goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶…折居台…図書館… 230907

2023-09-07 18:54:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸堤防道…朝霧通…朝霧橋…橘島/塔の島…喜撰橋…喜撰茶屋🍦…善法寺/東山沿…一本杉碑…折居台第三公園上👀…宇治市文化C前.歴史資料館(休).図書館👀…東山公園…同最上部…折居台第一公園…宇治茶会館横…宇治田原線…宇治淀線…宇治橋…駅前🍞…右岸堤防道…☂️>
🚶11111歩23F

☁️>☂️:曇天,帰宅直前から☂️
 昨日に続き散歩ラクな日,観光地近辺と図書館を。

🌡️ベランダ31.1〜24.3℃

深夜)“ここ冷え”使用停止出来る室温に!
 Fanからの風も今迄の温風から普通に涼しい!やっと涼しい風と感じる!


折居台第三公園上から眺望





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田兼好『徒然草』から読み解く、本当に有益な「時間の使い方

2023-09-07 11:38:42 | なるほど  ふぅ〜ん

吉田兼好『徒然草』から読み解く、本当に有益な「時間の使い方」。毒舌歌人に学ぶ「型にはまらない」自由な人生とは?
  OTONA SALONE  より 230907


 歴史上のえらい人たちって、みんな、天才に生まれついた上にものすごく努力をしたんでしょ、そんなの私が同じようにできるわけがない。何の参考にもならない……と普通は思いますよね。
 よくよく人物を研究すると、意外にそうでもないんです。
「結果的に成功した」人が後世に伝わっているのであり、ひとりひとりがやってることを見ていくと「すごく人間くさいな~」と思うようなことも多々。

 たとえば、鎌倉・南北朝時代の知識人である吉田兼好もその一人。
「徒然草」の作者として知られる吉田兼好ですが、……? 『読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』(加来耕三・監修、ねこまき・画)から抜粋編集してご紹介します。

⚫︎世間の常識は気にしない!「ヒマがある人生」こそが有益という考え方
「つれづれなるままに、日暮らし硯すずりに向かいて……」
古典の教科書に必ずといえるほど登場する、『徒然草』の書き出しです。
「ヒマに任せて一日中硯に向かって~」といった意味ですが、作者の吉田兼好には、なぜそんなに時間があったのでしょうか?
 吉田兼好は、京都・吉田神社の神職である卜部氏という由緒ある家系に生まれました。その人生ははっきりしない部分もありますが、19歳のころには、後二条天皇に蔵人(秘書的仕事)として仕えたといいます。それを20代半ばで辞し、30歳前後に出家しました。

『徒然草』に、「何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん」と兼好は書いています。「何が面白くて、朝夕に宮仕えをして、家の心配をして暮らさなきゃならないんだ」という意味ですが、彼は世間的な枠にはめられた暮らしより、自由が欲しかったようです。

「名利に使はれて、靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ」とも書いています。「名誉欲や利益を追い求めて静かな時間も持てず、苦しむ人生は愚かだ」というのです。つまり、兼好は「ヒマを持て余した」のではなく、ヒマがある人生こそすばらしいと考え、それを実践したのです。

▶自由なポジションと文化を求む!
 求めるものは文化的な人間関係と、自由なポジション。
出家した兼好ですが、寺に入って厳しい仏道修行をすることはありませんでした。出家したといっても、厳しい修行で自由がなければ宮仕えと同じです。
 その後、比叡山横川などの草庵に住み、和歌などを通じて当代一流の文化人たちと交流を結んでいました。「世捨て人」ながら、いつでも京都の町なかに行ける場所で暮らしていたのです。
 兼好は、「お金や出世のためにがんばるのはまっぴらだが、人間関係は維持したい」と考えていたのでしょう。自分の得意な文学の才能を活かし、文化的な生活をすることこそが願いであり、官吏とか僧侶とかいう既存の枠組みに振り回されない生き方を大切にしようとしたのです。
 出家の前後には2度にわたり鎌倉に行き、しばらく暮らしていました。このとき、のちに鎌倉幕府15代執権となる金沢貞顕の知遇を得ていました。
 京都では、権大納言まで出世する二条為世に和歌を学び、「為世門下の四天王」に数えられます。南北朝時代に入ると、足利尊氏・直義兄弟や尊氏の執事・高師直とも交流がありました。自らは自由を求めつつも、交友関係は意外に豪華です。

