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恩恵の感謝(シュクル)~「神助受けし明証」より 

2010年09月28日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ


もし汝らがアッラーの御恵みを数えたとしても、覆い尽くすことはできない。
まことにアッラーはよく赦す慈悲深い御方。
(クルアーン第16ナハル章第18節)



アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第23項目「恩恵の感謝(シュクル」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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شكر النعمة
إنكار العبد نعمة الله من موجبات السلب. أنا من الذين لا خوف عليهم ولا هم يحزنون
إنّ الله إذا وهب عبده ما استردها. شكر النعمة معرفة قدرها
من أراد أن تدوم نعمته فليعرف قدرها، ومن أراد أن يعرف قدرها فليشكرها.
الشكر ما قاله الجنيد رضي الله عنه وهو: "أن لا يستعين العبد بنعمته تعالى على معصيته
الشكر وقوف القلب على جادة الأدب مع المنعم. الشكر أن يتقي العبد ربّه حقّ تقاته
وذلك أن يطاع فلا يعصى، ويذكر فلا ينسى، ويشكر فلا يكفر
الشكر اجتناب ما يغضب المنعم تعالى
الشكر رؤية المنعم لا رؤية النعمة

قالت عائشة رضي الله عنها: "أتاني رسول الله صلى الله عليه وسلم في ليلة، فدخل معي في لحافي حتى مسّ جلدي جلده
ثم قال لي: يا بنت أبي بكر، ذريني أتعبّد لربّي
قلت: إنّي أحبّ قربك، وأذنت له، فقام إلى قربة من ماء فتوضّأ وأكثر صبّ الماء
ثم قام يصلي، فبكى حتى سالت دموعه على صدره، ثم ركع فبكى، ثم سجد فبكى، ثم رفع رأسه فبكى، فلم يزل كذلك حتى جاء بلال فآذنه بالصلاة
فقلت: يارسول الله، ما يبكيك وقد غفر الله لك ما تقدّم من ذنبك وما تأخّر؟ فقال: "أفلا أكون عبدًا شكورًا" (رواه البخاري ومسلم والترمذي والنسائي
قال داود عليه السلام: "أي ربّ، كيف أشكرك وشكري لك نعمة من عندك؟ فأوحى الله إليه: ((الآن شكرتني
الشكر طلب المنعم ورفض الدنيا وما فيها. طلب المنعم يصحّ بالزهد
والزاهد من ترك الدنيا ولا يبالي من أخذها


恩恵の感謝(シュクル)

しもべたる者がアッラーの恩恵を否定することは、(恩恵)剥奪の原因となってしまう。私は恐れもなく憂いもない者たちの一人だ。

まことにアッラーはご自分のしもべに何かを与えたときは決してそれを取り戻そうとはなされない。

恩恵の感謝(シュクル)とは、その(恩恵の)程度を知ることである。

恩恵が末永く続くことを望む人は、その程度を知るがよい。

そしてその程度を知りたいと思う人は、それを感謝することだ。

感謝(シュクル)とは、アルジュナイド(アッラーのご満悦あれ)が言われたとおり。

「しもべたる者が至高なる御方の恩恵を、かの御方に背く助けとしないことだ。」


感謝とは、恵み主(アルムンイム)と接する際に心を礼儀の大通りで立ち止まらせることである。

感謝とは、しもべたる者が自らの主を恐れ、その怒りに触れまいと自らの身を守ろうとすることであり、
それをかの御方に相応しい本当の畏敬の念でもって果たすことである。

それはつまり、(かの御方は常に)従われ、背かれないということであり、
思い出され、忘れられないことであり、
感謝され、恩を忘れられることはないということである。

感謝とは、至高なる恵み主を怒らせるものを避けることである。
感謝とは、恵み主を見ることであり、恵みを見ることではない。

アーイシャさま(アッラーのご満悦あれ)はこう言われた。

「ある晩、私のもとにアッラーの御使いがいらっしゃいました。

私の寝床に入ってこられ、肌と肌が触れ合いました。

それから私にこう言われたのです。

『アブー・バクルの娘よ、わが主に祈りを捧げさせてくれたまえ。』

私は言いました。

「私はあなた様のお近くにいとうございます。」

そして彼に(退室を)許可しました。

するとかの人は立って水の入った皮袋のもとへ行かれ、ウドゥーをされ、水をたくさんかけられました。

それから礼拝に立たれ、涙が胸元に届くまで泣かれました。

それからルクーウをしては泣き、サジダをしては泣き、頭を上げては泣き、ビラールがやって来てアザーンをするまでずっとそうしておられました。

ですから私は言ったのです。

「アッラーの使徒さま、後にも先にもアッラーはあなた様の罪をすべてお赦しくださったというのに、何があなた様を泣かせるのですか?」

するとかの人は言われました。

『感謝するしもべであってはいけないかね?』」

(アルブハーリーとムスリム、アッティルミズィーおよびアンナサーイーの伝承)


ダーウードさま(平安あれ)は言われた。

「主よ、あなた様への私の感謝それ自体があなた様の御許よりの恵みであるというのに、一体どうやって私はあなた様に感謝すればよいでしょうか。」

するとアッラーは彼にこう啓示されたという。

「ようやくそなたはわれに感謝した。」


感謝とは、恵み主を求め、ドゥンヤー(この世)とこの世にあるものを拒むことをいう。

恵み主への希求はズフド(自制)によって成立するが、
ザーヒド(自制者)とはこの世を離れ、誰がこの世を得ようとも気にしない人のことをいうのである。




【訳者のつぶやき】

「アブド(ゥン)・シャクール(ン)(常に感謝するしもべ)」あるいは女性であれば、
「アマ(トゥン)・シャクーラ(トゥン)」…これは私たちムスリムが理想としたいあり方のひとつかと思います。

心の中で感謝の気持ちを確認するのは容易ですが(無論、これとてアッラーの御恵みです)、それをかたちにし続けるのは容易ではありません。

疲れて義務以上のサラーを捧げるのも辛いとき、
預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)とそのお言葉を思い出すと己への叱咤激励になります。

アファラー アクーヌ アブダン(女性なら、アマタン) シャクーラー(シャクーラタン)?
わたしは感謝するしもべにならないのか?


アファラー タクーヌ アブダン(女性なら、アマタン) シャクーラー(シャクーラタン)?
お前は感謝するしもべにならないのか?

ナアム、ウリード アン アクーナ アブダン シャクーラン!
もちろん、わたしは感謝するしもべになりたい!


皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム


追伸-2010年9月28日(火)本日、仕事の一環として帝国ホテルで開催された
サウジアラビア王国80周年建国記念ナショナルデー・レセプションに参加してまいりましたが、
色とりどりの料理を前に、「ラスールッラー(祝福と平安あれ)やサハーバ(アッラーのご満悦あれ)、
そしてサラフナー・アッサーリフ(私たちの正しき先達)がこの光景を見たら、
なんと言われるのだろうなぁ」と神妙な気持ちになりました。
時代が違うでは済まされないぐらい、私たちは恵まれているにもかかわらず、
先達の十分の一にも満たない感謝すらできていないのではないだろうか…

『ライン シャカルトゥム ラアズィーダンナクム(もし汝らが感謝すれば、われは汝らに〈恵みを〉さらに増やすであろう)』(イブラーヒーム章第7節)と
ご寛大にもおっしゃってくださっているアッラーではありますが、
感謝できなければ「今ある恵みでおしまいで天国での取り分はなし」なんてことにもなりかねません。

ヤーラッブ(主よ)、あなたへのこの感謝の気持ちに感謝いたします。どうか私たちを常にあなたへ感謝するしもべたちの一員としてください。アーミーン。

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