さて、時は少しさかのぼって9月中旬、夏休みもそろそろ終わりに近づいた頃ですが、それでも家でずっと過ごしているのも何なので比較的近くにありながら訪れることのなかった千葉県の久留里線に出かけてきました。
そんなわけで思い立ったが吉日、前の日の晩に行こうと思い立ち、翌朝は早起きして品川駅から東京湾アクアライン経由の木更津行き高速バスに乗車しました。
海を渡ってショートカットするので、京葉線や総武線経由よりも早く木更津駅に到着することができます。
ついでに東京湾アクアラインも初通過です。今まで鳥取から羽田空港に着陸する飛行機の中からは幾度となく眺めてきたのですが・・・。
そうこうしているうちに木更津駅に到着。早速切符を買ってホームに移動します。今回の旅行の目的は久留里線に乗車することもさることながら、JR線ではもうここだけとなったキハ30形に会うことでもありました。
朝の7時21分に出発する上総亀山行きの列車は気動車4両編成で運転のため、おそらくキハ30も1両はいるだろうと踏んで早朝に家を出たのですが、果たして・・・
いました。キハ30形。しかもしょっぱなから先頭が国鉄気動車標準色のキハ30 98とはラッキーです。現在は木更津のキハ30はすべて国鉄気動車標準色となっていますが、このときはまだキハ30 98の1両だけでした。
ちなみにこの4両編成の最後尾はキハ37形でした。米子にいた首都圏色のキハ37 1・1001は残念ながら解体されてしまいましたが、久留里線ではまだ3両の仲間が頑張っています。
ところでこのキハ37形も国鉄時代の登場時の塗装である赤色(首都圏色にあらず)に復元されるのでしょうか?
しばらくして久留里駅を定刻に出発した列車は、途中駅で学生をどんどん乗せながら走っていきます。しかしながら、その学生たちも久留里駅でどっと下車してしまい、4両編成の列車は一気にがら空きになってしまいました。
さて、ここ久留里線で活躍している3両のキハ30形はなんと未だに非冷房車となっており、天井の風洞のない深い丸屋根の形状がよくわかります。吊り皮を支える金属棒の金具の形状もどことなくレトロ感が漂います。
前述の通り冷房がないので、少し窓を開けて外の空気を入れておかないと車内が「むわっ」とします。
キハ30系で特徴的な外吊りドア。車内から見るとこんな形状になっていたのですね。
さらにそのドア近くに取り付けられている半自動ドアスイッチ。八高・相模線時代の名残かと思いますが、これは今でも使っているのでしょうか?
ボタンの形状も何となくちゃちで、古さを感じさせます。
列車は房総半島らしいなだらかな丘陵地の中を右へ左へと進んでいきます。
それにしても久留里線の線路は猛烈に草生しています。夏場だったからかもしれませんが、これでもしもレールが錆びついていたら、なんだか廃線跡のような雰囲気です。
やがて列車は終点の上総亀山駅に到着しました。上総亀山はホームの有効長が短いので、4両編成の列車は盛大にはみ出して止まっています。
見た限りでは駅の周りにはこれといって特に何もなさそうで、住宅や田畑があるだけののどかな「村の駅」といった感じです。線路際には何本か桜の木が植えてあり時期が来れば美しい景色が広がることでしょう。
小ぢんまりとした駅舎や、比較的狭い敷地に数本の線路が並ぶさまはいかにも模型的な終着駅の光景です。
駅の近所にはコスモスの花が咲いていました。
しばらくして折り返し列車の発車時刻となったので、ここからひと駅乗り、隣の上総松丘駅で下車しました。
駅前を走る国道を上総亀山方面にてくてく歩いて行き、しばらくすると線路を渡り越している個所に出てきます。もっとも、渡り越しているというよりは線路の上の細い尾根筋の上に国道がつくってあると言ったほうが正しいのですが。
ここの個所は国道でありながら道幅がたいへん狭く、軽自動車同士でもすれ違いが困難なほどです。また、路肩も弱いようで、行き違いで変に路肩に寄ってしまうとその部分が崩れてしまうかもしれません。
おそらく国道の車道としては全国トップクラスの狭さではないかと思います。
ちなみに近くにはこんな素掘りの隧道もあります。なんでもこの隧道、現役の国道隧道としては日本で2番目に古いのだとか・・・。ちなみに房総半島は地質が比較的安定しているのか、素掘りの隧道があるのは珍しくないそうです。
さて、しばらくして上総亀山行きの列車がやってきたので、先ほどの場所で写真を撮影。
写真の出来はともかく、いい撮影ポイントだと思います。
その後は辺りを散歩したり別の列車を撮影したりして時間をつぶし、上総松丘駅から木更津駅に戻りました。
途中の交換駅ではタブレットの交換も見られました。腕木式信号機こそないものの、久留里線は今でもタブレットによる閉そく方式を採用している貴重な線区です。
東京や千葉からさほど離れていない場所で非自動閉そく方式が堅持されているのもなんとなく不思議な感じがしますが・・・。
木更津の駅そば屋で軽く昼食を取った後、駅の周りを適当に散歩したり、車両基地をのぞいたりしてさらに時間をつぶします。
久留里線色のキハ30形。今ではもう見られなくなってしまいました。車両の塗装が国鉄色に復元されるのはうれしいと思う一方、他方ではこうした地域カラーが消えていってしまうのもちょっぴり寂しいような気がします。
房総色の209系。今ではもう運用を開始して各所でその姿が見られますが、このときはまだ運用開始前でした。どうやら乗務員訓練を行っていたようです。
キハ37とキハ30。いずれは久留里線にも新型車両が入ってくるのでしょうか。そのことについては賛成も反対もしませんが。
そしてそろそろ日が傾いてきたころ、昼間は車庫で寝ていた国鉄色のキハ30が動き出したので駅近くの陸橋から撮影しました。
この一枚を撮影したところで久留里線の旅を終了、木更津駅前から出る東京湾アクアライン経由の品川行き高速バスに乗って帰宅の途につきました。
例によって早起きがたたってバスの中では爆睡してしまいました(笑)
お座敷列車を訪ねて(その4)からの続き
遅れていた「サンライズ出雲」の接続を受け、わが「ありがとうお座敷ほのぼのSUN-IN1号」も約40分弱の遅れで出雲市駅を出発しました。
西出雲駅で「通勤ライナー」で使用するためだけに京都から借り入れた113系をちらりと見て、列車は西へと進んでいきます。
しかしながら単線区間の悲しさで、行き違い設備のある駅ごとに交換待ちで停車していきます。臨時列車ではよくあることですが、今回は遅れをもって運転しており、元のダイヤとはほぼ関係なしに定期列車の隙間を縫って走っていくのでなおさらです。
そんなわけで、自分は時刻表を見てどこの駅でどの列車と行き違うかを考えながら車窓を楽しんでいました(笑)
その車窓ですが、出雲市駅で降っていた通り雨も上がってきれいな秋晴れの空となり、風光明媚な景色が広がります。
海岸線近くを走るこのあたりでは、同じ山陰本線でも鳥取付近とはまた違った趣が感じられます。
さて、そうこうしているうちに時刻も12時を回り、そろそろお腹が空いてきました。というわけで、午前中に松江駅で購入した駅弁の包みを開きます。
「蟹としじみのもぐり寿し」。境港水揚げのズワイガニの身としじみを具材に用いた山陰らしい内容の弁当です。「もぐり寿し」の名の通りにすしめしの中にもカニやしじみが混ぜられていて、程よい酢加減もあっておいしくいただくことができました。
お座敷列車に乗って風光明媚な車窓を眺めつつ、駅弁を味わう…。いやはや、なんという贅沢でしょう。
ちなみに写真に写っているミネラルウォーターの採水地は鳥取の大山山麓とのことで、これもさりげなく「じげ」の産品です(笑)
その後、乗車券・指定席券の検札と共に「ほのぼのSUN-IN」の引退記念乗車証が配布されました。
本当はもっと走ってほしかったのですが、時代の変化と寄る年波にはどうすることもできず・・・。
記念乗車券を受け取った後、弁当を食べてお腹が膨らんだせいか少し眠くなってきました。相変わらず天気も良く車内も少しずつポカポカしてきます。
ほかの乗客は車窓を楽しんだり、乗り心地を味わったり、あるいは車内のディテール撮影に動きまわったりと、思い思いに過ごしています。
そうしてちょっとうとうとしていると、やがて列車は終着駅、三保三隅に到着しました。結局のところ遅れたダイヤは回復しませんでしたが、停車時間に余裕を取ってあったために、折り返しの「ありがとうお座敷ほのぼのSUN-IN2号」は定時で発車できそうです。
ただしその分停車時間は短めで、あまり写真を撮影する時間的余裕はありませんでしたが(--;)
このキロ59・29ですが、先頭部が同じ塗りわけでも、平窓・パノラミックウインドウ、幌あり・幌なしで表情に変化が出ているのが面白いです。
小学生のころに、鳥取から益田までキハ58系の快速「とっとりライナー」「石見ライナー」に乗車したことを思い出します。あのころは当たり前だった山陰のキハ58系も、もはやこの「ほのぼのSUN-IN」のキロ59 551・キロ29 551が最後となり、そしてその2両も引退してしまいました・・・。
さて、三保三隅駅を発車した折り返しの「ありがとうお座敷ほのぼのSUN-IN2号」は、特に遅延することもなく終点の江津駅に到着しました。
この後三江線の列車が同じ3番のりばに到着するため、「ほのぼのSUN-IN」はいったん幡生方にある引き上げ線に移動します。
程なくして、3番のりばに三江線の列車が到着しました。偶然にも津山鉄道部から浜田鉄道部に貸し出し中のキハ120 357が運用に入っており、2色のキハ120の並びを見ることができました。
そして津山色のキハ120が折り返して行った後、浜田への回送のために再び「ほのぼのSUN-IN」が3番のりばに入線します。
しばらくして出発信号が進行現示に変わると、ややたそがれた秋晴れの空に紫煙を噴き上げて、DMH17Hエンジンの唸りも高らかに「ほのぼのSUN-IN」は浜田駅に向かって走り去って行きました・・・。
さて、「ほのぼのSUN-IN」を見送った後は自分もキハ187の特急「スーパーまつかぜ」に乗って鳥取へ帰りました。さすが振り子特急だけあって、曲線区間でも高速で通過していきます。
自由席車の最前部に座って全面展望を楽しんでいたつもりがいつの間にやら眠ってしまい、気がついたら湖山駅を通過したところでした。
お座敷列車とキハ58系、どちらも普段はなかなか乗車する機会がありませんが、今回の旅行はそのどちらも楽しむことができ良い思い出となりました。
それと同時に、またふるさとの鉄道から名列車が一つ消えていきました・・・。
P.S.出雲市駅でお会いし、その後江津駅まで付き合ってくださり色々とお話をしてくださった広島の男性の方、ありがとうございました。
近頃は関東地方でもあまりぱっとしない空模様が続いていますが、
この前の日曜日は朝方から天気が良かったこともあり、早起きついでにふらりと出掛けてきました。
最初は特に行先を決めていなかったのですが、そういえば大都市近郊区間が拡大されて房総半島が回れるようになったなあ、
ということで一筆書き大回り乗車で房総半島を一周することにしました。
都内某駅から色々と列車を乗り継ぎ、大網駅で東金線から外房線に乗り換え。
やってきた列車は湘南色の113系6連で、次いで勝浦駅からは横須賀色の113系に乗車しました。
その次の乗り換えの安房鴨川駅ではロングシートの211系3000番台に当たってしまいました。しかもこういう時に限って千葉行きというロングラン運用。
思わずため息をつきましたが、うだうだ言ってもしょうがないので乗車しました。
それでも車窓から見た景色には菜の花や梅の花が咲いていたりと、何となくひと足早い春の訪れを感じさせる雰囲気で心が和みました。
そのうちうとうと居眠りをしているうちに蘇我駅に到着。ここで京葉線の快速に乗り換えましたが、乗り換え待ちの間にさっき乗車した湘南色の113系がまたやって来ました。
千葉の113系もあと数年すれば置き換えられているでしょうから、そのうち乗車・撮影にたくさんの鉄道ファンが訪れるようになるのでしょうね。
その後京葉線の快速電車の車中より201系の各駅停車を追い抜いたのを見たので、某駅で電車をいったん降りて撮影しました。
後はそのまま帰宅、一筆書き経路のためにJR線の運賃は160円だけで済みました。
普段は大学が忙しくなかなかこんな機会はないのですが、この日は久しぶりに列車に揺られてのんびり旅をする楽しさを味わいました。
大回り乗車なので途中下車できないのが痛いところではありますが・・・。
(2015年追記)
この頃は房総地区の113系や京葉線の201系が完全に置き換えられる1年と数ヶ月くらい前のことだったと思います。
これらの車両に加えて211系も房総地区からは撤退し信州地区へと活躍の場を移しましたが、
今思えば房総色の211系の姿も記録しておけばよかった・・・(汗)