goo blog サービス終了のお知らせ 

いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察2:機器類展示コーナー編)

2019年08月01日 | 日々の出来事

○『鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし』シリーズ記事一覧

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(あらまし編)→こちら

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察1:線路まわり編)→こちら

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察2:機器類展示コーナー編)←現在地

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察3:地上駅再現ホーム編)→準備中


前回(線路まわり編)から引き続き、「鳥取鉄道記念物公園」の展示物を観察するはなしです。
今回は、公園の敷地の隅にある色々な鉄道設備用機器・器具が並べられている展示コーナーを見ていきたいと思います。

例によって筆者のうろ覚えの記憶に頼っている場面もあり、もしかしたら覚え違いによる事実と異なる記述もあるかもしれませんが、その場合はなにとぞご容赦ください。


(2018年8月撮影)

写真はちょうど踏切の位置から機器類展示コーナーを見たところです。
写真奥のコンクリート製の立派な土台の上にはいくつかの展示物が並べられていますが、一部は展示物が撤去され、何かが設置されていた痕跡だけになっている部分もあります。

また、残った展示物も一部が壊れてなくなっていたり、これらが何なのかを説明する案内板がほとんどなくなっていたりと、なんだかよく分からない器具がぽつぽつと並べたれた謎の展示コーナーと化していました。
もちろん鉄道公園としての開設当時には、こんなうらぶれた状態ではなく、きちんとした状態の展示品や説明板があったものと思われますが・・・。

(2020年4月追記:鉄道公園開設の経緯と展示物の名称を記した案内板が設置されました→こちら)

(2023年10月追記:一部の展示物に新たに作成された説明板が設置されました。各項目参照)

(特記のない写真は2019年4月・鳥取鉄道記念物公園にて撮影)


展示物観察2:機器類展示コーナー編もくじ

(見出し文字列または写真クリックで該当項目へジャンプします)

信号てこ・色灯式信号機設置跡
発条転てつ機・普通転てつ機標識・信号機設置跡(?)
各種レール展示コーナー
ポイントリバーS形転換器・転換鎖錠器・ATS地上子

 


○展示物観察2:機器類展示コーナー編

  • 信号てこ・色灯式信号機設置跡

まずは最初の写真のいちばん右側のブロックから見ていきます。
わざわざ土台に切り欠きを作って設置されている3本のレバーが目を引きますが、これは「信号てこ」と呼ばれ、駅に設置された各種の腕木式信号機を操作するためのものです。


(信号てこと腕木式信号機の操作用ワイヤーを介した接続例、2019年8月・京都鉄道博物館)

実際は操作用ワイヤーを介しててこの下部にある円盤状の部品(ドラム)と腕木式信号機のクランク部分が連結されており、信号てこを前後に引くことで信号機の現示を機械的に切り替えていました。

信号てこは1つの腕木式信号機につき1つ、1対1で対応しています。
したがって、操作する信号機が多い大規模な駅ほど信号てこの数も多くなり、そのような駅の信号扱い所にはずらりと何本もの信号てこが並ぶ光景が見られたそうです。

ちなみに鳥取近辺では因美線が自動閉そく化される前、1990年代中盤~後半くらいまでは郡家駅など腕木式信号機が使われていた交換設備のある駅で、上に挙げた動画のように信号てこが駅係員によって操作される光景が見られました。
(この動画内の信号てこ操作風景は因美線高野駅のものだそうです)

なお、信号てこについての解説は、ブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」さんの記事「脇道2(信号てこ・転てつてこ)」
(http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-be93.html)
が参考になります。

(以下2023年10月追記)


(2023年8月撮影)
2023年に土台部分に新しく説明板が取り付けられたのでご紹介します。

信号リバー(単線式)
取扱者が信号リバーを上下に取り扱うことにより、てこの運動をワイヤーに伝えて、信号機の腕木を上げ下げし信号を現示します。
(追記終わり)

ところで、信号てこの左側に2本突き出した杭のようなものがありますが、ここにはかつて2基の「色灯式信号機」が取り付けられていたようです。

色灯式信号機とは、電球やLEDの光の色によって現示(信号の表示状態)を伝える信号機のことで、基本的には道路信号機でもおなじみの青、黄、赤の3色の灯火を2~6個組み合わせて使います。
詳しくはウィキペディアの「日本の鉄道信号#信号現示の種類と現示方式」などの項目へどうぞ。


(3灯式の色灯式信号機(上部)の例、2018年3月・芸備線三次駅)

あらまし編で紹介した『とっとり市報1999(平成11)年11月15日号』の記事「シリーズ 公園に行こう⑥ 沢井手公園(鳥取鉄道記念物公園)」に掲載されている写真によれば、1999年の時点ではここに3灯式の色灯式信号機が設置されていたことがわかります。

ただし自分のうろ覚えの記憶だと、やはり以前紹介した入換信号機と同じように、この信号機もレンズ部分が破壊されて全体的にボロボロになっていたような気がします。

そしていつごろ撤去されたのかは定かではありませんが、気がついたときには現状のように基部の短い柱だけを残して信号機本体はなくなっていたのでした。

▲機器類展示コーナー編もくじへ戻る▲


 

  • 発条転てつ機・普通転てつ機標識・信号機設置跡(?)

次に最初の写真の右側から2番目のブロックを見ていきます。
矢羽根状の標識がついた大小2タイプの機器と、何かを取り付けていたと思われる柱が2本、さらに別の柱が設置されていたと思われる土台の穴があります。

まずは写真中央やや左ににある矢羽根状の標識のついた大きい機器について。
これは「発条転てつ機」と呼ばれるものです。模型的にはスプリングポイントという呼び名でもおなじみですね。

発条転てつ機は分岐器(ポイント)の線路をいつも同じ方向(定位)に開通させておくための装置で、分岐器の開通していない方向(反位)からやってきた列車は自らの車輪で閉じているトングレールを押し広げて進むことになります。
反位側からの列車が通り過ぎたあと、転てつ機に内蔵されたバネと緩衝器によって自動的に分岐器の開通方向は定位に戻ります。(もし反位側に列車を通したい場合は、転てつ機本体に設置されたハンドルを手で回して分岐器を切り替えます)
詳しくはウィキペディアの「分岐器#手動転轍器」の項目へどうぞ。

ちなみに転てつ機本体の上についている標識は分岐器の開通方向を示すもので、青い地色にSの文字が入った丸い標識が定位、黄色い地色に黒い線が入った矢羽状の標識が反位に開通していることを示します。
本来は標識のさらに上部に青色と黄色のランプで分岐器の開通方向を示す転てつ表示灯も設置されるのですが(下の写真参照)、この公園のものは失われています。

余談ですが、発条転てつ機の本体にはこの公園ではもはやお馴染みの(?)「株式会社三工社」の逆三角形マークが見られますね。
(株式会社三工社の発条転てつ機の製品ページはこちら)


(発条転てつ機の設置例、2017年1月・一畑電車一畑口駅)

発条転てつ機が設置された分岐器は主に列車本数が少ないローカル線区の行き違い駅などでよく見られ、上り・下りの列車が通るたびに分岐器を切り替えるのを省略するために設置されていることが多いようです。

(2023年10月追記)


(2023年8月撮影)
2023年に土台部分に新しく説明板が取り付けられたのでご紹介します。

発条転てつ器標識
発条転てつ器標識は、発条転てつ器(スプリングポイントともいう)に取り付けられ、線路の開通方向を表わします。
発条転てつ器は、列車がきまった方向だけしか運転しない箇所に設けられる特別の転てつ器で、列車の車輪がポイント部を通過することによって、自動的に転換しもとに戻るような強力なスプリングと油圧を組み入れた装置です。
(追記終わり)

さて次は、発条転てつ機の隣にある背の低い機器についてです。

これは「普通転てつ機標識」と呼ばれ、手動の転てつ転換器(転てつてこ)や動力式の転てつ機と組み合わせて用いられるもので、取り付けられた2種類の標識によって分岐器(ポイント)の開通方向を示します。


(普通転てつ機標識の設置例、2014年3月・吾妻線小野上駅)

車両の入換作業が行われる駅や操車場構内の分岐器に設置されていることが多く、青い地色に白い線が入った丸い標識が定位(いつも開いておく方向)、黄色い地色に黒い線が入った矢羽状の標識が反位(使うときだけ開く方向)に開通していることを示します。
本来は標識のさらに上部に青色と黄色のランプで分岐器の開通方向を示す転てつ表示灯も設置されるのですが(上の写真参照)、前述の発条転てつ機と同様にこの公園のものは失われています。


(転てつ表示灯が設置されていた頃の普通転てつ機標識、2018年8月)

実はこの普通転てつ機標識の転てつ表示灯はある時期まで残されていたのですが、最初に写真を撮影した2018年8月から2回目の2019年4月の間に撤去されたようです。この転てつ表示灯はかなり老朽化が進んでおり、例えば不意に地面に落ちてレンズが割れると危ないので、公園の大掃除などちょっとした整備のタイミングか何かの折に撤去されてしまったのでしょう。

(2023年10月追記)


(2023年8月撮影)
2023年に土台部分に新しく説明板が取り付けられたのでご紹介します。

普通転てつ器標識
分岐器は、一つの線路を二方路に分かれさせる線路の装置ですが、転てつ器標識はこの分岐器に取り付けられており線路の開通する方向を表わします。
標識の表示は円盤と矢羽板とを十字形に組み合わせ、夜間は燈を用い燈器のガラスの色が紫と橙黄色で区別しています。
(追記終わり)

最後に、何かを取り付けていたと思われる2本の柱と別の柱が設置されていたと思われる土台の穴について。
前述の3灯式信号機が取り付けられていた柱と同様、かつて何らかの信号機や標識などが取り付けられていたと思われます。
しかしながら、写真などの資料が見つからないので何が設置されていたかについては詳細不明です(汗)


(3進路用進路表示機の例、2019年8月・京都鉄道博物館)

自分のうろ覚えの記憶だと、これらのうち1本の柱には色の入っていないレンズ(白色灯)がたくさんついた信号機のようなものが設置されていたような気がするのですが、それはもしかすると場内信号機用の3進路用進路表示機だったのかもしれません。
(進路表示機についてはウィキペディア「日本の鉄道信号#進路表示機」をご参照ください)

▲機器類展示コーナー編もくじへ戻る▲


 

