日本のイスラーム (Islam in Japan)

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日本でのイスラーム学習、イスラーム教育の充実を目指すブログです。

写真で綴るヒーリングコンサートVIII

2011年12月05日 | Islam in Japan 2011

Photo by RNN Administration

http://www.rnn.jp/news.html

 

アッサラーム アライクム。

皆さんに平安がありますように。

ヒーリングコンサートⅧでの発表模様がどんな感じだったかは、前回の投稿でお伝えした通りですが、

ここでは当日の写真を並べながらさらっと思うことを綴っておきたいと思います。

 

Assalaamu 'Alaykum, my dear and respected brothers and sisters.

How we went with the presentation of showing the prayers of Islam to Japanese publics at the occasion of Healing Concert VIII was as I uploaded to the Youtube.

Here are some notes for my memory through some photos.

「イスラーム様」っていうのが笑えますが、ありがたいことです(笑)

It says "waiting room for Mr./Ms. Islam" ... it's funny but I felt grateful for showing us respect.

 

マーシャーアッラー、会場となった神道山は大きくて美しい、よいところでした。

「神道山」というネーミングを見て、

いつの日か「イスラーム山」にも恵まれますように!と祈らずにはいられませんでした(笑)

Maa shaa Allah, the place was huge and beautiful.

The name of the mountain was Shinto-mountain... I couldn't help myself praying Allah to grant us oneday "Islam-mountain"!!

 

今回のヒーリングコンサートは、ご覧のとおり世界連邦の全国大会の一環として開催されたため、

参加者も500名を超える方々が集まったということでなかなかの見物でした。

Since the Healing Concert VIII held within the larger gathering of 33rd Peace Drive World Federation for all Japan religious people's conference, attendance was more than 500 people.

 

アルハムドゥリッラー、当日は美しい紅葉を見る機会にも恵まれ、

発表までの待ち時間に充分アッラーを讃える時間を持つことができ、

心が落ち着きました。

Alhamdu lillaah, it was good opportunity to enjoy and praise Allah's glory through seeing the beautiful nature, Maa shaa Allah.

 

 

 

発表後、会場の最後尾あたりに座って見学しました。後ろのほうから見るとこんな感じ。

This is how the conference hall was.

 

なんといっても私にとって記念すべきは、

3回目のヒーリングコンサート参加にして初めて

応援に駆けつけてくださった同胞やそのご友人と出会えたことです♪

発表中アイコンタクトのつもりで会場の皆さんに目をやる中で

私にとっては見慣れて親しみのある-でも一般参加者の中では煌めく宝石のように珍しくまばゆい-ヒジャーブ姿が目に入ってどんなに心強かったことか。

わざわざ京都から駆けつけてくださった同胞や、発表時間には仕事があって参加できないけどと待ち時間に会いに来てくださったトルコ出身の同胞、お昼前からずっと付き添ってくれたトルコ出身の旧友とその奥様や奥様のご友人もふくめ、旧交を温めたり、新しい出会いをいただいたりと、アルハムドゥリッラー、大変思い出深い一日となりました。

インシャーアッラー、来年は願わくはムスリムたちの集団礼拝姿をお見せすることができればいいなぁと思います。

The very remakable thing to me on that day was that we (myself and sister Yasmeen, the Muslim team of presenting Muslim's prayer in the Healing Concert) finally? (as the 3rd time participation) got some Muslims and their friends supporters!

How encouraging it was for me to find the sight of two Hijaab wearing sisters during my presentation as if I found two of my family members out of all strangers or as if the look of two Hijaab were shining jewels!

Alhamdu lillaah, that day was filled with beautiful, happy moments of meeting my good and old friend from Turky whom I lost contact for a long time with, as well as meeting some brothers from Turky who live in Okayama, a new Muslim Japanese brother who came all the way from Kyoto and some Muslimah Japanese sisters with their friends who seem to be very close to Islam (Yaa Allah, please guide them to Islam!)

In shaa Allah, hopefully we may able to offer and show our Jamaa'ah prayer next year...

 


クルアーン朗誦(第89暁章 / Quran 89)- Healing Concert VIII (2/2)

2011年12月04日 | Islam in Japan 2011

クルアーン朗誦(第89暁章 / Quran 89)- Healing Concert VIII (2/2)

 

2011年11月29日(火)に岡山県の黒住教本部神道山にて開催された

第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会プログラムのひとつ

「ヒーリングコンサートVIII」での発表。

当日は礼拝への呼びかけ「アザーン」のあと、

クルアーンの第89章、暁章(アルファジュル)を朗誦しました。

まだまだ修行が足りないため、途中で無意識のうちに間違えてしまいましたが、

すぐさま口をついて読み直し訂正できたのでよかったです。

アルハムドゥリッラー、終わった後会場の最後列あたりでほかの方々の発表を聞いていたところ、

歩行スペースをはさんで隣に座っておられたおばさまが微笑みながら

「とってもきれいなのを聞かせてくれてありがとうございました。初めて聞きました!」

と言ってくださいました。

ほかにも何人かの方からご好評いただき、

ビイズニッラー、無駄足ではなかったかなと一応胸をなでおろした次第です。

カトリックの皆さんはグレゴリアン聖歌を披露されたのですが、

近くのおじさんが「外国語だからさっぱりわからんな」と言っていたのを耳にし、

アラビア語のクルアーンも日本人にとっては外国語ゆえに

その素晴らしさはわかってもらえなかったかなぁと

わたしの力不足な朗誦を差し引いて反省しながらも、

「いや、それでも人工の聖歌とアッラーの御言葉では違うはず」

(注:カトリックの聖歌を揶揄しているわけではありません)