 文化的な人間関係と自由なポジションこそ、兼好が求めた生き方だったのです。

▶「こうなりたい」が普通の人とは違う?
 出世も修業もがんばらない。自由人としての生き方を極めた吉田兼好
「この世に生まれたからには、こうなりたいという願いはあるもの」
 兼好は『徒然草』第1段にこう書いています。
「ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道」、さらに有職故実(古来の作法)で人の手本になれたら言うことはないと続きます。

 私たちは「願い」というと、お金とか出世とか健康とか、どうしても自分や家族の利益になることを最初に考えがちです。
 ところが兼好は、文学・芸能、古来からの作法で人の手本になりたいというのです。
 おそらく70年以上生きたであろう兼好の人生は、世間的な成功者ではないものの、「風変わりな文化人」として周囲からの尊敬を集め続けたものだったろうと想像できます。

 世間が決めた常識に合わせるような生き方を、兼好は徹底して嫌いました。

「ここまで人をディスるか!?」というほど、激しい言葉で他人を罵倒している文章も『徒然草』には散見されます。今でいうと、辛口コメントをSNSで発信する文化人でしょうか。こうした文章を書けるのも、常識の外に「居場所」を見つけた兼好ならではといえるでしょう。
 その上で兼好は、「世捨て人」であることで、高貴な人物たちとも身分や政治的立場を超えた交流を愉しみました。まさに何ものにも「振り回されない」ことそのものを人生の目標にした、究極の自由人だったのです。

 宮仕えを辞めて世捨て人になり、出家をしても仏道修行に振り回されるのを嫌った吉田兼好。

 出世も修業もがんばらず、型にはまらない生き方に徹したからこそ、日本三大随筆(ほかに『枕草子』『方丈記』)のひとつである『徒然草』の作者として、後世にまで大きな影響を与えたのです。
 本人の「ありたき事」が叶い、令和のいまも名が残っていると知ったら、辛口な兼好もニヤリとするかもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ、脊椎動物はいつまでも脊椎動物なのか…?  202309

2023-09-07 11:21:13 | なるほど  ふぅ〜ん

なぜ、脊椎動物はいつまでも脊椎動物なのか…?進化の速度を決める2つの要因 求める形も、求められる形も限りがあった
  現代ビジネス より 230907  更科 功


⚫︎カンブリア紀の脊椎動物と節足動物
 動物は(研究者によって多少異なるが)35個ぐらいのグループに分けられる。それぞれのグループは「門」と呼ばれ、独自のボディプランを持つことで区別されている。

【どんな動物も一生の心拍数8億回…!?早く死ぬように進化した動物たち】

 それらの中でもっとも繁栄しており、かつもっとも身近なグループは、「脊椎動物門」と「節足動物門」だろう。
 脊椎動物門は私たちヒトが属しているグループだし、節足動物門は非常に種数が多い昆虫を含むグループだ。
 そして、脊椎動物門も節足動物門も、すでにカンブリア紀(約5億3900万年~4億8500万年前)には現れていたことが知られている(ちなみに、かつて脊椎動物は「門」の下の分類階級である「亜門」とされていたが、最近は「門」とすることが多い)。
 たとえば、中国雲南省のカンブリア紀の地層(約5億2000万年前)から産出した澄江(ちぇんじゃん)生物群には、脊椎動物であるミロクンミンギアという魚や、節足動物であるエオレドリキアという三葉虫が含まれているのである。

⚫︎ヒトは脊椎動物でショウジョウバエは節足動物
 ところで、もちろん現在の地球にも、脊椎動物や節足動物は生息している。たとえば私たちヒトは脊椎動物だし、ショウジョウバエは節足動物だ。

 それでは、ここで述べた4種の動物について考えてみよう。この中でお互いに似ているのは、「脊椎動物であるミロクンミンギアとヒト」と「節足動物であるエオレドリキアとショウジョウバエ」だ。

 たとえば、ミロクンミンギアとヒトは体を支持する棒状の構造が体内に走っているし、エオレドリキアとショウジョウバエは体の外側を硬い組織が覆っている。もっとも、そんなことを一々考えなくても、脊椎動物同士が似ていて、かつ節足動物同士が似ているのは当たり前な気がする。
 ところが、よく考えてみると、これは非常に不思議なことなのである。

