日本のイスラーム (Islam in Japan)

「日本のイスラーム」に関心を抱く方、ご協力願います!
日本でのイスラーム学習、イスラーム教育の充実を目指すブログです。

RNNヒーリングコンサートⅧ(Healing Concert Ⅷ in Okayama)

2011年11月24日 | EVENT NEWS イベントのお知らせ

 

Draft Programme of RNN Healing Concert VIII

ドラフト段階の「RNNヒーリングコンサートⅧ」プログラム案

 

アッサラーム アライクム。

インシャーアッラー、来る2011年11月29日(火)、岡山県の神道山黒住教大教殿にて、

午後2時40分から3時40分の時間帯で「RNN(人道援助宗教NGOネットワーク)ヒーリングコンサートⅧ」が開催される予定です。

当日は第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会の一環として行われるとのこと。

それゆえ多くの宗教関係者を中心に500名ほどの来場者が予想されているようで、

これまでにない大舞台となりそうです(笑)

ヒーリングコンサートでは、約1時間の間にそれぞれ10分の持ち時間が与えられ、

イスラームのクルアーン朗誦、金光教、天台宗、カトリック、真言宗、黒住教の順で発表があり、

最後に「PEACE」の独唱が入る模様。

 

当日ご都合をつけられる方は、ぜひ生演奏を聞きにきてください♪

ビイズニッラー、クルアーンの第89章「アルファジュル(暁)」を心をこめて読誦してまいります!

 

Assalaamu 'Alaykum, my brothers and sisters.

Here is an announcement about "RNN(Religious NGO Network on Humanitarian Support) Healing Concert VIII"

in Okayama at Shinto Mountain KUROZUMIKYO Center

on Tuesday 2:40p.m. to 3:40p.m., November 29, 2011, In shaa Allah.

Groups of representatives from Islam, Konko-kyo, Tendai Buddhism, Catholic, Shingon Buddhism, Kurozumi-kyo, 

are going to perform their religious recitations.

This time, this healing concert is going to be held as a part of "33rd conference of World Federation for Peace Drive religious people" so the attendance are expected to be around 500 people, In shaa Allah.

Let every Japanese hear the Words of Allah Subhaanahu wa Ta'aalaa!!

This is the only purpose for me to join such event.

May Allah help me recite His words from Surah "Al-Fajr" properly with true sincerity. Aameen.

 

http://www.rnn.jp/news.html


正道を望む者たちの書(試訳第4回) Risaalah Al-Mustarshideen

2011年11月19日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ

 

 

そして知るがよい。

善くも悪くも、カダル(定命)すべてを信じるまでは、

信仰の味を見出すことはないということを。

 

真理(ハック)を語る人、行う人となるのだ。

そうすれば、アッラーがお前を光(ヌール)と心眼(バスィーラ)において富ませてくれよう。


それを命じながら、自ら遠ざかるようであってはならない。

罪に陥り、アッラーのお怒りに触れてしまうからである。

 

『汝らが自ら行わないことを語るのは、

アッラーの御許では忌み嫌われること甚だしい。』(アッサッフ章3節)

また、アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)も言われた。

「説教をし、自ら啓発されることなく、

非難し自ら自粛することなく、

禁じて自らやめることなき人は、

アッラーの御許では敗北者の一人です。」

至高のアッラーは仰せられた。

 

敬虔な理知の人(アーキル・タキー)のほか交流をもってはならない。

心眼をもつ知者(アーリム・バスィール)のほか同席してはならない。

預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は、

「我々のうち、どの人と共にいるのがよいでしょうか。」と尋ねられ、お答えになった。

「見ただけでアッラーを思い出させてくれる人、

その話しぶりが知識を高めてくれる人、

その行いがあの世を思い出させてくれる人です。」

 

真理には謙虚であり、それに服従せよ。

アッラーを念じることを常とせよ。

そうすれば、かの御方との近しさを得られよう。


アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)は言われた。

「審判の日にアッラーと共にいる人たち、

それは服従する人たち、

謙虚な人たち、

恐れおののく人たち、

アッラーを数多く念じる人たちです。」

 

 

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  【訳者のつぶやき】

見ただけでアッラーを思い出させてくれる人、

その話しぶりが知識を高めてくれる人、

その行いがあの世を思い出させてくれる人…

 

もし皆さんがそんな人を一人でも実際に知っているとしたら、

ものすごく幸運なことです。

言われるまでもないでしょうが、アッラーに感謝してください。

 

そしてまだそんな人にはお目にかかったことがないという人は、

そうした人に出会うために自ら足を運ぶ時間とお金、労力を惜しまないこと。

 

「人との出会いが自分の人生を変える!」…これは世間一般でも事実として見聞きすることです。

 

ましてやそれが「真主へといざなってくれる人との出会い」であれば、

その衝撃と感動はいかほどのものでしょう。

 

願わくはそうした人との時間を

お優しきアッラーが毎日わたしたちにお恵みくださいますように。

 

当分そんな人に会えそうもないという人は、

クルアーンの中に、

ハディースの中に、

先達の伝記の中に見出すことも妙案かと思います。

アッラーフ アァラム。

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。


行徳でのイードゥ・ル・アドハー説教(Khutbah of the 'Eid Al-Adhaa in Gyotoku H.1432)

2011年11月07日 | Islam in Japan 2011

 

敬愛なる兄弟姉妹の皆さん、

私たちの兄弟姉妹たる巡礼者たちは今頃まだファジュル前のムズダリファで夜を過ごしているところです。

今日は直接的には巡礼者たちに向けられたアッラーの御言葉から、

唯一真主アッラーを思い起こすズィクルの大切さについて学び直したいと思います。

至高のアッラーはこのように仰せられています。


فَإِذَا قَضَيْتُم مَنَاسِكَكُمْ فاَذْكُرُوا اللهَ كَذِكْرِكُمْ آبَاءَكُمْ أَوْ أَشَدَّ ذِكْراً فَمِنَ النَّاسِ مَن يَقُولُ رَبَّنَا آتِنَا فِي الدُّنْيَا وَما لَهُ فِي الآخِرَةِ مِن خَلاقٍ

وَمِنْهُمْ مَن يَقُولُ رَبَّنَا آتِنَا فِي الدُّنْيَا حَسَنَةً وَفي الآخِرَةِ حَسَنَةً وَقِنَا عَذابَ النَّار* أُولئكَ لَهُمْ نَصِيبٌ مِمَّا كَسَبُوا وَاللهُ سَرِيعُ الحِسَابِ

البقرة 200-202

『汝らが聖なる儀式を果たしたならば、アッラーを思い起こせ。

汝らの父祖を思い出すように、いやそれよりも激しく思い起こすのである。

人々のうちには、「主よ、この世で私たちに恵みをください」と言う者がある。

だが彼らはあの世での分け前を得られないであろう。

また人々のうちには、「主よ、私たちにこの世でよきものをお恵みください。

そしてあの世でもよきものをお恵みください。

地獄の業火から、私たちを守ってください。」と言う者がある。

こうした者たちには、彼らが稼いだものに対して分け前があろう。

アッラーは清算に迅速な御方。』(2:200-202)

“So when you have accomplished your sacred rites, remember Allah, as you remember your fathers, rather with far more heart and soul. There are people who say, “Our Lord! Give us (Your bounties) in this world!” but they will have no potion in the Hereafter. And there are people who say, “Our Lord! Give us good in this world and good in the Hereafter, and defend us from the torment of the Fire!” To those will be allotted what they have earned and Allah is quick in account.” (2:200-202)

イマーム・イブヌ・カスィールはこの聖句のうち

「父祖を思い出すように、いやそれよりも激しく」を解説するにあたり、

先達の解釈を二通り挙げております。

一つは、「子どもが両親を恋い慕うように」、

もう一つは、「イスラーム以前のカアバ聖殿巡礼者たちが先祖自慢をし合ったように」ということですが、

「激しくアッラーを思い起こせ!」というご命令に従う上で私たちにとって

より具体的にイメージしやすいのは前者のあり方でしょう。

私たちの多くは、親元を離れ、核家族で暮らしております。

人生経験を積めば積むほど、親のありがたみを痛感し、

物理的に離れれば離れるほど、親を恋しく感じるものです。

そうした気持ちをたとえに、至高のアッラーは同じように、

いやもっと激しくわれを思い起こせと命じておられる。

巡礼者に向けられた御言葉と、聞き流してはなりません。

そもそもハッジ、巡礼とは、偉大なる存在すなわちアッラーを目指すことを言うのですから、

広い意味でとらえれば、私たち信徒の人生は、生涯これすべてハッジなりです。

この人生という巡礼の旅では、たとえムスリムといえども

関心事は結局この世の幸せのみという人もあれば、

この世でもあの世でも幸せを願う人もあり、

前者は永遠の幸せには与れず、後者こそ生前の行いに応じて正しく評価してもらえる。

この違いはなんなのか。

ズィクルが、アッラーをいかに思い起こしたかが違いをもたらすのだと思います。

 

イブン・アルカイイム・アルジャウズィーヤ師(ヒジュラ歴751年≒西暦1349年没)は

『アルワービル・ッ・サイイブ・ミナ・ル・カリミ・ッ・タイイブ(الوابل الصيب من الكلم الطيب)』の中で

この聖句を解説し、言っております。

「そこではたくさん、そして強くズィクルをすることが命じられている。

しもべたる者はかの御方を強く必要とし、まばたきほどすらも

かの御方なしにはまともに生きられないからである。

よってしもべが至高のアッラーを思い起こすことのなかった瞬間は

どれもその者に対して不利な時間となり、その者のためとなる時間にはならない。

アッラーを意識しなかったがゆえに失うものは、得るものよりもはるかに大きいのである。」

そしてアーイシャさま(アッラーのご満悦あれ)によるものとして

イマーム・アルバイハキーが伝えるハディースを引用し、

預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)のお言葉を紹介しております。

『アーダムの子(人間)の過ごす時間のうち、

(アッラーを)思い起こすことのなかった時間で審判の日に後悔しない時間はありません。 』

同書の中でイマーム・イブン・アルカイイムはズィクルについて縦横無尽の解説をし、

ズィクルには百以上もの効能があると様々な効能を挙げております。

そのうち最初の10個ばかりを紹介しますと、曰く、

「シャイターンを退け、

慈悲深き御方を喜ばし、

心から悩みとストレスを取り除き、

喜びと幸せと安堵感をもたらす。

心身を強くし、

顔と心を輝かせ、

糧を呼び込み、

威厳と信仰の甘美さをもたらし、

イスラームの精神たる愛の気持ちを与え、

アッラーに見られているという気持ちを高める。」等々、その効能は絶大です。

加えてズィクルの方法について最良のものは、

クルアーン読誦、アッラーを思い起こしたり称讃したりする文言を繰り返すこと、

各種のドゥアー(祈り)とのこと。

 

アッラーの御言葉やラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)のお導き、そして先達の解説は、

私たちの実際の日常生活で反映されるためにあります。

私たちの生活の場はどこでしょうか。日本です。

ムスリムばかりに囲まれているわけではありません。

時代環境はどうでしょうか。すこぶる便利です。様々なモノに囲まれております。

だからこそのズィクルです。

だからこそ至高のアッラーを私たちの父母を思い出すように、

いやもっと強く激しく思い出す毎日を送る必要があるのです。

 

【第2部】
繰り返します。アッラーの御言葉やラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)のお導き、

そして先達の解説は、私たちの実際の日常生活で反映されなければ、宝の持ち腐れです。

私たちは日本で暮らしています。ですから私たちの人間関係は、ムスリムとばかりではありません。
つまりどういうことでしょうか。
ムスリムではない人たちにも多かれ少なかれ影響を受けるということです。

私たちが生かされている時代環境は、ヒジュラ歴でいえば15世紀前半、西暦でいえば21世紀前半です。

モノの利便性は日々進歩しており、ソーシャルネットワークサービスを通じて海を隔てた遠くの人とも瞬時にコミュニケーションがとれるようになりました。

自分の働きかけ、自分の一言がすぐに世界でどのような反応を得られるかを確認することすらできるようになっています。
つまりどういうことでしょうか。
アッラー以外のモノ、ヒトに一喜一憂し、魅了され、時間を無駄にしてしまいかねないということです。

おまけに私たちの中には、隙あらばアッラーの道から逸れてやろう、逸れてやろうとする「悪しき自我」が潜んでいます。

だからこそのズィクルです。

だからこそ至高のアッラーを私たちの父母を思い出すように、

いやもっと強く激しく思い出す毎日を送る必要があるのです。

今日はアッラーを喜びとともに思い起こす絶好のチャンス!アッラーをたくさん思い出してください!♪

عيد مبارك سعيد! وتقبل الله طاعتكم! وكل عام وأنتم بخير!


行徳でのイードゥ・ル・アドハー('Eid Al-Adhaa in Gyotoku)

2011年11月07日 | 日記

アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。

 

遅まきながら、イード・ムバーラク!

犠牲祭、おめでとうございます!

'Eid Mubaarak!!

イードのお祝い自体は四日間ほど続きますが、なんといってもメインはやはり初日にありということで、

皆さん昨日はそれぞれ楽しい一日を過ごされたことと思います。

私たち家族のイードは…うーん、まぁまぁでしたかね。

いや、アルハムドゥリッラー、家族みんなイード礼拝に参加できただけで万々歳とすべきところですが、

日曜日と重なっただけにまた人も多く、行徳マスジドのマネジメント協力者としては反省すべき点に多々気付かされた日ともなりました。

そんなに写真も撮れませんでしたが、ざっとご覧ください。

 

With my beloved Japanese brother Mustafa Tsunooka, current Imam AbdurRahmaan, Br.AbdurRaheem in from of Gyotoku Hira Masjid

 

After the 'Eid prayer and Khutbah.