  • 各種レール展示コーナー

つづいて最初の写真の右側から3番目のブロックを見ていきます。 土台の上には6本のレールが並べられています。
この展示コーナーにしては珍しく(?)、ぱっと見で何が展示されているかが分かるところですね(笑)

並べられているこれらのレールですが、よく見てみるとそれぞれ断面の大きさが異なっています。
右端のものがもっとも細く、左へ向かうにしたがって次第に太い断面のレールになっていますね。

ここに展示されているいわゆる「普通レール」は断面の大きさによっていくつかの種類に規格分けされています。
その規格はレール1mあたり何kgの重さがあるかで区分されており「何kgレール」のように呼ばれ、1mあたりの重さが大きいレールほど断面が大きくなります。
線路を敷設したりレールを交換する際に、通過する列車の重量やスピードに応じて適した規格のレールが使われます。

レールの形状や規格についての詳細はウィキペディア「軌条」の項目へどうぞ。
またレールの規格分けと断面形状についてはウェブサイト「古レールのページ」さんの「普通レールの断面形状」というページ
(http://homepage-nifty.com/arashi/namarail/shapes.html)も参考になります。

さて、ここの土台には展示されているレールに関する解説が書かれていた表示板や、各レールの種類を示していた銘板が一部失われながらも残存していました。
しかしどれも表面が錆びきっており、おそらくペンキで書かれていたと思われる文字はほぼ判読不能でした。

 

当時の状態ではかろうじてレールの銘板は左から2番目のものが「50kgNレール」、右から3番目のものが「40kgNレール」と書かれているのが何とか読める程度でした(Nの表記は基本のレール形状から若干背を高くした改良形状を意味します)。

(2023年10月訂補・追記)


(2023年8月撮影)
2023年に土台部分に新しく説明板が取り付けられたのでご紹介します。
判読不能となっていた古い銘板は撤去され、代わりに設置された新品の銘板により展示されているレールの種類が判別できるようになりました。それによると、写真中の左から順に「60kgレール」、「50kgNレール」、「50kgレール」、「40kgNレール」、「37kgレール」、「30kgレール」の順に並べられています。

レール
レールの種類は通常、単位長さ当たりの重量を呼び名にして分類しており、国鉄で規格品として使用されていたレールは次の7種類です。
これらのうち、30kgレール、37kgレール及び50kgレールは古くから使われていましたが、昭和37年ごろから国鉄で新たに設計した40kgNレール、50kgNレールが採用され、在来線のレールの規格はこの2本立てとなっています。
(追記終わり)

▲機器類展示コーナー編もくじへ戻る▲


 

  • ポイントリバーS形転換器・転換鎖錠器・ATS地上子

最後に、最初の写真の右側から4番目のブロックを見ていきます。土台の上には何か角が生えたような平たい独特な形状の機器、丸い標識が付いた切り替えレバーのようなもの、白い小判形の物体と短いレールのセットが並べられています。

これらのうち、標識の付いたレバーは「ポイントリバーS形転換器」、角が生えたような平たい機器は「転換鎖錠器」と呼ばれるものです。
ポイントリバーS形転換器は手動の転てつ転換器の一種で、以前紹介したおもり付転換器の改良タイプに相当します。

おもり付転換器ではレバー本体に分岐器(ポイント)のトングレールを密着させるためのおもりが付いているため、分岐器を切り替える操作にかなりの力が必要となります。そこで、ポイントリバーS形転換器ではおもりを廃し、切り替え操作を軽く行えるようにしました。
ただし、このままだと分岐器が不意に切り替わらないようにトングレールを基本レールにしっかり密着させる機能がないので、その機能を担う装置として転換鎖錠器がポイントリバーS形転換器とセットで分岐器に設置されます。

転換鎖錠器の独特の形状の本体の中にはバネやクランクが収められていて、これらの働きにより転換鎖錠器から突き出したロッドと接続された左右のトングレールが不意に動かないように押さえる仕組みになっています。
また、分岐器の開通していない方向から車両が進入してきた場合、トングレールが押し広げられるのを許容する構造となっているので、分岐器や転てつ転換器に無理な力がかかって壊れないように保護する機能もあります。

よく見るとポイントリバーS形転換器と転換鎖錠器の両方に、やはり逆三角形の三工社マークが入れられていますね。
(株式会社三工社のポイントリバーS形転換器の製品ページはこちら)


(ポイントリバーS形転換器と転換鎖錠器の設置例、2019年4月・山陰本線香住駅)

ポイントリバーS形転換器が設置された手動切り替えの分岐器は、駅や車庫の側線などさまざま場所で見ることができます。
転換器に設置されている白黒塗りの標識は分岐器の開通方向を見分けるためのもので、上半分が白なら定位(いつも開いておく方向)、上半分が黒なら反位(使うときだけ開く方向)に開通していることを示します。
この公園での展示品はほとんど色あせて白い色が消えかかっているため、よく分からない黒くて丸い板となっていますが・・・。

鉄道公園ではよく分からない置物と化している転換鎖錠器も、香住駅の写真では分岐器の線路の内側に設置され、ロッドがトングレールと接続されている様子が分かるかと思います。


(ポイントリバーS形転換器と転換鎖錠器の設置例、2019年4月・若桜鉄道若桜駅)

若桜駅に設置されているポイントリバーS形転換器と転換鎖錠器は鉄道公園に展示されているものとは少し形状や標識の配色などが異なるタイプですが、機能的には同じものと思います。

シロウト目で見ると、分岐器を切り替えるためのレバーの見本という意味ではポイントリバーS形転換器だけが展示されていても不自然ではなさそうですが、この公園ではセットで分岐器に設置される転換鎖錠器もちゃんと一緒に展示されているあたり、分かってらっしゃるというか、さすが当時国鉄の協力を得て作った展示だけのことはあると思いました(笑)

(2023年10月追記)


(2023年8月撮影)
2023年に土台部分に新しく説明板が取り付けられたのでご紹介します。

ポイントリバー(S型)
おもり付きポイントリバーは、おもり(重錘)の力でトングレールを基本レールに密着させる方式で簡易な分岐器に設置されますが、ポイントリバー(S型)はこれを改良し、Y型クランクとスプリングを組み合わせトングレールの密着を確保するとともに鎖錠される機構となっています。

(追記終わり)

次に、土台の左端に置かれている白い小判形の物体と短いレールのセットですが、この白い物体は「ATS地上子」と呼ばれるものです。

そもそもATSとは自動列車停止装置のことで、端的に説明すると停止信号を見落とした場合やカーブなどで制限速度を超過した場合に自動的に列車に非常ブレーキをかける機構のことです。詳しくはウィキペディア「自動列車停止装置」の項目へどうぞ。

山陰本線や因美線などで列車に乗っていると「ジリジリジリ・・・」とか「キンコンキンコン・・・」という音が運転台から聞こえてくることがありますが、これはATSの機能により鳴動されているもので、ジリジリ音は停止信号接近に対する警報音、キンコン音は停止信号を確認しブレーキ操作後に運転士の注意を持続させるためのチャイムです。

ATS地上子はこのATSの機構において車両側のATS車上子と信号をやりとりするための装置となります。
この公園に展示されているものは国鉄時代に広く普及したATS-S形の地上子で、連動している信号機が停止現示のときに130kHzの高周波信号を発振するようになっています。
車両側がこの信号を受信するとATSの警報ベルが鳴り、5秒以内にブレーキを扱ってATS確認ボタンを押さないと非常ブレーキがかかる仕組みです。


(似たタイプのATS地上子の例、2019年7月・大井川鐵道千頭駅)

ちなみに展示されている地上子の脇に短いレールが添えられているのは、基本的にATS地上子が上の写真のように左右のレールの内側に設置されることを意味しているのだと思います。しかしながら2本で対になるレールが1本しか設置されていないので、説明なしにはその意図が伝わりにくいような気がしないでもないですが・・・。

さて、このATS地上子の裏手側には製造時の銘板が残されていたので記録しておきました。
表面がボロボロになっていて大変読みづらいですが、
「ATS-S形地上子S-1形、定格・共振周波数130KC、Q170、製造番号407282、
製造昭和40年7月、東京 株式会社三工社 幡ヶ谷」
とあります。(KC=kHz、Q=Q値、刻印の数字は一部推測)

やはり毎度お馴染みの株式会社三工社の製品です。この会社は当時の国鉄、少なくとも米子鉄道管理局には多数の製品を納入していたのでしょうか?
なおこの「ATS-S形地上子S-1形」は現在でも同社の製品ラインナップに存在しているようです(製品ページはこちら)。

(2023年10月追記)


(2023年8月撮影)
2023年に土台部分に新しく説明板が取り付けられたのでご紹介します。

地上子(ATS-S型)
ATSは停止信号を現示する信号機の手前の一定距離に列車が接近した場合、その列車の運転室の警報機が動作して乗務員に警告を与える装置で地上装置と車上装置に分かれます。
この地上装置が地上子で内蔵するコイルとコンデンサーの性能が変化しないよう、防水・防塵・耐震性の構造となっています。

(追記終わり)

▲機器類展示コーナー編もくじへ戻る▲


以上で鉄道公園の機器類展示コーナーについてのはなしは終わりです。

最初にも書きましたが、この記事を起こした当時は展示物の一部が壊れてなくなっていたり、これらが何なのかを説明する案内板がほとんどなくなっていたりと、なんだかよく分からない器具がぽつぽつと並べたれた謎の展示コーナーと化しているのが惜しかったです。
しかしながら、今となっては代わりの展示品を手配するのは容易ではないでしょうから、管理者の鳥取市としては壊れたものは撤去するなど危険がないように最低限の手入れはしたといった感じなのでしょうね。そんな状況の中で、失われたり老朽化したりした展示物の説明板が新しく設置されたことは喜ばしく、鳥取市は少しながらでもこの公園にまた光を当てつつあるのかもしれません。

次回はこの公園のシンボル的な地上時代の鳥取駅を再現したホームについて記事にしていこうと思います。
→展示物観察3:地上駅再現ホーム編へ(準備中)


鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察1:線路まわり編)

2019年02月23日 | 日々の出来事

○『鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし』シリーズ記事一覧

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(あらまし編)→こちら

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察1:線路まわり編)←現在地

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察2:機器類展示コーナー編)→こちら

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察3:地上駅再現ホーム編)→準備中


前回(あらまし編)の記事では「鳥取鉄道記念物公園」についてのあらましと、過去の『とっとり市報』などの資料を参考にしながら、この鉄道公園は鳥取駅の高架化事業などの完成を記念して、かつての地上時代の鳥取駅の雰囲気を残すために「沢井手公園」内に開設されたという話を書きました。

さて、今回からは現在の鉄道公園に残っている(あえてこう書きます)色々な展示物についてご紹介する記事を書いていこうと思います。

この公園には敷地の中央を南北にのびる線路が敷かれており、その周辺にホーム、信号機、踏切などの展示物が配置されています。
ただ残念なことに、それらの展示物について解説する案内板は現状ではほぼ失われてしまっています。

(2020年4月追記:鉄道公園開設の経緯と展示物の名称を記した案内板が設置されました→こちら)

そこで本記事では、大変差し出がましいながらも、筆者の浅い知識でもってネット上の詳しい情報の助けを借りつつ、これら展示物についての解説を試みようというものです(汗) まあ、多分に自己満足的なものが強いのですが・・・
(ネットの鳥取鉄道記念物公園について書かれたブログ記事などでも、自分が見た限りは個々の展示物についての解説は意外と少ないです)

以下、筆者のうろ覚えの記憶に頼っている記述もあり、もしかしたら覚え違いによる事実との誤りなどがあるかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。

では、まずはこの鉄道公園において最も「鉄道」っぽさを感じさせる要素である線路とその周辺にあるものから見ていきましょう。
(特記のない写真は2018年8月・鳥取鉄道記念物公園にて撮影)


展示物観察1:線路まわり編もくじ

(見出し文字列または写真クリックで該当項目へジャンプします)

線路・分岐器(ポイント)
おもり付転換器
特殊信号発光機
入換信号機
踏切警報機
踏切遮断機
踏切渡り板
車止め
腕木式信号機(場内信号・通過信号)
腕木式信号機(出発信号)の設置跡?

 


○展示物観察1:線路まわり編

  • 線路・分岐器(ポイント)

プラットホーム付近から分岐器(ポイント)・踏切側を見たところです。
一応、線路はマクラギの上にレールが固定された一般的なスタイルですが、バラスト(敷石)は敷かれていないようです。
もっとも、線路にバラストがないのは、投石によるイタズラ防止的な意味合いもありそうな気がします。
線路と右側の広場のスペースとは細長いコンクリートブロックで区切ってあったようですが、部分的に削られてなくなっています。

同じくホーム付近より低いアングルから。レールは背が低くて細く、古びた赤黒い色をしています。
このレールは列車の行き来の少ないローカル線や駅の側線で用いられた30kgレールか37kgレールあたりでしょうか?
レール幅(軌間)は測っていませんが、たぶん国鉄在来線標準の1067mmでしょう。

現状はレールだけを残して線路は土に埋もれ気味で、石がごろごろした普通の線路のイメージとは異なりますね。
廃線跡ともちょっと違うような・・・。

前回の再掲写真ですが、線路づたいにホーム先端部まで進んでみたところです。
分岐側がぶつっと途切れた不自然な配置の片開き分岐器と、線路脇に設置された背の高い・低い2基の信号機が見えてきます。
ささやかなストラクチャーながら、ただ線路が敷かれているよりもなんとなく鉄道施設っぽい雰囲気が盛り上がりますね(?)

分岐器付近はホーム付近と比べてマクラギがほぼ完全に土に埋もれており、雑草が生えてきて線路が次第に草生しつつあります。
その分岐器自体はちゃんとした本物のようで、色々な形状に加工されたレールが組み合わされてできていることがわかります。
分岐器の構造についての詳しい解説はウィキペディア「分岐器」の項目へどうぞ。

分岐器を線路が分かれる根元側から見てみます。ここで線路は直進あるいは右方向へと分岐しています。
この部分は手前の細長くとがった形状のトングレール(先端軌条)が左右に動くようになっていて、そのトングレールに誘導されて列車の進路が切り替わる、分岐器の中でも特に主要な部分です。

しかしながら、この分岐器の可動部分は上述の通り土で詰まったり埋もれたりしており、もう分岐の向きを切り替えるのは無理そうです。
傍らには一応、分岐器切り替え用のレバー(おもり付転換器)が設置されていますが、そこからトングレールに繋がっているはずのロッドも、土に埋もれています。
(おまけにすっかり錆びきっていることでしょう)

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • おもり付転換器

分岐器の傍らにある切り替え用のレバーです。
これは「おもり付転換器」と呼ばれるタイプで、ダルマ式とも通称されるものです。
駅や車庫などの側線にある手動分岐器を切り替えるのに古くからよく用いられました。

おもり付転換器はレバーを起こして内部のクランクを動かし分岐器を切り替える仕組みだそうですが、
そのレバーにおもりが付いているのは、その重みでクランクを介してトングレールを基本レールにしっかり密着させるためで、
これで車両通過時に分岐器が不意に切り替わり脱線するのを防ぐ意味合いがあるそうです。

現在では別項で紹介するポイントリバーS形転換器など後継の手動転換器や電動式転轍機などに取って代わられているようですが、
まだ現役で使われているものも見かけることがあります。

なおこの転換器については
ブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」さんの記事「手動の転てつ器 その2」
(http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-9c4d.html)
が参考になります。


(おもり付転換器の設置例、2011年6月・長野電鉄須坂駅)


(おもり付転換器の設置例、2015年10月・上毛電鉄大胡電車庫一般公開)

レバーに付いているおもり部分の半分が白、もう半分が黒くなっているのは分岐器の開通方向を見分けるための目印のようなものです。
上半分が白く見える場合は分岐器が定位(いつも開いている方向)に開通していることを示し、上半分が黒く見える場合は分岐器が反位(使うときだけ開く方向)に開通していることを示します。

ちなみにこの鉄道公園の転換器には途中にレバーの動きをブロックする棒(南京錠が掛かっている部分)が仕込まれていて、
むやみに分岐器を切り替えられないようになっています。

このレバー部分のおもりはかなり重さがあり、
分岐器や転換器の可動部分に足や手を挟まれると大変なケガにつながるので、
事故防止のためにもともと切り替えられなくしてあるのでしょう。

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • 特殊信号発光機

分岐器付近にある背の高いほうの信号機です。正五角形の本体に赤いレンズが5つ組み込まれています。
この信号機は「特殊信号発光機(回転形)」と呼ばれるもので、異常時に赤色灯が2つ反時計回りに回転して走行する列車に直ちに停車するよう知らせる仕組みです。
詳しい解説はウィキペディア「日本の鉄道信号#特殊信号発光機」の項目へどうぞ。


(特殊信号発光機(回転形)の点灯例、2019年8月・京都鉄道博物館)

ゲーム「電車でGO!」シリーズの踏切事故イベントで「非常ブレーキ使え」のテロップと同時に出てくるお馴染み(?)のアレですね。
この鉄道公園での設置例は、前方に見える踏切が自動車の立ち往生などで支障され、非常ボタンが押された場合に緊急停止を知らせるという想定なのでしょう。

ちなみに信号機本体の背面には、内部の電球交換用と思しき蓋があります。
見づらいですが、上に取り付けられている蓋には逆三角形の刻印があります。
たぶんこの信号機を製造したメーカーのものなのでしょうか?

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • 入換信号機

次に、もうひとつの背の低いほうの信号機を見てみましょう。かまぼこ形の本体に3つ、その下に1つ点灯する部分があります。
これは「(灯列式)入換信号機」と呼ばれるもので、駅や操車場の構内で車両を移動させる(入換する)場合に用いられる信号機です。
やはり詳しい解説はウィキペディア「日本の鉄道信号#入換信号機」の項目へどうぞ。

ちなみに、鳥取駅と湖山駅近くにある車両基地(西鳥取車両支部)の間を回送する列車は、通常の信号機ではなくこの入換信号機の現示(信号の表示内容)に従って運転されているようです。


(入換信号機の点灯例、2018年9月・日光線日光駅)

灯列式の入換信号機はかまぼこ形の本体に3つある白色灯のうち、2つの白色灯の並びによって車両の進行・停止を指示します。
点灯例の写真は停止現示で、近年は右下が赤色灯になっているタイプも見かけます。
本体の下にある青紫色に点灯する部分は「入換信号機識別標識」と呼ばれるものです。
この標識灯が点灯していれば上の本体は「入換信号機」、点灯していないもしくは設置がない場合は「入換標識」として機能します。

ところで、入換信号機の本体背面には塗りつぶされながらも製造銘板が残っていました。
それによると
「電気入換信号機機構、製造番号6497、製造年月昭和49年7月、東邦電機工業株式会社」
と書かれているようです。

また、入換信号機識別標識にも同様な製造銘板があり、
「入換信号機識別標識、種類柱上(?)用、製造番号3283(?)、製造年月昭和49年7月、東邦電機工業株式会社」
とありました。

メーカー名の「東邦電機工業株式会社」は現在も盛業中の会社で、おもに鉄道用の通信・信号・保安機器の設計製造を手がけているそうです。

それにしても鉄道公園の入換信号機はレンズが割られていて無残な姿です。
背が低いため破壊活動の標的になりやすく、石をぶつけられたり棒でつつかれたりしたのでしょう。
2018年当時、レンズ部分にはガラスの残骸があり危ない状態でした。

(2023年10月訂補・追記)

(2019年4月撮影)
その後、この入換信号機のレンズ部分に残っていたガラスの残骸は除去されていました。

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • 踏切警報機

さて、今度は分岐器から線路の終端のほうへ進んで、踏切周辺を見ていきます。

まずは踏切全体を若干引いたアングルから。よく見かける黄色と黒の塗り分けの警報機が備わった意外と立派な(?)踏切です。
設備としての踏切の詳しい解説はウィキペディア「踏切」の項目へどうぞ。

この付近は踏切一式、おもり付転換器車止め腕木式信号機など、この鉄道公園では展示品の密度が高い一角となっています。

踏切の東側、山白川沿いの入口方面から踏切を見たところです。
こちら側には赤色の警報灯が横に並んだタイプの踏切警報機(非常ボタン付き)が設置されています。

こちら側の踏切警報機ですが、全体的に傷みが進んでいて、×字形の踏切警標(クロスマーク)は左下の部分がなくなっています。
警報灯のレンズが割られていないのがまだ救いでしょうか。
見えづらいですが、柱の上には警報音を鳴らすスピーカーが取り付けられていたと思しきステー(支持具)があります。
しかしスピーカーそのものはありませんでした。

