一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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人物を読む(1)―真間の手児奈のこと その1

2007-04-18 07:07:59 | Person
手児奈(てこな、または、てごな)という奈良時代以前(『萬葉集』の時代には既に伝説であり、その生きていた時期ですら特定されない)の女性について知られていることは、まことに少ない。
『萬葉集』に高橋虫麻呂と山部赤人の、長歌とそれに対する反歌のみが残されている。

基本的には、葛飾の真間に住む手児奈という可憐な乙女が、多数からの求婚に応えられず、淵に身を投げて死んだ、という内容。
そして虫麻呂は、
  勝鹿の真間の井を見れば立ち平らし水汲ましけむ手児奈し思ほゆ
と、また赤人は、
  葛飾の真間の入江にうちなびく玉藻刈りけむ手児奈し思ほゆ
と詠んだわけである。

さて、真間(現在の市川市)や間々(小山市に間々田という地がある)という地名は、「急な崖・斜面」という自然地形を指す。葛飾の真間の場合には、下総台地が真間川(手児奈時代には東京湾の入江最奥部)になだれ込んだ崖場を差すと思われる(真間山弘法寺の石段のある急斜面一帯)。
当然、赤人の歌にある「真間の入江」は、その崖下ということになる(現在、真間川と崖場との間の平地に、手児奈霊堂や真間の井がある)。

この時代、入江に面した平地には、東京湾での漁を生業にしていた人びとの集落があったことだろう。
また、その背後の台地上には、下総国府と国分寺・国分尼寺があり、一種の先進地帯をなしていたと思われる。

それでは、この両者に関係していたと思われる手児奈という娘は、どのような存在だったのか。
*ちなみに『萬葉集』(巻9 1807、1808)高橋虫麻呂の長歌と反歌とは、「挽歌」に分類されている「勝鹿(かづしか)の真間娘子(ままをとめ)を詠める歌一首、また短歌」というタイトルのものである。
長歌は次のとおり。
   鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと
   今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手兒名(てこな)が
   麻衣(あさきぬ)に 青衿(あをえり)着け 直(ひた)さ麻を 裳には織り着て
   髪だにも 掻きは梳らず 履(くつ)をだに はかず歩けど
   錦綾(にしきあや)の 中に包(くく)める 斎(いは)ひ子も 妹にしかめや
   望月の 足れる面(おも)わに 花のごと 笑みて立てれば
   夏虫の 火に入るがごと 水門(みなと)入りに 舟榜ぐごとく
   行きかがひ* 人の言ふ時 幾許(いくばく)も 生けらじものを
   何すとか 身をたな知りて 波の音(と)の 騒く湊の
   奥城に 妹が臥(こ)やせる 遠き代に ありけることを

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