日本のイスラーム (Islam in Japan)

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日本でのイスラーム学習、イスラーム教育の充実を目指すブログです。

イスラーム改宗20周年目突入を記念して Welcoming the 20th year of my Islam

2013年01月12日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ

アルハムドゥリッラー、今から19年前の今日、1994年1月12日に

僕は生まれて初めて額をつけてアッラーに祈ることができました。

ムスリムの友人家族に国際電話をかけ、信仰告白をすることで

ムスリムとしての人生を歩み始めたあの日あの時の感動は、

今でも色あせることなく僕の心を熱くしてくれます(笑)

ということで今日からムスリムライフ20年目を迎えるのを記念して、

新鮮な学びを得たいとイエメンのハドラマウトを出自とされる

預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)の末裔ハバーイブの一人、

ハビーブ・フサイン・アッサッガーフ師(彼自身はサウジのジェッダ育ちで現在はUAE在住)の

ホームページ「ヒンマ(志)」を訪れてみると、

最初に目に飛び込んできたのが動画「新年の計をどうしたらよいか」でした。

アルハムドゥリッラー、まさに今の僕の心境にぴったりのものとして拝聴する中、

学びを逃すまいといくつか要点をメモしましたので、ここに付記します。

 

Al-Hamdu lillaah, today January 12, before 19 years from now,

my real life as a Muslim started.

With an intention of welcoming this 20th year of my Islam,

I thought of learning something fresh from some good scholars of Islam,

I opened up the website of Hemmah (High Motive) by Al-Habeeb Hussein.

Then the first thing I found there was his new lecture video on

"How to plan for your new year".

Al-Hamdu lillaah, I took it perfect match with what I'm ahead to.

So I listened to it and took some notes to benefit from his lesson.

 

2012-11-27.??? ???? ????? ???????

 

بسم الله الرحمن الرحيم

محاضرة كيف تخطط لعامك الجديد

「新年の計をどうしたらよいか」

ハビーブ・フサイン・アッサッガーフ師の講義より

للشيخ الحبيب حسين السقاف حفظه الله

النقطة الأولى: التوكّل على الله والاعتماد عليه مع الفهم أن وقتك هو رأس مالك

النقطة الثانية: راجع الأخطاء في العام الماضي لكي لا تكرر الأخطاء نفسها

النقطة الثالثة: ضع خطّة للعام الجديد

           أولا: حدد ما تريد

   ثانيا: ضع زمنا معينا لما تريد

   ثالثا: جزّء الزمن الطويل

      أول الغيث قطرة

      وأول الدموع عبرة

      وأول المصير خطوة

 

سبل التعرف على عيوبك من أجل تحسين أخلاقك

عن طريقة قراءة كتب أهل السنة، من كتب الأخلاق

وعن طريق مجالسة شيخ – لا بد أن تتلق العلم عن الشيخ من أهل العلم والصلاح

وخذ من قصة مصاحبة سيدنا موسى مع خضر – في سورة الكهف

   فإن لم تجد لا ذاك ولا ذاك، اتخذ لك أخا في الله - تحاببتما في الله وتسأله أن تهدي لك هدية النصيحة كلما يجد عيبا فيك فلا يتردد بذكره

     فإن لم تجد فعليك أن تتزوج من زوجة صالحة هي من أفضل ما تعين الزوج على ذلك

 

اقتصر على القليل الدائم

دع خطة على حسب إمكانياتك عقليا، بدنيا، زمنيا، ماديا

النقطة الرابعة: لا بد أن تتنازل على شيء من هواياتك (يسمى ترك شيء تحبه التضحية)

【第一の手段】 アッラーを信頼し、アッラーにこそすがること。そしてこれから自分が迎える時間こそが自分にとっての資本であるとよく自覚すること

 

【第二の手段】 去年してしまった過ちを繰り返さないよう、どんな間違いを犯したかよく振り返ること

 

【第三の手段】 新しい年の計画を練ること

 一つ目の助け: 何をどうしたいのか、自分の願望を見極めること

 二つ目の助け: 願望達成のために一定の時間をもうけること

 三つ目の助け: 目標時間を分割すること

 

【第四の手段】 自分の趣味のうちどれかを犠牲にすること

 

上記手段を補強するには、

①   少しであれ継続できるものに専念すること

②   自分の能力(知力、体力、時間、財力)に応じた計画をつくること

 

なお、願望として掲げられることは珍しいが、ムスリムとしては大事な願望に「性格、振る舞いの改善」がある。

その際に必要になってくるのは、自分の欠点を知ることであり、そのための方法としては三つある。

①   アフラーク(道徳)、心の浄化についての書物を読み学ぶことで

②   シャイフ(導師)に師事することで~カハフ章の預言者ムーサーさま(平安あれ)とヒドルの物語は教訓に満ちている~

③   アッラーがゆえにお互いに好意を寄せ合える同胞を通して…その同胞に自分の欠点を教えてもらうことで

 

これら三つの方法すべてがかなうならそれに越したことはないが、どれもかなわない場合は、

④   敬虔な伴侶と結婚することで…伴侶にあやまちを指摘してもらうことほど大きな助けとなるものはない

 

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アルハムドゥリッラー、やはり聖知の民(アハル・アルイルム)たる学者先生のお話はためになります。

ビイズニッラー、自分の手元にあるこの資本を活かせるよう祈るばかりです。

 

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。


真理伝教の指導者たち~「神助受けし明証」より 

2012年09月01日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ



アッサラーム アライクム。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。


以下、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第26項目「真理伝教の指導者たち(アインマトゥ・ダアワティ・ル・ハック)」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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"أئمة دعوة الحق"
أقامنا الله أئمة الدعوة إليه بالنيابة عن نبيه صلى الله عليه وسلم، من اقتدى بنا سلم، ومن أناب إلى الله بنا غنم،
الحق يقال: نحن أهل بيت ما أراد سلبنا سالب إلا وسلب، ولا نبح علينا كلب إلا وجرب، ولا همّ على ضربنا ضارب إلا وضرب، ولا تعالى على حائطنا حائط إلا وخرب:
((إِنَّ اللَّهَ يُدَافِعُ عَنْ الَّذِينَ آمَنُوا))(الحج 38) ((النَّبِيُّ أَوْلَى بِالْمُؤْمِنِينَ مِنْ أَنْفُسِهِمْ))(الأحزاب 6).

إنكار بوارق الأرواح جهل بمدد الفتاح، لا تعطيل لكلمة الله
((إنّ وليّي الله الذي نزّل الكتاب وهو يتولى الصالحين)) يتولى أمورهم وأمور مناديهم،
ومن ينزل بناديهم، حال حياتهم وبعد مماتهم، بلحوق علم منهم وبغير لحوق علم منهم.
العبد إذا كان راحما يستر النائم ولا يذكر له ذلك، يوصل الخير إلى الفقير ولا يعرفه الخبر.
الله الرحمن الرحيم، العظيم الكريم، ينتصر لعبده الولي من حيث لا يدري، يرزقه من حيث لا يحتسب، تعصمه جبال عنايته من ماء غرق الأكدار والاقتدار،
تدفع عنه وعن محبيه الأقدار بالأقدار، لا به، ولكن له التنزلات المحكمة، ((ليس لها من دون الله كاشفة))
من اعتصم بالله عُصِم، ومن وقف مع الأغيار ندم.
قال سيدى الشيخ منصور الرباني رضي الله عنه: الاعتصام بالله ثقتك به، وتنزيه خواطرك عن غيره.
القوم أرشدونا، دلونا على الطريق، كشفوا لنا حجاب الإغلاق عن خزائن درر الكتاب والسنة، عرفونا حكمة الأدب مع الله ورسوله،
هم القوم لا يشقى جليسهم من آمن بالله وعرف شأن رسوله أحبهم واتبعهم.


「真理伝教の指導者たち」

アッラーは我々にダアワ(伝教)のイマーム(指導者)たちを立ててくださった。
かの御方の預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の代わりに、である。
われらに追従した者は身の安全を確保し、われらを通してアッラーへと悔悟する者は(恩恵を)勝ち取る。

真理はしかと言及されるべきもの故に言うが、我らアハル・ル・バイト(預言者ムハンマドの家族、末裔)は、
誰であれわれら(の権利)を剥奪しようとする者は皆剥奪され、われらに向かって吠える犬は皆みすぼらしい姿となり、
われらを打とうとする者は皆打たれ、われらの領域を横柄に乗り越えて馬鹿にしようとする者は皆破滅してしまうのである。
『まことにアッラーは信じる者たちを防御される。』(ハッジ章38節)のであり、
『預言者こそは信徒たちにとって自分たちよりも優先すべき存在である。』(アフザーブ章6節)

魂のきらめきを否定するのは、恵みの扉を開く御方(アルファッターハ)のお助けを知らないからである。
アッラーの御言葉を無効にするものは何一つない。
『まことに私の庇護者はアッラーであり、啓典を下された御方。かの御方は、正しき者たちを庇護するのである。』(アァラーフ章196節)

かの御方は彼ら正しき人たちおよび彼らが誘う人たち、
それから彼らの集いに参加する人たちの諸事を見守ってくださるのである。
それは彼らの自覚があろうとなかろうと、生前も死後も変わらずに、である。

しもべたる人は、思いやり深い人であれば寝ている人をそっとしておき本人にそれを告げることはしないし、貧しき人本人の知らない間に善意を届ける。
アッラーは慈愛あまねく慈悲深い御方であり、偉大かつ寛大な御方である。
自らの友たるしもべの知らぬ間に助けてくださり、思ってもみないところから生活の糧を与えられる。
不浄なものや襲いくる障害の水面を目前にして実際に溺れてしまう前に山のようなご配慮かつお助けで守ってくださり、
その人本人やその人の愛する人たちを運命から運命によってお守りくださる。
それ(最初の運命)ではなく、その人のためにほどよく相応しい別の運命が下されるのである。
『それはアッラーのほか誰も明かすことはできない。』(ナジュム章58節)
アッラーにすがった人は守られ、変化するものを前に立ち止まる人は後悔する。

わが師シャイフ・マンスール・アッラッバーニー(アッラーのご満悦あれ)曰く、
「アッラーにすがること、それはかの御方へのお前の信頼であり、かの御方以外のものがお前の心中に去来しないようにすることだ。」
(彼ら真理探究の道を行く)民はわれらを導き、その道をわれらに示し、
聖典とスンナの真珠が眠る宝庫を閉ざす覆いをわれらのために取り払ってくれ、
アッラーとかの御方の御使いに対して礼儀正しくあることの英知を我々に知らしめてくれたのである。
彼らこそ共にいて不幸になることはない民であり、アッラーを知り、かの御方の御使いのなんたるかを知った人は、彼らを愛し、従うであろう。



【訳者のつぶやき】

不浄なものや襲いくる障害の水面を目前にして実際に溺れてしまう前に山のようなご配慮かつお助けで守ってくださり、
その人本人やその人の愛する人たちを運命から運命によってお守りくださる。
それ(最初の運命)ではなく、その人のためにほどよく相応しい別の運命が下されるのである。

日本語では訳しづらく、
ちょっと何を言っているかわかりにくいところを解説します。

至高のアッラーはご自分の友たる敬虔かつ謙虚なしもべに
限りない恩恵をお恵みくださるのですが、その一つが「守護」の恵みです。

「ジバール イナーヤティヒ」すなわちかの御方のケア、ご配慮、
ご高配の山々、つまり山のようなご配慮が
「タアスィムフ」すなわちしもべを守ってくれるわけです。
「ミン マーイ ガラキ・ル・アクダーリ ワ・リクティダール」
すなわち「アクダール」と「イクティダール」に溺れてしまう水面から、
守ってくれるとのこと。
「アクダール(Akdaar)」は「カダル(Kadar: 汚物、不浄なもの)」の複数形で、
物理的かつ精神的な汚物を意味しますが、
ここでは特に精神的に不浄なもの、
つまり嫉妬やねたみ、憎悪や執着などを意味します。


「イクティダール」とは例えば貧困や多忙、抑圧、暴力など
私たちを打ち負かして制圧してしまいかねないものを指し、
そうした内面的な敵とも呼べる悪感情や
外面的な敵とも呼べる危険が目の前に見える、
落ちたら溺れてしまうというときにアッラーはお救いくださる…
いざ落ちて「溺れ死ぬぅ!」ともがく中で助けてくれるのではなく、
「うわぁ、やばい!」と危機を目前にしたところでお助けくださるわけです。

「タドファウ アンフ ワ アン ムヒッビーヒ」とは
善良かつ謙虚なしもべとそのしもべが愛する人たちを
前述の「山のようなご配慮が」防衛して害を防いでくれるということです。

具体的に何から守ってくれるのかというのが
「アルアクダーラ ビルアクダール」で言われています。
これは「カダル(Qadar:運命)」の複数形である「アクダール(Aqdaar)」から
同じ運命の複数形「アクダール」によってお守りくださるということですが、
「運命から運命によってお守りくださる」とはどういうこと?
と思われるやもしれません。
それを解説するのが次のくだり、「ラー ビヒ、ワラーキン ラフ アッタナッズラートゥルムフカマ」という一文ですが、
つまり最初のそれ(運命)が当人にとっての運命として下るのではなく、
「別に相応しい運命」が下されるということ。

例えばそれは「人間万事塞翁が馬」の中国故事に見られるように、
成人男子は基本的に皆徴兵に応じて
従軍しなければならないという「運命」から、
大怪我をするという「運命」によって戦死の運命から免れるということです。
ある飛行機に乗るはずが、
路上アクシデントや突然の事態でキャンセルせざるを得なくなったところ、
その飛行機が墜落事故を起こした、ですとか、
ある町に住んでいる人が
たまたまある日は急な出張が入り留守にしたところ、
大地震がその町を襲いその人は難を免れたとか、
多数を巻き込む基本の「運命」から、
個別の特別な配剤の妙に満ちたもう一つの「運命」によって
至高のアッラーは私たちかの御方のしもべたちをお守りくださるということです。

私自身は「アブド(ゥン)・ワリー(ユン)」すなわち「(アッラーの)友たるしもべ」には
ほど遠いですが、37年の半生を振り返ってみて
「辛かったけど、むしろ救われたのかも」と思うことがいくつかあります。
きっと皆さんにも思い当たるところがあるのではないでしょうか。

アルハムドゥリッラー、われらが主は、誰よりもお優しき御方。
私たちに最大の幸運かつ幸福をお望みくださいました。
イスラームに導かれ、イスラームを生きられるよう日々の歩みを重ねる・・・
これはアッラーが私たちに幸をお望みくださったという
まごうことなき証であり、
願わくはアッラーのお力添えのもと
イスラームで生涯の幕を閉じるという将来への希望の礎です。

そこで今回の主題にからめると、
「イスラームというアッラーから頂戴した幸福の証と未来への希望の礎」は、
「真理伝教の指導者」たるウラマーゥ(学者先生たち)を知り、
その指導を受けることでより確固としたものとなる、ビイズニッラー!
ということが言えるでしょう。

稀には「待っていても」素晴らしい学者先生との出会いに恵まれることもありますが、
基本は自ら求めることにあります。(例えばムスリム世界を訪問するなどして)

イスラーム学徒のことをアラビア語では「ターリブ・ル・イルム」といいますが、
学生とは元々「求める人、希求する人」のことをいいますので、
さしずめ「ターリブ・ル・イルム」とは、
「聖知探求の徒」とでも言えるかと思います。

ここで大切なのは、仕事をやめて、日本での立場を捨てて、
イスラームの学問に専念する人だけが
「ターリブ・ル・イルム」ではないということです。
(無論、そういう人がもっと必要であることは確かですが)
社会人としてであれ、主婦、母親としてであれ、
「タラブ・ル・イルム」すなわち聖なる知識の探求はできるのですから。

大切なのは、日々気持ちを改め、
アッラーのお力添えを祈ること、
そしてこつこつと亀の歩みでいいから継続することと信じます。
アッラーフ アァラム。

↑今の私がこの状態にありますので、これは自分への激励でもあります(笑)


では、皆さんにアッラーのご加護と祝福を。

アブー・ハキーム


正道を望む者たちの書(試訳第5回) Risaalah Al-Mustarshideen

2011年12月08日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ

  

アッラーとその御使い、そして信徒たちに対して誠実を尽くせ。

 

アッラーを恐れる者たちに事を相談するがよい。

  

至高のアッラーは仰せられた。

『まことにかの御方のしもべたちの中でも本当にアッラーを恐れるのは、

知者のみである。』

  

そして預言者(アッラーの祝福と平安あれ)も言われている。

「宗教とは、誠実さです。」

  

お前に助言してくれた人はお前を愛してくれており、

お前にお世辞を言う人はお前を騙しているのだということ。

そしてお前の助言を受け入れようとしない人は

お前の同胞ではないということを知るがよい。

  

ウマル・ブン・アルハッターブ(アッラーのご満悦あれ)は言った。

「助言をしない民によいところはなく、

助言してくれる人たちを嫌う民によいところはない。」

  

  

実直さ(スィドゥク)をすべての状況において優先せよ。

そうすればお前のためになる。

興味本位なことは遠ざけよ。

そうすればお前は安全である。

  

実直さは孝行へと導き、

孝行は至高のアッラーのご満悦へと導いてくれるが、

嘘は退廃へといざない、

退廃はアッラーの怒りをもたらすからである。

  

アブドッラー・ブン・アッバース(アッラーのご満悦あれ)は言っている。

「そなたに関係のないことを話してはならない。

関係あることの多くも捨て置くことだ。

愚か者や温和な人と行動をともにしてはならない[1]

そなたが人のことを語るときは、

自分がその人に語ってもらいたいように語るがよい。」

 


 

[1] 愚か者は礼儀をわきまえず、温和な人はこちらが礼儀を欠いてしまうため。

アッラーフ アァラム。

 

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【訳者のつぶやき】

  

スブハーナッラー…大いに考えさせられ、勉強になる言葉です。

 

アラビア語でアドバイス、助言のことを「ナスィーハ」というのは、

まさに相手に誠実であろうとすることから発せられるものであるがゆえ。

それなのに時として私たちは(いや、私と一人称で語るべきですね)

相手への思いやりよりも先に自分の正義感を満たすために独りよがりなアドバイスをのたまわってしまいがちです。

 

伝教(ダアワ)うんぬんを語るときはまさにそう。

 

あくまでも相手のためを思ってお話しすべきであり、

イスラームの正しさを証明するためだとか、

ましてや自分の正しさを証明するためのアプローチでは、

相手の心に届くはずがありません。

 

وما علينا إلا البلاغ المبين

ワ マー アライナー イッラ・ル・バラーグ・ル・ムビーン(クルアーン36:17)

(私たちに課せられしは、ただただ明らかな伝達のみ)

 

とは、自分勝手なやり方で相手に言いさえすればそれでおしまい!では決してないはず。

それでは「伝達」になってなーい!伝わってないでしょう!

 

ということで「伝え方」には工夫が必要であり、

最良のメソッドはわれらがラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)のやり方にのっとることですが、

その最たるものがやはり「ナスィーハ」…誠実さであり、真心なのでしょうね。

 

イブヌ・アッバースさま(アッラーのご満悦あれ)のお言葉にも胸がつまされる思いです。

結構私は辛口なほうなので、批判するときは批判してしまうわけですが、

かといって同じように自分が批判されようものなら

もうボロボロずたずたにショックを受けて落ち込んでしまう…これじゃあいただけませんね…。

 

主よ、どうか至らない私のあやまちをお赦しください。

そしてどうか少しでもまっとうな信徒にしてください…アーミーン。

 

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。

 


正道を望む者たちの書(試訳第4回) Risaalah Al-Mustarshideen

2011年11月19日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ

 

 

そして知るがよい。

善くも悪くも、カダル(定命)すべてを信じるまでは、

信仰の味を見出すことはないということを。

 

真理(ハック)を語る人、行う人となるのだ。

そうすれば、アッラーがお前を光(ヌール)と心眼(バスィーラ)において富ませてくれよう。


それを命じながら、自ら遠ざかるようであってはならない。

罪に陥り、アッラーのお怒りに触れてしまうからである。

 

『汝らが自ら行わないことを語るのは、

アッラーの御許では忌み嫌われること甚だしい。』(アッサッフ章3節)

また、アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)も言われた。

「説教をし、自ら啓発されることなく、

非難し自ら自粛することなく、

禁じて自らやめることなき人は、

アッラーの御許では敗北者の一人です。」

至高のアッラーは仰せられた。

 

敬虔な理知の人(アーキル・タキー)のほか交流をもってはならない。

心眼をもつ知者(アーリム・バスィール)のほか同席してはならない。

預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は、

「我々のうち、どの人と共にいるのがよいでしょうか。」と尋ねられ、お答えになった。

「見ただけでアッラーを思い出させてくれる人、

その話しぶりが知識を高めてくれる人、

その行いがあの世を思い出させてくれる人です。」

 

真理には謙虚であり、それに服従せよ。

アッラーを念じることを常とせよ。

そうすれば、かの御方との近しさを得られよう。


アッラーの御使い(アッラーの祝福と平安あれ)は言われた。

「審判の日にアッラーと共にいる人たち、

それは服従する人たち、

謙虚な人たち、

恐れおののく人たち、

アッラーを数多く念じる人たちです。」

 

 

********************************************

  【訳者のつぶやき】

見ただけでアッラーを思い出させてくれる人、

その話しぶりが知識を高めてくれる人、

その行いがあの世を思い出させてくれる人…

 

もし皆さんがそんな人を一人でも実際に知っているとしたら、

ものすごく幸運なことです。

言われるまでもないでしょうが、アッラーに感謝してください。

 

そしてまだそんな人にはお目にかかったことがないという人は、

そうした人に出会うために自ら足を運ぶ時間とお金、労力を惜しまないこと。

 

「人との出会いが自分の人生を変える!」…これは世間一般でも事実として見聞きすることです。

 

ましてやそれが「真主へといざなってくれる人との出会い」であれば、

その衝撃と感動はいかほどのものでしょう。

 

願わくはそうした人との時間を

お優しきアッラーが毎日わたしたちにお恵みくださいますように。

 

当分そんな人に会えそうもないという人は、

クルアーンの中に、

ハディースの中に、

先達の伝記の中に見出すことも妙案かと思います。

アッラーフ アァラム。

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。


正道を望む者たちの書(試訳第3回) Risaalah Al-Mustarshideen

2011年11月05日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ

 

己の関心事に気を払うがよい。

 

他人のあら探しより、己を改善することに時間を費やせ。

 