と好影響を望む気持ちを捨てはしませんでした。

イスラーム=テロだとか、知らないがゆえにコワいと思われがちなイスラームやムスリムの

マイナスイメージを少しでも改善するきっかけとなれば幸いです。

 


Quran Recitation (Chapter 89 - Surah Al-Fajr) in Okayama, Shinto Mountain of Kurozumi religion, Japan,

during the Healing Concert VIII.

Alhamdu lillaah, although I happend to make a mistake in the middle but Merciful Allah helped me to correct it immediately.

When I went to have a sheat at the last line of the Hall, a middle aged lady who were next to me opposite the walking path told me smiling,

"Thank you so much for letting me hear such beautiful thing! It was my first time to hear that!"

Recieving some other words of appreciation, I was relieved that my attendance wasn't in vain, Biiznillaah.

Still the images of Islam and Muslims are very negative becuase of no contact or wrong information.

I pray to Allah that He used that occasion to make the distance between Islam and Japanese attendances closer.

 


アザーン(Adhan) - Healing Concert VIII (1/2)

2011年12月03日 | Islam in Japan 2011

アザーン(Adhan) - Healing Concert VIII (1/2)

 

2011年11月29日(火)に岡山県の黒住教本部神道山にて開催された

第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会プログラムのひとつ

「ヒーリングコンサートVIII」での発表。

当日はこのイスラーム流礼拝への呼びかけこと「アザーン」で幕を開けました♪


Adhan in Okayama, Shinto Mountain of Kurozumi religion, Japan,

during the Healing Concert VIII.

Alhamdu lillaah, it was the opening for all the programmes of Healing Concert that day♪


行徳でのイードゥ・ル・アドハー説教(Khutbah of the 'Eid Al-Adhaa in Gyotoku H.1432)

2011年11月07日 | Islam in Japan 2011

 

敬愛なる兄弟姉妹の皆さん、

私たちの兄弟姉妹たる巡礼者たちは今頃まだファジュル前のムズダリファで夜を過ごしているところです。

今日は直接的には巡礼者たちに向けられたアッラーの御言葉から、

唯一真主アッラーを思い起こすズィクルの大切さについて学び直したいと思います。

至高のアッラーはこのように仰せられています。


فَإِذَا قَضَيْتُم مَنَاسِكَكُمْ فاَذْكُرُوا اللهَ كَذِكْرِكُمْ آبَاءَكُمْ أَوْ أَشَدَّ ذِكْراً فَمِنَ النَّاسِ مَن يَقُولُ رَبَّنَا آتِنَا فِي الدُّنْيَا وَما لَهُ فِي الآخِرَةِ مِن خَلاقٍ

وَمِنْهُمْ مَن يَقُولُ رَبَّنَا آتِنَا فِي الدُّنْيَا حَسَنَةً وَفي الآخِرَةِ حَسَنَةً وَقِنَا عَذابَ النَّار* أُولئكَ لَهُمْ نَصِيبٌ مِمَّا كَسَبُوا وَاللهُ سَرِيعُ الحِسَابِ

البقرة 200-202

『汝らが聖なる儀式を果たしたならば、アッラーを思い起こせ。

汝らの父祖を思い出すように、いやそれよりも激しく思い起こすのである。

人々のうちには、「主よ、この世で私たちに恵みをください」と言う者がある。

だが彼らはあの世での分け前を得られないであろう。

また人々のうちには、「主よ、私たちにこの世でよきものをお恵みください。

そしてあの世でもよきものをお恵みください。

地獄の業火から、私たちを守ってください。」と言う者がある。

こうした者たちには、彼らが稼いだものに対して分け前があろう。

アッラーは清算に迅速な御方。』(2:200-202)

“So when you have accomplished your sacred rites, remember Allah, as you remember your fathers, rather with far more heart and soul. There are people who say, “Our Lord! Give us (Your bounties) in this world!” but they will have no potion in the Hereafter. And there are people who say, “Our Lord! Give us good in this world and good in the Hereafter, and defend us from the torment of the Fire!” To those will be allotted what they have earned and Allah is quick in account.” (2:200-202)

