そして知るがよい。
善くも悪くも、カダル(定命)すべてを信じるまでは、
信仰の味を見出すことはないということを。
真理(ハック)を語る人、行う人となるのだ。
そうすれば、アッラーがお前を光(ヌール)と心眼(バスィーラ)において富ませてくれよう。
罪に陥り、アッラーのお怒りに触れてしまうからである。 『汝らが自ら行わないことを語るのは、 アッラーの御許では忌み嫌われること甚だしい。』(アッサッフ章3節) また、アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)も言われた。 「説教をし、自ら啓発されることなく、 非難し自ら自粛することなく、 禁じて自らやめることなき人は、 アッラーの御許では敗北者の一人です。」
それを命じながら、自ら遠ざかるようであってはならない。
敬虔な理知の人(アーキル・タキー)のほか交流をもってはならない。
心眼をもつ知者(アーリム・バスィール)のほか同席してはならない。
預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は、
「我々のうち、どの人と共にいるのがよいでしょうか。」と尋ねられ、お答えになった。
「見ただけでアッラーを思い出させてくれる人、
その話しぶりが知識を高めてくれる人、
その行いがあの世を思い出させてくれる人です。」
真理には謙虚であり、それに服従せよ。
アッラーを念じることを常とせよ。
そうすれば、かの御方との近しさを得られよう。
「審判の日にアッラーと共にいる人たち、 それは服従する人たち、 謙虚な人たち、 恐れおののく人たち、 アッラーを数多く念じる人たちです。」
アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)は言われた。
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【訳者のつぶやき】
見ただけでアッラーを思い出させてくれる人、
その話しぶりが知識を高めてくれる人、
その行いがあの世を思い出させてくれる人…
もし皆さんがそんな人を一人でも実際に知っているとしたら、
ものすごく幸運なことです。
言われるまでもないでしょうが、アッラーに感謝してください。
そしてまだそんな人にはお目にかかったことがないという人は、
そうした人に出会うために自ら足を運ぶ時間とお金、労力を惜しまないこと。
「人との出会いが自分の人生を変える!」…これは世間一般でも事実として見聞きすることです。
ましてやそれが「真主へといざなってくれる人との出会い」であれば、
その衝撃と感動はいかほどのものでしょう。
願わくはそうした人との時間を
お優しきアッラーが毎日わたしたちにお恵みくださいますように。
当分そんな人に会えそうもないという人は、
クルアーンの中に、
ハディースの中に、
先達の伝記の中に見出すことも妙案かと思います。
アッラーフ アァラム。
皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
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