中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

“国務院参事”と“中央文史研究館”

2011年04月17日 | 中国生活

 新聞で、この2つの言葉を見つけ、おそらく政府のアドバイザー的な役割の人のことだろうと想像はできたのですが、改めて調べてみました。

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 “国務院参事”制度は、中国人民が法律に基づき、国家事務を管理する一つのルート、形式である。彼らは、客観、公正に社会情勢や民意を反映させ、国務院に対して直接意見や建議を提出する。 “国務院参事”は、著明な学者、幅広い管理経験を持つ指導者、幹部の中から任命され、多くが中国の各民主党派、或いは無党派の人々であり、“国務院参事室”のメンバーとして、国務院総理が任命する。現在、41名が“国務院参事”に任命されている。

  “中央文史研究館”は、中国共産党と中国政府が、年配の知識層の見識や研究成果を取り込み、一致団結を図るために設立され、統一戦線的、栄誉的な文学、歴史の研究機構であり、“敬老崇文”を旨とする。館長、副館長、館員は、国務院総理が任命する。任命されるのは、年配の碩学、名声のある人物、専門の学者である。

  “中央文史研究館”は、毛沢東が自ら提唱し、設立した。中華人民共和国成立の直前、毛沢東は自らの師である符定一に対し、共産党は、徳望が高いが、生活に困っている老学者に対処し、彼らが働ける場を作りたいと語った。1949年12月、毛沢東が柳亜子に宛てた書簡の中で、“文史機関”のことは、周恩来総理に対応させるので、そちらに聞いてほしい、と書いている。その後、毛沢東、周恩来は、符定一、柳亜子、章士にその準備に参加するよう要請し、林伯渠、斉燕銘を事務責任者に任命した。1951年7月、政務院副総理・董必武は“政務院文史研究館成立”を宣言し、符定一が初代館長、叶恭綽、柳亜子、章士が副館長になった。

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 これは、共産党員に限らず、社会の有識者を一種の顧問職に任命し、政府に対するアドバイザーとなってもらうという制度ですが、任命権は国務院総理にあります。
 4月14日、温家宝首相は、新たに任命した国務院参事、中央文史研究館館員への任命書交付を行いました。

            温家宝与新聘任国務院参事、中央文史研究館館員座談
                  2011年04月14日  来源:新華社

■ 中共中央政治局常委、国務院総理温家宝14日上午在中南海向新聘任的8位国務院参事和5位中央文史研究館館員頒発聘書,并同参事、館員座談。

□ 中国共産党中央政治局常務委員、国務院総理 温家宝は14日午前、中南海で新たに任命した8名の国務院参事と5名の中央文史研究館館員への任命書交付を行い、併せて参事、館員との座談会を行った。

■ 在聴取発言后,温家宝指出,大家的意見非常中肯,国務院及有関部門要認真研究。知者尽言,国家之利。政府的決策要符合実際,符合人民的意願,就必須傾聴来自人民的意見,集思広益。“賢路当広而不当狭,言路当開而不当塞。”我們鼓励講真話,講真話就要有聴真話的条件。要創造条件譲人民講真話,譲参事、館員講真話,在国家科学民主決策中発揮重要作用。

・中肯 zhong4ken3 話が急所を突いている。的を得ている。
・集思広益 ji2si1 guang3yi4 [成語]衆知を集めて、有益な意見を広く吸収する。
・賢路当広而不当狭,言路当開而不当塞: 《宋史•喬行簡伝》にある言葉とのことで、温家宝が好んで引用している語だそうである。“広開言路”guang3kai1 yan2lu4という成語と同様の意味で、“集思広益”とも同義語。

□ 発言を聞いた後、温家宝は次のように指摘した。皆さんの意見はたいへん的を得ている。国務院、及び関連部門は真剣に検討しなければならない。知っている者が説明を尽くすことが、国家の利益になる。政府の政策決定は、現実に符号し、人民の意志に符号していなければならず、そのためには人民の意見を傾聴し、衆知を集めなければならない。「社会から広く賢者を募るには、道を広く開け、狭めてはならず、良い意見を得るには、言論が自由に行き来するようにし、それを塞いではならない。」私たちは真実を話すことを奨励する。真実を話すことこそ、真実を聞く条件である。人々が真実を話す条件を創造し、参事、館員が真実を話すことが、国家の科学的民主的政策決定において、重要な役割を発揮する。

■ 温家宝対参事室、文史館工作提出四点要求:

□ 温家宝は、参事室、文史館の活動に対し、四つの要求を提出した。

■ 第一,加強対経済社会発展中重大問題的政策研究。重点是:堅持科学発展和轉変経済発展方式,真正改変発展中存在的不穏定、不協調、不平衡和不可持続的問題;推進社会公平正義,認真解决地区、城郷発展不平衡和收入分配不公的問題;実現経済社会協調発展,重視科技、教育、文化、衛生、体育等社会事業;堅持依法治国,建設社会主義法治国家,特別要保証司法独立和公正;深化経済体制改革和政治体制改革,従制度和体制上解決影響経済社会発展的深層次問題。参事和館員們要経常到地方和基層走一走、看一看,了解基層的情况,傾聴人民的呼声,対現実生活中涌現出来的有生命力的新生事物、新鮮経験及時加以挖掘和提煉,対存在的問題、矛盾和困難要毫不掩飾地如実反映,為国家解决重大問題提出真正有価値的対策和建議。

□ 第一に、経済・社会発展の中の重大な問題に対する政策研究を強化すること。その重点は:科学的発展と経済発展方式の転換を堅持し、発展の中に存在する不安定で、協調せず、バランスがとれておらず、持続できない問題を真に解決すること。社会の公平、正義を推進し、地域間、都市と農村の発展の不均衡と収入分配が公平でない問題を真剣に解決すること。経済・社会のバランスのとれた発展を実現し、科学技術、教育、文化、衛生、スポーツ等の社会事業を重視する。法律に基づき国を治め、社会主義法治国家を建設することを堅持する。とりわけ司法の独立と公正を保証する。経済体制の改革と政治体制の改革を深化させ、制度と体制から、経済・社会の発展に影響する深層の問題を解決する。参事と館員の皆さんは、常に地方と社会の底辺を訪問し、自分の眼で見て、底辺の情況を理解し、人民の声に耳を傾け、現実の生活の中から湧き出てくる、生命力のある新たに生まれた事物、新鮮な経験をタイムリーに掘り出し抽出し、存在する問題、矛盾、困難を少しも飾ることなく如実に反映し、国家が重大な問題を解決するため本当に価値のある対策と建議を提出してほしい。

■ 第二,重視対歴史和国際経験的比較研究。歴史是一面鏡子,国際経験也是一面鏡子。我們在現代化進程中要始終注意照照這両面鏡子,鑑古知今,博採衆長,這様我們前進的歩伐会更加扎実、更加有力。只有開放兼容国家才能富強,只有与古為新社会才能進歩。参事、館員們有豊富的知識和経験,希望大家開闊視野,通過縦向和横向的比較研究,為解决我国現代化進程中的難題献計献策。

・鑑古知今 jian4gu3 zhi1jin1 過去の歴史を見ることを通じて、現在の情勢を理解すること。同様の言葉に、“知今通古”、“知往鑑今”、“鑑往知来”、“以古為鑑”などがある。
・博採衆長 bo2cai3 zhong4chang2 “博”は“広汎”、幅広く。“長”は“長処”、長所。幅広く世の人々の優れた所を採り入れること。出典は《魏書・劉芳伝》。
・献計 xian4ji4 献策する。提案する。ここでは、“献計”、“献策”と、意味が同じ、何れも“献”ではじまり、しかも平仄も同じ“詞語”を二つ重ねることで、話に躍動感を持たせている。

