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アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐
 フィリピン、そして日本にありがとう!

外国人の介護人材養成制度 ーフィリピンの場合ー

2025年06月28日 | マイ・ライフ in 調布市
外国人の介護人材受け入れについて
-フィリピンの場合-
今、3人のフィリピン人のヘルパーさんが私の介護に関わってくれています。日本人と結婚し、在留資格のある方々です。やはりホスピタリティは抜群です。英語、日本語とタガログ語でコミュニケーションもスムーズです。
また、フィリピンの場合、以下の3つの方法で日本の介護現場で働けるルートがあります。
一つには、実質的に2009年に日比経済連携協定(JPEPA)によって受け入れがスタートした介護人材養成制度。4年間日本の受け入れ機関(高齢者施設)で日本語を学びながら就労(補助)し、介護福祉士国家試験合格(在留資格)を目指す方法です。この経済連携協定による介護人材受け入れ、フィリピン以外では、インドネシアベトナムの2か国のみです。
 二つ目は、就労支援制度(技能実習制度から移行中の新制度)または技能実習制度により介護現場での経験を積み、特定技能取得を目指す方法があります。
そして三つ目は、日本語学校に通いながら(留学生ビザ)介護現場でアルバイト(週28時間)をしながら、特定技能取得を目指す、という3つの方法があります。
三つ目以外は、日本の介護者不足を補うための苦肉の策だと思います。どちらも、国内外からの批判も少なくなく、多くの問題を抱えています。
が、国交がある、ないで、やはりずい分開きがあるものですね。ちなみに、台湾は、日本が1972年に中華人民共和国と国交を樹立されて以来、台湾(中華民国)との国交が断絶されたままです。

外国人の介護人材受け入れについてもどかしく感じます。ー台湾の場合ー

2025年05月18日 | マイ・ライフ in 調布市
現在、私のケアに関わってくださっている介助者のお一人に、ワーキングホリデーで1年間日本に滞在中の台湾の正看護師さんがいます。4月からこのお仕事を始め、12月初めには帰国予定です。ケアに関しても熟練していて、受ける側としてもとても安心感があります。
台湾語(中国語・繁体字)、英語を話し、日本語も勉強中です。これからの日本にとっても大切にすべき人材だと思います。
が、ワーキングホリデー期間終了後、このまま日本で働けるチャンスは極めて少ないのです。
台湾の場合、技能実習制度の2国間協定もなく、EPA(経済連携協定)もない。介護分野における特定技能ビザの要件には「1年以上の実務経験」または「実務経験1年未満の場合日本語能力試験N2」というのもありますが、「実務経験1年」を積むためのビザすらない、という状況です。

フィリピンで15年間ロングステイしていた時に感じていたもどかしさがふつふつとよみがえってきました。フィリピンと友好関係にる世界の国々の中で、フィリピン人ケアギヴァーを受け入れないのは日本だけ…でした。

それと同様に、今回の台湾の正看護師ヘルパーさんのケースも、大変もどかしさを感じます。
日本がかつて台湾に対して何をしてきたか、を考え合わせてみるにつけても残念で仕方ありません。

「・・・やはり、日本は日本…。」
外国人にとってはなかなか厳しいですね。いろいろな意味で…。

「障害福祉サービス等における外国人介護人材の訪問系サービス従事を可能とする。」

2025年05月03日 | マイ・ライフ in 調布市
つい先日、厚生労働省から公表された文書です。↓

~障害福祉サービス等における外国人介護人材の訪問系サービス従事の留意点について~

「中間まとめにおいて、訪問系サービスについては、日本人同様に介護職員初任者研修を修了した有資格者等であることを前提に、外国人介護人材の従事を認めるべきとされていることを踏まえ、障害福祉サービス等についても同様に、各サービスを実施するにあたり求められる有資格者等であることを要件に、外国人介護人材の従事を可能とする。
その従事にあたっては、留意点通知三以降の対応(外国人介護人材を訪問系サービスに従事させる際の遵守事項等)が求められることに留意すること。
具体的に対象となる訪問系サービスとしては、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成17年法律第123号。以下「障害者総合支援法」という。)に規定する居宅介護、重度訪問介護、同行援護、行動援護、重度障害者等包括支援及び
移動支援事業並びに児童福祉法(昭和22年法律第164号)に規定する居宅訪問型児童発
達支援とする。」・・・


ここまで来た…!