⚫︎脊椎動物と節足動物の共通祖先
 DNAによる解析から、脊椎動物と節足動物の共通祖先は、約5億8000万年前に生息していたと推定されている【図1のA】。
 それでは、節足動物であるエオレドリキアとショウジョウバエの共通祖先は、いつ頃生きていたのだろうか。
 エオレドリキアは絶滅した三葉虫の1種なので、ショウジョウバエの直接の祖先ではありえない。
 そこで、両者の共通祖先が生きていた時代は、エオレドリキアが生きていた時代より前ということになる。

▶︎節足動物と脊椎動物の進化の概略。
 Aは節足動物と脊椎動物の共通祖先、Bはエオレドリキア(三葉虫)とショウジョウバエの共通祖先、Cはミロクンミンギア(魚)とヒトの共通祖先を示す

ということは、5億8000万年前と5億2000万年前の間のどこかだろう【図1のB】。
 同じように考えれば、ミロクンミンギアとヒトの共通祖先が生きていた時代も、5億8000万年前と5億2000万年前の間のどこかということになる【図1のC】(ちなみに、ミロクンミンギアがヒトの直接の祖先である可能性はゼロではない。
 その場合は(C)が生きていた時代は約5億2000万年前になる)。

 さて、生物というものは、進化していくにつれて形がだんだん変わっていくものだ。
 進化した時間が短ければ、それほど形は変化しないかもしれないが、進化した時間が長ければ、形は大きく変化する。
 そう考えるのが普通だが、しかし、今述べた4種の動物で考えると、そうなっていないのだ。

 節足動物と脊椎動物の形は大きく違う。
しかし,約5億8000万年前の時点では、節足動物も脊椎動物も(A)という同じ種であった。
 それから両者は別々の進化の道を歩み始めて,節足動物(B)と脊椎動物(C)に分かれたわけだ。
 劇的な変化は,1億年ほどで起こったのに…
したがって、両者の違いは、「AからB」のあいだに変化した量と「AからC」のあいだに変化した量を足したものになる。
 進化にかかった時間で考えれば、「AからB」の時間と「AからC」の時間を足したものになるわけだ。「AからB」は数千万年、「AからC」も数千万年なので、両方を足してもせいぜい1億年ぐらいだろう。
 その程度の時間で(A)は節足動物(B)と脊椎動物(C)に大きく変化したのである。

 いっぽう、節足動物のエオレドリキアとショウジョウバエのあいだの違いを生みした時間は、「Bからエオレドリキア」と「Bからショウジョウバエ」の時間を足したものなので、5~6億年ぐらいだ。それなのに、両者は同じ節足動物なので、形がそれほど大きくは違わない。同じことは、脊椎動物のミロクンミンギアとヒトにも言える。

 考えてみれば,これは不思議なことである。
節足動物と脊椎動物が分かれたときは、短い時間で形が大きく変わったのに、節足動物や脊椎動物が生まれた後は、長い時間が経ってもあまり形が変化していない。それはなぜだろうか。
進化できる「ボディプラン」には限りがある
これには大きく分けて2つの説明の仕方がある。

 一つは、進化できるボディプランには限りがある、という説明だ。
 節足動物と脊椎動物は、かなり異なるボディプランをしているし、その他の動物も、いろいろなボディプランを進化させている。
 しかし、だからといって、どんなボディプランにも進化できるわけではないかもしれない。
 動物の発生は、受精卵が細胞分裂をすることによって進んでいくが、その道筋には何らかの制約がある可能性がある。
 そのため、辿り着けるゴールの数は、限られているのかもしれない。このゴールが、動物の成体のボディプランというわけだ。
 そのため、まだボディプランが決まっていない時代の初期の動物は、さまざまなボディプランへと進化することができるけれど、いったんボディプランが決まってしまうと、それを変更することは難しくなる。
 つまり、まだボディプランの決まっていない動物の共通祖先は、節足動物にも脊椎動物にも進化できたけれど、いったん節足動物や脊椎動物になってしまうと、その後はずっとそのままだというわけだ。

⚫︎生態系における「役割」には限りがある
 もう一つは、生態系における役割には限りがある、という説明だ。
これは、樽に石を詰めることに例えられる。
 空の樽には、大きな石も入る。しかし、樽がいっぱいになると、大きな石は入らない。できることは、せいぜい小さな石を隙間に入れることぐらいだろう。
 この樽は生態系を表し、石は生態系における役割を表している。
 ただし、生態系で新たな役割を果たすには、おそらく新たなボディプランを持つことが必要なので、この石はボディプランを表していると考えてもよい。

