伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

楽な手段に落とし穴有り

2008-02-27 20:06:45 | Weblog
読者より :
私は愛知に住んでいますのでよく熱田神宮に参拝しますが、国家第二の神宮の為か中々個人的な祈願は聞いて貰えないような気がします。
人によってはメジャーな神社の神様は神力も絶大だけどプライドが高く、日本の国の問題レベルの大きい祈願は聞いてくれるが、個人の身勝手な祈願はスルーされると言っているようです。個人の事を聞いて下さる神社はどこなのでしょうか?
返答 :
個人の願望を叶える為には、神を働かそうとする考えです
ね。 ただ、ほとんどの人間には、神社とは個人の願望を願
う場所だとの認識のようです。
ケチケチせずに欲望を叶えて呉れても良いと思うのでしょう
か。 その為に、わざわざ足を運んで、賽銭を出しているか
ら、当然の権利の様に思っているならば、こんな不信心は
ありません。 霊的意味では、怖いもの知らずとも言えます。

この現実界では、ただほど怖いものは無いと言います。
言い換えれば、この世では、ただの物は何も無いとも言え
ます。 霊的世界でも、個人の欲望に積極的に関与する存在
に、正神はいません。 必ず、そこには霊的な交換条件が有
ります。 個人利を祈願して、不幸にも叶えられた場合、
① 祈願者の願望への正しい努力の結果の上であり、霊的
   存在の関与が無かった場合。
② 幽界の存在が、現実界へ干渉して、個人利を誘導して
   授ける。
①の場合は、祈願はしたが、先祖霊の守護により、幽界の
存在を遠ざけて、本人の努力を誘導して叶えらる場合であり
、後から願望達成への見返りの請求書は来ません。
関与したのは、神では無く、先祖霊です。 この世的な個人利
を、駆け引き無しで授けることが許されるのは、先祖霊です。
親が子供を助けるのは、駆け引き無しです。
問題は②です。 本人が忘れた頃に利子を付けて、見返りへ
の請求をして来ます。 
私は、今までに相談者が受けた、色々な請求書を見て来ま
した。 祈願により、事業の成功や金銭を得た見返りとして
祈願者の後年に起こることは、本人の健康問題、子孫の不幸
、体の機能の欠損、短命・・・・。これらは、まだ、良い方です。
今生での事は今生で、請求と支払いが完結するからです。
一番怖いことは、今生に何も起こらず順風に終わった場合、
死後に、霊的存在により魂座が喰われることです。
授かった利益分、死後に魔物に使えなければ生けません。
そのような魂座を無くす人間が出た家系の子孫は、苦労が
絶えません。 霊線を詰まらせる大きな荷物に成ります。

トータルで考えると、イレギュラーな手段で得たものは最終的
には大損をします。 神霊は、これを「金の斧と鉄の斧」の
神話で、色々な似たパターンで大昔から世界中で神話として
伝えていると示唆します。
短い人生、楽な近道を探すよりも、思い切って苦労を恐れず、
感謝の気持ちで受け切る醍醐味もあります。

生かして頂いて ありがとう御座います

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コメント (79)
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