アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

バタアン・死の行進-Bataan Death March

2009-04-09 13:02:15 | フィリピン-バギオ

 今日4月9日は聖木曜日、明日の聖金曜日(Good Friday・受難日)とともに祝日で、12日の復活祭(イースター・Easter Sunday)まで4連休です。ここグリーン・バレーも、昨日あたりから急に人が増え、にぎやかになってきました。今日から4日間、すぐ近くのクラブ・ハウスでもミサが捧げられます。

 そして、今日はまた「Araw ng Kagitingan-勇者の日」という祝日でもあります。今年は、たまたま祝日が重なり、大統領令により「勇者の日」の祝日は、6日(月)に振り替えられました。
 実は、この「祝日」は、日本ととても深いつながりがあります。今から67年前の1942年4月9日、太平洋戦争中、旧日本軍がルソン島中部のバタアン半島のコレヒドール要塞を占領、そこに立てこもっていたアメリカ・フィリピン軍部隊(当初はマッカーサーが指揮)が、旧日本軍に降伏しました。その直後から始まった「死の行進-Death March」(Martsa ng Kamatayan sa Bataanと呼ばれる捕虜の過酷な条件下での移動中、多くの儀歳者が出たのです。当初は、トラックで捕虜を移送するでしたが、計画がうまく行かず、予想を超える7万6千人(8万6千人とも)もの米比軍の捕虜を移送するのに、半数以上の捕虜がのべ88kmもの道のりを、真夏の酷暑の中、徒歩で移動するしかなかったのでした。そして、約7千~1万人もの捕虜・兵士が、マラリヤやデング熱、赤痢などの病気、飢えや疲労…のために移動中に命を落とし、その後も多くの死者を出したと言われます。

 
 
この出来事は「バタアン・デー」(Bataan Day)、戦争の悲惨さを象徴するものとして人々の記憶にとどめられていましたが、約20年前に、その時の被害者を含むすべての兵士たちの英雄的な行為を記念する日「勇者の日」として祝日に制定されたとのことです。

<表紙の写真> バタアン・メモリアルの碑



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