日本のイスラーム (Islam in Japan)

「日本のイスラーム」に関心を抱く方、ご協力願います!
日本でのイスラーム学習、イスラーム教育の充実を目指すブログです。

第2回イスラーム研修合宿(於:行徳6月25日~26日)

2010年06月29日 | ムスリム同胞との交流活動
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。

2010年6月25日(金)から26日(土)≒ヒジュラ暦1431年ラジャブ月13日から14日にかけて、
アルハムドゥリッラー、アッラーのおかげで第2回イスラーム研修合宿を無事全うすることができました。



東京ムスリムネットワーク懇親会としては六回目の集いとなった今回の晩餐会。
わざわ札幌から来て下さったタウフィーク須見さん、
ジャアファル諏佐さん、
ムジャーヒド松山さん、
アハマド高岡さん、
ハーリス・ハビーブさん(お父上はパキスタン出身の日系二世17歳!)
アブドッラー・タキー高澤さん、
イドリスノ・マジッドさんが集まってくれました。



それから嬉しいことにアメリカ出身のアブドゥルマティーンさんも来てくれました(^.^)



翌朝ファジュルの礼拝後にウォーキング・ズィクルを始めて間もなく、信号待ちをするみんなです(^_^)




アルハムドゥリッラー、前の晩にほとんど寝ないで用意した朝のズィクル集プリントに目をやってくれている真面目なムハンマド・サーリフ久保さん。
歌舞伎町マスジドのイマームたるアブドッラー・タキー高澤さんは右腕を上げてどんなお話をなさっているのでしょう?!(^.^)



折り返し地点から少し戻っての集合写真です。




野鳥保護公園にたどり着くまでは各自でズィクル。公園内に入ってからは皆で声に出してズィクルをしました。
早朝の澄んだ空気は気持ちがよくて、ズィクルで心も澄んだ気がします。



今回朝食は午前9時から。散歩をして、暁(ドゥハー)の礼拝を各自してまた仮眠をとってからでしたので、ちょうどよい時間だったかと思います。
タウフィークさんが札幌土産で差し入れてくださった大きくて立派なアスパラガスを、家内のウンム・ハキームがハラール・チキン・ソーセージと和えて一品用意してくれました。(アクラマハッラー!)




皆で楽しく歓談していると、長男ハキームがママのお使いでレモンティーの差し入れと共にやって来ました。親ばかですが、お利口さん!(^.^)



10時からはフットサルの時間でした。私は長女サキーナの小学校オープンスクールデイということでしばらく失礼して授業参観してまいりましたが、
戻ったらすでに皆マスジド前の公園にはおらず、近くの広場へ車で移動した模様。
マーシャーアッラー、後で聞いたら3人チームに分かれて試合のようなフットサルゲームが出来たそうです。




お昼のズフル礼拝前にハキームを連れに来た時は、二人の大きなお兄さんに遊んでもらえて幸せそうな光景を目にしました。
実際おじさんたちに遊んでもらえたり、おじさんたちがフットサルゲームをしている間は水遊びをしていたそうなので、楽しかったのでしょう。
帰るのを渋りましたが、いざ帰ってシャワーを浴び、お昼ご飯を食べてからはそのまま翌朝まで昏々と寝続けたハキームでした。



研修合宿はその後私のハディース解説講座、アスル礼拝、イスラーム英雄列伝(預言者ムハンマドさま第1部)を経て、
マディーナは預言者マスジドのイマームたるシャイフ・サラーハ・アルブダイルの来訪で佳境に入りました。
同師の行徳でのお話と船堀でのお話で感じたことについては、インシャーアッラー、また後日日を改めて。

それからインシャーアッラー、次回は命あらば7月24日(土)から25日(日)を予定しております。
ご都合のつく方はぜひご一緒ください。

第5回ICOJメンバー講習会とJMA役員選挙で思ったこと

2010年06月29日 | 日記
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。

2010年6月20日(日)≒ヒジュラ暦1431年ラジャブ月8日、
イスラミック・サークル・オブ・ジャパンのメンバー集会が浅草マスジドにて開かれました。
当初は家族皆で参加するつもりでしたが、
次男坊アミーンの具合が悪かったため、私一人の参加となりました。
(アルハムドゥリッラー、その後アミーンは回復し、元気になりました)

