いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(あらまし編)

2019年02月10日 | 日々の出来事

○『鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし』シリーズ記事一覧

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(あらまし編)←現在地

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察1:線路まわり編)→こちら

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察2:機器類展示コーナー編)→こちら

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察3:地上駅再現ホーム編)→準備中


  • 「鳥取鉄道記念物公園」のあらまし

JR鳥取駅南口から山白川という小さな川に沿っておよそ徒歩5分ほど、住宅やマンション、鳥取市役所駅南庁舎といった施設が立ち並ぶ一角に、その名も「鳥取鉄道記念物公園」という、なにやら仰々しい名前の公園があります。
写真右側奥の木々がうっそうと茂った一角がそれです。


Googleマップだと鳥取駅南口付近のこのあたりになります。

山白川に面した正面入口には踏切警報機(×字形の踏切警標・クロスマークは失われている)が鎮座し、レンガ積みを模した土台には公園名を記した銘板が設置されています。
「鳥取(機関車の絵)鉄道記念物公園」の切り抜き文字が取り付けられた緑色の門柱もなにやら意味ありげです。

この公園には別の入口もあり、南側の入口には正面同様のスタイルで設置された公園名の銘板やポイント切り替え用のレバー(おもり付転換器)と、やはり緑色に塗られた柱(機関車の正面が描かれた板付き)があります。

また、駅に近い北側の入口には鉄道部品のモニュメントはありませんが、公衆トイレの建物に沿って奥へ進むと踏切が再現された一角が見えます。

正面入口から園内に入ると、砂地の広場と若干のベンチ、そして大きな存在感を放つ再現されたプラットホームとその上屋や付属物が目に付きます。

昔ながらの客車用の低いホームに、古レールを利用した上屋が設けられています。
柱や屋根裏はアイボリーっぽい色で塗られていますが、ややくたびれた雰囲気です。
ホームの下には線路も敷かれています。公園の広さ相応の1面1線(?)の短いホームです。

ホーム付近から線路の伸びている方向を向くと、片開きの分岐器やいくつかの信号機、さらに前述の踏切や線路周辺に関連する機器類が展示されたコーナー(写真左奥)があります。

また、目立ちませんが線路の北側の終端である車止め付近にも入口があり、ここからは腕木式信号機や踏切越しに伸びる線路、ホームなどが見えます。

以上がこの公園の見たところのあらましといったところでしょうか。
地図読みでだいたい50m四方、街中の小さな公園といった感じですが、やはり公園内に線路が敷かれ駅のホームや踏切があるインパクトは大きいです。

ただし、見ての通りこの手の公園につきものの機関車や客貨車といった保存車両の姿はありません。
まあ、見かたによってはここは鉄道施設の再現に特化した公園という、ある意味マニアックで鉄分の濃いぃスポットともいえるでしょう(笑)

しかしこの公園は鳥取駅から近いながらも割と静かな場所で、どこか鉄道ファンやマニアの人々からも忘れられているような、なんとなくひっそり、寂寞とした雰囲気が漂っていたのでした。
(写真を撮影したのが8月のお昼前後だったので、単に暑くて誰も外出していないせいもありそうですが)

  • 「鳥取鉄道記念物公園」開設のいきさつ

さて、この「鳥取鉄道記念物公園」ですが、確かにそれっぽい展示物がいくつも見られる割にはこれらが結局どういう意味を持った「鉄道」の「記念物」なのかという解説が現地にないので、敷地の中に途切れた線路のある、ぱっと見だとある意味謎の公園ではあります。
なぜ、駅のホームや線路がこれほどの規模で再現されているのでしょうか?

(2020年4月追記:公園開設の経緯や展示物の名称を記した案内板が設置されました→内容に関してはこちら)

(2023年10月追記:一部の展示物に新たに名称や概要を記した説明板が設置されました→こちら)

筆者自身にとっては幼少の頃から慣れ親しんだ公園であり、一般に「鉄道公園」とよく呼ばれるくらいには街の人々にも馴染みのある公園ではあると思うのですが、自分が子供の頃は「ホームや線路とか踏切がある公園」という見た目そのままの程度の認識だったので、今回あらためてこの公園について、ここがどういう場所なのかをちょっと調べてみました。

