goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶〜難波:🍻大阪OB会 🚶難波…淀屋橋〜 240821

2024-08-21 17:35:38 | 📖 日記
久々の大阪Rk:Hgsd会で難波へ,段々と国際的地区化?,日本語が聞こえない…本町辺り迄

🚶〜淀屋橋//なんば…大阪難波改札前…頑固寿司🍻🍣🥗…🍵🍰👬…道頓堀通…堺筋…長堀通…堺筋…本町:船場センタービル街2〜5号(:3号東端:槇尾古書店👀)…心斎橋筋…淀屋橋〜🚉…Alp🥪🧊🧴…右岸堤防道…>
🚶11800歩

⛅️:やや曇天やっぱり暑い街中,人多すぎ


🍻頑固もパッド注文に!メニューをそのまま画面入出力にしたらいいのに…
 時代やなあ…
🍵半分は外人か?
 道頓堀はたこ焼き屋増殖?屋台化夜店化?
違和感が…
 古書店では触手動くも何とか我慢




御堂筋淀屋橋に建つ新ビル2



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「から騒ぎ」だった南海トラフ巨大地震、日本の地震予知に欠けている重要な視点とは 2024/08

2024-08-21 00:39:57 | なるほど  ふぅ〜ん

「から騒ぎ」だった南海トラフ巨大地震、日本の地震予知に欠けている重要な視点とは
  ダイヤモンドOnline より 240821  木俣正剛


 日本中が不安に陥った南海トラフ地震「巨大地震注意」は1週間で解除された

⚫︎「巨大地震注意」は何事もなく解除 
    社会が被った予想以上の影響
 私は元編集者で地震の専門家ではありませんが、逆に専門家の言うことも「まずは疑ってかかる」ということを、仕事上の責任だと思っています。

 8月8日に宮崎で地震が起こり、政府は「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」を召集、その夜には南海トラフ地震臨時情報として「巨大地震注意」という文言が日本中にあふれました。
 日本中がバニックになり、お盆の連休に期待していた観光地の宿泊施設では予約のキャンセルが相次ぎ、新幹線は徐行し、人々は食料品の買い出しに走りました。

 そんな中、私も建設、消防、自衛隊、自治体などに関わるキーマンたちに意見を聞き、日本が最低限取り組むべき防災・減災対策についてまとめた記事を寄稿しました(https://diamond.jp/articles/-/348677)。しかし、たった1週間後の15日に「巨大地震注意」の呼びかけは解除となりました。

 日本は地震大国ですから、地震への警戒は常にすべきですが、何十年も国家予算をかけて、政府と気象庁が「地震予知連絡会」を運営しているのに、予知を成功させたことがなく、また珍しく「巨大地震注意」という予告を出したのに、「地震活動などに特段の異常が観測されなかった」と、明確な説明がないまま収束しました。この機に、地震予知の方法を見直してもいいのではないかと思います。

 もちろん、巨大地震のリスクを常に分析し、少しでも不安が生じれば国民に早期の警戒を呼びかけることは、国家として必要不可欠な仕事の一つです。
 今回は事前に決められたルールの範囲で適正に発出された呼びかけでもあったことでしょう。1週間で解除されましたが、引き続き国民一人一人が警戒を続けるべきです。
 とはいえ、これだけの影響を社会に与えることが改めてわかったのだから、予知の精度を上げていくことも、同じくらい重要なテーマだと思うのです。

 そもそも論になってしまいますが、ロバート・ゲラー東大教授は「地震予知が科学的に不可能である」と主張していました。彼によると、
(1)日本政府が使用している確率論的地震動予測地図は、実際の地震発生場所と一致しないことが多く、その信頼性に疑問がある、
(2)地震の前兆を観測することは非常に難しく、短期的な地震予知は現実的ではない、ということです。
 実際、予知に成功していないわけですから、この主張は一定の説得力があります。

⚫︎プレート理論は定説ではなくなりつつある?
  疑問を投げかける専門家の気になる主張
 特に、地震予知連絡会や気象庁、政府が地震が起きる度に説明の中心としているプレート理論そのものが、世界的に見て定説とまでは言い切れるものではなくなっているということを主張する学者は少なからずいるのが実情です。
 そのことを、日本のメディアは吟味してから報道すべきです。

 これについて、詳しく述べましょう。もともとプレート理論は仮説として有力視され、1969年に開催された米国のランドマークペンローズ会議で発表されました。出席した日本人科学者は、初めてこの理論を知り、その理論を信じ、いつしか「仮説」から「真理」のように解釈してしまいました。そして地震予知連絡会が作られ、莫大な予算が投じられて、新しい視点や理論が出てきても、なかなか受け容れられない仕組みになってしまっていると言われます。

 科学は常に進歩します。DNA解析で日本人のルーツに関する研究が大きく変わったように、地球の内部に関する調査も50年前から進歩しました。
 私に新しい調査結果を教えてくれたのは、埼玉大学名誉教授(地質学)の角田史雄氏と元内閣情報調査室参事官の藤和彦氏による『徹底図解 メガ地震がやってくる!』(ビジネス社)という書籍でした。
 この書籍の内容を参照しながら、論を進めましょう(引用は「要約」になるので、詳しくは本書をお読みください)。

 本書によると,かつては地球の内部を調べる方法がなく,推測によって,地下100kmまでの範囲内に硬い岩盤(プレート)があるという理論が主流でした(400キロという説もあります)。
 しかしこの10年ほどで新しい研究が進みました。米国地質研究所は,人間に使うMRIを巨大にしたような装置を使ってさらに地下深くの状況を解明することに成功し,660kmまでのデータを公開しました。同時に世界火山学会(スミソニアン博物館)も,火山爆発とマントルのたまり具合を詳細にデータで発表しています。

 この調査でわかったことは、プレートに関する従来の説を覆すものでした。
プレート説の根幹は、地中深くにあるマントル(地球内部の地殻と核との間の層。溶けると溶岩流のような状態になる)の対流によって隆起した山脈(海嶺)から生まれたプレートが十数枚あり、それがぶつかるか、片方の下部に沈むと地震や火山噴火を誘発するというものです。
 しかし、このMRI(正式名はMT=マントルトモグラフィー)の調査では、太平洋の底には地下1000キロまで温かいマントルが流れているものの、巨大プレートを形成するための強い関連性はないこと、またプレートは地下すべてを覆っているものではなく、厚さもなくて、巨大地震のエネルギーを生み出せるほどのパワーはないことが指摘されました。
 そしてプレートは常に一定方向に遠距離移動しており、実際には時計回りに回転していて、いずれ衝突し地震が起こるという「沈み込み理論」は適合しないということです。

 確かにそう考えると、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など、最大震度7を記録している地震はすべてプレート境界面以外で起こっています。そして予知もできませんでした。
 また海外に目を転じても、大規模地震の震源とされる太平洋プレートから2500kmも離れた中国四川省で起きたM8の大地震の説明がつきません。
 となると、8月当初、日本中に警告が発せられていた南海トラフ地震の発生理由も、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界で起こるという理論が基になっているので、疑問がわいてきます。

⚫︎最先端の調査が行われる一方
   過去の巨大地震を根拠とした推論も
 もっとも,地震予知連絡会の調査もいい加減なものではありません。国土地理院が設置した約1300カ所の電子基準点から得られるデータを基に,人工知能(AI)と物理モデルを組み合わせたハイブリッドな解析手法を用いた「MEGA地震予測」のシステムを駆使しています。
 今回宮崎で地震が起きたとき、南海トラフ地震との関連性を発表するのに時間がかかったのは、まさにこのシステムでの計算に2時間も全力を傾けていたからです。

 が、メディアの報道を見ると、南海トラフ地震が起こる確率は、むしろ過去の巨大地震を根拠としたアバウトな推理になってしまっています。
 1854年の安政東海地震、安政南海地震から約90年後に昭和東南海地震、昭和南海地震が起きたため、今はそれから80年たっているから、次の大地震発生まであと10年しか猶予がないというものです。

 一方、「日向灘はもともと群発地震が起こっていたところで、最初の南海トラフには入っていなかった。ましてや、それが南海(四国,和歌山)から駿河、房総半島まで及ぶとは思えない」と言う地震学者もいます。地震の専門家からメディアにいたるまで、どうも目線が合っていないように感じてしまいます。

 話を最新の調査結果に戻すと、
(1)マントル対流による摩擦熱ではプレートを動かすことはできない、
(2)そもそもプレートを生む海嶺の下にはマントル対流がない、
という説が唱えられ始めました。
 米国地質研究所の調査画像によれば、地球の地下1000kmに及ぶ冷たく巨大な岩の柱がマントル対流を遮っているそうです。
 一方、地下200kmの環太平洋火山・地震帯が日本をすっぽり覆っていること、その下の熱いマントルが南太平洋から東アフリカへと伸びる「熱の移送路」があることも判明しました。
 そこで地質学者である角田氏は、大地震の真犯人は地球内部からの高熱流(地表の下410kmから660kmにある,上部マントルと下部マントルに挟まれる遷移層=マグマと岩石が混じった状態のもの)ではないかと推理しました。彼自身が語っているように、これはまだ仮説にすぎません。
 しかし、もともと海域の理論であるプレート説が陸の地震に拡大解釈された感は否めません。
 たまたま日本の場合、地形的に特殊な場所にあり、プレートが起こした地震と解釈できる部分があったため、学者の多くがプレート説に取り憑かれてしまったというのです。
 実はプレートを動かしているのは、もっと地球の深奥にある高熱流であり、プレートはその共犯者でしかないと角田氏は推理しています。
 つまり無縁ではないのですが、マントルが地震を起こして、下から突き上げられたプレートが動いて最終仕上げをするという構造になっており、前述のようにプレートそのものには大きなエネルギーを放出する力はないということで、「プレートを追いかけても、地震予知はできない」というのが氏の仮説の結論です。

 そして、地球には黒潮のようなマントルの流れが三つあり、そのうち二つが日本列島の下にあります。M7以上の地震の半分が日本で起こるのは、そのためだというのです。 

「角田仮説」では、地球の深層で5回以上M5以上の深発地震が起こり、それが3回続くと、確実にそのマントル対流上で大地震が起こるそうです。たとえば阪神淡路大震災のときは、5カ月前と2カ月前にフィジーとジャワで起きていました。東日本大震災のときは、約1カ月の間にフィジーとフィリピンで10回起きていました。熊本地震の場合も、小笠原とフィジーで5回起きています。

⚫︎様々な仮説を検証しながら
    自ら警戒して備えるべき
 このように、過去の大地震と深層地震と火山の関係を調べると、過去に起きた86回に及ぶM7以上の大地震は、すべてこの例に当てはまると本書は伝えています。

 本書には、大地震が次にどこで起こるかという予測も詳述されていますが、ネタばれになるので、紹介するのはやめておきます。もともとは、政府側にいて地震予知連絡会が地震を予知できないことに不審感を持った藤氏が、自身の仮説を紹介するために出版したもので、近いうちに南海トラフ地震にポイントを絞った新刊も上梓されるそうです。

 もちろん、日向灘では群発地震が続いています。そして確率論ではありますが、昭和東南海地震から80年という注意喚起にも、それなりの説得力はあります。
 ですから読者諸氏には、引き続き警戒を緩めないでほしいと思います。日本は地震大国。そしてここで紹介した話も、今のところ仮説にすぎません。
 科学的にははっきりしたことはわかっていないのだから、自ら警戒して備えるしかないのです。

(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)




💋予知には年100億、事後対策は… 予知主導大学閥の怠慢,不作為
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本の仏教」と「釈迦本来の教え」の決定的な違い 202408

2024-08-21 00:13:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「日本の仏教」と「釈迦本来の教え」の決定的な違い
 東洋経済Online より 240820 
  古舘 伊知郎:フリーアナウンサー,佐々木 閑:花園大学特別教授


⚫︎釈迦は「教えが変わるだろう」ではなく「教えが滅びるだろう」と考えていたはずです

 一言で「仏教」と言っても、日本で浸透しているのは釈迦本来の教えではなく、教義を変えた「大乗仏教」である。
 では、なぜ日本では大乗仏教が一般的になったのか? 40代で仏教に目覚めた古舘伊知郎氏と、釈迦仏教の第一人者・佐々木閑氏との対話を通じて考える。
※本稿は、古舘伊知郎・佐々木閑著📗『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』PHP新書より一部を抜粋・編集したものです。

⚫︎釈迦は「教えが滅びるだろう」と考えていた

古館:釈迦はサンガに入って修行することを説き、諸行無常だから集団の中で教えが変遷していくことも認めていた。それでも釈迦自身が発見した縁起は真理だから変わらない。
 けれども、真理以外の物事はすべて移りゆくから、仏教も変わっていくだろうと考えるのは自然ですよね。だから仏教には変化を受け入れる土台があり、その流れの中に大乗仏教が芽生えるきっかけがあるように思うのですが、この解釈は間違いではないですか。

佐々木:難しいところだと思います。釈迦本人の視点に立ってみれば、自分の教えが将来変化することは予想していなかったはずです。変わっていくのではなく、自分の教えを信奉する人が次第に減っていって、いずれ仏教が滅びる時代(仏滅)が訪れると考えていたのではないでしょうか。「教えが変わるだろう」ではなく「教えが滅びるだろう」と考えていたはずです。

古舘:それなら釈迦はきっと、「大乗仏教」のように形を変えて世界中に広まるなんて思いもよらなかったでしょうね。日本では釈迦の仏教ではなく、神や仏といった絶対的存在を認める大乗仏教が浸透しているわけですから。
 そもそも、なぜ日本では大乗仏教が普及したのでしょうか。時代背景も含めて、佐々木先生にうかがいたいです。

⚫︎自分の中にある仏性

佐々木:大乗仏教の特徴の1つである「悟りのインスタント化」が大きいでしょう。大乗仏教は釈迦の仏教とは違って、自分の中にある煩悩を自分の力だけで消していこうとするのではなく、なんらかの外的な助けを借りて消そうとします。たとえば、「自分の心の内には、もとから仏が存在している」という仏性思想は大乗仏教の代表的教えの1つですが、これは「自己を見つめる」という行為だけで悟りを開くことができると考える点で、悟りへの道が極端に簡略化されています。この教えを究極にまで推し進めると「いまの状態がそのまま悟りだ」という、釈迦の教えとはまったく異なる現実肯定論に行き着きます。

古舘:自分の中にある仏性に気づき、人として正しく生きていれば誰もがブッダになれるという物語は大乗仏教でよく説かれていますが、ストーリー性のある説法が民衆にとって親しみやすかったのでしょうか。

佐々木:親しみやすいというよりも、救いの道がインスタント化されたために、そのアピール度が釈迦の仏教よりもはるかに高いのです。誰だって「困難な道を時間をかけて歩まねばならない」という教えよりも「誰でも簡単に悟れます」という教えに惹かれるのは当然のことですから。
 いまの産業世界の商品でたとえると、最初に出てきたのは釈迦の仏教。そのあと、さまざまな機能をつけ足して出てきたのが大乗仏教です。ベースとなる最初の製品に便利な機能をつけて「こちらのほうが手間を省けますよ」というふうに次々と新製品がつくられる。こうして悟りの領域や道筋がどんどんと簡素化していき、機能性の高い改良されたものが手に入る、という形で大乗仏教は生まれました。

古舘:炊飯器にたとえると、「ワンタッチでご飯が炊けますよ」みたいなことですね。

佐々木:そうです。かまどで炊くのが釈迦の仏教なのですが、それがワンタッチで炊けるようになってくるのです。
 ただしここで問題なのは、そうやってインスタント化した教えが、本当に私たちの生きる苦しみを消し去る機能を持っているのかどうかです。インスタントなものにはそれなりの怪しさもつきまといますから。
 これに関しては、大乗の教えでいいと考える人もいるでしょうし、釈迦の教えのほうが信頼できると感じる人もいるでしょう。そこは選択の問題です。
 ともかく、こうして新たに登場したさまざまなスタイルの大乗仏教は皆、「我こそが釈迦の教えである」という看板を掲げてインドに広まっていきました。
 時系列に沿って釈迦の仏教から種々の大乗仏教へと、仏教は次第に変容してきたと皆わかっているのならば、「最新式のインスタント仏教は便利だけれども、本物は別にあるのでは」という半信半疑な気持ちになりますね。
 ところが、どの製品も「これこそが釈迦が説いた本物だ」という謳い文句になっているわけです。知らない人が見たら、どの製品を選ぶでしょうか。

古舘:全部に「元祖、本家」とついているなら、最新型を選ぶに決まっていますね。

佐々木:はい、こうして、歴史的には一番新しい教えが、最も良い製品として皆の注目を浴びるようになるのです。

⚫︎は1つではない、人それぞれ

古舘:失礼な言い方かもしれませんが、大乗仏教は大変便利であると言えますね。だから僕も、生きるうえで重宝しています。
 だけど、真理は本来そこまで便利ではないし、やはり薪やかまどで炊く最初のやり方が本物だと思っています。
 それなのに、実生活では便利な最新式を使ってしまう。このような二重構造で生きていいのでしょうか。

佐々木:どちらを選ぶか、どのように使うかは消費者によります。釈迦の教えでなくても最新式ならいい、という人もいるわけです。自分にとって生きる支えになるのであれば、別に本家でなくていいでしょう。
 ですが、私も古舘さんも釈迦の教えが真理だと信じていますから、釈迦の仏教を選びました。
 それは私たち独自の感性の表れであって、それが唯一の正解だ、などということにはなりません。必要に応じて最新式の大乗仏教を取り入れることも、もちろん間違いではありません。どちらをどのように選んだとしても、その人にとっては真理なのです。

古舘:真理は1つではない、人それぞれ違うということですね。

⚫︎何を選んでも自由

佐々木:その人が選び取った真理を、「間違いだから捨てなさい、こちらを真理として選びなさい」とは言えません。
 宗教は科学ではありませんから、それぞれが何を選んだとしても自由です。私たちが釈迦の教えを素晴らしいと言っても、普遍性のある主張ではない。それぞれの領域のものを選び取って、これこそ釈迦が一番言いたかったこと、釈迦の本意はこれだったと個人的に解釈するわけですから。

古舘:だから大乗仏教の世界では、釈迦の教えをさまざまな形に変えた教義が生まれてくるのですね。

佐々木:その変遷が大乗仏教の多様性を生むわけです。もし大乗仏教が釈迦の教えを曲解しただけの底の浅いものだったら、これほど長きにわたって信仰されていないでしょう。とっくの昔に途絶えてしまっているはずです。

古舘:現在に至るまで日本で信仰されてきたのには、それなりの理由や意味があったわけだ。

佐々木:たとえ釈迦の教えとは教義が違っていたとしても、その多様な世界を知ることによって大乗仏教の存在価値が見えてくるでしょう。

古舘:なるほど。ただ、科学がここまで信仰されるなか、私のように信仰はほしいけどあの世や神、仏といった超越存在を信じ切ることは難しく、「信仰難民」と化している人間には、実践できずとも、釈迦仏教の真理は沁みるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

任天堂、京都府宇治市に「ニンテンドーミュージアム」10月2日よりオープン  202408

2024-08-21 00:03:00 | 〽️ 行事・新案内等 控え

任天堂、京都府宇治市に「ニンテンドーミュージアム」10月2日よりオープン 娯楽の歴史やものづくり体験ができる広報施設
AMP News  より 240821  


 任天堂は、京都府宇治市に「ニンテンドーミュージアム」を、10月2日よりオープンすることを発表した。
  ニンテンドーミュージアム | 任天堂

「ニンテンドーミュージアム」は、同社がつくり続けてきた娯楽の歴史と独創を大切にしたものづくりへのこだわりを、発売してきた数多くの製品展示を通して「知る」・「体験する」広報施設となっている。

 また、同社製品の展示や体験スペースのほかにも、同社の原点である「花札」を実際につくったり、ルールを知りながら遊んだりすることもできるという。(※体験には来館当日の予約と別途費用が必要)

⚫︎「知る」「体験する」「つくる・あそぶ」スペースイメージ
 施設内のカフェではスペシャルドリンクのほか、好きな具材を自由に組み合わせてつくるオリジナルハンバーガーを用意。

 ほかにも、同社のゲームの世界やキャラクターをテーマにしたオフィシャルグッズに加え、同施設ならではの限定商品を取り扱っているショップもあるとのことだ。

 なお、入館チケットは抽選販売で、事前に希望の日程のチケットを申し込み、当選後にチケット代金の支払いとなる。詳細は「ニンテンドーミュージアム」チケットページより確認可能とのことだ。

■施設概要
住所:〒611-0042 京都府宇治市小倉町神楽田56番地
 営業時間:10:00〜18:00
  休館日:毎週火曜日および年末年始(12月30日〜1月3日)
 ※火曜日が祝日の場合は営業。翌水曜日が振替で休館となる

アクセス:
・近鉄京都線「小倉駅」東口から徒歩5分
・JR奈良線「JR小倉駅」北出口から徒歩8分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする