毎度ながらもうひと月ほど前の話になってしまうのですが、
今年もお盆休みの頃に鳥取に実家に帰省しておりました。
今年の夏は(も?)特に暑かったので、あまりどこかへ出かけようという気力は起きなかったのですが、
せっかくの帰省ということで、「地元鉄分」の補給は欠かせません(笑)
そんなわけで、これから「なつやすみの日記」的に盆休みのできごとをいくつか話のネタにしていこうと思います。
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この日は、今年5月のオープンの旧余部橋梁を利用した展望施設、「余部鉄橋 空の駅」に行ってきました。
鳥取からは直通の臨時快速「山陰海岸ジオライナー」で餘部駅へ。乗車した編成はキハ126-11・1011のジオパークラッピング編成でした。
たぶんジオライナーにはこの編成が優先的に運用されているのでしょう。「快速 豊岡」という表示はだいぶ見慣れた感があります。
快速列車の軽快な走りに揺られて、鳥取を出て1時間足らずで餘部駅に到着しました。
豊岡に向かって走り去る列車を見送ると、それと同時に展望台へと変貌を遂げた旧余部鉄橋の姿が。
どんな風になっているかと思いましたが、けっこう小ぎれいな感じに整備されています。
餘部駅ホーム入り口から旧橋梁の展望台入り口までの間は、線路が載ったままの旧線の路盤がそのまま通路となっていました。
このプロムナードを歩きつつ、以前は自分も列車に乗ってこの上を通っていたのだと思うと、なかなか感慨深いものがあります。
展望台入り口左右には「余部鉄橋」の看板とともに石造り風の門柱が。
レールはなおも橋の上まで続いていますが、橋の上は舗装され、レールはその舗装面に埋め込まれています。
レールが4本もあると混乱を招くのか(?)、さすがに走行用レールの内側にあった脱線防止のレールは撤去されていますね。
展望台終端部の光景。ただ柵越しに風景を眺めるだけでなく、足元の強化ガラスの床や金網から鉄橋の真下を見ることも出来ます。
余部鉄橋を渡る列車の車窓として眼下の風景を眺めたことは何度もありましたが、鉄橋の上に直接立って眺めるのは初めてです。
柵があるとはいえ吹きさらしで地上からの高さおよそ40m、ちょっと足がすくみそうでした。
ただこの日はとても暑かったので、日陰のまったくない展望台の上に海からの風が吹きぬけてきたときは心地よかったです。
展望台の終端から先は少しだけ線路が続き、そして空中でぶつっと途切れてしまっています。
なんとなく某銀河鉄道の空に向かう線路をほうふつとさせるような・・・
ここを見ていると1067mm軌間ってこんなに狭く見えたっけ?と思ってしまいますが、
余部鉄橋の上で使われていたマクラギは、一般的なものよりもかなり長いものなのだそうです。
さて、地上に目を転じると、国道178号脇の広場には「山陰本線 余部橋りょう」と大書きされた桁が鎮座していました。
以前この一帯が公園整備の工事中だったときにはこの桁はなかったような気がしますが、研究用などに貸し出されていて返却されたのでしょうか?
たしかこの桁はだいたい国道の真上あたりに架かっていたはずで、国道と直角に交差していたのが今では平行に置かれてしまっています。
橋梁真下の地上は芝生広場や旧鉄橋の橋脚を活用したステージなどが整備され、公園になっていました。
この日は展望台と公園の整備完了記念、道の駅開業1周年記念ということでちょっとした催し物が開催されていました。
地元の人々や観光客が集まって、歌手のライブやパフォーマンスを楽しんでいたようです。
日差しも暑さもきつい時間帯だったので、テントの下に入らないとすぐ汗だくで大変です。
地上の国道辺りも山腹の駅辺りもほぼ整備が済んだようで、道の駅が出来たこともあり鉄橋が現役だった頃よりも、
より観光地らしい体裁が整った感のある余部橋梁周辺でした。
余談ながら、帰りは城崎温泉発の鳥取直通の普通列車に乗車しました。
が、その先頭車には米トリ・キハ47唯一のイラスト車キハ47 146が連結されていました。
こんなことなら「お立ち台」で待機しておいて新橋梁を渡るところの写真を撮って置けばよかったと思いましたが、
餘部駅旧ホーム時代と違ってお立ち台で写真を撮ってその列車に乗るということが現在ではほぼ不可能なため、
これを撮ったとしたらその次まで2時間くらい待たされてしまいますね・・・。
長くなったので今回はこれくらいにして、以降続きます。
もう10日ばかり前の出来事になりますが、12月20日に若桜鉄道に待望のディーゼル機関車(DL)、DD16形7号機がやってきました。
その前日に、ちょうど東京・国立にある鉄道総研からDD16 7が搬出され西日本方面に陸送中という情報をネットで見たので、
もしや・・・、と思っていたところ、まさかの若桜鉄道入りということで驚きました。
【参考:回送電車・鉄道総研 DD16 7 若桜鉄道へ陸送される、日本海新聞web版・走る日待ち遠しい 若桜駅にディーゼル機関車】
ということで、年末の帰省で鳥取の実家に帰ってきた折に、早速若桜駅にDD16を見に行ってきました。
ともすれば整備のために検修庫の中にしまわれているかも、と思いましたが、幸いなことにお目当てはC12形蒸機の後ろに止められていました。
C12とDD16、こうして前後隣り合わせて並んでいると、まるで1970年代の無煙化進行中の光景を見ているかのように思えます。
どちらも小型の機関車で、駅の片隅にちょこんちょこんとたたずんでいる光景はなかなかよいです。
2012年にもなって、まさか自分の地元でこんな光景が見られるとは思ってもいませんでした。
これだけでも非常に心が躍る光景です。どちらの機関車にしても本線を走る日が待ち遠しいです。
さて、このDD16 7号機ですが、1972(昭和47)年日本車両の新製で長野機関区に配置、
その後篠ノ井機関区に転じて1987(昭和62)年3月に廃車になるまでずっと信州で働いた機関車なのだそうです。
廃車の時期からしてJR東日本には継承されず、それからずっと国立市の鉄道総研で試験車両の牽引車として働いてきたようですが、
調べてみる限りでは近年は稼動する機会はめったになく、毎年秋の鉄道総研の一般公開でたまに展示される程度だったようです。
【参考:Remember the DD16】
それだけに、今回の若桜鉄道への入線でDD16 7に三たび活躍の場が与えられるということは大変喜ばしいことであると思います。
車庫の中にずっと保管され続けていたこともあり、外観も非常にきれいで、もろもろの整備や手続きが済めばすぐにでも12系を引っ張らせて本線に出せそうなくらいです。
ところでこのDD16、長いボンネット(1端側)には側面の白帯がなく、短かいボンネット(2端側)には白帯が入っているという妙な塗り分けとなっていますが、
本来のDD16の塗り分けは短かいボンネット(2端側)にも白帯が入っていないはずなので(キャブは白帯入り)、これはマスキングの都合でこうなったのでしょうか。
どうせキャブとボンネット端部との距離は短いし、それだったらまとめて帯を入れてしまおうというノリ?
その2端側ボンネット部分。
DE10よりももっとボンネットの長さが短いのでなかなかユーモラスな風貌です。
扇風機カバーや列車無線アンテナがないすっきりした屋根や、A寒地仕様車なので旋回窓がある点などが山陰で見かける他のディーゼル機とは異なる点でしょうか。
一見DD16は山陰とは縁がなさそうな機関車ですが、かつては米子機関区に数両の配置があったそうです。
ただし実際の働き場所は三江線の貨物列車、浜田や益田の入換運用がメインだったそうなので、
少なくとも鳥取県内では運用につくことはなかったのではないかと思いますが・・・。
(因美・若桜線、倉吉線、境線はDE10が運用されていたので)
そんなわけで若桜鉄道がディーゼル機で観光列車を走らせるという話も最初はDE10でやるのかなぁと思っていました。
C12 167とDD16 7、どちらも奇しくも「167」の部分が共通しているということで、このDD16を「赤い167号機」と呼ぶ向きもあるようで・・・。
これからはC12に並ぶ若桜駅のマスコット的存在として、多くの人々に親しまれていって欲しいと思います。
もはや稼働車は全国で5両ほどとなったDD16ですが(車籍なし機を含む)、若桜鉄道での「動態保存」によって今後とも末永く活躍して欲しいですね。
補足
若桜鉄道の公式webページでもDD16が入線した旨が発表されています。
【参考:若桜鉄道・DD16導入致しました。】
駅の線路にクレーンで車体を取りおろす様子や、ホームに据え付けた様子、
この記事の写真とは反対側の側面から機関車を撮影したときの写真などがあります。
(運転室扉の通常の窓の下にもうひとつ小さな窓があるのが特徴的です)
皆様ご無沙汰しております。久方ぶりの投稿となりました。
この1週間はお盆休みということで鳥取に帰省していました。
予定が立て込んでいてあまり自由に出来る時間はありませんでしたが、とりあえず地元鉄分の補給(笑)ということで鉄活動をしてきました。
まずはここ一番気になっていたスーパーはくととキハ126のラッピング車を見物。
スーパーはくとのまんが王国ラッピング車はいろいろと運用変更があったために見に行けるかどうか微妙でしたが、
ある日暇を見つけてちょうど6号の送り込み回送発車待ちを鳥取駅に見に行くことが出来ました。
この度のまんが王国ラッピングがHOT7000系初のラッピング事例かと思われますが、なかなか落ち着いた感じで個人的には好感が持てます。
ただまんが王国のPR効果という点では、もう少し目立つ感じにしてもいいのではないかとも思います。
あと「遥かな旅・・・ 鳥取、倉吉」というロゴは他の編成(というか車両)にも貼り付ければちょっとしたアピールになっていいのではないかと思いました。
ラッピングなしの増2号車入りではあるものの、とりあえず編成がバラバラになる前にまんが王国編成を見ることが出来てよかったです(笑)
一方こちらは国際まんが博覧会PRのキハ126-16・1016のコナン列車。
車体全体にラッピングされたイラストがかなり目を引くデザインだと思います。
4代目鬼太郎列車シリーズやジオパーク編成など、最近は派手なフルラッピング車が多くなりましたね。
この列車、ラッピングするのにかかった費用は1000万円ほどなんだそうで・・・。
これほど大きなシールを用意するのもそうですが、やはり版権ものということで作品使用料もかなりかかっているのではないかと思います。
本当はこれらのスーパーはくとやキハ126のラッピング車の走行写真を撮りに行きたかったのですが、それは予定が合わずできませんでした。
まあ、とりあえず見に行けただけでもよしとしておきますか。
8月15日には若桜駅のC12 167号機の展示運転を見に行ってきました。
今までは帰省しても日程が合わず見に行くことが出来ていなかったのですが、今回やっと訪問できました。
小型の機関車ながら目の前で蒸気機関車が動くのはやはり迫力があります。特にロッド回りのメカニカルな動きは見ていて飽きません。
長野電鉄からやってきた無蓋車に乗ったり、機関車が載った転車台を回転させたりなかなか楽しい体験が出来ました。
圧縮空気で機関車を動かしているので、厳密にいえば動態保存からは少し意味合いが違ってくるとは思いますが、
こうして線路の上を動いているのを見ると、煙突から立ち上る白煙(火室で木材を燃やしているのだとか)、油で磨きこまれた足回りや、
一般的な動態保存機のように変に車体がつやつやピカピカしていないということもあって、よっぽど「現役機」の風情があるように思えます。
さて、若桜駅には四国からやってきた12系もいましたが、車体の塗装は見違えるほどきれいになっていました。
某鉄道雑誌にこの12系の手入れをした記事が載っていましたが、やってきた当初のぼろぼろの外観と比べると、
とりあえず再塗装されただけでも将来の観光列車へのイメージがより大きくなった気がします。
よく見ると側面の折戸や貫通扉部分にも帯が入っていますね。塗装担当者のこだわりを感じました。
若桜駅構内の客車の入れ替えには除雪用のモーターカーが使われています。
意外と様になっているように見えますが、このまま本線に出て行くにはちょっと無理がありそうですね(笑)
ちなみにこの12系、再塗装時にJRマークやグリーン車マークは描かれていないようですが、
JR四国時代の所属表記「四コチ」は車体に書かれていました。
形式もスロフ12・オロ12から変更はないようです。
観光列車の運転開始にはまだいろいろと課題が多いようですが、少しでもその助けになるように、
今後とも帰省の度に若桜鉄道に乗っていこうと思います。
とりあえずディーゼル機関車が12系を牽引するのを見る日が来るのが楽しみなのでした。
余談ですが、これは船岡竹林公園に昨年から置かれている有蓋緩急車のワフ29000形ワフ29041。
竹林公園にはライブスチーム走行用の線路が常設されており、イベント時には運転会が開催されているそうです。
八東駅や隼駅もそうですが、若桜鉄道を軸のひとつとしてじわりじわりと町おこしの機運が高まっているのはうれしい話ですね。
近ごろ多忙により、鉄コレ動力の工作があれから全く進んでいない管理人です。
さて、この間外出帰りに本屋で時刻表の4月号を買いました。
何の気なしにページをぱらぱらとめくって山陰本線の部分を見てみると、なんだか妙な違和感が・・・。
・・・普通列車にも「レ」(駅通過の記号)が付いている!?
3月17日のダイヤ改正以降からなのでしょうが、山陰本線の豊岡~鳥取間では玄武洞、鎧、久谷、居組のそれぞれの駅を通過する普通列車が出現していました。
このほかにも山陰本線、播但線、舞鶴線の一部の駅も時間帯によっては普通列車が通過となったところがあるようで、あまり深くは触れませんが西日本のローカル区間の合理化もこういうところまできたものかと・・・(ただ、因美線や姫新線などに見られる一部列車の快速運転のことを考えると、これは今に始まった話ではないかもしれませんが)。
JR西日本おでかけネット・「一部の普通列車の停車駅見直しについて」
(http://www.jr-odekake.net/railroad/2012_3_17_dia/pdf/zairaisen_kitakinki.pdf)
普通列車が一部の駅を通過するのは、今から30年より前の普通列車が編成の長い客車列車主体だった時代、ホームが短くて編成すべてが停まり切れない駅は通過となっていた話や、夜行普通列車の「山陰」が深夜帯は小さな駅を通過していた話を思い浮かべますが、今回のそれはこれらとは全く事情が異なりますね。
(この写真は再掲です)
せめて列車が止まらなくなる分、公共交通としてはバスがその役割を補完していってほしいと思いました。自分が見た限りでは久谷や居組あたりは集落から駅に行くよりも、その集落の中を通っている道路にあるバス停に行ったほうが楽だと思うので・・・。
(そもそも自家用車で間に合うと言われればそれは否定できませんが)
山陰海岸が世界ジオパークに登録されて以降、山陰本線は観光路線的な売り込みを図っていこうとしていますが、その一方で観光需要とは別のローカル輸送の勢いがじわりじわりと弱まっていく(ように思える)のは複雑な心境です。
先日ネットでちょっとした調べものをしていると、偶然興味深いニュース記事を見つけました。
京都新聞:特急「ジオパーク号」発進へ 山陰海岸の観光名所PR
(http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120305000115?utm_source=echofon)
なんでも鳥取~福知山間を山陰本線・北近畿タンゴ鉄道宮津線・宮福線経由で運転する臨時特急列車を運行させる計画があるようです。
これはびっくりな話ですが、現在土曜休日に運転されている鳥取~豊岡間の快速「山陰海岸ジオライナー」が好評であるのを受けて、これを機にさらに山陰海岸ジオパークの魅力を発信し、観光客を呼び込んでいくためにほぼジオパーク全域にまたがる上記のルートで特急を走らせようという話なのだとか。
車両は北近畿タンゴ鉄道の特急車両でまずは様子見ということで団体臨時列車として運転し、将来的には一般利用可能な列車としての運転を目指すのだそうです。
やはり使用されるなら車両数が多く運用に余裕がありそうなKTR8000形でしょうか?
ただいくつかこの話にはちょっと気になるところ(突っ込み)が。
まず列車のネーミング。あれっ、「ジオパーク号」って大糸線に走ってた列車名のはずでは・・・。
確か今のジオライナーの愛称を公募した時にも「ジオパーク号」は既に存在しているのでNGとされていたはずだったと思うのですが、キハ52が引退した今となってはもう設定されることはなさそう(?)なので大丈夫、ということなのでしょうかね。
まあそもそもこれは仮の愛称だと思うので、今の段階で突っ込んでもしょうがないかもしれませんが・・・。
次にもし運転が実現することになると、既存の列車体系(特にジオライナー)はどうなるのかということ。
臨時列車を設定する際には定期列車にはあまり影響のないようにダイヤを組むと思いますが、かつては行き違い可能だった居組、久谷、鎧、相谷信号場などの交換設備が使用停止(将来撤去予定?)となった今、はたしてうまい具合に臨時スジを入れられるかどうかちょっと気になりました。
場合によってはジオライナーを特急に格上げのうえ、そのスジを利用するということになるかと勝手に想像していますが、もしそうなると果たしてどこまで利用が見込まれるかは不安です。
現行のジオライナーが好評なのは、あくまでも特別料金が不要な快速列車ということで気軽に利用しやすいからというのが大きな要因の一つだと思うのですが・・・。
遠くから来る観光客やマニアの利用はいくらかあるにしても、特急化した列車がちょっとした用事や観光で地域内を移動する地元客に受け入れられるかはどうかなあと思います。
例えが違うかもしれませんが、津山線のかつての快速「ことぶき」と急行「つやま」の関係をちょっと思い起こしそうです。
(他の速達列車は特別料金いらない快速なのに、なんでこの列車だけ料金が要る急行なの?乗りにくいなぁ・・・という感じ)
ジオライナーとは別建てで列車を設定するなら別に心配することはないのですけどね。
他にも思うところはありますが、まあまだ始まってもいないことに細かいことをうだうだといっても仕方ないので突っ込みはこれくらいにして、とりあえずはいつの日か新しい列車・運転体系ができることを楽しみにしておこうと思います。
運転経路的には結構興味深いものがあり、宮津線~山陰本線・城崎温泉以遠の直通運転はかつての急行「大社」をほうふつとさせますね。
またKTRの特急車も、ごくたまに検査で後藤工場に出入場するときに回送で鳥取駅に姿を見せることがあるとはいえ、客扱い列車として乗り入れてくるのは初の事なのでこれもけっこうアツイです。
どうせなら米子支社管内でだぶつき気味のキハ47を改造して「みすゞ潮彩」や「瀬戸内マリンビュー」みたいな観光列車に仕立て上げるのもいいと思いますが、まずは実際に運転してみてどれほどの効果があるかを確かめてからですかね。
さーて、この春TOMIXから発売予定のKTR8000形がどんどん欲しくなってくる・・・(笑)
余談ですが、「かにカニはまかぜ」の運転に伴いしばらくの間設定がなかったジオライナー1往復(豊岡鉄道部キハ40系使用の9553D・9554D)が、3月改正以降また運転再開になるそうでちょっと安心しました。
さて湯村温泉の某旅館に宿泊し一夜明けた翌日、今度は各々が一路家路をたどる、あるいはさらなる目的地に向かって移動し始めます。
自分の場合はもうまっすぐ家(実家)に向かって帰ることにしていたので、これからまた長い距離を移動するのかと特に思うわけでもなく湯村温泉のバスターミナルから浜坂駅に出ました。
浜坂駅に出るバスは全但バスの路線バスの車両ですが、新温泉町の町民バスとして運行しているためかナンバーは白い地板のものが取り付けられていました。
バスには詳しくないのですが、この車両は先輩曰くなかなかに古い年式のものだそうです。
車内の床は板張りで、内外の見かけもそこそこにくたびれていました。
浜坂駅からは合宿参加者のほとんどが鳥取から直通の城崎温泉行きに乗車。
見送りのために改札の前に立っていたところ、列車が動き出すと同時にみんなが手を振り始めたので自分も振り返してそれに応えました。
しかしみんながなかなか手を振るのをやめなかったので、加速の鈍いキハ47が走り去るまでしばらくの間手を振り続けることに・・・。
車内にいる関係ない乗客の視線がすごく気になりました(笑)
ちなみにこの列車に乗ったメンバーはその後多数が大阪に出て、この日運転された300系の臨時「のぞみ」、また「きたぐに」や臨時「能登」などに乗って帰ったそうです。
自分はちょうど鳥取を経由して帰るという後輩と一緒にこの後の鳥取行きに乗って帰りました。
そして鳥取駅で後輩と別れて家に戻り、今回の合宿は終了。
合宿というかただの1泊2日の温泉旅行ですが、それでも会の仲間と楽しく過ごすことができてなかなか楽しかったです。
次の合宿地は一体どこになるのやら・・・。
さてここからは余談ですが、その日の夕方、暇だったので特に意味もなくまた西鳥取運転区に行ってきました。
実はこの景色、車両基地の中はもとより背景には久松山や鳥取の街並み、遠くには扇ノ山や氷ノ山辺りの山々も見えるので、車両観察スポットとしてだけでなく風景としても地味にお気に入りだったりします。
それにしても本線や車両基地内の線路にはほとんど雪がないのに、旧湖山貨物駅の着発線など(写真右下)の部分は雪をかぶったままで、生きている線路とそうでない線路の違いがくっきり出ていて印象的でした。
県立博物館に鉄道展を見に行った翌日、合宿参加日当日となりました。
最初は天気が良ければ「かにカニはまかぜ」のキハ189系などの撮影に行こうかと思いましたが、天気があまり良くなかったのでパス。
かといって家でじっとしているのも暇なので、西鳥取運転区(西鳥取車両支部)に行ってみることにしました。
普段なら自転車で行くところ積雪があり走りにくそうなので、たまにはいいかと湖山までひと駅汽車に乗っていくことに。
このとき乗った倉吉行き(写真右)には姫新線色のキハ47が連結されていました。
本家姫新線ではキハ122・127の台頭によりもはや風前の灯ですが、米子支社管内では転属後数年たった今でも見かけます。
初めのうちは検査で入場し次第さっさと首都圏色になっていくものかと思っていましたが、噂によると検査に入っても塗り直しせずに、塗装が傷んだところだけ部分的に補修して出場してきた車両もいたそうで・・・。
さて、鳥取駅を発車して千代川の鉄橋を渡り、運転区と旧貨物駅の横を過ぎると湖山までのひと駅はあっという間。湖山駅では行き違いのスーパーはくとと姫新線色キハ47との並びを撮ろうとするも、タイミングを誤り撃沈しました。
1線スルー化された本線を通過する列車は予想以上にスピードが出ていますね。
湖山駅からは徒歩で運転区の上をまたぐ陸橋へ。
このときはスーパーはくとの予備車がほぼフル稼働状態であることもあってか、なんとなく構内の車両数が少なかったような気が・・・。
こういうアングルで撮ると何となく模型的な雰囲気がしますが(GMキットの箱絵的な)、模型でもキハ47とHOT7000系の中間車を連結する人はそうはいないかも(笑)
鳥取ではよくあることですね。
豊岡色のキハ47の姿も見えますが、よく見ると福知山支社持ちキハ40系の方向幕の「鳥取」のコマは米子支社のそれに比べるとやけに文字の間隔が広いような気がします。米子車:「鳥 取」、福知山車:「鳥 取」のような感じで。
洗浄線ではHOT7000系の先頭+中間の2両が停車中。こうして見てみると意外と妻面はそこまで激しく汚れてはいませんでした。
洗車台の奥には自動洗車機がありますが、今まで見てきた西鳥取の洗車風景はだいたい手作業でごしごし洗っていたような・・・。洗車機はもっと汚れがひどい時に使うんでしょうかね。
つづいて陸橋から湖山駅側の転車台を見やると、どうやらいつの間にか操作室と駆動部が新しくなっているようでした。
以前の昔の電話ボックスのような形の青い操作室(左写真)に代わって、大きな窓の付いた新しいものに交換され、それに伴い駆動部も新しくなっているようです。操作盤も以前のものは確か電車のマスコン風(鉄コレ式制御器のような)の形だったかと思うのですが、新しいものは汎用っぽいボタンやら切り替えスイッチで制御するタイプです。
鳥取や米子の転車台は今でも車両の方向転換の機会があるので現役なのはうれしいですね。
以前、この転車台がキハ181形を乗せてゴトゴトーと回転しているのを偶然に見たときは感動ものでした。
さていい加減合宿の話ですが、結局西鳥取から家に帰った後はぐだぐだと過ごし、ささっと準備をして16時10分に鳥取駅前バスターミナルを出る湯村温泉行きの「因但ゆめぐりエクスプレス」に乗りました。
このバス、今は4往復しか走っていないのですね。昔はもっと本数があったと思うのですが(下りスーパーはくとの到着ごとに合わせて出発するくらい)、数年前に全但バスが運行から撤退したあとは日本交通だけが細々と運行しているようです。
この日の乗客は自分と中央病院から乗ってきたおばさんの2人だけでした。
乗り換えなしなのはありがたいですが、実は山陰線で浜坂駅経由+町民バスのほうが少し時間がかかるもののトータルの運賃は安いです。
鳥取駅から1時間ちょっとで湯村温泉の全但バス営業所に到着。特に観光シーズンというわけでもなく、平日の17時過ぎということもあって温泉街はひっそり。人影もまばらです。
宿への集合時間まではまだ時間があったので少し散策しようと思いましたが、寒いし雨も降りだすし、こんな雰囲気ということもあり早々に宿へ向かいました。
というわけでこの日は某旅館に宿泊、夕食後の宴会の時間には差し入れと称して鳥取のトスクで買ったとうふちくわ・あごちくわ数本と「おいり」をテーブルに並べましたが、思いのほか好評のうちにみんなが食べてくれて地元民としてはうれしかったです。
あと旅館の露天風呂の湯温が結構高かったのもよかったですね。たいていの露天風呂は外にあることでぬるい場合が多いので・・・。
湯村温泉は湧出する湯量が豊富なのと源泉温度が高い(98℃で日本一だとか)ので、泊まった旅館の風呂も加温なしでほぼかけ流しとのことでした。
あとこれは内輪ネタなのですが、自分の所属する大学鉄研では合宿時に各自が宿泊地にどうやってきたかを紹介する「経路紹介」なるものをやっているのですが、今回の自分の場合は「夕方に実家から徒歩で鳥取駅に出て、バスで湯村温泉に来ました。」で終了。
合宿史上、経路紹介時間最短かつ宿泊当日の夕方出発という最遅出発記録樹立(?)となりました(笑)
合宿地が実家に近いことを利用したネタですね。
以下、その4に続く・・・。
実家に帰った翌日、鳥取県立博物館に行ってきました。
普段なら県立博物館はめったに行きませんが、3月20日まで鳥取付近の山陰本線開通100周年記念で「鳥取鉄道物語」という企画展が開かれているので、これは見にいかねば、というわけで足を運んでみました。
歴史別に陳列された展示品は様々なものがありましたが、どれもこれも興味深いものばかりでなかなかにアツイ!写真や物品も数多くありました。
たとえば、以前から気になっていた米子電車軌道と境線の交差部分の写真や、計画だけに終わった大山登山鉄道や弓浜電鉄の線路図、国鉄の二十世紀梨出荷専用列車のチラシ、在りし日の森林鉄道の写真、高架化前後の鳥取駅、DE10+50系の「わかとり号」などなど・・・、どれもこれも個人的には超一級の資料ばかりという感じでした(ちょっと大げさですが)。
あいにく展示品は撮影禁止だったのですが、その分時間をかけてじっくりと見学。
平日の午後ということもあって訪れる人も少なく、心ゆくまで展示を楽しむことができました。
気がつくと、D51の巨大な写真がある入口の受付からNゲージのレイアウトの先にある出口に到達するまで3時間も経過していました(爆)
展示品の数からしてそんなに時間かかるものか!?と言われそうですが、それだけ夢中になってじーっと見たくなるものが多かったもので・・・。ただしNゲージのレイアウトは全体をちらっと見ただけです(模型なら自分も持ってるし・・・)。
そういえば順路の途中で体験用ということで自動改札機のモックアップが置いてあり(県下唯一の自動改札機だとか)、係りの人に声をかけると体験用の磁気券かICカードで使わせてくれるようでしたが、普段から自動改札機は何度も通っているのでこれはスルー。
自分の持っているICカードで読み取り部に触れたらどうなるかと一瞬思いましたが、こんなくだらないなことで変なエラーが出るとまずいのでやめました(笑)
さて、せっかくなので鉄道展を見終わった後には同時開催されている美術展や常設展示もさくっと見学。
帰り際に売店で企画展で展示されていた写真を収録した冊子を買いました。
逆に言えばすべての写真が会場で展示されているので、人によってはいらないと思うかもしれませんが、個人的にはせっかくだからということで買っておきました。
大学生は入館料が無料で、ちょうどその分のお金が浮いていたということもありますが。
それにしても、この展示や写真集を見ていると何だか今度発売になるKATOの新しいD51が欲しくなってきました。集煙装置やら変形デフやら何やらで「それっぽく」してみたいです。
自分の模型的な時代設定は山陰線がDD51の天下となった1980年代以降なので、いちおう蒸機は守備範囲外としてあるのですが、なまじ黒貨車や旧型客車は手元にそれなりにあるだけに、蒸機に牽かせるものには困らないのがなんとも・・・。
さて話が長くなりましたが、そんなわけで今回のこの企画展は個人的に大変満足なものでした。できることならもう一度見に行きたいですね。予想以上に良かったです。
ところで近所で合宿(笑)という割にはなかなか話が進みませんが(いつものこと?)、かといって長々と書き続けるのもアレなので続きます。
以前の記事中に書いた通り、今年の大学鉄研の春休み合宿の行き先は天橋立と湯村温泉に決定していました。
実家から近いところが合宿地になったので今回はどうしようかと思いましたが、「今まで近所過ぎて普段泊まることはなかったし、温泉はに入りに行きたいなぁ」ということで湯村温泉の宿泊分だけ参加することに。
また、湯村温泉に行きついでに(?)、宿泊日の数日前からちょっとした帰省ということで実家に帰り、「地元鉄分」の補給もしてきました(明らかにこっちのほうがメインですが)。
さて、今回は東京駅から大阪駅までJRバスの「プレミアムドリーム号」に乗り、大阪からは姫新線・佐用・智頭急行経由で鳥取まで帰りました。わざわざ姫新線経由にしたのは、この3月で運用を終える「はばタン列車」ことキハ40 2091を見て・乗っておこうと思ったためです。
「はばタン列車」の運用はネットで公表されており、今回はその情報をもとに姫路11時54分発の佐用行き841Dに乗車しました。
姫路駅入線時に103系との並びを撮ってみましたが、せっかくのはばタンのラッピングがほとんど映っていないという・・・。前面にはヘッドマークこそあるものの、ラッピングはなされていないということにこのとき気が付きました。
姫路からおよそ1時間ほどで終点の佐用に到着。
途中沿線では撮影する鉄道ファンや、突如目の前に現れたにぎやかな外観の車両に驚いたり、あるいは携帯電話片手に記念撮影したり、手を振ったりする人の姿が見られました。
車体側面のいたるところに「はばタン」が描かれていますが、とくに車体中央下部にどーんと描かれたはばタンは圧巻です。しかもこのラッピングは1-3位側と2-4位側で絵柄が異なる凝りようでした。
「はばタン列車」は「のじぎく兵庫国体」が開催された2006年から運行されており、それにちなんでラッピングのイラストもはばタンがいろいろなスポーツに興じる姿が描かれていました。
ちなみにこの写真の下のほうに写っているはばタンの亜種みたいなキャラクターは「ぱなタン」という名前なんだそうです。
中にはこんなイラストも・・・(笑)
はばタンの「叫び」ですね。顔の形ががすごいことになっています。
はばタンはもともとのじぎく国体のマスコットだったそうですが、今では兵庫県のイメージキャラクターとしてすっかり定着しているようですね。このあたりはもともと「山陰・夢みなと博覧会」のマスコットだった「トリピー」が今では鳥取県のキャラクターとして活躍しているのと同じでしょうか(ピアートはどうなった?)。
個人的にはばタンはデザインが親しみやすく、結構好きなキャラクターです。
左から、ぱなタン、はばタン、ぷくタンのトリオ。
姫新線の社会実験に伴う増発もこの3月のダイヤ改正で見直しが行われ、引き続き増発が継続されるのは姫路~播磨新宮(だったかと)のみとなり、それ以西は現状から本数減となるそうです。
それにともない運用減となる姫路鉄道部の車両ですが、キハ122・127形投入後も最後まで残った3両のキハ40形の去就も気になるところではありますね。
さて佐用駅で「はばタン列車」を見送った後は、智頭急行~因美線と普通列車を乗り継いで鳥取へ。
志戸坂トンネルを抜けて鳥取県内に入ると一気に車窓が雪景色になりましたが、今年は里雪という話通りに智頭から鳥取に走っていくにつれ、心なしか雪の量が多くなっていったような気がします。少なくとも智頭よりも鳥取市内のほうが雪が多かったです。
智頭から乗車してきた普通列車のキハ47 1108。
余談ですが、鳥取近辺でキハ47形1000番台が山陰線基準で下り向きに連結されている(すなわち貫通幌付きの1000番台が見られる)機会は相対的に少ないように思います。
普段1000番台は山陰線基準で上り向きに連結されていることのほうが多いような気がするのですが・・・。向きが固定されているようないないような。
ただそれだけの大したことのない話ではありますが、ずっと以前から気になっていたもので。
以下、その2に続く・・・。
前回の帰省した時の話の続きです。
これは1月3日のことですが、ある人に後藤工場にまだ「ゆうゆうサロン岡山」の12系などの廃車車両が解体されずに留置されているという話をたまたま教えてもらったので、どんなものかと思い後藤まで見物に行ってきました。
後藤駅のホームから望遠で車両所の中を覗いてみると、「ゆうゆうサロン岡山」だけでなくDD51や昨年の一時期に「こうのとり」で使用された日根野区の381系が留置されていました。
381系はもう既にガラスやライト類などが取り外されてほぼ車体だけの状態に見えますが、DD51や12系はまだ外観的に変化はなさそうです。
右のクハ381ですが、特急シンボルマークがないと東日本の183・189系のように見えますね。
手前のAU13クーラーはキハ65、あるいはキセに出っ張りのあるタイプはキハ181系のものでしょうか・・・。
境線側の側線群には展望車と中間車が1輌ずつ。こちらもぱっと見変化はなさそうな・・・。
「ゆうゆうサロン岡山」は昨年の9月か10月ごろに後藤に廃車回送されてきたはずですが(おろち号用のDE15との組み合わせが話題に?)、エーデルや「ほのぼのSUN-IN」など今までの例にもある通りやはり解体着手までには諸事情あって時間がかかるのでしょうかね。
どうせなら展望車1両くらいは津山の扇形庫に保管してほしいですが・・・。
こちらは工場脇の公道からDD51。ナンバーは下関所属のDD51 844でした。
JR西日本が保有するDD51で唯一の800番台車でしたが、昨年9月に宮原からDD51 1043が転属してきたために玉突きで廃車となったようです。
旅客運用では「SLやまぐち」などでアシスト役、時には蒸機の代走として活躍することが(たぶん)多かった844号機ですが、このときは最初の写真の通り「ゆうゆうサロン岡山」の中間車2両と連結した状態で留置中でした。工場内の入換の都合でこうなっているのでしょうが、もしかするとかつての活躍を偲んでのちょっとした演出?
そういえばTOMIXのDD51重連形(B寒地仕様)におまけ的に844のナンバーとやまぐち号のヘッドマークが収録されていますね。ただしプロトタイプが異なるため、実はそのままでは使えないというオチが付きますが・・・。
車体の形態的にはたしかKATOの800番台が適合するはずです。
実車をちょっと観察してみると、屋根上に乗った無線アンテナ、タブレット関連装備のないキャブ側面、3分割タイプのラジエターカバー、正面手すりの朱色塗りのSGホース掛け・ジャンパ栓受けなど、近年の後藤のDD51では見られない特徴がありました。
後藤で一通り廃車車両を観察し終えた後は、米子から特急に乗って鳥取に帰りました。
自由席の最前列が空いていたので前面展望を楽しむことができましたが、ふと気付いたのは線路周りの草や灌木がきれいに刈り払われていたこと。
倉吉より東の区間では線路脇に加えてトンネル坑口の上までも刈り払いがなされており、これがお召し列車が走った名残かと思いました。
さて鳥取に到着すると、ホーム向かいののりばには何やらやたら派手派手しい車両が。
正体は山陰海岸ジオパークPRのために全面ラッピングされたキハ126-11・1011でした。
基本的には共通運用で「山陰海岸ジオライナー」にも運用されるのでしょうが、このときは西出雲行きの「とっとりライナー」に充当。ジオパークとは真逆の方向かつ通常運用上一番遠いところまで行ってしまうという結果に(笑)
これも狙ったわけではなく偶然見られたのでラッキーでした。
前面も普段見慣れたブラックフェイスに赤帯のデザインとはイメージが一変しています。
ステッカーの波模様からして今の鬼太郎列車シリーズに何となく印象が似ているような。
キハ126系の車体ラッピングは過去にもスポレクのPR(トリピーのデザイン)として行われたことがありましたが、フルラッピングはこれが初めてではないでしょうか。
これだけ大きな車体に歪みなく一様にステッカーを張り付けるのは、さぞ大変な作業だろうと思います。
今年の春ごろには北栄町つながりで「名探偵コナン」のラッピング車が山陰線に出現するらしいですが、果たしてどんなデザインになることやら。
最後に、
鳥取駅前の地下道で見かけたポスター。
山陰線開通100周年ということで、鳥取県立博物館で企画展が開かれるそうです。
会期的に行けそうもないと思っていたところ、今年の大学鉄研の冬合宿が天橋立と湯村温泉(近所・・・)で行われるそうなので、その行きか帰りついでに寄ってみようかと思います。
さらについでに「ビクトリーはくと」も見ておくかなぁ・・・。