外国人の介助者の方々…サラマッポ!

2025年04月10日 | マイ・ライフ in 調布市

 
2025年度になり、思うところあって、関わっていただいている介助者を外国人の方を中心にしました。就労資格のある外国の方々で、ワーキングホリデーで滞在中の方もいます。フィリピン人3人を含めて、介護に入っていただいている時間の約7割が外国人になりました。

日本に戻ってきて10年余り。関わりのあった外国人介助者の国を数えてみると、十数か国に…。「思うところあって…」とさらっと書きましたが、ここにたどり着くまでに数年かかった気がします。

他国から日本へ来られて、私なんぞの介護を…。本当にありがたいことです。それぞれの国のこと、文化や考え方、食事(レシピ)などを知ることは、とても楽しいです。
私としても、関わっていただく時間の中で、言葉や文化(食文化も)等、JAPANを伝えることができたら、と思っています。

この時期、皆さん、SAKURAを楽しんでいます。
※写真は、調布市内の野川の桜です。(4月9日)

神代植物公園(調布市)の華やかなバラたち -The Autumn Rose Festival on Oct. 20, 2015-

2015年10月25日 | マイ・ライフ in 調布市

神代植物公園(調布市)の華やかなバラたち on parade

Taken on Oct. 20, 2015 @ 10:06

Congratulations to Y & M!


“Tchaikovsky Violin Concerto” Akiko Suwanai in 1990

 

Taken on Oct. 20, 2015 @ 11:32

神代植物公園(調布市)『秋のバラフェスタ』 - 東京都公園協会
(11月1日まで)
 

(参考)

神代植物公園のバラ(2014秋のバラフェスティバル) "Happy St. Valentine's Day!"

2015年02月13日 | マイ・ライフ in 調布


マニー・パッキャオさん、サラマッポ!(フィリピンフェスティバル2015) Salamat Manny Pacquiao!

2015年09月20日 | マイ・ライフ in 調布市

Manny Pacquiao… “Ay! Salamat po!”

(マニー・パッキャオさん、アイ!サラマッポ) 

Taken on Sept. 19, 2015 @ 10:33 Manny Pacquiao at Yoyogi Park, Tokyo

たまたま介護者が手にする私のカメラに笑顔で…。ドキッッッ!

 

Taken on Sept. 19, 2015 @ 10:33

 

Taken on Sept. 19, 2015 @ 10:33

 

 これは、9月19日(土)に、代々木公園イベント広場で開催された「フィリピンフェスティバル 2015」の、オープニングセレモニーのステージで…。

 

Taken on Sept. 19, 2015 @ 10:30 Philippine Festival 2015 at Yoyogi Park
 

Oh! Manny Pacquiao (Pacman) !!!

マニー・パッキャオがスピーチをしているではあ~りませんか!

ごれはすごい!!

超ラッキー!!!

 


Taken on Sept. 19, 2015 @ 10:37

Philippine Ambassador to Japan Manuel M. Lopez

(フィリピン大使マヌエル・M・ロペスご夫妻)と…。

 

 私も、マニー・パッキャオのタイトル・マッチの時、これまでに何度か当ブログで書かせていただきました。↓

「マニー・パッキャオ vs. フロイド・メイウェザー・ジュニア」 Manny Pacquiao vs. Floyd Mayweather
(May 3, 2015 in アイ!サラマッポ in フィリピン 

フィリピン、ショック…。マニー・パッキャオ(パックマン) Manny Pacquiao (Packman) 6回KO敗け!
(December 9, 2012 in アイ!サラマッポ in フィリピン
 

