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吉田兼好『徒然草』から読み解く、本当に有益な「時間の使い方

2023-09-07 11:38:42 | なるほど  ふぅ〜ん

吉田兼好『徒然草』から読み解く、本当に有益な「時間の使い方」。毒舌歌人に学ぶ「型にはまらない」自由な人生とは?
  OTONA SALONE  より 230907


 歴史上のえらい人たちって、みんな、天才に生まれついた上にものすごく努力をしたんでしょ、そんなの私が同じようにできるわけがない。何の参考にもならない……と普通は思いますよね。
 よくよく人物を研究すると、意外にそうでもないんです。
「結果的に成功した」人が後世に伝わっているのであり、ひとりひとりがやってることを見ていくと「すごく人間くさいな~」と思うようなことも多々。

 たとえば、鎌倉・南北朝時代の知識人である吉田兼好もその一人。
「徒然草」の作者として知られる吉田兼好ですが、……? 『読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』(加来耕三・監修、ねこまき・画)から抜粋編集してご紹介します。

⚫︎世間の常識は気にしない!「ヒマがある人生」こそが有益という考え方
「つれづれなるままに、日暮らし硯すずりに向かいて……」
古典の教科書に必ずといえるほど登場する、『徒然草』の書き出しです。
「ヒマに任せて一日中硯に向かって~」といった意味ですが、作者の吉田兼好には、なぜそんなに時間があったのでしょうか?
 吉田兼好は、京都・吉田神社の神職である卜部氏という由緒ある家系に生まれました。その人生ははっきりしない部分もありますが、19歳のころには、後二条天皇に蔵人(秘書的仕事)として仕えたといいます。それを20代半ばで辞し、30歳前後に出家しました。

『徒然草』に、「何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん」と兼好は書いています。「何が面白くて、朝夕に宮仕えをして、家の心配をして暮らさなきゃならないんだ」という意味ですが、彼は世間的な枠にはめられた暮らしより、自由が欲しかったようです。

「名利に使はれて、靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ」とも書いています。「名誉欲や利益を追い求めて静かな時間も持てず、苦しむ人生は愚かだ」というのです。つまり、兼好は「ヒマを持て余した」のではなく、ヒマがある人生こそすばらしいと考え、それを実践したのです。

▶自由なポジションと文化を求む!
 求めるものは文化的な人間関係と、自由なポジション。
出家した兼好ですが、寺に入って厳しい仏道修行をすることはありませんでした。出家したといっても、厳しい修行で自由がなければ宮仕えと同じです。
 その後、比叡山横川などの草庵に住み、和歌などを通じて当代一流の文化人たちと交流を結んでいました。「世捨て人」ながら、いつでも京都の町なかに行ける場所で暮らしていたのです。
 兼好は、「お金や出世のためにがんばるのはまっぴらだが、人間関係は維持したい」と考えていたのでしょう。自分の得意な文学の才能を活かし、文化的な生活をすることこそが願いであり、官吏とか僧侶とかいう既存の枠組みに振り回されない生き方を大切にしようとしたのです。
 出家の前後には2度にわたり鎌倉に行き、しばらく暮らしていました。このとき、のちに鎌倉幕府15代執権となる金沢貞顕の知遇を得ていました。
 京都では、権大納言まで出世する二条為世に和歌を学び、「為世門下の四天王」に数えられます。南北朝時代に入ると、足利尊氏・直義兄弟や尊氏の執事・高師直とも交流がありました。自らは自由を求めつつも、交友関係は意外に豪華です。

 文化的な人間関係と自由なポジションこそ、兼好が求めた生き方だったのです。

▶「こうなりたい」が普通の人とは違う?
 出世も修業もがんばらない。自由人としての生き方を極めた吉田兼好
「この世に生まれたからには、こうなりたいという願いはあるもの」
 兼好は『徒然草』第1段にこう書いています。
「ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道」、さらに有職故実(古来の作法)で人の手本になれたら言うことはないと続きます。

 私たちは「願い」というと、お金とか出世とか健康とか、どうしても自分や家族の利益になることを最初に考えがちです。
 ところが兼好は、文学・芸能、古来からの作法で人の手本になりたいというのです。
 おそらく70年以上生きたであろう兼好の人生は、世間的な成功者ではないものの、「風変わりな文化人」として周囲からの尊敬を集め続けたものだったろうと想像できます。

 世間が決めた常識に合わせるような生き方を、兼好は徹底して嫌いました。

「ここまで人をディスるか!?」というほど、激しい言葉で他人を罵倒している文章も『徒然草』には散見されます。今でいうと、辛口コメントをSNSで発信する文化人でしょうか。こうした文章を書けるのも、常識の外に「居場所」を見つけた兼好ならではといえるでしょう。
 その上で兼好は、「世捨て人」であることで、高貴な人物たちとも身分や政治的立場を超えた交流を愉しみました。まさに何ものにも「振り回されない」ことそのものを人生の目標にした、究極の自由人だったのです。

 宮仕えを辞めて世捨て人になり、出家をしても仏道修行に振り回されるのを嫌った吉田兼好。

 出世も修業もがんばらず、型にはまらない生き方に徹したからこそ、日本三大随筆(ほかに『枕草子』『方丈記』)のひとつである『徒然草』の作者として、後世にまで大きな影響を与えたのです。
 本人の「ありたき事」が叶い、令和のいまも名が残っていると知ったら、辛口な兼好もニヤリとするかもしれませんね。

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