 被災地復興支援 ~あなたのキモチ、全部だきしめて~」

と題してライブで公開放送されます…(ニッポン放送)。↓ 


  http://www.allnightnippon.com/gold/mon/?line=2

坂崎幸助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD)

 

 

 

 ニッポン放送でお聴きの方は、18日(月)19時00分~23時50分までの4時間50分の生放送。

 全国の放送局でお聴きの方は、22時00分~23時50分の生放送となります。

 

「番組のエンディングでは拓郎さんの曲『全部だきしめて』を全パーソナリティーと会場のお客さんが合唱。ぜひラジオの前のあなたもよろしければ、合唱に参加してください!」

全部だきしめて (吉田拓郎・2005)

 

公開生放送の場所は、東京千代田区有楽町のニッポン放送地下2階、 イマジンスタジオです。当日は18時30分より、義援金にご協力頂いた方にご見学頂けるとのことです。


「復興への祈りを込めて…。」

2011年04月01日 | 東日本大震災関連

一瞬にして奪われてしまった被災地の平穏な日常…。 

信じられない光景に血の気の引く思いをしたあの日…。

目の前の世界が変わってしまった…。

胸が押しつぶされそうな悲しみ…。

無力感にさいなまれ悶々と過ごした日々…。

 

四肢まひの障がい者である自分が、生きていく上で最も難しいと感じていることの一つが、時々襲いかかってくる「無力感」とどう付き合っていくか…、ということです。が、今回ほど大きな無力感に陥ったことはなかったように思います。

 

日本人の誰しもが、この悪夢のような非常事態に驚愕し、心の中で泣き続けているでしょう…。
「今は、何もできない…、遠くで祈ることしかできないのであれば、朝に夕に祈ろうではないか…。被災地の人たちのことを思いながら、日々覚悟を持って生きようではないか…。」
「一日一生…」と自分に言い聞かせています。

 

 

心のケアのヒントになりそうなページがここにもあります。

東北地方太平洋沖地震の災害心理学「命と心を守るために」

 

 

言葉にできない思い、被災地の復興への願いをこの曲に託します。

 

THE PRAYER with LYRICS - CELINE DION & JOSH GROBAN

『祈り』(セリーヌ・ディオン & ジョシュ・グローバン)

 

セリーヌディオン/(英語イタリア語日本語字幕

 

 

今日の記事が101号目となります。(ブログ開設から460日…。)

当ブログは、しばらく休止させていただきます。


 

 

「サラマッポ!」

Isshin

  

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(こちらにメールで届きます。ブログには反映されません。)


フィリピン海プレートが地殻破壊の南下をストップさせた…。(読売新聞記事・3月24日)

2011年03月28日 | 東日本大震災関連

 東北地方太平洋沖地震発生の原因である地殻変動、地殻の破壊の南下が茨城県沖で止まったのは、フィリピン海プレートが作用しているという読売新聞のニュースがありました。(3月24日)↓

  

 東日本巨大地震を引き起こした地殻の破壊が茨城県沖で止まったのは、フィリピン海プレート(岩板)によるものであることが、海洋研究開発機構の調査でわかった。 

 地殻の破壊は、宮城県沖から北と南へそれぞれ進んでいったが、南下していった破壊は、茨城県沖と房総沖の境にある同プレートの北東端でちょうど止まったとしている。 

 一般に、余震の発生領域は、地震を引き起こした地殻の破壊が起きた領域とほぼ同じであると考えられている。同機構がこれまでの探査で分かっていた茨城県沖の地下構造と、余震の発生領域を比較した結果、余震の発生領域の南限がフィリピン海プレートの北東端に一致していることが判明。同プレートの北東端が、地殻破壊の房総半島沖への南下を食い止めたとみている。

 日本列島の太平洋沖合では、東日本をのせた北米プレートに太平洋プレートが沈み込む一方、西日本をのせたユーラシアプレートにフィリピン海プレートが沈み込んでいる。

 

  


 しかし、関東地方では地殻構造が複雑で、北米プレートの下にフィリピン海プレートと太平洋プレートが沈み込む3重構造。茨城県沖は太平洋プレートの上にのるプレートが、北米プレートからフィリピン海プレートに代わる場所にあたっている。

 同機構の小平秀一上席研究員は「東海地震や南海地震の発生にかかわるフィリピン海プレートへの巨大地震の影響を評価していきたい」と話している。(以上)

 

地殻の破壊、茨城県沖で止まった…その理由は?  読売ONLINE3/24 14 :45

 

今回の地震は、太平洋プレート(岩板)が、東北地方を乗せた北アメリカプレートの下に潜り込むことによって起こる「海溝型地震」だそうです。北アメリカプレート側の地塊が、太平洋プレート側に対して乗り上げるような逆断層運動を起こしたと考えられるということです。

 

 

 日本からフィリピンにかけてのプレートの境界を示す地図。

   


 フィリピンも、日本と同じように、地殻変動による地震や火山活動が活発で、時々大きな被害をもたらします。太平洋側のフィリピン海溝から沈み込むフィリピンプレートと、南シナ海側のマニラ海溝から沈み込むユーラシアプレートに起因するものです。

私が一昨年約1年間ロング・ステイしていたバギオ市では、1990年7月16日に、マグニチュード7.8という大地震があり(バギオ大地震)、1700~2400名の死者・行方不明者が出、都市の大部分は破壊され、バギオに通じる3つの道路がすべて寸断されるなどの被害が出ました。↓

バギオ大地震から19年(以前のブログ記事・2009-07-18

 

翌1991年6月には、120万人ともいわれる被災者を出し、20世紀最大と言われるピナツボ火山の噴火が、1992年5月には、ミンダナオ島でM.5の地震がありました。

最近では、2010年3月25日、マニラの沖合南西135キロを震源とする地震(M.1)、同年4月26日、台湾南東およびフィリピンのバタン諸島で地震(M.9)、7月24日には、ミンダナオ島コタバトの南西約115キロを震源とするミンダナオ沖地震(M.4)。

そして先日3月21日の西ミンドロ州のルバング島付近を震源とするM.7の地震にはマニラも揺れました(震度3)。

 

 フィリピンの地図を見ると…。

      

  (フィリピン地図)               (フィリピンの海溝・Trenchと火山)

フィリピン周辺は、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートが重なる海溝や、トラフという海溝より幅が広い海底の谷が分布しており、プレート間における規模の大きな海底地震、また津波も発生しやすい海域だということです。