この公園は鳥取市が管理する公園ですから、調べ物をするにも鳥取市の公式ホームページにある検索コーナーから「鉄道記念物公園」「鉄道公園」などとキーワードを入れて検索するのが手っ取り早そうです。
その検索結果の中から、個人的に目に付いたものを以下にピックアップしていきます。

まず『鳥取市公式ウェブサイト:公園』によれば、この公園は正式には都市公園「沢井手公園」という名称だそうです。
つまり、表向きには入口に銘板まで取り付けられてその名をアピールしていながらも、あくまでも「鳥取鉄道記念物公園」は愛称的な位置付けなのでしょう。

また、これに関連して『鳥取市都市公園一覧表』によれば、沢井手公園は昭和43(1968)年4月1日が供用開始の期日(利用開始日)とされており、公園そのものはかなり古くからあることが分かります。

では、沢井手公園は昭和43年の開設時点から現在のような鉄道公園だったのでしょうか?

結論から言うと、沢井手公園が「鳥取鉄道記念物公園」となったのは開設から13年半後、昭和56年(1981)年10月14日のことだそうです。


(画像出典:とっとり市報1981(昭和56)年11月号)

これは過去の『とっとり市報』をPDF化したものが閲覧できる『とっとり市報アーカイブ』内の『とっとり市報1981(昭和56)年11月号』に掲載されていた記事で、記事の内容を引用すると

旧鳥取駅を再現
鉄道記念物公園オープン
旧鳥取駅で使用されていた機械・機器を保存、展示する鳥取鉄道記念物公園が扇町にこのほど完成、鉄道記念日の十月十四日、金田市長や清原延夫・米鉄局長ら関係者ら約二百五十人が出席して開園式が行われました=写真。
同公園は市民の憩いの場であると同時に、鉄道の歴史を知る場ともなるよう、国鉄の協力で旧鳥取駅のプラットホームを再現したほか、各種レール、各種信号機、踏切しゃ断機など三十種約五十点の機器類を展示しています。特に、全国でも珍しい双頭レールを使ったプラットホーム上屋や「鉄道神戸・明四一」の作成年代の刻まれた跨線橋の橋脚柱を使った門柱・照明灯は、貴重なものです。
開園式のテープカット後、園内では行先票、改札ばさみなどの展示即売が行われ、徹夜した鉄道マニアの若者らが殺到し十分あまりで売り切れてしまう大盛況でした。

とあり、この公園は鳥取市が国鉄の協力を得てかなり気合を入れて作ったミニ鉄道博物館的な場所だったことが伺えます。
あの存在感のある大きな屋根の古めかしいホームは、旧鳥取駅(=高架化前、地上時代の鳥取駅)のホームの一部だったのです。


(画像出典:とっとり市報1981(昭和56)年12月号)

なお、『とっとり市報1981(昭和56)年12月号』に掲載されていた「ことしの市政をふり返る」という記事内にも10月に鉄道公園がオープンした旨の内容が書かれています。
やはり、公園の特徴として地上時代の鳥取駅のホームを再現したことや、各種鉄道設備の展示について言及されています。

ただし、これらの記事から察するに公園のコンセプトはあくまで地上時代の鳥取駅の設備の再現や保存にあるのか、機関車や客貨車の展示については言及がありません。
(車両があればそれこそ展示物の目玉的扱いになるでしょう)

施設としてはある程度の長さのレールが敷設されていながらも、おそらくこの公園ではもともと鉄道車両の保存展示はなかったのではないかと考えられます。

ところで、その地上駅だった鳥取駅が新しい高架駅に切り替えられたのは鉄道公園オープンの3年前、昭和53(1978)年11月のことですが、その当時の『とっとり市報』の内容から


(画像出典:とっとり市報昭和53(1978)年12月号)

これは『とっとり市報昭和53(1978)年12月号』に掲載されている高架開通記念特集の座談会記事ですが、
最後の金田市長(当時)のコメントを一部引用すると

駅南に「鉄道公園」
(前略)高架化事業と駅前都市改造事業が完成したら、(中略)旧駅舎の使用しないものなどの諸施設を集めて、駅南に「鉄道公園」のようなものを作りたいと計画しています(後略)

とあり、もともと市長自身の考えとして鳥取駅高架化事業や鳥取駅周辺土地区画整理事業の完成記念として、鉄道公園の建設に意欲を見せていたことが分かります。

現状はともかく、オープン当初の鉄道公園の施設の充実ぶりを上の記事から察するに、高架化より前、長い間鳥取市の玄関口であった地上駅の名残を何とか残しておきたい、という考えがあったのかもしれません。
(これは前述の鉄道公園オープンの記事で「鉄道の歴史を知る場」と書かれているのに関連していそうです)


(高架化された鳥取駅と地上駅跡地に整備された駅前広場の現在、2018年8月)

そして、その高架化事業などがすべて完了したのは、当時の『とっとり市報』によれば、鉄道公園のオープンに先立つこと約半年前、昭和56年(1981)年3月のことだったそうです。

つまり、「鳥取鉄道記念物公園」はこれら一連の鳥取駅を中心とした都市改造事業の完成を記念して、高架化で失われた地上時代の鳥取駅の雰囲気を再現するべく、ちょうど「エキチカ」だった沢井手公園をリニューアルする形で開設された公園ということになるのでしょう。

公園の名前にある「鉄道」の「記念物」とは、再現された地上時代の鳥取駅ホームといった設備や、その周辺で使われていた(とされる)信号機をはじめとした様々な機械・機器といった展示品のことを指しているようです。


(画像出典:とっとり市報1999(平成11)年11月15日号)

ちなみに時代は少し下って、『とっとり市報1999(平成11)年11月15日号』に掲載されている
「シリーズ 公園に行こう⑥ 沢井手公園(鉄道記念物公園)」という記事には、はっきりと沢井手公園に鳥取鉄道記念物公園が開設されたこと、およびその経緯が書かれています。
やはり解説文には「鉄道の歴史を後世に伝えるため」と書いてある通り、かつての地上時代の鳥取駅の雰囲気をこの公園に残しておこうという鉄道公園開設の意図が感じられます。

この記事にはカラー写真5枚で1999年当時の鉄道公園の様子が掲載されており、在りし日の鉄道公園の様子を知るうえでこれらも大変参考になります。

なお、この公園を指して「地上時代の鳥取駅の跡地」とする記述も一部で見られますが、上に掲げた資料の通りここはあくまでも鉄道公園がオープンするまではもともと普通の公園だった場所であり、それまでは駅や機関区などの鉄道施設とは無関係な場所だったのではないかと思います。

さて、これで「鳥取鉄道記念物公園」のあらましと開設についてのいきさつを探る話は終わりです。
正直を言うとネットで調べればこの鉄道公園が鳥取駅の高架化に伴って地上時代の駅を記念して作られた、程度の記述はいくつかヒットするのですが、この記事では裏付けとなる資料を使ってもう少し情報を掘り下げてみた次第です。

次回以降は、この鉄道公園内の展示物を観察したはなしを書いていこうと思います。
展示物観察1:線路まわり編へ

(以下2020年4月追記)

  • 鉄道公園に新しく設置された案内板

上の公園開設のいきさつについて調べた項目の冒頭で『それっぽい展示物がいくつも見られる割にはこれらが結局どういう意味を持った「鉄道」の「記念物」なのかという解説が現地にない』と書きました。

しかしながら2020年の年初に鉄道公園を訪れてみたところ、公園内にある建物に新しい案内板が設置されていることに気がつきました。


(2020年1月撮影)

この記事を最初に書いた2019年前半時点では見られなかったもので、案内板にはこの沢井手公園に鉄道記念物公園が開設された経緯や図面つきで公園内にある展示物の名称が書かれています。
なお、鳥取市の「議員質問対応調書一覧表(平成30年09月議会)」にある「鉄道公園の活用と鉄道の歴史について」という文書によれば、この案内板が設置されたのは2019年の10月のことだそうです。


案内板の左側、公園開設の経緯が書かれている部分の内容を引用すると

沢井手公園(鳥取鉄道記念物公園)
沢井手公園(鳥取鉄道記念物公園)に設置されている鉄道記念物は、昭和53年鳥取駅高架事業の完了に伴い、それまで使用していた鉄道施設の保存を当時の多くの市民の方々の強い要望により、これを展示し、末永く後世に伝えることを目的として設置したものであります。
旧駅舎は全国でも珍しい双頭レールのホーム上屋、ならびに使用年代を刻んだ跨線橋橋脚柱(門柱、照明燈柱に使用)等鉄道の歴史を知る貴重な諸物件を展示しております。

とあります。案内板自体は新しいものですが、書かれている文体はやや古めかしいもので、どことなく鉄道記念物公園がオープンした約40年前の雰囲気を感じさせるような文章です。少なくともこの案内板設置に当たって新たに書き起こされたものではないと思うのですが、何かこの内容が掲載されたオリジナルの資料が存在するのでしょうか?

また、内容については過去のとっとり市報に掲載されている鉄道公園の記事と相違はないようですが、『当時の多くの市民の方々の強い要望』とある部分は初めて目にする内容です。この鉄道公園の設置の背景には、前述した当時の市長の意向だけでなく、市民の手による請願運動のような出来事も存在したのでしょうか?


こちらは案内板の右側、展示物の名称について記載がある部分です。

室内(プラットホーム)
①旅客上屋鉄骨(双頭レール) ②のりば案内標
③電鈴(直流・交流) ④通票閉そく機
⑤磁石電話機 ⑥スピーカー
⑦出発合図機
展示コーナー
⑧地上子(ATS-S型) ⑨ポイントリバー(S型)
⑩レール ⑪普通転てつ器標識
⑫発条転てつ器標識 ⑬信号リバー
室外
⑭跨線橋橋脚柱(門柱、照明灯柱) ⑮特殊信号発光機
⑯おもり付ポイントリバー ⑰踏切しゃ断機
⑱踏切警報機 ⑲腕木式場内信号機
⑳入換信号機

少なくともこの案内板を見れば、内容が読めなくなったり撤去されたりした開設当初からの説明板に代わって、公園内の展示物が何であるかを一応知ることはできます(展示物の状態はともかくとして・・・)。

例によってこちらの展示物案内板も同様に年代的にちょっと怪しい(?)ところがあるような気がします。
掲載されている図は公園の平面図をベースに“現存する”展示物の位置をプロットして作られているようですが、図面上ある程度の大きさでもって描かれていてもおかしくないはずのトイレの建物が記号だけで済まされていること、北東にあるはずの山白川に面した入口が描かれていないことからすると、この平面図は鉄道公園開設当時の図面を使用しているのではないか?と個人的に推測しています。
(鉄道公園のトイレは約40年前の開設当初から存在したものではなく、後年設置されたもののようです)

つまり、この鉄道公園が開設された当時の設計図面や設置されていた展示物の目録などの資料が現存している可能性があるわけで、もし一般でも閲覧することができるなら是非見てみたいところです。そうすれば現存しない失われた展示物についても何があったかが判明するはず・・・。(そんなこと知ってどうするの、という話ですが)

さて、くどくどとまた色々語ってしまいましたが、結論としては長らくこの公園の存在意義や展示物に関する解説がなされていなかったところに、この案内板によって多少なりともフォローが入ったのは喜ばしいことだと思います。
少なくとも「経緯不明の謎の公園」という状態からは少し脱することができたのではないかと思います。

(以下2023年10月追記)

  • 展示物に新しく設置された説明板

2019に鉄道記念物公園開設の経緯や展示物の名称を記した案内板が設置されたことは上記の通りですが、それ以降も個々の展示物に関して解説を記した説明板は失われているか判読不能な古いものがそのままになっている状態でした。

そんな中、2023年の夏に鉄道公園を訪れてみたところ、公園内の一部の展示物に真新しい説明板が設置されていることに気がつきました。




(2023年8月撮影)

これらの説明板は機器類展示コーナーと地上駅を再現したホームの一部の展示物に設置されているもので、鳥取市の「議員質問対応調書一覧表(令和4年12月議会)」にある「鉄道記念物公園の活用について」という文書によれば、この案内板が設置されたのは2023年6月のことだそうです。

2019年に設置された案内板と同じく、この新しい説明板も書かれている文体はやや古めかしい感じのような文章です。やはりこの内容が掲載された約40年前のオリジナルの資料が存在するのではないかと思われるのですが、果たして・・・?
(再現ホームの双頭レールや出発合図器の説明板に書かれている文章は、それまで残っていた古いものと同じでした)
上掲の文書中にある「展示物の説明板の記載内容の検討」がどのようなものだったのか気になります(笑)

少しずつの再整備ではありますが、こうして鉄道公園の存在が見直されつつあることは喜ばしいことだと思います。
今後も鉄道公園はリニューアルのため整備を進めるの構想が存在するそうなので、折を見て状況を観察していこうと思います。



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