日本のイスラーム (Islam in Japan)

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日本でのイスラーム学習、イスラーム教育の充実を目指すブログです。

入信記 5 - 初心忘れるべからず(My Story of Islam 5 - Never forget the Heart of New Muslim)

2010年08月28日 | MESSAGE
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。

私の入信記、最終回です。





16. あれから約13年経った今…

スブハーナッラー(アッラーに栄光あれ)、早いもので、僕が入信してもうじき14年目になる。(2006年11月当時)

「入信後記」は入信記よりも波乱万丈で楽しいが、それは別の機会に譲るとしよう。

僕にとっての入信以降は、18歳という青春真っ只中での入信だっただけに、数多くの進路選択を迫られる中本当に紆余曲折の連続だった。

高校生活から大学入試、エジプト留学と挫折、アラビア語と合氣道の大学生活、
卒業と一般企業就職、超スピード辞職と名古屋モスク就職後の半社会人生活、
ハッジと解雇、シリア留学と7年越しの結ばれぬ恋、
志向転換と結婚、夫婦そろっての学生生活、長女の誕生、
預言者の相続者たちに学ぶイスラーム学の醍醐味、切磋琢磨しうる無二の親友ワフディー兄との出会い、
長男の誕生、導師との出会い、
ダマスカス大学日本語学科での翻訳教員とファトフ大シャリーア学部生の二足のわらじ生活、
卒業見込みのままの帰国と就職…様々な変化変遷の中で、イスラームだけは変わらずに僕とともにある。

ここで特記すべきとすれば、それは至高のアッラーが僕を数ある導きの扉の中でも「愛の扉」から導いてくださったということ。

アラビア語で「祈り」という名の女性をその扉の鍵としてくださり、その彼女をして僕の信仰をお試しになったということ。

そしてその試練を通して、愛が神格化された時代に生まれ育った僕に対し、
本当の意味での「ラー イラーハ イッラッラー(アッラーのほかに神なし⇒アッラーのほかに頼りとすべきものなし!)」を教えてくださったことだろうか。

いざ結婚して家庭を築く前に、
「お前が望むのはわれか、それともわれ以外のものか」と僕の本望を見極めさせてくれたアッラーの英知には、
ただただ称賛の言葉を繰り返すだけである。


イラーヒー アンタ マクスーディー ワ リダーカ マトゥルービー

わが神よ あなたこそわが目的にして、あなたのご満悦こそわが望み



ムスリムとして心の浄化の道を歩んだ先達が口にしたというこの言葉を噛み締めるたびに、
僕は改心したときの初心を思い出す。

少年のころ憧れた救世の使命感、それはムスリムとして言い換えれば、
「アッラーの道具として、アッラーの道に生涯を生き抜くこと」にほかならない。

シリアのダマスカスに留学した当初は、
いずれはムスリムとして過ごしやすいところへヒジュラ(移住)をするつもりで、
自分自身と将来の家族の幸せだけを考えていた。

もちろん僕は海外で生活している日本人ムスリムの同胞を非難したいわけではない。

ただ自分に起きた志向の変化転換を回想しているだけである。

そうしたほうが、最近日本で社会人生活を始めたこれからの僕のためになるからだ。

至高のアッラーは、僕をこの広い世界の中でも特に「日本」という国で生まれし者とした。

そして1億3千万人の中から1パーセントにも遠く満たない超マイノリティーのイスラーム入信者としてくださった。

そうである以上、僕の仕事はここ日本にある。

少なくとも日本との関わりを否定してしまおうとすることは、アッラーのご意志に反することに違いない。
(もちろん正しくはアッラーのみぞ知ることで、僕の言い分は単なる思い込みだ。)

至高のアッラーご自身が、『汝の近しい親戚縁者から警告を始めなさい。』と仰せられているのだから、知らんぷりはしていられない。

できるだけイスラームを勉強した後は、日本で生きていこう…そう決意したときに結婚相手として思い浮かんだ最初の人が、今のウンム・ハキームだった。



17. 現実を直視しながら…

快く今どき珍しい糟糠の妻となることを承知してくれた彼女と結婚して、早5年目である。(2006年11月当時)

「最も簡素な結婚が、最も祝福されたものとなります。」と預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)も言われているように、
円満な夫婦仲と可愛らしい一男一女に恵まれた僕は幸せだ。

祝福されたシャーム(シリア地方)の中心地ダマスカスで迎えた新婚生活とその後のゆったりとした家庭生活は、
日本での荒波をも越えてゆけるだけの強固な絆を僕たち夫婦の間にもたらしてくれたと信じている。

通算6年のダマスカス・イスラーム留学に一度幕を下ろし
(もちろん「タラブ=ル=イルム(聖知探求)」は、ビイズニッラー、生涯続けるつもりだ)、
去る2006年9月から日本の首都東京でサラリーマンとして純然たる社会人生活を始めた。

この国の大多数はサラリーマンだ。

学問を続けたいのは山々だが、サラリーマンの気持ちがわからずに万人向けのダアワなんかできやしない。

自分は安全なところに身を置き、やすやすと理想のムスリム生活を送りながら、大上段からものを言うのは簡単だ。

でもそれがどれだけ厳しい現実を生きる生身の人々の心にまでとどくだろうか。

これは僕だけに限らず、イスラーム学をたとえその基礎だけでも学ぶ好機と幸運に恵まれた人は誰もが肝に銘じておくべきことだと思う。

やるべきこと、やらなきゃならないこと、つまり「理想」を語るのは、簡単なのだ。

大切なのは本物のウラマーゥ(学者先生たち)が皆そうであるように、
自分には厳しく、他人には限りなく優しくあることなのだろう。

僕自身、帰国早々に「日本の現実」という苦い洗礼を受けさせられた。

どんなにアラブと関わりのある会社で普通一般企業に比べたら理解があるとはいえ、従業員の九分九厘はノン・ムスリム。

人目を気にせずにウドゥーができるわけでも、礼拝用特別室があるわけでもない。

6年シリアで「ぬるま湯」に浸かっていただけに、
帰宅するまでのズフルとアスル、マグリブの礼拝を時間内に果たすことがどれだけ大変か改めて思い知らされた。

義務の礼拝を果たす…それはまさに真剣勝負だ。

それから目指すは「リーマン・シャイフ」のつもりで週末には積極的に日本ムスリム協会で講義を始めたが、
やっぱりみんな日本で生活している人は忙しいのだろう。

イスラーム学の王道である「スクーリング(通学)」ができる人は非常に限られている。

わかってはいたつもりだが、やはり日本でダアワを志す者は、
「種まきと耕作だけに専念すべきで、その後の収穫は期待してはならない。アッラーに委ねるのみ。」との思いを痛感する今日このごろである。

願わくは僕がそのわずか一端を学ばせていただいた「預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)の遺産≒真知」を
少しでもより多くの同胞に伝えられますように。

恩師ムハンマド・アル=ヤアクービー師をはじめ、
ドクトール・ブーティーやドクトール・タウフィーク、
ムジール・アル=ハティーブ師やバドルッディーン・ナージー師、
それからアル=ハビーブ・アリー・アル=ジェフリー師など、
多くの学者先生たちがその言葉の端々や人となり、
その心から教えてくださった預言者ムハンマドさまの熱き心と優しいまなざし…
それを「次の人」へ伝えてゆきたい。

イスラーム学を学ぶとは、そういうことだと思う。



18. 最後に

死への恐れから始まった僕にとっての魂の旅…ムスリムとなってからはもう「僕自身」が死ぬのは怖くなくなった。

あるのはただ至らないところだらけの自分を恥じて感じるアッラーへの畏れと、
両親や弟に正しくイスラームを伝えられていない無念さ、
愛する妻子の行末を心配しての不安といったところか…。

自分の未熟さは潔く観念し、妻子の行末はアッラーにお預けすればよいとしても、
親兄弟や親戚といった身内の導きはどうしたらいいのか。

 『汝は自分の愛する者を導くことはない。
だが、アッラーはお望みの者を導かれるのである。』とのアッラーの御言葉に抗うつもりは毛頭ないが、
家族を思えば思うほど、無力な自分が情けない…。

