アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。
アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第3項目「至高のアッラーの超越性(タンズィーホッラーヒ タアーラー)」についての拙訳です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。
筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。
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تنزيه الله سبحانه وتعالى
至高のアッラーの超越性
諸君、アッラーを生起するものの特徴や被造物の性質から遠ざけなさい。
至高なるかの御方の権利において
「イスティワーゥ(水平着座)」が意味するところの解釈を、
物体が物体に着座するといった
発生(フルール: 物質が空間を占拠すること)を必然とする
定着(イスティクラール)から諸君の信条を清めるのだ。
それから上や下、場所や手、身体器官としての目、
到来や移動としての降下といった言葉には、くれぐれも気をつけなさい。
上記を表面的に示すもので聖典とスンナに来たりしものはすべて
意図されしところを擁護する同様のものが聖典とスンナで言及されており、
残すは先達の中でも正しき人たちが言ったことに従うほかはない。
すなわち、それらすべての表面を信じ、
真意認識をアッラーとその御使いに戻すことであり、
同時に至高なる創始者を形容や生起の特徴から超越させることである。
イマームたちはそうした道を行ったのだ。
したがってアッラーが聖典にてご自分を表現されたものはすべて
その解釈はその読誦と沈黙であり、
至高のアッラーとその御使い以外にそれを解釈することは誰一人できないのである。
なお、比喩的表現は明確な断定表現(ムフカム)の基本に沿って理解することも
可能である。なぜならそれ(明確な断定表現)こそが聖典の基本であり、
比喩的表現は明確な断定表現に矛盾しないからである。
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それでは、皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム
皆さんに平安あれ。
アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第3項目「至高のアッラーの超越性(タンズィーホッラーヒ タアーラー)」についての拙訳です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。
筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。
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تنزيه الله سبحانه وتعالى
至高のアッラーの超越性
諸君、アッラーを生起するものの特徴や被造物の性質から遠ざけなさい。
至高なるかの御方の権利において
「イスティワーゥ(水平着座)」が意味するところの解釈を、
物体が物体に着座するといった
発生(フルール: 物質が空間を占拠すること)を必然とする
定着(イスティクラール)から諸君の信条を清めるのだ。
それから上や下、場所や手、身体器官としての目、
到来や移動としての降下といった言葉には、くれぐれも気をつけなさい。
上記を表面的に示すもので聖典とスンナに来たりしものはすべて
意図されしところを擁護する同様のものが聖典とスンナで言及されており、
残すは先達の中でも正しき人たちが言ったことに従うほかはない。
すなわち、それらすべての表面を信じ、
真意認識をアッラーとその御使いに戻すことであり、
同時に至高なる創始者を形容や生起の特徴から超越させることである。
イマームたちはそうした道を行ったのだ。
したがってアッラーが聖典にてご自分を表現されたものはすべて
その解釈はその読誦と沈黙であり、
至高のアッラーとその御使い以外にそれを解釈することは誰一人できないのである。
なお、比喩的表現は明確な断定表現(ムフカム)の基本に沿って理解することも
可能である。なぜならそれ(明確な断定表現)こそが聖典の基本であり、
比喩的表現は明確な断定表現に矛盾しないからである。
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それでは、皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム