いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

12系+他系列の編成メモ(その2)・夜行急行「さんべ5・6号」

2016年03月19日 | 鉄道模型のあれこれ

今回は12系と20系寝台車を併結した急行「さんべ5・6号」の編成についてのはなしです。

山陰地方と北部九州地区を結んだ急行「さんべ」(定期)はJR化後の1997(平成9)年まで存在した列車ですが、
1984(昭和59)年2月のダイヤ改正までは座席車・寝台車併結の夜行列車も1往復存在し、
当時3往復あった「さんべ」の中で5号・6号を名乗っていました(改正後は臨時格下げ)。

その編成が旧形客車+10系寝台車から座席車が12系、寝台車が20系に変更されたのは1978(昭和53)年10月のダイヤ改正からのことです。


(模型でのイメージ)

なお、12系座席車と20系寝台車の併結編成は「かいもん」「日南」「さんべ」「ちくま」で見られたスタイルですが、
併結相手となる20系側では12系から空調などサービス電源の供給を受けるべく変圧器を搭載したり、
手動開閉式ドアを自動ドアにしたりするなどの改造で1000・2000番台に区分されていました。

基本的な編成はおおよそ以下の通りで
←博多 スユニ50>+<マニ50+<スハフ12+オハ12+オハ12+<スハフ12+ナハネ20+ナハネ20+ナハネフ22(23)> 米子→
(<・>は車掌室の向きを示す、オハ12の便洗面所は博多向き、中間にオハ12を1両増結の場合あり)

このうちスユニ50は下り博多行き列車の出雲市→浜田間、マニ50は下りの全区間と上り米子行き列車の博多→浜田間で連結されています。

所属はスユニ50が出雲客貨車区(米イモ)、それ以外が米子客貨車区(米ヨナ)で、
運用番号はスユニ50が「米郵1」(所要数5)、マニ50が「米荷3」(所要数2)、12系と20系が「米1」(所要数2)でした。

牽引機関車は米子~下関間が米子機関区のDD51、下関~門司間が門司機関区のEF30もしくはEF81-300、
門司~博多間が鳥栖機関区のDD51でした。

1980(昭和55)年当時、米子客貨車区には「さんべ5・6号」用として12系11両、20系12両の配置があり、
スハフ12が6両(143,144,145,146,147,148)、オハ12が5両(353,354,357,358,359)、
ナハネ20が8両(1309,1313,1324,1354,2220,2237,2243,2314)、
ナハネフ22が3両(1004,1005,1013)、ナハネフ23が1両(1019)といった内訳でした。

なおこの11両の12系は意外なことに(?)夜行「さんべ」の使用車両変更に合わせて米子客貨車区に直接新製投入された車両です。
このことを知るまでは他の区に新しい12系を投入し、捻出したお古の12系を玉突きで米子に持ってきたのかなとなんとなく考えていました。
(これらの12系最終増備グループはだいたい尾久や宮原に投入されていたようなので)

このためTOMIXの12系も「山陰」「さんべ」の再現用に最初は前期形セットを2つ買おうかと思っていたところを、
前期形と後期形セット1つずつの購入に変更しました。
ただし、実際は車両の落成が「さんべ5・6号」の運転開始にやや間に合わなかったようで、
しばらくの間は(1ヶ月弱くらい?)出雲区から12系を借りてきて運転していたようです(のちに増結時の借用もあり)。

さて、そんな「さんべ5・6号」の編成ですが、やはり変り種編成が出現したことがあるようで
←博多 スユニ50>+<マニ50+<スハフ12+オハ12+<スハフ12+ナハネ20+ナハネフ22(23)> 米子→
上記のように寝台車と座席車を通常編成から1両ずつ減車して走ったことがあるようです。

これは1980(昭和55)年夏から翌年の春にかけて、山陰本線土砂崩れのため山口線を迂回運転したときのもので、
これに伴い、通常の牽引機に加えて小郡~下関間を下関機関区のEF65PFが牽引しました。
迂回運転時というイレギュラーな編成ではあるものの、模型的にはちょうど扱いやすそうな編成長だと思います。

ちなみに模型としては以前にKATOから12系+20系急行「ちくま」セットが発売されており、
これを用いてセット内の車両を適宜連結して「さんべ」として遊ぶことができます。
自分の場合は20系を「ちくま」セットから持ってきて、12系をTOMIXのものに差し替えました。

捻出したKATO12系は宮原所属車で扉帯なしのタイプなので、
JRマークを入れた上で臨時列車や急行「だいせん」の増結車に転用し有効活用(?)を図っています。

参考文献・webサイト
国鉄客車ガイド(ジェー・アール・アール) 国鉄客車編成表80年版復刻(ジェー・アール・アール)
鉄道ピクトリアル1990年7月号(電気車研究会)
客車倶楽部メモSP―急行さんべの編成・山陰旧客鈍行
(http://www.mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/SP/508-sanbe.html)
中央本線&EF64の写真館・主要列車編成表・三瓶(さんべ)
(http://homepage3.nifty.com/6480/page576.html)
赤ベコ広場・DD51 877
(http://blog.goo.ne.jp/sakurasyukugawa8205/e/3cb72bc400ffc7313409fcbe3a0ffb2c)
鉄道サウンド広場(別館)・【古書】急行列車はどこへ行く(81年4月)
(http://railway-sound.seesaa.net/article/69785182.html)
十二徒然・今週のテーマ写真館
(http://loco-prairie.cocolog-nifty.com/jun/2012/01/post-df24.html)


12系+他系列の編成メモ(その1)・夜行普通列車「山陰」

2016年03月04日 | 鉄道模型のあれこれ

前回12系が他系列の車両と組んで走った列車の編成を模型で再現すると書きました。
というのも、12系単一組成の青地に白帯が連なる編成美もいいのですが、
模型的には編成のアクセントとして見た目が異なる他系列・他番台の車両を組み込めばそれはそれで面白そうかなと思ったためです。

なお12系と他系列客車の混成列車は全国各地にいくつかの事例が存在したようですが、
ここでは筆者の独断と偏見により(?)、山陰地方を走った列車の事例を取り上げます。

さて、今回は京都~出雲市間を走っていた夜行普通列車「山陰」号のはなしです。
「山陰」はそのスジの源流をさかのぼれば戦前の京都~下関間の列車にまで行き着く歴史ある列車だったそうで、
寝台車の連結は1968(昭和43)年開始、「山陰」の愛称は1975(昭和50)年の指定席予約マルスシステム導入に伴い付与されました。

この列車は長らく荷物・郵便車、オハネフ12形寝台車と旧型客車の座席車(スハ43形など)で運行され
長距離旅客から両末端区間の通勤通学輸送、荷物・郵便輸送とさまざまな役割を担っていましたが、
1984(昭和59)年2月のダイヤ改正で荷物・郵便車の連結を終了の上使用車両がオハネフ12+12系に変更され、
翌1985(昭和60)年3月ダイヤ改正で廃止となりました。


(模型でのイメージ)

そんな「山陰」号の最末期、わずか1年ちょっとの組み合わせであったオハネフ12+12系の編成ですが、
個人的な思い出話ながら今から十数年前に図書館で借りた本にこの編成の写真が載っていたのを見たことがあり
「山陰線に夜行の普通列車、それも寝台車つきが走っていたとは!!」
という事実を知った衝撃とともに強く印象に残ったこともあって、そのときからこの編成を模型で走らせたいと思っていました。

そんなわけで、その座席車が12系化された826・829列車「山陰」を模型で再現するにあたり、
書籍やネットで調べた情報をもとに編成表を自分の備忘録も兼ねてまとめてみました。
(私の資料見誤りの可能性や推測・独自解釈などが大いにありますので、内容の正確さは保障いたしかねます)

①基本的な編成パターン
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
(<・>は車掌室の向きを示す、オハ12の便洗面所は出雲市向き)
編成表やネットでよく紹介されているたぶんもっとも基本的な組成のされ方です。牽引機は米子機関区のDD51。
車両の配置は当時の出雲客貨車区(米イモ)、運用は6両全車が「米5」運用、所要編成数は2本でした。

1984(昭和59)年度当時、出雲客貨車区には13両の12系の配置があり、その内訳は
オハ12が7両(143,144,146,189,190,191,203)、スハフ12が4両(23,45,72,73)、オハフ13が2両(17,33)でした。
一般形のオハネフ12は5両(2010,2018,2022,2033,2094)が配置されていました。ただし、2033は1984(昭和59)年4月1日時点で廃車予定車となっていたようので、運用から外されていた可能性が高そうです。
つまり、それぞれオハ12が使用6・予備1、スハフ12が使用4・予備なし、
オハフ13が予備2、オハネフ12が使用2・予備2(2033は除外)でやりくりされていたものと思われます。

②スハフ12の向きが反転
←出雲市 <オハネフ12+スハフ12>+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
ときには運用上の都合からか上記のようにB寝台車の隣のスハフ12が京都向きで運用されることもあったようです。

なお帰省シーズンや大型連休などの多客期には座席車が増結となることもあって、
③座席車1両増結
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
のような7両編成も出現していたようです。ただし増結するにも予備のオハ12は1両しかないので、
所要のもう1本の編成には代わりにオハフ13を増結するか、米子区からオハ12を1両借り入れてくるなどしていたことでしょう。

④オハフ13を中間に組み込み
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハフ13>+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
オハ12が1両抜けた代わりにオハフ13が登板。

⑤借り入れ車両入り編成
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+<スハフ12-100 京都→
京都寄りスハフ12が100番台で逆向き(米子区からの借り入れか)。
上述の通り予備車が少ないので、通常充当されるオハ12やスハフ12が検査等により運用から外れてしまうと変則的な編成が出現することも。
スハフ12 100番台の便洗面所側妻面のテールライトが使用されるのは割と珍しいケースだったのではないでしょうか。

⑥緩急車マシマシ(笑)パターン
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハフ13>+オハ12+オハ12+オハフ13>+スハフ12> 京都→
珍編成の極めつけ(?)は1984(昭和59)年の夏ごろ出現した上記の例で、
座席車が6両に増結のパターンでかつスハフ・オハフが4両も組み込まれているという編成が走っていたようです。
よほどオハ12が足りなかったのでしょうか。
この編成の写真を最初に見たときはさすがにぶったまげました・・・。

以上が自分が調べた中で把握している12系「山陰」の編成です。
このほかにもまだ編成のバリエーションが存在する可能性もありますが、それにしても思ったのは
1年ちょっとしか走っていない割にはさまざまな編成が存在して、さすが客車列車は奥が深い(笑)ということです。
これだけあれば模型でも気分に応じていろいろと車両を組み替えて遊べそうではあります。

余談ながら、
「山陰」廃止後もそのスジの京都~福知山間は早朝・深夜帯の普通列車として存置され、
福知山客貨車区(福フチ)の50系4両に編成を衣替えの上運転されました(さらにその後12系近郊改造車に取替え)。
福知山で大阪発着の急行だいせん5・6号に接続し相互に乗り換えられるようになっていたそうです。

参考文献・webサイト
昭和40年代~・懐かしの鉄道100選(淡交社)
国鉄気動車客車情報 84年版(ジェー・アール・アール)
国鉄客車ガイドⅡ(ジェー・アール・アール)
復刻版国鉄電車編成表1986.11ダイヤ改正(交通新聞社)
客車列車1984(鉄道ジャーナル社)
懐かしの国鉄客車列車(鉄道ジャーナル社)
一般形客車資料室(http://www.est.hi-ho.ne.jp/train829/index.html)
トランスポート・DD51写真館(http://www.apionet.or.jp/DF5051/dd51/index.htm)
愛称別トレインマーク事典・夜行普通山陰号(http://nihonkai.exp.jp/hm/s/sanin.html)
R&R・ドン行”山陰”1984 其の壱(http://randr.blog.so-net.ne.jp/2012-01-19)
元鉄ちゃんのフォト☆ライブラリー・夜行寝台付普通列車「山陰」とオハネフ12(1984年)
(http://blogs.yahoo.co.jp/senkyu_san/33066110.html)
温泉文化研究所・鉄路憧憬(http://onbunken2009.web.fc2.com/03-T-shoukei/03-T-shoukei.htm)