マニー・パッキャオ(パックマン) Manny Pacquiao (Packman) 敗れる!
(June 10, 2012 in アイ!サラマッポ in フィリピン 

強い!マニー・パッキャオ・Pacman
(March 13, 2010 in アイ!サラマッポ in フィリピン

  

 そして、セレモニーが終わって私がいたすぐそばを…。黒いジャケットの大柄なボディーガード・Bodyguardがマニー・パッキャオの周囲を取り囲み、厳戒警備の中…。

 何と、マニー・パッキャオさんが私に向かって声をかけてくれたのです。私はビサヤ語で「Maayong buntag Pacman! 私はフィリピンに15年間住んでいた…。応援していました…。」などと話しかけ…。

Taken on Sept. 19, 2015 @ 11:00

 誰かが差し出した銀色のマジックを手に取り、私のTシャツの右肩にサインを下さった上に、握手まで…!

 憧れの、偉大なボクサー、フィリピンの英雄と一瞬でも接することができ、夢のような瞬間でした。


 もう周囲は大変な騒ぎ…。私も介護者も、もみくちゃにされながらも、その興奮をシェアしました。

 マニー・パッキャオさん、ありがとうございました!

 

マニー・パッキャオ@Philippine Festival フィリピンフェスティバル
2015-09-19 Manny Pacquiao , PHILIPPINE FESTIVAL 2015
(YouTube)

フィリピン フェスティバル Philippines Festival Tokyo 2015 3/4
(Kalinga native dance・カリンガ族民族ダンス)


<マニー・パッキャオ Manny Pacquiao>
 1995年1月22日、16歳1か月で、ライトフライ級でデビュー以来、次々と階級を上げながらスーパーウェルター級までの11階級を渡り歩き、その過程で幾多の名王者・名選手を撃破、アジア人初そしてボクシング史上二人目、史上最多タイ記録となるメジャー世界タイトル6階級制覇王者である。

 パッキャオが評価されている最大の理由は、メジャー世界タイトル (WBA、WBC、IBF、WBO) 史上2人目である6階級制覇(フライ級、スーパーバンタム級、スーパーフェザー級、ライト級、ウェルター、スーパーウェルター級)という数字よりも、世界王者の中でも超一流の選手を幾多の階級にわたって撃破(その多くは圧勝)してきた点にある。近年のボクシング界では、既に人気を確立したスター選手は世界タイトルを返上してでも、他の強豪選手・人気選手とのビッグマッチを優先させることが多くなってきているが、その象徴的な選手がパッキャオである。パッキャオは、ノンタイトル戦でスター選手のマルコ・アントニオ・バレラに完勝してスターダムに伸し上がったことをきっかけに、世界タイトルを獲得することにこだわらなくなり、ビッグマッチを優先して各階級の最強の選手と戦うようになった。
 2010年に当選してから、2期連続でフィリピンの国会議員(下院議員)を務めている。
 フィリピンプロバスケットボールリーグのバスケットボール選手兼ヘッドコーチでもある。

マニー・パッキャオ - Wikipedia

This picture is from Manny Pacquiao - Facebook
Updated on Oct. 3

See you next year!


フィリピンフェスティバル2015 「グルメと音楽と…。」 @代々木公園 Philippine Festival 2015

2015年09月18日 | マイ・ライフ in 調布市

「フィリピンフェスティバル 2015」

 

フィリピンフェスティバル 2015

「グルメと音楽と…。」

2015年9月19日(土)・20日(日) 9~17時

代々木公園 イベント広場

Philippine Festival - Facebook


アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン! ‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐

2015年09月01日 | マイ・ライフ in 調布市

アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐

(Thank you to the Philippines and Japan.)

 (フィリピン、そして日本にありがとう!)

