アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐
 フィリピン、そして日本にありがとう!

「比日EPAで日本へ行くんだったら、他の国へ…。」 Overseas Filipino Worker

2011年01月31日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー

 今、マニラで私の介護に関わってくれている3名のうち、2人はJPEPA・日本フィリピン経済連携協定を通して、「介護福祉士候補者」として申請する要件を十分に満たしています。

 一人は、出たり入ったりしながら、バギオ以来もう2年以上関わってくれているジェンさん。看護課程を卒業しているから、それで十分です。彼女には、2年以上前から、日本でこんなチャンスがある…と案内するも、それほど乗り気ではありませんでした。当時すでに、別の国へケア・ギヴァーとしてアプライしてはいましたが…。今月初めに、日本での介護福祉士候補者募集期間が一週間延びたことを伝えても興味を示さず…。
 
もう一人は、4年制の課程(医療技術)を卒業、TESDAのケア・ギヴァー認定書・Caregiver Certificateを持っていますから、こちらも介護福祉士候補者としては選考基準を満たしています。しかし、ジェンさん同様、全く興味を示さない…。
 
介護福祉士の候補者として、まずフィリピン国内で日本語の研修を受け、渡日後は半年間日本語や文化を学び、その後受け入れ機関(特養ホームなど施設)で、お給料付きで3年半研修を兼ねた就労が…。4年目の国家試験に合格できずに、帰国の羽目となったとしても、フィリピンでは小さな家が建つでしょう。

 
それでも、二人が日本行きを敬遠するのはなぜでしょう?
 
一つには、やはり何と言っても「日本語の難解さ」があるようです。日本語での日常会話、読み書きでさえ難しいのに、それが医療や社会福祉の専門用語となると…。たしかに日本人でも知らない、読めない、書けない言葉がたくさんあります。そんな難解な言語を勉強するよりも、現場で即働ける英語圏へ行った方が良い、と考えるのは当然です。
 また、日本へEPAを通して言ったとしても、「先が見えない。」…。将来の見通しが立ちにくい、ということがあります。二人が今申請中の国は、どちらも“Open country”と呼ぶ、入国要件の緩やかな国家で、うまく行けば、就労だけでなく将来そこに定住できる可能性を持つ国なのだそうです。
 さらに、これは多少偏見も入っている気がしますが、一人は、たとえ介護の仕事として日本へ行くにしても、(近所の)フィリピン人に「ああ、ジャパユキね…。」という目で見られかねない…、といった話もしていました。


 さて、
希望する国、職種、給料や労働条件など、好条件であればあるほど、その選考も厳しくなります。書類審査、知能テストや英語の能力試験、面接にしても、最終面接まで残れる人はごくわずかです。
 
そのうちに、次第に第2希望、第3希望…へと徐々にランクダウンさせていく…。シンガポールや韓国、台湾、香港…。イスラム圏の中東へは、最初は敬遠するけど、背に腹は代えられないと、とりあえず渡りやすいサウジ・アラビアやUAE(ドュバイ)、カタール等へ出たりするわけです。

 
フィリピンの人口は9千万人をはるかに超え急増中ですが、同じく海外へ出るOFWと呼ばれるフィリピン人海外就労者・Overseas Filipino Workersは、毎年100万人を超える勢い、OFWの数は人口の1割を越える約1,000万人とも概算されています。

 
 そんな彼らの貢献度は、”Bagong Bayani”、つまり、フィリピンの新しいヒーロー(New Hero)と言われるほどです。

 フィリピンは、若い労働力を世界中に送り出している、いわばOverseas Workerのプロフェッショナルなのです。


フィリピン-看護師・介護福祉士日本派遣事業の実施状況に強い不満。

2011年01月26日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー

「比日経済連携協定(EPA)に基づくフィリピン人看護師・介護福祉士候補者の日本派遣事業に関し、日本政府との交渉に携わったクルス労働雇用次官が、19日、同事業の実施状況に対し強い不満を表明した。」という記事がありました。(まにら新聞・1月20日)

 
フィリピン側から表明された不満点は、主に「(合意事項にはほど遠い)求人数の少なさ」と「国家試験の難解さ(日本人でも難しい医療専門用語・漢字等…)」の二点のようです。制度上の問題点が指摘された、ということです。
 
そして、日本経済の危機的状況に理解を示しながらも、2012年度(4年目)の受け入れに向けて、求人数が増えるように、病院や施設側への働きかけを強めるよう日本政府への要求も…。


 
また、同じ日の記事で、POEA・労働雇用省海外雇用局が19日までに、2011年度の求人数「187人」の内訳を発表したとのことですが、今回、看護師の求人数が「102人」と、初めて介護福祉士候補者求人数「85人」を上回ったそうです。介護の人手が必要な施設では、経費がかかり、将来介護福祉士の国家試験にパスする見込みが薄い外国人よりも、ヘルパー資格だけで即実践に入れる日本人の求職者を受け入れる方向に動くのは自然なことだと思われます。
 
また、在日フィリピン人で、ヘルパー資格を取得し、特養ホーム等で働く人たちは、かなりの数に上るでしょう。

 
この3年間の、日本からのフィリピン看護師・介護福祉士候補者の求人数です。
2009年度 429人
2010年度 162人
2011年度 187人
 
が、2009年度、2010年度の2年間に実際に受け入れたのは438人でした。

 
2011年度からは、渡日前に2~3ヶ月間の日本語研修が、日本政府の経費負担で提供されることになったということですが…。


インドネシア人の看護師候補、在留期間を1年間延長へ。

2011年01月25日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー

看護師候補者の在留期間延長へ 来年も受験可能に

経済連携協定(EPA)に基づき、看護師を目指して2008年に来日したインドネシア人候補者について、政府は19日までに、国家試験の受験機会を増やすため、今年8月までの在留期間を1年間延長する方針を固めた。
 EPA候補者をめぐっては、昨年の看護師国家試験で初の合格者が生まれたが合格率は低調。看護師候補者は来日から3年以内に合格しないと帰国しなければならず、08年の来日組は今年2月の試験が最後の機会。しかし、大幅な合格率のアップは困難なことから、来年の試験にも挑戦できるよう在留期間の延長が必要と判断した。近く関係省庁で協議を開き、正式決定する。
47News 19日


インドネシア人看護師候補、在留1年延長へ
日経新聞 19日


エル・ニーニョ(El Nino)現象と、ラ・ニーニャ(La Nina)現象

2011年01月23日 | その他

 エル・ニーニョは、ペルー沖から太平洋中部までの広い海域で、海面水温の高い状態が続く現象。エル・ニーニョはスペイン語で「男の子・El Niño」ですが、「神の子」という意味合いも含んで使われているようです。ちなみに、「イエス・キリスト」の幼少児の時期は「サント・ニーニョ・Santo Niño」(聖なる男子・スペイン語)と呼ばれています。97年春から98年春のこの現象が最大規模だったとされます。ちょうど一年前には、この現象の影響がフィリピンでも見られました。
エルニーニョ現象の影響で雨が降らないフィリピン。水不足は深刻化

2010年03月05
 | マイ・ライフ in マニラ
 冬に発生すると暖冬になりやすく、例えば一年前のバンクーバー・オリンピックでも、このエル・ニーニョ現象の影響(暖冬)による雪不足が心配されていました。

 
ラ・ニーニャ「女の子・La Niña」現象は、逆にこの海域の水温が低くなる現象です。
 
今般、世界各地で洪水を引き起こした大雨は熱帯低気圧によるものですが、これはラ・ニーニャ現象が太平洋の貿易風に及ぼした影響の直接的な結果、ということのようです。今回のラ・ニーニャの影響は、これまででも最大規模ではないかと言われています。昨年の日本の酷暑、この冬の猛烈な寒波も、このラ・ニーニャの影響なのかもしれません。
 
ここマニラも、いつもどんよりとした雲が立ちこめる日が多く、例年の乾季・Dry seasonのスカッとした青空があまり見られません。ひょっとすると、3~5月のSummer season
(盛夏)まで、このラ・ニーニャ現象が尾を引くかも…、と言われています。


 それにしても、「気候がなんか変だね…。」「地球の気象がどうもおかしいようだ…。」と言われ始め、「異常気象」「地球温暖化」という言葉が使われ始めたのはいつ頃からだったでしょうか?
 
私の学生時代(30年余り前)には、地球が寒冷化し、「氷河期」の再来が懸念されていたような記憶があります。
 それが、いつの間にか「地球温暖化」への懸念へと変化していき…。そして、最近の異常気象による自然災害はまさに異様で、規模が大きく、被害も甚大なものが多過ぎます。また、地球上の動植物にも、種の「絶滅」、種の「分布区域の変化」など、目に見える様々な異変が現れ、その異常さを伝えているかのようです。
「これから先、何が起きるのか…。」という不安とともに、こんな異常な状態がこれだけ長く続けば、自分たちの感覚も「ああ、またか…。」と麻痺してきそうな怖ささえも感じます。

 
46億年前に誕生したと言われるこの地球が、本当に病んでいるのでしょうか?

「あなた(地球)は、確かにご病気ですね…。昨今の検査でいろいろと見つかりました。しばらくの間、治療が必要となります。大丈夫ですよ、まだお若いんですから…。」
「今日も少し熱がありますね。血圧もやや高めです。ストレスがかなりたまっているのでしょう。」
「これまでは、余り体調を気にされずに生活をされてきたことでしょうが、これからはもう少し暴飲暴食を慎んで…。喫煙も…。それと、もう少しゆったりとした時間を持つ努力をされた方がよさそうです。」
「もっと悪くなってしてしまっては、取り返しがつきませんよ。ご自分の体です。大切に、いたわってください。お大事に…。」

などと…。自分で書いていて途中で恥ずかしくなりましたが…。もし、地球を診断できるドクターがいたら、こんなことを言われるのかな、とか…。

 その一方で、地球の長い歴史の中では、その自然のシステムの中に変動の要因がある、というのも確からしく、現在の地球温暖化による異常気象は、現代の人間の活動によるものだけではないようです。地球の「46億年」という年齢を「1年間」に置き換えると、二酸化炭素-Carbon dioxideCO2
排出によりオゾン層を破壊してきたとされる「現代人」の生きてきた時間は、まばたき程度のものなのでしょう。

 そんな「宇宙」や「地球」について思う時、そのスケールの大きさと神秘さに、畏敬の念を抱かずにはいられません。


※カバーの写真は、19日お昼過ぎのマカティ市方面です。


2011年1月 世界各地で大雨、洪水や土砂崩れの被害が…。

2011年01月18日 | その他

 フィリピンでは、中央部ビサヤ地方を中心に、昨年末から降り続く大雨により、昨日までに52人が死亡、計25の州で発生した洪水被害の被災者は16日午前までに30万9千世帯、158万人になったということです。(by まにら新聞)

 
(1月6日の雨量予想図)…ずっとこんな状態です。

 特に、大きな被害が出て救出活動が続けられている南レイテ州南東部のセント・バーナード町・St. Bernard Southern Leyte…。ここは、2006年にも(2月17日)、十日間続いた大雨と折からの地震により、大きな地すべりがギンサウゴン・Guinsaugonという集落(バランガイ)、学校などを押しつぶし、50人が死亡、950人以上もが行方不明となったのが記憶に新しいところです。

 
(2006年2月の土砂災害)
The Guinsaugon Landslide 2006(YouTube -バックの曲はCelin Dion)

 昨日は、ミンダナオ島のダバオ市中心街も水に浸かった様子がニュースで…。少し前には、ルソン島北中部バギオ市からも大雨による被害の映像が…。ここマニラも、雨こそ多くはないものの、どんよりとした雲が立ちこめ、特に朝夕は肌寒い日が多い、例年になく変な「乾季」です。ちなみに、ルソン島中部のマニラとビサヤ地方では、気候が多少違います。


 今月に入り、メディアを通して、世界各地での大雨、洪水や土砂崩れの被害が報告されています。この異常さには驚異を感じます。
 
スリランカでは、モンスーンの季節を迎えた中、数日間降り続いた豪雨により中東部で洪水や土砂崩れが発生し、15日までに40人近い人が死亡、被災者は100万人を超えたという情報もります。
 
オーストラリアでも、昨年末からの大雨により、14日までに死者が20人、行方不明者も数十人を超え、農作物などにも甚大な被害が出ています。
 
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ州など南東部では、降り続く大雨による被害、死者が数百人に達したという。山の斜面にある多数の家が土砂崩れに巻き込まれたということです
 
中南米のパナマやエクアドルでも、大雨と洪水、そして土砂くずれの被害が深刻化しているようです。
 
今日18日には、雨季を迎えた南アフリカ共和国で大雨による洪水でこれまでに32人が死亡、隣国のモザンビークでも10人が死亡するなど、被害が広がっている、とのニュースが入りました。

 大雨、豪雨による大きな被害が出ているのは、ほとんどが真夏の南半球、もしくは赤道近くの地域です。ラ・ニーニャの影響が大きいようです。↓

豪水害、ラニーニャ現象が拍車 NASA

 被災地の雨が収まり、一日も早く復旧されますように…。


フィリピン人看護師・介護福祉士受け入れ(3年目)の募集が…。 (追記)

2011年01月15日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー
 先週1月7日の当ブログの記事。↓
 
フィリピン人看護師・介護福祉士受け入れ(3年目)の募集が

 募集期限が一週間延期されて、1月14日(金)締切りとなった フィリピン人看護師・介護福祉士受け入れ(3年目)のフィリピン・サイドでの募集…。ところが…。
 
今朝、どうなったかとフィリピン労働雇用省海外雇用局Philippine Overseas Employment Administration (POEA)HPを見ると、こんなお知らせが…。↓

Attention: Nurses and Caregivers
Acceptance of  applications for the recruitment of the 3rd batch of caregivers and nurses for Japan ended January 11, 2011

  何と、11日に突然打ち切りになっていました!(別の意味でも驚きが…。)
 おそらく、テレビのニュースの影響が大きく、応募者や問い合わせが殺到したのでしょう。
 
今、フィリピン国内には、正看護師・Registered Nurseで、看護師として働けない人が約20万人います。4年間の看護課程を出たものの、まだ国家試験(最近の合格率は40%前後)を通っていない予備正看護師の数はかなりのものでしょう。
 
日本で3年間(正看護師)、もしくは4年間(介護福祉士候補者)、高いサラリー付きで(6ヶ月の研修後ですが)働くチャンスがあれば、それは彼らにとっても魅力的なものなのかも…。たとえ、その滞在期間中に日本の国家試験をパスできずに「帰国」となったとしても、です。
 
フィリピン人海外就労者・Overseas Filipino Workersの雇用契約は、通常2年から3年間といった短いものですから。


参考までに、5日のABS-CBNの記事です。↓
POEA Nurse Jobs for Japan in 2011
January 5, 2011 in ABS-CBN TV Patrol news channel 2,
187 POEA nurse jobs
in Japan as well as caregiver job application will be extended up to January 14, 2011. Hurry and apply now in person if you have the qualification.
(Caregiver Jobs Abroad: POEA Nurse Jobs for Japan in 2011 | Work ...)
January 5, 2011 ABS-CBN News

ABS-CBN News | Latest Philippine Headlines, Breaking News, Video ...


マラテ教会のお祭り in 2010

2011年01月14日 | My life in マニラ

 昨年11月21日のことですが、ここマニラのマラテ地区でもお祭りがありました。マラテ教会(Malate church)では、教会近くのマラテ・カトリック・スクールから、小学生やハイスクールの生徒たちも、パーフォーマンスやマーチング・バンドで参加。夕方には、マラテ教会の救済の聖母マリア像(Our Lady of Remedies)やサント・ニーニョ像(Santo Niño・幼きイエス)、聖人の像の行進(Procession)がマラテの街を一周しました。

 
1月は、先日のマニラ・キアポ教会のブラック・ナザレ祭に続いて、ビサヤ地方パナイ島のカリボ(Kalibo・ボラカイ島の近く)ではアティ・アティハン祭り(Ati-atihan・第3週)、セブ市(Cebu City)では、1521年にマゼランから贈られたとされるセブのサント・ニーニョ(Santo Niño・幼きイエス)を祀るシヌログ祭(SinulogSanto Niño de Cebu)が16日(第3日曜日)、そして第4週末には、同じパナイ島イロイロ市(Iloilo City)でディナグヤン祭(Dinagyang
)が…。どれも、フィリピンで観光客を呼び込む人気の高いお祭りです。

 
宗教色の非常に濃い、そして熱狂的なお祭りが多く見られます。その信者の熱狂ぶりには、時には異様な印象を受けたりもします。
 
その最たるものが、パンパンガ州サン・フェルナンドで毎年ホーリー・ウィークに行われる奇祭です。
「マニラ北部パンパンガ州のサン・フェルナンド(PampangaSan Fernando
)では、志願者が実際に十字架に磔(はりつけ)にされる苦行が、多くの観光客を呼ぶ奇祭として有名です。キリストの受難を疑似体験しようと、生身の人間が、大きな釘を手足に打たれて磔にされるのですよ…。」↓
フィリピンのホーリー・ウィーク(聖週間) - アイサラマッポ in バギオ

YouTubeの、この動画はちょっとコワイ…。↓
Holy Week Flagellations, San Fernando Pampanga ...


 今年2011年のホーリー・ウィーク(聖週間)は、4月17日(受難の主日)から24日(復活祭-イースター・サンデー)まで。
 
このサン・フェルナンドの磔の奇祭が行われるのは、イエス・キリストが十字架に架けられて息を引き取るGood Friday
(グッド・フライデー・聖金曜日)だから、今年は4月22日(金)です。見てみたい方はどーぞ。
 
ちなみに、キリストの受難と死の記念日なのにどうして「Good…」なのかというと、キリストの死を通して救いが万人に与えられた、ということだからだそう
です。キリストが、人々の生まれながらにして背負っている罪をすべて背負い、万人のために命を捧げたことで、人々の罪、過ちが許され、神の救いが与えられたから…、ということです。


 さて、マラテ教会の平和なお祭りの様子は、以下写真で…。↓

 
High school students

 
Elementary pupils

 
Santo Niño

 
Our Lady of Remedies

 昼間の人口が多いマラテ地区…。でも、実際にずっとこの地区に住んでいる人の数はそれほど多くありません。
 夜は、カラオケやバー、レストラン…に人が集まり、またにぎやかに?

(続く…?)


「ブラック・ナザレ・2011」THE BLACK NAZARENE 2011 追記

2011年01月10日 | My life in マニラ

 フィリピンINQUIRER.netの記事によると、昨日1月9日の「ブラック・ナザレ祭り」(キアポ教会)に参加した熱心な信者の数は、早朝6時にリサール公園のキリノ・グランドスタンド(Rizal Park’s Quirino Grandstand)で行われたミサの参加者120万人(!)を含めて、約700~750万人(!!)だった、とマニラ警察が発表したとのことです。
 
昨年と同じく、ロサレス枢機卿(Cardinal Rosales
)によるミサの後、午前8時にキリノ・グランドスタンドを出発した「ブラック・ナザレ」像の行進が、キアポ教会に戻ってきたのは、深夜の11時以降…と書かれています。約5kmの距離を15時間以上かかって移動したということになります。
 
今年の行進の模様がもうYouTube
に…。↓

THE BLACK NAZARENE 2011 PROCESSION

Viva! Viva! Nazareno!」(バンザイ!バンザーイ!ナザレーノ!)と叫んでいます。

 
それにしても、小雨降る中、この、人々の熱狂ぶりは…!?
 
昨年は、死者も2名出ましたが、今年、死者は無く、負傷者も5百数十名と、参加者が極端に多かった割には昨年と同じ程度にとどまったようですが…。

Millions escort Black Nazarene - INQUIRER.net, Philippine News for ...
INQUIRER.net, Philippine News for Filipinosの記事)

 
日本の方がアップされたYouTube
の映像も…。↓
Black Nazarene 2011ブラックナザレ祭(キャポ教会)


ブラック・ナザレ(キアポ教会)-Black Nazarene in Manila

2011年01月09日 | My life in マニラ

 今日1月9日は、毎年マニラ市にあるキアポ教会(Quiapo Church・1582年スペイン人が建設)で、フィリピンを代表する宗教行事「ブラック・ナザレ祭り- Quiapo Black Nazarene Fiesta」が行われています。

 

 まずは、昨年1月9日のブラック・ナザレ行進の映像をご覧ください。
 
黒い十字架に触れようと、山車によじ上った若い女性(赤色のTシャツ)が、護衛のスタッフ(黄色のTシャツ)の一人に振り落とされています!
(映像の約1分過ぎに…。アンビリーバボー!)↓
Quiapo Fiesta 2010 -PhilippinesYou Tubeの映像)


 

 これはどんなお祭りなのかというと…。↓
ブラック・ナザレ祭(キアポ教会)-Black Nazarene
アイ!サラマッポ in マニラ昨年の記事)

 

「ブラック・ナザレ」とは、1608年にメキシコから持ち込まれた、キリストの受難を表した木製の聖像で、この写真の「黒いキリスト像」です。
 
キリスト像がどうして黒いのかという理由には、フィリピンへ運ばれる途中、船上で火災に遭遇し表面が黒くなったという説や、メキシコ人、もしくはフィリピン人の、肌の色に合わせられたなど、いろんな説があるようです。
 
また、太平洋戦争の際、マニラ市のキアポが大火災で街中が焼き尽くされましたが、それでもこのナザレ像は無事だったということです。その時、主に貧しい人々に、夢で「キアポ教会へ集まるように」とのお告げがあったとされています。それ以来、このナザレ像に触れると難病が治るとか、問題が解決するという奇跡が言い伝えられるようになったそうです。

 この不況下、今年は「日曜日」ということもあり、かなりの人手が予想されていましたが…。
“At least six million Catholic devotees are expected to join the celebration of the feast of the Black Nazarene on Sunday, Manila Police District (MPD) head Chief Superintendent said on Thursday, Jan. 4…”
(この5日のGMAニュースの記事では600万人は参加…とも!?)


フィリピン人看護師・介護福祉士受け入れ(3年目)の募集が…。

2011年01月07日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー

 5日夜のフィリピンABS-CBN局ニュース「TV Patrol」によると、今年で3年目となるフィリピン人看護師・介護福祉士候補者(渡航予定5月・就労コース)の募集期間が1週間延長されたそうです。フィリピンサイドの調整・選考機関であるフィリピン労働雇用省海外雇用局Philippine Overseas Employment Administration (POEA)と、日本サイドの国際厚生事業団 JICWELSが発表したもので、当初1月6日締切りとされていた募集期間を1週間延長するということです。応募者が少なかったのでしょう。
Trabaho sa Japan」(日本で求人!)というタイトルのそのニュースでは、フィリピン人看護師・介護福祉士候補者「187人」募集(必要-needs)という内容で、給料は20万円(11万ペソ~)以上という内容でした。公にされている比大統領のお給料の約2倍近くですが…。

 以下、以前のブログ記事より。↓
 フィリピン人看護師・ケアギヴァー

 フィリピン人ケアギヴァー(介護士)


