いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

1/29 北関東に50系客車を訪ねて(その7)

2011年02月26日 | ぐだぐだ旅行記

北関東に50系客車を訪ねて(その6)からの続きです。

茂木駅をまっすぐ突き抜けてきた真岡線の線路は構内の北のはずれで道路にぶつかり、そこでぷつりと途切れるように車止めが設置されています。

なんだかこの先にも線路が伸びていたかのような思わせぶりな感じですが、実際のところ真岡線は茂木よりさらに先に線路を延伸する計画があったそうです。
この計画路線は長倉線と呼ばれ、最終的には水郡線と接続することを目指して建設していたところ、戦争により工事が中断しそのまま未成線となってしまったのだそうです。


帰りの列車までの暇つぶしに途中まで
未成線のルートにそってしばらく歩いてみましたが、確かにいかにも鉄道線路らしい細長い空き地や築堤などが観察できます。もしここに線路があったら、上り勾配に思い切りエンジンをふかしてキハ58やキハ40といった気動車が走ってきそうな雰囲気でした。

長倉線は線路の敷設もなされほぼ完成状態で工事が中止されたらしく、用水路をまたぐ暗渠や工マークの入った用地の境界を示す標柱もそのまま残っていました。



上の写真の場所よりももう少し先には橋梁跡やトンネルも残っているもあるそうですが、さすがにそこまで徒歩で移動していると帰りの列車に間に合わなさそうなので、適当なところで折り返して茂木駅に戻りました。


茂木駅は有人駅で、比較的新しめの駅舎には食堂や公民館のような施設も併設されていましたが、列車がいないときは人影はなくひっそりとしていました。まあ基本的に地方の駅は大体こんな感じなのかもしれませんが。
ここの窓口では「SL特別入場券」という硬券きっぷ(100円)が発売されていたので記念に購入。

さて、駅に着いてからしばらくすると上りのSL列車を仕立てるために機関車の入換が始まりました。

転車台で下館向きに方向転換されていた機関車はいったん北側の行き止まりまでバックし、ポイントを越えたところで手旗の誘導により前進します。
ホームでカメラを構えて見物している人が見えますね。


駅のホームを通過して南側のポイントを越えたら、再びバックで側線に入り50系客車と連結します。ちなみにポイントは電動ではありますが、遠隔操作ではなくポイントマシン脇にあるスイッチを操作して切り替えていました。


連結が済んだら汽笛一声ののち再び前進。今度は空車とはいえ客車をつないでいるので間近で見る走る姿は単機よりも迫力があります。

シリンダ部分からドレン排出を兼ねて勢いよく蒸気が噴き出していて、目の前を機関車が通過するときにそれをまともに食らってしまいました(笑)
石炭の燃えた独特の香りがけっこう強かったです。


そうして編成がホームに据え付けられ、「SLもおか」上り下館行の客扱いが始まりました。心なしか下り列車で到着した時よりも乗車客が少なかったような…。
演出のためなのか、C12の煙突からは黒い煙が噴き上げられています。
列車は例によって機関車に一番近い3号車に乗客が集中し、他はガラガラという状況で発車。自分は行きと同じく誰もいない2号車に乗りました。
益子辺りから少しずつ乗客が増えてきたようでしたが、蒸気暖房の暖かさについうとうとしていたので車内に人が増えたことにはあまり気付きませんでした。

茂木→下館 6002 オハ50 22



ところで上りのSL列車はオハ50 11が最後尾となるので、なんとなく編成端としては落ち着かない感じがしますが、スハフ42形やオハフ45形も車掌室側妻面はこんな感じの見た目だったのでこれはこれでありかも?
反射板付きの後部標識は向かって左側のみに取り付け。ただしライトは点いていませんでした。
最後尾のデッキ部分は貫通路や妻面の窓から外が見えるので簡易展望車といった感じですね。ただしこの1号車は機関車から一番離れている車両なので暖房用の蒸気の届きが弱く、他の車両より若干冷えていましたが…。

そうこうしているうちに列車は終点下館に到着。下館到着前の放送もやはり丁寧な内容のもので、もちろんハイケンスも流れました。観光列車だからということもあるのでしょうが、なかなか味わい深い車内放送を聞けてよかったです。

昼間側線で留守番していたDE10 1535がお出迎え。回送列車の牽引に備えてスタンバイしていました。

なお下館でSLもおかからの水戸線水戸方面の接続列車はすぐの発車ですが、その列車はE501系で運転されていました。

常磐線上野口で15連で走っていた頃が懐かしいです。京浜急行2100形とともに「歌う電車」として知られていますが、今ではどちらも制御装置の交換が進み普通のIGBT音になっている車両が増えていますね。

さて、下館駅に到着したSL列車は車両基地のある真岡駅まで回送されることになるのですが、下館行きの回送と違ってこちらの列車は客扱い列車として運転されます。
したがって下館→真岡間はDL牽引の50系客車列車に乗ることができます!

そのDLも最初のSL列車の入換と同じくいったん本線の茂木方に引き上げ、その後手旗の誘導で客車に連結。
やはりDLと50系客車の組み合わせのほうがしっくりくるような気がしますね。うーん、やはり客車の色が赤ければ(以下略

なおこの回送列車には乗車券のみで乗車することができますが、最後尾にはそのまま蒸機がぶら下がっているので、
乗務員がたまたま乗ろうとした一般のお客さんから「整理券いるんですか?」と問いかけられる光景が見られました。
本来このスジは普段は茂木行きの気動車列車が運転されるのですが、SL列車運転の日に限り
下館→真岡間は運休、代わりに真岡までは50系客車快速が代走として運転されています。

ちなみに客扱いは3号車のオハフ50 33のみで、1・2号車は締め切り扱いでした。さすがにこの列車を狙って乗るような物好きはこの時は自分くらいしかおらず(笑)、ほかの乗客はほぼ地元の人や学校帰りの学生です。


こうしてDE10牽引の50系客車列車で真岡まで乗車、SLもおかの裏メニュー(?)的な部分もしっかり楽しみました。さすがDL牽引なのでスピードの乗りが違いますが、蒸機は後ろにそのまま連結されているのでドシン、ドシンとくる前後の揺れは相変わらずでした。
下館→真岡 6101 オハフ50 33

もしも全区間DL牽引の「DLもおか」みたいな列車があったら喜んで乗りに行きたいところですが、マニア受けしかしなさそうだし、観光資源としての価値はあまり見込めなさそうかもしれません(笑)
かつて実際に「DLあそBOY」という例はありましたが…。

真岡駅に列車が着いたらすぐに跨線橋をダッシュ、行き違いの下館行き気動車に乗り込みました。当然余裕時分はほとんどなくあまり褒められたものではありませんが、このような折り返し乗車ができるのもフリー切符ならではと言えそうです。

ずっと客車列車に乗ってきた後だと軽快気動車の加速・スピードとも走りがとんでもなく凄まじいものに感じられました(笑)
真岡→下館 134 モオカ14-5


下館駅に着いたらあとはひたすら帰るのみ。共通フリー切符があるので下館からは関東鉄道常総線に乗車、途中の守谷で乗り換えを挟みJR常磐線接続の取手へ向かいます。

関東鉄道の気動車は新潟トランシス製のNDCですが、都市近郊輸送を担っている線区だけあって21m級片側3ドアの結構立派な仕様となっています。
乗った列車が快速だったので結構かっ飛ばして走っていましたが、もう外は暗くなっていて車窓は見えなかったので、いい感じに響くエンジン音を聞きながら取手まで終始うたた寝していました。
下館→守谷 134 キハ2403
守谷→取手 136 キハ2105

その後は取手からはJR常磐線に乗り換え。

我孫子まであえてこれに乗車(笑)
新形の16000系がデビューしたとはいえ、6000系天下の状態はまだしばらく続きそうな気がします…。
我孫子駅の弥生軒でから揚げそばを食べた後は快速電車で上野へ。上野からは京浜東北線、川崎で南武線に乗り換えて始発でスタートした鹿島田で下車しました。この辺りまで来るとはもう消化試合的な感じで、車内ではほとんど寝ていました。


