一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(183) ―『廃帝』

2007-09-25 00:20:12 | Book Review
南朝後醍醐帝によって廃帝とされ、明治以降は南北朝正閏論で南朝が正統とされたために歴代天皇から抹殺された、北朝の天皇・光厳帝を主人公にした長編小説。

珍しい人物を主人公に据えてはいるのですが、明らかに失敗作と評せざるを得ません。

その理由の第1は、何をテーマにした小説か、その全体構成の上から読み取れないことです。
推測するに、おそらくは「武」によって立った後醍醐帝に対して、別の原理で対峙しようとした光厳帝を示したかったのでしょう。
本書での光厳帝の科白に、次のようなものがあります。
「なぜわれらは弓矢を取らないか。武器は、勝敗を決するものだからだ。だが帝の座とは勝敗を超えた聖なるところにある。そうでなければ武門と変りはしない。『荒ぶる者どもには負けよ、武を以て侵し得ぬ場こそ王者の座である』……そう花園院は教えて下された。愚直のようだが私はそれを信じる。この座にいて、もし賊に首を斬られるなら、それが神意なのだと思う」
これが本作品の、もっとも中心になるテーマであると思われます。

しかし、光厳帝(もう「院」ではあったが)は結局世を捨てて、常照寺で仏道修行に勤め、世を去ることになるのね。
これは、光厳院の路線が、有効ではなかったことを示すエピソードではないのでしょうか。ですから、テーマをはっきりさせるためには、ラストの部分を別の形とする必要があったでしょう。

また、語り口としては、光厳院の日記の残欠からのパートと、後醍醐帝の命令により光厳院を襲撃し失敗した源鬼丸の回想のパートに分れています。
日記残欠の部分は、第一人称の語りですから、光厳院の内面に関して触れることができます。
そして、源鬼丸の回想の部分では、第三人称の語りとなり、当時の政治情勢を語り、かつ、後醍醐帝と光厳帝との両者の違いを語ることもできるわけです。
けれども、この回想部分が中途半端なため、そのテーマを立体的に浮き彫りにすることに失敗しています。

第2には、時代考証がちゃんと出来ていないことが、テーマを曖昧にすることにも繋がってきています。
というのは、この時代、後醍醐帝によって「異類異形」の徒が、歴史の表面に登場してくるわけですが、時代考証がいい加減なため、せっかく源鬼丸や「陀羅尼助」という「異類異形」に属する架空の人物を登場させたのに、それが十分には生きてこない結果に終わっている。

以上のような理由から、本作品を失敗作と断ずるわけです。
後醍醐帝vs.光厳帝など、せっかく面白い素材を選んだのにね(小生なら、網野史学の結果をもっと生かして、この2人の帝の対立を、「異類異形」=「非正統」vs.「正統」という形で描きますけれども)。

森真沙子
『廃帝』
角川春樹事務所
定価 1,890 円 (税込)
ISBN978-4758410298

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