最近とはいうもののもう2週間前の話ですが、KATOからラウンドハウスブランド扱いでEF64形1000番台の広島更新色機タイプが発売されたので、ちょうど発売当日に買ってきました。
出来のほうはいかにもKATOらしい、しっかりとした出来で、印刷・塗装もきれいです。以前マイクロエースからも製品化されましたが、あちらのほうは・・・でしたね。
何はともあれ以前から模型で欲しかった車両なので、うれしい製品化でした。
実は買ったその日がちょうど大学の学校祭(1回目)だったので、買ってきてその場で早速部品を取り付けて鉄研が出展していたレイアウト上で走らせてみました。
もちろんこの機関車を買った理由は伯備線の貨物列車を再現するためなので、編成もおおよそそんなイメージになるように組成。レイアウトの情景の中を走る列車はなかなかよいです。
それにしても写真は機関車にうまくピントが合ってないですね・・・。動いている模型を撮るのは思いのほか難しいです。
さて学校祭のレイアウトで走らせたあとは家で走らせて遊んでいたのですが、そのうちにヘッドライトのオレンジ色の光がどうも気に入らなくなってきたので、電球色のLED(直径3mm)を買ってきて交換してみました。
なかなかいい具合に光ってくれます。
いままで模型で伯備線の貨物列車を再現する時は借入れ機ということでEF64の0番台で牽引してお茶を濁していましたが、これでちゃんとした牽引機を用意できるようになってよかったです。
重連運用しないの?とか石油タキ牽引させないの?とかいう声がどっかから聞こえてきそうですが、これは伯備線の機関車ですから(笑)
さてこちらはある日新鶴見機関区で撮影した実車の写真。
実車は電気暖房非搭載車ですが、模型の車体は搭載車のものを使用しているので(大宮更新機の色変え?)、実車にはない電暖関連の部品(屋根上の電暖用通風口、スカートの電暖ジャンパ栓など)が付いています。
伯備線時代は使っていなかった重連総括制御機能を復活させたので、ナンバー下にあるジャンパ栓からそれ用の太いケーブルがぶら下がっているのが目を引きます。ちなみに伯備線時代の写真はこちらにあります。
そしてこちらが電暖搭載車です。ぱっと見気づきにくいですが、屋根上の放熱器の脇に小さな通風口があったり、非搭載車に比べてスカートのジャンパ栓の数が多いなどの差異があります。
ただ電暖搭載車といっても、貨物会社の機関車ですし電暖表示灯がないので電暖それ自体はもう使っていないと思われます。
ということで車体各部にある実車との形態の違いから模型は「タイプ」を名乗っているようですが、自分としてはまあそんなに目くじら立てる必要もないだろう・・・と思っています。雰囲気はもう十分出ていることだし、ああだこうだと細かいことを言ってもしょうがないので。
余談ですが、
めでたく(笑)貨物運用への貸出し解除となった0番台機は、「ゆうゆうサロン岡山」の牽引機へと転身。いちおうナンバーはかつてJR西日本の岡山電車区に所属していた9号機にしてあるので、やっと本来の使い方(?)ができるようになりました。
ちなみにこちらもヘッドライトは電球色LEDに交換してあります。
ところで「ゆうゆうサロン岡山」の同心円状に塗装されたパステルカラーを見ていると、かつて「夢フェスタとっとり」開催に合わせて山陰本線を走っていたキハ58・28の「ピアート号」を思い出すのは自分だけ?
これは8月20日のことになりますが、微妙に余りそうだった青春18きっぷの消化を図るために「乗り鉄」活動をしてきました。
まずは鳥取駅から山陰本線下り始発列車223K米子行きで出発。
今まで上り方面や因美線の始発列車に乗ったことはありましたが、下り方面の始発に乗ったのは初めてです。途中伯耆大山で大宮工場更新色のEF64 1021とすれ違い、「伯備線にもついに大宮更新色の機関車が来たのか」と思いましたが、どうやらこの時が初めての伯備線運用だったようでした。一瞬のすれ違いだったため写真は撮れず・・・。
米子駅からは松江行き129Kに乗り換え。京都方には姫新線色のキハ47 1028が組成されていました。姫新線色のキハ47は首都圏色に塗り替えが(たぶん)進行中であろうのでどうなったものかと思っていましたが、まだ残存していることはしているようですね。
そういえばこの列車には2年前のこの時にも乗っていたのでした。当時、この列車の目と鼻の先に「ほのぼのSUN-IN」のキロ59とキロ29が止まっていましたが、このときは115系の岡山G編成が留置されていました。
・・・濃黄色の115系の存在感はすごいです。さすが全身警戒色。
松江からは2001D特急スーパーまつかぜ1号に乗り宍道までチョイ乗り。当然ながら運賃・特急料金は別払いでしたが、何となく後続の快速で行くのはちょっと時間的に心もとなかったので・・・。
ということで宍道駅でいったん下車。
ここから木次線に乗り換えます。木次線はまだ乗ったことがなく、この機会にぜひ訪れてみたいと思っていました。
3番のりばにはすでに木次行き1445Dが止まっています。この列車はキハ120形の3両編成ですが、後ろ2両は回送車で締め切り扱いとなっていました。よく見てみるとワンマン列車ではなさそうですね。
その2両の回送車は同じキハ120形でも鋼製車の200番台車。上の写真のステンレス車(0番台)とは前面のカラーリングが異なっています。
JR西日本で同じ線区にキハ120形の鋼製車とステンレス車が同居しているのは確か木次線だけだったかと思いますが、この鋼製車の「木次線色」もいずれは朱色5号の一色塗りに塗り替えられてしまうのでしょうね。
越美北線のように鋼製車しかいない線区ならまだしも、木次線には朱色化対象外のステンレス車もいるので併結した時のちぐはぐ感がすごそうです。どうせならステンレス車も朱色5号の帯に貼り替えたら・・・、と思うのですが、そんなことを気にするのは自分のような趣味人くらいでしょうかねぇ。
さてそんなキハ120形を横目に見つつ宍道駅のホームを歩いていると、こんなものが目につきました。
「木次線 通票仮置場」と書かれた丸い札と突き出た短い棒。タブレット(通票)を収めたキャリアを引っかけておくための設備でしょうか。
木次線の最後まで残った通票閉そく区間が自動化されてから10年近く経ちましたが、まだささやかに当時の名残をとどめるものが残っているのでした。
で、そうこうしているうちに3番のりばの木次行きの列車が出発していってしまいました。こんな書き方をするとなんだか乗り遅れたみたいですが、別にそういうわけではなく、自分が乗車するのはこの「次の」列車です。
さて、次の列車はというと、11時21分発の備後落合行き1447Dまでなんと2時間以上待ち。
とはいうもののもちろんその列車の乗るわけでもなく、自分が乗車するのはさっき出発した列車と次の列車の「間に出発する」列車です。
・・・まあここまでしなくてももう答えはばれてる気が(笑)、でも続きは次回ということで。
不必要にもったいぶるなと言われそうですが。
それにしても木次線はものすごい過疎ダイヤだとこの時刻表を見て改めて思いました。
当ブログをご覧の皆さま、ご無沙汰しておりました。
前回更新から1ヶ月半以上経ち、書いているネタはもはや2ヶ月以上前のこと・・・、となってしまいましたが、この間個人的に色々あったものの少し落ち着いてきたので、また地味に記事を書いていこうと思います。
特に更新していない間(というかもはや放置中)にコメントを下さった方がいらっしゃったのですが、その方々にはすぐにコメントの返信ができたかったことを、深くお詫びいたします。申し訳ございませんでした。
さて帰省期間中の中盤には、東京から遊びに来た大学鉄研の先輩を引き連れて砂丘や雨滝へちょっとした観光に行ってきました。
長らく地元に住んでいながら、砂丘は馬の背辺りまで行ったのは10年以上ぶり、雨滝は初訪問でした。
砂丘ではその場のノリと勢いで馬の背のてっぺんから波打ち際まで駆け下りてしまいましたが、そうなると上がってくるのがものすごく大変で・・・、写真に写っている人の大きさを比べるとかなりの高低差があるのがわかるかと思います。また当日は結構暑かったのですが、雨滝ではその分森の中に広がるミスト状の滝しぶきがとても心地よかったです。
そして雨滝訪問後はその足で若桜鉄道の隼駅へ。オロ12 6が貨物側線跡に運び込まれてから初めての訪問でしたが、北陸鉄道からのED30とあわせて機関車・客車各1両ずつとはいえなかなかの存在感に圧倒。
ED30も一人ぼっちの状態からようやく相方ができ、心なしかうれしそうに思えます。
先輩は「なんでこんなところにこんなものが・・・」と「隼駅の車両」に対して色々とツッコミを入れていました。「そもそも電化されてないだろ」とか(笑)
オロ12はテールライトのある妻面が機関車と反対側になるように展示されており、1両だけの客車でありながらも、ちゃんと最後尾の体をなすようにされているのが心憎い演出(?)だなぁと思います。
この後、ちょうどやってきた写真のWT3301に乗って若桜駅へ向かいました。ちょうど若桜線80周年記念の1日乗車券が発売されていて割安になることもあり購入。これはいい記念になりました。
若桜ではちょうど転車台の脇に止まっていたC12や7月にやってきた12系客車を見学したり、蔵通りや道の駅を見物したりして過ごしました。
スロフ12 3は結局1-3位側のボロボロな姿をさらしたまま。いつになったら整備されることやら・・・。一部は青の塗膜がはがれた下にムーンライト色時代の赤帯がのぞいている部分もありました。毎度のことながら、早くこれらの客車が若桜線内を走る姿が見てみたいですね・・・。
さて若桜からは折り返しの鳥取行きの列車に乗って郡家まで乗車。郡家からは家の車に迎えに来てもらい、スーパーいなばに乗車する先輩を鳥取駅まで送ってから帰宅しました。
短い時間ではあったものの、東京出身である先輩には鳥取を気に入ってもらえたようで、地元出身者としてはうれしく思いました。意外とよそから来た人を案内するのは結構大変でしたが・・・。