踏切警報機の柱に取り付けられている非常ボタンスイッチです。
踏切で自動車が立ち往生した場合など、非常時にはこのボタンを押して・・・、と言いたいところですが、このスイッチは肝心の押しボタン部分がなくなってしまっています。

黒く塗られていますが、ところどころ色がはげて下地が見える部分から察するに、かつては水色っぽい塗装だったようです。

この非常ボタンにはわかりやすいことに正面に製造銘板が取り付けられていました。
それによると
「踏切支障報知用操作器、定格DC24V、接点電流容量3A、製造番号476410、
製造年月昭和47年2月、東京 株式会社三工社 幡ヶ谷」
とあります。

メーカー名の「株式会社三工社」は鉄道用信号機器や鉄道車両部品はじめとして、交通信号機器、道路標識、ガス機器など様々な製品の設計製造を手がける会社として現在も盛業中のようです。
逆三角形の会社のマークが目立ちますが、そういえばこのマークは上で紹介した特殊信号発光機にもありましたね。

次に踏切を渡って西側にある踏切警報機です。
こちら側のものは赤色の警報灯が縦に並んだタイプです。非常ボタンはありません。
反対側の警報機とは対照的に、こちらはそんなにボロボロになっている感じではなく、ちょうど傍らのヒマラヤスギの木に雨風から守られている格好のようでした。

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • 踏切遮断機

一見するとこの鉄道公園の踏切は踏切警報機だけが設置された踏切(第3種踏切)の再現に思えますが、上の写真の所々で写っているように、遮断棒がなくなって動作部分の本体だけになった遮断機が2つあります。
したがって、一応は警報機や遮断機一式がすべて備わった踏切(第1種踏切)の装いではあるようです。

こちらは東側(入口側)の遮断機です。
遮断棒は取り付け部に保持されている部分を残して折れてなくなっています。
遮断棒の取り付け部はつり合い用おもり(見えづらいですが)の作用で斜め上を向いた状態で止まっています。

遮断機本体に製造銘板が残されていたので、記録しておきます。
「腕木式電機踏切しゃ断機、種類B形、定格電圧D.C.24V、
会社形式MCG-6SD、製造番号A32526、昭和49年12月製造、株式会社京三製作所」
と書かれています。

メーカー名の「株式会社京三製作所」は鉄道信号システムや交通管理システムに関係する製品を手がける会社で、身近なところだと街中に設置されている道路信号機などでもよくその名を見かける、お馴染みのメーカーですね。

こちらは西側の遮断機です。こちらも遮断棒はありません。
こちらの遮断機は反対側のものとは異なり遮断棒の取り付け部が線路から見て外側にあります。
同じ正面向きから見た場合、遮断棒が降りる向きの左右が入れ替わったタイプと見ることもできそうですね。


(2019年4月撮影)

こちらの遮断機の製造銘板は写真の通りで、
「腕木式電機踏切しゃ断機、種類B形、定格電圧D.C.24V、
会社形式MCG-6SD、製造番号A32571、昭和49年12月製造、株式会社京三製作所」
と書かれていました。

ところで、うろ覚えの話ですが自分が子供の頃はまだこれら遮断機の遮断棒が健在で、手で上げ下げして遊んだりした記憶もあります。
ところがいつの間にか遮断棒は根元からぼっきり折れていて地面にうち捨てられてしまい、気がついたときには姿を消してしまっていました。
以後、修復されることはなくやはりそのまま放置です。

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • 踏切渡り板

さて今度は踏切の渡り板を見てみます。
コンクリートではなく白っぽい材質の石でできた渡り板で、いかにも古めかしそうなタイプです。
ちゃんと脱線防止ガードレール(護輪軌条)にフランジウェイ(車輪のふちが通る溝)が設けられた本格的なものですね。

渡り板の幅は測っていませんがそんなに広くなく、だいたい幅3mちょっとくらい、普通乗用車1台分程度といったところでしょうか。

線路の両脇にある渡り板と走行用レールの間にすき間がありますが、ここには以前、木の板が敷き詰めてあったような気がします。


(踏切渡り板の例、2017年1月・一畑電車一畑口駅付近)

この実例ではコンクリート製の渡り板ですが、雰囲気は似ています。
木の板はまさに渡り板と走行用レールの間にこんな風に設置されていたような気がします。

しかし結局、現在はその木の板も朽ちて取り払われ、固定していた釘だけが残っています。
(その釘やらすき間やらにつまづくと危なそうですね・・・)
前述の折れた遮断棒も、一時期はこのすき間の中に放り込まれていたような・・・。

石の板の並びがガタガタになり、まだらに黒ずんだ渡り板のこの雰囲気が、設置されてからの年月の長さを物語っているような気がします。

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • 車止め

今度は踏切の渡り板の先、というかすぐ隣にある車止めです。
車止めとは読んで字の通り、線路の終端部分において車両が線路外に逸走してしまうのを防ぐために設置される設備です。
設置された場所は公園の敷地の端、道路までぎりぎりになっています。

車止め標識はありませんが、黄色と黒の警戒色でここで線路は終わりなんだ、と強く主張していますね(笑)
このようなレールを曲げて作った車止めは「第3種車止め」と呼ばれるタイプに分類されます。
詳しい解説はウィキペディア「車止め」の項目へどうぞ。


(第3種車止めの例、2017年8月・若桜鉄道若桜駅)

このタイプの車止めはおもに駅や車庫の側線の終端部に設置されることが多いようです。
車止め本体には設置例の写真のように色が塗られることもあれば、無塗装のものなどもあり様々です。

ちなみに写真の手前方向、駅のホームから続いてきた線路は、踏切を過ぎると数十cmも行かないうちに車止めで終了です(笑)
現実にはおよそなさそうなシュールな状況が、この車止めの存在感をいっそう際立たせているような気がします。

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • 腕木式信号機(場内信号・通過信号)

つぎに、踏切のそばにある背の高い信号機です。
これは「腕木式信号機」と呼ばれる古いタイプの信号機で、電球やLEDの光の色で信号の現示(信号の表示内容)を知らせるいわゆる色灯式信号機とは異なり、腕木式の名の通り上下する信号腕木の傾き具合で機械的に信号の現示を知らせるものです。

腕木式信号機は色灯式信号機や自動閉そく方式などが普及する以前は全国の鉄道で広く使われましたが、2019年現在では保存目的で残っているものを除き、現役で使われているものは青森県の津軽鉄道にわずかに残るのみです。
鳥取近辺では、因美線の智頭~津山間、美作加茂駅で1999年まで使われていたものが最後だと思います。

腕木式信号機は鉄道にあまり詳しくない人でも、なんとなく蒸気機関車の時代のイメージというか、古い時代の鉄道設備であることは伝わりやすいのではないかと思います。
したがって、この手の鉄道公園では割と見かけやすい定番(?)アイテムだといえるでしょう(荒廃しているものも多いですが・・・)。

腕木式信号機の解説についてはウェブサイト「きはゆに資料室」さんの「特集 腕木式信号機」というページ
(http://www.kihayuni.jp/SP/sp-udeki-1.html)や、
ウェブサイト「LazyJack」さんの「信号装置 腕木式信号機の細部」というページ
(http://www.lazyjack.co.jp/home/non.php?catid=31&page_3.html)
が参考になります。

信号腕木部分のアップです。もはや隣のヒマラヤスギの枝葉の中に埋もれてしまっています。
この信号機は信号腕木が2つ付いていますが、上の赤と白の腕木が場内信号機(主本線用)、下の黄と黒の腕木が通過信号機です。

場内信号とは駅などの停車場の入口に設けられるもので、その停車場の線路に進入してよいかを指示し、通過信号とは停車場を通過する列車に対し、出発信号機の現示(その停車場を停車せずに通過できるか)を予告する信号です。
写真の状態の場合、どちらも信号腕木が水平の状態なので、この信号機は「場内停止」「通過注意」を示していることになります。

信号腕木の右側には夜間など腕木の状況が確認しづらいときに補助手段として信号の現示を知らせる色付きレンズの点灯部分があります。
レンズの後ろからカンテラや電灯で照らすものですが、上の場内信号のレンズはなくなっています。


(場内・通過用腕木式信号機の保存例、2019年8月・鹿児島本線門司港駅)

なお、腕木式の場内信号機は青=進行、赤=停止、通過信号機には青=進行、黄=注意のレンズがはめ込まれますが、この鉄道公園の通過信号機に残っているものは気のせいか注意現示が妙に赤っぽく見えるような・・・。

腕木式信号機根元の部分です。ここには信号腕木を動かすリンク機構が設置されており、柱の上の信号腕木から下へのびていた動作ロッドが写真右上のエスケープクランクに接続されています。
さらにこのエスケープクランクは円盤状のおもりが付いた動作かんと組み合わされています。
(この信号機の場合、場内信号機と通過信号機それぞれの動作用に2組あります)


(腕木式信号機の動作かんとワイヤーの接続例、2019年8月・京都鉄道博物館)

この動作かんの上がっている側の端部、リング状の部品があるところは実際には動作用ワイヤーが接続されていた部分で、これを駅の信号扱い所にある信号てこで操作することにより、信号腕木を上下させていました。

ちなみにおもりが下がっている状態が腕木式信号機の定位(いつも表示している現示)、信号てこでワイヤーを操作し、おもりが上がった状態が反位(使うときだけ表示する現示)です。
もし動作用ワイヤーが切れてしまっても、おもりの作用で自動的に信号機が定位(この信号機の場合は停止信号)に戻る仕組みとなっています。

▲線路まわり編もくじへ戻る▲


 

  • 腕木式信号機(出発信号)の設置跡?

ところで、この鉄道公園の腕木式信号機ですが、実はかつてもうひとつ存在していたようです。
写真は上の項目で紹介した特殊信号発光機おもり付転換器との間にあるコンクリートの土台ですが、信号機の柱を固定するための4本のピンの跡が土台に残っています。

ここに出発信号用と思われる腕木式信号機が設置されていたようです。
出発信号機とは駅などの停車場から出発する(通過する)列車に対して、文字通り出発してもよいかを指示する信号機です。


(出発用腕木式信号機の保存例、2017年8月・岡山県美咲町柵原ふれあい鉱山公園)

この腕木式信号機は今も残っている場内・通過信号用腕木式信号機が駅のホームを背にして建っているのとは逆に、出発信号用ということで駅のホームを向いて建っていたようです。
現存しない理由は定かではありませんが、老朽化のため撤去されてしまったのでしょうか?

撤去には仕方ない事情があったのだろうとは思いますが、せっかく駅のホームが再現され、場内信号機・出発信号機とそれらしいシチュエーションで揃っていたのに、出発信号機だけがなくなってしまったのは惜しいことだと思いました。

なお、この腕木式信号機はあらまし編で紹介した『とっとり市報1981(昭和56)年12月号』の記事内に設置された当初の姿が写されています。
(白黒写真でほぼ柱の部分しか写っていないのでちょっと分かりにくいですが)
また『とっとり市報1999(平成11)年11月15日号』の記事「シリーズ 公園に行こう⑥ 沢井手公園(鳥取鉄道記念物公園)」に掲載されている写真にもこの信号機の姿が見られるので、1999年の時点ではまだ健在だったようですね。

▲線路まわり編もくじへ戻る▲



以上で鉄道公園の線路まわりにある展示品についてのはなしは終わりです。
次回は公園西側の隅にある鉄道用器具の展示コーナーについて記事にしていこうと思います。
展示物観察2:機器類展示コーナー編


鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(あらまし編)

2019年02月10日 | 日々の出来事

○『鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし』シリーズ記事一覧

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(あらまし編)←現在地

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察1:線路まわり編)→こちら

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察2:機器類展示コーナー編)→こちら

鳥取駅南の鉄道公園・「鳥取鉄道記念物公園」のはなし(展示物観察3:地上駅再現ホーム編)→準備中


  • 「鳥取鉄道記念物公園」のあらまし

JR鳥取駅南口から山白川という小さな川に沿っておよそ徒歩5分ほど、住宅やマンション、鳥取市役所駅南庁舎といった施設が立ち並ぶ一角に、その名も「鳥取鉄道記念物公園」という、なにやら仰々しい名前の公園があります。
写真右側奥の木々がうっそうと茂った一角がそれです。


Googleマップだと鳥取駅南口付近のこのあたりになります。

山白川に面した正面入口には踏切警報機(×字形の踏切警標・クロスマークは失われている)が鎮座し、レンガ積みを模した土台には公園名を記した銘板が設置されています。
「鳥取(機関車の絵)鉄道記念物公園」の切り抜き文字が取り付けられた緑色の門柱もなにやら意味ありげです。

この公園には別の入口もあり、南側の入口には正面同様のスタイルで設置された公園名の銘板やポイント切り替え用のレバー(おもり付転換器)と、やはり緑色に塗られた柱(機関車の正面が描かれた板付き)があります。

また、駅に近い北側の入口には鉄道部品のモニュメントはありませんが、公衆トイレの建物に沿って奥へ進むと踏切が再現された一角が見えます。

正面入口から園内に入ると、砂地の広場と若干のベンチ、そして大きな存在感を放つ再現されたプラットホームとその上屋や付属物が目に付きます。

昔ながらの客車用の低いホームに、古レールを利用した上屋が設けられています。
柱や屋根裏はアイボリーっぽい色で塗られていますが、ややくたびれた雰囲気です。
ホームの下には線路も敷かれています。公園の広さ相応の1面1線(?)の短いホームです。

ホーム付近から線路の伸びている方向を向くと、片開きの分岐器やいくつかの信号機、さらに前述の踏切や線路周辺に関連する機器類が展示されたコーナー(写真左奥)があります。

また、目立ちませんが線路の北側の終端である車止め付近にも入口があり、ここからは腕木式信号機や踏切越しに伸びる線路、ホームなどが見えます。

以上がこの公園の見たところのあらましといったところでしょうか。
地図読みでだいたい50m四方、街中の小さな公園といった感じですが、やはり公園内に線路が敷かれ駅のホームや踏切があるインパクトは大きいです。

ただし、見ての通りこの手の公園につきものの機関車や客貨車といった保存車両の姿はありません。
まあ、見かたによってはここは鉄道施設の再現に特化した公園という、ある意味マニアックで鉄分の濃いぃスポットともいえるでしょう(笑)

しかしこの公園は鳥取駅から近いながらも割と静かな場所で、どこか鉄道ファンやマニアの人々からも忘れられているような、なんとなくひっそり、寂寞とした雰囲気が漂っていたのでした。
(写真を撮影したのが8月のお昼前後だったので、単に暑くて誰も外出していないせいもありそうですが)

  • 「鳥取鉄道記念物公園」開設のいきさつ

さて、この「鳥取鉄道記念物公園」ですが、確かにそれっぽい展示物がいくつも見られる割にはこれらが結局どういう意味を持った「鉄道」の「記念物」なのかという解説が現地にないので、敷地の中に途切れた線路のある、ぱっと見だとある意味謎の公園ではあります。
なぜ、駅のホームや線路がこれほどの規模で再現されているのでしょうか?

(2020年4月追記:公園開設の経緯や展示物の名称を記した案内板が設置されました→内容に関してはこちら)

(2023年10月追記:一部の展示物に新たに名称や概要を記した説明板が設置されました→こちら)

筆者自身にとっては幼少の頃から慣れ親しんだ公園であり、一般に「鉄道公園」とよく呼ばれるくらいには街の人々にも馴染みのある公園ではあると思うのですが、自分が子供の頃は「ホームや線路とか踏切がある公園」という見た目そのままの程度の認識だったので、今回あらためてこの公園について、ここがどういう場所なのかをちょっと調べてみました。

この公園は鳥取市が管理する公園ですから、調べ物をするにも鳥取市の公式ホームページにある検索コーナーから「鉄道記念物公園」「鉄道公園」などとキーワードを入れて検索するのが手っ取り早そうです。
その検索結果の中から、個人的に目に付いたものを以下にピックアップしていきます。

まず『鳥取市公式ウェブサイト:公園』によれば、この公園は正式には都市公園「沢井手公園」という名称だそうです。
つまり、表向きには入口に銘板まで取り付けられてその名をアピールしていながらも、あくまでも「鳥取鉄道記念物公園」は愛称的な位置付けなのでしょう。

また、これに関連して『鳥取市都市公園一覧表』によれば、沢井手公園は昭和43(1968)年4月1日が供用開始の期日(利用開始日)とされており、公園そのものはかなり古くからあることが分かります。

では、沢井手公園は昭和43年の開設時点から現在のような鉄道公園だったのでしょうか?

結論から言うと、沢井手公園が「鳥取鉄道記念物公園」となったのは開設から13年半後、昭和56年(1981)年10月14日のことだそうです。


(画像出典:とっとり市報1981(昭和56)年11月号)

これは過去の『とっとり市報』をPDF化したものが閲覧できる『とっとり市報アーカイブ』内の『とっとり市報1981(昭和56)年11月号』に掲載されていた記事で、記事の内容を引用すると

旧鳥取駅を再現
鉄道記念物公園オープン
旧鳥取駅で使用されていた機械・機器を保存、展示する鳥取鉄道記念物公園が扇町にこのほど完成、鉄道記念日の十月十四日、金田市長や清原延夫・米鉄局長ら関係者ら約二百五十人が出席して開園式が行われました=写真。
同公園は市民の憩いの場であると同時に、鉄道の歴史を知る場ともなるよう、国鉄の協力で旧鳥取駅のプラットホームを再現したほか、各種レール、各種信号機、踏切しゃ断機など三十種約五十点の機器類を展示しています。特に、全国でも珍しい双頭レールを使ったプラットホーム上屋や「鉄道神戸・明四一」の作成年代の刻まれた跨線橋の橋脚柱を使った門柱・照明灯は、貴重なものです。
開園式のテープカット後、園内では行先票、改札ばさみなどの展示即売が行われ、徹夜した鉄道マニアの若者らが殺到し十分あまりで売り切れてしまう大盛況でした。

とあり、この公園は鳥取市が国鉄の協力を得てかなり気合を入れて作ったミニ鉄道博物館的な場所だったことが伺えます。
あの存在感のある大きな屋根の古めかしいホームは、旧鳥取駅(=高架化前、地上時代の鳥取駅)のホームの一部だったのです。


(画像出典:とっとり市報1981(昭和56)年12月号)

なお、『とっとり市報1981(昭和56)年12月号』に掲載されていた「ことしの市政をふり返る」という記事内にも10月に鉄道公園がオープンした旨の内容が書かれています。
やはり、公園の特徴として地上時代の鳥取駅のホームを再現したことや、各種鉄道設備の展示について言及されています。

ただし、これらの記事から察するに公園のコンセプトはあくまで地上時代の鳥取駅の設備の再現や保存にあるのか、機関車や客貨車の展示については言及がありません。
(車両があればそれこそ展示物の目玉的扱いになるでしょう)

施設としてはある程度の長さのレールが敷設されていながらも、おそらくこの公園ではもともと鉄道車両の保存展示はなかったのではないかと考えられます。

ところで、その地上駅だった鳥取駅が新しい高架駅に切り替えられたのは鉄道公園オープンの3年前、昭和53(1978)年11月のことですが、その当時の『とっとり市報』の内容から


(画像出典:とっとり市報昭和53(1978)年12月号)

これは『とっとり市報昭和53(1978)年12月号』に掲載されている高架開通記念特集の座談会記事ですが、
最後の金田市長(当時)のコメントを一部引用すると

駅南に「鉄道公園」
(前略)高架化事業と駅前都市改造事業が完成したら、(中略)旧駅舎の使用しないものなどの諸施設を集めて、駅南に「鉄道公園」のようなものを作りたいと計画しています(後略)

とあり、もともと市長自身の考えとして鳥取駅高架化事業や鳥取駅周辺土地区画整理事業の完成記念として、鉄道公園の建設に意欲を見せていたことが分かります。

現状はともかく、オープン当初の鉄道公園の施設の充実ぶりを上の記事から察するに、高架化より前、長い間鳥取市の玄関口であった地上駅の名残を何とか残しておきたい、という考えがあったのかもしれません。
(これは前述の鉄道公園オープンの記事で「鉄道の歴史を知る場」と書かれているのに関連していそうです)


(高架化された鳥取駅と地上駅跡地に整備された駅前広場の現在、2018年8月)

そして、その高架化事業などがすべて完了したのは、当時の『とっとり市報』によれば、鉄道公園のオープンに先立つこと約半年前、昭和56年(1981)年3月のことだったそうです。

つまり、「鳥取鉄道記念物公園」はこれら一連の鳥取駅を中心とした都市改造事業の完成を記念して、高架化で失われた地上時代の鳥取駅の雰囲気を再現するべく、ちょうど「エキチカ」だった沢井手公園をリニューアルする形で開設された公園ということになるのでしょう。

公園の名前にある「鉄道」の「記念物」とは、再現された地上時代の鳥取駅ホームといった設備や、その周辺で使われていた(とされる)信号機をはじめとした様々な機械・機器といった展示品のことを指しているようです。


(画像出典:とっとり市報1999(平成11)年11月15日号)

ちなみに時代は少し下って、『とっとり市報1999(平成11)年11月15日号』に掲載されている
「シリーズ 公園に行こう⑥ 沢井手公園(鉄道記念物公園)」という記事には、はっきりと沢井手公園に鳥取鉄道記念物公園が開設されたこと、およびその経緯が書かれています。
やはり解説文には「鉄道の歴史を後世に伝えるため」と書いてある通り、かつての地上時代の鳥取駅の雰囲気をこの公園に残しておこうという鉄道公園開設の意図が感じられます。

この記事にはカラー写真5枚で1999年当時の鉄道公園の様子が掲載されており、在りし日の鉄道公園の様子を知るうえでこれらも大変参考になります。

なお、この公園を指して「地上時代の鳥取駅の跡地」とする記述も一部で見られますが、上に掲げた資料の通りここはあくまでも鉄道公園がオープンするまではもともと普通の公園だった場所であり、それまでは駅や機関区などの鉄道施設とは無関係な場所だったのではないかと思います。

さて、これで「鳥取鉄道記念物公園」のあらましと開設についてのいきさつを探る話は終わりです。
正直を言うとネットで調べればこの鉄道公園が鳥取駅の高架化に伴って地上時代の駅を記念して作られた、程度の記述はいくつかヒットするのですが、この記事では裏付けとなる資料を使ってもう少し情報を掘り下げてみた次第です。

次回以降は、この鉄道公園内の展示物を観察したはなしを書いていこうと思います。
展示物観察1:線路まわり編へ

(以下2020年4月追記)

  • 鉄道公園に新しく設置された案内板

上の公園開設のいきさつについて調べた項目の冒頭で『それっぽい展示物がいくつも見られる割にはこれらが結局どういう意味を持った「鉄道」の「記念物」なのかという解説が現地にない』と書きました。

しかしながら2020年の年初に鉄道公園を訪れてみたところ、公園内にある建物に新しい案内板が設置されていることに気がつきました。


(2020年1月撮影)

この記事を最初に書いた2019年前半時点では見られなかったもので、案内板にはこの沢井手公園に鉄道記念物公園が開設された経緯や図面つきで公園内にある展示物の名称が書かれています。
なお、鳥取市の「議員質問対応調書一覧表(平成30年09月議会)」にある「鉄道公園の活用と鉄道の歴史について」という文書によれば、この案内板が設置されたのは2019年の10月のことだそうです。


案内板の左側、公園開設の経緯が書かれている部分の内容を引用すると

沢井手公園(鳥取鉄道記念物公園)
沢井手公園(鳥取鉄道記念物公園)に設置されている鉄道記念物は、昭和53年鳥取駅高架事業の完了に伴い、それまで使用していた鉄道施設の保存を当時の多くの市民の方々の強い要望により、これを展示し、末永く後世に伝えることを目的として設置したものであります。
旧駅舎は全国でも珍しい双頭レールのホーム上屋、ならびに使用年代を刻んだ跨線橋橋脚柱(門柱、照明燈柱に使用)等鉄道の歴史を知る貴重な諸物件を展示しております。

とあります。案内板自体は新しいものですが、書かれている文体はやや古めかしいもので、どことなく鉄道記念物公園がオープンした約40年前の雰囲気を感じさせるような文章です。少なくともこの案内板設置に当たって新たに書き起こされたものではないと思うのですが、何かこの内容が掲載されたオリジナルの資料が存在するのでしょうか?

また、内容については過去のとっとり市報に掲載されている鉄道公園の記事と相違はないようですが、『当時の多くの市民の方々の強い要望』とある部分は初めて目にする内容です。この鉄道公園の設置の背景には、前述した当時の市長の意向だけでなく、市民の手による請願運動のような出来事も存在したのでしょうか?


こちらは案内板の右側、展示物の名称について記載がある部分です。

室内(プラットホーム)
①旅客上屋鉄骨(双頭レール) ②のりば案内標
③電鈴(直流・交流) ④通票閉そく機
⑤磁石電話機 ⑥スピーカー
⑦出発合図機
展示コーナー
⑧地上子(ATS-S型) ⑨ポイントリバー(S型)
⑩レール ⑪普通転てつ器標識
⑫発条転てつ器標識 ⑬信号リバー
室外
⑭跨線橋橋脚柱(門柱、照明灯柱) ⑮特殊信号発光機
⑯おもり付ポイントリバー ⑰踏切しゃ断機
⑱踏切警報機 ⑲腕木式場内信号機
⑳入換信号機

少なくともこの案内板を見れば、内容が読めなくなったり撤去されたりした開設当初からの説明板に代わって、公園内の展示物が何であるかを一応知ることはできます(展示物の状態はともかくとして・・・)。

例によってこちらの展示物案内板も同様に年代的にちょっと怪しい(?)ところがあるような気がします。
掲載されている図は公園の平面図をベースに“現存する”展示物の位置をプロットして作られているようですが、図面上ある程度の大きさでもって描かれていてもおかしくないはずのトイレの建物が記号だけで済まされていること、北東にあるはずの山白川に面した入口が描かれていないことからすると、この平面図は鉄道公園開設当時の図面を使用しているのではないか?と個人的に推測しています。
(鉄道公園のトイレは約40年前の開設当初から存在したものではなく、後年設置されたもののようです)

つまり、この鉄道公園が開設された当時の設計図面や設置されていた展示物の目録などの資料が現存している可能性があるわけで、もし一般でも閲覧することができるなら是非見てみたいところです。そうすれば現存しない失われた展示物についても何があったかが判明するはず・・・。(そんなこと知ってどうするの、という話ですが)

さて、くどくどとまた色々語ってしまいましたが、結論としては長らくこの公園の存在意義や展示物に関する解説がなされていなかったところに、この案内板によって多少なりともフォローが入ったのは喜ばしいことだと思います。
少なくとも「経緯不明の謎の公園」という状態からは少し脱することができたのではないかと思います。

(以下2023年10月追記)

  • 展示物に新しく設置された説明板

2019に鉄道記念物公園開設の経緯や展示物の名称を記した案内板が設置されたことは上記の通りですが、それ以降も個々の展示物に関して解説を記した説明板は失われているか判読不能な古いものがそのままになっている状態でした。

そんな中、2023年の夏に鉄道公園を訪れてみたところ、公園内の一部の展示物に真新しい説明板が設置されていることに気がつきました。




(2023年8月撮影)

これらの説明板は機器類展示コーナーと地上駅を再現したホームの一部の展示物に設置されているもので、鳥取市の「議員質問対応調書一覧表(令和4年12月議会)」にある「鉄道記念物公園の活用について」という文書によれば、この案内板が設置されたのは2023年6月のことだそうです。

2019年に設置された案内板と同じく、この新しい説明板も書かれている文体はやや古めかしい感じのような文章です。やはりこの内容が掲載された約40年前のオリジナルの資料が存在するのではないかと思われるのですが、果たして・・・?
(再現ホームの双頭レールや出発合図器の説明板に書かれている文章は、それまで残っていた古いものと同じでした)
上掲の文書中にある「展示物の説明板の記載内容の検討」がどのようなものだったのか気になります(笑)

少しずつの再整備ではありますが、こうして鉄道公園の存在が見直されつつあることは喜ばしいことだと思います。
今後も鉄道公園はリニューアルのため整備を進めるの構想が存在するそうなので、折を見て状況を観察していこうと思います。


京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その5・終)

2018年06月09日 | 日々の出来事

京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その4)からの続きです。

近江鉄道彦根駅の構内には同社の車両工場や車庫が併設されており、
その一角にはかつて活躍した車両が展示されている「近江鉄道ミュージアム」があります。


ただし開館日が原則として月に1回土曜日のみということで
遠方からだとなかなか狙って行きにくい場所でしたが、
今回の京都鉄博の内覧会の翌日がちょうど開館日だったこともあり、
ちょうどよく訪問の機会を得ることが出来たのでした。

そんなに広くない構内には、さまざまな車両が展示というより押し込められていて、
ともするとやや窮屈にも思えるのですが・・・、


そんな中でも大正期から昭和戦前期に製造された古典電気機関車たちが
ずらっと並ぶ光景はまさに圧巻でした。
残っているだけでもすごいと思えるほどの貴重な産業遺産級の車両ばかりです。
(ED14形は大正時代製造の機関車ながら、このとき4両全車現存していました)


アメリカ製元国鉄のED14 1(左)と、元伊那電機鉄道デキ1形→国鉄のED31 4(右)


こちらのED14 4は国鉄在籍時代をイメージした茶色塗装となっていました。
上写真の1号機とは前面扉窓の形態やスノープロウの有無といった差異が目立ちます。


ED31 3(左)とED14 2(右)、そして中央の元阪和電鉄→南海→国鉄のロコ1101
これらの機関車は30年ほど前までは近江鉄道線内の貨物列車牽引用として活躍し、
貨物運用がなくなった後も保線用の貨車を牽くなどしていましたが、
その役目も電車に譲ってからは近江鉄道ミュージアム内で静態保存されてきました。

しかし近江鉄道の財政難により、2017(平成29)年には保有する機関車の順次解体が決定され、
12月の「近江鉄道電気機関車特別イベント」の公開を最後にED31形数両の解体が開始されたそうです。


残念なことではありますが、この訪問時であってもやや荒れた状態の車両が多く、
今後の維持にかかる手間や費用を考えると解体も致し方ないのかもしれません・・・。
希望者があれば譲渡も考慮中とのことなので、せめて1両でも多くの機関車が無事に残ることを願います。

さて、機関車のほかにも構内にいる車両を見てみると、


無番号(?)の怪しいフラットカー
あおり戸受けが残っているので元は無蓋車だったのでしょうか。
右に連結されている有蓋車には窓付きの貫通扉が見えます。


その黄帯を巻いた救援車風の有蓋車(ワ34形35号)
古いシュー式走り装置の貨車ですが、車体を載せ替えられたのか下回りの割に新しそうに見えます。
よく見ると車輪に当たっているはずのブレーキシューがありません。まさかのブレーキなし車?


構内のそこかしこに留置された電車
ミュージアムの展示品なのかどうか判然としないこれらの電車は、
敷地内の線路のすき間埋めといった感じで止まっていました(実際は留置場所が足りないから?)。
右のモハ220形は事業用以外では全車引退済のようなのでたぶん部品取り車、
左の元西武の101系は改造前提で未着手の近江鉄道名物「塩漬け」でしょうかね。
(加工しようとして積んだままの鉄道模型を思い出す・・・)

そんなこんなで近江鉄道ミュージアムの保存車両や資料館を見学したあと、
帰りの時間となったのでJR彦根駅から米原行きに乗車し、
米原からは新快速で豊橋へ、そこから新幹線に乗り新横浜へ帰りました。

(おわり)


京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その4)

2017年08月05日 | 日々の出来事

京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その3)からの続きです。


彦根から電車に乗りやってきた八日市駅は、
貴生川方面の本線と近江八幡方面の八日市線の分岐駅となっています。


ちょうど乗ってきた列車(画像内左)がしばらくして近江八幡行きとなったので、
なんとなく流れで乗車。
新八日市駅の古い駅舎や山上にそびえる太郎坊宮本殿などを車窓に見つつ、
近江八幡まで往復してきました。


終点の近江八幡はJR線との乗換駅ということもあって、幅の広い近代的なホームです。
朝晩のラッシュ時には多くの通勤通学客でにぎわうのでしょう。

さてこのあと、乗ってきた電車で再び八日市に戻り、
駅前のショッピングセンターで昼食を済ませて
今度は本線の貴生川方面へ行こうかと思っていました。


・・・とそこへ、彦根方面からダークブルーの900形電車が回送で到着。
入換ののち、「JAZZ電車」の行先表示を出してホームに入ってきました。


(分かりにくいので拡大)
ホーム上の立て看板によると、「びわこジャズ東近江」というイベントの一環で、
電車内で生演奏・生歌唱の音楽を楽しむことが出来る
「ガチャコンJAZZトレイン」という臨時列車なのだそうです。

この偶然遭遇したイベント列車の件に関してはまったくのノーマークでしたが、
なにやら楽しげなのと八日市~近江八幡間の途中駅をすべて通過扱いで往復できるということで、
貴生川方面に行く予定を変更して乗車してみました。
(乗り残した区間はまたの機会に・・・)


(車内写真は略)
車内は座席が埋まり若干の立ち客が出るほどの盛況ぶりで、
春ののどかな田園風景を車窓に見ながら、
まったりとアマチュアバンドの方の音楽を楽しみ電車に揺られる・・・、
ただ淡々と列車に乗るのとは違った楽しい車内シーンが展開されました。

こうしていい気分で近江八幡から三たび八日市に戻った後は、
本線の電車に乗り換えて終点の米原まで乗車。

米原駅は周辺の再開発の一環で駅舎やホームも新しくなっており、
あまり地方私鉄らしいローカルムードは感じられませんでした。
(しかしながら駅やホームが立派できれいなのはいいことだと思います)

乗ってきた電車ですぐに折り返し、彦根へ。
途中通り過ぎた鳥居本駅では文化財級の洋風駅舎をちらりと見つつ、
むしろ個人的な興味からかつて存在していたとされる日本石油の油槽所跡を探してみましたが、
それらしい痕跡はなく、やや広い駅構内と近くの太陽光発電パネルが敷き詰められた広い敷地が
その名残?と感じられる程度でした。
(開業時からのものらしい古い駅舎は再訪の折に観察してみたいです)

さて、彦根駅に着いたら今回の近江鉄道「乗り鉄」は終了ですが、
JRに乗る前に構内にある近江鉄道ミュージアムを見学してみることにしましょう。

以下その5に続きます。


京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その3)

2017年08月05日 | 日々の出来事

京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その2)からの続きです。
いつ行ってきた話なんだ、と言われそうですが・・・、長らくの停滞すみません。

さて京都鉄博を後にして京都駅まで戻ってきた自分と工場長さんは、
そういえばオープンしたばかりだったね、ということで
京都駅ビルにこのはる新たに移転・開店したKATO京都駅店を訪問。

写真は撮っていませんが、いかにも京都を意識した和風な装いの店舗や
線路に面した窓からの眺望はなかなかよかったです。

そのあと工場長さんとは烏丸駅で別れて、京都市内散策ついでに某中古模型店に立ち寄り(!?)、
京都駅に戻った後は預けていた荷物を引き取って上り電車に乗りました。

そして途中大津市内でまた模型店に寄ってから(!?!?)、
この日は南彦根駅前のビジネスホテルに宿泊しました。
(どうでもいいのですが、この模型店立ち寄りでちょっと気になるものがありそこそこの散財をしてしまいました・・・)


そして翌日、東海道線をひと駅乗って彦根駅で下車。
ということでやってきたのは近江鉄道です。

今まで幾度となく東海道線に乗ってきて近江鉄道も車窓には何度も見ているのですが、
通り過ぎるだけで「いつか乗りにいきたいなあ」と思いつつ早数年。

今回は京都での用事だったので、
じゃあ一泊して帰りがけに寄り道するか、となったわけです。
(何かこういうきっかけがないと、個人的になかなか来にくいところではありますし)


まず彦根駅に降り立って印象深いのはこの自由通路上から見た圧巻の光景。
近江鉄道彦根駅には車庫や車両工場、
それに保存車両が展示されている「近江鉄道ミュージアム」が併設されています。

まるで鉄道模型のヤードかと見紛うばかりにたくさんの車両が止まっておりかなり迫力ある眺めです。

次の電車まで時間があったので駅の周辺も観察してみると


自由通路南側の線路には西武鉄道からやってきた新101系が転用改造待ちで留置されています。
若干色あせているほど長く留置されているようですが
(そのせいもあって駅構内がなおのこと車両でいっぱいに・・・)、
2017年5月初旬現在では中間電動車に切り出した先頭車の運転台を接合する改造が進行中という話もあり、
活躍を始める日もそう遠くはないかもしれません。
(近江鉄道名物、鉄道模型さながらの改造ですね)


さらに線路に沿って歩くと国鉄ホキ800形と近似のホキ80形も見られました。
無骨な黄色い車体が目立つバラスト散布貨車で、
現在でも必要とあらばバラストを満載して動くことがあるそうです。
ホキ800は黒一色なのでこちらのほうがより事業用車っぽい雰囲気が出ていますね。


さらに線路沿いを歩いていくとスマートな(?)スタイルの中型電車とフラットカーの編成が出現。
電車はかの有名な平成生まれの寄せ集め釣り掛け電車220形ですね。
いまさら説明不要なような、ある意味近江鉄道の真骨頂みたいな名物電車です(本当に説明略)。


で、その後ろに控えるフラットカーもその筋では有名なチ10形レール輸送用長物車。
車体上のレール取り降ろし用の回転台やクレーンが目を引きます。
貨車ではありますがその出自は電車の台枠と台車などを利用した改造車で、
そのため台車は空気ばね装備のFS40を履いている変わり者です。


貨車らしからぬFS40台車の側面。
上掲の写真のように現在営業運転からは退いた220形電車がチ10形の牽引車となっていますが、
その220形が履いている台車も同じFS40で、一個の編成として扱う分には共通の台車を履いているほうが
電車の付随車的な扱いができて都合がよいのかもしれません。

さて、そんなこんなで駅周辺の車両を見物していると八日市行きの電車の時刻が近づいてきたので、
切符を買って乗り場に移動。

やってきたのは彦根の留置車と同じ元西武新101系ながら、すでに運用入りしている100形でした。
これに乗って春の近江路を八日市駅までガタゴトと揺られました。

以下その4に続きます。


京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その2)

2016年06月27日 | 日々の出来事

京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その1)からの続きです。


本館1階中央フロア付近に展示されているワム3500形7055。
大正時代設計の木造車体を持つ古い有蓋車です。もっとも今や有蓋車そのものが「古い」存在になりつつありますが・・・。
縦や斜めに渡された鋼製のアングル、横一列に並んだ木材の合わせ目がいかにも古色蒼然とした雰囲気です。

地味に日々黙々と働き、そして人知れず消えていく貨車は記念物として保存されることは少ないですが、
(廃車になったあとも倉庫などとしてなおその役割を果たし続ける続ける車両もいますが)
このワム7055は昭和40年代に除籍されてからも数十年の間教材用として訓練所に保管されていた車両なのだそうで、
かつて鉄道が現在以上に日本の物流を支えたシンボルとして、こうして保存されたとても幸せな車両だと思います。


そしてそのワム7055の足元には鉄道設備の保存として、
かつて大規模な操車場で使われていたカーリターダが設置されています。

カーリターダはヤードなどの仕分け線で突放された貨車を減速させるためのブレーキ装置で、
このタイプはレールの両脇に設置された桁が車輪に押し当てられることによって減速させるタイプのものだそうです(たぶん)。

ちなみに博物館のミュージアムショップには限定品としてTOMIX製のワム3500形7055のNゲージ車両が売られていますが、
聞くところによると展示用としてこのカーリターダを模した線路が付属しているそうです。
当然市販の線路にはないもので、TOMIXの気合の入れようが感じられる逸品ですね(いやあマニアックだ、笑)


こちらは元梅小路蒸気機関車館エリアにある「客車休憩所」として利用されているオハフ50 68。
この車両は正式な収蔵・展示車両には含まれてはおらず、あくまでも休憩所としての利用車両のようですが、
ご覧の通り他の展示車両同様にぴかぴかつやつやの大変きれいな姿に化粧直しされていました。
しかも律儀にもJRマークまで入れられています(もともと付いていたような?)。

昨年末、京都から山陰本線の列車に乗って築堤上から梅小路の構内を見たときに、
このオハフ50がいつもいた線路から転車台をはさんで反対側の線路に留置されているのを見て
「あのオハフ50って動けたのか!?」とびっくりした覚えがあります。


一時は「レッドトレイン」として全国各地で活躍した50系客車ですが、
その当時のイメージをほぼそのままにとどめているのはもうこのオハフ50くらいでしょうか(真岡のはぶどう色なので)。

梅小路から京都鉄博へのリニューアルに際してこの客車の去就も気になっていましたが、
きれいな姿で梅小路時代と同じ場所に鎮座し、これからも来館者の憩いの場として活躍し続けてくれるのは
客車好きの端くれとしては大変うれしい限りです。
(たまには横の線路にDD51とかDE10、あるいはスハフ12なんかを一緒に並べてくれたら楽しそうですね)


交通科学博物館時代から4両編成を組んで展示されている0系新幹線電車(H1編成)。
往時の12・16両編成と比べると短いですが、たいてい旅客車の保存は諸事情から先頭車のみのことが多いので、
このように編成の体裁でもって展示されていることは意義深いことだと思います。
京都鉄博のプロムナードに移設されてからは明るい場所で見学できるようになりました。


12号車・グリーン車16-1の出入り口。
新幹線電車のグリーン車といえば「金縁」のドアが特徴ですが、
なぜか磨き出しではなく金色の塗料を塗って再現されていました。
保存中の一時期はこのドアの縁も他と同じく青とアイボリーに塗られていたことがあるようなので、
磨き出さずに単純に上塗りしたのでしょうか。


最後にC62 2牽引のSLスチーム号を。
実は梅小路時代のSLスチーム号には乗ったことがなく、このときが初乗車でした。
客車は以前に使われていた遊園地のアトラクション風のものから一変して、
レール輸送用貨車であるチキ5200形から改造されたレトロ調展望車両(オハテ321・オハテフ310の形式入り)に衣替えして雰囲気満点です。
その客車はデザイン学校の学生の方の手による凝った内外装が特徴ですが、乗るのに夢中で写真を撮り忘れていました(汗)

むしろ自分としては「この台車ってもとを辿ればコキフ50000の台車だよな・・・」とか、
「貨車用の台車の乗り心地はどんなもん?」などと余計なことを考えていました(笑)
ちなみに乗り心地は低速ながらゴツン、ゴツンと結構硬い感じでした。
というわけで、こんな感じの台車で95km/hのスピードで爆走されたら良くない意味でさぞすごい乗り心地だったろうなあ、
と昔のコンテナ緩急車の乗務環境に思いを馳せるのでありました。
(事実、不評だったので10000系貨車のエアサス台車と交換に)

という感じで、工場長さんと二人してあれやこれやと歓談しながら、
午前中から15時くらいの閉館までを楽しく過ごしました。
遅くなり申し訳ありませんが、この内覧会に招待してくださった工場長さんにはこの場を借りましてお礼申し上げます。
ありがとうございました。

さて、京都鉄博の内覧会の話は以上ですが、次はそのあと帰りがけに(?)寄り道してきた話をば。


京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その1)

2016年06月18日 | 日々の出来事

もうふた月ほど前のことになってしまうのですが、
いつも何かとお世話になっている「鳥取総合車両所備忘録」の管理人・工場長さんから
「京都鉄道博物館の内覧会チケットに当選したのですがご一緒にいかがですか?」とのメールをいただき、
またとない機会なのでぜひ、と同行させていただくことになりました。(いつもいつもお世話になります。ありがとうございます。)

さて内覧会の当日、新横浜始発のひかり号に乗って一路西へ。
途中名古屋で時間調整もかねて朝飯にきしめんをぞぞーっとすすり、後続のこだま号に乗り京都駅で工場長さんと合流しました。

ちょうど開館まで程よく時間があったので、梅小路公園を抜けて徒歩で京都鉄道博物館へ向かいました。
そして待機列に並んで程なく入場。さすが新しい建物なので気持ちがいいですね。

 以下、私なりの視点から思ったことについてつれづれと書いていこうと思います。


まずは山陰に始まり、そして山陰に散っていった“悲運の機関車”DD54。
弁天町の交通科学博物館時代は大阪環状線の高架下に窮屈に押し込められた感のある展示でしたが、
京都鉄博に移転してからは一躍、入場口から本館へのプロムナードの中央に展示されるという大出世(?)を果たしました。

機関車の後ろには20系寝台特急客車の食堂車であるナシ20形が据えてあるのですが、かつての活躍を偲んでの演出でしょうか。
もしそうであるならぜひ「出雲」のヘッドマークを付けてあげて欲しいです。
ああ、KATOのDD54ブルートレイン牽引機が欲しくな~る・・・(笑)。


トワイライトプラザ(旧京都駅ホーム上屋下)に展示されているEF58 150号機。
大宮の鉄道博物館や東海のリニア・鉄道館にも保存されているEF58は茶色(ぶどう色2号)の塗装ですが、
ここ京都鉄博での塗装は青とクリームの塗り分けで雰囲気が変わっています。

EF58といえばぶどう色2号や青大将色などもいいですが、やはりこの塗り分けという人も多いのでは・・・。

この後ろにはJR東日本から譲渡されたオロネ24形が展示されていますが、

これも「彗星」などEF58が関西発着ブルートレインを牽引していた時期をイメージしていた時期の演出でしょうか?
機関車のそばにある説明板には「貨物列車の牽引にも活躍」というような趣旨の説明がありましたが、
おそらくごく一部の例を除いて「荷物列車」の間違いでしょう。


ちょっとぶれ気味ですが、JR西日本に残る貴重な旧型客車オハ46形13号車。
オハ46には当初からの新製車とスハ43後期グループからの編入車がありますが、これは新製車に分類されます。
こんな微妙な写真なのは鋼板屋根のために妻面のキャンバス押えがない姿を撮りたかったから・・・、だと思います(笑)

大宮鉄博ではオハ31形の博物館記念品モデルが発売されているので、
金型を持っているはずのKATOさんには是非オハ46 13を京都鉄博記念品として発売して欲しいな・・・なんて思ったり。


「ザ・山陰本線の機関車」としては欠かせない存在であるDD51。
京都鉄博にはJR貨物からお輿入れした756号機が展示されています。
独特の「かさ上げ展示」と下回りを通路から覗き込めるということでまさに迫力満点です。


なお756号機は山陰本線を走ったことがあるのかは定かではありませんが、
1番違いの755号機は一時期米子機関区所属だったことがあるようです。

ただ正直なところ山陰本線を走ったDD51のうち1017号機以前の機関車はJRに引き継がれなかったこともあり、
個人的には馴染みは薄いのですが、ぴかぴかつやつやの姿に化粧直しされた姿は本当にかっこいいですね。
やはりこの機関車にも「出雲」のヘッドマークを取り付けてあげて欲しいです。

いつものように長くなったので続きます。


年明けて2016年

2016年01月25日 | 日々の出来事

1月ももう下旬だで・・・、と言われそうですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
しかしよろしくも何も、昨年の投稿がたったの2件というのは開店休業状態もいいとこですが・・・。

さてさて、この年末年始もいつものように鳥取の実家へ帰省して、いつものようにちょこちょこと地元鉄分の補給などしてまいりました。


ある日の午前中の暇つぶしに若桜へ。
暖冬気味だったこの年末年始はどこも雪がなく、昨年は雪化粧していた若桜駅もこの通り。


いつもなら雪に埋もれて寒そうにしている(?)温暖な四国から来た12系。
雪がないだけ過ごしやすそうな・・・。
(余談ながら、四国に残った12・14系の仲間たちは近々SL列車運転を計画中の東武鉄道へ譲渡という噂なのだそうで)


いっぽう道の駅裏の車庫前に待機している北陸育ちの除雪モーターカーは、
活躍の機会もなく、暇をもてあまして所在なさげに見えました。


沿線で写真を撮っても空も地面も山陰の冬っぽくなく、なんだか晩秋みたいな感じですね。
ところで、若桜鉄道の主力車両であるWT-3000形ですが、近いうちに車両更新を兼ねて観光列車仕様に改装されるのだそうです。
外観・塗装も変更されるらしく、長年見慣れたこの姿もあとわずか?かもしれません。
(観光列車というだけに、今流行の水戸岡デザインになったりして・・・?)


さて今回は帰省からの戻りがけにちょっと寄り道。
山陰本線並河駅横にある「鉄道歴史公園」に行ってみました。
ここには0系新幹線電車の先頭車(22-1003)のカットモデルとDD51 1040号機が保存されています。
以前から山陰本線でここを通るたびにいつか立ち寄ってみたいと思っていましたがこのたびようやく実現。


屋外展示ですが保存状態は良好、間近で見るDD51はものすごい迫力です。
この1040号機はかつて米子機関区に配置され特急から普通・貨物までさまざまな列車を牽引、
まさに山陰本線にゆかりの深い機関車ですね。


そんな山陰本線も並河駅付近では電化は言うに及ばず、園部まで完全複線化され、すっかり京都の近郊電車といった趣です。
113系や183系など国鉄形の車両さえも去り、頻繁に行きかうJR世代の後輩たちを横目にかつての主役は何を思う・・・?


年明けて2015年

2015年01月25日 | 日々の出来事

もう1月も下旬となってしまっては今さら感も甚だしいところではありますが、
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
また旧年中にお世話になりました方々、ならびに当ブログをご覧くださった皆様に感謝申し上げます。

さてこの年末年始は例によって鳥取の実家で過ごしておりましたが、
その間にもちょこちょことあちらこちらへと出かけておりました。


倉吉市の打吹駅跡にある倉吉線記念館に保存されている貨車移動機を見に行ったり(資料的な写真を何枚か撮りました)、


汽車に乗りに駅へ行ったら偶然にもにぎやかな特急車と出会ったり、


やっぱりしまねっこのインパクトはすごいです。
運用が公表されているのでいずれ走行写真も撮りたいですが、その前にラッピングの期限切れになりそうな・・・。


正月早々に降り出した雪に待機中のラッセル機関車を見てはしゃいだりしていました。


ちなみに鳥取駅の3・4番のりばホームの米子方にある、
切り欠き部分の線路が使われているのをこのとき初めて見ました。
DE15はエンジンかかかっていて必要とあらばいつでも動き出せるようにしてあるようでしたが、
この線路に対する出発信号機は設置されていない(列車として直接本線に出られない)はずなので、
いざ出動!というときには線路閉鎖を行うのでしょうか。


あるいはひざ上まで雪にずぼずぼ埋まりながら徳丸駅近くの八東川にこんな写真を撮りにも行きました。
とりあえず汽車と雪と「どんど」とを撮影できてよかったですが、このあと靴擦れを起こして足がすごく痛くなったり、
自動車に泥交じりのべちゃ雪をはねかけられたり散々でした・・・。


いい具合に雪化粧した若桜駅の情景はなかなかよかったですね。
(機関車はもうすこし着雪が払われていたらよかったですが)
よく見るとDD16のつららよけのところで上から垂れてきた雪が止まっていて、地味に役立っている(?)感じです。

この年末年始の休みは短い期間に私事で何かとどたばたとしていましたが、
趣味的にはそれなりに楽しめたかなと思っています。