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家族の第2の原風景、満州・文官屯(ブンカントン)を訪ねて④

2006-06-22 22:27:21 | ファミリー
 本日は、満州・文官屯を訪ねての第4回目の寄稿です。

兄J (一九四〇年一月生 )は大変な腕白であった。文官屯の官舎は金網のフェンスが張り巡らされていたが、その金網を乗り越えて「満州人」の集落まで行き、「満州」の子供達と遊んだ。パンや饅頭のようなものをよく貰った。神社の大木に登りカラスの卵を取ったりして子供たちの「ガキ大将」であったが、母親の心配は並大抵でなかったようだ。カラスの卵は青色で、卵を取っている最中には必ずつがいのカラスが襲ってくる。それを、はらいのけて取った卵を飲んだのだが、受精卵のため、羽毛の生えた雛が中にあることも良くあったとのことである。小学校一年生の時授業が終わると姉の教室の前まで行って待っていた。兄が一年生の時に終戦を迎え、子供たちは集団で官舎まで登下校したが、学校帰りに官舎の門番のおじさんにいつも兄だけ肩車され、かわいがられた。もっとも、父親がかなりランクの高い技術者であったことも、「ひいき」の要因の一つかもしれない。兄の記憶では、「文官屯駅」は客の乗降用の駅ではなく、物資・貨物の集配駅とのことであるが、今回の訪問で兄の記憶の方がイメージが重なるように思う。兄は、敗戦で「引き揚げ」の時、腸チフスの一種で「満州チフス」といわれた病気に罹患し、高熱・血便で真に生死の境をさまよったが、卓抜した生命力で耐え抜いた。これも、母親にとって「引き揚げ」の極めて困難な状況下のことであり、先に述べたように「異国の地で死なせてはならない。日本海に流してはならない。何とか家族全員生きて日本に戻れるように」と、大変な心労と、プレッシャーであったことだろう。

長兄H(一九三七年三月生)は、「引き揚げ」後大阪で中学校、高等学校と進学したが、一九五四年七月、一八歳の時に盲腸炎をこじらせ、腹膜炎を併発して病死した。我慢強く責任感の強い人間で、自分の学費の一部にと夜間に日本経済新聞社でアルバイトをしながら家計を支えていた。腹痛にも我慢に我慢を重ねていたのであろうが、現在の医学ではまず死に至ることは無いだろう。痛恨の思いである。同時に文官屯の思い出の大事な大事な視座も、一つ欠落してしまった。

父 (明治四十年・千九百七年生) は一九六七年七月、三度目の脳溢血の発作で死亡した。父にとって満州は自分の夢とロマンを思いのたけ実現させる事のできた、最高のフィールドであり、ステージであったのだろう。敗戦後、否応無く迫られた現実の環境とのギャップに、器用に自分を調和させることができなかったのだろうが、随分と自分勝手な生き方をしてきた。一九六一年に最初の脳溢血で倒れた後、家でリハビリをしながらテレビで「満州」の画像や、「引揚者」達の話題が放映されると、涙を流し、時には嗚咽しながら凝視していた。

姉T (一九四四年十月生 )は、現地で出生。乳飲み子のまま、新しく増えた家族として「満州」から「引き揚げ」てきた。その時は、姉Hがずっと背負ってきたとのことである。

私は、戦後の混乱がまださめやらない一九四八年十二月、「大阪市大淀区大仁本町一丁目一〇一番地」の小学校を利用した「引揚者用合同住宅」で出生。
姉Tが出生した時には、すでに日本は第二次世界大戦に敗れ「満州」全域は「ソ連軍」や「八路軍」が侵攻し、中国大陸の新たな勢力再分割が怒涛のように押し寄せてきていた。母は、乳飲み子のTを片時も離さず、家族離れ離れになることなく翌一九四六年六月の「引き揚げ」に必至の思いで辿り着くことができた。「引き揚げ」の時には、兄Jの腸チフス(「満州チフス」)の発症という過酷な精神的重圧にも耐え、飢餓などの大変な苦労を乗り越えてきた。そして、舞鶴到着後、父市太郎の本家筋の故郷である、石川県鹿島郡能登中島に七月十二日に到着し、兄Jも何とか小康状態となり、新たな家族史が始まるが、その軌跡は別の機会に記録する。
この母親を軸とした家族の絆は、家族それぞれが生命の重みを持って経験し、共有し合ってきたことによって、今ある家族の絆の珠玉の原点となっているといえよう。「満州国奉天市趙家溝区文官屯藤見町七丁目一-八」はその意味で、私達の家族にとって第二の故郷の原風景の場である。

翌早朝六時、メーデーの休日でにぎわう瀋陽市北稜公園に、姉と連れ合いと私の3人で散歩に出かけた。雑踏の喧騒がつぎからつぎへと溢れ出てくる瀋陽の休日の公園、その朝の空気をたっぷりと吸い込み、この地の名残とした。

                           (続く)

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