 本日、当ブログのタイトルを以上のように変更しました。
 

 2013年初夏、日本一時帰国中に、アクシデントで左脚の大腿骨頚部を骨折して2年余り…。やはり、今の体の状態で、フィリピンに戻っての再スタートは難しいと思います。
 今後は、この調布市で、私の第二の祖国フィリピンと日本との良好な関係性を探りながら、地道な活動を積み上げていきたいと思っています。

 近々『日本フィリピンボランティアネット・Japan Philippines Volunteer Net (JPVN)』という名称で、規模は小さいが、夢の大きな組織を立ち上げる予定です。今は、そのための準備を進めています。

 当ブログ同様、今後ともよろしくお願い致します。

‐Isshin


夏の終わりの「調布よさこい2015」

2015年08月31日 | マイ・ライフ in 調布市

昨日30日(日)は、「調布よさこい2015」が…。お天気も、曇天の中、何とかもった。
調布駅南口会場での初めての「総踊り」。老いも若きも…。


Taken on Aug. 30 @ 12:57

続いて、旧甲州街道650mを踊り抜ける「流し踊り」


Taken on Aug. 30 @ 14:08

午後3時前に布多天神社会場に移動すると、特設ステージではまだ次々にパーフォーマンスが…。
元気だなあ、みんな…。


Taken on Aug. 30 @ 14:52

ミンミンゼミがまだわずかに、しかし声高に鳴いていた。
しばらくすると霧雨が…。帰り道、長袖のTシャツのややしっとりと感覚が、とても心地よかった。 


 振り返れば、今年の夏も、なかなか厳しいものだった。
 梅雨明け直前の7月中旬、急性気管支炎で救急外来・入院…。調布東山病院6階のスタッフの方々には、本当によくしていただいた。その後、北多摩病院でもしばらくお世話になった。
「ありがとうございました。」
 調布飛行場での小型機墜落事故の日、東京での猛暑日連続記録が更新されていた日々を、病院で過ごしていた。苦しい夏だった…。
 それでも、終わりよければ全てよし…とまでは言えないまでも、まあよくやったか…、とも言えそうな、今年の夏が終わった。 

 
調布花火大会 on August 22, 2015 @ 19:38


千鳥ケ淵戦没者墓苑でお参り on August 18, 2015 @ 10:20


『水木しげるの戦争と新聞報道展』 (調布市制60周年平和祈念事業) in 調布市文化会館「たづくり」

2015年08月29日 | マイ・ライフ in 調布市

「 もう俺を苦しめるな。
 時代だ。運命だ。
   自己を、凡てを捨てて、
   死にながらにして生きるのだ。

「 私の心の底には、
 絵が救ってくれるかもしれない、
 と言ふ心が常にある。
 私には、本当の絶望と言ふものはない。

 これは、水木しげる氏が1942年の10月~11月に、召集令状(赤紙)を受け取る以前に、当時の心境を書かれていた手記の一節です。ご本人も忘れていたという原稿用紙の束が最近見つかり、今回の『水木しげるの戦争と報道新聞展』で、その一部が初公開されています。

平和祈念事業「水木しげるの戦争と新聞報道展」 | 調布市

 調布市制施行60周年、終戦70年という今年の夏、調布市名誉市民である水木しげる氏の、『総員玉砕せよ!』『ラバウル戦記』などの作品の複製原画や、言論統制下にあった当時の新聞記事など約90点が、調布市役所横の「調布市文化会館たづくり」で9月13日まで展示されています。(入場無料)

 
8月12日(水)の夕方、ご自身が展示会場へ。
93歳…お誕生日は私と同じでした。
(翌13日朝のNHK「おはよう日本」でも紹介されていました。)

「軍隊で兵隊と靴下は消耗品といわれ、兵隊は“猫” 位にしか考えられていないのです。こと“死” に関しては、やはり人間である。“一寸の虫にも五分の魂”という言葉があるが、兵隊全体の暗黙の同意なしにただ命令というだけでは、玉砕は成立しないと僕は思う。
(中略)
 僕は戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。」
1991年8月 水木しげる (『総員玉砕せよ!』 あとがきより・本チラシ裏)
 

明日30日(日)は、『調布布よさこい2015』
調布市のピンポイント天気予報は曇り。何とかもってほしい…。