goo blog サービス終了のお知らせ 

goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶…南陵町…宇治川高架橋… 。🚙〜観月橋Std〜伏見〜 230921

2023-09-21 22:59:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸堤防道…宇治橋…宇治淀線…JR奈良沿線南沿…若森…矢落…天神…南陵西通り👀…八幡宇治線踏切…伊勢田町大谷交差点…城陽宇治線…ブックオフ👀…槙島交差点…蛭子嶋旅社…奈良街道…蛭子嶋神社…槙島農地(大町…幡貫…郡)…宇治川高架橋…Alp…右岸堤防道…>
🚶12366歩
🌥️☔️散歩前と後に大雨有り
 南陵西通りよりの眺望ヨシ!

夜) 🚙〜観月橋Std〜伏見稲荷駅近く📦〜観月橋Std📦〜>    <荷物運び作業=重い資料




宇治丘陵の南陵西通りよりの眺望

Alpに充電器が1から新型3機に






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本マニアの震源地、フランスで起きた「ジャポニスム」の真実。 2023/09

2023-09-21 10:53:00 | なるほど  ふぅ〜ん

日本マニアの震源地、フランスで起きた「ジャポニスム」の真実。パリ在住キュレーターが解説
  和楽web より 230921  マリーヌ・ワグナー


⚫︎ペリー来航の4年後にはパリに「ジャパンショップ」が
「ジャポニスム(仏 Japonisme/ジャポニズムなどとも)」という言葉は、1872年にフランスの美術評論家でコレクターのフィリップ・ビュルティによって作られた造語で、西洋に紹介された開国後の日本の芸術と文化の理想化から発展しました。

 当時、日本で庶民をはじめとして広く親しまれていた商業美術である「浮世絵」とともに,その「装飾芸術(デコラティブ・アート)」は,西洋人の目にこの国の美術の本質を具体的に示すようになり、西洋の美術と装飾芸術の両方に対して非常に大きな影響を与えました。

 パリを拠点とする美術商やコレクター、批評家や芸術家たちによって、展覧会、書籍、雑誌、美術館の設立、万国博覧会などを通じて推進されたジャポニスムは、19世紀後半には「日本マニア」の震源地となるパリを「支配した」といってよいほどでした。

 当時珍重されたものとして、具体的にはお茶や絹織物のほか、磁器、漆器、ブロンズ像、浮世絵、書籍、西洋市場向けに特別に製造された骨董品や現代装飾品などが挙げられます。

 ペリー来航から4年後の1857年には、早くもパリに日本の品々を扱う骨董品店がオープンしています。初期の店の中には、ヴィヴィエンヌ通り36番地の「ラ・ポルト・シノワーズ」や、1863年に開店したリヴォリ通り220番地のデソワ夫妻の店がありました。1870年代には、クレリー21番地のオッペンハイマー兄弟、サントノーレ283番地のポール兄弟、1877年にはピガール11番地のシシェル兄弟の各店舗がこれらに加わりました。

⚫︎鍵になるジークフリード・ビングという人物
 こうしたディーラーたちの中で最も影響力があった人物は、ドイツ生まれのジークフリード・ビング(1838-1905)でした。彼は当時の日本美術の第一人者であり(図1)、国際的なジャポニスムの中心人物。ショシャ通り19番地の店で日本や中国の工芸品を販売し、1881年には店舗をプロヴァンス通り22番地まで拡張しました。彼はその前年、日本を訪れていて、櫛や簪(かんざし)といった日本の日用品を含め、ありとあらゆるものを買い集めました。帰国後、彼は他にも2つの店を開いています。
(図1: ヘンリー・ソムン『ファンタジー・ジャポネーズ』、ジークフリート・ビングの広告、1879年。)

 彼の店に出入りしていたのは、フィリップ・ビュルティ(美術評論家・作家)、サラ・ベルナール(当時フランスで人気を誇った大女優)、フェリックス・ブラックモン(芸術家)、アンリ・ファンタン=ラトゥール(画家)などでした。
 さらに、作家で鑑定家でもあったエドモン・ド・ゴンクール(1822-1896)は、弟のジュールとともに、この当時の初期ジャポニストのサークルでは重要人物です。
エドモンは日本の美術商、林忠正(1853-1906)の協力を得て喜多川歌麿や葛飾北斎に関する本を出版し、1890年から1901年にかけて1万6千点以上の版画を輸入し、フランスにおける浮世絵の重要な専門家・画商となりました(図2)。
(図2: 喜多川歌麿、木版画、18世紀、1902年にオークションで落札された林忠正コレクションより(ミヒャエル・フォルニッツ蔵))

⚫︎なぜ徳川幕府は万国博覧会に参加したのか
 ジークフリート・ビングもまた、自身の出版物『Le Japon Artistique』(1888-91年)を通じて、当時その見方がまだほとんど確立されていなかった日本美術について、より深い理解と知識の普及に努めました(図3: S.ビング編『Le Japon Artistique』No.14,1889年)

 当初、ビングや彼の仲間たちの日本びいきは、主に美術愛好家やアマチュア・コレクターに向けてアピールされたものでしたが、「エキゾチック」な日本の美術は、万国博覧会を通じて、より多くの人々の知るところとなり、これ以降ビングたちは広く大衆にもアピールするようになっていきます。

 1851年にロンドンで開催された万国博覧会を皮切りに、ヨーロッパや北米の主要都市で順次開催された万国博覧会は、各国が貿易を促進し、自国の文化遺産や植民地支配力を誇示し、観客を教育し、楽しませ、国家間の関係を改善するための重要なプラットフォームでした。
 徳川幕府は、欧米使節団から西洋の「万国博覧会」の概念を学び、1867年のパリ万国博覧会に代表団を派遣し(図4)、幕府崩壊後の1873年には、明治政府がウィーン万国博覧会に参加しています。
 1878年、再びパリ万博が開催されると、日本への憧れは頂点に達し、欧州のメーカーが手掛けた「ジャポニスム的」な品々も、明治政府が出展した公式な美術工芸品などとともに展示されています。
(図4: 1867年パリ万国博覧会での日本女性のパフォーマンス。illustrated in “Le Monde Illustré”.)

⚫︎「エキゾチックでオリエンタル」
 明治政府は万国博覧会を通して、日本が欧米諸国と同等の産業発展を遂げた近代国家であることを示すとともに、「エキゾチック」で「オリエンタル」なものを好む欧米人の嗜好に応えるツールとして認識していたようです。
 それを示すように、1878年のパリ万博に展示された和物の多くは、この万国博覧会のために特別に起立工商会社(※)に依頼して作らせた現代的な装飾品でした。中でも最も印象的だったのは、金工作家の鈴木長吉(1848-1919)による作品で、二羽の孔雀の形をした高さ230cm近いブロンズの香炉でした(図5)。この作品は大きな注目を集め、先程登場したジークフリード・ビングが購入し、後にロンドンのサウス・ケンジントン博物館(現ヴィクトリア&アルバート博物館)に売却されました。

※起立工商会社:明治時代初期に設立され、日本の美術品や物産品を世界へ輸出した日本の国策貿易会社。明治7(1874)年に開業し、日本における「貿易会社」の礎といわれる。
(図5: 鈴木長吉作の香炉。イラスト週刊誌『ラール(L’Art)』より(フランス国立図書館蔵))

 ただし、明治政府が、現代的であからさまな装飾や「オリエンタル化」された作品を展示することで、日本を近代的で工業的な国として宣伝しつつ、「日本美術はエキゾチックである」という西洋の一般的な認識を満足させようとしたのに対し、より本格的なフランスの美術コレクターたちは、宗教美術や伝統美術を含む「本物の」日本美術と文化について、より深く理解しようとしていたようです。