「自分では気付かないものであれ、周りの人からそれ(欠点)を指摘されるだけで、

あるいは自分も同じことをしながら他人を叱るだけで、

あるいは一緒にいる人を傷付けるだけで、

あるいは他人について自分とは無関係のことを口にするだけで、

人がさらす恥としては十分である」と、言われたものである。

 

計画を捨てることで、お前の理性をアッラーのために使うがよい。

 

運命を司ることにおいては、アッラーにこそ助けを求めよ。

 

アリー(アッラーのご満悦あれ)は言った。

「アーダムの子(人間)よ、富に喜び浮かれてはならない。

貧困に絶望してはならない。

試練に悲しんではならない。

繁栄に浮かれてはならない。

黄金は火によって試されるものであり、

敬虔なしもべは試練によって試されるものである。

お前は己が欲するものを捨てない限り、

望むものを得ることはできない。

己が嫌がるものに耐えない限り、

希望するものに到達することはできないのである。

まずは己が義務付けられたものにおいて、努力を費やすがよい。」

 

アッラーがお前に望まれたもので満足するがよい。

 

イブヌ・マスウード(アッラーのご満悦あれ)は言った。

「アッラーがお前に分けてくださったもので満足せよ。

そうすればお前はもっとも豊かな人(アグナ・ン・ナース)となるだろう。

そしてアッラーがお前に禁じられたものを遠ざけよ。

そうすればお前はもっとも恐れ畏む人(アウラウ・ン・ナース)となるだろう。」

 

    アッラーがお前に義務付けられたものを果たすのだ。

そうすればお前はもっとも勤行熱心な人(アァバドゥ・ン・ナース)となれるだろう。

 

お前にとってもっとも慈悲深き御方を疑い、

慈悲をかけてはくれない者へと心変わりしてはならない。

 

アッラーにこそ助けを求めよ。

そうすれば、お前はかの御方にとって特別な民の一員となれるだろう。

 

ウバーダ・ブン・アッサーミト(アッラーのご満悦あれ)

息子への遺言で言った。

「息子よ、人が持つものからは諦めをはっきり示すがよい。

それこそが豊かさだからである。

過度な期待や必要なものを人にお願いすることがあってはならん。

それこそが貧しさだからである。」

 

礼拝するときは、別れを告げる者の礼拝を捧げるがよい。

 

وراع همّك، واشتغل بإصلاح نفسك عن عيب غيرك، فإنّه كان يقال: كفى بالمرء عيبا أن يستبين له من الناس

ما يخفى عليه من نفسه، أو يمقت الناس فيما يأتي مثله، أو يؤذي جليسه، أو يقول في الناس ما لا يعنيه.

واستعمل لله عقلك بترك التدبير، واستعن بالله على صرف المقادير.

قال علي رضي الله عنه: يا ابن آدم، لا تفرح بالغنى ولا تقنط بالفقر ولا تحزن بالبلاء ولا تفرح بالرخاء

فإنّ الذهب يجرّب بالنار وإنّ العبد الصالح يجرّب بالبلاء وإنّك لا تنال ما تريد

إلا بترك ما تشتهي، ولن تبلغ ما تؤمّل إلا بالصبر على ما تكره، وابذل جهدك لرعاية ما افترض عليك.

 

وارض بما أرادك الله له، قال ابن مسعود رضي الله عنه: ارضَ بما قسم الله لك

تكن من أغنى الناس، واجتنب ما حرّم الله عليك تكن من أورع الناس.

وأدّ ما افترض الله عليك تكن من أعبد الناس.

 

 ولا تشك من هو أرحم بك إلى من لا يرحمك، واستعن بالله تكن من أهل خاصته.

قال عبادة بن الصامت رضي الله عنه في وصيّته لابنه: يا بني أظهرِ اليأس مما في أيدي الناس

فإنّه الغنى، وإياك والطمعَ وطلبَ الحاجات إلى الناس فإنّه الفقر.

 

وإذا صليتَ فصلّ صلاةَ مودّع.