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正道を望む者たちの書(試訳第1回) Risaalah Al-Mustarshideen

2011年10月19日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ

『リサーラ・アルムスタルシディーン(正道を望む者たちの書)

イマーム・アルハーリス・アルムハースィビー(H.243)

 

 

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において

 

アブー・アブドッラー・アルハーリス・ブン・アサド・アルムハースィビー(アッラーのお慈悲あれ)は言った。

最初(アルアウワル)にして時を越え古き御方(アルカディーム)、唯一(アルワーヒド)にして荘厳なる御方(アルジャリール)、似たものも類するものもなき御方、アッラーにこそすべての称讃あれ。かの御方の御恵みに報い、その恵みの数々がおよぶところに達するほどの称讃でもって私はかの御方を讃えよう。

そして私は証言する。アッラーのほかに神はなく、かの御方は唯一にして並ぶものなき御方であるということを、かの御方こそが主であることを知る者かつかの御方はあくまでも唯一であることを知る者の証言で。さらに私は証言する。ムハンマドがかの御方のしもべかつ使徒であり、啓示のために選び抜かれ、数々の預言者の封緘とされ、生きとし生けるものすべてに対する証とされたお人であるということを。『それは死にゆく者を明らかな証によって死なせ、生き長らえる者を明らかな証によって生き長らえさせるためである。まことにアッラーはすべてを聞き、すべてを知る御方』(8戦利品(アンファール)章第42)

 

さて、知るがよい。威厳かつ荘厳さに満ちたアッラーはそのしもべたちの中でも「思慮のある信徒たち」、「かの御方を知り、そしてかの御方の命を知る者たち」を選び抜かれ、忠誠さ、高い仁徳、恐怖と畏怖で描きながら、威厳に満ちいと高くおわすかの御方は仰せられている。『思慮ある者だけが、訓戒を受け入れることができよう。それはアッラーの約束を守り、契約に違反することなき者たちで、結ばれるようアッラーが命じられる者とつながり、己の主を畏れ、悪しき清算を恐れる者たちである。』(13雷電(ラアド)章第19-21)

 

よってアッラーがその胸を信仰へと広げてくださり、信じて疑念なく受け入れる気持ち(タスディーク)が自らの心へと達し、かの御方へ近づくための手段(ワスィーラ)を欲するようになった者には、至高のアッラーの書とかの御方の預言者の道(スンナ)‐祝福と平安あれ‐かつ指導者(イマーム)たちのうち正しく導かれた者たちが合意するシャリーア(イスラームの教え)の枠組みをわきまえながら、思慮ある者たちの道(ミンハージュ・ザウィ・ル・アルバーブ)が不可欠である。

これこそがまっすぐな道であり、威厳と尊厳に満ちたかの御方御自らが、『本当にこれこそわたしの正しい道。それに従うのです。ほかの様々な道に従ってはなりません。それらはかの御方の道からあなたたちを離れ離れにさせるでしょう。このようにかの御方は命じられます。きっとあなたたちも恐れ畏むでしょう。』(6家畜(アンアーム)章第153)との言葉でそのしもべたちをいざなわれたものである。

 

アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)も言われている。

「皆さんは私の道、そして私の後正しく導かれし後継者たちの道を大切にしなさい。奥歯で噛みついてでもです。」(イマーム・アハマド、アッティルミズィー、イブヌ・マージャが教友アルイルバード・ブン・サーリヤ・アッスラミー(アッラーのご満悦あれ)の伝えるハディースとして伝承)

 

 そして知るがよい。アッラーの書が義務づけるものとは、命令と禁止といったその定めを実践し、その警告を恐れ、その約束を期待し、その比喩を信じ、その物語と例えを考慮することであると。もしそれらを果たしたならば、無知の闇から知の光へ、疑念の懲罰から確信の魂へと抜け出せるであろう。語るに荘厳なアッラーは仰せられている。『アッラーこそ信じる者たちの友であり、暗闇から光へと導き出される御方。』(2:257)

 

    そうしたことにおいて際立ち、意欲をもって臨む者たち、それはアッラーについて理解する理性の人たちに他ならない。すなわち表面的なことを制御し、疑わしいものからは身を遠ざける者たちである。アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)は、「ハラール(許されたもの)は明らかであり、ハラーム(禁じられたもの)も明らかだが、その間には曖昧なものがある」と言われている。それを放っておくことは、得ることよりも素晴らしいのだ。

 

ニーヤ(心持ち)を見極めよ。そして本望を知るのだ。報われるのは、あくまでも気持ち次第である。アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)は言われている。「まことにあらゆる行いは心持ち次第である。すべての人は、自らが意図したものを得るだろう。」

 

タクワッラー(アッラーの畏れ)を常とせよ。ムスリムはムスリム皆がその人の舌先と手から安全でいられる者であり、ムゥミンとは人々がその人の害から安んじていられる人だからである。アブー・バクル・アッスィッディーク(アッラーのご満悦あれ)は言った。「アッラーを畏れよ、かの御方に忠実であることで。アッラーに従え、かの御方を畏れることで。ムスリムたちの命からは己の手を、財産からは己の欲を、名誉からは己の口を遮るのだ。」

 

思うたびに、自分を省みよ。

息を吐くたびに、アッラーに見られていることを自覚せよ。

ウマル(アッラーの祝福と平安あれ)は言った。

「裁かれる前に、自らを裁け。(行いを天秤に)量られる前に量れ。お前たちの秘密も何一つ隠し通すことのできない日、最大の見せ場(審判の日)のために、しかと着飾るがよい。」

 


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1 コメント

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tam1aziz@gmail.com (عزيز)
2011-10-22 07:16:21
جزاك الله خيرا ووفقك لما يحب ويرضى.
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