イマーム・イブヌ・カスィールはこの聖句のうち

「父祖を思い出すように、いやそれよりも激しく」を解説するにあたり、

先達の解釈を二通り挙げております。

一つは、「子どもが両親を恋い慕うように」、

もう一つは、「イスラーム以前のカアバ聖殿巡礼者たちが先祖自慢をし合ったように」ということですが、

「激しくアッラーを思い起こせ!」というご命令に従う上で私たちにとって

より具体的にイメージしやすいのは前者のあり方でしょう。

私たちの多くは、親元を離れ、核家族で暮らしております。

人生経験を積めば積むほど、親のありがたみを痛感し、

物理的に離れれば離れるほど、親を恋しく感じるものです。

そうした気持ちをたとえに、至高のアッラーは同じように、

いやもっと激しくわれを思い起こせと命じておられる。

巡礼者に向けられた御言葉と、聞き流してはなりません。

そもそもハッジ、巡礼とは、偉大なる存在すなわちアッラーを目指すことを言うのですから、

広い意味でとらえれば、私たち信徒の人生は、生涯これすべてハッジなりです。

この人生という巡礼の旅では、たとえムスリムといえども

関心事は結局この世の幸せのみという人もあれば、

この世でもあの世でも幸せを願う人もあり、

前者は永遠の幸せには与れず、後者こそ生前の行いに応じて正しく評価してもらえる。

この違いはなんなのか。

ズィクルが、アッラーをいかに思い起こしたかが違いをもたらすのだと思います。

 

イブン・アルカイイム・アルジャウズィーヤ師(ヒジュラ歴751年≒西暦1349年没)は

『アルワービル・ッ・サイイブ・ミナ・ル・カリミ・ッ・タイイブ(الوابل الصيب من الكلم الطيب)』の中で

この聖句を解説し、言っております。

「そこではたくさん、そして強くズィクルをすることが命じられている。

しもべたる者はかの御方を強く必要とし、まばたきほどすらも

かの御方なしにはまともに生きられないからである。

よってしもべが至高のアッラーを思い起こすことのなかった瞬間は

どれもその者に対して不利な時間となり、その者のためとなる時間にはならない。

アッラーを意識しなかったがゆえに失うものは、得るものよりもはるかに大きいのである。」

そしてアーイシャさま(アッラーのご満悦あれ)によるものとして

イマーム・アルバイハキーが伝えるハディースを引用し、

預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)のお言葉を紹介しております。

『アーダムの子(人間)の過ごす時間のうち、

(アッラーを)思い起こすことのなかった時間で審判の日に後悔しない時間はありません。 』

同書の中でイマーム・イブン・アルカイイムはズィクルについて縦横無尽の解説をし、

ズィクルには百以上もの効能があると様々な効能を挙げております。

そのうち最初の10個ばかりを紹介しますと、曰く、

「シャイターンを退け、

慈悲深き御方を喜ばし、

心から悩みとストレスを取り除き、

喜びと幸せと安堵感をもたらす。

心身を強くし、

顔と心を輝かせ、

糧を呼び込み、

威厳と信仰の甘美さをもたらし、

イスラームの精神たる愛の気持ちを与え、

アッラーに見られているという気持ちを高める。」等々、その効能は絶大です。

加えてズィクルの方法について最良のものは、

クルアーン読誦、アッラーを思い起こしたり称讃したりする文言を繰り返すこと、

各種のドゥアー(祈り)とのこと。

 

アッラーの御言葉やラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)のお導き、そして先達の解説は、

私たちの実際の日常生活で反映されるためにあります。

私たちの生活の場はどこでしょうか。日本です。

ムスリムばかりに囲まれているわけではありません。

時代環境はどうでしょうか。すこぶる便利です。様々なモノに囲まれております。

だからこそのズィクルです。

だからこそ至高のアッラーを私たちの父母を思い出すように、

いやもっと強く激しく思い出す毎日を送る必要があるのです。

 

【第2部】
繰り返します。アッラーの御言葉やラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)のお導き、

そして先達の解説は、私たちの実際の日常生活で反映されなければ、宝の持ち腐れです。

私たちは日本で暮らしています。ですから私たちの人間関係は、ムスリムとばかりではありません。
つまりどういうことでしょうか。
ムスリムではない人たちにも多かれ少なかれ影響を受けるということです。

私たちが生かされている時代環境は、ヒジュラ歴でいえば15世紀前半、西暦でいえば21世紀前半です。

モノの利便性は日々進歩しており、ソーシャルネットワークサービスを通じて海を隔てた遠くの人とも瞬時にコミュニケーションがとれるようになりました。

自分の働きかけ、自分の一言がすぐに世界でどのような反応を得られるかを確認することすらできるようになっています。
つまりどういうことでしょうか。
アッラー以外のモノ、ヒトに一喜一憂し、魅了され、時間を無駄にしてしまいかねないということです。

おまけに私たちの中には、隙あらばアッラーの道から逸れてやろう、逸れてやろうとする「悪しき自我」が潜んでいます。

だからこそのズィクルです。

だからこそ至高のアッラーを私たちの父母を思い出すように、

いやもっと強く激しく思い出す毎日を送る必要があるのです。

今日はアッラーを喜びとともに思い起こす絶好のチャンス!アッラーをたくさん思い出してください!♪

عيد مبارك سعيد! وتقبل الله طاعتكم! وكل عام وأنتم بخير!