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時にかけて。
まことに人間は皆、損失の中にある。
ただただ、信じ、善行をなし、お互いに真理を勧め合い、お互いに忍耐を勧め合う者たちを除いては。
(聖クルアーン第103章)
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。
さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第22項目「時間と礼儀の大切さ」についての拙訳です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。
筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。
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أهمية الوقت والأدب
أي إخواني، لا تخجلوني غدا بين يدي العزيز سبحانه وقد سبقكم أصحاب الأعمال المرضيات. كل نفس من أنفاس الفقير أعزّ من الكبريت الأحمر.
إياكم وضياع الأوقات، فإنّ الوقت سيف إن لم يقطعه الفقير قطعه.
قال تعالى: ﴿وَمَنْ يَعْشُ عَنْ ذِكْرِ الرَّحْمنِ نُقَيِّضْ لَهُ شَيْطَانًا فَهُوَ لَهُ قَرِينٌ﴾ (الزخرف 36)
عليكم بالأدب، فإنّ الأدب باب الأرب. حكي عن سعيد بن المسيّب أنه قال: "من لم يعرف ما لله عليه في نفسه، ولم يتأدب بأمره ونهيه، كان من الأدب في عزلة".
قال الله تعالى: ﴿إِنَّمَا يَخْشَى اللَّهَ مِنْ عِبَادِهِ الْعُلَمَاءُ﴾(فاطر 28)
سئل الحسن البصري رضي الله عنه عن أنفع الأدب فقال: التفقّه في الدين، والزهد في الدنيا، والمعرفة بحقوق الله تعالى على عبده.
وقال سهل بن عبد الله رضي الله عنه: "من قهر نفسه بالأدب عبد الله بالإخلاص".
ومن الأدب أيضا الأدب مع المشايخ، فإن من لم يحفظ قلوب المشايخ سلّط الله عليه الكلاب التي تؤذيه.
أدب صحبة من فوقك الخدمة، ومن هو مثلك إلا الإيثار والفتوة، ومن دونك الشفقة والتربية والمناصحة.
صحبة العارف مع الله بالموافقة، ومع الخلق بالمناصحة، ومع النفس بالمخالفة، ومع الشيطان بالعداوة.
時間と礼儀の大切さ
わが兄弟たちよ、諸君が善行の人たちに先んじられて遠く先を行かれてしまうことで、
至高にして威力並ぶ者なき御方の御前に立つ明日にどうか私に恥をかかせないでいただきたい。
困窮者(ファキール:アッラーを常時必要とする人)の呼吸はその息すべてが赤い硫黄(キブリート・アハマル…非常に稀有な存在の譬え)よりも尊いのである。
時間の無駄には、くれぐれも気をつけることだ。
まことに時間は剣であり、困窮者がそれを切らねば、時間に切られてしまう。
至高なる御方の仰せられるとおりである。
『慈悲深き御方を思い起こすことから遠ざかる者には、シャイターンを友としてあてがおう。』(ズフルフ章36節)
礼儀を重んじることだ。まことに礼儀こそは、目的到達の門である。
サイード・ブン・アルムサイヤブに伝わるところでは、曰く、
「自らにおけるアッラーのために課せられたことを知らず、かの御方のご命令と禁止に則って礼儀正しくしない人は、独居したほうが礼儀に適っていよう。」とのことであり、
至高のアッラーが『まことにアッラーを畏れる者こそはかの御方のしもべたちの中でも知者である。』(ファーティル章28節)と仰せられているとおりである。
アルハサン・アルバスリー(アッラーのご満悦あれ)はあるとき最も役立つ礼儀について尋ねられたという。
すると曰く、「宗教における理解、この世での禁欲(無頓着)、しもべたる者に課せられた至高のアッラーの権利を知ることである。」
サハル・ブン・アブドッラー曰く、「礼儀によって自我を制圧した人は、純真にアッラーに仕えるであろう。」
礼儀には、マシャーイフ(導師たち)への礼儀もある。
マシャーイフの心を守るべく礼儀正しくしないようであっては、アッラーが獰猛な犬どもにその者を支配させてしまわれるであろう。
自分より目上の人と接する際の礼儀は奉仕(ヒドマ)であり、
同等の人には利他の精神(イーサール)と寛大さ(フトゥーワ)、
目下の人には思いやり(シャファカ)と教育(タルビヤ)、助言(ムナーサハ)である。
アーリフ(真知を知る人)のアッラーとの同行は調和(ムワーファカ)により、
生きとし生けるものとは助言(ムナーサハ)により、
自我とは対立(ムハーラファ)、悪魔とは敵対(アダーワ)によるのである。
《訳者のつぶやき》
「時は剣の如し。切らねば、切られる。」とは、アラブの有名な格言ですが、
物理的には万人平等の時間とはいえ、その生産性や実質濃度は千差万別です。
イスラームの文脈では、いかにアッラーが私たちの時間にバラカ(恩寵、祝福)をくださっているか否かで時間の質に違いが出てくると言われます。
そしてそのバラカをいただけるかどうかの鍵となるのがイフラース(純真さ)の有無とも。
加えて今回アハマド・リファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)が教えてくださっている「アダブ(礼儀)」もまた、至高のアッラーの寵愛を願うには必須のものと言えそうです。
アッラーフ アァラム。
幸いアルハムドゥリッラー、私たちは礼儀を尊び重んじる国、日本で生まれ育ちました。
つまりある程度の型と器は用意できているわけですので、
あとはその中身を至高のアッラーへの純真な気持ちとラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)をお慕いする気持ちで満たして、
型や器で矯正が必要なところは適宜矯正をすればよいでしょう。
私も今月初旬で35歳を迎えました。
残り時間がいかほどのものかはアッラーのみぞ知ることですが、
願わくは自分の1日24時間、一週間7日がバラカで満たされるものとなるよう
日々精進の志を改めたいと思います。
願わくはお優しきアッラーが皆さんの時間をバラカで満たしてくださいますように。
アブー・ハキーム