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いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

1/29 遅ればせながら・・・

2012年01月29日 | 日々の出来事

ご無沙汰しております。久々のブログ書き込みです。

大変遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
年末年始は帰省でドタバタ、つい先週まで大学の期末試験だったためブログを更新出来ないままでいました(汗)

さてあまり新しい話ではありませんが、今回は鳥取に帰省していたときのことを少し断片的に書いていこうかと思います。あれやこれや書こうとするとまたぐだぐだになりそうなので・・・。


昨年から今年にかけての年末年始は2010年から2011年にかけてのそれに比べると、雪も少なく穏やかな天候でなによりでした(というかあの時が異常だっただけのような気が・・・)。
写真は2011年大みそかの西鳥取車両支部です。奥の方に見慣れないDE10(DE10 1058)がいますが、乗務員訓練か何かで鳥取に来ていたのでしょうか?

そういえば昨年12月下旬ころから鳥取のイラスト車であるキハ47 146と1112がペアになった状態で運用されていたらしいですが、自分もちょうど元日に鳥取駅で偶然見ることができました。

同じイラスト車が2両揃っていい編成美ですね。
この組み合わせはぜひ見てみたいと思っていたので、運良く出会うことができて良かったです。
元日ということもありちょっとしたお年玉をもらった気分でした(笑)
せっかくなのでユニットはこれからもこの状態で固定して運用してほしかったと思うのは自分だけ?


こちらは別の日に鳥取駅で見かけたときのものです。1月4日の朝に鳥取駅から列車に乗るときにキハ47 146を見たのですが、そのときにはもうイラスト車同士のユニットはばらされてしまっていました。
次にこのイラスト車同士でユニットを組むのはいつのことやらといった感がありますが、もしかするとそれより先に次の検査で朱色5号の一色塗りに戻されてしまう気がしないでもないです。
国鉄末期からJR初期にかけて山陰地区に登場したイラスト列車最後の生き残り(だと思う)ということで、末永くこの塗装で走ってもらいたいものですね。


さてこちらはいきなり何だという感じの写真ですが、これは若桜鉄道八東駅の復刻された貨物側線に置かれている有蓋緩急車のワフ35000形35597です。
昨年の秋ごろに宇都宮貨物ターミナルから遠路はるばる八東駅にやってきたワフ35597ですが、これも帰省した折にはぜひ見に行ってみたかったものの一つでした。で、正月早々に朝の若桜鉄道の列車に乗って八東まで来たはいいものの・・・。
ショボーン(´・ω・`)


見た感じ補修途中ということなのか、ワフはブルーシートをかけられて保管されていました。謎の青いかたまりといった様相を呈している中で(?)、連結器や開放てこがこれが貨車であることを主張しているように見えました。
姿が見られなかったのは残念ですが、しかしこうしてきちんとカバーをかけられているということは大切にされている証拠でもあるかと思います。
また別の機会に船岡の竹林公園にいるワフ29500形と併せて見に行きたいですね。
ずいぶん身勝手なのを承知で欲を言えば、八東駅の貨物側線にはもう1、2両は貨車があってもいい感じがします。
どこかに下回りまで残っているワムやらトラやらでもありませんかね・・・。


ちなみに隼駅のオロ12 6は最近補修がなされたそうで、車体の一部がパテの塗られた跡でまだらになっていました。
また屋根上のベンチレータやAU13形クーラーにはやはりカバーが掛けられています。
やはり腐食防止には防水対策が必須ですね。


一方若桜駅にいる12系は雪をかぶった状態で留置線に止められていました。
でもこっちの12系には隼駅のそれと同じように屋根上機器にカバーが掛けられていたのだろうか・・・。
若桜にやって来たばかりの昨年夏ごろには1両と2両に分けて留置されていましたが、さすがにあれは暫定だったようで今はちゃんと3両揃って留置されています。
若桜鉄道ではSL列車復活の前段階として、約3年後をめどにディーゼル機関車(DE10か何か?)に12系を牽引させて観光列車を運転する計画があるそうです。その時が来るまでこの3両は静かに待ち続ける・・・といったところでしょうか。

いずれにせよ数年後の若桜鉄道が楽しみですね。個人的には蒸機牽引の列車もそうですが、ディーゼル機牽引の客車列車のほうがもっとアツイ!と思います(笑)
この構想が1日でも早く実現するように、若桜鉄道に乗車した折には募金などささやかながら支援をしていきたいと思います。

参考:日本海新聞・若桜鉄道にSL列車走らせよう 構想具体化へ
(http://www.nnn.co.jp/news/111206/20111206007.html)

・・・最初はさらっと書いて終わらせるつもりだったのですが(汗)、結局毎度のようにぐだぐだと長くなってしまったので続きます。


11/3 再訪、い鉄のキハ52

2011年11月08日 | 日々の出来事

きっかけはある日YouTubeで見たこの動画でした。
山陰本線を爆走するキハ52形の走行音がとても良かったのですが、その音を聞いているうちに
「そういえば去年いすみ鉄道にキハ52を見に行ってからしばらく経ったなあ」
とふと思いました。

・・・というわけで、思い立ったが吉日、文化の日の休みを利用していすみ鉄道のキハ52 125に乗ってきました。
南武線矢向駅4時39分発の始発列車に乗り、約3時間で外房線大原駅に到着。そこからいすみ鉄道に乗り換えて大多喜駅へ。

駅に隣接の車庫には出発前のキハ52 125の姿がありました。
エンジンはアイドリング状態で、DMH17Hのカラカラカラ・・・という音が辺りに響きます。
いすみ鉄道の尽力により復活したキハ52、またこの音が聞けるとは嬉しい限りです。


大多喜からは1時間の待ちを挟んで上総中野行きの臨時普通列車に乗車。エンジン直上の席に座りましたが、2台のエンジンをふかして加速していくその音・振動に、朝の眠気も吹き飛びテンションが上がってきます(笑)


キハ52の車内はワンマン関係機器やクーラー、掲示物などJR西日本時代からそのままになっている部分が多いものの、青いモケットに交換された座席や窓下 テーブルのセンヌキ、古い吊り広告(社長さんのコレクションなのだそうで)といった国鉄時代をほうふつとさせてくれる演出も施されていました。

大多喜からはおよそ20分ほどで上総中野に到着。

上総中野駅ホームにはキハ52を模した自販機が。以前はいすみ200'形塗装だったような気がしますが、キハ52復活に合わせて塗装変更?
上総中野からはすぐに折り返しの大多喜まで普通列車の臨時急行1号大原行きに乗車しました。


300円の硬券急行券は大多喜駅であらかじめ買っておきましたが、車内でも補充券タイプの券を購入できました。いすみ鉄道の切符ではありますが、フォーマットや地紋は国鉄時代のデザインを踏襲した凝ったもの。


以降は大原~大多喜間をキハ52の臨時急行2・3号で往復。この日はあいにくの曇り空でしたが、その分人出が少なかったためか程よく空いた車内でキハ52の旅を楽しむことができました。なお急行運転時には出入りドア脇にはきちんと「急行」「そと房」のサボが差し込まれており、ヘッドマーク掲出のない日はささやかながらこの列車が優等列車であることを主張しています(この日はヘッドマークなしでした。)。

各列車とも途中国吉駅では10分間ほどの停車があり、

このように咲き乱れるコスモスとキハ52の共演が見られました。
稲刈りにはもう遅く、房総半島の紅葉シーズンにはまだ早い中途半端な時期ですが、こうして秋らしい風景を見られて良かったと思います。

さてこのキハ52は急行列車として運転されているものの、安全上の都合によりすべての駅に停車していきますが、むしろキハ52としてはその方が個人的にはらしいと思います。その分エンジンの加速音も楽しむことができるし、遜色急行よりは小さな駅にもこまめに止まっていく普通列車のイメージのほうが似合うと思うので・・・(キハ52を使用した急行「いなわしろ」などありますが)。
何よりもこうして貴重な車両に乗車できるというだけでもう大満足でした。

さてそのほか余談など。

千葉と言えばやはりこれ・・・、ということで(?)前と同じようにMAXコーヒーとキハ52のツーショット。この時はちょうどいすみ200'も現れてスリーショットになりました。
最近はなんとなく以前よりも売っている場面を見掛けることが少なくなったような気がします(千葉県以外では)。全国展開開始からはや数年、やはりこのコーヒーはクセが強すぎるのか。
でもなぜかたまに飲みたくなるんですよね。たまにですが。


出庫、入換中のキハ52。これからホームに向かって走り出してくるところです。
エンジン音の響きとともにブオーッと排煙を噴き出して走り出す姿はとてもかっこいいです。
躍動感あふれる様子といえばちょっと大げさかもしれませんが、気動車もしくはディーゼル機関車ならではの魅力かと思います。
微妙にピントが合ってないですね(汗)


というわけでこの日はいすみ鉄道で奇跡的に再起したキハ52 125の乗り具合を堪能してきました。特に大糸線時代は最後まで残っていた3両のうちこの125だけ乗車できていなかったので、そのときの落ち穂拾い的な意味合いもありました。
また機会があれば折を見てぜひ乗りに行きたいです。始発で出るための早起きさえできれば(笑)
その古さゆえ、時折故障や不具合が起こることもあるそうですが、出来る限り末永く房総の里山風景の中を走り続けてほしいですね。

余談ですが、今度TOMIXからこのキハ52 125が製品化されるのに続いて、鉄道コレクションからもレールバスのいすみ200'形も製品化されるとのことで、既に発売された鉄コレの小湊鐡道キハ200形と合わせると上総中野の風景の再現などなかなか楽しめそうですね。
この製品化には結構飛びつく人が多そうな気がするのですが、果たしてどうなることやら。

実は冒頭の動画の山陰のキハ52 128も前々から気になる存在だったりするのですが・・・。


夏の鳥取帰省日記(その2)

2011年10月23日 | 日々の出来事

当ブログをご覧の皆さま、ご無沙汰しておりました。
前回更新から1ヶ月半以上経ち、書いているネタはもはや2ヶ月以上前のこと・・・、となってしまいましたが、この間個人的に色々あったものの少し落ち着いてきたので、また地味に記事を書いていこうと思います。

特に更新していない間(というかもはや放置中)にコメントを下さった方がいらっしゃったのですが、その方々にはすぐにコメントの返信ができたかったことを、深くお詫びいたします。申し訳ございませんでした。

さて帰省期間中の中盤には、東京から遊びに来た大学鉄研の先輩を引き連れて砂丘や雨滝へちょっとした観光に行ってきました。

長らく地元に住んでいながら、砂丘は馬の背辺りまで行ったのは10年以上ぶり、雨滝は初訪問でした。
砂丘ではその場のノリと勢いで馬の背のてっぺんから波打ち際まで駆け下りてしまいましたが、そうなると上がってくるのがものすごく大変で・・・、写真に写っている人の大きさを比べるとかなりの高低差があるのがわかるかと思います。また当日は結構暑かったのですが、雨滝ではその分森の中に広がるミスト状の滝しぶきがとても心地よかったです。


そして雨滝訪問後はその足で若桜鉄道の隼駅へ。オロ12 6が貨物側線跡に運び込まれてから初めての訪問でしたが、北陸鉄道からのED30とあわせて機関車・客車各1両ずつとはいえなかなかの存在感に圧倒。
ED30も一人ぼっちの状態からようやく相方ができ、心なしかうれしそうに思えます。

先輩は「なんでこんなところにこんなものが・・・」と「隼駅の車両」に対して色々とツッコミを入れていました。「そもそも電化されてないだろ」とか(笑)


オロ12はテールライトのある妻面が機関車と反対側になるように展示されており、1両だけの客車でありながらも、ちゃんと最後尾の体をなすようにされているのが心憎い演出(?)だなぁと思います。
この後、ちょうどやってきた写真のWT3301に乗って若桜駅へ向かいました。ちょうど若桜線80周年記念の1日乗車券が発売されていて割安になることもあり購入。これはいい記念になりました。


若桜ではちょうど転車台の脇に止まっていたC12や7月にやってきた12系客車を見学したり、蔵通りや道の駅を見物したりして過ごしました。

スロフ12 3は結局1-3位側のボロボロな姿をさらしたまま。いつになったら整備されることやら・・・。一部は青の塗膜がはがれた下にムーンライト色時代の赤帯がのぞいている部分もありました。毎度のことながら、早くこれらの客車が若桜線内を走る姿が見てみたいですね・・・。

さて若桜からは折り返しの鳥取行きの列車に乗って郡家まで乗車。郡家からは家の車に迎えに来てもらい、スーパーいなばに乗車する先輩を鳥取駅まで送ってから帰宅しました。

短い時間ではあったものの、東京出身である先輩には鳥取を気に入ってもらえたようで、地元出身者としてはうれしく思いました。意外とよそから来た人を案内するのは結構大変でしたが・・・。


夏の鳥取帰省日記(その1)

2011年09月01日 | 日々の出来事

久方ぶりの投稿です。大変ご無沙汰しておりました。

この夏休みはお盆前から後にかけて(アバウト)、鳥取の実家に帰省していたので今回はその時のことをつらつらと書き連ねていこうと思います。もっとも、このお盆前後の鳥取はあまり天候が良くない日が多かったので、どこかへ出かけるでもなく実家や親戚宅にいることのほうが多かったのですが。

さて今回の帰省は旅費を節約するという狙いもあって青春18きっぷを使い普通列車を乗り継いで移動しました。例によって新川崎駅の横須賀線始発電車に乗り戸塚で乗り換え、その後は熱海、沼津で列車を乗り継ぎ・・・、という個人的にもはや乗り慣れたパターン。
そんなわけでちょっとした変化をつけるべく、今回は沼津から静岡までホームライナー静岡1号に乗車しました。別払いの乗車整理券は310円でした。

正直言ってこの列車に乗ったからと言って静岡で1本早い普通列車に乗り換えられるわけではなく、どっちにしろ同じ普通列車に乗ることになるので余り310円払ってまで乗る意味はないと思います。211系や313系のロングシート回避なら続行の373系普通列車(ただし着席できる可能性低い)もあることだし・・・。強いて言えば、各駅停車ではなく通過駅があることで心理的にちょっと楽できるのがメリットといえなくもなさそうですが。

で、それからまた数時間列車に揺られて上郡からの智頭急行は珍しくHOT3520形に乗車できました。

車内は転換クロスシートで快適でしたがこの列車は大原止まり。乗り換えた鳥取行きは普通のHOT3500形でした。しかしオールロングシート車よりははるかに良いです。
今回の新川崎~鳥取の移動にかかった時間は途中踏切障害や雨のために遅延が発生したのでおよそ16時間ほどでした。さすがに始発で出発となると深夜に起き出さなければならないので疲労がすごかったです。


さて、鳥取に帰ってから数日の間は比較的天気の良い日が続いたので、朝早く起きて散歩がてら近所で写真を撮ることもありました。


向こうの山に沈みかける赤い月とキハ47を合わせたり・・・。

朝日に照らされるキハ189を撮ったり。


あるいは昼下がりの時間帯に入道雲バックで夏らしい風景を狙ってみたりしてもみました。
最近は実家に帰ると鉄道関連の趣味活動は乗るか撮るかのどちらかになりつつあります。模型はほとんど下宿に持ち出してしまい、実家にはもうほとんど残していないもので・・・。


7/30 世田谷線に乗る

2011年08月03日 | 日々の出来事

この間、7月末の土曜のことになりますが、東急世田谷線(三軒茶屋~下高井戸)に乗ってきました。
いつもどおり特にこれと言った用事があるわけでもなく、近所を走る東急電鉄の路線でまだ乗ったことがなかったからという単純な理由で行ってきました。


世田谷線の三軒茶屋駅は田園都市線の同名駅とは少し離れた場所にあり、田園都市線の駅から来るときに少しだけ迷いました。この日はここで大学鉄研の同期と待ち合わせ。
同期は東急電鉄の大ファンで、世田谷線に乗りに行く?と誘ったら快諾してくれました。


世田谷線の主力車両のデハ300形。軌道線規格の車両なのでそのほかの東急線の車両とは全く異なった雰囲気を感じます。また軌道線と言っても全線が専用軌道なので、通常の路面電車と比べると車両床面やホームは(軌道線の割には)高く作ってあるのも特徴でしょうか。

乗車前に駅の窓口で1日乗車券を購入。世田谷線にはこれがあるのでいちいち運賃を払わなくてよいので助かります。切符を買って乗ろうとしたら先の電車がちょうど出発してしまったので、次の電車を待ちました。待つと言ってもものの数分で次発がやってくるので気楽なものです。
とりあえず全線乗ろうということで終点の下高井戸まで乗車しました。

・・・と言っても下高井戸駅に着いても特に何もすることがなかったので、すぐに折り返しに乗って3つ隣の宮の坂駅に行きました。

宮の坂駅の下高井戸行きのりばの横にはかつて東急玉川線(玉電)で活躍し、引退後に江ノ島電鉄に譲渡された車両(大正14年製、昭和28年鋼体化)が保存されています。
江ノ電での引退後、玉電ゆかりの車両と言うことでここに保存されているようですが、車体は東急グリーンでも車番は江ノ電601、側面にはEERの文字が入りあくまでも江ノ電の車両としての保存という感じがします。玉電時代の車番はデハ104→デハ87と案内板に書いてあったので、せっかくならその当時の車番で保存すれば・・・。一緒にいた同期も側面のEERがT.K.K.ならよかったのにとぼやいていました。

一通り保存車を見た後は三軒茶屋行きに乗り1駅隣の上町駅に移動。ここには車庫があり3編成の300形が休んでいました。黄色の編成がいるのは本線です。

ここの車庫は住宅街の中にあって外から中を見られる場所がなく、少し離れた場所にある踏切から撮影。建屋の中には玉電塗装のデハ301の姿がありました。
この日は午前中は曇り空だったのが、昼過ぎのこの時には急に晴れてきて日差しがきつくなってきたのですぐに駅に撤収。冷房の利いた電車の中に逃げ込みました(笑)

このあとは適当に乗ったり下りたりしながら山下駅にある「たまでんカフェ」などを訪問。
同期は山下駅に隣接する小田急豪徳寺駅から小田急に乗って帰るといったので、同期とは山下駅で別れて三軒茶屋駅に向かいました。このとき若林駅横の世田谷線と環七通りの踏切(というかシステム的には交差点に近い?)を見てくるのを忘れてきましたが、これはまたの機会にしておきます。


三軒茶屋駅では駅が入るキャロットタワーの上から世田谷線を俯瞰することもできるそうですが、今回は下から電車と一緒に写真を撮って済ませました。
さてこの後は特に何もすることがなく、かといって帰るにはまだ早い時間だったので田園都市線に乗って長津田へこれまた未乗のこどもの国線に乗りに行きました。


こどもの国線には横浜高速鉄道のY000系という変わった系列の車両が運用されており、東急3000系を片側3ドアにしたような外観。前パンタがかっこいいです。これに乗ってこどもの国駅まで往復してきました。沿線には宅地だけでなくまだ開発されていない田畑や雑木林があり意外でした。市街化調整区域だったのかもしれませんが。
ちなみに長津田駅のこどもの国線のりばには改札がなく、きっぷやICカードは入鋏省略で下車駅で精算するシステムとなっています。こどもの国線は横浜高速鉄道が運営しているため、どうやら東急の本線とは運賃が別計算のようです。


途中の恩田駅に隣接する東急長津田工場には牽引車兼検測車のデヤ7200の姿が。軌道検測車のサヤは車庫の中にしまってあるのでしょうか。ちなみにデヤの後ろにいる車両は元5000系の電装解除→再電装車のデハ4603でした。東急4000系は10両編成ですが、残り9両の製造待ちでしょうか。


長津田からの帰りは二子玉川まで8500系の8514F伊豆のなつ号に乗って帰りました。
途中激しい夕立ちに見舞われ、大空転しながら爆音を立てて疾走していたのでなかなか乗り応えがありました(笑)
この日の世田谷線とこどもの国線の乗車でとりあえず東急が保有する路線はめでたく(?)全線乗車となりました。とはいえ私鉄の路線網なら、東武や名鉄などのように路線の規模が大きい会社以外は全線乗車はやろうと思えばすぐに終わるかもしれませんが・・・。


7/3 今さらながら・・・、若鉄に12系!(その2)

2011年07月27日 | 日々の出来事

今さらながら・・・、若鉄に12系!(その1)からの続き

多忙な期末試験が終わり、とりあえず更新再開できそうです。中途半端な状態で中断してしまいご覧の方々には申し訳ありませんでした。

結局明け方に帰宅したあとはしばらく少しうたた寝をしていましたが、朝7時半には起きて鳥取駅前バスターミナルを8時過ぎに出る若桜行きの日交バスに乗りました。

12系客車が到着して夜が明けたこの日(7月3日)は、若桜駅構内と隣接する道の駅「桜ん坊」で「12系客車誘致記念イベント」なるものが行われました。ということでその様子も前夜の甲種輸送に引き続いて見物してきました。
ちなみに汽車ではなくバスで若桜に向かった理由は、列車だとイベントの開始時刻に間に合わないからです(結果的にはそれでもまあ良かった気がしますが)。

バスは鳥取駅前から約1時間ほどで若桜駅前に到着。
あれから12系はまた入れ替え作業が行われたようで、4両中スロフ+オロ+スロフの3両は若桜駅構内南側の引き上げ線(道の駅建物の裏手)に、隼駅行きのオロは排雪モーターカーに牽引されて駅の留置線に移動していきました。DE10は留置線上に単機で留置された状態でした。


その後しばらくすると留置線からおもむろにDE10がやってきて、スロフ12に連結。入換作業にはボランティアの人の手伝いも加わって、少しずつ展示会の準備が進みつつありました。

短いながらも、客車の両端に緩急車が連結され、さらに機関車も連結されて整った編成スタイルとなりまさに「ザ・客車列車」(笑)と言える雰囲気。客レ好きの自分にとってはたまらない光景です。


この後12系+DE10はいったん若桜駅のホームを通り越して構内北側へ移動していきました。



イベントの開始時刻がそろそろ近い頃合いになると、駅の北側に移動していた12系が引き上げ線に戻ってきました。転車台脇でスタンバイしていたC12もDE10の横に据え付けられました。

そしてC12とDE10には特製の12系入線記念ヘッドマークが取り付けられ、撮影会がスタート。お祭りムードを盛り上げていました。いつの日かC12が本当に12系を牽引して本線上を走る姿が見られるといいのですが・・・。
こんな感じで蒸気機関車とディーゼル機関車が並ぶとかつての動力近代化の時期の一こまと言った感がありますね。

しばらくすると今度はスロフ12の発電エンジンが起動し(!)客車内の公開が始まりました。
まさか発電エンジンを動かすとは思わず・・・、クーラーもちゃんと動作していました(機関車寄りのスロフ12 6はその後冷房がオフになりましたが)。スロフの煙突から排煙が立ち上る姿を見たときはちょっとした感激ものでした。

さてその車内見学ですが、場所の関係でなんと見学者はC12とDE10の間を通って入口に至るというマニアックな経路を通ることになります(笑)

SLとDLの足回りの間をすり抜けるというのは普段絶対にできない経験だと思います。

客車への入り口はスロフ12 6の後位側ドア。いつの間にか左下の所属札がもともとついていたJR四国のものから「若桜」に差し替えられています。また、ドア横のサボ受けには「わかさ」の愛称サボが入っています。・・・って、この「わかさ」は若桜というよりは若狭、「わかさ」違いだと思うのですが・・・。


初めて入った四国12系の車内ですが、座席車はかなり空間をぜいたくに使っている感じで、2+1列の大型のリクライニングシートが置かれシートピッチもかなり大きくとってあり、前の座席には足が届かないくらいです。さすがグリーン車扱いのことだけはあります。
やはり「ムーンライト高知・松山」で使われていただけあって、競合相手の夜行バスを意識した作りになっていますね。
これだけ座席がグレードアップされていると、最繁忙期に増結されていたJR西日本持ちの14系との設備水準の差がすごいような・・・。


カーペット車のオロ12 9のほうはまさにいわゆる「ます席」と言った感じで、サンライズのノビノビ座席と同じ位置付けで利用されていたのでしょうか。ノビノビ座席と違って一人ひとりに割り当てられた区画ごとに仕切りがなく、4人分ごとに仕切りが設けられています。言うまでもなくこれもグリーン車扱いですが、個人的には座席車のほうがグリーン車っぽい感じのような・・・(「はまなす」のカーペット車は普通車扱いだし)。
なおこの車両は固定窓のため室内には空調がかけてあり、冷房が動作していないスロフ12 6に比べると座敷でくつろいでいる人が多かったです。


座席車の椅子ですが、実際に座ってみたところかなり上等な椅子で、幅は広く座り心地もなかなか、リクライニング角はかなり深く、それに座面下から足乗せが出てきて読書灯もついているという豪華仕様(ちなみに別に用意される足置きは車掌室横の貫通路に山積みにされていました)。
モケットがだいぶ日焼けしているのが玉にきずですが、それさえ気にしなければ1人がけタイプのものは家に欲しいですね(笑)

一通り車内を見学したら、そのあとは連結面の様子や床下などを適当に観察していました。
このように間近で眺められる機会はそうそうないのでなかなか良いです。

四国12系は発電エンジン部分以外の床下機器や台車もグレーに塗装されていて細かいディテールが観察しやすいです。ちなみにこのときこのDMF15HS-Gエンジンは轟音を立てて「発電中」でした。
しかし塗膜がはがれた跡が痛々しいなぁ・・・。


オロ12の後位側(便所寄り)妻面には編成の最後尾に立った時のためのテールライトが設置されています。そういえばテールライトがついたオハ12形はかつて九州にもいましたね。あちらは便所の部分が改造されて車掌室になっていましたが。
スロフ12が2両いるので、若鉄ではこのテールライトはもはや不要かもしれません・・・。
そのスロフ12には「多度津工」の検査標記が。「~工」と表記する検査標記はJR西日本車では見られないはずなのでちょっと珍しい(?)です。


個人的にグッときたのがスロフ12 6に取り付けられた銘板。保有の「日本国有鉄道」、製造の「富士重工」、量産化改造の「高砂工場」ですが、当然ながら国鉄はとうの昔になくなり、高砂工場も国鉄と運命を共にする形で閉鎖されています。また富士重工は数年前に鉄道車両製造事業からは撤退してしまいましたね。
今後登場してくる車両にはまず取り付けられることはないであろう銘板ばかり、何か感慨深いものを感じてしまいます(ただ実際、国鉄と富士重の銘板は鳥取にいればまだいくつも見られるのですが)。


さて若桜鉄道にやってきたこれら12系ですが、上の写真の製造銘板にある通り昭和44(1969)年に製造されており、これは大阪万博輸送対策名目で製造された12系の最初期のグループに該当します。車番はそれぞれスロフ12 3、オロ12 9、スロフ12 6ですが、JR化後にグリーン車に改造されて等級標記が変更される前は車番がスハフ12 3、オハ12 9、スハフ12 6でした。


特にスロフは今となっては貴重なスハフ12形0番台車のグループで、車体側面のエンジン吸気口の位置と形状が100番台車と異なっています。なお写真反対側の側面には吸気口はありません。そのほかにもエンジンや発電機の形式など異なる個所がかなりあります。
余談ながら、100番台車は後位側ドアから2番目の窓下にJRマークが貼り付けられていますが、0番台車だとこの位置に吸気グリルがあるためにJRマークの貼り付け位置に何種類かのバリエーションが生じているようです。

以上、色々と知ったかぶって蘊蓄を傾けてしまいましたが(笑)、まあとにかくこれら12系が貴重な車両であるということが言いたかったわけです。


さらに余談ですが、前回でもネタにしたこの左右で劣化具合が違うスロフ12 3の丸妻側の妻面。
おでこの部分にくっきりと片側と貫通扉だけ再塗装したためにできた怪しい塗り分け線が見えています。
原因はよくわかりませんが、なかなか不可解な見た目です・・・。

さて、おおよそ客車を見学し終わった後は道の駅をのぞいてみたり物販コーナーを冷やかしたりして家路につきました。で、その日のうちに夜行で横浜の下宿に帰宅。

夜行は夜行でも高速バスではなく、姫路から「サンライズ出雲」のノビノビ座席に乗車しました。実はサンライズに乗るのはこれが初めてだったりします。
ノビノビ座席は下段だったのですが、走行音や機器類の音が伝わってきて少し寝にくかったですね。

ぐだぐだになってしまいましたが、以上で若鉄の12系の記事を終わります。相変わらず長さの割には中身のない話ですみません・・・。

PS:編成から1両だけ切り離されたカーペット車のオロ12 6ですが、この後の7月7日から8日にかけての夜間に隼駅に移動し、無事に側線に据え付けられて北陸ED301との顔合わせを果たしたようです。側線設置にあたってはクレーンでつり上げられるのではなく、本線から車両をスライドさせて側線に移設するという方法がとられたようです。
参考:「うさみみ電鉄」-七夕の夜、念願かなう(http://www.nnn.co.jp/mt/usatetsu/2011/07/post_184.html)
「隼駅を守る会のブログ」-客車設置完了!!(http://blogs.yahoo.co.jp/hayabusaeki/26084091.html)


7/2 今さらながら・・・、若鉄に12系!(その1)

2011年07月13日 | 日々の出来事

実家から自宅に戻って以来にわかに忙しくなり、更新が滞っておりました。申し訳ございません。
やはり期末試験シーズンに無理して遠出したことが色々と響いています(汗)

ということで本当に今さら感たっぷりな状況ではありますが、7月初旬に行われた若桜鉄道への12系甲種輸送を見に行って来たのでその時のことを自分なりに適当に書いていこうと思います。
(このときの詳細を記録している人は他のブログや動画投稿サイトに結構いらっしゃるので・・・)

さて、7月2日の夜はまず鳥取駅で甲種輸送列車の到着を待っていました。
実はこの日は例によって横須賀線の始発列車で出発して、ずっと東海道を普通列車で下ってきていたので眠気と疲れがすごかったのですが、そこは気力で乗り切りました。


ちょうど日付が変わった頃、深夜の鳥取駅に押し掛けた撮影者集団によるぎすぎすした異様な緊張感の中、列車は到着。某情報誌に掲載されていた時刻から10分ほど遅れていました。
甲種輸送列車のため扱い上は貨物列車ですが(たぶん)、そこに現れた姿はまさに今や希少となった「客車列車」。少し大袈裟ですが目にすることができて感無量でした。
ただ四国で長期にわたって屋外留置され、相当客車のほうにガタが来ていたのか走行のきしみ音が凄まじかったです。
編成は京都方からDE10 1058+スロフ12 3(座席)+オロ12 9(カーペット)+スロフ12 6(座席)+オロ12 6(カーペット)でした。このうちオロ12 6は隼駅側線設置用車両で、残り3両が若桜鉄道の車両となります。
入換や車両設置などの都合なのか、ちょっと変わった組成のしかたですね。


最後尾はこのとおり。こちらから見ると板でふさがれた貫通路や反射式後部標識などいかにも回送列車然としたスタイルです(厳密には「回送列車」ではありませんが)。
この甲種輸送、伯備線内はEF64+コキ数両+12系4両という模型もびっくりのとんでもない編成で行われたようで、沿線は大撮影大会状態だったらしいです・・・。

さて、これら12系の4両は使用されなくなってからしばらく時間がたっているので、外観的に雨だれ跡や錆などいくらか劣化が目立っている部分がありますが、中でも突出して荒れた状態だったのが機関車次位に連結されているスロフ12 3(の1-3位側側面)でした。

塗装は他の車よりも段違いに色あせており、ところどころ塗膜が剥がれ落ちて錆が浮いているなど凄まじい状態です。屋根からの錆もすごいです。一目見て相当にオンボロな状態でした。
で、上でわざわざ(の1-3位側側面)と書いたのは、逆サイドの2-4位側を見てみると・・・、

意外にもそこまでボロボロになっていないからです。
スロフ12 3の外観は片側だけボロボロで、もう片側はそんなでもないという不思議な状態となっていたのでした。明らかに2-4位側だけを補修して塗りなおしたように思えます。
よく見ると2両目以降の車両と青色の色合いが異なっていますね。


こちら側からのほうがスロフ12 3の外観が整っている分、編成としての見た目はよいです。


他には個人的に気にとまった甲種輸送の荷票やスロフとオロの連結部など、ちょっと観察してから鳥取駅を後にしました。

その後は若桜までこの列車の追っかけをするという友人の車に便乗。深夜の国道29号線には車列をなして郡家方面に向かう県外ナンバーの車が目立ちました。

郡家駅は人が多そうだったので車の中から様子をちょっと見ただけで最初からスルーし、自分たちは途中適当に寄り道して写真や動画を撮りつつ若桜駅に向かいました。若桜線内は列車のスピードがとてもゆっくりだったので中何度か追い抜いたり並走したりすることがあり、なかなか胸が熱くなる光景(笑)を目にすることができました。


そうして午前2時半頃に若桜駅に到着。駅構内には客車の入換に備えるためと撮影の便宜を図って投光機が設置されていました。目が眩みそうになるくらいの強い光と、詰めかけた撮影者の異様な熱気などで深夜の若桜駅は異様な雰囲気に包まれていました。
鉄道ファンだけでなく近所の人々も深夜にかかわらず老若男女を問わず見物に来ている姿がかなり目につきました。もうちょっとした祭り状態です。


若桜駅では滞泊中のキハ47形と並び、ある意味80年代くらいの国鉄時代さながらのような光景が展開しており、撮影者はしきりにカメラを向けていました。正直、この時ばかりはC12にカメラを向けていた人は全くと言っていいほどいなかったような・・・。



「歓迎・ようこそ若桜へ」ということで若桜駅のかかしの職員さんも12系客車が来てちょっと嬉しそう?

このあとは客車の入換でDE10や排雪モーターカーが12系を押したり引いたりで構内を動いていたのですが、さすがに深夜で疲労がピークに達していたので撮影は友人に任せて自分は駅の敷地外からその様子を見物するに留めておきました。
この時点でほぼ20時間近く寝ていなかったので・・・(汗)

結局入換があらかた終了する午前4時前まで若桜にいましたが、友人の車に送ってもらって実家に帰り着いた頃にはもう既に空は明るくなっていました。
その後泥のように眠りこけたのは言うまでもありません(笑)

以下、その2に続く・・・


若鉄に12系客車がやってきた!(その0)

2011年07月01日 | 日々の出来事

こんばんは。

前回の12系の記事を書いてから、鳥取に見に帰ろうかどうか迷っていましたが、行かずに後悔するよりは行ったほうがやはりいいということで、結局見に行くことに決めました。

とりあえず明日下宿を発って途中ちょっと寄り道しながら夕方ころに実家に帰り、夜になってから鳥取駅で甲種輸送列車(列番9890だったかと)を見物しようと思います。
で、翌日は若桜の12系客車のお披露目イベントに行き、横浜には姫路からサンライズ出雲のノビノビ座席で戻ろうと思います。

結構慌ただしい感じになりそうですが、何はともあれ12系を見れるのは楽しみです。
さて、もうそろそろ件の甲種輸送列車が高松を発車する頃合いですかね・・・。


写真はJR西日本の12系で、今回のJR四国の12系とは色々と異なる部分が(ry


若鉄に12系客車がやってくる

2011年06月21日 | 日々の出来事

知っている人には何を今さら・・・、な話ですが、某情報誌によると7月に若桜鉄道へ12系客車4両が甲種輸送されるそうです(ほんとに今さらですが)。

車両はJR四国の元ムーンライト高知・松山で運用されたもので、座席車3両(スロフ12×2、オロ12×1、もしくはスロフ12×1、オロ12×1、最後尾用オロ12×1?)とカーペット車1両の計4両が米子廻りで引き渡し駅の郡家まで輸送とのこと。


(写真はJR西日本の12系で、今回のJR四国の12系とは色々と異なる部分があります)
若桜鉄道が12系客車を手に入れるという話は数か月前に小耳にはさんだことはあったのですが、まさか本当にそうなるとは思ってもみませんでした。
若桜駅構内に圧縮空気で動く状態で保存されているC12 167を有火で動態復活させる計画がどうも背後にはあるようですが、まずは客車から先に手をつけておこうという算段のようです。


なお若桜まで持っていくのは座席車の3輌だけのようで、カーペット車は途中の隼駅で貨物側線跡の線路に据え付けて、休憩所やイベントスペースとして活用する計画だそうです。
蒸気機関車を復活させるなら客車も必要・・・、というのは至極当然の話ではありますが、近年ではその客車のほうも消滅寸前の状況。今回の若桜鉄道の購入(譲渡?)についても関係各位はなかなか大変な苦労をなされたことと思います。
蒸機復活へのさらなる一歩が踏み出されたことに対して、地元民として敬意を表します。


隼駅の貨物側線に展示する車両も14系などのブルートレインの客車ではありませんが、かえって急行形である12系の保存・利用のほうが個人的には貴重なケースに感じますね。
何よりも先に北陸鉄道から譲渡されたED301にやっと相棒ができるのがよかったと思いました。

ちなみに甲種輸送到着後の7月3日には若桜駅で12系客車の記念公開イベントが行われるようで、若桜町のwebページにも案内が出ています。(http://www.town.wakasa.tottori.jp/secure/3272/tirashi.pdf)

いやはや、先日鳥取の実家に帰省したばっかりですが、また鳥取に帰りたくなってしまいました。そろそろ期末試験が近いのにどうしよう・・・。

参考:「うさみみ電鉄」-若桜鉄道に念願の客車が(http://www.nnn.co.jp/mt/usatetsu/2011/06/post_179.html)
「うさみみ電鉄」-来月3日に「12系客車誘致記念イベント」(http://www.nnn.co.jp/mt/usatetsu/2011/06/12.html)

PS:若桜駅は車両基地の機能も併せ持ってはいますが、さすがに12系客車が3両もやってくるとなるといささか構内が手狭になってしまうのではないかと思います。本格的に利用される日が来るまで、12系はいったいどこに保管されるのでしょう?
個人的にはディーゼル機関車牽引でもいいから早く若鉄で走行する姿を見てみたいですが・・・。


たまにはかに寿しを

2011年06月20日 | 日々の出来事

こんばんは。

今日は夕方にちょっと都心のほうへ出掛けていたついでに、新橋駅前にある鳥取県のアンテナショップ「食のみやこ鳥取プラザ」に寄ってきました。
特に買うものがあったというわけではなく、どんなものが売られているかなあという程度の感じで立ち寄ったのですが、限られたスペースの割には意外と色々なものが売られていてなかなか良かったです。
ただ価格は同じものを地元で買うよりいささか割高でしたが・・・。まあこればかりは仕方ないですね。

さて、店内を一通り見終わってそろそろ帰ろうかとしたところ、弁当やパンなどが売られている一角が目についたのですが、そこに並んでいる品物に半額のシールが貼られているのを見て、その中から鳥取駅弁の「かに寿し」を買って帰りました(吾左衛門鮓は半額でも手が出せなかった・・・)。


家に帰ってキハ58系と記念撮影(笑)
普通に買えば1000円近くするこのかに寿しですが、それゆえ地元にいてもなかなか口にする機会はありませんでした。最後に食べたのはもう何年も前の昔のことです。


久しぶりのかに寿し。この時期にかにというのも季節外れではありますが、おいしく頂きました。
季節のものという意味では、同じ駅弁でも「あご寿し」のほうが合っていたかも?