究極の悩みはただそれだけ。アッラーに祈るしかない。

「あなたはムスリムになって幸せですか?」と問われれば、
僕は満面に笑みをたたえて大きく頷くだろう。

お互いに助け合い、わかり合える妻とかわいい子供たちに囲まれ、
「あらゆる恵みの本当の与え主」を知る僕は、
間違いなく世界でいちばん幸せな人の一人である。

アルハムドゥリッラー…アッラーにこそ称讃あれ。                           










預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)の愛と情熱、優しさと英知を次代へとつないでゆきたい

9月3日(金)福岡マスジドでのイベント案内

2010年08月28日 | EVENT NEWS イベントのお知らせ
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。

インシャーアッラー、9月4日(土)に父方のいとこが結婚式を挙げるため来福することになりましたので、
欲張りな私はせっかくの来福ですから来世貯金もできるよう福岡マスジドでのイベントも調整していただきました。

ステキなポスターを作ってくださったタウフィーク兄さんと
福岡マスジド関係者の皆さんに改めてお礼を申し上げつつ(ジャザーフムッラーフ ハイラン!)、以下の通りご案内いたします。








行徳ヒラー・マスジドご紹介(Introducing about Gyotoku Hira Masjid)

2010年08月27日 | ムスリム同胞との交流活動
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。

振り返ること早四年。
私たち家族がシリアのダマスカスから日本に帰国したのが2006年の8月末でしたから、もうじき丸4年の月日が経過したこととなります。
その間、私たちが信仰生活と伝教活動の拠点としてきたのが行徳のヒラー・マスジドです。

先日、日本ムスリム協会会報誌に寄稿したものの二番煎じで恐縮ですが、以下行徳ヒラー・マスジドを紹介させていただきます。




行徳ヒラー・マスジド(2010年5月31日記)

アッサラーム アライクム。
千葉県市川市行徳駅前三丁目にあるヒラー・マスジドは、1997年に設立され、2003年の新築を経て現在に至ります。
管理団体はイスラミック・サークル・オブ・ジャパン(ICOJ)。責任者は、元ICOJ代表のジャミール・アハマド氏です。
以下、最近始まったものも含め、定期的に行われている活動を紹介いたします。


【ヒラー・イブニング・スクール】(送迎あり)
日時: 毎週月曜日から金曜日18時から20時 
会場: ヒラー・マスジド3階
対象: 小・中学生
改築の一年前(2002年)から始まった、平日週五日の補習校です。
小、中学生27人の生徒たちに、夕方の5時から8時まで、現在は二人の先生が「クルアーン」、「イスラーム学習」、「英語」の三科目を教えています。
先生たちを含む運営側はがんばってくれていますが、先生の人手が足りないのに加えて学校帰りで疲れている子どもたちの学びを高めるにはいくつか課題があるようです。
先生役として助っ人になってくださる方があれば大歓迎ですので、ぜひお声がけください。





【行徳ムスリム・ファミリー土曜学校】
日時: 原則毎週土曜日10時30分から12時 
会場: ヒラー・マスジド2階または3階
対象: 幼児から小学生
2010年の年明けから始まった、毎週土曜日の午前中10時半から12時過ぎまでのウィークエンド・スクールです。
大人と子どものふれあいを大切に、3、4人の子どもたちとミニ・サークル学習のかたちで始まった土曜学校は、
子どもたちが8人、先生役が8人に増えたことから教室学習を兼ねたスタイルに移行しました。
「クルアーン読誦」、「色ぬりハディース」、「アダブ(礼儀作法)」、「イバーダ(信仰行為)」、「ナシード(イスラームの歌)」、
「イスラーム童話の読み聞かせ」を勉強し、お勉強のあとは先生役の大人も子どもも一緒になって遊びます。
晴れの日はマスジドの目の前にある公園で追いかけっこや長縄跳び、雨の日は館内でカード探しやミニ・リレー競争です。
イスラームの知識と教養を身に付けてもらいたいのもありますが、むしろ何よりも「ムスリムの先生やお友達と一緒にいるのが楽しい!♪」という思い出作りを目指しています。
先生たちに預けてお終いではなく、両親のどちらかが参加することを条件に、2歳から10歳までの子どもたちが集まっています。
参加費は運営者夫婦の両親や兄弟ら親族がイスラームに導かれるよう祈っていただくだけですので、興味のある方はお気軽にどうぞ!