 まだ生態系の役割が空いているときは、新しいボディプランも進化できる。
 しかし、動物が増えて生態系の役割が埋まってしまうと、もはや新しいボディプランは進化できない。
 せいぜい小さな変化を進化させるぐらいがやっとである。

 そのため、いったん節足動物や脊椎動物などのボディプランが確立して、生態系が満たされてしまうと、新たなボディプランは生まれづらくなる。
 そして、確立されたボディプランが、生態系における同じ役割を、長期にわたって果たし続けることになるのである。

 どちらの説明が正しいのかはわからないが(あるいは両方ともある程度は正しいのかもしれないが)、動物の形態の進化速度が大きく変わることは確かだ。
 進化していくにつれて形がだんだん変わっていくことに間違いはないけれど、進化した時間が長ければ長いほど、形が大きく変化するわけではないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都でアート三昧。建築・庭・日本画に浸る個性的美術館3選 202309

2023-09-07 02:32:19 | 🌇 街案内

京都でアート三昧。建築・庭・日本画に浸る個性的な美術館3選
 Premium Japan より230907


 京都にはたくさん観光名所はあるが、ぜひ訪れて欲しい個性的な美術館も数多くある。
 美術館のコレクションの充実はもちろんのこと、その建築物や庭園などの空間も一見の価値がある美しさ。美術館を通して、京都の街や歴史を体感する、そんな新しい京都の楽しみ方を味わえることだろう。
今回はおすすめの美術館を3つご紹介する。


🏰アートと共に,美しい洋館と庭園を楽しめる
アサヒグループ大山崎山荘美術館(京都府大山崎町)

大山崎町・天王山の中腹に佇む,大正から昭和初期に建てられた洋館を利用した美術館が「アサヒグループ大山崎山荘美術館」である。実業家・加賀正太郎によって建築された「大山崎山荘」(登録有形文化財)を本館として,1995年・2012年に建築家・安藤忠雄設計による新館も建設され,美術館の空間もアートである。

 加賀はヨーロッパへ渡り,大英博物館やキューガーデンを見学し,日本人初アルプス山脈ユングラフ登頂を果たすなどを経験した人物であり,当時の経験を通して,大山崎山荘と約5,500坪の庭園を設計したとされている。
 春は桜、初夏には蓮の花など、季節によって大きく印象を変える庭園は四季折々に訪れたい場所だ。
 また、本館のテラスにある喫茶室へ上がると、木津川・宇治川・桂川の三つの川の眺めることができ、京都の街並みを見渡せる絶景が広がっている。

 本館から、建築家安藤忠雄による「夢の箱」(山手館)へ通じる通路。
 安藤忠雄が設計した「地中の宝石箱」(地中館)。ここではモネの『睡蓮』の連作を展示。
 2階の喫茶室のテラスからは木津・宇治・桂の三川の雄大な景色が楽しめる。
Photo by ©︎ASAHI GROUP OYAMAZAKI VILLA MUSEUM OF ART

 美術館の所蔵品の多くは、朝日麦酒株式会社初代社長である山本爲三郎(やまもとためさぶろう)のコレクションである。
 本館には河井寬次郎や濱田庄司、バーナード・リーチといった「民藝運動」の作家作品を中心とした陶磁器をはじめ、芹沢銈介(染色家)、黒田辰秋(木工作家)といった民藝運動に関わる代表的な作家の作品が多くあり、新館には印象派の巨匠クロード・モネの代表作『睡蓮』の連作をはじめ、アルベルト・ジャコメッティやイサム・ノグチ、ヘンリー・ムーアによる彫刻といった西洋美術のコレクションが並ぶ。年4回程度の企画展を開催し、企画展ごとに常設展示の展示替えも行っている。

▶︎アサヒグループ大山崎山荘美術館
京都府乙訓郡大山崎町銭原5−3
075-957-3123(総合案内)
開館時間:10時〜17時(最終入館16時30分まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)年末年始。展示替えに伴う臨時休館あり


🏰日本の侘び寂びを堪能し,松花堂弁当を食す
八幡市立松花堂庭園・美術館(八幡市)

 国宝「石清水八幡宮」の近くにあり、京都・洛南の名園として知られているのが「八幡市立松花堂庭園・美術館」である。
 ここは松花堂弁当の由来となった、江戸時代初期の書画で茶の湯に秀でた文化人であり、石清水八幡宮の社僧でもあった松花堂昭乗ゆかりの施設となっている。
 日本の侘び寂びの世界が広がる約2万㎡ある庭園は、本格的な3つもお茶室がある“外園“と、国の史跡名称に指定されている草庵「松花堂」、泉坊書院んおある“内園”で構成されており、40種類以上の竹や300本を超える椿、さらに梅や桜、紫陽花、紅葉などがあり、四季折々の景色を楽しむことができる。

*2023年9月より草庵「松花堂」が期間限定で公開予定であり、2023年9月~2024年3月には、庭園内茶室にて日曜茶席開催日に公開調整中。詳細は決定次第、松花堂ホームページにて告知されるのでご確認を。

 京都吉兆松花堂店から庭を見る。
庭園横には美術館がある。美術館の主な所蔵品は、草庵「松花堂」や泉坊書院に付属する内装品、松花堂昭乗およびその門人に関連するもの、そして八幡市にゆかりのある美術品や資料などとなっている。展覧会は春と秋に企画展・特別展を開催するほか、年3回ほど館蔵品を中心とした展示が行われている。
美術館には、松花堂弁当を考案した京都吉兆松花堂店が併設されており、店内からは四季の移ろいを感じる庭園を眺めることができる。
▶︎八幡市立松花堂庭園・美術館
京都府八幡市八幡女郎花43-1
075-981-0010
営業時間:9時〜17時(入園・入館は16時30分まで)
定休日:月曜日(祝日の場合は翌平日)および12月27日〜1月4日)


🏰京都の絶景に囲まれて、 日本画を愛でる
福田美術館(京都市右京区)

 嵯峨・嵐山に2019年に誕生した福田美術館は、京都生まれの実業家、福田吉孝のコレクションを中心としている。美術館のコンセプトは、「たとえ美術に詳しくない方が見ても、感動を覚えるような」という言葉通り、江戸時代から近代にかけての日本画を中心に約1800点が所蔵されている。
 中でも、琳派、円山四条派から京都画壇への流れを押さえたラインアップは充実しており、円山応挙、与謝蕪村、伊藤若冲ら江戸時代の絵師たちの作品をはじめ、横山大観、上村松園、竹内栖鳳などの近代の名画、さらに国内有数の竹久夢二コレクションがある。
 エントランスから展示室へ続く廊下は、まるで日本家屋の縁側のよう。
ドリンクやスイーツ、軽食が楽しめるカフェ。
 美術館は、京町家をイメージとした建築物になっており、和モダンな外観はひと際目を引いている。展示室は「蔵」、廊下はまるで「縁側」をイメージさせており、庭には大きな水盤があり、そこには四季によって色が移ろう木々を映し出している。また前には大堰川・桂川、嵐山が広がっており、その心地よい風景は自然が作り出したアートである。

 館内には表参道のベーカリーカフェ「パンとエスプレッソと」の姉妹店となるカフェ「パンとエスプレッソと福田美術館」がある。ここは来館者のみが利用できるカフェであるが、ここからの渡月橋も絶景である。

▶︎福田美術館
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町3-16
075-863-0606
開館時間:10時〜17時(最終入館時間16時30分)
定休日:展示替え期間、年末年始
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「数学」が進化の法則を制御していたと判明!  202309

2023-09-07 01:21:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

「数学」が進化の法則を制御していたと判明!
   川勝康弘  ナゾロジー編集部  230907


⚫︎進化の法則をのぞき込むと、数論が仕込まれていました。
 英国のオックスフォード大学(UO)で行われた研究によって、私たち生物の進化は純粋な数学的な仕組みに基づいて繰り返されていることが示されました。

 生物の進化のしやすさは耐性菌の出現などをみる限り強みにみえます。
しかし、変異速度が速すぎると優秀な能力を持った子孫が「繫栄する前に」次の変異が起きてしまい、生物は種として固定されず、異形の子孫が無限に生産される地獄絵図に陥ってしまいます。

 そのため今回の研究では最適な進化と種の保存を行うために必要な条件について数学的な分析が行われることになりました。

 すると進化の背後には、雪の結晶や植物の枝葉、体の血管系など自然界の至る所に現れる「純粋な数学(数論)」が潜んでいることが判明しました。

(研究内容の詳細は2023年7月26日に『Journal of The Royal Society Interface』にて公開されています)

◆目次
ー「数学」が進化の法則を制御していたと判明!

