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最近の拾い読みから(181) ―『政治家の文章』

2007-09-17 05:11:42 | Book Review
政治家と日本語という話題を語る上で、武田泰淳の著書『政治家の文章』は欠かすことのできない基本的な書物でしょう。

もちろん、初版発行が1960年と古く、扱われている政治家が、宇垣一成、浜口雄幸、芦田均、荒木貞夫、近衛文磨、重光葵、鳩山一郎、徳田球一といった、昭和戦前期から敗戦直後にかけ活躍した人たちですから、時代色を感じざるを得ない。

けれども、その本質的なものは、なぜか今日の政治家でも変っていないところがあります。
それが、社会にとって幸福なのか、不幸なのかは、実際に本書を読んで御判断ください。

さて、本書のトップ・バッターは宇垣一成(うがき・かずしげ。1868 - 1956) です。
軍人ではあるのですが、「政界の惑星」と呼ばれた独自の政治家でもあります。

本書の冒頭にあるのが、『宇垣一成日記』からの一節(大正13年1月1日)。
「光輝ある三千年の歴史を有する帝国の運命盛衰は繋(かか)りて吾一人にある。親愛する七千万同胞の栄辱興亡は預りて吾一身にある。余は此の森厳なる責任感と崇高な真面目(しんめんもく)とを以て勇往する。余は進取、積極、放胆、活発、偉大の精神意気を以て驀進する。世態人情の趣向は余に此の決意を一層鞏固ならしめたり。」
如何でしょうか。今は、文章の巧拙は問いません。
著者の感想は、こうです。
「おそらく、鴎外も漱石も荷風も龍之介も、このような文章は書けなかったであろう。ぼくらの先輩の文学者には、この種の自信はなかった。むしろ宇垣のここに示した如き自信が持てなかったこと、それが彼らが文学者となった出発点であった。彼らには、このような文章の書けるはずがなかった。どのようなことがあっても書けない。書きたくない、書いてはならぬという自覚と信念があったればこそ、彼らは、全く別種の文章を書きつづけることができたのである。」
小生も同感ですが、今日の状況を考えると、それは文学者だけではないでしょう。一般の人びとも、日記とはいえ、とてもこのような表現はできないではないでしょうか。

しかし、政治家諸公の中には、「光輝ある三千年の歴史」や「進取、積極、放胆、活発、偉大の精神意気を以て驀進する」に類することを臆面もなく書く人が、まだまだいそうな気配がする。
ある意味で「美しい国」とか「戦後レジームからの脱却」などというフレーズも、そうではなかったか。

自己批判や省察などいうものは、政治家は語る必要はないのかもしれませんが、そのようなものすら持ち合わせていないような「顔」をした人を、宰相に据えることは、社会にとって大なる不幸だと思います。

武田泰淳
『政治家の文章』
岩波新書
定価 819 円 (税込)
ISBN978-4004140382

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2 コメント

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一番気に入らない言葉は (Junco)
2007-09-18 10:53:42
「遺憾」というヤツですねぇ。

何にでも使ってからに。なにこれ?って感じ。怒るなら怒れぇ!!!ってイラチ来ますよ。ったく。ヽ(#゜Д゜)ノ

やっぱし、むかし国会でバカヤローって言って解散させられたトラウマでもあるんだろうなぁ。でも庶民としては本音で喋って欲しいですよ。(^_^)v
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吉田茂のブラック・ジョーク (一風斎)
2007-09-20 20:17:32
吉田茂内閣当時の「バカヤロー解散」ですか?

まあ、あの人辺りになると、
本音なのかジョークなのか、
はっきりしないところもあったりして。

何しろ健康・長寿の秘訣が、
「人を食うこと」
だっていうんだから。
イギリス流のブラックな笑いなんでしょうかね。

では、また。
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