【土曜集会】
日時: 第4土曜日を除く毎週土曜日イシャーの礼拝後から約1時間 
会場: ヒラー・マスジド各階(1階女性、2階ウルドゥー語話者、3階英語話者)
対象: ムスリム一般
毎週土曜の夜20時(夏場は21時)からのイシャーの礼拝後から約1時間、
ウルドゥー語話者は2階で、英語話者は3階でそれぞれクルアーンまたはハディース勉強会が行われます。
勉強会後は3階にて皆で会食。規模としては男性で70から80名、女性で10から20名程度の集まりでしょうか。
これを楽しみにやって来る人もいるようです。



【月例合同講座】
日時: 原則第4土曜日イシャーの礼拝後から約1時間(夏場はマグリブ礼拝後19時30分から21時) 
会場: ヒラー・マスジド2階(1階女性別企画、3階子ども別企画)
対象: ムスリム一般
1ヶ月に4回から5回の土曜集会がある中で、いつもは言語別に別れて勉強会をしているものの、
一月に1回は言葉の壁を越えてムスリム同胞同士一同に肩を並べて学び合おうということから、この月例合同講座が企画されています。
原則的に日本語と英語で合同講義が行われることから(英語のみの場合もあります)、
「ラスールッラーに学ぶ教育方法」というテーマで筆者が担当する講義や
好評のためここ3ヶ月ほど連続して開催している「セミ・パネル・ディスカッション」を行っています。
本プログラムはオンライン生中継もしておりますので、遠方にお住まいの方もぜひご参加ください。(参照先: www.icoj.org)





【イマーム・アンナワウィーの「40のハディース」解説講座】
日時: 原則第4土曜日14時から15時30分 
会場: ヒラー・マスジド2階または3階
対象: ムスリム一般
2008年から原則毎月第4土曜日の午後に開催されている本講座は全42の伝承解説のうち今月で第25の伝承に達しました。
預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)と直接つながることを期したハディースの原文素読から、
伝承者たるサハービーの紹介、覚えるとためになる一文のアラビア語解説、
ハディースの内容解説と私たちの日常生活に生かし得ること等の学習ポイントを中心に、筆者が熱のこもった講義をしています。
なお、本講義はオンライン生中継もしておりますので、遠方にお住まいの方もぜひご参加ください。(参照先: www.icoj.org)





【ムスリマ有志勉強会】
日時: 不定期、要相談 
会場: ヒラー・マスジド1階または3階
対象: ムスリマ希望者
筆者の妻ウンム・ハキームが有志とともにそれぞれの都合に合わせて不定期で行っている勉強会です。
タジュウィード・クラスは日本とウズベキスタン出身者と。アラビア語初級クラスは日本、ウズベキスタン、インド出身者と。
日本語初級クラスはウズベキスタン、インド、ミャンマー、ヨルダン出身者と行っており、マスジドを生かした姉妹間交流のよい機会となっているようです。
皆さん母親業兼主婦業に忙しく、定期的に学びたいという方には不向きかもしれませんが、
できるときに時間を活かしたいという方なら最適かもしれません。
興味のある方は、maeno711@yahoo.co.jpまで気軽にご連絡ください。


その他ヒラー・マスジドは、金曜日のジュムア集団礼拝や年2回のイード礼拝、
ラマダーン中のタラーウィーフ礼拝、週末を利用した一泊二日の研修合宿、
ご近所の方々への挨拶周りや町内会祭りへのカレー店出店、アクド・ニカーハ(結婚契約式)、
ジャナーザ(葬儀)礼拝、入信式など、様々な活動をしております。
地下鉄東西線沿いにありますので都内への交通の便もよく、家賃も都内と比べれば割安ですので、
「マスジドの近くに住みたい」というムスリム有志が集まっている現状から独断と偏見で察するに、
ムスリム・コミュニティ発展途上の町としては日本全国でも指折りの可能性を秘めていると思います。

自分のため、家族のためにかけがえのないイスラームの信仰を守るため、「国内ヒジュラ(移住)」をするならぜひ行徳を!と心よりお勧めする次第です。

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。


【行徳ヒラー・マスジド】
〒272-0133 千葉県市川市行徳駅前3-3-19
Tel:0473-95-8449
Fax:0473-98-0261
問い合わせ:ジャミール・アハマド(携帯:090-4574-9812)

入信記 4 - 初心忘れるべからず(My Story of Islam 4 - Never forget the Heart of New Muslim)