⚫︎「数学」が進化の法則を制御していたと判明!
 数論は純粋に数の性質のみを扱う分野であり、数学者以外には理解し難いストイックな分野とされています。
 たとえば素数の出現パターンを解明するのも数論の分野となっています。
こうしたただの数の性質を論じているだけの分野でありながら、不思議なことに数論に関わる法則は、自然界のさまざまな場所に見ることが出来ます。

 動物や植物の形態は実に多様で、そこには「堅苦しい」数学が入り込むスキがないように思えてきます。
 しかし松ぼっくりのカサ、シダの葉、ヒマワリの種などの配列パターンを詳しく調べてみると、そこには数学をもとにした規則性が存在することが知られています。

 特に有名なのは左右を「1」で囲まれたピラミッド型をした「フィボナッチ数列」や「フラクタル」と呼ばれる数学的概念であり、数論を構成します。
 そして今回オックスフォード大学の研究者たちは.生命進化と数論の関係に注目しました。

 進化と数論の関係が解明されれば、生命の中にパターンが数論と関連する謎の解明にもつながるかもしれません。

 そこで着目されたのが、進化の原動力となる突然変異でした。
突然変異は遺伝病など目に見える変化を起こす場合もありますが、変異が起きた場所によっては影響力が低く、生物の外観や行動に目だった変化を起こさない場合もあります。

 このような目立った変化を起こさない変異は「中立」突然変異と呼ばれています。
また中立突然変異は時間の経過とともに一定の速度でDNAに蓄積していくことが知られており、中立突然変異が起きた量を比べることで、異なる種が共通の先祖から枝分かれしたタイミングを知ることが可能になります。


全ゲノム配列を用いてヒトの進化を再構築 . 産総研

 近年、ウイルスや耐性菌の流行などで、生物の進化のしやすさは強みにみえるでしょう。
ただ進化は早すぎても害になります。
 進化の速度が速すぎると、変異によって誕生した優秀な能力を持つ子孫が「繁栄する前に」新たな突然変異が起きてしまい、結果として生存に不利に働いてしまいます。

 そのため生物は、突然変異に対する防御力(以下、堅牢性と表記)を備えています。
この堅牢性を言い換えれば、起きた変異が中立突然変異になる確率となるでしょう。

 たとえば、ある遺伝子の分析では、遺伝子配列の3分の2にあたる部分はランダムな変異が起きても問題ない領域であることがわかりました。

 この結果は、突然変異の66%が中立突然変異であり、生物に目だった変化を起こさないことを示しています。

 生物たちは変異に対する堅牢性を高めることで、種としての体面を保ち、子孫たちが無秩序な姿になるのを防いでいたのです。
 ただ現在のところ、この堅牢性がどの程度で、最大値のようなものが存在するのかは不明でした。

 そこで研究者たちは特定の遺伝子から作られるタンパク質と低分子RNAを対象に,最大でどれくらいの変異を,目立った変化なしに蓄積できるかを数学的に分析することにしました。
 すると非常に興味深い結果が得られました。
堅牢性の最大値は「目立った影響をおよぼす変異の割合(中立突然変異でない割合)」の対数(log)に比例するという、極めて簡素な数式で描けることが判明したのです。
 また「堅牢性の最大値がフラクタルな特性を持つ」ことが判明します。

 フラクタルとは上の図のように「部分の構造」と「全体の構造」が同じであり、どれだけ大きくなっても全体のパターンが変わらない特性をもつものです。

 生物の場合では、ロマネスコの一部をとってそれを拡大してみても、ロマネスコ全体と同じような形を持っていることがわかります。
「堅牢性の最大値がフラクタルな特性を持つ」というのは、細胞内の小さな領域から体全体に至るどのスケールで見ても、堅牢性の最大値が同じ数式で表記できることを示します。

 小さな領域と大きな領域では関わる数式が別物だと思われていましたが、生物の突然変異に抵抗する堅牢性は、どの倍率レンズを使って観察しても、同じだったわけです。
 単一の数式により生物の進化法則の一部が理解できるという結果は、進化が数論的な現象であることを示します。
 数論は宇宙の構造だけでなく生物の体のパターンや進化法則も支配する、究極の法なのかもしれません。


▶︎参考文献
Scientists uncover a surprising connection between number theory and evolutionary genetics https://www.eurekalert.org/news-releases/997347
▶︎元論文
Maximum mutational robustness in genotype–phenotype maps follows a self-similar blancmange-like curve https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsif.2023.0169
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする