アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。
私の入信記、最終回です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/e5/5e11e5cf365702adb0d7bd20e2436bb2.jpg)
16. あれから約13年経った今…
スブハーナッラー(アッラーに栄光あれ)、早いもので、僕が入信してもうじき14年目になる。(2006年11月当時)
「入信後記」は入信記よりも波乱万丈で楽しいが、それは別の機会に譲るとしよう。
僕にとっての入信以降は、18歳という青春真っ只中での入信だっただけに、数多くの進路選択を迫られる中本当に紆余曲折の連続だった。
高校生活から大学入試、エジプト留学と挫折、アラビア語と合氣道の大学生活、
卒業と一般企業就職、超スピード辞職と名古屋モスク就職後の半社会人生活、
ハッジと解雇、シリア留学と7年越しの結ばれぬ恋、
志向転換と結婚、夫婦そろっての学生生活、長女の誕生、
預言者の相続者たちに学ぶイスラーム学の醍醐味、切磋琢磨しうる無二の親友ワフディー兄との出会い、
長男の誕生、導師との出会い、
ダマスカス大学日本語学科での翻訳教員とファトフ大シャリーア学部生の二足のわらじ生活、
卒業見込みのままの帰国と就職…様々な変化変遷の中で、イスラームだけは変わらずに僕とともにある。
ここで特記すべきとすれば、それは至高のアッラーが僕を数ある導きの扉の中でも「愛の扉」から導いてくださったということ。
アラビア語で「祈り」という名の女性をその扉の鍵としてくださり、その彼女をして僕の信仰をお試しになったということ。
そしてその試練を通して、愛が神格化された時代に生まれ育った僕に対し、
本当の意味での「ラー イラーハ イッラッラー(アッラーのほかに神なし⇒アッラーのほかに頼りとすべきものなし!)」を教えてくださったことだろうか。
いざ結婚して家庭を築く前に、
「お前が望むのはわれか、それともわれ以外のものか」と僕の本望を見極めさせてくれたアッラーの英知には、
ただただ称賛の言葉を繰り返すだけである。
イラーヒー アンタ マクスーディー ワ リダーカ マトゥルービー
わが神よ あなたこそわが目的にして、あなたのご満悦こそわが望み
ムスリムとして心の浄化の道を歩んだ先達が口にしたというこの言葉を噛み締めるたびに、
僕は改心したときの初心を思い出す。
少年のころ憧れた救世の使命感、それはムスリムとして言い換えれば、
「アッラーの道具として、アッラーの道に生涯を生き抜くこと」にほかならない。
シリアのダマスカスに留学した当初は、
いずれはムスリムとして過ごしやすいところへヒジュラ(移住)をするつもりで、
自分自身と将来の家族の幸せだけを考えていた。
もちろん僕は海外で生活している日本人ムスリムの同胞を非難したいわけではない。
ただ自分に起きた志向の変化転換を回想しているだけである。
そうしたほうが、最近日本で社会人生活を始めたこれからの僕のためになるからだ。
至高のアッラーは、僕をこの広い世界の中でも特に「日本」という国で生まれし者とした。
そして1億3千万人の中から1パーセントにも遠く満たない超マイノリティーのイスラーム入信者としてくださった。
そうである以上、僕の仕事はここ日本にある。
少なくとも日本との関わりを否定してしまおうとすることは、アッラーのご意志に反することに違いない。
(もちろん正しくはアッラーのみぞ知ることで、僕の言い分は単なる思い込みだ。)
至高のアッラーご自身が、『汝の近しい親戚縁者から警告を始めなさい。』と仰せられているのだから、知らんぷりはしていられない。
できるだけイスラームを勉強した後は、日本で生きていこう…そう決意したときに結婚相手として思い浮かんだ最初の人が、今のウンム・ハキームだった。
17. 現実を直視しながら…
快く今どき珍しい糟糠の妻となることを承知してくれた彼女と結婚して、早5年目である。(2006年11月当時)
「最も簡素な結婚が、最も祝福されたものとなります。」と預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)も言われているように、
円満な夫婦仲と可愛らしい一男一女に恵まれた僕は幸せだ。
祝福されたシャーム(シリア地方)の中心地ダマスカスで迎えた新婚生活とその後のゆったりとした家庭生活は、
日本での荒波をも越えてゆけるだけの強固な絆を僕たち夫婦の間にもたらしてくれたと信じている。
通算6年のダマスカス・イスラーム留学に一度幕を下ろし
(もちろん「タラブ=ル=イルム(聖知探求)」は、ビイズニッラー、生涯続けるつもりだ)、
去る2006年9月から日本の首都東京でサラリーマンとして純然たる社会人生活を始めた。
この国の大多数はサラリーマンだ。
学問を続けたいのは山々だが、サラリーマンの気持ちがわからずに万人向けのダアワなんかできやしない。
自分は安全なところに身を置き、やすやすと理想のムスリム生活を送りながら、大上段からものを言うのは簡単だ。
でもそれがどれだけ厳しい現実を生きる生身の人々の心にまでとどくだろうか。
これは僕だけに限らず、イスラーム学をたとえその基礎だけでも学ぶ好機と幸運に恵まれた人は誰もが肝に銘じておくべきことだと思う。
やるべきこと、やらなきゃならないこと、つまり「理想」を語るのは、簡単なのだ。
大切なのは本物のウラマーゥ(学者先生たち)が皆そうであるように、
自分には厳しく、他人には限りなく優しくあることなのだろう。
僕自身、帰国早々に「日本の現実」という苦い洗礼を受けさせられた。
どんなにアラブと関わりのある会社で普通一般企業に比べたら理解があるとはいえ、従業員の九分九厘はノン・ムスリム。
人目を気にせずにウドゥーができるわけでも、礼拝用特別室があるわけでもない。
6年シリアで「ぬるま湯」に浸かっていただけに、
帰宅するまでのズフルとアスル、マグリブの礼拝を時間内に果たすことがどれだけ大変か改めて思い知らされた。
義務の礼拝を果たす…それはまさに真剣勝負だ。
それから目指すは「リーマン・シャイフ」のつもりで週末には積極的に日本ムスリム協会で講義を始めたが、
やっぱりみんな日本で生活している人は忙しいのだろう。
イスラーム学の王道である「スクーリング(通学)」ができる人は非常に限られている。
わかってはいたつもりだが、やはり日本でダアワを志す者は、
「種まきと耕作だけに専念すべきで、その後の収穫は期待してはならない。アッラーに委ねるのみ。」との思いを痛感する今日このごろである。
願わくは僕がそのわずか一端を学ばせていただいた「預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)の遺産≒真知」を
少しでもより多くの同胞に伝えられますように。
恩師ムハンマド・アル=ヤアクービー師をはじめ、
ドクトール・ブーティーやドクトール・タウフィーク、
ムジール・アル=ハティーブ師やバドルッディーン・ナージー師、
それからアル=ハビーブ・アリー・アル=ジェフリー師など、
多くの学者先生たちがその言葉の端々や人となり、
その心から教えてくださった預言者ムハンマドさまの熱き心と優しいまなざし…
それを「次の人」へ伝えてゆきたい。
イスラーム学を学ぶとは、そういうことだと思う。
18. 最後に
死への恐れから始まった僕にとっての魂の旅…ムスリムとなってからはもう「僕自身」が死ぬのは怖くなくなった。
あるのはただ至らないところだらけの自分を恥じて感じるアッラーへの畏れと、
両親や弟に正しくイスラームを伝えられていない無念さ、
愛する妻子の行末を心配しての不安といったところか…。
自分の未熟さは潔く観念し、妻子の行末はアッラーにお預けすればよいとしても、
親兄弟や親戚といった身内の導きはどうしたらいいのか。
『汝は自分の愛する者を導くことはない。
だが、アッラーはお望みの者を導かれるのである。』とのアッラーの御言葉に抗うつもりは毛頭ないが、
家族を思えば思うほど、無力な自分が情けない…。
究極の悩みはただそれだけ。アッラーに祈るしかない。
「あなたはムスリムになって幸せですか?」と問われれば、
僕は満面に笑みをたたえて大きく頷くだろう。
お互いに助け合い、わかり合える妻とかわいい子供たちに囲まれ、
「あらゆる恵みの本当の与え主」を知る僕は、
間違いなく世界でいちばん幸せな人の一人である。
アルハムドゥリッラー…アッラーにこそ称讃あれ。
了
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/c6/5a80b0378ac6942a56f1a16786aa0479.jpg)
預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)の愛と情熱、優しさと英知を次代へとつないでゆきたい
皆さんに平安あれ。
私の入信記、最終回です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/e5/5e11e5cf365702adb0d7bd20e2436bb2.jpg)
16. あれから約13年経った今…
スブハーナッラー(アッラーに栄光あれ)、早いもので、僕が入信してもうじき14年目になる。(2006年11月当時)
「入信後記」は入信記よりも波乱万丈で楽しいが、それは別の機会に譲るとしよう。
僕にとっての入信以降は、18歳という青春真っ只中での入信だっただけに、数多くの進路選択を迫られる中本当に紆余曲折の連続だった。
高校生活から大学入試、エジプト留学と挫折、アラビア語と合氣道の大学生活、
卒業と一般企業就職、超スピード辞職と名古屋モスク就職後の半社会人生活、
ハッジと解雇、シリア留学と7年越しの結ばれぬ恋、
志向転換と結婚、夫婦そろっての学生生活、長女の誕生、
預言者の相続者たちに学ぶイスラーム学の醍醐味、切磋琢磨しうる無二の親友ワフディー兄との出会い、
長男の誕生、導師との出会い、
ダマスカス大学日本語学科での翻訳教員とファトフ大シャリーア学部生の二足のわらじ生活、
卒業見込みのままの帰国と就職…様々な変化変遷の中で、イスラームだけは変わらずに僕とともにある。
ここで特記すべきとすれば、それは至高のアッラーが僕を数ある導きの扉の中でも「愛の扉」から導いてくださったということ。
アラビア語で「祈り」という名の女性をその扉の鍵としてくださり、その彼女をして僕の信仰をお試しになったということ。
そしてその試練を通して、愛が神格化された時代に生まれ育った僕に対し、
本当の意味での「ラー イラーハ イッラッラー(アッラーのほかに神なし⇒アッラーのほかに頼りとすべきものなし!)」を教えてくださったことだろうか。
いざ結婚して家庭を築く前に、
「お前が望むのはわれか、それともわれ以外のものか」と僕の本望を見極めさせてくれたアッラーの英知には、
ただただ称賛の言葉を繰り返すだけである。
イラーヒー アンタ マクスーディー ワ リダーカ マトゥルービー
わが神よ あなたこそわが目的にして、あなたのご満悦こそわが望み
ムスリムとして心の浄化の道を歩んだ先達が口にしたというこの言葉を噛み締めるたびに、
僕は改心したときの初心を思い出す。
少年のころ憧れた救世の使命感、それはムスリムとして言い換えれば、
「アッラーの道具として、アッラーの道に生涯を生き抜くこと」にほかならない。
シリアのダマスカスに留学した当初は、
いずれはムスリムとして過ごしやすいところへヒジュラ(移住)をするつもりで、
自分自身と将来の家族の幸せだけを考えていた。
もちろん僕は海外で生活している日本人ムスリムの同胞を非難したいわけではない。
ただ自分に起きた志向の変化転換を回想しているだけである。
そうしたほうが、最近日本で社会人生活を始めたこれからの僕のためになるからだ。
至高のアッラーは、僕をこの広い世界の中でも特に「日本」という国で生まれし者とした。
そして1億3千万人の中から1パーセントにも遠く満たない超マイノリティーのイスラーム入信者としてくださった。
そうである以上、僕の仕事はここ日本にある。
少なくとも日本との関わりを否定してしまおうとすることは、アッラーのご意志に反することに違いない。
(もちろん正しくはアッラーのみぞ知ることで、僕の言い分は単なる思い込みだ。)
至高のアッラーご自身が、『汝の近しい親戚縁者から警告を始めなさい。』と仰せられているのだから、知らんぷりはしていられない。
できるだけイスラームを勉強した後は、日本で生きていこう…そう決意したときに結婚相手として思い浮かんだ最初の人が、今のウンム・ハキームだった。
17. 現実を直視しながら…
快く今どき珍しい糟糠の妻となることを承知してくれた彼女と結婚して、早5年目である。(2006年11月当時)
「最も簡素な結婚が、最も祝福されたものとなります。」と預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)も言われているように、
円満な夫婦仲と可愛らしい一男一女に恵まれた僕は幸せだ。
祝福されたシャーム(シリア地方)の中心地ダマスカスで迎えた新婚生活とその後のゆったりとした家庭生活は、
日本での荒波をも越えてゆけるだけの強固な絆を僕たち夫婦の間にもたらしてくれたと信じている。
通算6年のダマスカス・イスラーム留学に一度幕を下ろし
(もちろん「タラブ=ル=イルム(聖知探求)」は、ビイズニッラー、生涯続けるつもりだ)、
去る2006年9月から日本の首都東京でサラリーマンとして純然たる社会人生活を始めた。
この国の大多数はサラリーマンだ。
学問を続けたいのは山々だが、サラリーマンの気持ちがわからずに万人向けのダアワなんかできやしない。
自分は安全なところに身を置き、やすやすと理想のムスリム生活を送りながら、大上段からものを言うのは簡単だ。
でもそれがどれだけ厳しい現実を生きる生身の人々の心にまでとどくだろうか。
これは僕だけに限らず、イスラーム学をたとえその基礎だけでも学ぶ好機と幸運に恵まれた人は誰もが肝に銘じておくべきことだと思う。
やるべきこと、やらなきゃならないこと、つまり「理想」を語るのは、簡単なのだ。
大切なのは本物のウラマーゥ(学者先生たち)が皆そうであるように、
自分には厳しく、他人には限りなく優しくあることなのだろう。
僕自身、帰国早々に「日本の現実」という苦い洗礼を受けさせられた。
どんなにアラブと関わりのある会社で普通一般企業に比べたら理解があるとはいえ、従業員の九分九厘はノン・ムスリム。
人目を気にせずにウドゥーができるわけでも、礼拝用特別室があるわけでもない。
6年シリアで「ぬるま湯」に浸かっていただけに、
帰宅するまでのズフルとアスル、マグリブの礼拝を時間内に果たすことがどれだけ大変か改めて思い知らされた。
義務の礼拝を果たす…それはまさに真剣勝負だ。
それから目指すは「リーマン・シャイフ」のつもりで週末には積極的に日本ムスリム協会で講義を始めたが、
やっぱりみんな日本で生活している人は忙しいのだろう。
イスラーム学の王道である「スクーリング(通学)」ができる人は非常に限られている。
わかってはいたつもりだが、やはり日本でダアワを志す者は、
「種まきと耕作だけに専念すべきで、その後の収穫は期待してはならない。アッラーに委ねるのみ。」との思いを痛感する今日このごろである。
願わくは僕がそのわずか一端を学ばせていただいた「預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)の遺産≒真知」を
少しでもより多くの同胞に伝えられますように。
恩師ムハンマド・アル=ヤアクービー師をはじめ、
ドクトール・ブーティーやドクトール・タウフィーク、
ムジール・アル=ハティーブ師やバドルッディーン・ナージー師、
それからアル=ハビーブ・アリー・アル=ジェフリー師など、
多くの学者先生たちがその言葉の端々や人となり、
その心から教えてくださった預言者ムハンマドさまの熱き心と優しいまなざし…
それを「次の人」へ伝えてゆきたい。
イスラーム学を学ぶとは、そういうことだと思う。
18. 最後に
死への恐れから始まった僕にとっての魂の旅…ムスリムとなってからはもう「僕自身」が死ぬのは怖くなくなった。
あるのはただ至らないところだらけの自分を恥じて感じるアッラーへの畏れと、
両親や弟に正しくイスラームを伝えられていない無念さ、
愛する妻子の行末を心配しての不安といったところか…。
自分の未熟さは潔く観念し、妻子の行末はアッラーにお預けすればよいとしても、
親兄弟や親戚といった身内の導きはどうしたらいいのか。
『汝は自分の愛する者を導くことはない。
だが、アッラーはお望みの者を導かれるのである。』とのアッラーの御言葉に抗うつもりは毛頭ないが、
家族を思えば思うほど、無力な自分が情けない…。
究極の悩みはただそれだけ。アッラーに祈るしかない。
「あなたはムスリムになって幸せですか?」と問われれば、
僕は満面に笑みをたたえて大きく頷くだろう。
お互いに助け合い、わかり合える妻とかわいい子供たちに囲まれ、
「あらゆる恵みの本当の与え主」を知る僕は、
間違いなく世界でいちばん幸せな人の一人である。
アルハムドゥリッラー…アッラーにこそ称讃あれ。
了
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預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)の愛と情熱、優しさと英知を次代へとつないでゆきたい