こんばんは。
この土日は所用があり実家に帰省していました。
日曜日は用事が済んで東京に戻るまでに少し時間ができたので、臨時快速の山陰海岸ジオライナーに乗ってあるものを見に浜坂まで往復、ちょっとした乗り鉄を楽しんできました。
鳥取9時発、キハ126系の9552Dで浜坂へ。この時は団体客がいくらか乗っていて、ボックス席がだいたい埋まる程度の乗車率でした。
で、帰りは浜坂10時32分発の9553Dに乗って鳥取に戻ります。
こちらの列車は豊岡鉄道部持ちの運用で、豊岡色のキハ47形が鳥取駅まで乗り入れてきます。4月に乗車した時は前面幕が「快速」のみの表示でしたが、いつの間に差し替えられたのか今回は「快速 鳥取」と行き先入りのものになっていました。
かつてのキハ58系時代の快速とっとりライナーを少しだけ彷彿とさせてくれるような気がします。
なぜかワンマン運用ではないのにワンマン表示が掲出されていますが、ただのたたみ忘れ?
さて、これで編成がよく見られるキハ47形の2連なら別にどうということはなかったのですが、豊岡方の車両に目を移してみると・・・。
なんとキハ41形でした。
キハ41形はキハ47形1000番台車を半ば強引に両運転台車に改造した「ゲテモノ車両」ですが、普段はほぼ播但線専属で走っているイメージが強いので、ばったり遭遇してとてもびっくりしました。
別にキハ41が山陰本線運用に全く入らないかと言われればそうではなく、時折キハ47と組んで豊岡~浜坂の普通列車に運用されることもありますが、特に今回はよりにもよってジオライナーの運用に入るとは思いもしませんでした。
まあもしかするとキハ41は今まで何回かジオライナーや鳥取~城崎の運用に入ったことがあるかもしれませんが、自分にとっては思いがけないことだったので一人で勝手にはしゃいでいるというのが正直なところです(笑)
キハ41のこの顔に幕の「快速」や「鳥取」の文字が新鮮ですね。
ちなみにキハ41形というだけでもうネタなのに、こちらはキハ41 2001、そして相棒はキハ47 1ということで両方ともトップナンバー車という編成もネタな組み方をしていました。
ということでこのネタな2連は無事に9553Dの運用をこなし、鳥取駅にやってきました。
突然現れた見慣れない顔の珍客に、キハ187もちょっとびっくり?
今年の3月のダイヤ改正以降、豊岡鉄道部のキハ40系が鳥取まで顔を出すようになったとはいえ、キハ41形が鳥取駅に入線するのは結構珍しいのではないかと思います(後藤工場への入出場の回送を除くにしても)。
さて相棒のキハ47側から見てみても、一見すると片運転台車が2両ともこちらを向いているようで、なんだかシュール。
模型だと「あれ、連結する向き間違えてない?」と言われそうな感じですね。
その後このジオライナーの編成は入換で4番のりば奥の留置線に移動し、返しの9554Dまで暫しの休憩となりました。
微妙な感じになってしまいましたが、倉吉行きのスーパーはくととも並びました。ちょうど線路上の梁の影がスーパーはくとの前面に写りこんで「つながり眉毛」みたいになってしまいましたね・・・。
以前からひょっとしたらいずれはキハ41も鳥取に来るかも、とは思っていましたが、思いがけず自分がその列車に乗ることができてラッキーだったと思います。
そういえば時刻表などの案内では現行ダイヤでのジオライナーの運転は6月いっぱい限りとなっていますが、7月以降はどのように運転されるのか気になるところですね。
おまけ
キハ41 2001に収録されている前面幕の対照表です。
米子支社管内では境線以外見かけなくなった両矢印表示もいくつか収録されています。ジオライナー運転に合わせての新フォーマットということで快速の鳥取行きと豊岡行きももちろん収録。それどころか快速で浜坂行きや城崎温泉行きの幕も用意してあるのが興味深いですね。
新学期が始まってから急に忙しくなり、ここ最近は更新が滞っておりました。