こうして長い1日の小旅行が終了。駅からは徒歩で帰宅しました。
今回のSL列車の50系客車の旅は思ったよりなかなか楽しめました。今度は敢えて真夏の非冷房状態を体験しに行ったり、あるいは秩父鉄道やSLみなかみの12系客車に乗りに行ったりするのもいいかもしれません。
いつか動態保存の旧形客車の列車にも乗りたいなぁと思うところではありますが、これについてはいつになるやら…。

取手→我孫子 1841S 6032
我孫子→上野 1985H モハE231-104
上野→川崎 1943B モハE233-1266
川崎→鹿島田 2001F クハ205-130 

北関東に50系客車を訪ねて(終)


1/29 北関東に50系客車を訪ねて(その6)

2011年02月19日 | ぐだぐだ旅行記
北関東に50系客車を訪ねて(その5)からの続きです。

下館駅を発車したSL列車は茂木を目指してガタガタ走っていきますが、C12が単機で牽引しているためか思ったよりスピードは出ません(出していないからかもしれませんが)。並走する道路の自動車にだんだん追い抜かれていってしまいます。
そもそも急ぐ列車ではないので、そんなに飛ばされてもむしろ困りますが(笑)

蒸気機関車はピストンの往復運動をロッドの回転運動に変えながら走るので、周期的に前後方向にドシン、ドシンという振動が伝わってきます。そのせいで座席下のステンレス板の覆いがビリビリ鳴っていて騒々しいでますが、まあこれも蒸機牽引列車ならでは?

発車してしばらくするとハイケンスのセレナーデのチャイム(電子オルゴール版)とともに車内放送が入りました。まさかチャイムを鳴らしてくれるとは思っていなかったので結構うれしかったです。放送の内容もなかなか丁寧で、以前ネットで聞いた国鉄時代のベテラン車掌の放送をほうふつとさせるようでした。


放送が終わると車内検札が始まりましたが、この日は乗客が少なかったためか車掌さんは3両の客車を一巡してすぐに戻ってきてしまいました。このとき3両中機関車の次位にある1号車には定員の8~9割程の乗車がありましたが、自分の乗っていた2号車や最後尾の3号車はがらがらで、自分を含めても乗客は10人いたかどうかという感じでした。
オフシーズンはこれでも、大型連休や夏休みなどのピーク時には立ち客が出るほど込み合うらしいので差が激しいようです。まあ観光列車とはこういうものなのでしょうか。


さて、その車内検札のときにSL列車の記念乗車証(写真右)をもらいました。
前回にも書いたとおり、真岡線の沿線はいちごの産地としてPR活動をしているためにこの記念乗車証にもそれらしいデザインがなされており、とちおとめの妖精(?)の「おとちゃん」というキャラクターが描かれています。最近はこういう地元を宣伝するイメージキャラクターが結構増えましたね。
なお益子~茂木はフリー切符の範囲外となるため、合わせてその区間の往復の乗車券を補充券(写真左)で売ってもらいました。最近、自分ははこういう機会があれば補充券を集めています。ちなみに写真中央の2枚はSL乗車整理券の「SLもおか券」です。


途中、車内販売でお弁当を買いましたが、今や貴重な客車のボックスシートに腰掛けながら、のんびり車窓を眺めつつ弁当を食べる…、というシチュエーションのもとだと、なんだか普通に弁当を食べるよりも数倍美味しく感じられたような気がします(
実際おいしいお弁当でした)。
何というか、なんだかとても凄い贅沢をしているように感じられました。
ちなみに弁当の掛け紙には蒸機の写真がデザインされていましたが、C12ではなくC11 325の写真でした。C11とC12は兄弟機ですが、デフレクタの有無で印象が変わって見えますね。


そんなこんなでぼーっと車内で過ごしていると、気が付いたら終点の茂木に到着するところでした。終点を知らせる放送にもちゃんとハイケンスを鳴らしてくれたあたり、この車掌さん、分かってくれています(笑)


終点の茂木では客扱い終了後、入換で側線に移動し、帰りの上り列車の発車までしばらくの間整備タイムとなります。動き出し始めに機関車のシリンダからドレン排出のために一気に蒸気が噴き出しましたが、間近で見るとすごい迫力です。


側線でいったん客車から切り離された機関車は転車台で方向転換が行います。機関車がゆっくりと転車台の上に乗ると、桁のロックが解除、そばのスイッチが操作されて回転を始めました。
このとき転車台の回転に合わせて「乙女の祈り」のメロディーが流れてきて、不意打ちを食らった見物客からは少し笑いの声が。確かに回転する蒸機とともにこのメロディーが流れる様子は何となくシュールです(笑)
車両工場でトラバーサーが動くときに同じようなメロディーが鳴るように、たぶんこれも工業機械用の汎用警報メロディーなのでしょうね。

ちなみに茂木駅にこの転車台が設置されたのは平成8年3月のことで、「SLもおか」の運転開始が平成6年3月ですから、その間約2年間は片道は蒸機のバック運転となっていたのでしょうか?
蒸機が逆向き牽引で客車を従えて走る姿もぜひ見てみたかったものです。


さて、方向転換が終わると給水・灰捨てが行われます。一見したところ駅には給水塔らしきものは見当たりませんでしたが、ここではマンションやビルでよく見かける貯水槽から水を補給していました。
機関車の下にある灰受けから灰や燃えがらが落とされますが、
ここの側線にはアシュピットがないのでそれらは線路の上に直接落とされています。機関士の人がせっせとかき出しているのが見えますが、給水ホースから漏れ出た水(結構多い)が灰と混じって泥状になっていて、かき出す側も大変そうです。

こうして自分は入換~給水・整備と一連の作業を見物していましたが、その間に他の乗客や見物客はみんなどこかへ行ってしまい、気が付いたら駅には自分一人しかいませんでした。
つぎの上りのSL列車の発車までまだ2時間ほどありますが、もはや蒸機がいる風景は真岡鐡道沿線の人々にとっては半日常的な光景という事なのでしょう。
とはいえ自分もずっと駅にいるのは手持ち無沙汰なので、少し駅の周辺を歩いてみることにしました。

以下、その7に続く…

1/29 北関東に50系客車を訪ねて(その5)

2011年02月11日 | ぐだぐだ旅行記
北関東に50系客車を訪ねて(その4)からの続きです。


下館駅に到着したSL列車の編成は、ひとまず行き止まりの側線に入っていますが、真岡から回送列車を牽引してきたDE10は既に切り離されていました。
やがてホームに停車していた茂木行の普通列車が発車すると、SL列車をのりばに据え付けるための入れ替え作業が始まりました。


まずは駅の西側にある踏切を手動で作動させ、ポイントを側線側に切り替えてC12が操車掛の誘導によりゆっくりと3両の50系を引き出していきます。ポイントから外れたら今度は本線側に切り替え、推進運転でオハフ50を先頭にしずしずと列車がホームに入線してきました。
空の客車で重量がそんなにないためか、蒸機は若干空転気味です。
それにしても、このような蒸機の列車の場合、DLや電機のようにエンジンやブロワーの騒々しい音がしないので意外と停車中は静かなものでした(これが客車が12系だったら発電エンジンの音がするわけではありますが)。

列車が停止するとともに客車のドアが開き、客扱いが始まりました。
ほとんどのお客さんは列車先頭のC12のほうに集まって写真を撮るなどしていましたが、自分のほうは待ってましたとばかり早速50系客車の中へ突入しました(笑)

おおっ、これが50系の車内!(笑)
車内はなぜか減光されており、ちょっぴり薄暗いですが、まあこの車両は基本的に日中しか走らないので多少薄暗くてもそんなに問題ないでしょう。もちろん非冷房車ということで、天井には扇風機が並んでいます。ちなみに扇風機カバー中央には「真岡鐡道」と書かれたステッカーが貼られていました。
座席のモケットは青ではなく首都圏の205系などでよく見かける緑色ベースのもの。全体的な車内の見つけとしては同時代に設計されたキハ40系あたりに通ずる部分が多いですね。

最近のSLもおか号では地元特産のいちご(とちおとめ)とタイアップしたPR企画が行われており、そのためか車内にはイチゴの飾りやカラフルな風船がいたるところに取り付けられていました。まあ50系の車内はすっぴん状態だとどことなく殺風景な感が強そうなので、観光列車としてはこのようなちょっとした飾り付けがあったほうがむしろいいかもしれないかなぁと思います。


形態的にはほぼ原形というだけあって、車端部のロングシート部分もそのまま、吊り革も残っています。アルミ製のデッキ仕切り戸は国鉄の車両では珍しい(?)両開き式のもので、非常に軽く開閉できます。旧型客車(右下は生田緑地のスハ42です)と比べて拡幅された出入りドアのおかげもあって、出入り口付近の乗り降りのしやすさが向上した設計になっていることが分かりますね。
また自動ドアであるという点も安全性の向上に役立っています。

さて、車内はさすが客車だけあって停車中はほぼ無音。この時は蒸気暖房が入っていたため、暖房管の中を蒸気が通るシューシューいう音が少し聞こえるくらいでした。

床下から立ち上る蒸気暖房のスチーム。いかにも暖かそうですね。


こちらはオハフ50形の乗務員室とデッキ。ここの扇風機にはJNRマークがそのまま残っていました。乗務員室側のデッキはトイレがある関係で片開き戸で、そのトイレはデッキから押し戸を開けて中に入るというこれまたあまり見掛けない構造となっています。
客室内に臭気が入らないよう、またデッキ付近がロングシートのため「ご対面」しないように配慮がなされた設計なのでしょう。
ちなみにオハフ50の反対側車端部にある業務用室は物置として使用されていました。


これは方向幕設置準備工事がなされていた名残です。外から見ると方向幕窓部分は既に埋められてしまって外板と一体になっていますが、車内からはこのように方向幕窓のふたが残っています。
実際にこの準備工事が生かされて方向幕を装備した50系は確か1両もいなかったと思いますが…。

さて、本来の主役のはずのC12のほうは(笑)、自分が50系を観察しているうちに記念撮影をする人も少なくなったようで、楽に正面から撮ることができました。
もっとも、この日はそもそもの人数が観光客でホーム上がごったがえすというほどの人出ではありませんでしたが…。
C12のキャブ内部はいかにもメカという感じで、それでいて古いものが持つどことなく味のある雰囲気もあってなかなかいい感じです。よく見ると蒸機のブレーキ弁は機関士席の向かって右側についているのですね。
下はC12と50系の連結部ですが、蒸機の並形自動連結器と客車の密着小型自動連結器の大きさの違いが分かります。そういえば真岡鐡道のC12、C11には50系の自動ドアを作動させるために元空気だめの引き通し管(MR管)を装備しているそうです。蒸機の連結器横、白いコックがそれでしょうか?

ところで
50系客車は国鉄から蒸気機関車がいなくなってから登場した車両ですが、何の因果か第3セクター鉄道に譲渡され、しかもそこで蒸機に牽引されることになろうとは、おそらくだれも思ってもみなかったことでしょう。
以前も書いたことですが、SLもおかの運転当初は「50系客車の動態保存」と揶揄されたものの、結果的に今となっては本当にその状態になってしまったのは何とも皮肉な話ですね。


さて、発車の時刻が近づいてきました。SLもおかに接続する水戸線の普通列車が到着すると何人か乗り換え客がありましたが、これもそんなに多くはありませんでした。そんなわけで全車自由席ではありますが楽にボックス席1区画を確保することができました。
そしてドアが閉まり汽笛の音とともにいよいよ発車、茂木まで50系にガタゴト揺られることとなりました。
下館→茂木 6001 オハ50 22

以下、その6へ続く…

2/5 意外と穴場?なスハ42形

2011年02月06日 | 日々の出来事
ある日、ネットで旧型客車について色々と調べていると、川崎市の生田緑地というところにスハ42形が1両保存されているということを知りました。
生田緑地は自分の下宿からそんなに離れていないこともあって、この前の土曜日に大学鉄研のO御所先輩を誘ってどんなものかと見に行ってきました。

南武線の登戸駅で下車、小田急線の線路沿いの道を道なりに20分ほど歩いて行くと生田緑地の入り口にたどり着きます。
講演の案内地図にしたがって青少年科学館という施設のほうに歩いて行くと…


それは忽然と姿を現しました(笑)
この車両はスハ42 2047で、昭和23年日本車両製、東北本線・常磐線を主な働き場所として昭和60年に水戸機関区で廃車、その後梶ヶ谷貨物ターミナル駅から陸送でここ生田緑地に搬入されたそうです(車両横の説明板より)。

塗装は青15号、ドアやトイレ・洗面所の窓はHゴム支持、側面窓はアルミサッシの仕様です。トイレ側車端部のドアはHゴム2段窓のタイプになっており少し珍しい仕様?のように思います。

外観は少し雨たれ跡などの汚れが目につくものの、塗装はきちんと施されており屋外で保存されている車両としては大変きれいで、さすが市が管理している公園の中に保存されているだけのことはあります。

さらに特筆すべき点は、この車両は実際に車内を見学することができるということです。

車内も大変良好な状態で、この手の保存車にありがちなシートや内装がボロボロになっていたり、各部の部品が盗難されていたりといったこともありません。おそらく室内はほぼ現役当時のままに保存されているものと思われます。
旧型客車特有の高い屋根や板張りの床、座席など、独特の郷愁あふれる雰囲気が伝わってきます。あまりにも雰囲気がよかったので、ボックス席に座って先輩と雑談していたら小一時間経っていました(笑)


座席は青いモケット、スハ43系の登場前なので通路側の頭もたせはないタイプ。こうして見てみるとボックス席の基本的な部分は後年登場した車両を見てもそんなに変わっていないように思えますね。ちなみにアルミサッシの側面窓は固定されておらず、実際に開けることができます。動きは良好で、かなり手入れが行き届いていることが分かります。
天井に目を移すと、カバー中央には「JNR」の文字が入っている扇風機が。今でもたまに見るいわゆるJNRマークのものとはまた違ったデザインです。これは旧デザインなのでしょうか?
灯具は白熱灯のあった部分を改造して円環状の蛍光灯が取り付けられるように改造したタイプのものがあります。この車両の中が見学できるのは日中時間帯に限られているので、そのせいか蛍光灯は取り付けられていませんでした。


洗面所部分はガラス越しに観察することができるようになっており、タイル張りの床やボタン式の吐水口など、これまた古風な雰囲気が漂っています。
吐水口のボタンが二つあることからわかる通り、水と湯の両方が使えたようですが、熱源や電源のない客車の場合どうやって洗面所用の湯を準備していたのでしょうか?
デッキももこれまた今の車両にはない温かみというか、何となく味わい深いものがありますね。縦に2段並んだドア窓が独特です。



屋外展示で車両の床下まで光が届くので、このようにTR40形台車を始めとした足回りや床下機器は観察し放題です(笑)
旧型客車の模型作りには参考になるかもしれませんね。よく見ると弁装置類だけでなく水タンクの表記もきちんと再現されています。凄い力の入れようです。
再塗装にあたって書き直されたであろう車体番号や検査表記類も、ただの丸ゴシックではなくきちんとした車両表記用の書体で書かれていました。


妻面に回れば、戦後製造後期のオハ35系に特徴的ないわゆる「キノコ折妻」の姿も拝めます。貫通炉がふさがれてしまっているのは仕方ないですが、検査表記や銘板類がきちんと揃っているのがいいですね。つなぎ箱やエアホース、電暖用ジャンパ線が残る端梁にも注目。

公園の休憩所扱いでありながら動態保存車といってもおかしくないくらいの保存状態であるこのスハ42ですが、この日は訪れる人は少なく、時折園内を散歩する人が中をのぞく程度でした。もちろん鉄道ファンと思しき姿も自分たち以外になく、なんだか知っている人は知っている意外な穴場のように思いました。
今度はもう少し暖かい時期になったら、天気のいい日に駅弁でも持ってまたこのスハ42を訪ねてみたいですね。

余談ですが、このスハ42 2047、なんと地図にも表示されていました(矢印の場所を拡大すると車番が出てきます)。現在ある位置とは微妙に異なりますが、これは隣の青少年科学館改築に伴い移設されたためのようです。
しかし地図にまで車番が表示されるとは凄いですね。この場所を編集した人はかなりの鉄道ファンだったのかもしれません(笑)

1/29 北関東に50系客車を訪ねて(その4)

2011年02月05日 | ぐだぐだ旅行記
北関東に50系客車を訪ねて(その3)からの続きです。

真岡駅の入換が終わり、SL列車は今度は回送列車として下館に向けて発車していきますが、その時刻まではもう少し余裕があるので、真岡駅周辺にある保存車両をちょっと見てみることにしました。


まずは真岡駅本屋側にある側線(元貨物ホーム?)に置かれているキハ20形。
車体はベコベコでところどころ錆びて穴が開いている部分もありますが、塗装は最近施されたものなのか雨だれの跡はあまりなく比較的きれいな状態です。
塗色は朱色一色塗りで首都圏色のイメージだと思うのですが、その割にはどうも赤味が強いような…。どちらかというと朱色5号というよりも朱色4号(朱とクリームの気動車ツートンカラーの朱色)の一色塗りに見えます。塗料が余っていたのでしょうか?
現在車内は倉庫として利用されていますが、たまたま開いていたドアから中を見たところ、座席などが一部残されているようでした。
車番などの表記は塗りつぶされたのか一切見当たりませんが、後で調べてみたところ、この車両はキハ20 247であるようです。よく見ると2灯シールドビームが電車用の楕円リング付きのものになっていたり、列車無線アンテナが取り付けられたりしていますね。運転席窓にはデフロスタの姿も見えます。
なおこのキハ20の後ろにはカバーが掛けられたDE10と思しきセミセンタキャブの機関車が止められていました。


続いてさっきのキハ20の南側、駐車場の片隅には2両の有蓋緩急車(ワフ29500形)が置かれています。こちらもどうやら現状では倉庫か何かに使われていると思われます。この2両には車番がリペイントされていて、それぞれワフ29760、ワフ29804と書かれていました。
はて、このワフ29760、どこかで見た覚えがあるような…?

…と思ったら、KATOのNゲージのワフ29500形の車番が何とワフ29760でした。
偶然の一致、ではないと思いますが、妙にデジャヴな感じがしたのはこのせいだったのでしょう(笑)
製品化にあたって各部の寸法などを取る際に、真岡の車両を参考にしたのかもしれませんね。

つぎに、真岡鐡道の線路を挟んで反対側にある保存車を見ていくことにしました。ついでにその途中に踏切から駅構内の写真を撮影。

4階建てのSL駅舎の存在感が半端ないですね(笑)
今回は立ち寄りませんでしたが、駅舎左右にある蒸機のデフレクタに相当する部分は展望台になっていて、真岡駅一帯の街並みを見渡すことができるようです。


真岡駅構内西側には気動車、DL、貨車が「珍どこ列車」状態で展示されています。これらの車両も最近再塗装が行われたようで、車体の傷み具合の割にはぱっと見きれいに見えます。

2両のトラ70000形。車番はトラ75944、トラ75083らしいのですが、例によって車両全体が黒一色に塗りつぶされており、どちらがどちらなのかは判別できません。せめて足ブレーキてこ周りや手すりは白で塗り分けてほしいものですが…。
ちなみにあおり戸や妻面の内側は茶色に塗り分けられていました。
そういえば10年くらい前まで、地元の西鳥取運転区や湖山貨物駅の構内に黄色く塗装されたトラ70000形と思しき無蓋車が数両放置されていたのをふと思い出しました。
保線でバラストなどを運ぶのか、はたまた構内の雪捨て用なのか、用途不明な謎の貨車でしたが、気が付いたらその姿はいつの間にか消えていました。


こちらの2両はヨ5000形車掌車。車番はヨ14594、ヨ14720でヨ3500形に2段リンク化改造を施してヨ5000形に編入したグループですね。

続いてヨ8000形ヨ8016。この車両はもともとそこまで古くないからかあまり車体が傷んでいないように見えます。妙に新しげな塗装のせいで、車体にインレタでナンバーや各種表記類を入れる前の模型のように見えますね。
今はこれらの貨車は保存名目でこの場所に置かれているようですが、トラ、ヨというメンバーから考えると、ひょっとして当初これらはイベント用のトロッコ列車の改造種車として用意されたのではないかなぁと勝手に想像してしまいました。国鉄民営化前後の時期には車掌車や無蓋車を改造したトロッコ車両が各地に走っていたので、その流れに乗ろうとしたのではないかと…。
まあただの単なる妄想ですが(汗)

そしてヨ8000形の隣にはDE10形が。この機関車はDE10 95で、国鉄末期に廃車になるまでに佐倉、田端の機関区に在籍していたので常磐無線アンテナの大きな台座が残されているのが特徴的です。
ナンバーがないのが残念ですが、今となっては貴重なDE10の0番台車ということになりますね。

さらにDE10形の隣に置かれているキハ20はキハ20 213。やはり屋根上には列車無線アンテナが搭載されていました。
最初に見たキハ20 247もそうですが、ここに置かれているキハ20形は国鉄時代に廃車になったのではなく、JR真岡線が真岡鐡道に転換されるその前日まで走っていた車両なのだそうで、そのために
列車無線アンテナが搭載された状態で保存されているようです。他にも当時JR真岡線にはキハ45系なども運用されていましたが、これらはまだ使う車両ということで最終日の運用終了後に順次水戸へと回送されていったらしいです。

またくだらない妄想ながら、どうせならここのキハ20も動態復元して、ツートンカラーの塗装で「昭和レトロ列車」みたいな感じで走らせたら面白そうなものだと思いましたが、おそらく車体も足回りもかなり腐食が進行しているであろうことから、多額の資金と時間をかけない限りはおそらくレストアはほぼ無理なのでしょうね。


保存車一覧の看板。各保存車の概要と簡単な解説が付いています。なぜかトラ70000形が「トラ7000形」と解説されています。まあ0が一つ多かったり少なかったりするのはよくあるミスですね。このミスで困る人はたぶんいないと思いますが(笑)
ちなみにガラス張りの車庫(看板の後ろに見えているシャッターの建物)にしまってある蒸機も一応展示車両の扱いのようです。もちろん出番が来ればそこからいなくなってしまうのですが、展示車両が現役車というのもなんだか不思議な感じがしますね。これも動態保存車ならではということなのでしょう。

さて、保存車をしばらく見物しているうちにそろそろ下館への回送列車が出発する時刻になったので、さっきの踏切で編成を前後から撮影。
マニュアルで撮影したら設定をミスして若干被写体ぶれを起こしてしまいましたorz

中柄なDE10とはいえ、客車を引き出して走っていく姿は格好いいですね。
最後尾の逆向きC12のほうは当然ながらぶら下がりで、白い蒸気をたなびかせながらゴトゴトと走り去っていきました。

回送列車を見送った後は真岡駅に戻り、窓口でSL列車の乗車整理券「SLもおか券」を買い求め、普通列車で下館へ。
沿線にはカメラマンの姿もちらほら見受けられ、早くも皆さん撮影モード?のようでした。

写真は下館駅到着後、真岡線の0キロポストと。
SL列車の編成のほうは普通列車の発着に支障しないようににいったん行き止まりの側線に入っています。
真岡→下館 114 モオカ14-9

次回でやっとこさSL列車に乗れそうです(笑)

以下、その5に続く・・・