日本のイスラーム (Islam in Japan)

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信仰と我欲 『神助受けし明証』より

2010年03月17日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ

アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。

 さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、

第8項目「信仰と我欲」についての拙訳です。

              ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において

我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。

我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。

願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。

そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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 الإيمان والهوى

 أي سادة! عظّموا شأن نبيكم، هو البرزخ الوسط الفارق بين الخلق والحق، عبد الله، حبيب الله، رسول الله، أكمل خلق الله، أفضل رسل الله، الداعي الى الله، المخبر عن الله، الآخذ من الله، باب الكل إلى الحظيرة الرحمانية، وسيلة الكل إلى الحظيرة الصمدانية، ومن اتصل به اتصل، ومن انفصل عنه انفصل. قال صلوات الله وتسليماته: "لا يؤمن أحدكم حتى يكون هواه تبعا لما جئت به"

信仰(イーマーン)と我欲(ハワー)

諸君!そなたたちの預言者を大切にしなさい(直訳:諸君の預言者の事柄を偉大なものとしなさい)。

かの人こそは創られしもの被造物と真理なる御方を区別するバルザフ(合間)であり、

アッラーのしもべかつアッラーの愛する人、

アッラーの御使いにしてアッラーの被造物の中でも完璧な人、

アッラーの使徒たちの中でも最良の使徒、

アッラーへといざなう人(ダーイー)、

アッラーについて知らせる人、

アッラーより(万事を)得る人、

慈悲の王国へと至る皆にとっての門であり、

無限の王国へと至る皆にとっての仲介である。

誰であれかの人とつながった者は(アッラーと)つながり、

かの人から離れた者は(アッラーから)離れてしまう。

曰く(アッラーの祝福と数々の平安あれ)、『皆さんの好みがわたしのもたらしたものに従うようになるまでは、

誰も本当の意味で信じているとは言えません。』

(アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アルアースさま~アッラーのご満悦あれ~にまで遡る伝承として

イマーム・アンナワウィーが「アルフッジャ(証)」の中で正しい伝承として伝えるハディース。

イマーム・イブヌ・ラジャブほか、このハディースをダイーフ(信憑性の低い伝承)と判断する学者もいるが、意味内容は正しいものとされる)

 

 【訳者のつぶやき】

『誰であれかの人とつながった者は(アッラーと)つながり、 かの人から離れた者は(アッラーから)離れてしまう。』 ・・・肝に銘じておきたい言葉です。

 我流ではなく、預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)とつながった師や先達に学ぶ…

これがイスラーム学の王道だと改めて認識し直した気がします。

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。

アブー・ハキーム


第3回東京ムスリムネットワーク懇親会(3月14日)

2010年03月17日 | ムスリム同胞との交流活動
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。

アルハムドゥリッラー、3月14日の晩、池袋の「月の砂漠」レストランにて
第3回目の東京ムスリムネットワーク懇親会が開かれました。

私を含めて9人もの20代から30代の若手日本人ムスリムが揃う機会に居合わせたことは
いまだかつてありませんでしたから、感動で身震いしてしまったくらいです。

しかも日本人ムスリム男性に見られがちな相手への「壁」はなく、
お互いに親しみを込めて満面の笑みを交わし合うような集まりでしたから感動もまた一入です。

女性間の同胞付き合いは素晴らしく、
普段から各自が係わっている団体の垣根を越えた集いである「東京ムスリマネットワーク」はもう何年も前からあって、
毎年東京ジャーミィでのチャリティーバザー開催など活躍していますが、その男性版がようやくできそうです。

当面は特にこれといった活動はせず、まずは会って一緒にごはんを食べるといった交流を重ねたいと思います。

皆さん、日本人ムスリムの「男たち」の間にも、ムスリムらしい同胞愛の絆が育つことをお祈りください。


アッラーへの道 『神助受けし明証』より

2010年03月13日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。

さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第7項目「アッラーへの道」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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الطريق إلى الله تعالى
إياكم والكذب على الله والخلق، فإن الدعوى كذب على الله وخلقه!
كل العبودية معرفة مقام العبدية، الدين عمل بالأوامر، واجتناب عن النواهي، وخضوع وانكسار في الأمرين: العمل بالأوامر يقرّب إلى الله، والاجتناب عن النواهي خوف من الله
طلب القرب بلا أعمال، محال وأي محال! الخوف مع الجرأة فضيحة
أطلبوا الله بمتابعة رسوله صلى الله عليه وسلم، وإياكم وسلوك طريق الله بالنفس والهوى، فمن سلك الطريق بنفسه ضلّ في أول قدم

至高のアッラーへの道

アッラーとその被造物への嘘には気をつけなさい。
(正しい根拠のない)喧伝はアッラーへとその被造物への嘘に他ならないのだ。
ウブーディーヤ(しもべたること)のすべてはアブディーヤ(しもべらしさ)のマカーム(境地)を知ることである。
宗教とは命じられたことを行い、禁じられたことを避け、二つの命に謙虚に身を慎むことであり、
二つの命のうち命令実践はアッラーへと近づけてくれ、禁止敬遠はアッラーへの恐れとなる。

実践なしに(アッラーとの)近しさを求めるのは、言うまでもなく不可能だ!
大胆さを伴う恐れは恥である。
アッラーを求めよ、その御使い(アッラーの祝福と平安あれ)に従順であることによって。
アッラーの道を自我(ナフス)と欲望(ハワー)で歩んではならない。その道を自我によって歩む者は、最初の一歩から踏み誤ってしまうからである。



≪訳者のつぶやき≫
これなどは、書物やインターネット情報だけでなく、いかに先生についてイスラームを学ぶことが大切かを教えてくれているようですね!


それでは、皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム


イスラームの支柱 『神助受けし明証』より

2010年03月11日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第6項目「イスラームの支柱(アルカーン・アルイスラーム)」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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أركان الإسلام
أحكموا أعمالكم على الأركان الخمسة التي بني عليها الإسلام. قال رسول الله صلى الله عليه وسلم "بني الإسلام على خمس، شهادة أن لا إله إلا الله وأن محمدا رسول الله، وإقام الصلاة، وإيتاء الزكاة، وحج البيت، وصوم رمضان
رواه البخاري ومسلم عن آبى عبد الرحمن عبد الله بن عمر رضي الله عنهما عن رسول الله صلى الله عليه وسلم
إياكم ومحدثات الأمور. قال عليه الصلاة والسلام: من أحدث في أمرنا هذا ما ليس منه فهور رد
رواه البخاري ومسلم عن أم المؤمنين السيدة عائشة رضي الله عنهما
عاملوا الله بالتقوى وعاملو الخلق بالصدق وحسن الخلق، عاملو أنفسكم بالمخالفة وقفوا عند الحدود ﴿وَأَوْفُوا بِعَهْدِ اللَّهِ إِذَا عَاهَدْتُمْ﴾ (النحل 91
وَمَا آتَاكُمُ الرَّسُولُ فَخُذُوهُ وَمَا نَهَاكُمْ عَنْهُ فَانْتَهُوا﴾ (الحشر 7)


イスラームの支柱

諸君の行いをイスラームが据え置かれた五つの柱で判断しなさい。
ラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)はこのように言われたという。
『イスラームは五つのものの上に建てられています。
アッラーのほかに神はなく、
ムハンマドはその御使いであると証言し、
礼拝を確立し、
ザカー(定めの喜捨)を支払い、
館を巡礼し、
ラマダーンの断食(斎戒)をすることです。』 
(イマーム・アルブハーリーとイマーム・ムスリムが教友アブドッラー・ブン・ウマルさまにまで遡るハディースとして伝承)

 新奇なものには気をつけなさい。かの人(祝福と平安あれ)はこのように言われている。
『私たちのこの事(イスラーム)において、由来のない新奇なものをもたらした人は、受け入れられません。』
(イマーム・アルブハーリーとイマーム・ムスリムがアーイシャさまにまで遡るハディースとして伝承)

 アッラーとはタクワー(畏敬の念;お怒りに触れまいと恐れながら自分の身を守ろうとする気持ち)で、
生きとし生けるもの(ハルク・被造物)とは誠実さとよい人となりでもって接しなさい。
そして諸君自らとは違反(ムハーラファ))で接し、
定められし境界線(フドゥード)でしかと立ち止まるのだ。

『ひとたび誓約を結んだならば、アッラーの誓約をしかと守りなさい。』(ナハル章91節)

『使徒が汝らにもたらしたものはそれを取り、禁じたものはそれをやめなさい。』(ハシュル章7節)


【訳者所感】
アルハムドゥリッラー、私自身はここでは特に「アッラーとはタクワー(畏敬の念;お怒りに触れまいと恐れながら自分の身を守ろうとする気持ち)で、
生きとし生けるもの(ハルク・被造物)とは誠実さとよい人となりでもって接しなさい。
そして諸君自らとは違反(ムハーラファ))で接し、定められし境界線(フドゥード)でしかと立ち止まるのだ。」というリファーイー師のお言葉が胸に沁みました。

誠実さと訳したスィドゥクとは、「裏表のないこと」だと言われます。
本音と建前を上手に使いこなすのが日本社会の常識ではありますが、できるだけ言葉を選びながら本音で生きていきたいものです。
少なくとも、マスジド・ネットワーク等日本でもムスリム同士の横のつながりの大切さが課題提起されるようになった今日だからこそ、ムスリム同士のお付き合いはかくありたいと思います。

それから心を鷲掴みにされたのが、「諸君自らとは違反で接しなさい」という一言です。
諸君自らとは私たちの自我(ナフス)、心を意味します。それとは違反で接せよとは、とかく易きに流れやすく、自分には甘くなりがちな自我の言うことを聞くな!ということです。

私たちが生きる現代社会には、「誇大自己症候群」という病名が付けられるくらい、私たち人間の自我がブクブクと太らさられる傾向が強くあります。
流行りのスピリチュアルものにありがちな「ありのままのあなたでいいんだよ」といった言葉が受けるのはその典型的な社会現象で、
私たちムスリムは本物の救済力をもった本物のスピリチュアリティを内包するイスラームの伝道者として一線を画した自覚をもっておきたいものです。

イスラームが教えてくれるのは、全知全能かつ誰よりも慈悲深いアッラーを前にありのままの自分をすべてさらけ出し、委ねることで、
どんなに自己嫌悪したって他の誰でもないアッラーが僕を/私を創ってくださったんだから、お前はお前でいいんだと「自分を自分で受け入れること」であり、
それからアッラーが私たちを包み込んでくださるその大きな慈悲と恵みに少しでもお応えできるように、「がんばれ!アッラーの愛に愛で応えるんだ!」と
「自分に自分ではっぱをかけること」ではないかと思います。

だからそこには、アッラーに受け入れられる安らぎと、恩返しをしようという向上心がある。アッラーフ アァラム。
アルハムドゥリッラー、イスラームに導いていただけて、本当によかったと思います。
(これは私やムスリムがスゴイというわけでは全然ありません。ただただアッラーの御恵みとお導きに感謝したい、ただそれだけです)

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム


誠実さの益 『神助受けし明証』より

2010年03月11日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第5項目「誠実さの益(ファワーイド・アンナスィーハ)」についての拙訳です。

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慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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فوائد النصيحة
أي سادة أطلبو الله بقلوبكم، هو أقرب إليكم من حبل الوريد، أحاط بكل شيء علما
الدين النصيحة
إذا قلتم: لاإله إلاالله، فقولوها بالاخلاص الخالص من الغيرية، ومن خطورات التشبيه والكيفية والتحتية والفوقية والبعدية والقربية
وخذوا نتائج الأعمال بخالص النية. فقد قال سيد البرية عليه أفضل الصلاة والسلام والتحية
إنما الأعمال بالنيات. وإنما لكل امريء مانوى. فمن كانت هجرته إلى الله ورسوله فهجرته إلى الله ورسوله، ومن كانت هجرته إلى دنيا يصيبها أو امرأة ينكحها فهجرته إلى ما هاجر إليه


誠実さの益

諸君!アッラーを心で求めるのだ。
かの御方は『頸動脈よりもそなたたちに近く(カーフ章16節)』、『すべてを知で覆われておられる。(アッタラーク章12節)』
『宗教とは、誠実さである。』
それゆえ諸君がラーイラーハイッラッラーと唱えるときは、ほかの存在を頼る気持ち(ガイリーヤ)を洗い流したイフラース(純真な気持ち)で唱えなさい。
物理的比喩や状態描写、下やら上やら遠いやら近いやらにこだわり過ぎる危険性を取り除いた純真な気持ちで唱えなさい。
何をするにおいても澄んだ気持ち(ニーヤ)で結果を臨むのだ。
人類の指導者たる方(かの人に最良の祝福と平安、そして挨拶あれ)がこう言われているとおりである。
『本当にあらゆる行いは気持ち次第です。
人は皆、自分が意図したものを得るでしょう。
アッラーとその使徒のためにヒジュラした人は、本当にアッラーとその使徒のためにヒジュラしたと(評価)されますが、
この世の利益を得るため、あるいは結婚する女性のためにヒジュラした人は、それだけのものとしか(評価)されないのです。』
(訳注…ウマルさまにまで遡るハディースとしてイマーム・アルブハーリーとイマーム・ムスリムが伝承)


それでは、皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム