一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『二・二六事件全検証』を読む。

2005-07-19 00:09:10 | Book Review
今まで「二・二六事件」に関しては、さまざまな書籍が刊行されてきた(本ブログでも、松本清張『昭和史発掘』を紹介した)。
その中での本書の第一の特徴は、「あるがまま」に史実を追うことであろう。

著者は従来の記述を、
「天皇や国家あるいは大義や革新等々、大上段の歴史的理論の所産というイメージが強い」
と批判する。
それに対し、著者の方法論を採ると、
「事件が、とりとめのない思い込みや予期せぬ成り行き、偶然の重なり、といったなかでの駆け引きや損得勘定で展開した部分のじつに多いことをおしえてくれる」。
つまり、リアルな姿で、事件と登場人物が立ち現われてくるわけである。

小生、『昭和史発掘』での記述は、人物の行動に的を絞ってかなりリアルに描かれている、と思っていたが、本書を読むと、その点でのツッコミが浅いことを思い知らされる。やはり松本も、思い込みによる誤断が多いようだ(特に、皇道派対統制派の対立図式、皇道派将官による陰謀など)。

また、従来定説とされてきたことも、覆される可能性が高いことが分る。
例えば、昭和天皇がこの事件に対して、「当初から」毅然としていたとする説。
間違いなく天皇は、「決起を叛乱とし、それに最も強く憤りいち早く討伐を主張し」ていたであろう。
しかし、本書によれば、
26日午前5時40分、天皇の元に第一報が入った段階では、
「大事件の勃発に圧されたとしてもふしぎはない」
のである(『木戸日記』『本庄日記』による)。
そして、
「天皇が『討伐を主張』するのは、『いち早く』ではなく、宮中グループ(一風斎註・木戸幸一内大臣秘書官長、湯浅倉平宮内大臣、広幡忠隆侍従次長)の献策を受け容れてのちである」。

同様なことは、石原莞爾の事件に対する態度にも言える。
「石原が『ハッキリ』と討伐の線を打ち出すのは、二十八日である。」
「二十七日の午前一時すぎ、帝国ホテル。皇道派の陸軍大学校教官満井佐吉中佐、静岡県三島の野戦重砲兵第二連隊長で清軍派の橋本欣五郎大佐、参謀本部第二(作戦)課長の石原莞爾大佐が会合する。」
「橋本が『陛下に直接奏上して反乱軍将兵の大赦をおねがいし、その条件のもとに反乱軍を降参せしめ、その上で軍の力で適当な革新政府を樹立して時局を収拾する』と提案すると、石原はこれを受け容れ、ただちに参謀次長杉山元中将の『了解をうけ』たという。」

以上のような例が、真崎甚三郎の事件黒幕説、北一輝・西田税の積極関与説、などに対しても見られる。

得てして、歴史上の人物は全て先が読めた上で、合理的な判断を行っているように見え勝ちであるが、実際のところは、われわれ同様にお先真っ暗、ないしは周囲数10センチ程度の視界がある程度の状態で、いわば手探りのようにして行動している。
「二・二六事件」も、その例外ではありえないということであろう。

北博昭
『二・二六事件全検証』
朝日選書
定価:本体1200円+税
ISBN4022598212