マーシャーアッラー、私が到着したころにはパキスタン出身の主要メンバーはすでに集まっており、
末席に私も身を置きましたが、割り切っているつもりとはいえ、
やはり「言葉がわからないゆえの疎外感」はなかなか拭えないものだなぁとまたしんみり感じました。
ひるがえって、だからこそイスラームの素晴らしい教えもやはり日本語を母語とする人には日本語で味わっていただけるよう邁進せねばと思いを新たにした次第です。

第五回目を数えたICOJ日本人部メンバー向け講習会では引き続きナワウィー師の『アルマカースィド(目的)』を講読し、
今回はホッフ(革靴)とイスティンジャーゥ(トイレでの洗浄)を中心に勉強しました。
遠方から遅れて駆けつけてくれた方を加えてメンバーは5名、ほか1名の参加でしたが、やはり女性陣って勉強熱心だなぁと毎度ながら感心しました。




その後すぐ総会に参加すべく日本ムスリム協会に向かいましたが、
途中迷ったりして遅れてしまい、到着したころにはすでに役員改選の開票中でした。
約170名の選挙/被選挙人の中から約20%に相当する33票(8位だったかな?)を頂戴して私が当選したのには、
何か選挙活動をしたわけではないので驚きましたが、
三位入選されたサーリヒ兄が長野の墓地関連活動に専念したいと辞退されたため、
「ならば私も」と思うところあって辞退させていただきました。
加えて現在の私には自分の身近なところからやるべきことをやれるように努めるだけで精一杯。
私にとってはリアリティーに欠ける協会活動にまで関与する余裕はありません。
いずれにしても、私にご投票くださった方にはご期待に添えられなかったことをこの場を借りてお詫び申し上げます。


保守か、革新か…この日本ではアッラーから頂戴したこの信仰を守りぬくことすら一大事ですので、保守に努力を費やすことも立派なことです。
しかしだからこそきちんと守り抜くためにも積極的な改善の試みが必要なのではないかと私は思います。
「攻撃は最大の防御なり」とはよく言ったものです。
ささやかながらも草の根の伝教活動を続けさせていただいてきた経験上、
あっという間に目減りしてしぼんでしまいそうな自分自身の信仰をなんとか持ちこたえてこられた(アッラーのおかげで)ことからも大きく頷けます。

若者が寄り付かない…そういった嘆きの声を聞き始めて久しいですが、
年長者が年少者の不甲斐なさを嘆くのは古今東西世の常であり常識でしょう。
大切なのは嘆いておしまいではなく、「どうすれば若者が集まってくれるようになるのか」考え、頭を悩ませ、心を砕くことではないか思うのです。
これはもう三十半ばのおじさんである私にも十分当てはまる話であり、力不足ながらも十代、二十代の若者へのアプローチに腐心しているつもりです。

イスラームは尊く、その聖知は高みにあって、
志のない人間のもとまで身を低くして接触の機会を安売りする類のものではありません。

私もかつては聖知探求の門戸は敷居が高いほうがよいと思っていましたが、
ダーイー(伝教者)たる人はアッラーのしもべたち(すべての人たち)のハーディム(奉仕者)として自ら腰をかがめ、
手を伸ばし続けるべきなんだろうなぁと最近強く思うようになった次第です。
おそらく前者はアーリム(学者)の眼鏡で(もちろん私は小さな学徒に過ぎませんが)、
後者はダーイー(伝教者)の眼鏡で見たものの見方なのかもしれません(もちろん私は伝教者もどきに過ぎませんが)。

June 26 プログラム予定 Programme Information

2010年06月24日 | EVENT NEWS イベントのお知らせ
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。

これまた我らが同志タウフィーク兄さんが6月26日のプログラム予定表をつくってくださいましたのでご案内いたします。(彼にアッラーの素晴らしき報奨がありますように!)
配布用ということで白黒でシンプルですが、シブくていいと思います。

インシャーアッラー、予定通り事が運ぶことを祈りましょう。

【日本語版】






【英語版】


EVENT NEWS イベントのご案内

2010年06月21日 | EVENT NEWS イベントのお知らせ
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。

我らが同志、北海道は札幌のタウフィーク兄さんが今週末のイベント案内をステキなポスターにしてくださいました。
ジャザーフッラーフ ハイラン!(彼にアッラーの素晴らしき報奨がありますように!)

近隣の方は、ぜひご参加ください。

【日本語案内】




【英語案内】

カラーマ(恩恵)~「神助受けし明証」より 

2010年06月21日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第18項目「カラーマ(恩恵)」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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أي أخي، أخاف عليك من الفرح بالكرامة وإظهارها. الأولياء يستترون من الكرامة كاستتار المرأة من دم الحيض.
أي أخي، الكرامة عزيزة بالنسبة إلى المكرم، ليست بشيء بالنسبة لنا لأن هذا الإكرام لما ورد من باب الكريم عَظُمَ وعزّ وتلقته القلوب بالإجلال
ولما تحول لفظ النسبة إلى العبد هان الأمر، واستتر الكامل من هذه النسبة التي تحول أمرها من باب قديم إلى باب حادث، خيفة من إستحسان النسبة الثانية، فإن قبولها سم قاتل

わが兄弟よ、特別な恩恵(カラーマ: 時として超常現象を伴う)とそれを披露する喜びに(足元をすくわれはしないかと)私は君のことが心配だ。
アウリヤーゥ(アッラーに近しい人たち)は女性が月経の血を隠そうとするようにカラーマを隠そうとするものである。

わが兄弟よ、カラーマはムカッラム(恩恵を受けし人)当人にとっては大切なものだが、我々にとっては何でもないのだ。
なぜならこの恩恵は寛大なる御方の門から現れたときには偉大にして尊いものとなり、人心皆尊崇の気持ちをもってこれを迎えるが、
一度それがしもべに属する行為への言及に転換してしまえば、事は軽微なものとなるからである。
それ(行為自体)が時を越えた古(いにしえ:カディーム)の門から生起(ハーディス)の門へと転換したことで、
完全者(アルカーミル)はもう見えなくなってしまったのである(直訳:完全者がその(行為の)帰属から隠されたからである)。
それは後者の帰属をよく評価し過ぎるのを恐れてのこと。
それを受け入れること(訳注:特別な行為を人間自らがなしたものとみなし、それへの称讃をそのまま享受すること。アッラーフ アァラム)は致命的な毒をあおるに等しいのである!



كلنا عار إلا من كساه، كلنا جائع إلا من أطعمه، كلنا ضال إلا من هداه. ليس للعاقل إلا قرع باب الكريم في الشدة والرخاء. المخلوق ضعف، عجز، فقر، حاجة، عدم محض. أكرم الله أحبابه المتقين، وأظهر على أيديهم الخوارق، وأيدهم بروح من عنده، ورفع منارهم فاشتغلوا به تعالى عن كل ذلك. خافوا الله فأسكنهم جنة قربه وأكرمهم إذا نزلوا به بالنظر إلى وجهه الكريم.
﴿وَأَمَّا مَنْ خَافَ مَقَامَ رَبِّهِ وَنَهَى النَّفْسَ عَنْ الْهَوَى* فَإِنَّ الْجَنَّةَ هِيَ الْمَأْوَى﴾ (النازعات 40 – 41)


我々は皆かの御方が服を着せてくださらなければ裸同然であり、
我々は皆かの御方が食べさせてくださらなければ空腹であり、
かの御方が導いてくださらなければ迷いの道にあるのだ。(訳注-ナワウィー師の「40のハディース」第24の伝承参照)
健全な理性に恵まれた者(アーキル)にとっては、苦楽いずれにおいても寛大なる御方(アルカリーム)の門を叩くしかない。
被造物(マフルーク)は弱さであり、無力、困窮、必要、全き無なのである。
アッラーはご自分の愛されるムッタクーン(アッラーを恐れて、かの御方の怒りに触れまいと自らの身を守ろうとする者たち)に特別な恩恵をもたらされた。
かの御方は彼らの手によって超常現象を起こさせ、ご自分の御許よりの聖霊によって彼らを支援され、彼らの灯台を高々と掲げられたことで、
彼らはすべてをよそに至高なる御方にのみ没頭したのであった。
彼らはアッラーを恐れたがゆえに、かの御方は彼らを「近しさの楽園(ジャンナトゥ・クルブ)」に住まわせられ、
彼らがいざそこに下るやその高貴な御顔を拝謁する特別な恩恵を与えられたのである。
『一方、自らの主の御前に立つことを恐れ、自我の身勝手な欲望を戒めた者。そうした者には天国がその住処である。』(第79アンナーズィアート章40-41節)



皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム