アイ!サラマッポ in フィリピン & ジャパン!

‐Ay! Salamat sa Pilipinas at sa Japan!‐
 フィリピン、そして日本にありがとう!

バギオ・フラワー・フェスティバル生中継(フィリピン・バギオ市) "Baguio Flower Festival 2015" Live!

2015年03月01日 | バギオ市 BAGUIO CITY

Baguio "Panagbenga Flower Festival 2015" Live!"

             

Live | The Official Website of Panagbenga 2015

Panagbenga Flower Festival 2015 Live!
(ABS-CBN BAGUIO)

バギオ市の第20回フラワーフェスティバル"Panagbenga 2015"のライブ(生中継)です。

現在、Grand Float Parade(花で飾られた大きな山車)がメインストリートを街宣中!


バギオ・フラワーフェスティバル2015(第20回目)開幕まであと2週間 (バギオ市)

2015年01月19日 | バギオ市 BAGUIO CITY

 今年で第20回目となるバギオ・フラワーフェスティバル”Panagbenga 2015”の開幕まで、あと2週間となりました。今年のテーマは、"Across 20 Years of Blossoming Together"です。

The Official Website of Panagbenga 2015 - Baguio Flower Festival

 

♪Panagbenga Theme Song(テーマソング) 

2月1日(日)から3月8日(日)まで、バギオ市内で様々なイベントが催されます。
メイン・イベントは、2月28日(土)の「グランド・ストリート・ダンシング・パレード」と、翌3月1日(日)の「グランド・フロート・パレード」です。

Feb. 28 (Sat.)  Grand Street Dancing Parade

Mar. 1 (Sun.)  Grand Float Parade

(Panagbenga Park → Session Road → Harrison Road → Burnham Park→ Athletic Bowl)


私が最後に見た、一昨年の第18回バギオ・フラワーフェスティバルの2大パレードの様子は、こんな感じでした。↓

バギオ・フラワー・フェスティバル・Panagbenga 2013 Grand Street Dancing Parade on Feb.23


Taken on Feb. 23, 2013 @ 10:18


バギオ・フラワー・フェスティバル・Panagbenga 2013 Grand Float Parade on Feb.24


Taken on Feb. 24, 2013 @ 10:06

Panagbenga Grand Float Parade 2013 (YouTube)

Panagbenga 2013 Float Parade (YouTube)

今年のスケジュール一覧です。↓

Schedule of Activities - Panagbenga 2015

(参考)

第19回バギオ・フラワー・フェスティバル(2014年)


バギオ・フラワー・フェスティバル2014がライブで…。

2014年02月22日 | バギオ市 BAGUIO CITY

バギオ・フラワー・フェスティバル2014を、Skycableが、youtubeで中継しています。下をクリック。↓
Panagbenga Festival 2014 Live
 
本日22日(土)は、ストリート・ダンシング・パレード(Street Dancing Parade)と、その後の陸上競技場でのコンテストを中継…。
明日23日(日)は、8AM(日本時間午前9時)から 花車がメインストリートを凱旋するグランド・フロート・パレード(Grand Float Parade)が中継されます。

・・・という案内を、北ルソン日本人会・JANLの小国さんからメールでいただきました。

サラマッポ!

The Official Website of Panagbenga 2014 .. Live

第19回バギオ・フラワー・フェスティバル“Panagbenga 2014”もうすぐ開幕!(2月1日から)
(Jan. 16, 2014)


第19回バギオ・フラワー・フェスティバル“Panagbenga 2014”もうすぐ開幕!(2月1日から)

2014年01月16日 | バギオ市 BAGUIO CITY

第19回バギオ・フラワー・フェスティバル“Panagbenga 2014”(パナグベンガ)が2月1日から…。
あと2週間で開幕です!

"Inspiring the Community for a Greener Tomorrow"(今回のテーマ) 

Panagbenga –Baguio Flower Festival 2014 Official website

 


メインは、22日(土)のGrand Street Dance Paradeと、23日(日)のGrand Float Paradeです。

♪Panagbenga Theme Song(テーマソング)

 

昨年のバギオ・フラワー・フェスティバルの写真と記事です。↓

第18回バオ・フラワー・フェスティバル・Panagbenga 2013開幕!-オープニング・パレード-

第18回バギオ・フラワー・フェスティバル・Panagbenga 2013 Grand Street Dancing Parade on Feb.23

第18回バギオ・フラワー・フェスティバル・Baguio Panagbenga 2013 Grand Float Parade on Feb.24

Robin Padilla… “Ay! Salamat po!” ロビン・パディリアさん、ありがとう!

バギオ・フラワー・フェスティバル“Panagbenga 2013”が閉幕。

(February, 2013)

 


バギオのサンフラワー「皇帝ひまわり」

2013年12月15日 | バギオ市 BAGUIO CITY

バギオのサンフラワー「皇帝ひまわり」

Taken on Nov.17, 2011 at Baguio

皇帝ヒマワリ


Taken on Nov. 13, 2008 at Green Valley, Baguio City

  和名は新渡戸稲造が日本に持ち帰ったということからニトベギクともいわれています。 花の直径は十数センチほどですが、高さが数メートルにもなる皇帝ひまわり。晩秋から咲き始めるので、今が盛りでしょう。バギオ市でも、11月頃から咲き出し、クリスマスの時期がピークです。

 そして、この皇帝ひまわりがたくさん植えられている千葉県夷隅郡御宿町(イスミグンオンジュクマチ)には、こんな歴史が…。↓

400年の「日西墨」の友好伝える 千葉・御宿で「交流の会」結成

バギオの皇帝ひまわり 「リボーン・ライフ in バギオ」 in 201111

今朝の「サンデーモーニング」を見ていて、初めて知りました。


バギオ・フラワー・フェスティバル! -Baguio Panagbenga 2011

2011年02月19日 | バギオ市 BAGUIO CITY

バギオ市100年祭「Baguio Centenial Celebration(2009年)

 今年も、あと1週間で、バギオ市の第16回目となるフラワー・フェスティバル『パナグベンガ・Panagbenga』のメイン・イベント、2日間に渡るパレードがあります。
 26日(土)は、民族衣装と音楽で人々がメイン・ストリートでダンスを披露する「Grand Street Parade」。
 27日(日)は、生花で飾り付けされた大きな山車(花車)が凱旋する「
Grand Float Parade
」です。↓

Panagbenga opens Feb. 1 | Official website of the City Government ...
You Tube
の動画です。映像のクオリティはイマイチ。雰囲気だけでも…。↓
Panagbenga 2010 -- Grand Flower Float Parade
(去年のフラワー・フェスティバルのフロート・パレード。ショッピング・モール
SM、干支のタイガーがすごい…)
panagbenga 2009/ flower festival/baguio city ...
(2009年のフラワー・フェスティバルのストリート・パレードです。山岳民族、男子はバハッグという、日本のふんどしのような民族衣装を…。音楽も独特です。)

 
(バギオ市の花、サンフラワーがススキと共生。2008年11月)

 当時の私のブログ記事です(2009年のフラワー・フェスティバル)。↓
バギオは花盛り・だかり-フラワーフェスティバル

フラワー・フェスティバルは最高潮


太平洋戦争「フィリピン戦」終結の日-9月3日

2010年09月03日 | バギオ市 BAGUIO CITY

 今日9月3日は、65年前の1945年に、フィリピンバギオ市のキャンプ・ジョン・ヘイ(Camp John Hay・元米軍保養地)で、旧日本軍フィリピン総司令官山下奉文(ともゆき)陸軍大将が、正式な降伏文書に署名した日、太平洋戦争のフィリピンでの戦いが終結した日です。
(通常、当時の連合国の対日戦勝記念日は日本が東京湾の戦艦ミズーリ号艦上で連合国に対する降伏文書に調印した9月2日です。)
 
また、「フィリピン戦」が始まったのも、実は1941年12月8日「真珠湾攻撃」と同じ日で、キャンプ・ジョン・ヘイへの旧日本軍の戦闘機による爆撃からでした。

 

 この690ヘクタールという広大なキャンプ・ジョン・ヘイも、コラソン・アキノ政権下、1991年9月16日のフィリピン上院による「比米友好協力安全保障条約」批准拒否を受けて、スービックやクラークといった米軍基地同様、1991年から97年までかけて、フィリピンに返還されました。

 そのわずか3週間前の8月27日には、条約に調印し、クラーク基地返還、スービック基地使用10年延長で合意していたのに、です。その年6月9日のピナツボ火山大噴火により、両基地がほぼ使用不能になったことも、米軍基地返還に拍車をかけたとも言われていますが、比米基地協定を終結させたのはフィリピン議会(上院)でした。

 一昨日の「The Day of Baguio City」には、市制101年を祝ったバギオ市…。
 昨年の今日は、「日比国際平和演劇祭」が。バギオ・コンベンション・センターで、『ケノン・ロード』(演劇・ミュージカル)が初演されました。その副題にも「世界平和と調和への道」とあったように、国や人種の違いを認め合い、共存を模索する中で、バギオ市がより繁栄し、より平和な共生社会へ向かっていくように、との願いが込められて企画されたものでした。忌わしい過去を乗り越えて

 約1年間ロング・ステイしたそのバギオ市のグリーン・バレーを下りて、もう1年になります。

バギオ市100周年特集-9月3日が「フィリピン日本友好の日」(バギオ)に


…フィリピンでその財宝の行方が何かにつけ話題とされる山下陸軍大将は、戦時中の彼の行いに対する自責の念と自由を尊び平和を追求する新しい日本に対する理想を伝えるべく、遺言を残したとのことです。
「日本人が、(来るべき)自由社会の中で倫理的判断に基づいて義務を履行すること」「人類を破滅に導く科学ではなく、人類を不幸と困窮から解放するための手段としての科学の追求と教育」「人間教育における母(家庭)としての役割」の大切さ等が書かれているそうです。
 そしてまた、日本の新しい女性像が次のように希求されています。
「平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。」

 ファッシズム、全体主義とは何かを考えさせられる、ずしっと心に響く言葉です。
「自由は、誰からも侵され奪われるものではなく、それぞれが、自分からそれを放棄しようとする時にのみ消滅する…。」

 それでも、太平洋戦争は勃発し、多くの悲劇を生みました。111万人のフィリピン人が命を落とし、フィリピンに派兵された日本人64万人のうち、約50万人が戦死したそうです。

(去年3月のブログアイ!サラマッポ in バギオ記事より)


(追記)9月15日「まにら新聞」より↓
<米軍基地協定:19年前の比米軍事基地協定破棄をあらためて評価する決議案が、下院で提出される。>


シスター「テレジア海野」記念日(第20回)

2009年12月31日 | バギオ市 BAGUIO CITY

 今日12月31日は、シスター「テレジア海野(うんの)」記念日(二十回忌 - Sister Theresia Unno 20th Death Anniversary - )です。

 今日は、バギオ市内の日系人会「アボン会館」で シスター海野のご功績を偲んで記念式典が開催され、ミサが捧げられました。
 シスター海野は、日本各地のミッションスクールで定年まで教員生活を送った後、フィリピンの子供達の世話をしようと、六十歳を過ぎてフィリピンに来られた時に、ルソン島北部のバギオ地区で、すでに太平洋戦争が終わって30年近くが過ぎていたのにもかかわらず、かつての敵国人として、多数の日系人が人目を避けて暮らしている悲惨な実情を目にしました。そこで、彼らを社会に引き戻し、誇りと自信を回復させようと、彼らの父祖である、戦前フィリピンに渡った日本人(日系一世)の偉業を顕彰するための記念碑を建てたり、奨学金制度や農業共同組合を設立したりして、数千人の日系人社会の名誉回復と発展の為に奔走されました。
 その日系人探しに山中を奔走されていた時、旧日本兵の遺骨や遺留品を目にし、「彼らもまた国家のためと信じてこの地を踏んだ人たちだった。異国の地バギオで一命を落とした彼らだが、内心では祖国に残した妻や子ども、年老いた両親を心配しながら倒れていった方たちで、それらの亡骸をこのまま放っておいてよいわけはなかろう。」と、シスターは日系人捜しに注いだのと同じ情熱と執念を傾けて、旧日本兵の遺骨収集に取り組まれたのでした。シスターは、バギオに来て日系人を発見した翌年の1973年から少しずつ遺骨収集に着手し、75年頃から本格的に取り組み、80年頃までずっと続けられたとのことです。
 
遺骨収集に同行した日系二世の女性には、「恥ずかしがらずに、隅っこにいないで、自分自身を認めてもらえるように努力しなさい。何か失敗してもすぐにあきらめないで、再び挑戦しなさい。」と励まし続けたそうです。

 私も、今年8月に、アボン会館で、その遺骨収集の様子や遺骨を荼毘にふし、埋葬される様子を撮影した写真を目にした時は、驚くとともに感極まり、絶句させられました。その遺骨の中に、バギオが陥落するわずか二日前にかの地で命を落とした私の祖父の遺骨があるのは間違いない、と思ったからです。↓

 戦没者遺骨の収集活動と慰霊の碑-故「シスター海野」のご功績(バギオ市)
( 以前のブログ アイ!サラマッポ in バギオ より)

 二年前に亡くなった私の祖母の生まれは、奇しくも故シスター海野と同じ年でした…。
 シスターは、晩年、ガンを患い手術を勧められましたが、「時間がもったいないから。」とそれを拒み、ひたすら日系人社会のために献身して、1989年12月31日、バギオで昇天されました。
 シスターのご功績を偲び、安らかなお眠りをお祈りいたします。

(記事の内容は、JANLで紹介されていたHPを参考に、また一部引用させていただきました。)

 昨年2008年の19回目の記念日の様子↓ 
 http://janl.exblog.jp/7780349/
 (北ルソン日本人会・JANLのHPより)

  今日の第20回シスター海野記念日を、NHKBS1の「地球アゴラ」という番組が取材されたそうです。放映は、来年1月10日の午後10時10分から(日本で)の予定です。お見逃しなく…。

 では、皆様どうぞよいお年をお迎えください。