 パリ万博に参加した個人出品者の中には、フランス政府の支援によって日本、インド、中国への旅行から帰国したばかりのエミール・ギメ(実業家/図6)がいました。彼は東洋美術の重要なコレクションを集め、故郷のフランスのリヨンに美術館を設立します。ギメ美術館は1889年にパリに移転し、イエナ広場に開館しました。
(図6: 1878年パリ万国博覧会に出品されたエミール・ギメとそのコレクション。1878年「Le Monde Illustré」の図版より(パリ・ギメ美術館/装飾美術館))

 また、イタリアの美術コレクターで銀行家でもあったアンリ・セルヌスキ(1821-1896)は、日本にも訪れて膨大な美術コレクションを収集し、パリに東洋美術館を設立、1898年にモンソー公園のそばに開館しています。
 その10年後、クレマンス・ダネリー(1823-1898)の個人コレクションは、多くがS.ビングと林忠正から購入されたもので、パリのフォッシュ通り59番地にダネリー美術館として公開されました。

 これら3つの美術館はいまもなお多くの人が訪れる美術館としてパリで機能しており、日本美術に対する魅力と関心の高さを物語っています。

⚫︎国家としてのアイデンティティ
 1880年代に入ると、明治政府の西洋に対する文化や芸術のプレゼンテーション方法は、変化し始めます。西洋諸国に比肩する国家としてのアイデンティティを確立するためには、日本の伝統的な芸術や文化の重要性を広く伝えることが重要であると自覚したためです。

 1900年のパリ万国博覧会まで、日本は国家としての強力なアイデンティティ、さらには文化的なアイデンティティを世界に示すことに全力を注ぎます。
それは、1880年代に注目された日本の文化芸術を「復興」させるものでもありました。

 日本は初めて、仏教寺院や神社が持つ国宝から重要な歴史的遺物を集めた回顧展を開催します。展示は、現存する世界最古の木造建築である奈良・法隆寺の本堂を模した日本館「パレ・ジャポネ」(図7)で行われました。
図7: 1900年万国博覧会の様子を伝える絵葉書。「日本の真珠-金メダル」と書かれている。


 この回顧展に呼応して、日本初の公式美術史『日本美術史』も発表されます。これは万国博覧会の開催に合わせてフランス語で出版されたもので、初期日本美術に焦点を当て、歴史、文化、伝統の重要性を強調しています。

 このように振り返ったとき、1900年のパリ万国博覧会は、19世紀後半に日本が経験したさまざまな変化を色濃く反映したものでした。
西洋からの新しい影響(思想、概念、制度など)の集大成であると同時に,長い歴史と伝統,文化を持つ日本という国の再評価であり,復興でもあったのです。


翻訳:安藤智郎(Translated by Ando Tomoro)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「チコちゃんに叱られる」でズバリ解説 堀田秀吾教授が教える“不安との上手な付き合い方” 202309

2023-09-21 10:27:00 | 生活編

NHK「チコちゃんに叱られる」でズバリ解説 堀田秀吾教授が教える“不安との上手な付き合い方”
日刊ゲンダイDIGITAL  より 230921
 明治大学の堀田秀吾教授(C)日刊ゲンダイ


 NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」(9月15日放送)に出演した明治大学の心理言語学者・堀田秀吾教授は「不安は人類誕生から備わっている生き抜くための武器」だとして、“ピンチの際に行動を起こす準備を体にさせるもの”なので、うまく付き合おうと解説した。

 さらに、その具体的な方法として、「私はワクワクしている」と口に出して言ってみたり、元気な動きやヘンテコな動きをすることで、脳を勘違いさせ、不安を良質なパフォーマンスに転化するエクササイズを紹介した。

 放送では、番組ADクンと共に実践した面白おかしい動きが印象的だったが、発売中の堀田教授の著書📗「『不安』があなたを強くする 逆説のストレス対処法」(発行:日刊ゲンダイ/発売:講談社)では、その学術的根拠が示されている。
 その部分を紹介しよう。(※この記事は同書の内容を一部抜粋したものです)


■元気な動きをするだけで、楽しい気持ちになる
 私たちの感覚では、「こうしよう!」と脳が考え、その脳の思考によって体に命令が出され動作が実現されると思いがちです。そういう気持ちにならないから動き出すことができないーー。そう考えるかもしれません。しかし、実際は違います。

 脳科学者や心理学者の間では、体の動きを感じて意識が働き出すという考えが、今では常識になっています。たとえばジョギングを始めるとき、「走り出そうという意識」より先に、「体が動き始めている」のです。

 脳は、頭がい骨という真っ暗な密室に閉じ込められていて、体の器官から送られてくる情報を頼りに自分の状況を判断します。つまり、体が先、思考が後ということです。

 にわかには信じにくいことかもしれませんが,カリフォルニア大学のリベットらが行った実験で,動作を行う準備のために脳に送られる信号が,動作を行う意識の信号よりも350ミリ秒も早いことが示されているように,数々の実証実験によって証明されている事実なんです。

 ということは、体から「元気に動いている」という信号が脳に送られてくると、脳は「自分は今、元気なんだ」と判断し、だったら一層そうなるようにと、神経伝達物質(ドーパミンやアドレナリンなど)を送ろうとするわけです。

⚫︎しょんぼりした姿勢では気持ちも落ち込む?
 それを実証する面白い実験が、「元気な動きをすると楽しい気持ちになる」いう米サンフランシスコ州立大学のペパーらの研究です。
 実験では、110人の大学生を「背中を丸めてしょんぼりと縮こまった姿勢で歩くグループ」と「大きなスキップをするような動きで歩くグループ」に分け、アクション後に元気度(幸福感・絶望感、楽しい・悲しい記憶の想起など)を自己評価してもらいました。

 その結果、元気な動きのチームは元気度が大幅に向上。しょんぼりした姿勢のチームは、実験前の予備調査では元気度が高かった人たちですら、アクション後は元気度の大幅な低下が見られました。つまり、元気な動きは元気になり、しょげた動きは元気をなくさせるというわけです。

 この本の『悲しいときは素直に落ち込んだ方がいい』の章で触れた「フェイクスマイル」を覚えているでしょうか? 口角を上げ笑っているような表情をつくるだけで、実はストレスが軽減される。
 これは「笑顔だから私は楽しいのだ」と脳が勘違いし、気持ちが高揚していくから。同様に、「変な動きをするほど楽しいのだから、私は楽しいのだ」と脳が勘違いして気持ちが楽しくなっていくのです。

 いかがだろうか。「『不安』があなたを強くする 逆説のストレス対処法」でも、堀田教授が提唱しているように、不安をいたずらに悪いものだと考えず、ピンチを回避するためのものと捉え直し、上手に付き合う方法を知ることで、Q・O・L(クオリティ・オブ・ライフ)を向上させる一助となるだろう。ぜひ、参考にしてみてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナログレコード専門店Face Recordsが関西初出店、京都高島屋S.C.に23/10/17オープン

2023-09-21 01:46:00 | 〽️ 行事・新案内等 控え

アナログレコード専門店Face Recordsが関西初出店、京都高島屋S.C.に国内6店舗目を10/17オープン
  Musicman より 230921


 アナログレコード専門店Face Recordsを展開するFTFは、関西初出店となる
「Face Records KYOTO TAKASHIMAYA S.C. T8(以下,京都店)」を
  10月17日、京都府京都市の京都高島屋S.C.[T8]4Fにオープンする。

 京都店の特長は既存店舗の中で最も上質な音響設備。店内にはJBLの巨大なビンテージスピーカー、そしてアンプはMcIntoshのパワーアンプを2台つないでセッティングし上質なリスニング体験を提供する。
 大型で見た目にも迫力のある構成で、カウンターにはDJブースも備え付けられた贅沢な音響セットを用意。インストアイベントなど様々な企画を展開する他、ふらっと立ち寄った際にもアナログレコードの魅力を体感できる環境となっている。

 また京都店オープンより、京都やその周辺、関西エリア在住の人たちにはレコード買取サービスがより一層柔軟に利用しやすくなる。また、関西エリアの出張買取サービスも強化するとのこと。

 Face Recordsの、東京都以外の店舗出店は今年に入り札幌・名古屋に続く3店目。今後も日本各地への出店を拡大させていく予定とのこと。

▶︎FTF 代表取締役 武井進氏コメント
 京都はレコードショップも多く、昔から音楽が盛んな地域です。独自に発展してきた音楽文化を支えながらさらに盛り上げることができればと考えています。
 そして国内外からのお客様も多いエリアであることから、フェイスレコード京都店では品揃えも多岐にわたる内容で用意しており、特に音響設備にこだわり、アナログレコードの魅力を最大限お楽しみいただける環境を整えました。
 しかし近年のアナログレコードブームの一方、ごみとして捨てられてしまっている現状も事実です。フェイスレコードはレコードを一枚一枚丁寧に査定し、次のユーザーへ繋ぐ、言わば文化の仲介役としてのお手伝いがしたいと考えます。
 ”MUSIC GO ROUND 音楽は巡る” フェイスレコードは、レコードを起点にカルチャーを繋ぐ存在を目指します。

▶︎店舗詳細
店舗名:Face Records KYOTO TAKASHIMAYA S.C. T8
開業予定日:2023年10月17日
営業時間:10:00~20:00
定休日:商業施設に準拠
所在地:京都府京都市下京区四条通寺町東入二丁目御旅町35 京都高島屋S.C.[T8]4F
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「科学による人類滅亡」はSFではない,遺伝子改変によるデザイナーベビーのリスク 2023/09

2023-09-21 01:24:21 | 気になる モノ・コト

「科学による人類滅亡」はSFではない 遺伝子改変によるデザイナーベビーの量産リスク
  AERAdot より 小川和也


 ゲノム編集技術が、著しいペースで進化を遂げている。狙った遺伝子を改変させることが可能なこの技術は、医療分野や農水産業などでの活用が期待されている。
だが一方で、リスクもある。
 北海道大学客員教授の小川和也氏は、著書『人類滅亡2つのシナリオ AIと遺伝子操作が悪用された未来』(朝日新書)の中で、将来的に、ゲノム編集技術によって親が望む容姿や能力を備えた「デザイナーベビー」が量産されるリスクについて警鐘を鳴らしている。本書から一部抜粋して紹介する。

*  *  *

■ゲノム編集技術を未来永劫、〝理想的〞に扱うことはできるのか
 威力のある技術は新しい時代を作り、未来を紡いできた。ゲノム編集技術の獲得は、人間自らがヒトの誕生と成長を合理的に操作できる力を初めて手にしたことを意味し、人類の歴史上、大きな転換点をもたらすインパクトを持っている。
 人間の尊厳、人間の生殖、人間の機能、人間の能力など、人類の根源に触れる比類なき諸刃の剣である。

 しかも、次世代から次世代へと影響を連鎖させるのが生殖に関するゲノム編集技術だ。
 生まれてくる子だけではなく、さらにその子の子孫にも影響を波及させる。現世代の意思決定、価値観、倫理、ルールだけを前提にしても不十分なのだ。
 現世代が未来への責任を負い、善処に努めているからといって、変動要素の多い社会・地球環境の中で、次世代を理想的にデザインできると考えることは驕りである。次世代のその先の世代となると、さらに未知数だ。

 それを踏まえたときに、人間が未来にわたりゲノム編集技術を正しく扱えるという絶対的根拠など本当にあるのだろうか。
 現世代がゲノム編集技術を濫用したならば、次世代もその影響を必ず受ける。もし、現世代が濫用せずに済んだとしても、さらに技術力が上がり、人間の能力を拡張したり、デザイナーベビーを生み出す欲や必要性が増したとすれば、次世代では抑制できなくなるかもしれない。
 ひとたびデザイナーベビーの存在が許されてしまえば,小さな一歩が少しの束になり,少しの束がなし崩しに大きな束になりかねない。
 大きくなった束は、デザイナーベビーか否かで人間の優劣が際立つ世界を徐々に形成し、差別意識が継承されることで世代を超えて社会的分断が進む恐れがある。

 そして、デザイナーベビーとして生まれてくる子どもは意思決定に関与せず、自分以外の誰かの意思によって勝手に操作されることになる。
 これまでのヒトの生殖プロセスを人為的に変える行為であり、プロセスの一部だけを切り取って操作しても、何の歪みも生じないことを証明するのは困難だ。
 生命操作が一つのシステムだとすれば、バグが絶対に発生しないシステムは幻想に近い。予想しなかった病気や障害が生じることや、Dこともある。

 ゲノム編集技術を未来永劫、完璧に扱い、安全性を永遠に担保できるという発想は、願いの範囲を出ない。

 2015年12月に行われたヒトゲノム編集国際サミットで採択された声明では、ヒトの生殖細胞系列へのゲノム編集は、次のような6つの問題をもたらすと指摘している。

 1.オフターゲットやモザイクといった技術上の問題

 2.遺伝子改変がもたらす有害な結果を予測する困難

 3.個人のみならず将来の世代への影響を考える義務

 4.人間集団にいったん導入した改変を元に戻すのは困難

 5.恒久的エンハンスメントによる差別や強制

 6.人間の進化を意図的に変更することについての道徳的・倫理的検討

 これらの問題は、技術の進化によって解決できるものもある一方で、人間の思想、倫理、行動については、最良な全体合意、選択がなされるとは限らない。
 技術だけは立ち止まることなく進化しながら、6つの問題の解決を阻むのは、統一感のない意思、そして理想である。しかも、その意思や理想は、置かれた環境によって流動的である。

 人間の価値観は曖昧な上、人間それぞれの価値観には相違があることは一般的に認められている。それゆえ、倫理的問題に対する答えは異なりやすく、異なれば現実的な不一致が生じる。
 人間の価値観はまとまりがない上に、世の中の事象が複雑で矛盾を多く含むことが、不一致の問題をこじれさせる。
 不一致の問題は解決し難く、誰かが、どこかの国が、このギャップを悪用できる状態にある。

 自然が作った生命を、人間がデザイン、操作する営みは、前代未聞、未知の世界だ。
 時間と共にデザイン技術は進化し、量子コンピュータ、人工知能の進展などがそれを加速させる。技術的に操作できることと、実際にすることは別次元であり、「できるから」といって、生命をシステム化の領域に移行させた場合の不具合は、取り返しのつかないものとなる。

 倫理学者のマイケル・サンデルは、「遺伝子操作は『世界そのもののnature(本性)の根本的な改変』であって,『与えられたもの(the given)』,すなわち思い通りにならない世界のnatureそのものを『激しく罵ろうとする衝動』に基づいている」と述べている。
 自然な生命を人間がデザインすることは、まさにこれに該当する。

 不可能だったことを技術の力で可能にし、生き永らえ、社会を発展させてきた人類にとって、ゲノム編集技術もその延長にあると捉えるかもしれない。
 しかしながら、生命をデザインする行為は、本当にその延長線上にあるのか。
破滅へ導く可能性を排除できるのか。

 ゲノムテクノロジーという光が強烈であるほど、強烈な影を作り、科学の二面性のコントラストを強める。
 全人類が、ゲノムテクノロジーを倫理的に望ましく、理想的に扱うことを期待したいが、その期待を保証する科学的根拠は現時点では見当たらない。

《『人類滅亡2つのシナリオ AIと遺伝子操作が悪用された未来』(朝日新書)では、制度設計の不備が招く「想定しうる最悪な末路」と、その回避策を詳述している》


●小川和也(おがわ-かずや)
北海道大学 産学・地域協働推進機構 客員教授。グランドデザイン株式会社CEO。専門は人工知能を用いた社会システムデザイン。人工知能関連特許多数。フューチャリストとしてテクノロジーを基点に未来のあり方を提言。著書『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)は教科書や入試問題に数多く採用され、テクノロジー教育を担っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする