いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

青大将からぶどう色に・マイテ39(その2)

2014年06月28日 | 鉄道模型のあれこれ

前回は等級帯色と下塗りを兼ねたアイボリーを塗装したので、窓下の帯になる部分をマスキングします。


実車やKATOのマイテ39 1の帯から幅を推測して、1mm幅のマスキングテープを使用しました。
ウインドウシルがあるのでそれに沿わせればまっすぐにテープが貼れますが、古い客車ゆえに車体のいたるところにリベットのごつごつしたモールドがあるので、
そこから吹き込みが生じないようにしっかりテープが密着するよう気を遣いました。
さらに吹き込み防止として、マスキングしたその上からもう一度アイボリーを吹き付けています。

とりあえずここまでやって気が済んだので(笑)、いよいよぶどう色を塗装。
今回は各社から発売されているぶどう色2号の塗料ではなく、タミヤアクリルカラーのハルレッドを用いました。
理由はこの色がKATOのやや赤みを帯びたぶどう色に近いから・・・、という記述をネットで調べている途中で見つけたからです。


で、ハルレッドを塗装してマスキングテープをはがし、半つやクリア塗装まで済んだ姿がこちら。
帯部分には吹込みがなくいい具合に仕上がりました。
展望デッキ部分は本来なら車体色で塗るのが実車通りらしいのですが、今回はKATO製品に倣ってプライマー処理後に黒く塗装しています。

車番など車体の表記についてはマイテ39用のインレタなどがないので入れていませんが、
アクセントとして等級帯の中に1等車を示す「Ⅰ」マークを入れてあります。
これはGMキハ110系黒文字インレタの1を流用しました。

・・・ここまでやって、久々に模型の塗装をした割には結構うまくいったぞとうぬぼれつつちょっとニヤニヤして、
せっかくだからと製品のスハ44系特急客車セットの車両とつないでみたら、
(左が製品オロ60、右が塗り替えマイテ39)

実は結構色合いが違って見えることが発覚。
マイテは下地がアイボリーなので、その影響で明るめに発色しているのかもしれませんが、このときオロ60を見て、
「あ、そういや展望車の車体色ってぶどう色2号じゃなくて1号か・・・」
ということに気づきました(マイテが青大将色の淡緑5号になったのはぶどう色2号が客車標準色になるより先なので)。

つまり、ぶどう色2号をイメージして塗装したつもりが、そもそもその色の展望車は存在しなかったのではないかという疑惑が・・・。
しかも等級帯の色も思ったより白っぽく見えるので、戦前の1等車のそれみたくなってしまいました。
帯色=戦前仕様、車体色=ぶどう色2号という、なんだかKATOのオハ31系客車みたいな雰囲気に。
色の考証や解釈は本当に難しいですね(大汗)


ちなみにぶどう色のEF58と車体色の比較。
EF58は西日本の150号機なのでぶどう色2号のはずですが、やはりマイテのほうがやや明るい感じです。
下地の色がねずみ色やダークグレーなどもう少し暗めの色だと、あるいはどうなるかなあと思うのですが。


塗装はうまくいったのに塗る色を間違えるとはなんともお粗末な話ですが、
専門的なことはともかく編成にしてみるとなかなかいい雰囲気です。
まあ、この塗り替え自体がノリと勢いでやったことなので、細かいことは気にせず楽しむのが幸せかなあとも思いました。
とりあえずマイテ39 21の塗り替えはこれで完成ということにしておきます。

余談


EF58 150が出てきたなら、展望車と聞くとこちらをイメージする人のほうが多かったりして・・・。


青大将からぶどう色に・マイテ39(その1)

2014年06月24日 | 鉄道模型のあれこれ


以前、ある中古店のジャンクかごの中に売られていたKATOの青大将色マイテ39 21を購入したのですが、
買っただけで何も手を入れずにずっとしまったままでいました(手持ちには青大将特急編成がないので・・・)。

ずっと放置しておくのも何なので、この車両を塗装の練習を兼ねてぶどう色2号に塗り替えてみようと思います。


・・・とかいいつつ、まずは屋根上の加工から。
T字形列車無線アンテナは青大将色化後からの装備らしいのでこれを撤去し、残った穴をパテ埋めして配線モールドを削除しました。
H字形のラジオアンテナ(?)はぶどう色時代からあったらしいのでそのままです。
このあたりの考証は結構いい加減なのであるいは間違っているかもしれませんが、なんとなく雰囲気で進めていきます。


そして屋根はGMカラーのダークグレーで塗装。
車体は下塗りと1等車の帯色を兼ねてGMカラーの小田急アイボリー(クリームA)で塗装しました。
最初の写真と比べるとかなり雰囲気が変わりますね。車体だけ見るとひところのセイジクリーム単色時代の東武な感じのような・・・。
展望デッキ部分は軟質プラスチック製なのでプラ用プライマーを塗っておきました。

ところで戦後の1等車の帯色はクリーム色2号とされていて、
今回用いたアイボリー(クリーム色10号の近似色)よりももう少し黄色っぽい色なのですが、
この点についてもあまり気にせず、とりあえず手元にあったクリーム色の在庫を探したらこのアイボリーがあったので使ってみました。

次回は帯のマスキングと車体のぶどう色塗装です。






いすみ鉄道+3≒山陰地区(?)・キハ52 128タイプ

2014年06月14日 | 鉄道模型のあれこれ

のっけからなんだか謎掛けのようなタイトルですが、

種明かしをするとTOMIXのいすみ鉄道・キハ52 125を、
かつて木次線をはじめとした山陰地区で活躍したキハ52 128タイプとしてお気楽にそれっぽく加工してみたという話です。
つまりキハ52 125+3=キハ52 128ということで・・・(笑)


そして、こちらが「+3」加工後のキハ52。
屋根上にあるWAU202形クーラーの機器ユニットパーツを取り外しのうえ、取り付け穴を埋めて角型ベンチレータを取り付けています。
穴埋め後の再塗装は前面おでこ部分の朱色部分だけマスキングして、もとのグレーに近い色(タミヤの呉海軍工廠グレイ)を缶スプレーでシュシュッと吹き付け。
とはいえ若干色合いが異なる感じはしますが、ぱっと見ではそんなに違和感がなさそうなのでよしとしました。


あとはキハ52 128最大のチャームポイントである(?)、前位側ヘッドライトの1灯式シールドビームも銀河モデルのパーツを用いて再現しました。
これはもとのヘッドライト部分に穴を開けてパーツが入るように調整し、導光プリズムの長さを少し短くして点灯するようにしたものです。
このように加工のメインは屋根部分がほぼすべてで、車体は車番を変えたりHゴムを黒くしたりした程度です。
もっと実車に即した加工すべき部分はいくつかありますが、屋根と1灯ライトが再現できればとりあえず「それっぽい」だろうということで割り切ってしまいました。

ところで、キハ52 128は山陰生え抜きの車両ではなく、もともとは東北地方の車両だったそうです。
小牛田に配置されタブレット保護柵を装備し急行「いなわしろ」に使われていたこともある128は、
木次線で事故廃車になったキハ53 6の補充として昭和58年に米子に転属し、主に木次線で他のキハ52・53などとともに活躍。
JR化後も首都圏色やイラスト車両になることはなく、キハ120が登場して他の車両が転属・廃車となっても唯一米子に残りました。

そんなキハ52 128がにわかに注目を集めたのは今からおよそ15~20年前、90年代後半のことだったでしょうか、
当時小学生だった自分としてはキハ52 128の境線でのさよなら運転が行われたことが新聞記事になったくらいしか記憶にないですが、
その頃の鉄道雑誌を見てみると「JR最後の気動車一般色の車両」としてかなりちやほや(?)されていたようです。


ということで、こんな感じで40系や58系と組んで、128最晩年の山陰本線や境線の予備車として走っている姿を再現してみました。
(今だったら、数年前の米坂線的な編成ですか?と言われそうですが・・・)


某運転会にて、木次線色のキハ120やDE15と並べてと木次鉄道部的な並びも。
気動車の模型は遊び方の自由度が高くていいですね。


船岡竹林公園のミニSL

2014年06月10日 | 日々の出来事

先日のことですが、とある用件があり鳥取の実家に帰省をしていました。
で、その用件はささっと済ませ、せっかく鳥取にいるのだからということで、
6月1日に八頭町にある船岡竹林公園で開催された 「若桜線SL遺産保存会」によるミニSLの月例運転会に行ってきました。


というのも、この会ではご縁あって亡き祖父のものであった国鉄C11のライブスチームを引き取り、釜を焚いて走れるようにしてくださっているとのことで、
その機関車が動くところを見てみたいと思ったからです(今までは帰省しても予定が合わずに行けずじまいでした)。
この写真はその機関車が祖父母宅に置いてあった頃のものです。
当時時折ほこりを払うなどしていましたが、再び活躍するときが来るとは思いませんでした。


船岡竹林公園にはライブスチーム運転用に1周80mほどの5インチ・3.5インチゲージの線路が敷設されており、
保存会の方々によりきれいに整備された祖父の機関車はその線路を数両の乗用台車を牽いて元気よく走っておりました。
幼い頃にはよく乗せてもらっていたので、あの機関車が子供たちの歓声とともにまた走っていると思うと
嬉しいやら懐かしいやら・・・、
まさに感慨もひとしおといったところでした。


訪問時にもう1両稼動していたCタイプ蒸気機関車との並び。
この2両の機関車が入れ替わり立ち代りで乗客を乗せた台車を牽引してコースを回っていました。
会の方のご好意で家族とともにミニSL列車に乗車させていただきましたが、
走行中の軽快なジョイント音や体に伝わる感触は模型というよりもむしろ「小さな実物」といった趣です。
普段Nゲージしか触らない自分にとっては新鮮な感興を覚えました。

最後に、このような形で祖父の機関車を活用してくださり、当日もお世話になりました「若桜線SL遺産保存会」の皆様、
ならびに色々とお話させていただいた会員の「鳥取総合車両所備忘録」ブログ主・工場長さんにはこの場を借りましてお礼申し上げます。
ありがとうございました。また訪問する機会がありましたらよろしくお願いいたします。


余談:船岡竹林公園の一角に保存されているワフ29000形有蓋緩急車ですが、
貨物室はこのライブスチーム関連の資材倉庫として利用されているようです。
貴重な貨車がこのように整備・活用されているというのも嬉しい話ですね。