いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

9/5 思い立ったが吉日・レールパークと飯田線(その3)

2009年09月24日 | ぐだぐだ旅行記

レールパークと飯田線(その2)からの続き

今日で学校の夏休みも終了。明日からはまた授業が始まります。しかも初っ端から実験の授業とは、非常に気が進みません。
贅沢なもので、夏休みも長いと新学期に対するモチベーションもなかなか上がらないままにだらだらと過ごしてしまいます。

さて、中部天竜駅を離れて向かった先は

駅北方にある天竜川橋梁。
見ての通り、保線用の通路が公道として使用されており、歩いて渡ることができます。こんなところはなかなかないと思いますが、この通路、線路との間隔が狭く手を伸ばせば届きそうなくらいなので、列車が来ていない時に通ったほうが無難です。

この橋は谷を跨ぐ高い鉄橋で、下の川面のほうを見るとかつて並行する位置にかかっていた旧線の鉄橋の橋脚跡が見えます。

橋の先には電源開発の佐久間発電所があり、さまざまな施設や鉄塔が配置されているのが見え、まるで要塞のようです。実際、ここには送電線がいたるところから山を越えてやってきており、近くには周波数変換所もあることから、日本の東西の電気の要となっています。
ちなみにここにも旧線の橋脚跡が見えますが、旧線の線形はこのまま発電所の敷地の中を通り、トンネルに潜るものだったようです。で、トンネルをくぐった先は・・・、水の底です。この旧線は佐久間ダム建設により水没していたのでした。

佐久間ダムから流れ落ちてきた発電用水。このまま川に放水されることなくまたトンネルに潜り次の発電所に行くようです。現地で見た時は渦巻く水と轟く音ですごい迫力でした。

さて、次の列車の時間になったので中部天竜駅に戻ります。このまま飯田線を北上する人はそんなにいないだろうと思っていたら、おっとどっこい、駅のホームにあふれんばかりの乗客が並んでいました。結局座れるはずもなく、天竜峡駅まで1時間半近く立ち続ける羽目に。乗った車両が119系のトップナンバーだったり、途中「渡らずの鉄橋」で有名な第六水窪川橋梁とその旧線を見たりしましたが、早起きしすぎたせいかその分疲れがたまっていて、あまり興味が湧きませんでした。

天竜峡駅では乗って来た車両がそのまま次の列車に。さすがにここで席が空いたのでやっと座ることができました。とはいえ車窓を楽しむことなく、終点までずっと寝ていましたが。

そしてまた3時間余り、終点の上諏訪駅に到着。
ちょうどこの日は花火大会だったようです。

という訳で臨時列車用として出張中のE233系を見ることができました。
列車から降りてくる人の波がすごいです。

この後は某友人が大好きな115系の「山スカ」に乗り、高尾でE233系に乗り換え。
早起きのために電車の中では爆睡してしまい、高尾駅では危うく電車ごと留置線に回送されてしまうところでした(^^;)
立川で南武線に乗り換える予定でしたが、また爆睡。そのまま東京まで寝過してしまいました。

東京駅ではたまたまムーンライトながらの189系が止まっていました。定期列車だった時は下り列車の最終だったと思うのですが、臨時になってからは発車時刻が早くなったようです。
なんか特急シンボルマークがないと間延びした顔ですねえ。

このあとは東海道線~川崎~南武線と乗車、やっとこさ帰宅しました。

始発から最終まで、まさに一日をフルに使った18きっぷ旅行となりました。
さすがに飯田線全線乗車は疲れますね(^^;)

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9/5 思い立ったが吉日・レールパークと飯田線(その2)

2009年09月23日 | ぐだぐだ旅行記

レールパークと飯田線(その1)からの続き

えー、またもやの更新停滞すみません。当ブログは私いなば路快速のマイペース更新でやっておりますので、どうかご容赦くださいませm(_ _)m
もはや快速どころか鈍行以下のペースですが(- -;)

さて、いまさらですがその1の続き、レールパークの中へ入っていきます。

やはり、どことなく「さよなら」ムードが漂っているような気がしますね・・・
おっと、その前に

この車両も忘れずに。登場時の塗装に復元された119系です。クモユニ147形改造のクモハ123形がまだ残っていれば、同じ飯田線カラーに復元して119系と併結運転してほしかったなあと思うのは・・・、自分だけでしょうね(^^;)
やはり117系と同じく、国鉄色に復元ということは119系も引退フラグなのでしょうか。

そして入場。一通り展示車両の写真は撮影しましたが、特に自分が気になった写真をピックアップして掲載していきます。

クハ111-1。ヘッドライトが大きな原型タイプです。特別に車両の中にも入れましたが、やはり非冷房車は暑かったです。しかしこの「暑さ」も今や贅沢もの?
ところで某H島・S関地区ではこの車より数年若いだけのクハ111やクハ115がいまだに現役なんですけどね・・・(笑)、でもそんなH島・S関地区が自分はお気に入りです。

続いて

近代気動車の礎、キハ17系のキハ10形。現地では旧称号で車番が描かれていました。現車は気動車旧標準色に塗装されていますが、個人的には首都圏色のキハ10系を見てみたいです。
いやはや、贅沢ですよね(^^;)

今度は

飯田線の「アトム機関車」、ED62形。ED61形に中間一軸台車を追加した機関車で、十数年前まで飯田線でセメントや石油のタンク車を牽いていたらしいです。
 
で、件の中間一軸台車・TR109形台車。昔から気になっていましたが、こんな構造だったんですねえ。

そして

ダブルルーフの姿を今に伝える、スエ30形。車端部のアンチクライマーが渋いです。
 
これまた古めかしいイコライザー付きのTR11形台車。台車枠にはなんと「ヤワタ」の文字が。あの八幡製鉄所製とは、時代を感じさせてくれます。

で、こちらは床下。魚腹型台枠の様子がよくわかります。屋外展示なので床下も明るい状況で観察でき、いろいろと興味深い発見があります。
まああまり危なくない程度にではありますが。

お次は

緊急時に出動するクレーン車、ソ80形を後ろから。一応貨車の分類ですが、何と微速ながら自走もできるらしいです。
 
クレーンアームを前から。ものすごい迫力です。おっと、お供のチキ6000形も忘れずに。控車代用ではあるものの、このような汎用長物車も今では珍しいのではないでしょうか?

そしてきました。今日の本命。




キハ181系特急型気動車・キハ181形のトップナンバーキハ181-1。わざわざ四国で引退した当車をここまで持ってきたそうです。
それにしても国鉄色はかっこいいですね。つい数年前までは山陰地方でも国鉄色のキハ181系は健在でしたが、現在は京都総合車両所の塗装変更された車両しか残っていません。その車両たちも近いうちに新型車に置き換えられてしまいます。
という訳で友情出演を。

現役車はそれはそれで保存車にはない良さがあります。
 
山陰特急の「おき」「くにびき」「いなば」で走っていた頃が懐かしいです・・・

このほかにも、

「おいらん車」こと建築限界測定車のオヤ31形や、

実は153系唯一の保存車らしい教習車のクヤ165形など、
これはこれで貴重な車両が並びます。

さらには
 
床下の車軸発電機など、誰も気にしないような部品も観察しました。特にオハフ33形のものは発電機のベルトまで残っており、感動しました。
やや、車軸発電機を見て喜ぶ大学生なんてどこにもいないでしょうね(^^;)

このほかにも何両かの旧客・旧型国電を見学したのち、資料館にも入ってみました。ここには目から鱗の貴重な資料品が多数収蔵されています。しかし、クーラーが利いているのはいいのですが、みんな考えることは同じなのか、人が多いです。
そして、ここにもネタなものが・・・


東海型車両の先頭部。初見でこれが分かる人は相当な「通」ですが、この先頭部、身延線用の車体更新旧型国電、クハ66型のものでした。新型国電にはない、まあるい角の幌枠がチャームポイント。何の因果かシミュレーター用の先頭部として余生を送っていますが、103系3000番台亡き今、旧型国電の更新車体という意味では非常に貴重(?)なものです。
さすがにこれまでもJR東海博物館に収蔵・・・、されませんよね(^^;)

そういえば、さっきからずっと停まっているこの電車。

この119系、本線上にある営業用車両でありながら走り出す気配がなく、この日においてはこれもレールパークの「展示品」のように思えました。

さて、レールパークも一通り見終わったので、次の電車が来るまでの間、また駅の近くを散歩してみましょう。

以下、その3へ続く・・・

あ゛~、また仕掛ネタが増える(- -;)

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9/10 ふらりと出かけて・西武多摩川線

2009年09月14日 | 日々の出来事

時系列的にあべこべになりつつあるこのブログですが、書いている自分としてはあまり気にせず、とりあえずそのまま進むことにします(^^;)

さて、ある秋晴れの日のこと、せっかくのいい天気だから家にいるのも、ということで昼ご飯を食べた後からふと出かけたくなりました。

そうして南武線に乗り、南多摩駅で下車。

そこから府中街道をしばらく歩き、多摩川にやって来ました。
そこには是政橋という立派な斜張橋がかかっています。

この橋、片側2車線で計4車線、幅広の歩道つきというかなり豪華な橋なのですが、

ご覧のとおり片側2車線分は未供用です。少しもったいないなあと思いましたが、前後の府中街道が十分に整備されていないので橋だけは先にフルで作ったのでしょう。やがて前後の府中街道の改良工事が済んだらここにも車が走るはず。

閑話休題、ここにはこの是政橋と少し離れてJRの多摩川橋梁も並行してかかっています。
というわけで、橋を渡る列車を撮影。

う~ん微妙ですね(^^;)
少し曇ってきてしまいました。まあ、この時間帯ならここは逆光なのですが。
そしてさらに何本か撮影。

EF210+日本石油輸送タキ

EF64更新+日本オイルターミナルタキ

また南武205

少し遠くから撮っているので被写体の列車が模型っぽく見えますね。また、編成がそこそこの長さというのもより模型ちっくな感じです。

さて、撮影後是政橋を渡りやって来たのは

西武鉄道多摩川線・是政駅。
住宅街の中に突如として駅がある感じで、近くを走る府中街道には駅の案内標識はなかったような気がしました。

改札はICカードの読取機はあるものの非自動改札。
いかにも支線の終端駅という感じで、なかなかいい雰囲気です。

ちょうどやって来た旧101系に乗り、とりあえず起点の武蔵境駅へ。

実は今年の春まで西東京市に住んでいたので、西武多摩川線もいつでも乗りに行こうと思えば行けたのですが、結局行かずじまいで引っ越してしまいました。
というわけで今日が初乗車です。「いつでも行ける」という思い込みは怖いですね(^^;)

住宅地や畑、雑木林など武蔵野らしい景色の中を電車は進んでいきます。
12分に1本という列車ダイヤということもあり、路線の長さの割には頻繁に行き違いをする印象がありました。

新小金井駅、行き違いの電車。

是政からおよそ15分ほどで武蔵境駅に到着。このあたりはJR中央線が高架化工事の真っ最中ですが、西武線側は一足先に工事を終えており、きれいな高架駅となっています。

微妙に懐かしい武蔵境駅前、イトーヨーカドーのある南口側から。

線路はここで終点となっていますが、昔はさらに西武新宿線の武蔵関まで路線延長する計画があったらしく、もしそうなっていたなら多摩川線はどうなっていたことやら。今となってはもうそんなことはないと思いますが・・・

今度はその反対側、是政方を望みます。
高架化されても中央線との連絡線がそのまま設置されています。ここの工事が完了したらこの線路を通して101系置き換え車が多摩川線に入ってくるのでしょうか。
左は4番線ホームに続く線路ですが、今は使われていません。現状の12分ヘッドダイヤならこの線路は不要なはずで、何のために敷かれているのでしょうか?
ひょっとすると新車搬入時の営業電車の夜間留置用?よく分かりませんが。

その後折り返しの電車に乗り、車両基地のある白糸台へ。

検修庫では4両編成が2両ずつに分割されて検査中でした。車両の妻面が間近に観察できます。

白糸台の車両基地は規模的にも雰囲気的にも模型にぴったりの感じで、こんな車両基地のモジュールレイアウトを作ったら楽しそう・・・、と思いました。


夕方の白糸台の駅舎。ここも住宅街の中に駅がぼんとある感じで、広場になり切れていない駅前広場の周りには数軒の商店と畑、住宅があるのみでした。
少し街歩きをしてみたところ、時間帯のせいでもあるのですが、妙にたそがれた雰囲気の町に感じました。


なぜだか急に切なくなってきたので、この後すぐに電車に乗って帰宅しました。


いつか乗ろうと思っていた路線ではあるので、天気のいい日に乗れたのはよかったと思いました。
個人的に好きな雰囲気の路線なので、またいつか乗りに行くかも!?

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9/12 今日の小ネタ

2009年09月12日 | 日々の出来事

今日は朝から雨の降る一日で、昼前まで寝ていました。
昼ごろに友人のKボーイ君に誘われて大学の学食でお昼ご飯を食べました。

大学の入り口にはいちょう並木が青々と葉を茂らせていて、地面には早くも銀杏がころころと転がっています。
今年もやってきました、銀杏爆弾の季節が・・・
道に落ちた銀杏をせっせと拾ってくれる、「爆弾処理班」の皆さんの活躍に期待します(笑)

昼食後、その場のノリと気分でなぜか東急田園都市線・中央林間へ。二子玉川~中央林間は初乗車区間でした。
で、中央林間から折り返しの電車に乗ろうとしましたが、来る電車は東武車と東京メトロ車ばかり。なかなか東急車がやって来ません。
Kボーイ君と二人で「ここなんてさいたま?」と苦笑してしまいました。

結局東急車は来なかったのでしょうがなく東武30000系の急行に乗車。その直後に東急5000系とすれ違いました(- -;)

とある駅で乗車してきた幼稚園児くらいの男の子が乗っていきなり
この電車扇風機付いてな~い
この男の子の中では「電車」=「扇風機が付いている」という図式があるようです。
う~ん、渋い子供もいるもんですね(^^;)

そして宮崎台で電車を降り、「電車とバスの博物館」にやってきました。自分は何気なく初訪問です。

めでたくNゲージで製品化されることとなった東急玉川線デハ200形。
独特な卵型の車体断面と中間の一軸連接台車が印象的でした。

「あぶないョ!」

東急のドア警戒ステッカーの旧バージョンらしいです。
でも開閉するドアが「あぶない」というよりも下半身露出に見えるクマ君のほうがもっとあb(ry

一時間弱で一通り館内を見学し終え、そのまま電車に乗って家路に就きました。

が、その途中二子玉川で

8500系「伊豆のなつ」編成と遭遇。
さらに自由が丘で東横線では3本しかいない5000系の編成に乗車したりと、今日はいろんな意味で小ネタにあふれた半日でした。

ちなみにこの後はKボーイ君の案内で横浜にあるベイクドドーナツ(油で揚げずに焼き上げたドーナツ、結構おいしかった)のお店に寄り、さらについでに模型屋にも寄り道して帰りました。

ところでこの記事、一度完成した時点でミスって消えてしまい、もう一度書き直しする羽目に。
こういうときって萎えますよね・・・orz

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9/5 思い立ったが吉日・レールパークと飯田線(その1)

2009年09月10日 | ぐだぐだ旅行記

9月に入ると、そろそろ青春18きっぷの有効期間も終わりに近づきます。 
しかしながら手持ちの切符にはまだ1日分余っていて、このまま終わるのももったいないなあということで、前日(9/4)にふと思い立って飯田線に乗りに行くことにしました。
ついでにに今年11月1日閉館の佐久間レールパークにも寄ってきました。
というか本当は飯田線のほうがついd(ry

8月の旅行の時と同じようにまだ夜明け前の新川崎駅からスタート。4時42分発の横須賀線始発列車に乗車します。

減光なしのハイビーム。まぶしい(^^;)
戸塚で東海道線E231系に乗り換えて、さらに熱海で211系に乗り換え。今回は三島駅から豊橋駅まで新幹線で「ワープ」しました。

この日は久しぶりに天気がよく、富士山もご機嫌がよろしいようで、その姿をくっきりと現わしてくれました。


そしてあっという間に豊橋に到着。こだまに乗っていたので途中でのぞみやひかりに何回か追いぬかされましたが、それでも新幹線は速かったです。
豊橋では普段は見ない中京地区の電車をいくつか撮影。
 
 

豊橋からは臨時快速「佐久間レールパーク1号」に乗車。117系での運転でしたが、車体がなんと国鉄色に塗り戻されていました。この辺の情報はノーマークだったので最初見た時には驚きました。

思いっきりやらかしている写真ですが(^^;)

さてこの列車、夏休みももう終わったことだし、あんまり人は乗ってないんじゃないかという甘い読みは見事に外れ、車内は満員。4両編成で指定席2両、自由席2両という半々の編成で、立ち客はみんな自由席の2両側に押し込められました。
117系は車内に吊り革がないので、立ち客が多いこういうときには少々困ります。
車内には子供も多く、混雑など構うことなくあっちへこっちへとはしゃぎまわっています。大人のほうは大人のほうで子供がちょっとぶつかっただけですごむ人がいたりと、大人気ないマニアも一部目につきました。

いかにも臨時列車らしく、定期列車の合間を縫って走るので豊橋を出てしばらくは各交換駅で停車します。停車時間が短くてもドアが開くたびに車内のマニアが先頭部分に押し寄せて撮影会状態。途中10分くらい停まる駅もあるのに、乗り遅れないように注意してほしいものです。
途中の新城駅では長時間停車があったので、ゆっくり車両を観察できました。

国鉄色に復刻された117系。しかしながら床下はグレー塗装のままで、ここだけは「JR東海」なのでした。・・・というか、なんか似たような色合いの車両、この間新山口で見たような気が(笑)
 
 
ヘッドマークは佐久間レールパークで展示されている車両をデザインしたものでした。117系にはヘッドマークステーがないので、特製の金具で取り付け。
それにしても、塗色が国鉄色に復刻されるということは、近いうちに117系が引退するということを何となく示唆しているような気がします。(事実そうらしいのですが)

さて、再び満員の電車の中に戻り、中部天竜駅を目指します。車窓には田園地帯や渓谷など、自然豊かな素晴らしい景色が広がっているのですが、電車内には早くも疲れ切った気だるい空気が充満していました。やはり立ちっぱなしで約1時間半以上乗車というのはきついです(‐‐;)
そんな状況の中、ようやく終点に到着。電車から乗客が一斉に吐き出され、山間の小駅はまるで都会の朝ラッシュ時のごとくに混雑しました。
そして

すぐに大撮影会状態に。さすがに自分はこんな中で写真を撮る気にはなれませんでした。
駅舎内では記念台紙付き入場券を買い求める人で長蛇の列。そんなに焦らなくても、2時間後に並ぶことなく普通に買うことができましたが(^^;)
ちなみにこの入場券、券自体は硬券ではなく普通のマルス券でした。なんだかな~。

そういえば

国鉄色の117系もいいけれど、こっちももっと評価されるべき?
マイクロバス改造の怪しい保線用車と、昔ながらの上屋の残った元貨物ホーム。
この貨物ホームの反対側は、かつてバスの発着場だったらしく、「国鉄バス」とペイントされた文字が残存していました。こういう小さな発見は見ていて楽しいです。

すぐすぐにレールパークに行こうとすると大混雑に巻き込まれそうなので、ある程度落ち着いてから入場することにして、駅前近くを歩いてみることにしました。

駅近くにあった見事な2連アーチとデッキガーダーで構成された橋。
この橋は現在は道路となっているものの、実はかつて鉄道橋だったらしく、中部天竜駅から佐久間ダム建設用のセメント基地までの引き込み線として使用されていたのだそうです。
引き込み線にしてはかなり豪華な見た目の橋で、本線用と言ってもおかしくなさそう。

その橋の上から見た眺め。
9月になったとはいえこの日はかなり暑く、こんな涼しげな景色には癒されます。

さて、駅の混雑もぼちぼち収まってきたようなので、佐久間レールパークへ行くことにしましょう。

以下、その2へ続く・・・

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8/29 富士山麓の貨物列車・岳南鉄道探訪

2009年09月09日 | ぐだぐだ旅行記

夏休み旅行記の途中ですが、自分のヘタクソな書き方のせいか少しグダグダしてきた感があるので、ここで8月末の小旅行のネタを挟みます。今のモチベーションだと夏休み旅行と帰省ネタは書ききるのに結構な時間が掛かるかも知れません(汗)
どうか皆さま、気長にお待ち下さいませm(_ _)m


帰省先の鳥取から帰ってきて最初の週末、大学のK先輩から「青春18きっぷが2回分余ってるんだけど、岳南鉄道に乗りに行かない?」と誘われたので、普通列車を乗り継いで一緒に静岡県は岳南鉄道に行ってきました。

早朝に渋谷駅で待ち合わせ、山手線に乗り品川発の東海道線に乗り換えます。田町電車区から出庫のため臨時ホームからの発車で、電客共用規格の一段低いホームからの乗車が印象的でした。
車内では帰省中の話や今秋以降に発売される鉄道模型の話などで盛り上がり、あっという間に熱海に到着。やはり一人よりも話し相手がいるほうが気が楽です。
そして熱海で313系+211系に乗り換え、やって来ました吉原駅。さっそくDE10と数両の青ワムことワム380000形が目に入ってきました。普段はなかなか見かけないワムに、早くもテンションが上がってきます。

DE10とワムを撮影した後はそのまま連絡通路を通って岳南鉄道の吉原駅へ。
JRで着いたときに接続していた列車は行ってしまったので次を待ちます。
乗車券は土日限定のフリー切符を買いましたが、これは6種類の絵柄から選べる硬券で、自分はED402形の写真が入ったものを買いました。

駅構内をしばらく観察。キノコ型というか、独特な曲線を描いたホーム上屋がユニークです。声がよく反響します(笑)

やがて次の電車がやってきました。元京王3000系中間車を両運転台化改造した車両で、前面は種車のものに準じています。でもぱっと見何か足りないと思ったら、前面方向幕が設置されておらず、代わりに運転室内に設置されているのでした。

まずは全線乗り通し、終点の岳南江尾へ。この日はそこそこいい天気でしたが、富士山はご機嫌斜めだったようで、雲に隠れて見えませんでした。
30分ほどで到着。駅舎正面の壁にあるレトロな切り抜き文字には、岳南江尾「驛」とありました。

反対方向の列車はすぐの発車で、とんぼ返りで今度は比奈駅へ向かいました。
乗車した電車は同じく元京王3000系2連、緑色の前面でした。トレインマーク(?)には「がくちゃん かぐや富士」とかぐや姫のイラストが。
そういえばこれらの電車内には富士急ハイランドの割引券が置いてありました。岳南鉄道は富士急行グループで、地方鉄道の傘下の地方鉄道も珍しいような気がします。


比奈駅では地元の人向けの機関車のミニ見学会を行っていて、親子連れや鉄道ファンでちょっとしたにぎわいを見せていました。



ぶどう色のED402と、製紙会社スポンサー塗装のED403。
ED402のほうは事前に申し込みをした人を乗せて駅構内の線路を往復していました。動いている電機に乗せてもらえるなんて、うらやましい~(笑)
ED403のほうは申し込みなしでもその場で乗せてもらえたので、お言葉に甘えて運転台を見学させてもらいました。
この他にも、比奈駅には

ずらっと並んだワムの「さんぱち君」がいたり、

最近数が減ってきたコキ50000がいたりと、
貨物好きの鉄道ファンにとっては心躍る場所となっていました。
茶ワムがいないとか、コンテナがえんじ色ばっかとか贅沢は言ってられません(^^;)

比奈駅からすぐの場所には、

 
 
こんな「トワイライトゾ~ン」もありました。今となっては役目を終えた、岳南の旧型車たち。どうやら倉庫として利用されている(いた)ようです。

ここでいったん比奈駅を離れ、ひとつ次の岳南富士岡駅へ。
岳南富士岡駅には小さな検修庫があって、思わず模型化したくなるような好ましいスタイルです。

本線とは張り具合の違う微妙にたるんだよれよれのトロリ線も何とも言えません。
さて、この駅には

古豪の電機・ED29形や、

もと名鉄のデキ501が停まっていました。
残念ながらED29のほうは車籍はあるものの機器を抜かれており自走はできないらしいのですが、デキ501は今でも運用に入ることがあるらしいです。この凸形電機がワムを連ねて走るところを見てみたい!

昼下がりの駅のホームには、名前を忘れましたが電車と同じオレンジ色の可憐な花がぽつぽつと咲いていました。

そしてそろそろお腹の空いた頃、岳南富士岡駅を後にして今度は吉原本町駅で下車。商店街をしばらく歩いたところにある食堂で、ご当地B級グルメ、「富士味噌焼きそば」なるものを頂きました。

文字通り味噌がベースの焼きそばなのですが、お店の人曰く味噌ベースの出汁には相当なこだわりを持って作られているそうで、魚介類の深い味わいが感じられる一品でした。地元近海で獲れた桜えびやしらすが入っているのもGOOD。ある程度食べたら今度は半熟玉子とガーリックチップと混ぜ合わせて食べるのも独特で、自分は「ニンニクましまし」よろしくガーリックチップを多めに入れました(笑)

さて、地元の料理でお腹も膨れたところで再び比奈駅へ向かいます。そろそろ駅の人たちの昼休みも終わり、ぼちぼち貨車の入れ替え作業が始まる時間なのでした。

 しばらくすると駅に停めてあったED402のデッキに誘導員が乗り入れ替えが始まりましたが、ワムが止めてある線路を何往復かしただけでいったん終わり。

またしばらくして、吉原方からED403がワム×1+コキ×4を牽引といういかにも模型的な編成でやってきました。いったん停車の後、さらに岳南富士岡方に引き上げ。踏切をまたいだ線路の上で停車しました。

すると今度はまた車両がこちらに向かってやってきます。でも、機関車は動いていないように見えました・・・?

なんとコキ3両が突放されてこちらにやって来ました。(分かりづらい写真ですみません)
岳南鉄道ではいま時では珍しく突放で貨車の入れ替えを行っていたのでした。そのため、コンテナ車も手ブレーキが側面にあるコキ100系(突放禁止・除コキ107形)ではなくデッキ上にあるコキ50000系が用いられています。
この突放作業の光景には思わず心が熱くなりました。まさにアツイ!

そして、誘導員の方の華麗なる手ブレーキハンドルさばきにより、3両のコキは所定の位置に停車ました。ちなみに最後尾のコキのデッキに乗っている係員は走って来たコキに並走して飛び乗っていました。まさに昔ながらの突放の光景とは言え、非常に危険な作業です。
次いで残り1両のコキも突放でED402の停まっている線路にやってきました。

(動画からキャプチャーした画像です)
こちらも見事なブレーキハンドルさばきでED402にジャストで連結。
最後にED403に押されてワムがコキ3両のいる線路に留置され、突放による一連の入れ替えは終了。

その後は比奈駅でのこまごまとした入れ替え作業を見学しながら時間をつぶした後、夕方の吉原の街をぶらついてJRに乗り、沼津で夕食を食べて東京に戻りました。

K先輩と別れて渋谷から東急東横線に乗って帰りましたが、乗った電車が終電。もたもたしていると危うく帰宅できなくなるところでした(^^;)

普段は見られないなかなか興味深いものを見ることができた小旅行でした。

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8/7-8 夏休み旅行3・ありがとうブルートレイン

2009年09月04日 | ぐだぐだ旅行記

8/7「近郊型国電ざんまい」編からの続き

関門トンネルと交直切替セクションを越えて九州に上陸。
門司駅で乗り換えて門司港駅に向かい、そこで大学のK先輩、同期のA君と合流しました。
時刻は20時半近く、こんな時間に門司港駅に来たのはただ単に夜景を楽しむため・・・、ではなく、JR九州が企画したツアー「ありがとうブルートレイン・寝台列車で行く鹿児島の旅」に参加するためでした。
このツアー、応募・抽選の時点で非常に倍率が高かったようですが、幸運にもK先輩が応募したはがきが当選。そのはがきにK先輩と一緒に名前を書いていたA君と自分も参加することとなったのでした。

さて、列車が来るまでの待ち時間の間、参加受付を済ませたり買出しを済ませたりして暇をつぶします。
そして21時14分、列車が門司方からゆっくりと入線してきました。
ホームの上は人が殺到すると思いきや意外と少なく、ツアー参加者がほとんどといった感じでした。実はこのツアーは夏休み中に3回行われるので、撮影機会が多い分人が分散しているのかもしれません。

撮影もそこそこに乗車。ちなみに方向幕は「特急富士 西鹿児島 日豊線経由」となっていて、この期に及んで西鹿児島行きの幕を見られて感激でした。
今夜の宿はED76形電気機関車の次位、6号車のスハネフ15-20。ちょっと大げさですが、生まれて初めて乗る14系15形です。夜行寝台として乗るのはたぶん後にも先にもこれ限りでしょう。

寝台の様子。ぱっと見て24系25形と変わりませんが、床下からかすかに聞こえるエンジン音がこの車両が14系15形だと意識させてくれます。窓辺の小テーブルにはちゃんと「センヌキ」が残っていました。

そして21時35分、汽笛一声、ED76の釣り掛け音も高らかにリバイバルブルートレイン「富士」号は出発しました。出発してしばらくするとハイケンスのセレナーデのチャイムが流れて車内放送が始まります。最近はこのメロディーを聴くことも少なくなりました。驚いたことに、車掌さんが行き先を告げる際、本来の「鹿児島中央」ではなく「西鹿児島」行きと放送してくれました。今となっては存在しない駅名とはいえ、やはり「西鹿児島」のほうが旅情を感じさせてくれます。

小倉から日豊本線に入り、2か所ほど客扱い停車した後は夜の線路をひた走ります。山口から来たという向かいの寝台の人と仲良くなり、しばらく話していると時刻は23時を回り、消灯となりました。せっかくの寝台列車、いつまで起きていても仕方がないので、ここで寝ることとします。

日付が変わって午前1時過ぎ、ふっと眼が覚めると列車は停まっていました。窓の外を見ると大分駅で、時間調整のために運転停車しているようです。何せこの列車、門司港を前夜の21時35分に出発して鹿児島中央に翌朝の10時半ごろ(所要約13時間!)に到着するダイヤとなっているので随所で時間調整の停車をするようになっているのでした。

そうして起きてからしばらくしてまた眼を閉じましたが、うまく寝付けません。不思議な話で、ゆりかごのような感じと言ったら変でしょうか、こういうときは列車が走っていて適度に揺れがあるほうがよく寝付けるようです。
深夜のホームにはこの列車を撮影しに来たのか、数人の鉄道ファンが歩いていました。夜遅いのにお疲れ様といった感じです。ホームの発車案内には「団体専用 鹿児島中央 2:23」と表示されていました。また、列車の中にも同じように眠れないのか、はたまた寝ないのか、眠そうにカメラやらパソコンやらを抱えた人がうろついていました。

そして時間通り2時23分、軽い衝動とともに列車はまた動きだしました。満月に照らされた流れゆく外の夜景を眺めつつ、自分もまたうとうとと眠りにつきました。

次に起きた時には、もう外は明るくなっていてちょうど朝日が昇るころでした。

しかしながら、まだ時刻は5時前後、とりあえずあまり音をたてないようにしばらく寝台に寝転がっていました。
その後だんだんと他の人も起きだしてきたので、顔を洗ったり小声で話をしたりしていましたが、気がつくと宮崎に停車。ここで朝食を積み込みます。
ホームの上では駅長さんらしき人たちが手を振って見送ってくれていました。
南宮崎で485系や719系の姿を見やりつつ、さらに日豊線を南下。
日豊線の宮崎以南にED76の牽引する列車が入るのはいつ頃ぶりなのでしょうか。ひょっとすると団臨で入ったことがあるかもしれませんが、急行日南以来でしょうか。寝台特急となるともう25年以上ぶりかもしれません。(この列車も正確には団臨ですが)

単線区間の臨時列車らしく、にわかに行き違いの停車が多くなってきました。しかも停車時間も結構長めで、ときには普通列車に追い抜かされることもありました。
いい加減少し退屈になって来たころ、朝食の時間となりました。この日の朝食は宮崎の郷土料理ということで、「冷や汁」と「チキン南蛮」が出されました。

というわけで、おいしく頂きました。

その後も列車は走ったり停まったりをくりかえしながら、気がつけば鹿児島県に突入。桜島も遠くに見えてきました。この頃になると沿線にも人が多くなり、カメラマンだけでなく沿線住民の人々も線路沿いに立って手を振る姿も受けられました。

この日は朝から天気が不安定な一日で、曇って雨が降って来たかと思えば快晴になったりと、まさに気まぐれ。桜島がよく見える錦江湾沿いを走るころには残念ながら曇ってきてしまいました。


さて、視界の桜島の手前に建物が増えてくるころには終点・西鹿児島こと鹿児島中央はもうすぐ。
鹿児島駅で貨物用のED76や留置されている475・457系を見やり、そしてわが「富士」号は約13時間の道のりを走り切り、ついに終着駅に到着しました。


列車が止まりドアが開くとまたすぐに撮影大会。それでもやはり人はあまり多くないといった印象でした。
 
写真を撮っていると、はるばると鹿児島にやって来たんだな~という感慨が湧いてきます。
一通り撮影し終えたころ、回送となったブルートレインは発車。
スハネフの床下からの冷却風で地面に積っていた火山灰がもうもうと巻き上げられ、その煙幕の中にテールライトは走り去っていきました・・・

以下、8月8日へ続く・・・

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8/7 夏休み旅行2・近郊型国電ざんまい

2009年09月01日 | ぐだぐだ旅行記

8/6「釣り掛け電車探訪」編からの続き

さて、一夜明け8月7日、この日は朝の播州赤穂からスタートです。
朝2番目の普通列車に乗車します。比較的長距離を走る三原行きで、やって来たのは115系更新車3両+湘南色3両の6両編成。



乗って快適更新車、見つけてうれしい湘南色、さて、どちらに乗るべきか?
まあ長距離乗るなら答えは自明かも知れませんが、ここはあえて湘南色の車両に乗ることにしました。よりによってシートピッチ未拡大車の300番台でしたが。
それでもボックスシートに座りながら移動できるので某オレンジの会社のロングシート車よりも快適なんじゃないかと個人的に思います。
 
さすがに未更新車というだけあって、車内にはどことなく昭和な雰囲気が漂っています。
最近の近郊型車両はだいたい転換クロスシートかロングシートばかりでこのようなボックスシートのある車両も少なくなってきました。これからはこんな窮屈な座席で他人と膝を突き合わせて座る機会も少なかろうという事であえてのチョイスです。
途中備前片上で同和鉱業片上鉄道の痕跡を見つけようと探しましたが、結局見つけられず。長船(だったか)の駅では213系や快速サンライナー運用が激減した117系と出会いました。
そうこうしているうちに自分の座ったボックスも程なく埋まり、岡山に到着。夏休み中といえども朝はやはり込み合うようです。ここで乗客はだいぶ入れ替わりましたが、倉敷あたりまではまだ立ち客がいました。
そして福山、尾道と通り過ぎ、三原に到着。今度は快速徳山行きに乗り換えます。下関所属の瀬戸内カラーの電車がお出迎え。

おや、編成真ん中あたりにに何か怪しい車両が・・・

一見、塗装と前面ガラスの金属押えで更新車っぽく見えますが、分散クーラ、グロベン、非ユニットサッシ窓、怪しげなシールドビーム。室内は未更新、転クロシートではなくてボックスシート。うん、あやしい(笑)
クハ111から115系化改造を受けたクハ115-604でした。後で見てみたらこの車、昭和40年製だというのに検査表記は平成21年、今年検査上がりしたばかりのようです。どおりで床下も含めて小ぎれいなわけです。もう、いっそ見かけだけでなくてこの車両も更新してあげてくれ(笑)
期待はしていましたが、早くも広島支社クオリティを見せつけられました。
ちなみに後ろに連なる残り3両は更新車で、ちゃんと転換クロスシートが入っています。さすがに今回ばかりは更新車のほうに乗りました。

そしてまたしばらく115系に揺られて、やってきたのは岩国。この駅にいるとそれなりの頻度で列車がやってくるので、いろいろな国電(あえて)が見られます。
 
 
 
3000番台、改造車、300番台、0番台、京都から転入の113系、103系などなど・・・
 
おまけに気動車。錦川鉄道の車両がこのあたりで一番新しいのではないでしょうか。広島色のキハ40はその色合いのせいか山陰の首都圏色の車両に比べて汚れが目立つように感じます。

一通り岩国で時間をつぶした後、ふと思い立って宮島へ行くことにしました。という訳で103系に乗って宮島口へ。さすが宮島、世界遺産に指定されているだけあって外国人観光客の姿も多く見られました。

意外と小ぢんまりした感じの宮島口桟橋。隣の広電系の宮島松大フェリーの乗り場はもう少し派手目に作ってありました。青春18きっぷを携え、いざ乗船。青函連絡船や宇高連絡船にも乗ってみたかったのですが、生まれた時期が遅すぎてそれはかないませんでした。

朝はドン曇りだった天気もこのときは快晴。眺めも良く船上を吹きわたる海風が心地よい、片道10分のショートトリップでした。
 
本当は厳島神社に寄りたかったのですが、この後乗る列車の関係で結局宮島の街を歩いただけに終わりました。滞在時間約20分。ここにきても観光要素は0のマニア旅行です(汗)

さて、宮島口駅からまた115系の怪しい先頭車化改造車に乗りさらに西へと向かいます。岩国から先は海沿いを走る場所が多いので車窓からの眺めも良く、山陽本線では一番好きな区間です。

次第に眠くなり、うとうとしているうちに徳山を過ぎ、下松で製造中の新型電車をちらと見て新山口に到着。着いたホームの向かいに乗り換え列車の117系がいたのですが、込んでいたのでパス。次を待つことにしました。
が、しかし、やって来たのは

ロングシートの105系。
さっきの117系は転クロだったのに・・・(涙)。本当にこのあたりはどんな車両が来るかわかりません。
しょうがないのでこれに乗り、終点下関のひとつ前、幡生へ。
この105系、乗ってみると恐ろしい走りっぷりで、限界近い時速100キロ前後ではモーターのうなりとともに激しく揺れ、途中で何回かパンタグラフが架線から離れて瞬間停電を起こしていました。
やはり通勤型設計だからか、高速域の走りの必死さが115系とは違うように感じます。

幡生駅には隣接して下関車両センターがあって、自分がホームから中を見た時には解体待ちのEF66、マニ50の姿があり、14系客車数両が解体されていました。
ムーンライト九州が運転されなくなり、もしやとは思いましたが、やはり・・・。
 
解体線のそばにはぶどう色の17m旧型国電、クモハ11117が留置されていました。特に解体されるわけでもなさそうで、もうずっと長い間この位置にいるようです。
雨ざらしのまま工場の片隅にたたずむ老兵、目の前で次々に解体されていく後輩たちを見て何を想う・・・。

しんみりとした気持ちになったのもつかの間、次の列車がやって来たので下関へ向かいます。ここでいったん途中下車、駅近くの銭湯でひと風呂浴びた後夕飯を調達して駅に戻り、415系でいよいよ九州に乗り込みます。

こうして近郊型国電ざんまいだったこの日は終わり、いよいよこの旅のメインイベントに臨むべく関門トンネルをくぐり門司港駅へ向かいます。

以下、「ありがとうブルートレイン」編に続く・・・

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