Muslim street appeard in Gyotoku all the sudden! 

 

Don't worry, the car belongs to one of our Muslim brothers and not other Japanese.

But still, it looks really messy and need to be organized in better way

if that's possible for us!

 

 

 


正道を望む者たちの書(試訳第3回) Risaalah Al-Mustarshideen

2011年11月05日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ

 

己の関心事に気を払うがよい。

 

他人のあら探しより、己を改善することに時間を費やせ。

 

「自分では気付かないものであれ、周りの人からそれ(欠点)を指摘されるだけで、

あるいは自分も同じことをしながら他人を叱るだけで、

あるいは一緒にいる人を傷付けるだけで、

あるいは他人について自分とは無関係のことを口にするだけで、

人がさらす恥としては十分である」と、言われたものである。

 

計画を捨てることで、お前の理性をアッラーのために使うがよい。

 

運命を司ることにおいては、アッラーにこそ助けを求めよ。

 

アリー(アッラーのご満悦あれ)は言った。

「アーダムの子(人間)よ、富に喜び浮かれてはならない。

貧困に絶望してはならない。

試練に悲しんではならない。

繁栄に浮かれてはならない。

黄金は火によって試されるものであり、

敬虔なしもべは試練によって試されるものである。

お前は己が欲するものを捨てない限り、

望むものを得ることはできない。

己が嫌がるものに耐えない限り、

希望するものに到達することはできないのである。

まずは己が義務付けられたものにおいて、努力を費やすがよい。」

 

アッラーがお前に望まれたもので満足するがよい。

 

イブヌ・マスウード(アッラーのご満悦あれ)は言った。

「アッラーがお前に分けてくださったもので満足せよ。

そうすればお前はもっとも豊かな人(アグナ・ン・ナース)となるだろう。

そしてアッラーがお前に禁じられたものを遠ざけよ。

そうすればお前はもっとも恐れ畏む人(アウラウ・ン・ナース)となるだろう。」

 

    アッラーがお前に義務付けられたものを果たすのだ。

そうすればお前はもっとも勤行熱心な人(アァバドゥ・ン・ナース)となれるだろう。

 

お前にとってもっとも慈悲深き御方を疑い、

慈悲をかけてはくれない者へと心変わりしてはならない。

 

アッラーにこそ助けを求めよ。

そうすれば、お前はかの御方にとって特別な民の一員となれるだろう。

 

ウバーダ・ブン・アッサーミト(アッラーのご満悦あれ)

息子への遺言で言った。

「息子よ、人が持つものからは諦めをはっきり示すがよい。

それこそが豊かさだからである。

過度な期待や必要なものを人にお願いすることがあってはならん。

それこそが貧しさだからである。」

 

礼拝するときは、別れを告げる者の礼拝を捧げるがよい。

 

وراع همّك، واشتغل بإصلاح نفسك عن عيب غيرك، فإنّه كان يقال: كفى بالمرء عيبا أن يستبين له من الناس

ما يخفى عليه من نفسه، أو يمقت الناس فيما يأتي مثله، أو يؤذي جليسه، أو يقول في الناس ما لا يعنيه.

واستعمل لله عقلك بترك التدبير، واستعن بالله على صرف المقادير.

قال علي رضي الله عنه: يا ابن آدم، لا تفرح بالغنى ولا تقنط بالفقر ولا تحزن بالبلاء ولا تفرح بالرخاء

فإنّ الذهب يجرّب بالنار وإنّ العبد الصالح يجرّب بالبلاء وإنّك لا تنال ما تريد

إلا بترك ما تشتهي، ولن تبلغ ما تؤمّل إلا بالصبر على ما تكره، وابذل جهدك لرعاية ما افترض عليك.

 

وارض بما أرادك الله له، قال ابن مسعود رضي الله عنه: ارضَ بما قسم الله لك

تكن من أغنى الناس، واجتنب ما حرّم الله عليك تكن من أورع الناس.

وأدّ ما افترض الله عليك تكن من أعبد الناس.

 

 ولا تشك من هو أرحم بك إلى من لا يرحمك، واستعن بالله تكن من أهل خاصته.

قال عبادة بن الصامت رضي الله عنه في وصيّته لابنه: يا بني أظهرِ اليأس مما في أيدي الناس

فإنّه الغنى، وإياك والطمعَ وطلبَ الحاجات إلى الناس فإنّه الفقر.

 

وإذا صليتَ فصلّ صلاةَ مودّع.