いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

3/22 米子・境港へ(その2)

2011年03月29日 | 日々の出来事

境港から「ねこ」と「目玉」のキハ40に揺られて小一時間ほどで米子に到着。
米子では別に何をするわけでもなく、昼食を済ませて適当に駅構内を見てみたり町歩きでもしたりして時間をつぶそうと思っていましたが、自分の乗った列車が駅に着くと同時に思わぬものに出くわしました。

DE10+ホキ800形の工事列車編成です。しかも最後尾にはヨ8000形付き。
山陰の工臨は年に数回くらい動いているらしいですが、実際にその姿を見るのは初めてです。普段は米子貨物駅の片隅で寝ているホキ800形も、短いながらも編成になると迫力が出ますね。
編成は京都方からDE10 1058+ホキ1685+ホキ1583+ホキ1686+ホキ1687+ヨ8709でした。


しかも単なる回送か何かと思いきや、きちんと「積荷」が満載されていました。実際に工事現場まで行ってバラストを散布するのは深夜でしょうから、このときは夜になるまで米子駅で待機していたのかもしれません。



武骨な外観でぱっと見では古いのか新しいのかよくわからないホキ800形ですが、銘板によると写真のホキ1583は昭和39年国鉄浜松工場製で、かなり古い車両であることが分かります(ホキ800形の製造初年は昭和33年)。
この古さゆえに近年は機械扱いの保線用ホッパ車などで置き換えられることがあり、既にJR東海、四国、九州では国鉄から継承したホキ800形が全廃されているようです。


ホッパ車の側面には所属支社を示す「米」の字と常備駅が書き込まれていて、ホキ1687は益田駅常備、それ以外は米子駅常備でした。昔は米子鉄道管理局にも専属の貨車がいくらか存在したようで、ポム1形(都野津駅常備)やチキ6000形(境港駅常備)などでも「米」と書かれた写真を見たことがあります。
この独特な書体の「米」ですが、じっと見ているとゲシュタルト崩壊を起こしそう(笑)


そしてしんがりを務めるヨ8000形ヨ8709。反射式後部標識を装着してやる気満々です。おそらくホキのホッパ操作要員の控車として利用されるのでしょう。今でも特大貨物列車や甲種輸送のときなどには車掌車も一緒に走る姿を見ることができますが、気のせいかこのような工事列車に連結されるのはあまり見ないような気がします。


このヨ8000形の所属表記は、今は懐かしい「米ヨナ」となっていました。本来なら他の旅客車と同じく「米トウ」であるはずなのですが、検査表記からこの車両は後藤総合車両所ではなくJR貨物の広島車両所で検査を行っているようなので、ひょっとするとそのために「米ヨナ」が書き換えられずに残っているのかもしれません。

そういえば後藤総合車両所所属の機関車も以前は所属札が「後」であったものが最近はかつての米子機関区・米子運転所時代の「米」になっているようで、この列車の牽引機のDE10 1058にも「米」の札が入っていました。
所属関係が変わったのか、それともただの遊び心か、はたまた「後」では一見分かりづらいから?


工事列車を後ろから。組成のされ方の上では、機関車+貨車+車掌車というかつての正統的な貨物列車の編成スタイルでなかなかいい雰囲気のような気がします。ホキ4車というのもついつい気軽に模型で再現したくなってしまうような編成両数ですね。
実際に走っている姿やバラストを散布するシーンを見てみたいです。

さて、ここからはホキ列車以外に目に付いた車両をいくつか。

気動車群の中にぽつんと留置されているJR貨物のEF64形0番台。
別に日中の米子駅に電機が留置されていることは変わったことではないのですが、最近はEF64形1000番台ではなく0番台に出会うことが多くなったような気がします。
以前は岡山機関区にEF64形1000番台が確か5両くらい配置されていたはずなのですが、昨年だったかに岡山のEF64形が愛知機関区に配置統合されてからは岡山の1000番台数両と0番台がトレードされてしまったようです。


ちょっと前まではJR貨物のEF64形0番台は1000番台が検査のときなどに、たまに代走で山陰に顔を出す程度でしたが・・・。一方、1000番台の広島更新色機は最近は伯備線から遠く離れた稲沢や新鶴見、根岸などでも見かけられるようになりました。
何となく新しいのを持って行かれた代わりにお古を持って来られたような・・・。でもまあ伯備線のEF64形運転開始当時は0番台がメインだったらしいので、そういう意味では昔に戻ったと言えなくもないかもしれませんが。


キハ126系2次車による快速アクアライナー。車両運用の関係で検査時などに代走でアクアライナーに2次車が入ることがたまにあるようですが、自分は初めて見ました。
その逆の1次車がとっとりライナーに入ることはごくまれなことのようで、以前にはもっとレアなパターンで1次車+2次車の2連も見られたことがあるそうです。

側面の列車名表示はとっとりライナーの場合、文字がスクロールして表示されますが、アクアライナーはすべてカタカナ表記なので半角で「アクアライナー」とスクロールなしの表示で済まされていました。この辺りは普段見比べる機会がなかなかなかったのでちょっとした発見です。


イラスト車のキハ47 146。TOMIXからキハ47形が発売されたことだし、いつか模型で作ってみたい車両の一つですが、キッチンから発売されている再現用デカールは売り切れてしまっているので側面のイラストは自作するしかなさそうです。

とりあえず資料だけは集めておこうと思います。今までにも側面イラストの写真はいくらか撮ってきましたが、唯一キハ47 146のトイレ側の大きな傘の部分だけは撮れていなかったのでいいチャンスでした。
今は画像処理ソフトとインクジェットデカールを駆使すればとりあえず色々なものがつくれるので便利ですね。ただ図柄に白色がある場合は要工夫ですが。
この車両は将来首都圏色に塗り替えられないといいのですが、どうなることやら。今思えば、「ピアート号」のキハ58系やどじょうすくいの絵柄の安来節キハ47も側面の写真を撮っておきたかったですね・・・。


さて、本当はさっきのキハ47 146の普通列車に乗って鳥取に帰るつもりでしたが、結局キハ187系の疾走の誘惑に負けて特急スーパーまつかぜ10号で帰りました。
もちろん自由席利用でしたが、この日は3連に増結されていて自由席車が2両に増車されていたので楽に座れました。とはいえ鳥取方の増結車が運転台側にデッキのあるキハ187-1503だったので、結局ほとんどデッキで前面展望。
振り子車に乗るのは久しぶりだったので、カーブに差し掛かるたびにふらっと体がよろめいてしまいました(笑)

鳥取~米子間は行きの普通列車では2時間半近くかかりましたが、特急は1時間弱で走りぬけてしまったのでやはり速い・早いですね。ただ意外なことに直線が続く区間でも列車は速度を120km/h出していたことはほとんどありませんでした(その時若干遅延気味だったのですが)。

半日足らずの短い行程ではありましたが、その割には思わぬ発見もありなかなか楽しめた遠出だったと思います。


3/22 米子・境港へ(その1)

2011年03月28日 | 日々の出来事

鳥取へ帰省してすぐの先日、特にこれといった用事はなかったもののちょっと米子まで出かけてきました。まあ強いて目的を挙げるならば「汽車に乗ること」でしょうか(笑)

 今回は学割で鳥取から境港までの往復券を購入して、午前中の普通列車で米子に向かいました。
米子で境線の普通列車に乗り換えて、後藤で途中下車。

「鬼太郎列車(4代目)」ことキハ40 2118。これに乗ってきました。一車丸ごと派手なフルラッピングでインパクトは強いのですが、微妙な感じのデザインに思います。
個人的にはこのひとつ前の
「鬼太郎列車(3代目)」シリーズのデザインが好きでした。


さて、後藤駅で降りた目的は言うまでもなく後藤総合車両所。写真には撮れませんでしたが、ちょうど381系のゆったり未改造車(緑やくも)の4連がスイッチャーで検修庫内に押し込まれていくところでした。
あとで知ったことですが、この4連381系の編成中に含まれていたサロ381形はサロとしては最後の1両で、今後のゆったり化に伴うサハ化改造で形式消滅してしまうようです。

さて、昨年までエーデル車を始めとした廃車前提の気動車が続々と集結していた後藤工場ですが、今回訪れたときにはそれらはもう1両も残っていませんでした。


代わりにそこにあったのは座席や内装品などの残骸と、解体に伴い発生した元が何だかよくわからなくなった金属くずの山・・・。

ダメもとで来てみた後藤工場でしたが、やはりダメでした(涙)
エーデル車のものと思しき座席のクッションだけでなく、優先座席のものもあるのでおそらくはキハ33 1002やキハ48 5も解体されてしまったので
しょう。キハ48は非ワンマン車で使いづらかったとはいえ、更新改造済みだったのにもったいない・・・。
あとで調べてみたところ、3月上旬ころには、最後まで解体線上にいたエーデル鳥取車2両(キハ65 711・1711)とキハ48が解体されていたようでした。
ちなみにキハ48 5とは別に松任工場に回送されたキハ48 1003も先日解体されてしまった模様です。


このほか内装品以外にも、廃車された車両から取り外されたと思われるエンジン・変速機やキハ181系用と思しきクーラー(
AU13S)も敷地内に置かれています。
曇り空の重い雰囲気と相まって、これら解体に伴い発生した廃品や使われなくなった部品を見ていると急に寂寞とした感じがしてきました。
まあ残念ながら解体されてしまったものは仕方ないですね。


ちなみに去年の同じころに後藤を訪れた際は、まだ解体待ちの車両がそのままの状態で留置されていました。その後京都に残っていたエーデル車6両や岡山のキハ48も後藤に回送され、構内が車両でいっぱいになっていたようでしたが、昨年末から今年3月にかけて順次解体されていったものと思われます。


ところで、この時の後藤構内はゆったり改造予定と思われる381系の車両が多く見られましたが、この他にも検査入場中と思しき宮原のDD51 1191やHOT7020形の姿が確認できました。

さて、1時間かかって後藤工場の見物を終えた後は再び境線に乗り境港まで向かいます。
で、やってきたのはこちら。

「ねこ娘列車(2代目)」と「目玉おやじ列車(2代目)」のペア。車体すべてがピンク色でまとめられたり、前面中央に目玉おやじがデーンと居座る姿は見る者に強烈な印象を与えます(笑)
車外だけでなく、車内の座席もこのとおり。

背もたれには各妖怪列車のテーマキャラクターが配されたものに交換されていました。これは最近行われたらしいのですが、いい試みだと思います。左右対称に配置された目玉おやじが着席区分をさりげなくアピール?
ところで日中の境線はワンマン運転のはずですが、この日乗った列車はすべて車掌が乗務していました。比較的乗客が多かったのでそのためでしょうか。

終点の境港では折り返しの列車に乗ったので7分ほどの滞在。いったん改札を出て再び入場、かえり券にスタンプを押してもらっただけで終わりました。
ちなみにこのスタンプは通常のものではなく鬼太郎の顔がデザインされているものでした。観光地の玄関らしい工夫ですね。

折り返しの列車ではまっすぐ米子に戻りましたが、行きと違い座ることができたので車内では居眠りをしていました。途中で高校生が多く乗ってきたことと、米子空港~大篠津町の付け替え新線の部分「だけ」の乗り心地はやたら良かった(笑)ことは覚えています。

以下、その2へ続く・・・


3/24 更新再開・鳥取に帰省

2011年03月24日 | 日々の出来事

こんばんは。

ここ数日の間、災害関連で気持ちがふさぎこむような話題が続いていますね。
しかし、そんな中で過酷な状況の下にあっても、必死に頑張って生きていこうとしている方々がいらっしゃるということを思うと、自分もいつまでも暗い気持ちでいてはいけないと思うようになりました。
落ち込んでいてはいけませんね。これからは元気を出して前向きにやっていこうと思います。

そんなわけでこのブログも更新を再開することにしました。
まあ、相変わらずの更新頻度になろうかと思うのでそういう意味ではあまり以前と変わらないかもしれませんが・・・(汗)

さて、実は先週の3連休から鳥取に帰省しています。
実家にはいじれる程度の模型をほとんど置いていないので、帰省中はもっぱら乗車などの実車系活動がメインです。
先日も境港まで往復してきたのですが、その時の話はまた別に記事をあげる予定です(いつものように無駄に長くなりそうなので・・・)。


3月22日米子駅構内の様子。やっぱりふるさと地元の鉄道はいいですね。

そういえば3月のダイヤ改正で山陰線の鳥取~城崎温泉(豊岡)に浜坂を越えて直通運転する普通列車が復活しましたが、この列車も4月から土休日に運転される臨時快速の「山陰海岸ジオライナー」と併せてぜひ乗りに行ってみたいと思います。


3/14 お知らせ

2011年03月14日 | その他いろいろ

このたび東北・関東・甲信越地方において発生した大震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

自分は地震発生時、都内でアルバイト中でした。交通機関が一斉にストップしたことにより一時は帰宅困難な状態となりましたが、深夜に復旧した都営地下鉄と東急電鉄を乗り継いで、なんとか横浜の下宿に無事帰りつくことができました。

今後も大きな余震が発生する懸念や首都圏での計画停電の実施などまだまだ予断を許さない状況ではありますが、
取り急ぎ私の無事のお知らせということで失礼いたします。

なお、しばらくの間このブログの更新は自粛いたします。