ご覧の皆さまにはお詫び申し上げます。
さて、(例によって)少し前のことになるのですが、先週の日曜日に大学鉄研のメンバー数名でさいたま市にある鉄道博物館に行ってきました。
特に何か見たいものがあるというわけではなかったのですが、鉄道好きの仲間内で出かけるにはちょうどいい場所ということでこの行き先に。
2階デッキから1階フロアを撮影。C57 135が鎮座している転車台周りが写るアングルの写真はよく見ますが、たまにはこういう裏手から撮影するのもいいかなと。
車両はすべて「向こう側」を向いてしまっていますが、例のアングルでは見えづらい101系や200系の姿が見えます。
この日は大型連休後ということもあってか、日曜日であるにもかかわらず館内はそこまで混雑しているわけでもなく、ゆっくりと見学することができました。
ただどちらかというと展示物を見学する時間よりも、181系や455系の車内で仲間と雑談している時間のほうが長かったような気がしないでもないですが・・・(笑)
そんなわけで館内の車両などの写真はあまり撮っておらず、
クハ103の先頭部カットモデルと本館南側にある183・189系くらいしか写真がありません。
見るたびに思うのですが、特急シンボルマークがないと間の抜けた印象ですね。しかもステンレスの飾り帯までなぜかクリーム色に塗られています。
ちなみにこの183・189系は休憩所として利用されていて、お昼は駅弁を購入して車内でいただきました。自分たちがいたモハ189形の車内は他に誰もおらず、食べ終わってリクライニングシートをを倒してくつろいでいたら、後輩曰く「本当の乗客みたい」(笑)
その後は運転シミュレータをやったり、屋上の展望デッキで行きかう列車を眺めてゆっくりしたりして過ごしました。
展望デッキに上がるとちょうど偶然200系の復刻塗装編成がやってきました。あわてて撮影したので編成後部が切れてしまっていますが・・・(汗)
今回鉄博を訪れたのは久しぶりでしたが、なんだかんだで午前中から夕方までいたのでそれなりに楽しめたかなと思います。機会があれば名古屋のリニア・鉄道館にも行ってみたいですが、それはいつのことになるやら・・・。
またしばらく前のネタですが、先日地元の友人に会ったときのこと。
「そういえばこの前、津山の扇形庫にキハ181が来たよね」
「だったら今から津山に見に行く?」
「じゃあ行こうか」
こんな感じでその場のノリと勢いで、友人の運転で津山までとんぼ返りで出かけてきました。出発したのが午後2時くらいだったので、津山に着いた時はもう夕方。
津山駅裏手の道路から構内を見てみると、保存車がズラリと並んでいて壮観です。薄曇り+西日だったので陰ってしまっていますが・・・。
数年前まで鳥取で走っていたキハ33の姿が懐かしいです。
お目当てのキハ181-12は扇形庫内ではなく転車台東側の留置線に止められていました。国鉄色のキハ181を見るのは久しぶり。
今回津山の扇形庫に追加で収蔵されたのはDD15形ディーゼル機関車と入換用5t機(スイッチャー)、そしてキハ181-12の3両で、この日は翌日の一般公開に合わせてキハ181が庫外に出してある状態でした。
本当ならその一般公開に行きたかったところですが、予約制でかつ満員ということだったので今回はあきらめました。でもこうしてその姿が見られただけでも良かったです。
しばらくするとキハ181系を隠す形で止まっていたキハ40がいなくなり、真横からもその姿を見ることができるようになりました。
やはりこの横顔はかっこいいです。うーん、でもよく見ると側面部分窓周りなどの塗り分け方がちょっと変??
模型の写真で申し訳ないのですが、窓周り帯の上端がやや上過ぎるのと、雨どいの端部の塗り分け方が微妙に異なっているような気がします。
まあ扇形庫に格納されたら普段は前面しか見えなくなるので、このままでもいいのかも!?
そんなことよりも、とりあえずキハ181が保存されたことを喜ぶべきでしょうかね。
なおこのキハ181-12は翌日の一般公開時に転車台を通じて手押しで扇形庫に入り、ヘッドマークには「やくも」が取り付けられたそうです。
しかしながら、こういう並びを見ると「やくも」よりも「いなば」を連想してしまうのは自分だけでしょうか・・・(笑)
(ATS-P配管も付いてることだし)
境港から「ねこ」と「目玉」のキハ40に揺られて小一時間ほどで米子に到着。
米子では別に何をするわけでもなく、昼食を済ませて適当に駅構内を見てみたり町歩きでもしたりして時間をつぶそうと思っていましたが、自分の乗った列車が駅に着くと同時に思わぬものに出くわしました。
DE10+ホキ800形の工事列車編成です。しかも最後尾にはヨ8000形付き。山陰の工臨は年に数回くらい動いているらしいですが、実際にその姿を見るのは初めてです。普段は米子貨物駅の片隅で寝ているホキ800形も、短いながらも編成になると迫力が出ますね。
編成は京都方からDE10 1058+ホキ1685+ホキ1583+ホキ1686+ホキ1687+ヨ8709でした。
しかも単なる回送か何かと思いきや、きちんと「積荷」が満載されていました。実際に工事現場まで行ってバラストを散布するのは深夜でしょうから、このときは夜になるまで米子駅で待機していたのかもしれません。
武骨な外観でぱっと見では古いのか新しいのかよくわからないホキ800形ですが、銘板によると写真のホキ1583は昭和39年国鉄浜松工場製で、かなり古い車両であることが分かります(ホキ800形の製造初年は昭和33年)。
この古さゆえに近年は機械扱いの保線用ホッパ車などで置き換えられることがあり、既にJR東海、四国、九州では国鉄から継承したホキ800形が全廃されているようです。
ホッパ車の側面には所属支社を示す「米」の字と常備駅が書き込まれていて、ホキ1687は益田駅常備、それ以外は米子駅常備でした。昔は米子鉄道管理局にも専属の貨車がいくらか存在したようで、ポム1形(都野津駅常備)やチキ6000形(境港駅常備)などでも「米」と書かれた写真を見たことがあります。
この独特な書体の「米」ですが、じっと見ているとゲシュタルト崩壊を起こしそう(笑)
そしてしんがりを務めるヨ8000形ヨ8709。反射式後部標識を装着してやる気満々です。おそらくホキのホッパ操作要員の控車として利用されるのでしょう。今でも特大貨物列車や甲種輸送のときなどには車掌車も一緒に走る姿を見ることができますが、気のせいかこのような工事列車に連結されるのはあまり見ないような気がします。
このヨ8000形の所属表記は、今は懐かしい「米ヨナ」となっていました。本来なら他の旅客車と同じく「米トウ」であるはずなのですが、検査表記からこの車両は後藤総合車両所ではなくJR貨物の広島車両所で検査を行っているようなので、ひょっとするとそのために「米ヨナ」が書き換えられずに残っているのかもしれません。
そういえば後藤総合車両所所属の機関車も以前は所属札が「後」であったものが最近はかつての米子機関区・米子運転所時代の「米」になっているようで、この列車の牽引機のDE10 1058にも「米」の札が入っていました。
所属関係が変わったのか、それともただの遊び心か、はたまた「後」では一見分かりづらいから?
工事列車を後ろから。組成のされ方の上では、機関車+貨車+車掌車というかつての正統的な貨物列車の編成スタイルでなかなかいい雰囲気のような気がします。ホキ4車というのもついつい気軽に模型で再現したくなってしまうような編成両数ですね。
実際に走っている姿やバラストを散布するシーンを見てみたいです。
さて、ここからはホキ列車以外に目に付いた車両をいくつか。
気動車群の中にぽつんと留置されているJR貨物のEF64形0番台。
別に日中の米子駅に電機が留置されていることは変わったことではないのですが、最近はEF64形1000番台ではなく0番台に出会うことが多くなったような気がします。
以前は岡山機関区にEF64形1000番台が確か5両くらい配置されていたはずなのですが、昨年だったかに岡山のEF64形が愛知機関区に配置統合されてからは岡山の1000番台数両と0番台がトレードされてしまったようです。
ちょっと前まではJR貨物のEF64形0番台は1000番台が検査のときなどに、たまに代走で山陰に顔を出す程度でしたが・・・。一方、1000番台の広島更新色機は最近は伯備線から遠く離れた稲沢や新鶴見、根岸などでも見かけられるようになりました。
何となく新しいのを持って行かれた代わりにお古を持って来られたような・・・。でもまあ伯備線のEF64形運転開始当時は0番台がメインだったらしいので、そういう意味では昔に戻ったと言えなくもないかもしれませんが。
キハ126系2次車による快速アクアライナー。車両運用の関係で検査時などに代走でアクアライナーに2次車が入ることがたまにあるようですが、自分は初めて見ました。
その逆の1次車がとっとりライナーに入ることはごくまれなことのようで、以前にはもっとレアなパターンで1次車+2次車の2連も見られたことがあるそうです。
側面の列車名表示はとっとりライナーの場合、文字がスクロールして表示されますが、アクアライナーはすべてカタカナ表記なので半角で「アクアライナー」とスクロールなしの表示で済まされていました。この辺りは普段見比べる機会がなかなかなかったのでちょっとした発見です。
イラスト車のキハ47 146。TOMIXからキハ47形が発売されたことだし、いつか模型で作ってみたい車両の一つですが、キッチンから発売されている再現用デカールは売り切れてしまっているので側面のイラストは自作するしかなさそうです。
とりあえず資料だけは集めておこうと思います。今までにも側面イラストの写真はいくらか撮ってきましたが、唯一キハ47 146のトイレ側の大きな傘の部分だけは撮れていなかったのでいいチャンスでした。
今は画像処理ソフトとインクジェットデカールを駆使すればとりあえず色々なものがつくれるので便利ですね。ただ図柄に白色がある場合は要工夫ですが。
この車両は将来首都圏色に塗り替えられないといいのですが、どうなることやら。今思えば、「ピアート号」のキハ58系やどじょうすくいの絵柄の安来節キハ47も側面の写真を撮っておきたかったですね・・・。
さて、本当はさっきのキハ47 146の普通列車に乗って鳥取に帰るつもりでしたが、結局キハ187系の疾走の誘惑に負けて特急スーパーまつかぜ10号で帰りました。
もちろん自由席利用でしたが、この日は3連に増結されていて自由席車が2両に増車されていたので楽に座れました。とはいえ鳥取方の増結車が運転台側にデッキのあるキハ187-1503だったので、結局ほとんどデッキで前面展望。
振り子車に乗るのは久しぶりだったので、カーブに差し掛かるたびにふらっと体がよろめいてしまいました(笑)
鳥取~米子間は行きの普通列車では2時間半近くかかりましたが、特急は1時間弱で走りぬけてしまったのでやはり速い・早いですね。ただ意外なことに直線が続く区間でも列車は速度を120km/h出していたことはほとんどありませんでした(その時若干遅延気味だったのですが)。
半日足らずの短い行程ではありましたが、その割には思わぬ発見もありなかなか楽しめた遠出だったと思います。
鳥取へ帰省してすぐの先日、特にこれといった用事はなかったもののちょっと米子まで出かけてきました。まあ強いて目的を挙げるならば「汽車に乗ること」でしょうか(笑)
今回は学割で鳥取から境港までの往復券を購入して、午前中の普通列車で米子に向かいました。
米子で境線の普通列車に乗り換えて、後藤で途中下車。
「鬼太郎列車(4代目)」ことキハ40 2118。これに乗ってきました。一車丸ごと派手なフルラッピングでインパクトは強いのですが、微妙な感じのデザインに思います。
個人的にはこのひとつ前の「鬼太郎列車(3代目)」シリーズのデザインが好きでした。
さて、後藤駅で降りた目的は言うまでもなく後藤総合車両所。写真には撮れませんでしたが、ちょうど381系のゆったり未改造車(緑やくも)の4連がスイッチャーで検修庫内に押し込まれていくところでした。
あとで知ったことですが、この4連381系の編成中に含まれていたサロ381形はサロとしては最後の1両で、今後のゆったり化に伴うサハ化改造で形式消滅してしまうようです。
さて、昨年までエーデル車を始めとした廃車前提の気動車が続々と集結していた後藤工場ですが、今回訪れたときにはそれらはもう1両も残っていませんでした。
代わりにそこにあったのは座席や内装品などの残骸と、解体に伴い発生した元が何だかよくわからなくなった金属くずの山・・・。
ダメもとで来てみた後藤工場でしたが、やはりダメでした(涙)
エーデル車のものと思しき座席のクッションだけでなく、優先座席のものもあるのでおそらくはキハ33 1002やキハ48 5も解体されてしまったのでしょう。キハ48は非ワンマン車で使いづらかったとはいえ、更新改造済みだったのにもったいない・・・。
あとで調べてみたところ、3月上旬ころには、最後まで解体線上にいたエーデル鳥取車2両(キハ65 711・1711)とキハ48が解体されていたようでした。
ちなみにキハ48 5とは別に松任工場に回送されたキハ48 1003も先日解体されてしまった模様です。
このほか内装品以外にも、廃車された車両から取り外されたと思われるエンジン・変速機やキハ181系用と思しきクーラー(AU13S)も敷地内に置かれています。
曇り空の重い雰囲気と相まって、これら解体に伴い発生した廃品や使われなくなった部品を見ていると急に寂寞とした感じがしてきました。
まあ残念ながら解体されてしまったものは仕方ないですね。
ちなみに去年の同じころに後藤を訪れた際は、まだ解体待ちの車両がそのままの状態で留置されていました。その後京都に残っていたエーデル車6両や岡山のキハ48も後藤に回送され、構内が車両でいっぱいになっていたようでしたが、昨年末から今年3月にかけて順次解体されていったものと思われます。
ところで、この時の後藤構内はゆったり改造予定と思われる381系の車両が多く見られましたが、この他にも検査入場中と思しき宮原のDD51 1191やHOT7020形の姿が確認できました。
さて、1時間かかって後藤工場の見物を終えた後は再び境線に乗り境港まで向かいます。
で、やってきたのはこちら。
「ねこ娘列車(2代目)」と「目玉おやじ列車(2代目)」のペア。車体すべてがピンク色でまとめられたり、前面中央に目玉おやじがデーンと居座る姿は見る者に強烈な印象を与えます(笑)
車外だけでなく、車内の座席もこのとおり。
背もたれには各妖怪列車のテーマキャラクターが配されたものに交換されていました。これは最近行われたらしいのですが、いい試みだと思います。左右対称に配置された目玉おやじが着席区分をさりげなくアピール?
ところで日中の境線はワンマン運転のはずですが、この日乗った列車はすべて車掌が乗務していました。比較的乗客が多かったのでそのためでしょうか。
終点の境港では折り返しの列車に乗ったので7分ほどの滞在。いったん改札を出て再び入場、かえり券にスタンプを押してもらっただけで終わりました。
ちなみにこのスタンプは通常のものではなく鬼太郎の顔がデザインされているものでした。観光地の玄関らしい工夫ですね。
折り返しの列車ではまっすぐ米子に戻りましたが、行きと違い座ることができたので車内では居眠りをしていました。途中で高校生が多く乗ってきたことと、米子空港~大篠津町の付け替え新線の部分「だけ」の乗り心地はやたら良かった(笑)ことは覚えています。
以下、その2へ続く・・・
こんばんは。
ここ数日の間、災害関連で気持ちがふさぎこむような話題が続いていますね。
しかし、そんな中で過酷な状況の下にあっても、必死に頑張って生きていこうとしている方々がいらっしゃるということを思うと、自分もいつまでも暗い気持ちでいてはいけないと思うようになりました。
落ち込んでいてはいけませんね。これからは元気を出して前向きにやっていこうと思います。
そんなわけでこのブログも更新を再開することにしました。
まあ、相変わらずの更新頻度になろうかと思うのでそういう意味ではあまり以前と変わらないかもしれませんが・・・(汗)
さて、実は先週の3連休から鳥取に帰省しています。
実家にはいじれる程度の模型をほとんど置いていないので、帰省中はもっぱら乗車などの実車系活動がメインです。
先日も境港まで往復してきたのですが、その時の話はまた別に記事をあげる予定です(いつものように無駄に長くなりそうなので・・・)。
3月22日米子駅構内の様子。やっぱりふるさと地元の鉄道はいいですね。
そういえば3月のダイヤ改正で山陰線の鳥取~城崎温泉(豊岡)に浜坂を越えて直通運転する普通列車が復活しましたが、この列車も4月から土休日に運転される臨時快速の「山陰海岸ジオライナー」と併せてぜひ乗りに行ってみたいと思います。
生田緑地は自分の下宿からそんなに離れていないこともあって、この前の土曜日に大学鉄研のO御所先輩を誘ってどんなものかと見に行ってきました。
南武線の登戸駅で下車、小田急線の線路沿いの道を道なりに20分ほど歩いて行くと生田緑地の入り口にたどり着きます。
講演の案内地図にしたがって青少年科学館という施設のほうに歩いて行くと…

それは忽然と姿を現しました(笑)
この車両はスハ42 2047で、昭和23年日本車両製、東北本線・常磐線を主な働き場所として昭和60年に水戸機関区で廃車、その後梶ヶ谷貨物ターミナル駅から陸送でここ生田緑地に搬入されたそうです(車両横の説明板より)。


塗装は青15号、ドアやトイレ・洗面所の窓はHゴム支持、側面窓はアルミサッシの仕様です。トイレ側車端部のドアはHゴム2段窓のタイプになっており少し珍しい仕様?のように思います。
外観は少し雨たれ跡などの汚れが目につくものの、塗装はきちんと施されており屋外で保存されている車両としては大変きれいで、さすが市が管理している公園の中に保存されているだけのことはあります。
さらに特筆すべき点は、この車両は実際に車内を見学することができるということです。

車内も大変良好な状態で、この手の保存車にありがちなシートや内装がボロボロになっていたり、各部の部品が盗難されていたりといったこともありません。おそらく室内はほぼ現役当時のままに保存されているものと思われます。
旧型客車特有の高い屋根や板張りの床、座席など、独特の郷愁あふれる雰囲気が伝わってきます。あまりにも雰囲気がよかったので、ボックス席に座って先輩と雑談していたら小一時間経っていました(笑)


座席は青いモケット、スハ43系の登場前なので通路側の頭もたせはないタイプ。こうして見てみるとボックス席の基本的な部分は後年登場した車両を見てもそんなに変わっていないように思えますね。ちなみにアルミサッシの側面窓は固定されておらず、実際に開けることができます。動きは良好で、かなり手入れが行き届いていることが分かります。
天井に目を移すと、カバー中央には「JNR」の文字が入っている扇風機が。今でもたまに見るいわゆるJNRマークのものとはまた違ったデザインです。これは旧デザインなのでしょうか?
灯具は白熱灯のあった部分を改造して円環状の蛍光灯が取り付けられるように改造したタイプのものがあります。この車両の中が見学できるのは日中時間帯に限られているので、そのせいか蛍光灯は取り付けられていませんでした。


洗面所部分はガラス越しに観察することができるようになっており、タイル張りの床やボタン式の吐水口など、これまた古風な雰囲気が漂っています。
吐水口のボタンが二つあることからわかる通り、水と湯の両方が使えたようですが、熱源や電源のない客車の場合どうやって洗面所用の湯を準備していたのでしょうか?
デッキももこれまた今の車両にはない温かみというか、何となく味わい深いものがありますね。縦に2段並んだドア窓が独特です。




屋外展示で車両の床下まで光が届くので、このようにTR40形台車を始めとした足回りや床下機器は観察し放題です(笑)
旧型客車の模型作りには参考になるかもしれませんね。よく見ると弁装置類だけでなく水タンクの表記もきちんと再現されています。凄い力の入れようです。
再塗装にあたって書き直されたであろう車体番号や検査表記類も、ただの丸ゴシックではなくきちんとした車両表記用の書体で書かれていました。

妻面に回れば、戦後製造後期のオハ35系に特徴的ないわゆる「キノコ折妻」の姿も拝めます。貫通炉がふさがれてしまっているのは仕方ないですが、検査表記や銘板類がきちんと揃っているのがいいですね。つなぎ箱やエアホース、電暖用ジャンパ線が残る端梁にも注目。
公園の休憩所扱いでありながら動態保存車といってもおかしくないくらいの保存状態であるこのスハ42ですが、この日は訪れる人は少なく、時折園内を散歩する人が中をのぞく程度でした。もちろん鉄道ファンと思しき姿も自分たち以外になく、なんだか知っている人は知っている意外な穴場のように思いました。
今度はもう少し暖かい時期になったら、天気のいい日に駅弁でも持ってまたこのスハ42を訪ねてみたいですね。
余談ですが、このスハ42 2047、なんと地図にも表示されていました(矢印の場所を拡大すると車番が出てきます)。現在ある位置とは微妙に異なりますが、これは隣の青少年科学館改築に伴い移設されたためのようです。
しかし地図にまで車番が表示されるとは凄いですね。この場所を編集した人はかなりの鉄道ファンだったのかもしれません(笑)
年が明けて2011年になりました。新年明けましておめでとうございます。
さて、鳥取は大晦日から雪が降り続き、鳥取市の積雪は50cm近くまで達してしまいました。今でも国道9号は通行止め、山陰本線は雪のために運休が相次ぐなど交通は混乱していますが、現在復旧に向けて作業が進められているようです。
午前中には伯耆大山駅近くでラッセル車(DE15 2052だったか)が脱輪して動けなくなるというトラブルもありました。吹き溜まりに突っ込んで、ラッセルヘッドが雪を掻ききれずに浮いてしまったのかもしれません。機関車に直接除雪用スノウプラウをつけたDD15なら大丈夫だったかも?
ちなみに県西部の米子市は平野部でも80cm近い積雪があるようでした(驚)
正月頃の山陰でこれほどの大雪は珍しいかと思います。
新年早々から大雪に見舞われてなんとなく前途多難な感じですが、とりあえず今年一年もしっかり鉄活動に取り組んでいきたいと思います(もちろん勉学も・・・)。
それでは今年もよろしくお願いいたします。
これは今年の年賀状に使用したイラストです。今年は卯年ということで、某高速振り子DC特急ではなく、あの「ウサギ君」をモチーフにしてみました(笑)
これもやはり山陰海岸が世界ジオパークに登録されたおかげなのでしょうか。
…とここまではしばらく前にJRのダイヤ改正のプレスリリースにも書いてあったことではあるのですが、記事によるとこれらの直通普通に加えて土休日には鳥取~豊岡で快速列車も運転される予定であるとのこと。またその快速の愛称を一般から募集するという話もあるようです。
個人的に気になるのはこれらの直通列車の車両(たぶんキハ47?)はどこの受け持ちになるのだろうかということです。豊岡の受け持ちになって福知山支社色のキハ47が(場合によってはキハ40やキハ41も)鳥取駅で見られるようになれば面白いのですが…。
姫新線色や鳥取特別塗装(黄緑色でしゃんしゃん傘踊りの傘やドウダンツツジ、ウサギが描いてあるアレ)のキハ47が城崎温泉や豊岡で見られるのも面白いですけどね。

何はともあれ長年ほとんど同じ運転形態だった鳥取~豊岡間の山陰本線に変化の兆しが見えて興味深く思っています。
参考:http://www.nnn.co.jp/mt/usatetsu/2010/12/post_151.html
ということで現在は鳥取の実家へ帰省しています。
横浜の下宿から京急で羽田へ出て飛行機で飛べばあっという間に鳥取へ着けるのですが、今回は27日の晩に出る夜行バスで帰省しました。あまり夜行ではうまく寝られるほうではないのですが、東京~鳥取片道10,200円という運賃の安さもあってまあちょっとは我慢するかという気分で乗りました。
ちなみに今回は普段使用されている3列座席のバスではなく、普段は貸し切り運用に使用されている車両(増発便)に乗車したので、運賃が9,690円とちょっと割安です。
増発便も含めてバスは6号車まであり、1台のみで運行する通常期から複数台で運行する最繁忙期まで1台単位で車両を増減できるバスの運用の柔軟さを感じました。

毎度のことではありますが、バスはどうしても列車よりも騒音や振動が大きいので、なかなか寝れたものではありませんね。時にはせっかくうとうとしているときに、バスが料金所での発進に失敗してエンスト、その衝動で起きてしまうこともありました。
そんなわけで実家に着いたその日はほとんど昼寝していました(笑)