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イスラームの支柱 『神助受けし明証』より

2010年03月11日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第6項目「イスラームの支柱(アルカーン・アルイスラーム)」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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أركان الإسلام
أحكموا أعمالكم على الأركان الخمسة التي بني عليها الإسلام. قال رسول الله صلى الله عليه وسلم "بني الإسلام على خمس، شهادة أن لا إله إلا الله وأن محمدا رسول الله، وإقام الصلاة، وإيتاء الزكاة، وحج البيت، وصوم رمضان
رواه البخاري ومسلم عن آبى عبد الرحمن عبد الله بن عمر رضي الله عنهما عن رسول الله صلى الله عليه وسلم
إياكم ومحدثات الأمور. قال عليه الصلاة والسلام: من أحدث في أمرنا هذا ما ليس منه فهور رد
رواه البخاري ومسلم عن أم المؤمنين السيدة عائشة رضي الله عنهما
عاملوا الله بالتقوى وعاملو الخلق بالصدق وحسن الخلق، عاملو أنفسكم بالمخالفة وقفوا عند الحدود ﴿وَأَوْفُوا بِعَهْدِ اللَّهِ إِذَا عَاهَدْتُمْ﴾ (النحل 91
وَمَا آتَاكُمُ الرَّسُولُ فَخُذُوهُ وَمَا نَهَاكُمْ عَنْهُ فَانْتَهُوا﴾ (الحشر 7)


イスラームの支柱

諸君の行いをイスラームが据え置かれた五つの柱で判断しなさい。
ラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)はこのように言われたという。
『イスラームは五つのものの上に建てられています。
アッラーのほかに神はなく、
ムハンマドはその御使いであると証言し、
礼拝を確立し、
ザカー(定めの喜捨)を支払い、
館を巡礼し、
ラマダーンの断食(斎戒)をすることです。』 
(イマーム・アルブハーリーとイマーム・ムスリムが教友アブドッラー・ブン・ウマルさまにまで遡るハディースとして伝承)

 新奇なものには気をつけなさい。かの人(祝福と平安あれ)はこのように言われている。
『私たちのこの事(イスラーム)において、由来のない新奇なものをもたらした人は、受け入れられません。』
(イマーム・アルブハーリーとイマーム・ムスリムがアーイシャさまにまで遡るハディースとして伝承)

 アッラーとはタクワー(畏敬の念;お怒りに触れまいと恐れながら自分の身を守ろうとする気持ち)で、
生きとし生けるもの(ハルク・被造物)とは誠実さとよい人となりでもって接しなさい。
そして諸君自らとは違反(ムハーラファ))で接し、
定められし境界線(フドゥード)でしかと立ち止まるのだ。

『ひとたび誓約を結んだならば、アッラーの誓約をしかと守りなさい。』(ナハル章91節)

『使徒が汝らにもたらしたものはそれを取り、禁じたものはそれをやめなさい。』(ハシュル章7節)


【訳者所感】
アルハムドゥリッラー、私自身はここでは特に「アッラーとはタクワー(畏敬の念;お怒りに触れまいと恐れながら自分の身を守ろうとする気持ち)で、
生きとし生けるもの(ハルク・被造物)とは誠実さとよい人となりでもって接しなさい。
そして諸君自らとは違反(ムハーラファ))で接し、定められし境界線(フドゥード)でしかと立ち止まるのだ。」というリファーイー師のお言葉が胸に沁みました。

誠実さと訳したスィドゥクとは、「裏表のないこと」だと言われます。
本音と建前を上手に使いこなすのが日本社会の常識ではありますが、できるだけ言葉を選びながら本音で生きていきたいものです。
少なくとも、マスジド・ネットワーク等日本でもムスリム同士の横のつながりの大切さが課題提起されるようになった今日だからこそ、ムスリム同士のお付き合いはかくありたいと思います。

それから心を鷲掴みにされたのが、「諸君自らとは違反で接しなさい」という一言です。
諸君自らとは私たちの自我(ナフス)、心を意味します。それとは違反で接せよとは、とかく易きに流れやすく、自分には甘くなりがちな自我の言うことを聞くな!ということです。

私たちが生きる現代社会には、「誇大自己症候群」という病名が付けられるくらい、私たち人間の自我がブクブクと太らさられる傾向が強くあります。
流行りのスピリチュアルものにありがちな「ありのままのあなたでいいんだよ」といった言葉が受けるのはその典型的な社会現象で、
私たちムスリムは本物の救済力をもった本物のスピリチュアリティを内包するイスラームの伝道者として一線を画した自覚をもっておきたいものです。

イスラームが教えてくれるのは、全知全能かつ誰よりも慈悲深いアッラーを前にありのままの自分をすべてさらけ出し、委ねることで、
どんなに自己嫌悪したって他の誰でもないアッラーが僕を/私を創ってくださったんだから、お前はお前でいいんだと「自分を自分で受け入れること」であり、
それからアッラーが私たちを包み込んでくださるその大きな慈悲と恵みに少しでもお応えできるように、「がんばれ!アッラーの愛に愛で応えるんだ!」と
「自分に自分ではっぱをかけること」ではないかと思います。

だからそこには、アッラーに受け入れられる安らぎと、恩返しをしようという向上心がある。アッラーフ アァラム。
アルハムドゥリッラー、イスラームに導いていただけて、本当によかったと思います。
(これは私やムスリムがスゴイというわけでは全然ありません。ただただアッラーの御恵みとお導きに感謝したい、ただそれだけです)

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム


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