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『昭和史発掘 7 ― 2.26事件 III 』を読む。

2005-09-09 10:39:19 | Book Review
1960年代に週刊誌連載の後、単行本化され、1970年代に文庫化されたものの新装版(新装版第7巻は、旧文庫第10巻(「襲撃」「『諸子の行動』」)+旧文庫第11巻の一部(「占領と戒厳令」)。

第7巻は、
「襲撃」
「『諸子の行動』」
「占領と戒厳令」
の3編よりなる。

松本清張の『昭和史発掘』も第7巻となり、〈2・26事件〉の叙述も佳境を迎えたところで、松本のこの事件に対するスタンスを考えてみよう。

既刊の記述から、この事件が戦前期日本が、軍国主義への傾斜を強めることの契機となったという認識があることは間違えがないところ。
また、そのような認識は、大多数の史家や識者が抱いていると思われる。

例えば、前にご紹介した 保阪正康『あの戦争は何だったか』 では、
「青年将校の決起自体は失敗に終ったわけであるが、結果的に『二・二六事件』は、彼らが訴えていた通りの『軍主導』、とくに『陸軍主導』による国家体制の方向へ進ませることになった。」
とある。

ただ、未だに一部に根強く残っているのが、青年将校たちの〈現状改革〉(天皇親政の下、農村の疲弊を救済、「私利私欲を計る」財閥を潰し、「金権腐敗した」政党政治を廃止する、など)の意志や動機を良しとするものである。
そのような論者の多くは、彼ら青年将校の動機は善とし、重臣暗殺という手段は悪(人によっては、それすら必要悪と見る)とする。
事件当時からその論はあって、代表的なのが、侍従武官長の本庄繁のもの。
「彼等行動部隊ノ将校ノ行為ハ、(中略)統帥権ヲ犯スノ甚シキモノニシテ、固(もと)ヨリ、許スベカラザルモノナルモ、其精神ニ至リテハ、君国ヲ思フニ出デタルモノニシテ、必ズシモ咎(とが)ムベキニアラズ」(『本庄日記』松本著より引用)

そして、彼らの「善意」が、陸軍上層部(特に統制派)によって結果的に利用された、とする。

松本は、それらの「大義」は、全て否定する。
なぜなら、「大義」なるものも、彼らの思い上がり/傲慢さによる観念であると見定めるからである。

第一、天皇へ忠義を尽す「大善」なるもの(「陛下の大御心に沿って、『一歩前へ出て』お仕えすること」保阪・前掲書による)は、
「彼らが自ら使ってきた常套手段だったのではないか。彼らは何かといえば、『陛下の御宸襟(ごしんきん)を安んじ奉るため』とかことごとく天皇を表にふりかざしてきた。(中略)『大権私議』は法令上の問題であって、天皇の『尊厳』とは関係ない。これを故意に、あるいは無意識に混同し、相手を沈黙させるのが彼らの使ってきた手であった。」
皮肉にも、彼らの行動は、昭和天皇により否定される。
――よく知られているように、昭和天皇は強硬に、青年将校たちは反乱軍であるから、速やかに断固討伐せよとの意思を示している。『昭和天皇独白録』は、「当時叛軍に対して討伐命令を出したが、(中略)当時岡田(首相)の所在が不明なのと且又陸軍省の態度が手緩るかったので、私から厳命を下した訳である。」と述べている。

第二に、〈昭和維新〉のスローガンの下、同志によって立ち上がった、とするが、実際には事情もまるで分らない新兵を命令によって率いて、クーデターを起こしたこと。
つまりは、兵士をも、事件に巻き込んだということである。

彼ら自身は確信犯であるから、失敗すれば極刑に処せられることも覚悟していただろうが、兵士たち(下士官の大部分ですら)は、そうではない。
それを上官の命令で利用したことは、将校としての傲慢さに他ならない。

彼らの主観では、
「軍隊はすでに何年か以前に自覚せる兵と下士によつて将校を非定(原文ママ。否定)しようとしていたのだ、全将校が貴族化し、軍閥化したから、此処に新しい自覚運動が起つて、それが上官の弾圧にあふたびに下へ下へとうつつて、今や下士官兵の間にもえさかつているのだ。」(磯部浅一『行動記』。松本著より引用)
となっているが、実は、彼らとても兵や下士官を利用していることには、無自覚である。

本書には、そのような形で巻き込まれた兵士・下士官たちの声が、証言として載っている。
(大蔵大臣高橋是清を殺害すると上官に言われ)「これは大変なことになったと私は思った。しかし命令に従うほかなかった。」(ある上等兵の談)

「兵隊たちは命令のままついてゆくより仕方がなかった。兵を直接指揮しているわれわれ下士官にしても同じことで、もはや、どうしようもなく、上官の命令のまま従ったのである。」(ある特務曹長の談)
これは類書には見られない特徴で、言わず語らずに、事件に対する松本自身の批判を示したものだろう。
――兵の参加者は1360名。内、起訴された者20名、有罪となった者4名。下士官の場合は、参加者88名、起訴者73名、有罪となった者42名。以上のように、死刑判決はなかったものの、命令で参加したにも関わらず、かなりの数の下士官・兵が有罪となっている。( 北博昭『二・二六事件全検証』より)

以上のような視点が、今後どのように表れてくるか、まだ『昭和史発掘』シリーズは2巻を残している。

松本清張
『昭和史発掘 7』
文春文庫
定価:本体829円+税