□ 第二に、歴史と国際的な経験に対する比較研究を重視すること。歴史は一つの鏡であり、国際的な経験も一つの鏡である。私たちは現代化の進展の中で常にこの二つの鏡に照らしてみて、過去の歴史を見ることを通じて現在の情勢を理解し、幅広く世の中の優れたものを採り入れること、このようにすれば、私たちの前に進む歩みはより着実なものになり、もっと強力になる。開放的で包容的な国家であってはじめて富み栄えることができ、古きものを新しくしてこそ、社会は進歩する。参事、館員の皆さんは豊富な知識と経験を持っておられるのだから、皆さんは視野を広くし、縦向きや横向きの比較研究を通じ、我が国の現代化プロセス中の難題を解決するための献策を出してほしい。

■ 第三,注重対社会轉型期道文化建設的研究。一個国家没有国民素質的提高和道的力量,絶不可能成為正強大的国家、受人尊敬的国家。要把道文化建設擺到更加突出、更加重要的位置上来,在全社会形成講誠信、講責任、講良心的強大輿論氛圍。要把依法治国和道建設緊密結合起来,従優秀伝統文化中汲取営養,従世界優秀文明成果中取長補短,努力培育具有時代精神、深入人心、自尊自信的社会主義道風尚。

・風尚 feng1shang4 気風

□ 第三に、社会の転換期に於ける道徳文化建設の研究に力を入れてほしい。一つの国家に国民の素質の向上と道徳の力が無かったら、本当に強い国家、人に尊敬される国家になることはできない。道徳文化の建設をもっと突出し、もっと重要な位置づけに置き、社会全体で、誠実で信頼できることを重視し、責任を重視し、良心を重視する強い輿論の雰囲気を形作らなければならない。法律に基づく国家統治と道徳建設を緊密に結びつけ、優秀な伝統文化の中から養分を吸収し、世界の優秀な文明の成果の中から優れた点を取り入れて欠点を補い、この時代の精神を備え、人心に深く浸透し、自ら誇りに思うことのできる社会主義道徳の気風を培うことに努めなければならない。
■ 第四,発揚崇尚理性、追求真理的科学精神。崇尚理性就是尊重自然規律、科学規律、経済規律和人類発展進歩的規律,這是研究学問、従事実際工作的基本要求。要做到這一点,必須有愛国家、愛人民并為之服務和献身的精神,必須有尊重客観実際和規律、追求真理并為之不懈探索和犠牲的精神。参事、館員従事調査研究,要樹立不畏艱辛、不怕犠牲、求実存真的精神,深入実際而不浮躁,独立思考而不跟風,敢説真話而不人云亦云,這是参事、館員人格魅力之所在,也是提高咨詢国是水平的関鍵。

・崇尚 chong2shang4 あがめ尊ぶ。
・浮躁 fu2zao4 そわそわして落ち着かない。
・人云亦云 ren2yun2 yi4yun2 [成語]他人の言ったことを受け売りする。定見がないたとえ。

□ 第四に、理性、真理追究の科学的精神を尊ばねばならない。理性を尊ぶことは、自然の規律、科学の規律、経済の規律、人類の発展進歩の規律を尊ぶことであり、これは学問研究、実際の事業活動に従事する上での基本的な要求である。このようにしようと思ったら、国家を愛し、人民を愛し、そのために服務し、献身する精神がなければならず、客観的な現実と規律を尊重し、真理を追究し、そのために倦まず弛まず探究し、犠牲となる精神がなければならない。参事、館員の皆さんは調査、研究に従事し、艱難を恐れず、犠牲を恐れず、現実を追い求め真理を追究する精神を打ち立て、現実に深く入り込み、浮つかず、自ら考え、風潮に流されず、勇気を持って本当の事を言い、他人の受け売りをしないようにしなければならない。そこに参事、館員の人格の魅力が存在するのであり、またそれが国是を諮問するレベルを向上させる鍵である。

■ 温家宝最后説,一個国家一個民族総要有一批心憂天下、勇于担当的人,総要有一批従容淡定、冷静思考的人,総要有一批剛直不阿、敢于直言的人。這是千百年来中国仁人志士崇高的精神追求,参事、館員也要有這様的境界和追求。希望通過不懈努力,把参事室建成高水平的政府咨詢机構,為推進中国特色社会主義偉大事業做出更大貢献。

・批 pi1 [量詞]同じ意見や趣旨に基づき、同時にまとまって行動する多くの人をひとまとめとして数える。
・阿 e1 おもねる。へつらう。(発音に注意)“阿諛”e1yu2 の意味。
・仁人志士 ren2ren2 zhi4shi4 仁愛のある正義の人。衆人のために自己を犠牲にする人。
・境界 jing4jie4 境地

□ 温家宝は最後に次のように言った: 一つの国家、一つの民族は常に一群の天下を憂い、それに立ち向かう勇気を持った人を抱えていなければならず、常に一群の落ち着いて冷静に判断し、冷静にものを考えられる人を抱えていなければならず、常に一群の剛直でへつらわず、直言する勇気を持った人を抱えていなければならない。これは何千年何百年の間の、中国の仁愛のある正義の人士の崇高な精神の追求であり、参事、館員の皆さんもそのような境地、追求を持たなければならない。弛まぬ努力を通じ、参事室を高レベルの政府の諮問機関にし、中国の特色ある社会主義の偉大な事業を推進するために更に大きな貢献をされることを希望する。

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  中国は共産党の一党独裁であるため、社会の末端の声が上に上がりにくく、不正の温床になりやすい、という国の構造的な課題があります。今年の全人代の政府活動方針でも、人々の生活の改善、様々な不正の撲滅が最重点方針でした。温家宝さんとしては、国務院参事、文史研究館という、政府のチェック機構に、こうした課題を解決する機能の発揮を求めていると言えるでしょう。


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未雨綢繆(転ばぬ先の杖) ~ 新聞記事から

2011年04月16日 | 中国語成語

 今回は、“未雨綢繆”wei4yu3 chou2mou2という成語についてです。この成語は、雨が降らないうちに窓や戸を修繕すること。転ばぬ先の杖という意味です。“綢繆”とは、しっかり縛ること。そこから転じて、「修繕する」という意味があります。

 この成語には出典があり、昔、周の武王が殷(本来の国名は“商”)の紂王を打って殷を滅ぼした後、管叔、蔡叔、霍叔をそれぞれ殷の都の近郊に封じ、殷の遺民を監視させた。武王が亡くなった後、成王が若くして王位に就き、叔父の周公が補佐した。すると、管叔が「周公が成王の不利になることをしている」との流言を流したので、周公は都を離れ、洛邑に逃れた。間もなく、管叔は殷の紂王の子・武庚と結託し、謀叛を起こした。周公は王命を奉じ、東伐し、管叔を誅し、武庚を殺し、蔡叔を追放し,殷の余民を収監した。周公は乱を平定後、《鴟鴞》chi1xiao1の詩を成王に贈った。それが今日《詩経》に残る、《幽風・鴟鴞》だといわれています。“鴟鴞”chi1xiao1はフクロウのこと。

■ 《詩経:幽風・鴟鴞》:“迨dai4天之未陰雨,徹彼桑土,綢繆牖you3戸。今此下民,或敢侮予!”

・迨 dai4 ……に乗じて
・牖戸 you4hu4 窓と戸びら。

 この詩は、我が子を失った母鳥が、それでも依然として苦労して巣を作る様子を描いた話の中で、歌われたものです。

□ まだ雨が降らないうちに、急いで桑の皮を剥ぎ、土を捏ね、窓や戸を修理しておこう。そうしておけば、誰も敢えて私に危害を加えないだろう。

 清代朱用純《治家格言》に、次のような句があります:
 “宜yi2未雨而綢繆,毋wu2臨渇而掘井。”(雨の降らぬうちに雨戸を修繕せよ。のどが渇いてから井戸を掘るようなことがあってはならない。) 
 “臨渇掘井”lin2ke3 jue2jing3も4文字の成語になっています。日本語では、「どろぼうを捕えて縄をなう。」“臨陣磨槍”lin2zhen4 mo2qiang1 も同様の意味です。

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さて、“未雨綢繆”が、温家宝首相主宰の国務院常務会議を伝える記事の中で使われていました。

        温家宝主持召開国務院常務会議 研究部署下一階段経済工作
              2011年04月13日 来源:新華社

・部署 bu4shu3 手を打つ。手配り(をする)。配置(をする)。日本語の「部署」とは意味が違うので、要注意。日本語でいう「部署」は、“崗位”gang3wei4、“職守”zhi2shou3という。“部署”とは、人員の異動や組織の変更を含む大規模で総合的な配置や対策。一方、似た言葉に“布置”bu4zhi4があり、こちらは個別の配置や任務を表す。

□ 温家宝が国務院常務会議の招集を主宰。次段階の経済政策の手配を検討。

■ 会議指出,今年以来,我国経済保持平穏運行,国民経済開局良好。投資、消費、出口穏定増長,内需支撑作用増強;工業平穏増長,農業生産形勢向好;財政收支増長較快,貨幣信貸平穏回調,経済増長的主要拉動力逐歩従政策刺激向自主増長有序轉変;就業和居民收入継続増加,人民生活進一歩改善。這些表明,中央関于今年経済工作的決策和部署是正確的、有成效的。

・開局 kai1ju2 主に囲碁用語として使われる。これには二つの意味があり、囲碁の対局が始まって最初の段階のこと。もう一つは、一連の打ち方の常套の方法によって、碁盤上の展開を進めていくこと。ここでは後者の意味を比喩的に用い、一連の経済政策の展開、という意味合いで使っている。
・支撑 zhi1cheng 支える
・信貸 xin4dai4 銀行の預金、貸付金の総称。一般には銀行の貸付を指す。
・財政收支 cai2zheng4 shou1zhi1 財政収入と財政支出の二つから成り、財政収入は、政府職能の需要を実現するため、税収等から得る公共的資金のこと。財政支出は政府職能の需要を遂行するために使用する財政資金のこと。
・決策 jue2ce4 戦略や方策を定めること。或いは、既に定められた策略や方策。

□ 会議は、次のように指摘した。今年来、我が国の経済は安定した動きを維持し、国民経済の目下の局面は良好である。投資、消費、輸出は安定成長し、内需がそれを支える役割は強化されている。工業は安定して成長し、農業生産の情勢は好転している。財政収支の成長は比較的速く、通貨貸付は安定して回復し、経済成長の主要な牽引力は次第に政策による刺激から自主的な成長に秩序立って転換している。就業と住民の収入は引き続き増加し、人民の生活はより一層改善した。これらのことから、中央政府の今年の経済政策の対応、手配は正確で、効果的であったことが分かる。

■ 会議認為,当前国内外環境仍然極為複雑,不穏定、不確定性因素還不少。従国際看,主要経済体経済恢復増長,但国際市場糧食、石油等大宗商品価格不断上漲,通脹圧力正在従新興経済体拡大到発達経済体,世界経済還没有走上正常増長的軌道,目前又出現了一些新的変数。従国内看,雖然発展的有利条件較多,但面臨的挑戦也不少,主要是物価上漲比較快、通脹預期増強,房地産市場成交量萎縮、多数城市房価還在上漲,宏観調控仍然面臨較大圧力。我們一定要保持清醒頭脳,増強憂患意識,冷静観察,沉着応対,未雨綢繆,做好応対各種艱難和風険的準備。

・経済体 jing1ji4 ti3 二つのカテゴリーがあり、一つは国を超えた経済連合体で、例えば、EUやASEANなどを指す。もう一つは、一つの地域のことで、台湾など。
・大宗商品 da4zong1 shang1pin3 国際的に大口で取引され、商品相場を形成している商品。石油や主要穀物などをいう。
・通脹 tong1zhang4 インフレ。“通貨膨脹”tong1huo4 peng2zhang4、“物価上漲”wu4jia4shang4zhang3 ともいう。
・変数 bian4shu4 本来は、数学である現象を表す時にとり得る種々の値をいうが、そこから派生し、「変化要因」という意味で使っている。
・沉着 chen2zhuo2 落ち着いている。“沉着応対”で「落ち着いて対応する」。

□ 会議は、現在の国内外の環境は依然として極めて複雑であり、不安定、不確定の要素が尚多いことを認めた。国際的に見ると、主要経済体の経済は回復、成長しているが、国際市場の穀物、石油等の相場商品価格は絶えず上昇を続け、インフレ圧力は新興経済体から先進諸国経済体に拡大し、世界経済が未だ正常な成長軌道に乗っていない中、目下若干の新たな変化要因が出現している。国内で見ると、発展への有利な条件は比較的多いが、直面する困難も少なくない。それは主に物価上昇のテンポが速く、インフレ予測が増加し、不動産市場の成約量が減少しているが、多くの都市の住宅価格は尚上昇していることで、マクロ経済の調整は依然として比較的大きな圧力に直面している。私たちは冷静な思考を保ち、危機意識を強め、冷静に観察し、落ち着いて対応し、転ばぬ先の杖として、各種の困難やリスクに対応する準備をしておかなければならない。


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《雲郷話食》を読む: 豌豆黄(エンドウ豆の羊羹)

2011年04月14日 | 中国グルメ(美食)



 今回は、清朝宮廷料理で、西太后が好んだ点心を紹介します。北京の北海公園内にある「倣膳」の名物料理といえば、“小窩頭”、“豌豆黄”、それに“肉沫焼餅”ですが、今回取り上げられているのは前の二つ、“小窩頭”と“豌豆黄”です。

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■ 旧時北海公園中各個茶座上,出售許多種好点心,其中以倣膳的小窩頭和豌豆黄最為使人懐念。

・倣膳 fang3shan4 北京・北海公園内にある、清朝宮廷料理を出すレストラン。“御膳房”(清朝宮廷で、皇帝、皇后に食事を供するため、紫禁城内に設けられた厨房)の料理を真似た(“倣”)ことから、“倣膳”と名付けられた。

□ 昔、北海公園内の茶店では、多くの種類の点心(お菓子)が売られていたが、その中で、“倣膳”の“小窩頭”と“豌豆黄”が最も人々に懐かしく思い出される。

■ 小窩頭是清宮御膳房在西太后那拉氏庚子蒙塵(即逃難),従西安回北京后,想出来的花招。本来玉米面窩窩頭在北京是窮苦人家的主食,那拉氏蒙塵帰来,也要吃窩窩頭,以示不忘民間“劇苦”。但又不能吃真窩頭,于是御膳房就想出花招,蒸出所謂栗子面的小酒杯大的窩頭来。倣膳等処売的名点,就是這種小窩頭。就名称上説,叫作“栗子面小窩頭”,実際并不是栗子磨的面,而主要是以少量的新玉米(玉蜀黍),多量的黄豆,糯米等几様的東西配在一起磨成面;面要磨的極細,要用很細的絹籮羅几次。蒸時再加足量的糖,捏成很小很薄的窩頭形,不過是個意思,取其形似耳。

・那拉氏 na4la1 shi4 満州族の氏族の一つで、吉林省・伊通河一帯に居住していた。叶赫那拉氏、哈達納拉氏、烏喇那拉氏などに分かれる。ここでは、叶赫那拉 杏貞、後の慈禧太后、すなわち西太后のこと。
・庚子 geng3zi3 ここでは、西暦1900年の“庚子事変”のこと。この年は干支で“庚子”に当たっていた。義和団運動による北京の外国大使館包囲に対し、八カ国連合軍による北京攻撃により、皇帝、皇族が戦火を避けるため、北京の紫禁城を離れた。
・蒙塵 meng2chen2 皇帝が戦火を避け、宮廷の外へ逃げ延びること。“逃難”tao2nan2も同じ意味。
・花招 hua1zhao1 広く宣伝効果をねらうやり方、趣向。手練手管、悪だくみの意味にも用いる。[用例]耍shua3 ~。玩弄wan2nong4 ~。(どちらも手練手管を使う、の意味)
・窩窩頭 wo1wo1tou2 一般には“窩頭”という。トウモロコシやコウリャンの粉を水で捏ねて円錐形に丸め、蒸したもの。中国北方の農民の主食であった。
・玉蜀黍 yu4shu3shu3 トウモロコシ。一般には“玉米”yu4mi3という。
・羅 luo2 ふるいにかける。

□ “小窩頭”は清朝宮廷の御膳房により、西太后・那拉氏が庚子事変で北京を逃れ、後に西安から北京に戻ってから、考え出された趣向である。本来、トウモロコシ粉で作った“窩窩頭”は。北京では貧しい人々の主食であった。西太后は宮廷の外への避難から戻ってからも、“窩窩頭”を食べることで、民間の「ひどい苦しみ」を忘れていないことを示そうとした。しかし本当の“窩頭”は(不味くて)食べられないので、御膳房が趣向を考え出し、いわゆる“栗子面”(栗を挽いた粉)で盃(さかずき)くらいの大きさの“窩頭”を蒸し上げた。“倣膳”などで売られている名物点心は、こうした“小窩頭”である。名称に関して言うと、「栗の粉で作った“小窩頭”」と呼ばれているが、実際には栗の実を挽いた粉ではなく、主に、少量の新鮮なトウモロコシ、多量の大豆、もち米など、数種類の材料を混ぜて粉に挽いたもので、粉はきめ細かくないといけないので、目の細かい絹を張った篩(ふるい)で何度か篩にかける。蒸す時には、更に分量の砂糖を加え、捏ねて小さく薄い“窩頭”の形に作るが、趣向だけで、形が似ているだけである。

■ 蒸這種小窩頭的面,過去有専門舗子来磨。北長街有家大糧店,字号叫泰来,東家是山東海陽人,姓趙,結交内務府、御膳房内監等人,専作宮里生意,蒸小窩頭的栗子面,就是他家磨的。据説磨時多少要放一些風干栗子。

・東家 dong1jia 主人。商店の店主。
・内監 nei4jian4 宦官。“Nei4jian1”と発音すると、重罪犯人を収容する監獄のこと。“監”をjian4と四声に発音すると、昔の役所の名前のことで、例えば“国子監”などという。宦官のことは、普通、“太監”というが、これもtai4jian4と四声である。一方、“jian1”と一声に発音するのは、監視するという動詞の時。“監督”、“監管”がそうで、名詞では監獄のことである。
・結交 jie1jiao1 付き合う。交際する。

□ こうした“小窩頭”を蒸すのに使う粉は、嘗ては専門の店が来て粉に挽いた。北長街に大きな穀物店があり、屋号を“泰来”といい、店の主人は山東・海陽の人で、姓は趙であった。内務府、御膳房の宦官などと交流があり、専ら宮廷で商いをし、小窩頭を蒸す“栗子面”はこの店で挽いたものであった。粉に挽く時に、乾燥させた栗の実を多少加えたと言われている。

■ 豌豆黄也是北京伝統食品,徐珂《清稗類鈔》云:

   京都点心之著名者,以面裹楡莢,蒸之為糕,和糖而食之。以豌豆研泥,間以棗肉,曰豌豆黄。

□ “豌豆黄”も北京の伝統食品である。徐珂《清稗類鈔》に言う:

   北京の点心の有名のものに、小麦粉の中に楡の実を混ぜ、蒸して蒸しパンにしたものに、砂糖をつけてこれを食べる。エンドウ豆をすりつぶし、中に棗(なつめ)の果肉を入れたものを、“豌豆黄”という。

■ 徐珂対做法説得太簡単,実際是像做澄沙一様,把豌豆煮得稀爛,用細籮濾過去其皮,豌豆湯澄淀成豌豆泥,加糖再煮,成糊状,加石膏作定型剤,放在容器中送到冰箱内冰鎮,凝固后便成。取出切成四方小塊,放在盤中,一色姜黄,方方正正,乍一望去很像一塊塊的高級“田黄”或“南瓜凍石”図章。近人雪印軒主《燕都小食品雑咏》云:

   従来食物属燕京,豌豆黄儿久著名,紅棗都嵌金屑里,十文一塊買黄瓊。

・澄沙 deng4sha1 こしあん。“澄”はdeng4と発音する時は、濁った液体を澄ませる、という意味。一方、cheng2は、水が清く澄んでいる、という状態を表す。或いは“澄清”cheng2qing1の形で比喩的に、混乱した状態をはっきりさせる、事実を明らかにする、という意味でも使う。“澄清”はdeng4qing1という発音でも使えるが、この場合は濁った液体を澄ませる、の意味しかない。
・稀爛 xi1lan4 どろどろ(な状態)。
・四方小塊 si4fang1 xiao3kuai4 通常は“四方塊儿”で四角、立方体の意味。
・姜黄 jiang1huang2 ウコン。
・方正 fang1zheng4 正方形である。形が整っている。[例]他的字写得方方正正(彼はきちんとした字を書く)。
・乍 zha4 [副詞]……したとたん。
・田黄 tian2huang2 福建寿山で採れる石で、印章用の高級石材。色は黄色である。
・凍石 dong4shi2 彫刻工芸品や印章に使われる石材で、きらきらして透明で、光沢がある。様々な色のものがあるが、黄色いものは、よくかぼちゃの形に彫刻を施し、“南瓜凍石”と呼ばれる。
・図章 tu2zhang1 印章。
・咏 yong3 詩や歌を節をつけて読む。物事を詩や歌に詠む。

□ 徐珂は作り方の説明が簡単過ぎる。実際は、こしあんを作る時のように、エンドウ豆をどろどろに煮て、細かい篩(ふるい)で皮を除き、エンドウ豆の煮汁を澄ませて沈殿したエンドウ豆のペーストに、砂糖を加えて再び煮、糊状になったら、石膏を加えて定型剤とし、容器に入れて冷蔵庫で冷やし、凝固したら出来上がりである。取り出して四角く切り、大皿に並べれば、ウコン色一色で、きちんと形が整っていて、見たところ、高級な“田黄”や“南瓜凍石”の印章のようである。近世の人、雪印軒主は《燕都小食品雑咏》でこう言っている:

   これまで、北京の食べ物では、“豌豆黄”がずっと有名であった。赤い棗(なつめ)が金の破片をちりばめたようになっている。一個10文で黄色い玉(のような“豌豆黄”)を買った。

■ 在詩后還有注釈説:“以去皮之豌豆,入砂鍋内,煮之成粥,后入以紅棗,俟水分漸干,即可成塊,満嵌紅棗,可観亦可食。”這説的也很好,不過這様做的,是推車小販在街上売的豌豆黄。這種街上売的豌豆黄,和棗煮在一起,不多放糖,不甚甜,是普通豌豆黄。北海倣膳売的豌豆黄,和好白糖煮,加点桂花,不放紅棗,做的十分細膩,是宮里的做法,是高級的豌豆黄。夏天喝茶時,買一盤豌豆黄,剛剛従冰箱中取出来,用牙簽扦qian1着吃,又甜、又軟、又涼、又香,入口即化。其甜和糯的滋味,正像日本作家五十嵐力所著《我的書翰》中説上野“空也”点心,“吃起来餡和糖及果実渾然融合,在舌頭上分不出各自的味来。”即日本式果子屋売的豆制“果子”(点心),而凉和香則是日本式“果子”所没有的,小窩頭和豌豆黄比較起来,那豌豆黄要好吃多了。老実説,大窩頭不好吃,小窩頭也同様不好吃。

・俟 si4 待つ。
・細膩 xi4ni4 きめが細かくなめらかである。
・扦 qian1 突き刺す
・糯 nuo4 粘り気がある。ねっとりした。

□ 詩の後には注釈があり、こう言っている:「皮を除いたエンドウは、土鍋の中にいれ、煮て粥(状)にする。その後、干し棗を加え、水分がなくなるのを待てば、塊りになり、あたり一面、赤い棗が散りばめられ、見た目も良いし美味しい。」この説明もたいへん良いのだが、こうして作ったものは、荷車を引いた行商人が街で売る“豌豆黄”である。こうした街売りの“豌豆黄”は、棗といっしょに煮るので、あまり砂糖を入れず、それほど甘くない。これが普通の“豌豆黄”である。北海公園の“倣膳”で売られる“豌豆黄”は、上等の白砂糖といっしょに煮られ、キンモクセイの花を加え、干し棗は入れない。たいへんきめ細かくなめらかで、宮廷式の作り方で、高級な“豌豆黄”である。夏に茶を飲む時、“豌豆黄”を一皿買うと、冷蔵庫から取り出してきたばかりで、これを楊枝で突き刺して食べると、甘く、軟らかく、冷たく、風味が良く、口に入れるや溶けてしまう。その甘くねっとりした味わいは、日本の作家、五十嵐力が《私の書簡》の中で言っている上野“空也”のお菓子のように、「口に入れると餡と砂糖と果実が混然一体と融合し、舌の上でそれぞれの味を見分けることができない。」これは日本式の菓子屋で売られている小豆で作った「菓子」(点心)であるが、冷たくて風味がよいものは日本式の「菓子」にも無い。“小窩頭”と“豌豆黄”を比べると、“豌豆黄”の方がずっと美味しい。正直に言うと、“大窩頭”は美味しくないが、“小窩頭”も同様に美味しくない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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老舎《出口成章》を読む: 戯劇語言(7)

2011年04月12日 | 中国文学

 長い講演の結論として、老舎が芝居で使う言葉の理想として考えたのは、韻律の美しさ、調子の良さを活用した言葉で、これは古典文学を手本とすべきで、古典文学に関する素養が必要としています。
 それにしても、最後のところの、政治宣伝の話劇の脚本を書くよう強制され、自分の本当に書きたいものが書けない、という訴えは、胸に響くものがあります。改めて、当時の文化人の苦しみを再認識させる文章であると思います。

     -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

■ 現在,譲我們談談語言的音楽性。

□ 次に、言葉の音楽性についてお話ししましょう。

■ 用文言写的散文講究経得起朗誦。四五十年前,学生学習唐宋八大家的文章都是唱着念,唱着背誦的。我們写的白話散文,往往不能琅琅上口,這是個缺点。一般的散文不能上口,問題或者還不太大。話劇中的対話是要拿到舞台上,通過演員的口,送到聴衆的耳中去的。由口到耳,必渉及語言的音楽性。

・経得起 jing1deqi3 試練や困難に耐えられる。[用例]真理~時間的考験(真理は時間が経っても変わらない)
・誦 song4 ①朗読する。[例]朗lang3~。②暗誦する。[例]背~。過目成~(一度読んだだけで暗唱できる。記憶力が良い形容)
・琅琅 lang2lang2 玉石のかち合う澄んだ音。そこから転じて、明るく澄んだ読書の声。朗々。
・上口 shang4kou3 すらすらと読める。朗読が流暢である。そこから派生し、詩文がすらすら読めるよう、流暢に書けている意味にも使う。

□ 文言で書かれた散文は、声を出して読むのに耐えるように書かれています。4、50年前は、学生は唐宋八大家の文章を勉強する時は、声に出して読んで、読みながら暗誦したものです。私たちが書く口語の散文は、しばしば朗々と読み上げることができません。これが欠点です。普通の散文が声に出してすらすら読めなくても、問題はあるいはたいしたことではないかもしれません。芝居の中の台詞は舞台の上に持って上がり、俳優の口を通じ、聴衆の耳に届けられます。口から耳まで、言葉の音楽性に関わらねばなりません。

■ 古体詩文的作者十分注意這個問題。他們都揺頭晃脳地吟詩、作文章。他們用一個字,造一句,既考慮文字的意象,又顧到声音之美。他們把毎個方塊儿字都解剖得極為細致。意思合適而声音不美,不行,必須另換一個。

・揺頭晃脳 yao2tou2 huang4nao3 [成語]独りで悦に入るさま。“揺頭”も“晃脳”も、頭を揺り動かすことで、得意そうな様子を表す。“揺頭擺尾”~ bai3wei3は、軽薄で得意然としたさま、独りよがりの様子を表す。
・意象 yi4xiang4 イメージ。
・方塊儿字 fang4kuai4r zi4 角張った文字。漢字のこと。
・解剖 jie3pou1 解剖する。転じて、細かく吟味する、という意味も持つ。

□ 古体詩の作者は、このことにたいへん注意を払っています。彼らは首を振り振り詩を吟じ、文章を作ります。彼らは文字一つを用い、語句一つを作るのに、文字のイメージを考慮し、音声の美しさを気にします。彼らは角張った漢字一文字一文字を細かく分解してみます。意味が適当でも、音が美しくなければだめで、別の文字に置き換えなければなりません。

■ 旧体詩文之所以難写,就因為作者唯恐対不起“文字解剖学”。到了咱們這一代,似乎又嫌過于籠統了,用字有些平均主義,拍拍脳袋就算一個。我們往往似乎忘了方塊儿字是有四声或更多的声的。字声的安排不妥,不幸,句子就聴起来不大順耳,有時候甚至念不出。解剖文字是知識,我們応該有這様的知識。怎様利用這点知識是実践,我們応当経常動筆,于写小説、劇本之外,還要写写詩,編編対聯等等。

・唯恐 wei2kong3 “惟恐”とも書く。……のみ恐れる。……だけが気にかかる。必ず、動詞、または主述句を目的語にとる。
・籠統 long3tong3 あいまいである。漠然としている。大まかである。
・順耳 shun4 er3 耳障りでない。聞いて気持ちがよい。通常は否定に用いる。

□ 旧体詩を書くのが難しいのは、作者がただ、「文字の解剖学」に申し訳がたたないことを恐れるからです。私たちの世代になると、また漠然とし過ぎるのを嫌い、文字の選択が幾分平均主義的で、頭をちょっと叩いたら一丁上がり、というようなところがあります。私たちはしばしば漢字には四声、或いはもっと多くの音があることを忘れがちです。文字の音声の配列が不適切だと、不幸にも、文を聞いてみると耳障りで、時にはうまく読めないことさえあります。文字を「解剖」するのは知識であり、私たちはこのような知識を持たねばなりません。どのようにこの知識を利用するかが実践であり、私たちは常にペンを持ち、小説や芝居を書く他に、詩を書いたり、対聯を作ったりしなければなりません。

■ 我們要従語言学習中找出楽趣来。不要以為郭老編対聯,田漢老作詩,是他們的愛好,与咱們無関。咱們都是同行,都是語言藝術的学習者与運用者。他們的楽趣也該成為咱們的楽趣。慢慢的,熟能生巧,我們也就習慣于将文字的意、形、音三者聯合運用,一斉考慮,増長本領。我們応当全面利用語言,把語言的潜力都挖掘出来,聴候使用。這様,文字才能既有意思,又有響声,還有光彩。

・楽趣 le4qu4 楽しみ。
・熟能生巧 shu2neng2 sheng1qiao3 [成語]何事も慣れれば、こつが分かる。
・本領 ben3ling3 腕前。技能。

□ 私たちは、言葉の学習の中から楽しみを見つけ出さなければなりません。郭(沫若)老が対聯を作り、田漢老が詩を作るのは、彼らの趣味で、私たちとは無関係だと思ってはなりません。私たちは皆同業者で、言語芸術の学習者であり、運用者です。彼らの楽しみは、また私たちの楽しみでもあります。ゆっくりと、慣れてこつが分かったら、私たちも文字の意味、形、音の三者を合わせて運用するのが習慣になり、いっしょに考えることができ、腕前が上がります。私たちは言葉を全面的に利用し、言葉の潜在力を発掘し、実際に聞いてみてから使用します。このようにしてこそ、文字は意味があり、響きがあり、しかも光沢が出てきます。

■ 朗読自己的文稿,有很大的好処。詞達意確,可以看出来。音調美好与否,必須念出来才暁得。朗読給自己聴,不如朗読給別人聴。文章是自己的好,自念自聴容易給打五分。念給別人聴,即使聴者是最客気的人,也会在不易懂、不悦耳的地方皺皺眉。這大概也就是該加工的地方。当然,一個人有一個人的写作方法,我們并不強迫人人練習朗誦。有的人也許越不出声,越能写的声調鏗鏘,即不在話下。

・鏗鏘 keng1qiang1 楽器などのリズミカルな音。
・不在話下 bu4zai4 hua4xia4 [成語]言うまでもない。

□ 自分の原稿を朗読してみるのは、たいへん大きなメリットがあります。言葉の意味が通じるか、正しいかが、分かります。音の調子が美しいかどうかは、読んでみてはじめて分かります。しかし、朗読してみて自分で聞くのは、朗読して他人に聞いてもらうのに及びません。文章は自分のものが良く思えるので、自分で読んで自分で聞くと、容易に五点満点を付けることができます。読んで他の人に聞いてもらうと、たとえ聴衆が遠慮深い人でも、聞いて分からなかったり、耳障りなところでは眉をしかめます。そういうところは、おそらく手直ししなければなりません。もちろん、各人には各人の執筆方法があり、私たちは全ての人に朗読練習を強制はできません。中には、声に出さない方が、音の調子が益々リズミカルになる人もいるのは、言うまでもありません。

■ 我們的語滙似乎也有些貧乏。以我自己来説,病源有三:一個是写作雖勤,而往往把読書時間擠掉。這是很大的損失。久而久之,心中只剩下自己最熟識的那麼一小撮語滙,像受了旱災的庄稼那麼枯窘可怜。在這種時候,我若是拿起一本偉大的古典作品読一読,就好似大旱之遇甘霖,胸中開拡了許多。即使我記不住那些文章中的詞藻,我也会得到一些啓発,要求自己要露出些才華,時而万馬奔騰,時而幽琴独奏,別老翻過来調過去耍弄那一小撮儿語滙。這麼一来,説也奇怪,那些忘掉的字眼儿就又回来一些,叫筆下富裕了一些。特別是在心里干枯得像焼干了的鍋的時候,字找不到,句子造不成,我就拿起古詩来朗読一番。這往往有奇效。

・貧乏 pin2fa2 文字通りの意味は、貧しいということだが、もう少し抽象的な意味として、“豊富”の反対語として、欠乏している、という意味でも使われる。
・擠掉 ji3diao4 オミットされる。締め出される。“擠”とは、ぎゅっと圧縮して、絞り出したり、押し出したりする動作。
・久而久之 jiu3 er2 jiu3zhi1 [成語]月日の経つうちに。
・一小撮 yi1 xiao3 cuo1 “撮”は量詞。“撮”とは指でつまむという意味で、指でつまめるわずかな量を表す。数字は通常“一”を用いる。“小”は量の少ないことの強調。
・枯窘 ku1jiong3 力や文才などが枯渇する。尽きる。
・甘霖 gan1lin2 慈雨。
・開拡 kai1kuo4 考えや気持ちが明るくのびのびしている。[例]胸懐~(心がのびやかになる)
・詞藻 ci2zao3 ことばのあや。
・才華 cai2hua2 才気。すぐれた才能。
・万馬奔騰 wan4ma3 ben1teng2 [成語]勢いが極めて盛んで、猛烈に前進しようとするさま。千軍万馬の勢い。
・耍弄 shua3nong4 もてあそぶ。
・字眼儿 zi4yan3r 文中の語や句。
・筆下 bi3xia4 “筆底下”bi3di3xia とも言う。文章を書く能力。

□ 私たちの語彙にも、欠乏しているところがあります。私自身について言うと、病の根源は三つあります。一つ目は、執筆は真面目にしていますが、しばしば読書の時間が取られてしまうことです。これは大変大きな損失です。月日の経つうちに、頭の中には自分が最もよく知っている、ごくわずかな語彙しか残っておらず、旱魃を受けた作物のように、可哀そうなほどに枯渇してしまいます。このような時に、一冊の偉大な古典作品を持ってきて一読してみれば、旱魃の時に慈雨にめぐり会ったかのように、心の中が随分とのびやかになります。こうした文章のことばのあやは憶えていなくても、何がしかのヒントが得られ、自分自身でも少しばかり才気を発揮せんと、時に千軍万馬の勢いを得、時に独りひっそり琴を爪弾くようにし、いつまでもわずかな語彙をひっくり返し、それを当てはめるようなことは止めにします。そうすると、不思議なことに、あの忘れてしまった語句が蘇ってきて、文章が豊かになります。とりわけ心の中が乾ききって、焼け焦げた鍋のようである時は、文字も思い浮かばず、文も作れないので、私は古い詩を持ってきて朗読をしてみます。これはしばしば奇跡のような効果があります。

■ 詩中的警句使我狂悦。好,尽管我写的是散文,我也要写出有総結性的句子来,一針見血,像詩那様一説就説到家。所謂総結性的句子就是像“山高月小,水落石出”那様用八個字就画出一幅山水来,像“欲窮千里目,更上一層楼”那様用字不多,而道出要立得高,看得遠的願望来。這様的句子不是泛泛的叙述,而是叫大家以最少的代価,得到最珍貴的和最多的享受。我們不能叫劇本中的毎一句話都是這様的明珠,但是応当在適当的地方這麼献一献宝。

・警句 jing3ju4 人生や社会、文化などについて、真理を簡潔な中に鋭く表現した語句。
・一針見血 yi1zhen1 jian4xie3 [成語]短い言葉で急所をずばりと言い当てる。“血”は通常、口語で単音節の表現の時は“xie3”と発音し、複音節の表現や書き言葉では“xue4”と発音する。“出血”、“血統”はxue4である。
・到家 dao4jia1 相当高い水準に達する。

・山高月小,水落石出: 蘇軾《后赤壁賦》の一節。意味は、「麓から見ると、山は高く聳えているが、月は逆に天に昇るにつれ小さく見える。渇水期に川の水位が下がると、川底の石が露出して見えるようになる。」事の真相が明らかになることの比喩。

・欲窮千里目,更上一層楼: 王之渙《登鸛雀楼》の一節。意味は、「千里の外を見ようと思えば、楼閣のもう一層上に登らないといけない。」もっと大きな成功を望むなら、一層の努力をしなければならない、ということの比喩。

□ 詩の中の警句は、私を狂喜させます。よろしい、たとえ私が書くのが散文でも、総括的な文句を書くことができれば、短い言葉で、詩のように急所を突いたことを言うことができます。いわゆる総括的な文句とは、「山高ければ月小さく、水落つれば石出づ」のように八文字で一幅の山水画を描くことができ、「千里の目を窮めんと欲すれば、更に上れ一層の楼」のように用いている文字は多くありませんが、言っていることは高きに立ち、遠くを見たいとの願望です。このような文句は、うわべだけの叙述ではなく、読む者全員が最小の代価で、最も貴重で最大の享受を得れるようにしようとするものです。私たちは芝居の中の一句一句を皆このような珠玉の名文句にすることはできませんが、適当なところでは、このように素晴らしい文句を献上しなければなりません。

■ 我的語滙不豊富的第二個原因是近几年来経常習写劇本,而没有写小説。写小説,我須描絵一切,人的相貌、服装,屋中的陳設,以及山川的景色等等。用不着説,描写什麼就需要什麼語滙。相反的,劇本只需要対話,即使交代地点与人物的景色与衣冠,也不過是三言五語。于是,我的語滙就越来越少,越貧乏了。近来,我正在写小説,受罪不小,要什麼字都須想好久。這是我個人的経験,別人也許并不這様。不過,假若有人也有此情况,我願建議:別老写劇本,也該練習練習別的文体,以写劇為主,而以写別種文体為副,也許不無好処。

・交代 jiao1dai4 説明する。
・衣冠 yi1guan1 衣服と冠。身なり、服装。

□ 私の語彙が豊かでない二つ目の原因は、ここ数年ずっと芝居の脚本を書く練習をし、小説を書いていないからです。小説であれば、人の容貌、服装、屋内の装飾、山や川の景色など、一切を描かなければなりません。言うまでもありませんが、何かを描こうと思えば、それに関する語彙が必要です。その反対に、芝居は台詞のみが必要で、たとえ場所と人物の景色や身なりを説明するにしても、二言三言で済みます。それで、私の語彙は益々少なくなり、益々欠乏してしまったのです。最近、私は小説を書いていますが、損害は小さくなく、どんな文句でも、長く考えなければなりません。これは私個人の経験なので、他の人はそうではないかもしれません。けれども、このような情況の人もいるのであれば、私はこう提案したいと思います:芝居ばかり書くのではなく、別の文体も練習しましょう。芝居を主にし、別の文体は副としても、おそらく問題は無いでしょう。

■ 第三,我的生活知識与藝術知識都太少,所以筆下枯渋。思想起来,好不傷心:音楽,不懂;絵画,不懂;芭蕾舞,不懂;対日常生活中不懂的事就更多了,没法在這儿報帳。于是,形容個悦耳的声音,只能説“音楽似的”。什麼音楽?不敢説具体了啊!万一説錯了呢?只挙此一例,已足見筆墨之枯窘,不須多説,以免涙如雨下!作一個劇作家,必須多知多懂。語言的豊富来自生活経験和知識的豊富。

・枯渋 ku1se4 無味乾燥で生気がない。
・報帳 bao4zhang4 清算する。
・筆墨 bi3mo4 文字や文章。[用例]難以用~来形容(筆舌に尽くし難い)。

□ 第三に、私の生活知識と芸術知識が少な過ぎるので、文章が無味乾燥で生気が無いのです。考えてみると、たいへん悲しいことです。音楽のことを知らない、絵画のことを知らない、バレーのことを知らない。日常生活で知らないことはもっとたくさんあり、ここでは全てを清算することができません。それゆえ、耳に心地よい音声を形容するにも、「音楽のようだ」としか言えません。どういう音楽なのでしょうか。具体的に説明ができません。万一、間違ったらどうしよう。この一例だけ挙げても、文才の枯渇が見てとれます。これ以上言うのはやめましょう。涙が雨のように流れ落ちないように。一人の劇作家として、多くのことを知り、理解していなければなりません。言葉の豊かさは、生活経験と知識の豊富さから来ています。

■ 朋友們,我的話已説了不少,不願再多耽誤大家的時間。請大家指教!

□ 皆さん、私の話が長くなりました。これ以上皆さんの時間を無駄にしたくありません。どうもありがとうございました。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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老舎《出口成章》を読む: 戯劇語言(6)

2011年04月11日 | 中国文学

 老舎は喜劇の本質につき、頭を思い悩ましています。一時の流行に惑わされない、歳月が経ても、万人が理解でき、ユーモアが感じられて、しかも聞く者にとって有益である。そのようなことは果たして可能なのでしょうか。
 ここで、一つヒントとして挙げられているのが、当時、普通話(標準語)普及運動の一環で、普通話による相声(掛け合い漫才)が盛んに行われるようになったことです。老舎は、普通話の相声から、喜劇で使う言葉のヒントを得たものと思われます。

     -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

■ 据我看,為了使喜劇的語言生動活潑,我們几乎無法完全不用具有地方性与時間性限制的語滙与説法。不過,更要緊的是我們怎様作語言的主人。這有両層意思:一是假若具有地方性或時間性限制的語言而確能幇助我們,使我們的筆下加一些色彩与味道,我們就不妨采用一些;二是最有味道的詞句応是由我們自己創造出来的。

□ 私の見るところ、喜劇の言葉を生き生きとして活発なものにするには、私たちは地域や時間の制約のある語彙や言い方を完全に用いない訳にはいかないと思います。けれども、もっと大切なことは、私たちがどうやって言葉の主体者になるかです。これには二重の意味があります。一つは、もし地域や時間の制約のある言葉が確かに私たちの助けになり、私たちの書いたものに色彩や風味を付け足してくれるなら、私たちはそれを使うのを妨げるものではないということ。もう一つは、最も味わいのある語句は、私たち自身で作り出すべきだということです。

■ 這種創造可以用普通話作為基礎。普通話是大家都知道的,用它来創造出最精采的詞句,便具有更多的光彩,不受地方与時間的限制。我是喜用地方土語的,但在推広普通話運動展開之后,我就開始尽量少用土語,而以普通話去写喜劇。這個嘗試并没有因為不用土語而減少了幽默感与表現力。

□ こうした創作は、“普通話”(標準語)を使うことを基礎にすべきです。普通話は誰もが知っていて、これを使って素晴らしい語句を生み出せば、もっと多くの色や艶を備えることができますし、場所や時間の制約を受けません。私は地方の方言が好きですが、普通話を広める運動が展開されてからは、できるだけ方言は使わないようにし、普通話で喜劇を書くようにしています。この試みは、決して、方言を用いないことでユーモアのセンスや表現力が減少したということではありません。

■ 我覚得,具有創造性的語言,帯着智慧与藝術的光彩,是要比借用些一時一地一行的俏皮話儿高超的多的。

看看
     “李白斗酒詩百篇,長安市上酒家眠,
     天子呼来不上船,自称臣是酒中仙”

 這几句吧,里辺没有用任何土語与当時流行的俏皮話,而全是到今天還人人能懂的普通話,可是多麼幽默,多麼生動,多麼簡練!只是這麼四句,便刻画出一位詩仙来了。這叫創造,這叫語言的主人!不借助于典故,也不倚頼土語、行話,而只凭那麼一些人人都懂的俗字,経過錘煉琢磨,便成為精金美玉。這雖然是詩,可是頗足以使我們明白些創造喜劇語言的道理。

・倚頼 yi3lai4 依存する。
・行話 hang2hua4 業界仲間の専門語。符丁。“行業語”とも言う。
・高超 gao1chao1 ずば抜けている。飛び抜けて優れている。

□ 創造性を備えた言葉は、智慧と芸術の光沢を備えていて、その時その場のしゃれ言葉を借りてくるのに比べて遥かに優れていると思います。

 これを見てください:

     李白斗酒詩百篇,長安市上酒家眠,
     天子呼来不上船,自称臣是酒中仙

   (李白は一斗の酒で詩を百篇書くことができる。
   長安の街の飲み屋で酒に酔って寝ている。
   天子が呼びに来ても、天子が船遊びをしている屋形船に上らない。
   そして、自らを酒の中の仙人と称している。)

 これらの語句には、方言も、当時流行っていたしゃれ言葉も一切無く、全てが今日でも人々が理解できる標準語で書かれていますが、なんとユーモアに満ち、生き生きとして、簡潔でいて言葉がよく練れていることでしょうか。わずかこの四句で、一人の詩仙を描き出しています。これこそ創造、言葉の主(あるじ)と呼ぶことができます。典拠、故事に頼らず、方言や業界用語に頼らず、これらの人々が皆知っている通俗的な文字だけを使って、それを鍛え、磨くことで、精緻で美しい宝石に仕上げています。これは詩ではありますが、私たちに喜劇で使う言葉を創造するということの道理を明らかにするのに甚だ十分です。

■ 所謂語言的創造并不是自己閉門造車,硬造出只有自己能懂的一套語言,而是用普通的話,経過千錘百煉,使語言得到新的生命,新的光芒。就像人造絲那様,用的是極為平常的材料,而出来的是光澤柔美的絲。我們応当有点石成金的願望,叫語言一経過我們的手就変了様儿,誰都能懂,誰又都感到驚異,拍案叫絶。特別是喜劇語言,它必須深刻,同時又要軽松明快,使大家容易明白,而又不忍忘掉,聴的時候発笑,日后還咂za1着滋味発笑。喜劇的語言万不可成為聴衆的負担,有的地方聴不懂,有的地方雖然聴懂,而覚得別扭。聴完喜劇而閙肚子別扭,才不上算!喜劇語言必須餡儿多而皮薄,一咬即破,而味道無窮。相声演員懂得這個道理,応当跟他們多討教。

・閉門造車 bi4men2 zao4che1 [成語]家に閉じこもって車を造る。客観的情況を考慮せず、主観だけに頼って物事を行う喩え。
・千錘百煉 qian1chui2 bai3lian4 [成語]鍛えに鍛える。詩文などで使う時は、推敲に推敲を重ねる喩え。
・光芒 guang1mang2 光。
・人造絲 ren2zao4si1 人造絹糸。人絹。レーヨン。
・拍案叫絶 pai1an4 jiao4jue2 机をたたいて、すばらしいとほめる。“拍案”は机をたたくことで、激しい怒り、驚き、賞賛、などの感情を表すこと。
・咂 za1 味をみる。吟味する。
・閙肚子 nao4 du4zi “腹瀉”fu4xie4のことで、腹をくだす、下痢をする、の意味。
・上算 shang4suan4 採算が取れる、そろばんが合う。
・討教 tao3jiao4 教えを請う。

□ いわゆる言葉の創造というのは、決して自分の殻に閉じこもって考え、頑なに自分しか理解できない言葉を作り出すことではなく、普通の言葉を使って、それを磨きに磨き、言葉に新たな生命、新たな光を与えてやることです。人造絹糸のように、用いているのはごくありふれた材料でも、出来上がってくるのは、光沢のある、軟らかで美しい糸です。私たちは多少なりとも石ころを金に変えてやろうとの思いを持ち、言葉を私たちの手を経ることで姿を変えてやり、誰もが理解でき、誰もが驚きを感じ、机を叩いて「すばらしい!」と絶賛してくれるようにすべきです。特に喜劇の言葉は、深刻でなければならず、同時に軽やかで明快で、誰もが容易に理解でき、しかも忘れてしまうに忍びなく、聞いた当座は可笑しく、日が経つと、今度は味わいが染み出て可笑しいという風であるべきです。喜劇の言葉は決して聴衆の負担になってはなりません。ある地方では聞いてもちんぷんかんぷんで、またある地方では聞いて理解はできますが、煩わしい感じがする。喜劇を聞いて、腹をくだして気分が悪くなるようでは、どうして割が合うでしょう!喜劇の言葉は、餡がたっぷりで皮が薄く、噛めばさっと皮が割れて、味わいは無限です。相声の芸人はこの道理が分かっているので、彼らにもっと教えを請うべきです。

■ 附帯着説,相声演員在近几年来,也抛棄了不少地方土語,而力求以普通話逗哏gen2。這不僅使更多的人能够gou4欣賞相声,而且使演員不再専倚頼土語。這就使他們非多想不可,用尽方法使普通話成為可笑可愛的語言,給一般的語言加多思想性与藝術性。

・逗哏(儿) dou4gen2r こっけいなことを言って、笑わせる。相声、掛け合い漫才の「つっこみ」役を指す。「ぼけ」の方は、捧哏(儿)peng3gen2rという。

□ 付け足して言うと、相声の芸人達はここ数年、少なからず地方の方言を捨て、普通話で笑いを取るよう努めています。このことでより多くの人が相声を楽しめるようになっただけでなく、芸人も専ら方言に頼るということがなくなりました。このことで、彼らは前より多くのことを考えなければならなくなり、手を尽くして普通話を可笑しくて愛すべき言葉にし、普通の言葉に思想性と芸術性を付け加えるようになりました。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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