2010年08月18日 | MESSAGE



14. 18歳の悟り

宗教に限らず、武道にしても、茶道や生け花、料理や芸術全般にしても、
人が何かを学ぶにはお手本、あるいは模範が必要である。

そしてそれぞれ最高の模範は、
それを初めて始めた人の道、あるいはやり方であるのが一般的なケースだ。

その観点で、例えば世界三大宗教の祖をざっと見比べてみると、
掲げる理想はどれもみな美しくとも、どこまでそれが模倣可能、実践可能かとなると大きな違いがはっきりとしてくる。

より日本人に親しみのある開祖から順に見ていくと、
釈尊はたとえ小さくとも王家の出身で、人並み以上の生活を経験した上で出家し、
悟りを得た後はあらゆる煩悩を断ったと言われる人だ。

イエス様は大工仕事をされていたそうだが、
結婚もされず、伝道を始められてからは経済活動も一切されなかった。

預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)は使命を受けた後も結婚生活を大事にし、
社会生活を営む上でも様々な役割を果たされた。

当時から「清く正しく生きるという理想にできるだけ近づきたい」と思っていた僕にとって、
こうして三者の生き方を比べてみることは、
「果たして自分が歩み得る道かどうか」を見極める上で大きな決め手となったものである。

「よりよき世の中に」なること、あるいはすることを願う一個人として救世の可能性を見極める前に、
僕自身の生を救い得る具体的な道しるべがあるのかどうかが決め手だった。

己一人救えずして、いかに救世に貢献できようか…。

僕は預言者ムハンマドという人間の生き様に、人間としての最高の模範を見出し、
人間生活の基本全てを網羅するイスラームに、救世実現の限りない可能性を見出したのだ。(彼にアッラーの祝福と平安あれ)

それでも前々からひとつの宗教に信仰を寄せることは、
自ら足枷を付けてしまうようで、どうしても好きになれなかった。

加えて、霊感商法や何かで宗教団体がらみの災難に自分から首を突っ込むのは愚かしいと思っていた。

でもよくよくイスラームを知ってみると、ムスリムになるということは何も特別な団体に属するわけではない。

しいて言うなれば、「全知全能にして唯一の神に属することなんだ」とその時の僕は理解し、偏見からまたひとつ脱皮できたのである。



15. 再び最後の後押し

最後の一押しに話を戻そう。

僕は伝記映画「マルコムX」に釘付けとなった。

歴史に足跡を残した偉人と僕とでは最初から比べものにならないが、
いつしか僕は、放蕩生活の末に刑務所の中でイスラームに導かれてからの彼の変わり様、劇的な更生ぶりに、
自分の将来をオーバーラップさせていた。

黒人解放運動家としての彼ではなく、「ムスリム」としてのマルコムXがとても鮮烈で魅力的に見えた。

If you take a step toward Allah, He will take two steps towards you…

(もし君が一歩アッラーに近づこうとすれば、かれは君に二歩近づいてくださる)



原語では預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)に由来するこの言葉。心の底からアッラーに近づきたいと思った。

『威厳かつ栄光に満ちたアッラーは言われました。

「われはわれを思うしもべの思いとともにある。
われを思うところにわれはその者とともにある。

それゆえもしその者が自らのうちにわれを思えば、
われはその者をわがうちに思うであろう。

そしてもしその者が集団にてわれを思えば、
われはその集団よりも素晴らしい集団の中でその者を思うであろう。

もしその者がわれにシブル(手のひらほどの長さ)近づこうとすれば、
われはその者にズィラーウ(手先から肘までの長さ)近づこう。

そしてもしその者がズィラーウ近づこうとすれば、
われはその者にバーウ(腕の長さ)近づこう。

またもしその者がわれに歩いてやってくれば、
われはその者に走って行こう。」と。』


(教友アブー・フライラさまにまで遡るハディースとして、
イマーム・アハマド、アルブハーリー、ムスリム、アッティルミズィー、イブヌ・マージャらが伝えている)〔拙訳〕


大巡礼ハッジの光景を初めて映像で見て、
最後の迷いをふっきることができた僕はその晩、
正確には礼拝の作法を分からずとも生まれて初めて膝を折って床につけ、
額をつけて神に祈ったのである。

1994年1月12日の夜だった。