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家族の第2の原風景 満州・文官屯(ブンカントン)を訪ねて⑤

2006-06-27 22:57:42 | ファミリー
 今回は、このシリーズの最終回です。少し長いですが、我慢して呼んでください。

中国・東北地方雑感

 私は、実は中国旅行は今回がはじめてであった。今回の旅行は、長姉が健康で活発に行動できるうちに家族の第二の原風景である中国満州を訪ね、家族のメモリアルを記録し、それぞれの家族の子供や、孫たちに残しておきたいと思ったからである。特に、私は第二次世界大戦も中国の満州も知らない世代である。私の世代は、親や兄姉の戦争の体験を繋いで、次の世代に戦争を語り継ぐ義務もあると思うし、そのために家族の原風景をこの目に焼き付けておかねばならない。その自覚も大きくあったが、一方では、はじめての中国、それも社会主義から自由経済に移行しようとしている「ダイナミック・チャイナ」にも大いに興味があった。それらのこともあわせて、今回の中国旅行で印象に残ったことを、綴ってみた。

① “勿忘九・一八” 「 九・一八記念館」を訪ねて (瀋陽にて)
瀋陽(旧奉天)の郊外に、「九・一八記念館」がある。瀋陽北駅から文官屯方面へ行く鉄路(旧満鉄)が、一九三一年九月一八日の深夜に関東軍の謀略によって爆破され、それが中国の仕業であるとでっち上げることによって、日本軍が中国大陸に侵略していく契機(口実)とした「柳条湖事件」の勃発した地点近くにある。
中国では、日本の侵略戦争に対する抗日戦争の勝利を記録する『記念館』『博物館』『展示館』のようなものが実にたくさんある。今回の旅行でも一日目の北京の歴史博物館、二日目の長春の「偽満州国国務院」、三日目の「偽皇宮陳列館」、そして四日目の「九・一八記念館」と毎日一回は訪問コースに入っている。いずれも、執拗なまでの抗日、反日の画一的なプロパガンダで、「断頭台」や「斬首現場」「婦女子への残虐行為」や「平頂山事件」「南京事件」などの大量殺戮による山のような遺骸の写真など、旧日本軍の残虐さをこれでもか、これでもかと見せつける。そして、中国共産党の創設と八路軍による抗日戦争と、粘り強い戦いでの勝利と解放の喜び。慈悲深い中国共産党と毛沢東主席は「満州国」の「偽皇帝、愛新覚羅溥儀」を助命し、その後国務院議員になったことなどが画一的に、延々と説明されている。大体どこの『記念館』もそのような内容であるが、日本人観光客向けに、日本語の説明文(時には英文も)が併記されている。ところが、その日本語が非常に不正確でたどたどしいのだが、逆にそのことが妙に展示物のリアリティを演出している。
ついでに日本人観光客を目当てにしている証に、どこの『記念館』『博物館』も『友誼商店』などの土産物店を併設している。しかし『友誼』とは名ばかりで、実際の商品のほとんどは粗悪品で、展示を見て「反省した」日本人に売りつけようとしているのが見え見えで、気の良さそうな人なら法外な値段を請求するという、他の途上国の下町の闇市場とやっていることはたいして変わらない。
ただ、瀋陽の「九・一八記念館」は、建物も新しく、しっかりした日本語と英語の説明看板がつけられてあり、展示内容も他では展示されていない、満州軍閥の張学良への評価と連携や、国民党蒋介石との合従連衡など、文化大革命の時期には抹殺されていた歴史が紹介されている。また、展示場の出口付近には日本のかつての「満州棄民」が寄贈したという『慈母の像』が建立されている。終戦時の「満州棄民」であった子供たちを、心優しい中国の人達が引き取り、暖かく幸せに育てていただいたことに感謝して、後日寄贈された像ということである。涙が出るほど情感にあふれた像であった。ただ、一方では、その何百倍も何千倍もの子供たちの「満州棄民」が、中国の貧農に引き取られ、牛馬のごとくこき使われて、やがて失意と無念のままに満州の土となった人たちがたくさんいることも歴史の事実であり、その責任の所在をあいまいにしてはならないことも忘れてはいけない。
「九・一八記念館」は、建物も新しく近代的で、壁に書かれた、華国鋒の見事な揮毫による“勿忘九・一八”の文字も調和している。中国も近代化に向けて、歴史を正面に見据えようという姿勢の表れと思うが、反日の感情はどこの『記念館』でも一貫したテーマであり、歴史的事実をわれわれは糊塗することはできないだろう。今は、日本の国が、日本人が歴史を正面に見据えなければならない時だと思う。