 
私自身は、この件に関して、ここにいたっては、今後どうなっていくのか、せめて事のの成り行きを見届けたいという思いだけです。

 参考までに、群青さんのブログ記事から、以下の毎日新聞の記事を添付させていただきます。↓

毎日新聞 201078日朝刊
「合格率1.2%の衝撃《開国漂流・外国人ケア人材問題・上》」
  難解な日本語並ぶ試験-制度設計なき改革
  
受け入れ「100人」一転「1000人」

「1・2%ショック」が東京・霞が関に影を落とす。経済連携協定(EPA)に基づき来日したインドネシア人、フィリピン人254人が今春、看護師国家試験を受験した。合格者はわずか3人だった。近隣国との関係強化の柱として「開国」の在り方が問われる日本。長期的な国家ビジョンを描けず漂流する政官、翻弄(ほんろう)される医療・福祉の現場を追う。【外国人ケア人材問題取材班】

◇   ◇   ◇
6月18日、参院選を控え、駆け込み的に政府の「新成長戦略」が閣議決定された。キャッチコピーは「『元気な日本』復活のシナリオ」。短い文言が官僚の間で話題になった。
「11年度に実施すべき事項 看護師・介護福祉士試験の在り方の見直し 母国語・英語での試験実施等の検討を含む」。政府は国家試験を日本語以外で実施する可能性を初めて示した。
「褥瘡(じょくそう)」(床ずれ)……。試験問題は日本人でさえ、難解な表現が少なくない。日本人は9割が受かるが、自国では看護師資格を持つ外国人受験者にとって「日本語の壁」は高い。
「次の試験も数百人単位で落ちて帰国したら外交問題になる」。EPAにかかわってきた官僚は言う。試験改革には「1・2%ショック」が存在した。そして曲折の始まりは4年前にさかのぼる。

■  ■
「話が違うぞ」「こんなに増やして大丈夫なのか」。06年9月6日夜。霞が関の官庁でEPA担当者たちの怒声が飛び交った。
小泉純一郎首相(当時)がアジア欧州会議首脳会議に向かう前日のこと。小泉首相はヘルシンキでフィリピンのアロヨ大統領(同)との首脳会談を予定。その目玉が日比のEPA署名だった。
日本は日本製品の輸出拡大につながる関税撤廃を進める見返りに、フィリピン人看護師・介護福祉士候補者受け入れに同意した。関係省庁間で調整を繰り返し、受け入れ枠は「(年間)100人レベル」で内定していたが、首相出発前夜に突然ひっくり返され、ひとケタ多い「(2年間で)1000人」となった。関係省庁には「官邸の意向」とだけ説明された。
フィリピンの希望は「1万人レベル」だったとも指摘される。医療・福祉行政に影響力を持つとされる中村博彦参院議員(自民)は証言する。「アロヨ大統領側の感触とし
『1000人なら話がつくが、それ以下では無理だ』と官邸に伝えていた」
ある厚生労働省関係者はこう感じ取っていた。「100人なら国家試験に不合格でも目立たないが、母数が1000人なら不合格数は巨大。描いた制度設計では追いつかない事態になった」。それが今年3月の国家試験の結果で現実になった。

■  ■
「日本語以外の試験の導入方針で『国を開く』というメッセージを示した」。国家戦略室幹部は自賛する。だが各省は今も違う方向を向く。厚労省幹部は「母国語・英語の試験で合格したらどうなるんだ」と反対だ。命を預かる現場で意思疎通を欠けば事故につながるとの理由だ。
「介護職に就きたいと考える若者が少ない中、早晩、外国人に頼らざるをえなくなるだろう」(神奈川県東部の特養施設長)。30年には人口の3分の1が65歳以上となる日本。ケア人材をどう確保するのか。関係省庁が共に描く医療・介護の将来像は見えない。
(以上、新聞記事)


 今年も、あと1ヶ月余りで看護師国家試験(100回目)がやってきます。北京オリンピックの前日に来日したインドネシア人看護師第1期生にとってはラスト・チャンスとなります…。