本書の著者・原武史は、
したがって、鉄道専門誌に掲載されているようなエッセイとは、一味違ったものとなっている(前著の『鉄道ひとつばなし』や『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』をも参照)。
ここで、原の鉄道エッセイものに流れている基本的な考え方/感じ方をいえば、それは「文化的保守性」であろう(歴史研究者は、政治的な考えとは別に、文化的に保守的になる傾向がある)。
それを端的に示しているのは、「第三章 日本の鉄道全線シンポジウム」に引かれている三島の次のようなことば、
そのような観点から書かれている本書には、「迷夢から、さめる日」を決して迎えていない現状への苦々しさが、随所に読み取れる。
その苦々しさは、たとえば、小田急「ホームウェイ71号」に関して書かれた、
ということで、一般の鉄道マニアではなく、むしろ、
それにしても、この市場経済絶対主義の下で「迷夢から、さめる日」などは来るのでしょうかね。
原武史(はら・たけし)
『鉄道ひとつばなし2』
講談社現代新書
定価:777円 (税込)
ISBN978-4061498853
「本職は私立大学の教員で、日本の政治思想史、特に近現代の天皇や皇室」の研究者で(このジャンルでは、2000年刊行の『大正天皇』で話題を呼んだ)、
「鉄道の専門家ではない。」
したがって、鉄道専門誌に掲載されているようなエッセイとは、一味違ったものとなっている(前著の『鉄道ひとつばなし』や『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』をも参照)。
ここで、原の鉄道エッセイものに流れている基本的な考え方/感じ方をいえば、それは「文化的保守性」であろう(歴史研究者は、政治的な考えとは別に、文化的に保守的になる傾向がある)。
それを端的に示しているのは、「第三章 日本の鉄道全線シンポジウム」に引かれている三島の次のようなことば、
「すべてが明るくなり、軽快になり、快適になり、スピードを増し、それで世の中がよくなるかといへば、さうしたものでもあるまい。(中略)いつかは人々も、ただ早かれ、ただ便利であれ、といふやうな迷夢から、さめる日が来るにちがいない」(三島由紀夫『汽車への郷愁』)であろう。
そのような観点から書かれている本書には、「迷夢から、さめる日」を決して迎えていない現状への苦々しさが、随所に読み取れる。
その苦々しさは、たとえば、小田急「ホームウェイ71号」に関して書かれた、
「『成長する郊外』(東急田園都市線沿線・引用者註)では、定員の多い通勤型の車両に客を無理に押し込むのが精一杯で、座席指定の特急を走らせるだけの余裕がない。この贅沢な通勤は皮肉にも、『上質な暮らし』などという不動産会社の広告に惑わされず、流行に背を向けて決然と『衰退する郊外』(多摩ニュータウン・引用者註)に住み続けることを選んだ人々にこそ赦された特権なのである。」や、ロンドン市内および近郊の電車事情を述べた「ケンブリッジで電車通勤を考える」「鉄道から見た倫敦」によく現れている。
ということで、一般の鉄道マニアではなく、むしろ、
「鉄道を通して見えてくる日本の近代や、民間人の思想や、都市なり郊外なりの形成や、東京と地方の格差」などに興味をお持ちの方にお勧めできる書籍であろう。
それにしても、この市場経済絶対主義の下で「迷夢から、さめる日」などは来るのでしょうかね。
原武史(はら・たけし)
『鉄道ひとつばなし2』
講談社現代新書
定価:777円 (税込)
ISBN978-4061498853
どのようにしてその「傾向」が出るのか興味があります。
歴史に「たら・れば」はなく、史実を積み重ねているうちに愛着がわく、などという単純なものでもなさそうです。