② 長春・鉄嶺・瀋陽そして大連への鉄道の旅
中国のそれも東北地方(旧満州)の悠久の大地は地平線まで続く一面の緑で、いろんな花が咲き乱れているというのが、姉Hの満州の思い出であった。私もそのことを聞いており、大いに期待して二日目早朝に北京空港からのCA(中国航空)機長春(旧新京)行きの飛行機に乗り込み、わざわざ窓際の開いている後部座席へと移動した。
 飛行機は、やがて高度八千~九千メートルくらいになった。地上のほうを見るとやはり日本と違って、都市や町、水田や森林が殆ど見えない。川と言っても細い幾筋かが水路のようで、あまりきれいでない流れを作っているようだ。地上はというと、四月の末というのに『一面の緑』ではなかった。地平線まで続いているのは、『くすんだピンク色』『少し明るめの黄土色』である。何なんだろう、一面に桜が咲いているのだろうか、などと思っていた。
 二時間弱のフライトで、CA機は長春空港に着陸した。長春空港は、ターミナルビルもなく、トイレも不潔で、また滑走路脇には旧日本海軍のゼロ戦のような雰囲気の戦闘機や、旧式のミグ戦闘機が駐機していたりして、軍事用の空港のような感じである。中国のローカル空港は、どこでもこのようなものなのかとも思ってしまう。長春(旧「新京」)は、旧満州国の旧皇宮があり、愛新覚羅溥儀が執政を行った都市で、日本の施設も多く残っている。旧日本の施設の多くはどこでもそうだが、堅牢で、現在でも中国の政府機関、市、中国共産党の施設として使用されている。大きな都市の駅前には大体「旧 大和ホテル」が現存し、今も活用されている。
 今回のレポートは、それぞれの都市での散策や、観光についていろいろと思うところはあるのだが、少し省略して、わが一行が長春到着の日とその翌日に観光した後、三時間鉄路で、「鉄嶺」へと移動し、そのあとバスで「瀋陽」へ、そして翌日には「瀋陽北駅」から「大連」まで四時間三十分の鉄路の旅を経験し、その印象を残したいと思う。
長春から鉄嶺への旅は『軟座』(昔でいう一等車。二等車は『硬座』という。)の指定席で、長春駅では「軟座」専用の待合から通路を通って列車に乗り込み、快適な汽車の旅であった。ところが、二日目の瀋陽北駅からの汽車は『軟座』の指定席であったのだが、始発の瀋陽駅からすでにデッキに溢れるほどの大勢の中国人乗客が乗り込んでおり、なんとわれわれの指定席はすでに中国人一行に占拠され、大声で怒鳴り合うように話しているではないか。わが一行のガイドは彼らと激しく遣り合っている。普通の感覚では、われわれが指定席を確保しているのだから、彼らは文句を言わずに退けば良いのだが、『ひょっとすると指定席券の二重発券かな』と思うほど、彼らの剣幕は激しい。ところが、しばらくするとあきらめたのか、捨て台詞のようにぶつぶつ行って、席を立っていった。
指定席はデッキの近くにあり、席に座っていると、今度はデッキのほうで別の中国人がまるで喧嘩をしているかのように言い合っている。相手は女性の車掌である。ガイドの話では、切符なしで乗り込もうとしているとのこと。中国人は、ものすごい剣幕で怒鳴っているが、女性車掌もまったく負けていない。五分位の恐ろしいやりとりの挙句、中国人はあきらめて下りていったようだ。『ここは中国なんだ。中国のネゴシエーションはこうなんだ。おとなしくしていると負けだ。』と、つくづくと改めて思った。

さて、長春から鉄嶺、瀋陽北から大連への鉄路の旅で、地平線まで続く緑の草原はどこにもなかった。『くすんだピンク色』は中国の大地の色。空から見た『くすんだピンク色』は、実は『淡い黄土色』で、それは中国の大地の色だった。今は四月三十日~五月一日であり、日本の感覚では新緑が萌え出す季節である。ところが汽車の窓からは、所々集落があり、その周辺は荒れた土地とか禿山しかない。思うに、第二次世界大戦後、人民公社や合作社が『開墾』のために、木を切り倒し、山を焼き、ありとあらゆる大地を掘り起こしたのではないだろうか。その挙句、大地の保水力もなくなり、雨も降らなくなってきたのではないか。鉄嶺への旅で雨が降っていたが、今年になってはじめての雨ということである。
鉄路に沿って、有刺鉄線が張られている。その有刺鉄線に野積みにされたポリ袋に入ったゴミがいっぱい絡み付き、大陸の風にあおられている。最初はなんだろうか、ちょっとした装飾かと思ったが、よく見ればゴミ袋とゴミの山である。インフラが整備されていない。近代化を目指す中国の大きな課題だろう。

③ ビル建設の「猛ラッシュ」
今回訪問した都市は、北京、長春、鉄嶺、瀋陽、そして大連等であり、それぞれの都市で観光と散策を行った。どこの都市も新しい中国の経済発展を象徴するかのように、ビル建設の『猛ラッシュ』であった。それも高層・超高層のビル群で、一方では古ぼけた家々や胡同(フートン・古い集落)が壊され、瓦礫となって行き、その喧騒さに輪をかけているようだ。人々は町に溢れ、中国独特の大声の騒々しさで大変な賑わいで活気に溢れていた。長春では自動車とリヤカーの接触事故が目前であり、見ているまに大勢の野次馬が周りを取り囲み、関係ない人までもが、大声で怒鳴りあっている。
 中国は市場経済や近代化に進んでいるとはいえ、未だ社会主義国である。土地などの私的所有は認められていない。いったいあの建築ラッシュのビル群の『オーナー』や『資金源』はどうなっているのだろうかということは、私の大いなる疑問であった。
 ガイドの話によると、資金源は『国債』ということであり、その引き受け手は政府や市の高官、市長、万元戸などだそうである。と言うと日本でいう第三セクターとも違った、公設、公営のビルとなり、それを一部中国企業や、日本をはじめとした外国企業へのテナント貸し、公共機関等に活用されるのだろう。『オーナー』にとっては『信託事業』のようなものかもしれないが、一方では『国債』の償還がある。数十年先に償還するとなれば、今後の中国は『ハイパーインフレ』の道を歩まねば仕方がないだろうし、また外国資本が導入されていれば、元の引き上げもされなければならないだろう。
 いずれにしても、それぞれの都市には新しい中国の熱気が溢れ出している。市場経済化と近代化の道を歩みだし、人的資源、天然資源の豊富さによって、二十一世紀の第三世界の核となるであろう中国の発展を私は望んでいる。そして、日本との古き友人として、今後のパートナーシップが太くなっていくことを、望んでいる。


-ゆかりの地としての中国東北地方旅行の全行程-

4月28日 8:00関西国際空港集合⇒10:00JAL785便⇒12:05北京空港着 (現地時間-日本との時差はマイナス1時間) ⇒13:20昼食 (美女キ都大酒店) ⇒15:00北京大学散策⇒16:25中国革命博物館・歴史博物館 (但し、タイムアウトのため外から見学) ⇒16:35天安門広場・故宮(タイムアウトのため外から見学)散策⇒17:10革命博物館内友誼商店⇒18:10王府井散策⇒19:00宿舎「廣西大厦」チェックイン

4月29日 6:30宿舎発⇒8:00北京空港よりCA (中国航空) 1609便⇒9:45長春空港 (約25分離着陸の遅れ) ⇒水口氏ゆかりの学校(現在、人民解放軍の士官学校)望見、バスより旧「満州国」施設の観光 (殆どが、現在も中国共産党や、吉林省政府施設として使用しており一般公開していない) ⇒10:40偽満州国国務院見学⇒12:00昼食⇒13;10南湖大橋⇒14:00長春電影宮 (旧満映、当時は東洋最大の映画のオープンセット) ⇒15:20喫茶⇒16:00實城子跡見学 (SGさんの祖父の弟、画家金山氏が描いた旧駅舎) ⇒16:50旧日本人街吉野町等散策後、宿舎「春誼賓館」チェックイン。その後再度宿舎南方面散策、旧室町小学校 (現在も使用) 、新京神社跡等

4月30日 8:00宿舎発⇒9:00偽皇宮陳列館(吉林省博物館はリニューアル工事中)見学⇒11:00昼食 (春誼賓館、迎賓楼) ⇒12:20長春駅発 (鉄路にて) ⇒15:20鉄嶺着⇒16:00鉄嶺第一小学校、市内をバスにて観光後、高速道路を瀋陽へ⇒17:15文官屯 (瀋陽の北部市街地) 五十川家ゆかりの地を散策⇒18:30宿舎「鳳凰飯店」チェックイン

5月 1日 6:00北稜公園散策⇒8:00宿舎発⇒8:15九・一八記念館見学⇒9:40瀋陽故宮博物院⇒10:50土産物店⇒11:40昼食⇒13:40瀋陽北駅発 (鉄路にて) ⇒18:10大連駅着⇒18:40宿舎「国際酒店」チェックイン、夜中山広場散策

5月 2日 7:00大連市内散策⇒9:00宿舎発⇒9:15大連港役場⇒10:30東北財経大学⇒11:10大連自然博物館⇒12:00フェアウェル・ランチ⇒13:00大連空港、搭乗手続き⇒14:15大連空港よりJAL790便⇒17:10関西空港着 (日本時間、中国との時差プラス1時間)

                                 (完)

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